2022年1月2日日曜日

アドルフ・ケトレー Lambert Adolphe Jacques Quételet アドルフ・ケトレー1796-1874 Wikipedia

アドルフ・ケトレー  Lambert Adolphe Jacques Quételet 1796-1874 


アドルフ・ケトレー - Wikipedia

座談会:150年のスパンで「統計学」を見る|特集|三田評論ONLINE

『文明論之概略』に見られる統計的思考

馬場 福澤と統計とのかかわりをより詳しく見ていきたいと思います。『万国政表』では統計データを訳して出版したわけですが、統計的な考え方というものの有用性に、いち早く気付いた1人という面もあるのではないかと思うのです。

大久保 その通りだと思います。先に触れた幕末期の『万国政表』は、各国の国情をデータで示した統計表です。しかし福澤はそこからさらに思索を深め、「統計的な思考とは何か」という課題に踏み込んでいきます。

その1つの成果が、『文明論之概略』(1875[明治8]年)です。良く知られるように、同書で福澤はバックルの『英国文明史』に取り組んでいます。バックルがこの作品で文明史の方法論として導入しているのが、ケトレー統計学です。

バックルはケトレーの統計学により、歴史学の科学化が可能になったと指摘します。バックル『英国文明史』の主題は、膨大な資料を収集し、大量観察を通じて人間社会の精神現象のうちから一定の数量的規則性を導き出す統計学の手法を用いることで、科学的な文明史の叙述を試みることでした。

福澤は『文明論之概略』のなかで、この『英国文明史』を媒介に、犯罪率や死亡率をめぐるケトレー統計学の成果を紹介し、次のように指摘します。「スタチスチク」こそ、「天下衆人の精神発達」を観察・比較し「真の情実を明にする」、「文明を論じる学者」の方法論である、と。

このあたり、福澤はやはり思想家として非常に優れた嗅覚の持ち主であったと考えられます。


https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/features/2020/06-1_2.html

【特集:福澤諭吉と統計学】 座談会:150年のスパンで「統計学」を見る

『文明論之概略』に見られる統計的思考

馬場 福澤と統計とのかかわりをより詳しく見ていきたいと思います。『万国政表』では統計データを訳して出版したわけですが、統計的な考え方というものの有用性に、いち早く気付いた1人という面もあるのではないかと思うのです。

大久保 その通りだと思います。先に触れた幕末期の『万国政表』は、各国の国情をデータで示した統計表です。しかし福澤はそこからさらに思索を深め、「統計的な思考とは何か」という課題に踏み込んでいきます。

その1つの成果が、『文明論之概略』(1875[明治8]年)です。良く知られるように、同書で福澤はバックルの『英国文明史』に取り組んでいます。バックルがこの作品で文明史の方法論として導入しているのが、ケトレー統計学です。

バックルはケトレーの統計学により、歴史学の科学化が可能になったと指摘します。バックル『英国文明史』の主題は、膨大な資料を収集し、大量観察を通じて人間社会の精神現象のうちから一定の数量的規則性を導き出す統計学の手法を用いることで、科学的な文明史の叙述を試みることでした。

福澤は『文明論之概略』のなかで、この『英国文明史』を媒介に、犯罪率や死亡率をめぐるケトレー統計学の成果を紹介し、次のように指摘します。「スタチスチク」こそ、「天下衆人の精神発達」を観察・比較し「真の情実を明にする」、「文明を論じる学者」の方法論である、と。

このあたり、福澤はやはり思想家として非常に優れた嗅覚の持ち主であったと考えられます。

馬場 福澤はおそらく自然科学という分野は非常に法則的な世界であるけれど、自然科学だけではなく、社会科学においても、統計的なものの見方をすれば、同じように法則性を見つけられることに気付いたのでしょうね。

それで非常に興奮して、これを使えば社会的な問題も捉えられる、と思った。そこにいち早く気付いて著作の中で紹介したという点が、やはり福澤の先見性だったのではないかと思います。

大久保 興味深いことに、ケトレーはもともと天文学を研究し、そこから統計学に進みました。福澤が学問的基礎とした江戸時代の蘭学も、宇宙の法則をめぐる天文学の分厚い伝統と蓄積を有していました。

「天を測る」天文学から「人間社会を測る」統計学へ。福澤の統計学的営為は、近世蘭学の文化的鉱脈の延長線上に位置づけることも可能ではないかと考えます。

様々な統計学の側面を導入

馬場 福澤は同じ『文明論之概略』の中で、大数法則だけではなくて、婚姻の数が米相場の値で変わるのだという、因果を導くような点も統計学の1つの側面として話しています。また、『時事小言』(1881[明治14]年)の中では、議論としてはかなり粗いですが、士族をバックアップするという趣旨で、正規分布表なども導入して「天才の家系」を紹介しています。

ですから、大数法則だけではなく、いろいろな統計の考え方もかなり読み取って、それを著作の中に入れていたのではないかと思うのです。

椿 欧州における天才の家系の研究というのはダーウィンの従兄のフランシス・ゴルトンがやったんですね。『遺伝的天才』(Hereditary Genius、1869)という著作の中で初めて「スタティスカル・サイエンス」を作らなければいけないということで、相関概念とか分位点の概念を提案してくる。

この流れの中には、ゴルトンの強い影響を受けたカール・ピアソンの、「グラマー・オブ・サイエンス」(『科学の文法』、The Grammar of Science、1892)という概念があります。これは「自然科学のように対象が科学的であるから科学なのではなくて、プロセスが科学を科学とする。どんなものでも科学にできる」ということを前提にしている考えです。

しかし、今のお話を伺うと、福澤先生はケトレーから直結しているかもしれませんし、福澤先生のやっていらっしゃる時期のほうが早く感じられる部分もあります。

大久保 『時事小言』の「天賦の才能」と遺伝に関する正規分布は、福澤自身、実際にゴルトンを読んで紹介したものです。その議論を援用しながら、武士の家系の問題を考察しています。

椿 そうなんですね。

大久保 ここからは福澤が一貫して統計の問題に関心を持っていたことがうかがえます。

福澤は『文明論之概略』で、結婚を取り上げ、出雲大社の縁結びの神説など、縁談を運命のように考える人が多いが「スタチスチク」からみると、それは違う、その年の婚姻の多寡は「米相場」によって決まる、と喝破しています。福澤にとって統計学は、人々の間に流布する偏見や謬説をひっくり返す、最強の学問だったと思います。

それゆえに、ゴルトンを『時事小言』の中で紹介するときは、人間はみんな平等だというけれども、しかし実際には平等ではない、人間の才能は家系によって違いがある、と言うわけです。

ただし実はこれは、福澤の有名な『学問のすゝめ』(初編、1872年)の冒頭の一文、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と矛盾します。

一方で冷徹に一般的事実を解明する統計学を重んじ、他方で人間の平等性など倫理にかかわる規範的な政治哲学を講じる、そうした両義性こそ、福澤諭吉の面白さだと思います。

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ナイチンゲールの師匠!近代統計学の始祖「アドルフ・ケトレー」

皆さんはBMI指数と呼ばれる数字をご存知でしょうか。体重と身長を使って肥満度を簡単に測ることができる指標で、世界中で使用されています。日本では健康診断でBMIが25以上であると「肥満気味」と分類されます。

肥満度の目安とされるBMI指数。実は日本肥満学会とWHOの基準は少し異なります。

実はBMI指数を考案したのは、近代統計学の父と言われる「アドルフ・ケトレー」です。統計学の歴史を紐解くと3つの源流があると言われていますが、当時それらの源流をまとめ上げ、統計学を社会現象・人間社会に適用できることを示した、まさに統計学における「始祖」のような存在です。2月22日はケトレーの誕生日ですので、彼の人物像と、行っていたことをお話ししようと思います。

アドルフ・ケトレーとは?

アドルフ・ケトレー(Adolphe Quetelet)は1796年にベルギーに生まれ、1819年に円錐曲線理論に関する数学の研究の功績により博士号を授与されます。1820年には王立科学アカデミーのメンバーに選ばれ、天文学の研究をはじめます。そして1823年、当時弱冠27歳のケトレーは政府に天文台の創設を提案しています。現在でも太陽などの観測が行われているベルギー王立天文台は、こうして誕生したのです。

アドルフ・ケトレー(1796-1874)
ベルギー王立天文台。

ケトレーは天文学の研究を行う傍ら、犯罪率や保険などの政府統計に関する事業に関わり、人間社会にも統計学が適用できないか模索していきました。その先にたどり着いたもの、それは普段私たちがよく目にする「平均値」です。

ヒストグラムと正規分布

このグラフを見てください。なんのグラフだと思いますか?

これはなんのグラフでしょう?

正解は「蟹の甲羅の長さを999体計測して、長いものや短いものがどの程度あるかをまとめた」グラフです。そんなことする人がいるのかと思われるかもしれませんが、カール・ピアソンと呼ばれる統計学者によって作成されました。ピアソン本人によって「ヒストグラム」と名付けられたこのグラフは、現在でもデータのばらつきを把握するために利用されます。

次に、このグラフを見てみましょう。

今度はなんのグラフでしょう?

こちらはピアソンのヒストグラムよりも前に作成された、「6000人近くのスコットランド兵の胸囲をまとめた」グラフです。実はヒストグラムを発明したのはケトレーで、名前がつけられなかったこのグラフにピアソンが後から命名したのです。蟹の甲羅の長さも、人間の胸囲も、同じようにばらつくのです!

さて、どちらのグラフにもヒストグラムに重ねるように描かれた曲線があります。この曲線は「正規分布」と呼ばれています。当時正規分布は天文学で観測誤差を表す分布として使われていましたが、ケトレーはこの分布が人間社会においても現れることを発見しました。そして1835年に「人間とその能力の発展について-社会物理学の試み(Sur l'homme et le développement de se facultés, ou Essai de physique sociale)」を出版し、人間の行動や社会の状態を扱う社会学に統計学が持ち込まれる端緒になりました。

さらに、ケトレーは各国の大小さまざまなデータを集計して「規則」や「法則」を探す中で、統計データの取り方の違いや、そもそもの不備があることに気付きました。1853年にケトレー自らの発案により開催された第1回国際統計会議(現在の国際統計協会)では、「データの処理手順の国際共通化や長さや重さなどの単位の統一化が重要である」と説きました。

この姿勢に感銘を受けた者こそ、看護師であり「統計学の母」とも呼ばれるフローレンス・ナイチンゲールです。ナイチンゲールは若い頃からケトレーの著作「社会物理学」を読み、それが彼女が行った統計の基礎となったと言われています。1860年には、ナイチンゲールとケトレーは、第4回国際統計会議において衛生統計の統一基準の採択を実現させています。人間社会に広く活用される流れを作ったのが、ケトレーが「近代統計学の祖」と呼ばれる所以です。

フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)

ナイチンゲールについては、過去記事で取り上げていますのでまだみていない方は良ければそちらもご確認ください。

おわりに

いかがだったでしょうか。ケトレーによって統計学が人間の様々な特徴や行動にも活用できることが示され、分析を行うことができる道筋が示されました。そのほか人間の身体的、思想的な平均を極めた「平均人(l'homme moyen)」など、ケトレーは多くの概念をもたらし、その後の統計学に計り知れない影響を与えています。統計をこれから学びたい方は、ケトレーについて調べてみると良いでしょう。

「平均」、「正規分布」など、現代統計学の原点ともいえる重要な概念について学びたい方は、無料セミナーにお越しください。様々な歴史や事例をもとに、わかりやすく解説しています。

ケトレーについては実は自身の著作の他に日本語の書籍が多くありませんが、ナイチンゲールやピアソンなどの統計学者を話すときには必ずケトレーの名前が挙がります。ご興味がある方はぜひ一度読んでみてください。

それではまた。

<文/岡崎 凌>
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC

アドルフ・ケトレー

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出典検索?"アドルフ・ケトレー" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
2011年8月
Lambert Adolphe Jacques Quételet
アドルフ・ケトレー
Adolphe Quételet by Joseph-Arnold Demannez.jpg
生誕 1796年2月17日
Flag of France (1790-1794).svg フランス共和国 ゲント
(現・ベルギー)
死没 1874年2月17日(77歳没)
ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
研究分野 数学天文学統計学社会学
研究機関 ベルギー王立天文台
出身校 ゲント大学
主な業績 社会物理学英語版への貢献
ボディマス指数
影響を
受けた人物
ジョセフ・フーリエ[1]
ピエール=シモン・ラプラス[1]
主な受賞歴 王立協会外国人会員(1839年)
命名者名略表記
(植物学)
Quételet
プロジェクト:人物伝
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ランベール・アドルフ・ジャック・ケトレー(Lambert Adolphe Jacques Quételet または Quetelet;1796年2月22日 - 1874年2月17日)は、ベルギー数学者[2]天文学者統計学者社会学者である。社会学に統計学的方法を導入し、「近代統計学の父」とも称される。

目次

  • 1 業績
  • 2 日本語訳
  • 3 脚注
  • 4 関連項目

業績

数学の研究により1819年ゲント大学から博士号を授与され、1828年ブリュッセルに天文台を創設し天文学の研究を行った。

当時の新しい研究分野である確率論統計学最小二乗法などの形で主として天文学に応用されていた。ラプラスは確率論を社会研究にも応用することを考えていたが、ケトレーはこのアイディアに基づき「社会物理学」の名で研究を開始した。彼の目標は、犯罪率、結婚率、自殺率といったものの統計学的な法則を理解し、他の社会的要因の変数から説明することにあった。このような発想は自由意志の概念に反するということで当時の学者の間に議論を巻き起こした。18世紀以来の「神の秩序を数学的に明らかにする」という思想ではなく、個人の行動に基づいて科学的な法則性を追究した点で功績がある。

彼の最も有名な著書は「人間とその能力の発展について-社会物理学の試み」Sur l'homme et le développement de se facultés, ou Essai de physique sociale1835年)である。ここでは彼の考える社会物理学を概観し、「平均人」(l'homme moyen:社会で正規分布の中心に位置し平均的測定値を示す)という概念を提出している。そのほかに「社会物理学」La physique sociale1869年)などの著書があり、特に19世紀後半の社会統計学に強い影響を与えた。

彼は人の社会的データのみならず身体的データについても研究を行っている。特に人の身長に対する理想的体重と実際の体重を比較する指数、つまりボディマス指数(ケトレー指数)を提案し、これは公衆医学上も重要な貢献である。

1850年前後にはベルギー政府の統計実務にも関わり、国勢調査の指導などをしている。また統計学に関する雑誌と学会を創立し、統計学者間の国際的な協力に熱心であった。

日本語訳

  • ケトレー『人間に就いて』平貞蔵山村喬訳、岩波文庫、1939-40
  • アドルフ・ケトレー『道徳的及び政治的諸科学へ応用された確率理論に就ての書簡』 (統計学古典選集 高野岩三郎訳. 栗田書店, 1942

脚注

  1. ^ a b "Quetelet, Adolphe": entry in The Britannica Guide to Statistics and Probability, edited by Erik Gregersen
  2. ケトレ とは - コトバンク

関連項目

Quételetは、植物の学名命名者を示す場合にアドルフ・ケトレーを示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)

山本正「アドルフ・ケトレーの『平均人間』について」『山梨大学学芸学部研究報告』第3号,1952年11月

山本正「アドルフ・ケトレーの『平均人間』について」『山梨大学学芸学部研究報告』第3号,1952年11月

本稿はケトレーの統計学研究の基礎である「平均人間」の理論を解明することである。この課題を筆者は,その著『人間について』(1835年),『確率論についての書簡』(1845年),『社会体制論』(1848年)の検討をとおして究明している(「平均人間」の思想は「世人成長の規範に関する研究」[1826年],その用語は「各年齢犯罪癖の研究」[1831年]にあらわれている)。

構成は次のとおりである。「緒論」「ケトレーに於ける『平均人間』の理論の発展過程」「以上の要約,及び『平均人間』の効用」「統計学史上に於ける『平均人間』の理論の評価及び結語」。これらのうち,主要部分は「ケトレーに於ける『平均人間』の理論の発展過程」である。ここでは,(イ)『人間について』における「平均人間」,(ロ)『確率論についての書簡』における「平均人間」,(ハ)『社会体制論』における「平均人間」というように,「平均人間」の理論の発展過程が細かく,丁寧に跡づけられている。

 『人間について』では,「平均人間」は社会の重心である一個の仮想人(犠牲人)としてあらわれている。「社会物理学」でケトレーは,人間と人間社会を支配する「法則」を統計的大量観察によって発見し,この法則を支える原因を追究しこの原因に変更を加えることで法則を人間に有利に変化させることを意図する。人間社会は遊星系統と同一視され,力学における重心のように人間社会にもそれをもとめ,「平均人間」を措定する。「平均人間」は,社会の諸要素がその周りを動揺する一つの平均で,数学的に計算された一個の擬制人で,「社会物理学」の基礎である。ただし,ここで言われる「法則」は人間社会の恒常性である。

 「平均人間」はどのようにしてもとめられるのか。それは観察と計算による。ケトレーはこれを肉体的「平均人間」と精神的「平均人間」(道徳的「平均人間」と智的「平均人間」)とに分けてもとめる。前者はある集団に属する人々の肉体的特性の測定値の算術平均により,後者はある集団における精神的行為数(犯罪数,結婚数など)の割合である。このような議論の延長線上にケトレーは,肉体的「平均人間」が美の典型であり,道徳的「平均人間」が善の典型であること,「平均人間」とは一般的なもの,普遍的なものが個別化されたものとみなし,もし現実の人間が「平均人間」と合致するなら,その人は真の偉人となると述べた。これは法則の人格化と考えられるの仮説である。

 『確率論についての書簡』では,前著で仮説として提起された「平均人間」の存在が,人間の肉体的特質の測定値の分布として示されることで,正常誤差法則と一致するとの判断に到達し,これをもって仮説の数学的証明とされる。ケトレーは平均に2つの意味内容をもたせる。一つは実在としての平均,もう一つは算術平均である。ケトレーは,その分類を考慮したうえで,もし単なる算術平均的関係しか認められない一群の測定値において平均を中心とする諸値の分布の関係を見いだすことができるならば,その時,算術平均は実在する平均なるものの真値を表すことになる(算術平均の平均への転化),と結論づけた。筆者はこれを,スコットランドの兵士の測定値で実験的に裏づけることで,「型」としての「平均人間」の概念の前提となる結論とした。「平均人間」は人間的誤差が互いに相殺された自然の本質そのままの現象とみられ,人間の「型」となり,これをもって真理の顕現とみなされるのである。他の人間はこの「平均人間」からの偏倚,誤差と考えられる。ここに表れているのは,ケトレーの自然主義-自然決定論的特色である。

『社会体制論』では,上記の「平均人間」が人間の精神的特性にまで拡張され,道徳的「平均人」が算術平均的道徳性向をもつだけでなく,同時に自己の周囲に偶然的原因の法則にしたがって分布する現実の道徳的諸個人とされる。道徳的「平均人間」は,肉体的「平均人間」同様,「型」となる。また智的「平均人間」も「型」となる。ただし,留意すべきは,これらの道徳的あるいは智的「平均人間」は,何らかの実験例によって裏付けをもたないまま,単なる「偶然的原因の法則」からの演繹によって導出されたことである。
以上のようにケトレーにあっては,「平均人間」は人間の道徳的,智的,肉体的特質の典型とされ,それが全人類的規模で算出されるならば,善と美の絶対的典型になると考えられた。社会におけるすべての人間集団はこの「平均人間」を中心に,肉体的にも道徳的にも智的にも一定の法則にしたがって分布する。この法則は社会法則である。それを支えるのは本質的かつ恒久不変な「自然的原因」と人為的な「攪乱的原因」である。「自然的原因」は美と善の典型としての肉体的,道徳的「平均人間」に対応し,「攪乱的原因」は智的「平均人間」に対応する。人間の道徳的自由意志のようなものは,大量のなかでは消滅する偶然的原因にすぎないが,人間の智的作用は真に自然法則に影響をあたえる攪乱的原因である。以上の言明は,言うまでもなく,ケトレーによる特殊な世界観にもとづいて定式化されたものである。「社会物理学」の原因論と「平均人間」の理論とは,このように常に相呼応していたのである。   

 ケトレーの「平均人間」論は,多くの統計学者に影響を与えた。その学説を受け入れたのは,Adolf H.G.Wagnerである。多かれ少なかれ批判的であったのは,M.W.Drobisch, G.F.Knapp, A.Held, F.H.Hankins, Maurice Halbwachs, 日本では有澤広巳,岡崎である。

 筆者は本稿を次のようにまとめている。第1に,ケトレーの体系は「平均人間」を中心とする各個人の分布の総体が社会を構成し,「平均人間」を道徳的肉体的に自然の維持する「型」とし,「社会物理学」の自然的原因,攪乱的原因の分類に照応する,とされた。「平均人間」の理論は,ケトレーの全体系,すなわち「社会物理学」の基礎である。
第2に,「平均人間」が自然の維持する「型」という見方は,ケトレーの掲げるスコットランド兵士などの実験例の確率論的処理だけから出てくるのではなく,自然的決定論的世界観に由来する非科学的結論である。したがって,「平均人間」が善と美の典型であるという主観は承認できない。しかし,人間のある種の肉体的特質がその平均を中心に正常誤差法則にのっとって分布しているという見解は,科学上,意義のあるものである。
第3に,人間のある種の特質に関する計算単位としての「平均人間」はその算出に於いて十分社会的自然的条件の同質化が保証されていれば,価値がある概念である。
第4に,ケトレーの「平均人間」の理論の根本的欠陥はその自然的決定論すなわち非歴史性にあるが,これは同時代の社会理論に共通のものである。ケトレーの著者に貫かれている主知主義的進歩主義,「平均的人間」中心の理論の根底にある同質的人間観に接すると,ケトレー理論がいかに第三階級,第四階級の台頭する時代を反映していたかがわかる。この意味で,「平均人間」の理論は一時期の時代精神を反映する社会観=人間観である。それゆえに,ケトレー理論は非歴史的自然的欠陥をもつとはいえ,永遠に顧慮されるべき資格を有する。
平均人―統計学史(1) | ブログ | 統計WEB

平均人―統計学史(1)

※コラム「統計備忘録」の記事一覧はこちら

平均の概念を人間にあてはめたのはベルギーの数学者で天文学者であったアドルフ・ケトレー(Lambert Adolphe Jacques Quetelet、1796-1874)です。ケトレーは近代統計学の祖と云われています。ケトレーは数々の業績を残していますが、肥満度の指標として使われているBMI(Body Mass Index、体重を身長の2乗で割った値)も彼が考案したものです。  

19世紀になると近代化が進み、数々の統計資料が出回るようになります。そんな中、ケトレーは、「エジンバラ・メディカル・ジャーナル」に掲載されたスコットランド兵士5738人の胸囲を集計して、胸囲が40インチ弱の値を中心とした正規分布を描くことに気づきました。 

それまで、正規分布は、天体観測における観測誤差の分布として応用されていましたが、ケトレーは、人間の身体的データだけでなく、出生、結婚、死亡、犯罪などの発生率という社会的データについても平均値を測定し、正規分布をあてはめることに熱中します。 

ケトレーは、自著「人間について」の中で、人間社会における標準としての「平均人(l'homme moyen)」という概念を提出しました。ケトレーにしてみれば、個人の自由な振る舞いさえも、平均人を中心とした正規分布の範囲内のばらつきの一つに過ぎません。 

ケトレーによって、統計学は人間社会を記述し、分析するための有効なツールとなりました。クリミアの天使と言われた、ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820-1910)も、そんなケトレーの影響を受けた人物の一人です。 

ナイチンゲールは、クリミア戦争が起こると黒海のトルコ側、スクタリの英国陸軍病院に赴きました。病院では、戦死した兵士の多くが戦場で受けた傷ではなく、病院内でコレラ、やチフス、赤痢に感染し死亡していました。病院内は、ひどく不衛生な状況でしたが、ナイチンゲールの働きにより、まもなく状態は改善され、病院での死亡率は最悪時の42%から2%にまで下がります。 

ナイチンゲールは、帰国後、"Notes on Matters Affecting the Health, Efficiency and Hospital Administration of the British Army"という1000ページにも及ぶ覚え書きを残しています。ここには、彼女が収集した軍の衛生管理に関する様々な統計データと彼女の考察が記されています。この中にある1枚のグラフ(Polar-Area Diagram)は、陸軍病院での死因が戦闘ではなく、病気であったことを鋭く物語っています。 

ナイチンゲールは英国人の健康のため、統計学で理論武装して改革に臨みました。彼女の考案したグラフの有効性が評価され、後に英国統計学会の会員になり、米国統計学会の名誉会員にもなっています。イギリスでは、ナイチンゲールを統計学の先駆者として位置づけています。  

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70357

2月17日 アドルフ・ケトレーの死去(1874年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1874年の今日、近代統計学を開拓したベルギーの統計学者アドルフ・ケトレー(Lambert Adolphe Jacques Quetelet、1796年-1874年)が亡くなりました。

アドルフ・ケトレー Photo by Getty Images

ベルギーの首都・ブリュッセルで生まれたケトレーは当初、数学や天文学の研究に取り組んでいました。1826年にはベルギー王立天文台を創設し、自ら初代台長となっています。しかし彼は既存のキャリアに飽き足らず、統計の研究に次第にのめり込んでいくのです。

ケトレーはスコットランドで出版された医学雑誌のデータをもとに兵士5000人分の胸囲のサイズをグラフにすると、完全なる正規分布を描くことを見いだしました。これをきっかけに彼は、結婚率・自殺率・犯罪率といった人間社会のさまざまなデータを統計によって分析することに生涯を費やし、この学問を「社会物理学」と命名しました。

Photo by Getty Images

今では「近代統計学の父」として讃えられているケトレーですが、彼の業績は現代人の生活にまで及んでいます。体重を身長の2乗で割って人間の肥満度を求めるBMIを考案したのも、じつは彼なのです。

難しい数式をいっさい使わず、統計の基本と使い方を会得したい方はこちら! 

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