柄谷—スピノザ—フロイト
柄谷の言説のなかでアソシエーションに直結し得るのは『探究2』におけるスピノザへの言及であろう。国家についてカントもスピノザも似たような定義をしている。
「私は国というものを、それぞれ相異なる理性的存在者が、共通の法則によって体系的に結合された存在と解する。」
(道徳形而上〜岩波文庫p113、世界史〜p496)
しかしスピノザの方が優れている。なぜならスピノザの方が起成原因(『探究2』文庫版p166、スピノザ『書簡』60、『知性改善論』72,77,95節、『エチカ』第1部定理25、参照)を再現し、人間に能動性を回復させるからだ。
「理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に従って生活する国家においていっそう自由である。」(エチカ第4部定理七三)
ウェーバーによる暴力の独占という近代的定義の裏返しでもあるし、フロイトの無意識への恐れとも裏返しだ。
「スピノザの『エチカ』のオプティミズムは、フロイトのこのペシミズムとちょうど表裏の関係にある。‥…一方では、希望・意味をもたないがゆえにペシミズム・ニヒリズムにみえ、他方では、絶望・無意味をもたないがゆえにオプティミズム・信仰に映る。」
(『探究2』講談社学術文庫p189)
パーソンズにスピノザへの言及がないのは残念だが、スピノザは明らかにパーソンズのいうテリック(究極)システムを理論化した思想家だ。パーソンズならネグリ(『世界史の構造』425頁にあるように柄谷はネグリのスピノザの援用に批判的だ)のように数学的定義を無視することなくスピノザの可能性を能動的に捉えられたであろう。
ちなみに柄谷の体系にスピノザ、ウェーバーを含めると以下だが、
ウェーバー|フロイト
_____|_____
マルクス|カント
| スピ
| ノザ
タルコット・パーソンズの体系だと以下になる。
|フロ|マルクス
カ |イト|____
|ウェーバー
ン |_______
ト ス ピ ノ ザ
スピノザは『エチカ』でこう書いている。
「受動の感情は、われわれがその感情についての明瞭・判明な観念を形成れば、ただちに受動の感情でなくなる。」(第5部定理3)
「私は理性のみに導かれる人を自由であると言った。(略)我々のすでに証明したその他のことどもは、モーゼが最初の人間に関するあの物語の中で暗示しているように見える。すなわちその物語の中では、人間を創造したあの能力、言いかえれば人間の利益のみを考慮したあの能力、以外のいかなる神の能力も考えられていない。(略)しかし彼は動物が自分と同類であると思ってからはただちに動物の感情を模倣して自分の自由を失い始めた。この失われた自由を、族長たちが、そのあとでキリストの精神、すなわち神の観念 〜神の観念は人間が自由になるための、また前に証明したように人間が自分に欲する善を他の人々のためにも欲するようになるための、唯一の基礎である 〜に導かれて再び回復したのであった。」
(『エチカ』第4部定理68)
このモーゼをめぐる考察は「抑圧されたものの回帰」にも直接関係してくる内容であろう。
同じ物語をフロイトは平等、スピノザは自由に力点を置いて解読しているのだ。
| フ
__|___ロ
| イ
| ト
スピノザ
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