2022年1月24日月曜日

認知的不協和とパンデミック | 早川健治 | Kenji Hayakawa

認知的不協和とパンデミック | 早川健治 | Kenji Hayakawa

認知的不協和とパンデミック

キャロル・タヴリス × リーアン・ロード

キャロル・タヴリスはアメリカの社会心理学者。認知的不協和理論の世界的権威として知られており、バートランド・ラッセル賞を含む多数の学術賞を受賞している。エリオット・アロンソンとの共著『なぜあの人はあやまちを認めないのか』は2007年以降ベストセラーであり続け、2020年4月には二度目の原著改訂版が出ているが、タヴリスはそこで日常的な人間関係から結婚、科学研究、警察、司法、医療、そして政治まで幅広い分野における認知的不協和の実例を考察している。聴き手のリーアン・ロードはアメリカのコメディアン。科学の啓蒙に力を入れており、ニール・ドグラース・タイソンによる大人気ポッドキャスト「Star Talk」の司会を務めたこともあるほどだ。今回は、アイザック・アシモフやカール・サガンなどによって共同創設された『CSICOP』が発行する一般向け雑誌『Skeptical Inquirer』掲載予定のインタビュー原稿を和訳紹介する。

リーアン・ロード タヴリスさんは「社会心理学」を専門とされているわけですが、そもそも社会心理学とは何なのかを解説していただけますか。

キャロル・タヴリス もちろん。「社会心理学」という言葉は[英語圏ではよく]「心理療法」や「セラピー」—パーティみたいに人が集まる場に積極的に出かけていくようなセラピー—のようなものだと勘違いされているけど、本当は心理学に属する学術分野なんだ。エリオット[『なぜあの人はあやまちを認めないのか』の共著者]の言葉を借りると、問題を解決して人間生活を修復するのは「臨床」心理学の仕事。対して、「社会」心理学は人が—一人で部屋にいる人から街頭でデモに参加している人まで色々な人が—周囲の人たちから受ける影響を研究する、経験的学問のこと。恋愛や戦争、偏見や憎悪、セックスや至福まで、あらゆる現象を研究するステキな学問。とにかく守備範囲が広い! 私の場合、「世間の人たちには心理学の知識をセラピストから得る癖がついている。そのような世間に対して社会心理学の研究成果をうまく伝えるにはどうしたら良いだろう」という問題に駆け出しの頃から興味があった。セラピストは広く世間に認められている。人生相談コラムを書いたり、テレビや映画に出たり、専門家として法廷で証言したりする。だから「社会心理学」と言われてピンとこなくても仕方がないよね。

ロード 「認知的不協和」(cognitive dissonance)という言葉は今回のインタビューのタイトルにも入っているキーワードですが、具体的にはどういう意味をもっているのでしょうか。

タヴリス [欧米では]この言葉もけっこう一般的に使われるようになってきたよ。メディアや漫画や政治言論だけでなく、なんと「ジェパディ!」[訳注:アメリカで最も人気の高いクイズ番組]のクイズにも登場したほどでさ。しかも正確な定義で使われることだってしばしばある。

認知的不協和とは、互いに矛盾した2つの信念を抱くことや、行動と矛盾した信念を抱くことを指す言葉。身体に悪いってわかっていても煙草を吸い続ける喫煙者が典型的な好例だね。不協和というのはとても不快な状態で、レオン・フェスティンガー—1950年代に認知的不協和論を作った人—も指摘したとおり、空腹や喉の渇きと同じくらい不快で強力な動機なんだ。だから私たちは認知的不協和の状態を維持したまま生きることができない。心地よい調和を保とうとする。例えば喫煙者の場合、煙草をやめるという道がある。それが嫌ならば、煙草を吸うという行動を「正当化」しようとするはずだ。同じように、今までずっとXやYやZという信念を抱いて生きてきた人がこうした信念の誤りを示す証拠に出会ったときにも、不協和が生じる。選択を迫られるわけだ。一生を通じて信じ続けてきた信念を変えるのか、それとも虚偽を示す証拠を与えてくれた人を罵倒するのか。[例えば]「私は今まで金柑ジュースには効能があると信じてきたけど、あなたが示してくれたこのすばらしい研究のおかげであやまちに気がつくことができた。本当にありがとう」っていう風に言える人が何人いるだろう。私生活でも職場でも政治の場でも、私たちは常に自分の信念や行動に対して不協和を起こすような考えと出会い続けている。そうした不協和を解消するために私たちがとる行動は、人生に実に大きな影響を与えるんだ。

エリオットは、自己正当化のもつ引力みたいなものを強調することで、認知的不協和理論の進歩に貢献したんだ。例えば、お気に入りの有名人が醜態をさらしているところを目の当たりにするとき、あなたは不協和を感じて不快になるはずだけど、それくらいならばそこまでひどくないでしょう。ただ、その人に対してあなたが特段深い尊敬の念を抱いていたとして、もしその人が―例えば、マイケル・ジャクソンが―児童虐待をしていたのが判明した場合、あなたの不協和はそれだけ大きくなるはず。マイケルのファンの中には、容疑を否認して不協和を解消しようとした人もいれば、もう二度とマイケルの曲は聴かないと誓った人もいるわけだ。だけどやっぱり一番辛いのは、目の前にある証拠がその人の深い自己イメージとぶつかりあったときに生じる不協和ね。自分は賢くて、良心的で、簡単にはだまされない人だと思っている人が、アホなことをしでかしたり、道徳に反する行動をとったり、ネット詐欺にまんまとひっかかったりしたとき―そんなときに生じる不協和こそ、最も我慢できないものなのよ。

悪者は悪いことをした後で悪事を正当化する(そういうことをする人、あなたの周りにもいるでしょう?)ものだけれど、それは必ずしも世の中の諸問題の原因になっているわけではない―この点をしっかり理解しようというのが本書の主なテーマだったんだ。私たちが抱える多くの問題は、実は「自分は善良だ」と思っている人が、悪事を働いた後で、「善人」という自己イメージを保つために悪事を正当化することでおきているんだよ。

一つはっきりさせておきたいんだけど、自己正当化は通常の嘘とは異なる。責任を逃れたり、自分の思い通りにものごとを動かしたり、相手に好印象を与えたり、離婚を避けたり、仕事をゲットしたり、昇格を得たり、お金をもうけたりするためにつく嘘とは別物なんだ。人間は当然嘘をつく―そんなことは誰でもわかってる。自分は思っていたほど善良でも賢明でもないという証拠に直面してもなお「私は善良で、優しくて、能力が高くて、道徳心があって、頭が良い人間だ」と信じ続けるために、私たちは自分自身に嘘をつく―そのメカニズムこそが不協和なんだ。ほとんどの人は「自分は間違っていた」「自分はあの人を傷つけてしまった」「自分はとんだ勘違いをしていた」という風にあやまちを認めて不協和を解消する道を選ばない―清らかな自己イメージを保ちたいからね。自分の行動は変えず、むしろ今まで以上にそれを正しくて道徳的で適切な行為として正当化しようとするでしょう。

ロード 「確証バイアス」という言葉について教えてください。

タヴリス 人間の心には実に多くの認知バイアスがあらかじめ備わってる。それは日常生活をおくる上でとても役に立つ―自分の考えを整理して一貫性を与え、日々の暮らしを支えてくれる。中でも「私にはバイアスがないバイアス」は私のお気に入り―「私は現実をしっかり把握できている。私の冷静沈着な説明に対してあなたが納得できないと感じるならば、それはあなたがバイアスを抱えており、勘違いをしてしまっているからだ」っていう(笑)。

確証バイアスとは、自分の今の考えにそぐう証拠を受け入れて記憶にとどめる一方、そうした考えと不協和を起こすような情報(自分の考えを反証しうる情報)を無視したり矮小化したり軽視したりする傾向を指す―言うまでもなく、これは人間の精神の働きにとって欠かせないバイアスだ。確証を与えてくれるような証拠を積極的に探す一方、そうでない証拠は脇にどける―不協和を解消するとき、ほとんどの人たちはこの方法をとる。科学が広く嫌われている理由もここにある。自分の意見や考えが本当の意味で試されるわけだからね。「この仮説は間違っているかもしれない」という可能性やそこからくる不協和と向き合うのが科学なのだから。

ロード 「選択のピラミッド」についても教えていただけますか。

タヴリス これはエリオットと一緒に作った比喩なんだけど、とても応用範囲が広いと思う。まず、ピラミッドを―普通の三角形ね―思い浮かべてみて。頂点には二人の生徒が立っていて、カンニングに対してわりと中立的な意見を共有している。「カンニングはもちろんいけないことだけど、別にそこまで大した罪でもない」というような意見ね。そんな二人の生徒が、大事な期末試験でふと筆が止まってしまったとする。答えがまったく思い浮かばなくなるわけだ。さて、どうしたものか。生徒の頭の中はパニック状態―「落第だ! 就職も無理だ! みんなに嫌われる! ペットの猫にも嫌われちゃう! 人生の終わりだ!」という感じで。ふと目を上げると、隣に座っていた生徒の答案が見える。生徒たちはここで選択を迫られる―カンニングをするか否か……。ここが肝心なところで、選択をしてピラミッドの頂点から下へ一歩踏み出したとき、生徒は「認知的不協和」に陥る。行動と意見を再び調和させる必要に駆られるわけだ。

カンニングをした方の生徒は、そもそもカンニングはそこまで悪いことではないと思うようになる。「みんな本当はカンニングをしているはずだよ。大したことじゃあない。別に誰かが傷つくわけでもないし。他の人には関係ないでしょ。どっちにせよ、私はもうカンニングはしない。今回は特別なんだよ。大切な期末試験なんだから、仕方ないじゃないか」ってね。他方で、カンニングをしなかった方の生徒は、己の品位を保ちたいという思いもあって、カンニングは人を傷つけるものだという立場をとるようになる。「カンニングは他の人たち全員に被害を与えるものだ。そもそも道徳的に間違っている。そんなことをしてまで成績を上げるくらいなら、良心に忠実でいる方を私は選びたい」ってね。時間が経つにつれて、二人はそれぞれピラミッドを下りながら各々の選択を正当化し続け、終いにはふもとにたどり着き、カンニングについて大きく異なる考えを抱くようになる。

「でも、それって坂道を滑り落ちるようにどんどん意見が偏っている(slippery slope)だけの話じゃない?」っていう解釈はありえるし、それは間違っていない。知らぬ間にどんどん意見が偏っていって、気づいたら極端な考えにたどり着いてしまうわけだから。でも、「坂道を滑り落ちる」という比喩は不協和を表現できているとはいえない。そもそもこういう坂道は「滑りやすい」状態になっているわけで、てっぺんに座って遠くを眺めているうちにどんどん一方向へ進んでいってしまうようになっている。本人は自発的に何もやっていないわけだ。対して、認知的不協和というのは、たった今行った判断を正当化するために本人が自発的に駆動させるような認知メカニズムを指すんだ。例えば、さっきのピラミッドのふもとにいる状態を想像してみてほしい。月日をかけてあの「たった一度の」カンニングを正当化した後の状態。そこからあなたが再びピラミッドを上って初めの選択の是非を再検討するなんてことはありえるだろうか。ほとんどありえないよね。あなたはむしろ「自分はあのとき正しい選択をした」のだと自分に言い聞かせるために時間と労力を費やすはずだから。正当化を繰り返すたびに、あなたが将来的に再びカンニングをする可能性もまた上がっていくのよ。

あまりにも狂った行動をとったり、あまりにも馬鹿げた考えを信じてしまったりしている人もいる。例えば、ヘヴンズ・ゲートというカルト宗教に入った人たちがいるでしょう。現世の肉体から離脱すれば、ハレー彗星の軌道に乗って飛ぶ宇宙船に救出してもらえると信じて、その人たちは自殺をした。そういう人たちを見て「マジ? 頭おかしいんじゃない?」って思ってしまう気持ちもわからなくもない。「そんな変な考えを真に受けるなんてありえない」「そんなことをする人がいるなんて信じられない」ってね。そういう反応をするとき、私たちはその人たちがその状態に行き着くまでに辿ってきた道のりのことを忘れてしまっている。ピラミッドの頂点の中立的な立場から離れて、一歩進むごとに正当化を繰り返し、最後はふもとの信念に行き着くまでの長い道のりをね。

ロード なるほど、面白いですね。というのも、私たちアメリカ人の多くはピラミッドのふもとにいるのではないかと思います。「ピラミッド」というのは、もちろんパンデミックのこと。一方の極にいる人たちは、もう一方の極にいる人たちの言い分がまるで理解できないと感じているわけです。そこに到達するまでの道のりを尋ねようとすら思わず、ただ相手が馬鹿なのだと決め付けている始末ですから。はっきり言わせていただくと、こうした不協和は国のトップにいる某氏によるところが大きいと思いますが、いかがでしょうか。

タヴリス う~ん… その質問には二つの要素が含まれているね。一つ目は、マスクの着用についての対立や、マスク派と反マスク派がそれぞれ相手をどう見ているかという問題。二つ目は、こうした二極化に至るまでの道のりで、あなたも言うようにすべてはてっぺんから始まる。一応言っておくと、別にこれは特段異常なことではない。ほとんどの人たちは、頭を使って考える代わりに政治や宗教やその他のアイデンティティに思考を任せているからね。「私は○○です。○○はこう考えるものです。この考えや意思を○○が評価しているのなら、私もそれに従います」ってな感じに近道をして自分の意見を固める。それはとても効率が良くて効果的な方法なんだ。

ある集団やイデオロギーに自分は属しているのだと思うようになれば、あとは不協和が信念を支えるようになる。例えば、もしあなたが民主党支持者で、共和党関係者による汚職や愚行や不徳を目の当たりにした場合、不協和を感じることはおそらくないでしょう。共和党はいつも汚職や不徳にまみれているという信念があるわけだから。ところが、自分が支持する政党の関係者がまったく同じことをした場合、あなたはその行為を軽視し、忘れ、矮小化することでしょう。今回のこのパンデミックという悲劇が幕を開けた頃、ドナルド・トランプやトランプ政権によるリーダーシップは実にお粗末なものだったし、パンデミックの専門家の見解に基づく一貫性のある政策もまったく打ち出せていなかった。むしろトランプは、科学者が何か耳障りなことを言えば平気でそれと反対のことを言い、総じて科学者たちを突っぱねていたよね。「マスクをつけましょう。ソーシャル・ディスタンス(社交距離)を保ちましょう」というメッセージをトランプはとにかく聞きたくなかったわけだ。

もちろん、アンソニー・ファウチ博士が「マスクを着けてもさしたる効果は期待できない」と呼びかけたのは大きな間違いだった。一般市民によるマスクの買いだめを防ぎ、医療従事者にしっかりマスクが行き渡るように配慮したつもりだったんでしょう。その後「マスクは感染拡大を防ぐ上で重要な対策である」という見解が科学者の間で通説となってきた頃に、博士は訂正のアナウンスを行ったわけだけど、時すでに遅しで、トランプ大統領の主張を信じる人たちはとうにピラミッドのふもとにまで来てしまっていた。パンデミックはでっちあげの詐欺で、あんまり真に受けるべきものではないという意見を信じてしまっていた。この人たちはトランプから行動方針や信念の正当化を与えてもらっていたわけだ。「マスクは私の自由への制限だ。それに、そもそもマスクは効果がない。だから私がマスクをつける必要もない」ってね。こうして、マスクはトランプ支持者と、科学を信奉する民主党のばか者たちとを分かつシンボルに瞬く間に変貌した。一連の出来事を振り返ってみると、政府による政策の一貫性がいかに大切かが見て取れるよね。アメリカとは異なり、そういう一貫性のある政策をしっかりと実施した国はたくさんある。アンゲラ・メルケルのような説得力があり、かつ絶えず新しい情報を得つつ見識を更新していけるようなリーダーがいる。そういうリーダーたちのおかげで、国民を分断させたり混乱させたり、あるいは医師によるアドバイスの政治利用も、こうした国々は回避できているんだ。

ロード カリフォルニアのスーパーで反マスク派が「私の自由だ!」と叫ぶヴィデオが公開されて話題になりました。キリストの名前が出た場面すらありましたが…。

タヴリス スーパーで叫ぶ女性の一件は、パンデミックの初期ではなく何ヶ月も経った後のことだった―この点は強調すべきね。多くの人たちが反マスク派としての信念やトランプへの忠誠を深めるのに十分な時間を与えられた後の出来事だったわけだ。あの女性を見たとき、私は思わず認知的不協和に関するある論文を思い出した。「悩んだら叫べ」っていう題名の、とてもすばらしい論文。「相手に対する反論が思いつかない。マスクが感染拡大を抑えて人命救助につながるという証拠も反論の余地がない」―よくある状況だよね。そんなとき、人はこう思う。「だったらもう叫ぶしかない。相手に大声を出しておけば、自分の信念が正当なものかどうかを考える必要がなくなる」って。

不協和の観点からは、スーパーの女性の行動はいたって自然なものなんだ。トランプは、パンデミックなんて奇跡のようにある日突然消え去って、アメリカの人たちは再び経済を取り戻すことになるだろう、という見解を持っている。そういう見解に何ヶ月もかけてどっぷりはまりこんだ人たちが「私は間違っていた。そして、私が敬愛する大統領も間違っていた」って言えるようになるまでには、途方もない努力が必要なんだ。

ロード 本書を読んで改めて思うのですが、「私は間違っていた」「私はあやまちを犯した」と言ったり、自分の考えを変えたりすることは、おそらく人間にとって最も難しいことの一つですね。

タヴリス 本当に、まさしくそのとおりよ。それが信念であれ、人間関係であれ、結婚生活であれ、時間、お金、そして精神力をそこに費やせば費やすほど、状況の再考も難しくなっていく―これこそ不協和理論から最も確実に導ける教訓と言えるでしょうね。そもそもこうした人間関係は、不協和を解消する術を私たち人間がもっているからこそ持続されうる。この人と一緒で良かったと思えるようなものごとで心を満たしつつ、不満の種となるようなものごとは矮小化し、無視し、忘れるようにする、そういう能力のおかげなのよ。離婚を決めた途端にそもそもなぜ相手を好きだったのかが思い出せなくなるっていう、あの不思議な現象だってこれで説明がつく。別に何か大きな変化が起きたわけではなくて、単にお互いの悪いところへ注意が向くようになっただけ。それまではあえて見ぬふりをしてきた部分が、気づけば離婚を正当化しうる理由として視界に入ってきただけのこと。

あるいは、日常生活やニュースでよく見る「言った・言わない」論争を例にとってみようか。ほとんどの人たちは衝動的にピラミッドのてっぺんから飛び降りる。そしてその決定の誤りを示すような証拠、不協和を起こすような証拠はシャットアウトする。証拠を認める代わりに、相手を嘘つき呼ばわりしたりする。でも、人間はそもそも嘘をつくつもりがなくてもあやまちを犯す。記憶違いや見当違いが起きたり、自己正当化の穴にはまってしまったりするものでしょう。

不協和の仕組みを理解すれば、二つの相反する認識をしっかり区別し、冷静に比較検討できるようになる。何年か前の話だけど、ロナルド・レーガン大統領が戦後の和解の象徴として献花をするためにドイツのビットブルグを公式訪問した。ところが、レーガンが訪れた墓地にはナチス親衛隊員が49名葬られていた。国民は激怒した―特にホロコースト生存者たちは激しく怒った。当然だよね。でも、レーガンは一歩も譲らなかった。そこへあるリポーターが、レーガンの親友であり当時のイスラエルの首相のシモン・ペレスにインタビューをした。友人の行動について感想を求めたわけだ。そこでペレスはこう言った―「友があやまちを犯したとき、友は友であり続け、あやまちはあやまちであり続ける」

これぞまさに達識というべきね。友人が何かあやまちを犯したり、何かひどいことをしたとき、普通はどう反応する? 「それはアウト。友だちのすることじゃあない。絶交だ」ってなるでしょう? そうでなければ、友人のあやまちを矮小化する道を選ぶ人もいるでしょう。「まあ、その件は忘れよう。友人関係の方が大切なんだから」っていう具合にさ。でもペレスはより困難な、しかしより思慮深い道を選んだ。友人関係とあやまち、その両方としっかり向き合って、天秤にかけよう。そして次の一手を衝動や感情に任せてではなく冷静に考えて決めよう。場合によっては、不協和の状態を維持するという決断もありえるかもしれない。

<Q&A 視聴者からの質問>

質問者 認知的不協和は分割(compartmentalization)とどうちがうのですか。

タヴリス 分割とは「私は職場では競争心旺盛な人で、家庭ではシャイな人だ」という具合に心を整理する能力だ。他のものごとを意識から排除することで、一つのことに集中できるようにしてくれる。社会心理学者の立場から言うと、それは至って自然な心の働きで、人は皆そういう風にして日常生活をおくっている。その場に応じて行動を変えるのは当然だからね。もちろん、分割能力のおかげで不協和を緩和できる場合もある。例えば「さっき同僚に対してひどい態度をとってしまったのは事実だけど、それも仕事だから仕方ないだろう。私は仕事の外では善良な人間なのだし」という具合に言い訳をして、愚かな行為を正当化したり。

質問者 ドナルド・トランプには認知的不協和を感じる瞬間があるのでしょうか。

タヴリス 多分ないと思う。トランプの頭の中では、自分だけが世界で唯一絶対にあやまちを犯さない人物だっていう風になっているはずだから。一般的に、認知的不協和を実感するためには、共感(empathy)、罪悪感、良心の呵責、そして悲しみといった感情を感じる力も必要だし、人間同士をつなぎとめる色々な感情をよく理解していなければいけない。そういう能力が欠如している人は、自分が誰かを傷つけたり、誰かに被害を与えたり、あやまちを犯してしまったりしたと知っても、不協和を感じることができない。トランプは、少なくとも私が見る限りはこういう能力をまったく持っていない。典型的なペテン師タイプね。ペテン師はそもそも残酷なやり方で他の人を操っても何の罪悪感も抱かない。詐欺に引っかかる方をカモだとみなすだけ。誰かが「トランプ・ステーキ」や「トランプ大学」やその他のトランプ悪徳商法にまんまと騙されてお金を巻き上げられたとしても、それは巻き上げられたカモのせいだって言うでしょう。共同事業者を出し抜いたり、契約社員をひどく搾取したり、黒人が賃貸契約を希望しても入居を拒否したり、[2020年11月現在]トランプ政権下で23万人以上のアメリカ人がコロナウイルスで亡くなったりして、トランプは心を痛めるだろうか。答えはもちろん「ノー」よ。自分のせいで被害を受けた人々へ何の同情心もないのだから、解消すべき不協和もそもそもないってわけね。

質問者 自分の中にある認知的不協和に気づくための方法のようなものはあるのでしょうか。

タヴリス そもそも不協和はほとんどの場合無意識のうちに生じているから、それにしっかり気がつくのは難しい。何か大きな失態を犯したり、自分の行為や信念が深く間違っていたりしたということに気がついたとき、胃が痛くなったり、羞恥心に苛まれたりするでしょう? それが一例ね。まずはこういう不快で居心地の悪い感覚をしっかりと受け止めて、どこからそれが湧いてきているのかを見定めること。次に、どんなに些細な判断にも必ず不協和がついてくる。そして私たちはその判断の正しさを証明してくれるような証拠をすぐに探し始めてしまう。初めに選ばなかった道が時間と共に魅力をどんどん失っていく―そういう事実をしっかりと意識しておくこと。そして、自分の側にとって有利な証拠だけでなく、自分の間違いを示してくれるような証拠にも積極的に目を向けること。

質問者 認知的不協和は[進化論的]適応性が低いように思えます。なぜ人間はこの能力を得たのでしょうか。

タヴリス つまり、なぜ人間は自分を欺いてまで自分のことを善良で賢い人だと思うようになったのか、という質問だね。鋭い質問だと思う。どういう利点があるのかも、一見するとわかりにくいかもしれない。でも実際、人類史をとおしてこの能力は役に立ち続けてきた。例えば、これのおかげで私たちはその日したことについて悩みすぎずに夜眠ることができる。自己肯定感を保つこともできる。自分が属する集団への忠誠心を高め、「至上の目的」や世界最高の民族や国家の一員として戦場に赴いたり、場合によっては命を捧げたりする原動力になることもある。ほとんどの国々が、自国による残虐行為を示す証拠、不協和を起こすような証拠を歴史から消そうとやっきになるのもこれが原因。「自分たちがこんなことをするわけがない」って思うわけだから。

質問者 自分と正反対の立場をとる人に対してはどう振舞えば良いのでしょうか。互いの相違点を乗り越えて、人間関係を修復する方法はありますか。そもそもそういう人とどう話せば良いのでしょうか。

タヴリス これはまさに私の時代に特有の、心が痛くなるような問題ね。懐疑論者や科学者たちは、もう何世紀もこの問題に取り組んできた―例えば、ワクチンやホメオパシー(同毒療法)に関する科学的知見を受け入れない人をどう説得すれば良い? ここ数年でアメリカの政治的二極化は本当にひどくなってきていて、自分の子どもが相手の政党に属する人と結婚するくらいなら、外国人や、他民族の人や、他の宗教の人や、無神論者でさえもまだマシだと感じる人だっているほどでしょう。[訳注:タヴリスはここで典型的な共和党員が民主党員に対して抱くであろう感情を表現している。共和党員は排外主義者であり敬虔なキリスト教徒であるというステレオタイプを前提としたコメントだが、果たしてこれがどこまで実際の共和党員と一致しているかは疑問が残る。] 家族の中に異なる政治信条をもった人たちが共存するのは自然なことのはずだけど、近年では親族や友人の間における亀裂はどんどん広がっている。無理もない。自分と反対の立場をとっている人が、単に間違っているだけではなくて悪であるという風に考えてしまったら、もう議論の余地は残らない。

では、互いの相違点を乗り越える方法はあるのか。そもそも、派閥闘争はどのようにして和解に至るのか。会話を続け、妥協をし、共通の見解や目標を見出していくこと。不協和理論によれば、自分と反対の意見をもった人と議論をするときには「あんたは馬鹿か? あんなやつになぜ投票したんだ?」という口調で相手を貶めてはいけない。そういう口調では、相手も「余計なお世話です。私は賢明な人間です。だからこそあの人に投票したのです」という具合に反応して、ますます自分の立場への確信を強めていくだけ。そうではなく、友人や親族に向けて「あなたはなぜそういう意見や信念をもっているの?」と尋ねるほうが良い。相手の答えにしっかりと耳を傾ければ、そこからあなたも何かを学べるかもしれない。もしかしたら相手も確信に至っているわけではないのだということがわかるかもしれない。あるいは、あなたがたとえ何を聞いても自分の意見を変えるつもりがないのと同じように、相手もまたまったく自分の立場を変えるつもりがないのだということが判明するかもしれない。

原典 | Original interview: https://www.youtube.com/watch?v=3UmH28peQAs

著者・訳者から許可のない転載を禁じます。Translation Copyright © Kenji Hayakawa

0 件のコメント:

コメントを投稿