必要なのは信頼と透明性 デジタル先進国フィンランドから学ぶ、公共サービスの在り方
2021.12.2
0コメント写真:内山さつき
フィンランドは、ヨーロッパでもデジタル化が進んでいる国だ。EUが発表する「デジタル経済・社会指数」(DESI)でも常に上位に位置。例えば、フィンランドの個人識別番号(社会保障番号)はあらゆる行政サービスとひも付き、利用者から信頼と評価を得ている。早晩、どの国もデジタル化は避けられないが、日本をはじめ事情があってなかなか進められずにいる国も少なくない。先を行くフィンランドでは、どのようなことがデジタル化され、どんな社会を目指しているのか、駐日フィンランド大使館参事官のレーッタ・プロンタカネンさんにお話を伺った。
Kelaカード、個人IDひとつであらゆる公共サービスを
「フィンランドの個人識別番号(個人ID)は、もともとは1960年代に年金受給者に年金を支給するためのサービスを改善するために作られたものなんです。受給者たちが、年金をもらうために長い列を作ることがたびたび問題になっていて、また支給する際、マッティ・ヴィルタネン(フィンランドではよくある名前)のような同姓同名によるミスなどが起こらないようにという理由などもあり、国民一人ひとりを識別できるIDナンバーを付けるということをしたわけです」(駐日フィンランド大使館参事官 レーッタ・プロンタカネンさん、以下同)
フィンランドの個人IDは生年月日から始まり、以降続く11桁の記号を含む英数字の羅列になっている。例えば、1900年代に生まれた人は、生年月日の後ろにハイフン「-」、2000年代に生まれた人は、アルファベットのAがつく。3ケタの数字が続いた後、数字かアルファベットがつく。
番号を記したカードは、「Kela(ケラ)カード」と呼ばれ、病院や薬局で処方薬をもらう際などに提示する。また、その番号は自分の誕生日から始まるため、「利用者にとっても覚えやすい」とレーッタさんは語る。
「さまざまな行政サービスと結合していたこの個人IDを使い、あらゆるオンラインサービスを受けられるようになったのは10年ほど前からになります。これを使ってオンラインで何ができるか、私がフィンランドから日本に引っ越ししたときのこと、フィンランドに一時帰国したときのことを例にお話しましょう。
まず、住民登録センターにこのIDでアクセスし、住所の変更ができます。そこに、この住所を郵便局に通知してもよいかという項目があるので、それをチェックすると、郵便転送手続きも完了です。税金に関することや、新しいパスポートの取得もこの個人IDを使ってオンラインでできました。これらの引っ越しに伴う手続きでは、一度も紙で提出したりすることはありませんでした。また、フィンランドに一時帰国したときも、この番号を使って、PCR検査の予約や陰性証明の取得をしたり、図書館から借りる電子書籍の予約やダウンロードを行いました」
Kela(ケラ)カード
フィンランドの社会保険庁が発行する健康保険を受けるためのカード。住民登録に基づいて割り当てられた社会保障番号ごとに発行される。外国人でも、1年以上住み続けるか、フィンランドで雇用され一定の給与があるなど条件が揃えば申請することができる。医療費や疾病手当の給付のほか、あらゆる公共サービスと連動し、出生時の育児パッケージから育児支援、住宅家賃補助、失業・退職手当、年金等がこれによって給付される。1963年に初めて発行された。
一つの個人IDでさまざまな行政手続きができるのは効率的で、公共サービスを受けるハードルもぐっと下がりそうだ。日本のマイナンバーカードはまだ日常的に使うレベルには達しておらず、現在の行政手続きの煩雑さや申請の手間を考えると、フィンランドのこの制度はなんとも羨ましい限り。しかし、生年月日から始まる、覚えることができる程度の番号では他人に悪用されたりすることはないのだろうか。
「そうですね、その危険性が無いとは言えないかもしれません。もちろん、不正ができないようなシステムや決まりは必要ですが、これは現在とてもうまく機能しているシステムで、それを差し置いても導入するメリットのほうが大きかったのです。フィンランドでは信頼がとても大切にされています。国民は政府を信頼していますし、社会を良くしていくためには互いが信頼し合うことが前提なのです。
例えば、ヘルシンキを旅したことがある人はご存知かもしれませんが、電車には改札がなく、トラム(路面電車)でも基本的に切符を確認していません。その方が利用者の利便性が上がるからです。確かに中には切符を買わずに乗ってしまう人もいるかもしれませんね。けれど、そういう限られた一部の人たちを排除するために改善ができず、その他大勢の人たちの利益が損なわれることの方が、デメリットが大きいと私たちは考えているんですよ」
すべての人にとって使いやすくなければならない
昨今、ビジネスシーンで取り上げられることが多いDX(デジタルトランスフォーメーション)は、デジタル技術によってビジネスモデルを変革することを指す際に使われるが、そもそもは「デジタル技術を進化、浸透させることで、人々の生活をより良いものへと変革すること」と定義されている。フィンランドのデジタル化はまさにこのDXの思想に基づいて行われているといえる。
「私たちにとってデジタル化とは、社会やサービスをより良いものにするためにあるもので、まずは利用者に"これは便利だ"と思う経験をしてもらうことを大切にしています。それが利用の継続につながっていくからです。フィンランドでは、ほかにもさまざまな面でデジタル化が進んでいて、それはきっと旅行者でも実感できるのではないかと思います。例えばトラムのチケットも今は基本オンライン決済で、トラム内では現金を使ってチケットを買うことはできません」
日本でも近年急速にデジタル化が進んではいるものの、公共交通機関で現金が使えなくなると、さすがに戸惑う人々も出てきそうだ。フィンランドでは、デジタル化の過渡期にそうした問題はなかったのだろうか。
「こういうサービスは、使いやすい設計が大事です。PCを持っておらず、触れたことがないような人でも、普及率の高いスマホを持っていれば苦にならず利用できるようにする。私の母も高齢ですが、スマホを使って、自分で電車のチケットを取っています。
フィンランドでは、公共サービスは高齢者だけでなく、ハンディキャップのある人、あらゆる人にとってわかりやすく、すべての人が使えるものでなければいけないと定められていて、細心の注意を払って作られているんです。これは、ユーザーの側でなく、システムを開発する側の責任だと私たちは考えています」
フィンランド政府は、こうしたサービスの利便性について、利用者のフィードバックを積極的に取り入れているという。サイトのグラフィックを含め、利用者にとって使いやすいものにするため、調査グループを作り、試行錯誤を繰り返す。それでも使い方がわからない人には、デジタル面でのサポートをするスタッフを用意している。
「使いづらければ直していかなくてはいけません。デジタル化のためのデジタル化ではなく、利便性、安全性が改善されていくことが大切なのです。一度作ったものでも、より良いものに更新していく必要があります。確かに、デジタル化において、年齢は一つのハードルになるかもしれませんね。人口約550万人のフィンランドも日本と同じく高齢化社会で、両国の人口比率はよく似ています」
先を見据えたデジタル教育
かねてからフィンランド国民は、コンピュータスキルが高いということも指摘されているが、フィンランドでは1984年から、中学校で選択科目としてコンピュータスキルを学ぶ授業が始まっている。
「これは、コンピュータに関する一般的な知識を学ぶもので、同時にあらゆる情報に対して批判的に見る力を養うメディアリテラシーを含む授業でした。DX、AIというと、難しく感じるかもしれませんが、決して謎めいたものではない。自分がコードを書けなくても、利用する際にどういうものかを理解することは重要です。
フィンランドの社会では、"透明性"もまた大切な要素です。例えば、税金がどのように使われているかということは、国は責任を持ってわかりやすく、クリアに情報提供しなければなりません。それと同じように、デジタル化を進めるのであれば、それがどういうものであるかを国民に提供する必要があります」
2018年、フィンランド政府は、AIの基礎知識や考え方について無料で学べるオンラインコース「Elements of AI」を開設した。そして、当時EU議長国であったフィンランドは、その務めを終える際、EU市民への贈りものとして、このコースをEUの公式使用言語すべてに対応できるようにして提供したのだった。
開発は、ヘルシンキ大学とフィンランドのIT企業リアクターが手がけた。英語、フィンランド語、スウェーデン語など多言語に対応しており、誰でも、どこからでも受講可能だ(※日本語には現在非対応)。それ以前も国内でAIに関する基礎教育を無料提供するなど、フィンランドはデジタルリテラシーを高める取り組みを続けてきた。
「フィンランド国内でも、まだまだ課題はあります。現在うまく機能しているシステムがあっても、常に先のことを考え、何をしたらよりよいものができるかという姿勢を持つことが大切です。1960年代に始まったこの個人IDのシステムが先見性のあるものであったように、未来を見据えた取り組みが必要ですね」
情報への信頼、医療情報アーカイブ「Kanta」
最後に、医療にまつわるフィンランドの画期的なシステムをご紹介したい。フィンランドでは、医療情報アーカイブ「Kanta(カンタ)」というシステムがあり、病院や薬局などの医療機関が電子カルテの情報共有をできるようにネットワーク化されている。診察履歴、診断結果、処方箋のデータなどが一元化され、医療従事者と患者本人が相互にアクセスできる。必要であれば、患者が自身の情報をプリントすることも可能だ。
「難しい病名や薬の名前などの記憶は曖昧になってしまいがちなので、新しく病院にかかるときなど、正確な情報を自分でも常に確認できることは良いことですよね。
もちろんこれは、重大な個人情報なので、アクセスするためには本人の強力な承認が必要になります。このデータベースに何を記載して、何を記載しないかも自分で選ぶことができるんですよ」
「自分の情報は自分自身のもの」。フィンランドにおいてデジタル化が進んだ背景には、 国民が"自分の情報は守られている"という安心感を持てたことがありそうだ。そしてその安心感は、レーッタさんが繰り返し語った、国と社会への信頼、そして透明性という2つの大切な要素に支えられている。
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