2021年12月2日木曜日

アダム・ファーガソン Adam Ferguson 1723~1816

アダム・ファーガソン - Wikipedia

アダム・ファーガソン Adam Ferguson 1723~1816

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579 考える名無しさん[] 2021/12/02() 09:48:56.44 ID:0 

マルクスに影響を与えた学者の一人である、アダム・ファーガソンの本が、

3年前に邦訳されているけれども、ファーガスンという表記なので見つけにくかった。



Reviewed in Japan on July 30, 2019

本書は戦後に一度翻訳されたことがあるが、その後は入手困難なままであったファーガスンの名著の新訳で、待望久しい書目である。マルクスが『資本論』で分業の弊害をスミスに教えたのはファーガスンだとしたのは、あまりにも有名だが、分業疎外論、労働疎外論は啓蒙思想家の間では、分業生産力、労働価値に対するポジティヴな分析の反面であった。啓蒙思想は安直な楽観主義と思われがちだが、ファーガスンもスミスも、モンテスキューもルソーも文明を一面的に賛美したわけではなかった。本書からはファーガスンのそうした批判的視点を読み取ることができる。



市民社会史論 (近代社会思想コレクション) Tankobon Hardcover – May 15, 2018

by Adam Ferguson (原著), アダム ファーガスン (), 天羽 康夫 (翻訳), 青木 裕子 (翻訳)


資本論1:3:2:b

脚注七八 …A・スミスは自分の著書を、専門的には分業の礼讃をもって始めているが、後にいたると、国家収入の源泉にかんする最後の篇では、彼はときおり、その先生たるファーガスンの分業にかんする告発を再生産している。


資本論1:12:4

…マニュファクチュア時代に社会内分業のための豊富な材料を提供するのは、その一般的実存条件の範囲に属する世界市場の拡大と植民制度である。分業は、社会の経済的領域のほかにもあらゆる領域をとらえて、専門・専業・および人間分割・の発達──これを見てA・スミスの先生たるA・ファーガスンは、すでに「われわれは奴隷ばかりの国民であって、われわれのあいだに自由人はいない」[56]と叫んだ──のための基礎を到るところにすえるのであるが、ここではそのことを詳しく論証すべきではない。


五六 A・ファーガスン『市民社会史』、エディンバラ、一七六七年、第四部 第二節、二八五頁。



ファーガスン『市民社会史論』邦訳2018年271頁


前章では分業を賛美していた。


第四部第二章

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計にだけ関連する事柄に対する関心を隠すようにさせるのである。彼の考えでは、施しに依存している乞

食、食べるために働いている労働者、才能の行使を要しない技術を用いている職人は、彼らが追求する目的

と、目的を達成するために用いる手段とによって、品位を下げているのである。職業の中で、より多くの知

識と研究を必要とし、空想力を働かせ、完全なものを愛し求めて進み、利益だけでなく称賛も得ることにな

る職業は、その技術者(アーティスト)を上位の階級に位置づけ、そして、その技術者(アーティスト)を、人間にとって最高の地位と想定さ

れている地位に一層近づけることになるのである。なぜなら、その地位においては、人間は仕事に束縛され

ていないからである。また、なぜなら、精神の意向に従い、心情あるいは公共の要請に導かれて社会におけ

る役割を担えばよいからである。

 この最後に述べたものが、自由民と奴隷の区別において、すべての古代共和国の市民が自らのために、獲

得し維持しようと努力した社会的地位であった。最も初期の時代には、女性や奴隷は、家事や肉体的労働の

担い手として別にされていた。そして、金儲けの技術が発達する中で奴隷は機械的仕事に適うように養成さ

れ、また彼らの主人の利益のために商売を任されることさえあった。自由民は政治と戦争以外の目的は持た

ないものと理解されていたのだろう。このようにして、人類の半分の名誉は、他の半分の名誉のために犠牲

にされた。これはあたかも、同じ採石場からきた石材が、大建築物の上部構造のために切り取られた石塊を

支えるために、土台として埋められるようなものである。われわれはギリシア人やローマ人を褒め称えてい

るが、このような事情をみれば、人間の制度に完壁なものはないということを想起させられる。

 ギリシアの多くの国々で、この残酷な差別によって自由民にもたらされた利益は、全市民に等しく与えら


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れたわけではなかった。富が不平等に分配されたので、富者のみが労働から免除された。貧者は落ちぶれ、

自分自身の生存のために働かざるをえなかった。私利私欲が、両者において支配的な情念だった。そして、

奴隷を持つことが、他のあらゆる営利的財産の所有と同様に、食欲の対象となり、強欲な関心から免れるこ

とはなかった。この制度の効果が、完全に現れたのはスパルタだけだった。あるいは、かなりの間その効果

を享受し続けたのはスパルタだけだった。われわれは、この制度が不公正であると感じる。スパルタの奴隷

がさらされた厳しい仕打ちと不平等な扱いにわれわれは苦しむ。しかし、この国家の上流階級の人々のこと

だけを考えるとき、また、危険を恐れず、利益によっても腐敗させられないあの精神の高適と闇達に注目す

るとき、さらに、彼らを友人としてあるいは市民として考えるとき、われわれは彼ら自身と同様に、奴隷に

も人間のように扱われる資格があることを忘れがちになる。

 われわれは、気高い感情と寛大な精神を、市民のなかのある階層に期待している。それは、彼らの境遇や

財産によって、卑しい関心や配慮から解放されている階層である。この種の階層[に属するの]が、スパル

タの自由人であった。そして、古代人の中で奴隷の運命が、近代人の中の窮乏した労働者や職人の運命より

も本当に悲惨だったならば、次のことを疑う必要があるだろう。すなわち、尊敬され名誉を手に入れていた

上流階層の人々も、それに比例して、彼らの身分にふさわしい威厳を欠いていなかったかどうかということ

である。平等な正義と自由に対する要求が、終局的に、あらゆる階級を等しく奴隷的で金銭に卑しいものに

してしまうとすれば、奴隷(ヘロット)の国となり、自由な市民は存在しなくなる。

 あらゆる商業国家において、平等な権利に対する要求があるにもかかわらず、有頂天になっている少数の





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アダム・ファーガソン

アダム・ファーガソン

アダム・ファーガソン(Adam Ferguson、1723年6月20日 - 1816年2月22日)は、スコットランドの歴史家、道徳哲学者である。古典的自由主義の人物であり、社会学の歴史においても重要な人物である。

略歴

スコットランドのパース近郊の Logieraitに生まれた。セント・アンドルーズ大学で学び、1745年から従軍牧師となり、オーストリア継承戦争で、ベルギーのフォントノワの戦いに従軍した。1754年に軍を止め、学問の世界に入った。1757年にデイヴィッド・ヒュームの後を継いで、エディンバラ弁護士協会の図書館長となるがすぐにやめて、ビュート伯爵の邸の個人教師となった。

1759年にエディンバラ大学の自然哲学の教授となり、1764年に道徳哲学の教授となった。1767年の『市民社会史論』("An essay on the history of civil society")は注目を集め、いくつかの言語に翻訳された。アメリカの独立をめぐる動きの中では、フランス革命を賞賛する立場のリチャード・プライスが発表した"Observations on the Nature of Civil Liberty"に反対する立場にたち、和平を求める、1778年のカーライル和平使節団の事務局となったが、この使節団は成果をあげることはなかった。

1783年に大作、『ローマ共和国盛衰史』("The history of the progress and termination of the Roman Republic")を出版し、多くの読者を得、何度か改訂を行った。1785年に教授職を止め、自らの講義録を編集し、1792年に『道徳・政治科学原理』("Principles of Moral and Political Science")として出版した。

70歳でヨーロッパを旅し、イタリアを訪れた。1795年からPeebles近くのNeidpath Castleなどで暮らし、セント・アンドルーズで92歳で没した。

著作

参考文献

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