2021年5月14日金曜日

NAMs出版プロジェクト: 康有為『大同書』(と井上圓了):メモ 転載

NAMs出版プロジェクト: 康有為『大同書』(と井上圓了):メモ
472 考える名無しさん[sage] 2021/05/18(火) 00:49:45.27 ID:0 
戎棋夷説 @pascal_api
2m

「柄谷行人発言集対話篇」丸川哲史に言う。毛沢東は自身を始皇帝になぞらえていた、
すると、鄧小平は竇太后みたいなもので、「この次は武帝のようになるだろう」。
習近平を予言してる、とすれば、これは当たったな。814頁



NAMs出版プロジェクト: 康有為『大同書』(と井上圓了):メモ
http://nam-students.blogspot.com/2014/03/blog-post_14.html
       (リンク::::::::::柄谷行人中国文明本頁

章炳麟(康有為の論敵)
康有為 清末の政治家、学者。 公羊学派の儒者として知られ科挙に合格、官吏となる。 日清戦争の敗北、列強による中国分割という危機に直面し、1898年光緒帝に日本の明治維新を模範とした改革を提言、採用されて戊戌の変法を指導した。
常平倉1912
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/1912.html
ケインズと論語
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/1912-httpsfreeassociations2020.html

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<…中国で、私の『世界史の構造』を読んだ人から、康有為の「大道世界」
に似ていると言われました。実は、それで急に興味を抱いたのです(笑)。
康有為は将来的に国家や民族が消滅するという理念をもっていた。孔子
から引き出した理念ですね。これはカント的な意味で「統整的理念」
であり、現実には、漸進主義的であった。まず清朝を立憲君主制にして、
そののちに君主を排していくという道筋を描いたわけですね。そこから
漸進的に大道世界へ向かう、という。これは清朝という帝国を生かそう
という考えだったと思います。>

柄谷行人×丸川哲史「帝国・儒教・東アジア」『現代思想』2014.03、42頁

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参考:
【論文】 井上円了著作の中国語訳及び近代中国の思想啓蒙に対する影響 李立業 
http://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/117398.pdf


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康有為(Kang Youwei。1858~1927年)
大同書 - Chinese Text Project Wiki
http://ctext.org/wiki.pl?if=en&res=306261

http://baike.baidu.com/view/43031.htm?fromtitle=%E3%80%8A%E5%A4%A7%E5%90%8C%E4%B9%A6%E3%80%8B&fromid=789438&type=syn
《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。
http://www.shachi.co.jp/jaas/10-01/10-01-01.pdf
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081106/1225985218
0)世界に入って衆苦を観ず(否定すべき世界は九界に分かれるが、以降はそれら九項目に対置された九つのユートピア描写に移る)。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E6%9C%89%E7%82%BA
大同三世説と『大同書』

上記の思想的特徴が化学反応して形成されたのが、康有為の代表的な思想、大同三世説である。大同三世説とは端的に言えば、歴史が「拠乱世」(野蛮な世の中)から順次発展して「升平世」へ、そして最後に「太平世」という理想社会に至ると説く歴史発展理論である。これは『礼記』礼運篇の小康・大同という理想社会観に、董仲舒や清代の今文公羊学者たちの唱える三世説を組み合わせ、さらに西欧の社会進化論やユートピア思想をも取り込み成立した思想である。

この思想は、まず発展史観をとっていることが特徴となっている。それまでの中国の伝統的歴史観は三代を理想としこの時代に立ち返ることを求める尚古史観か、あるいは治と乱が交互に循環するとした循環史観であった。時代を経るにつれ理想社会に近づくとする康有為の考えは全く新しいスタイルの歴史観であった。次に理想とされる社会「大同」は以下のような特徴を持つ。まず全人類が男女・民族・人種に関係なく自由平等となる。政治的には世界が統一された上、共和政体をとり、民主的選挙で選ばれた議員の合議制で運営される。経済的には全く不自由のない生活を営め、そして自動運転の車や船が活躍する。またあらゆる境界概念が消滅する。すなわち家族や国境という個々人を束縛するものは消滅し、婚姻もなくなる。このようにプリミティブな共産思想に未来技術を加味したような社会が「大同」とされた。

ただ、康有為の思想には社会進化論も強い影響もみられ、人種差別思想もみられる。たとえば黒人を劣等種と断定し、いずれ死滅するだろうとも述べていた。したがって康有為のいう理想の大同世界が、万人にとって理想であったとはいえない。

康有為は自身の生きる清末は未だ「拠乱世」であって、次の「升平世」へと進化するためには立憲君主制を取る必要があると認識していた。共和政体を取るフランスやアメリカはすでに「升平世」の中頃まで進んだ社会と考えていたようだ。康有為の立憲君主制への執念は、こうした発展史観に裏打ちされたものであった。しかしそれが強固であればあるほどフレキシビリティを欠き、辛亥革命が成就し皇帝という存在がなくなっても立憲君主制という理想を捨てきることができなかったのである。

さてこの大同三世説を詳述した書物こそ『大同書』である。しかし康有為の代表作とされながらも、それが生前に完全な形で刊行されることはなかった。このことが大同三世説を康有為がいつ着想を得たのか、という問題を惹起した。『大同書』はそのあまりに時代離れした内容から、康有為自身が公開をためらい刊行しようとしなかった。生前にはその一部が 1913年に冒頭の二章が『不忍雑誌』に掲載されたのみで、ようやく全体が刊行されたのは、死後の1935年になってからである。『我史』(『康有為自編年譜』)には、1884年に「『大同書』を著した」とあるが、『大同書』の記述内容や使用されている語彙から考えて、これはあり得ない。通説では1901年から翌年の間までにほぼ形が固まり、その後も小さい訂正・追加がなされたとなっている。




http://www.ritouki-aichi.com/chido_chugoku_235.html

             『大同書』(康有為 華夏出版社 2002年)

 著者の康有為(1859年から1927年)は、19世紀末から20世紀初頭に至る清朝末期における中国の政治と学問の世界で極めて大きな影響力を持ったことで知られる。政治の世界では一種の宮廷革命を画策。清朝帝室から保守派を一掃し、開明的な光緒帝を戴く近代的な政治体制の確立を目指した。だが、康を頂点とする保皇派による変法自疆と呼ばれる改革運動は西太后を中核とする保守派の頑迷固陋な堡塁を突破できずに失敗し、彼は命からがら日本に逃げ延びることになる。既得権益を守ろうとする保守派を甘く見すぎたということだろう。一方、学問の世界では「現代の孔子」と称されるほどの存在であり、『新学偽経考』『孔子改制考』などを著し、儒教の学統において大きな足跡を残した。

 この本は、そんな康が長い歳月を掛けて書き上げたものだが、現在の中国の学界では、一般的に「この本は、主権独立国家から半植民地・半封建社会へと堕ち込んでゆく特殊な歴史の歩みの中で、伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」(陳得媛・李伝印「《大同書》評介」)と評価されている。

 清末の大学者たる著者は、いずれ将来、人類は民族・国家・性別・貧富・職業などの違いを超越し、心穏やかで対立も苦しみも痛みもない快適至極の極楽のようなユートピアに立ち至る――なんとも夢のような、見方によったらノー天気なゴ託宣を語ってくれる。

まあ、じつに有り難く夢のようなゴ高説だが、どうすれば実現可能なのか。はたまた「伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」とまで持ち上げていいものかどうか。首を傾げたくなる。率直にいわせてもらえば学者の"暇つぶし"。とはいうものの、この本を儒教的ユートピア世界を描き出したものと見做すなら、それはそれで儒教に対する考えも"衝撃的"に変わろうというものだ。

たとえば「去家界為天民」と書かれた一章では、「家界」というから家族の縛りとでも訳せばいいのだろうか。いずれ人は家界を抜け出て「天民」になると説く。この章の最終部分の「考終院」の項をみると、未来社会では死もまた平等に公的管理されるようだ。人は死んだら考終院という役所に届け、遺体は帛で包むなり棺に納めるなりして考終院に安置する。考終院にはお別れのための一切の設備が整えてあり、葬儀の次第は死者の社会的地位や年齢によって事細かに規定されている。ここで興味深いのが死体処理方法だ。

 孔子の弟子であることを自任する著者は孔子の考えに従って、「人の生気」は「魂知」に在り「体魄骨肉(にくたい)の中には在らず」とする。だから遺体は土葬でも火葬でもかまわないのだが、さすがに火葬は残酷で見るに忍びないと綴る。とはいうものの一転して、将来のハイテク科学技術を思い描く。千数百年後の「大同の世」になったらハイテク装置が完成する。それが熱風を起こしゴーッと唸りをあげた途端、「形骸骨肉(にくたい)」は消えてなくなってしまう。かくて「上(こころ)」は虚無の世界に還り、「下(いはい)」は山や谷に撒かれ時の流れの中で消えて行く、という。よくまあ、そこまで考えるものだ。

 康が心血を注いで著した『大同書』と聞くと、さぞや難解な本のようだが、儒教的ユートピアを描いた"謹厳実直な未来小説"といったところ。ともあれユートピアでも死体処理に目配りが必要なほど、中国は膨大な人口に悩まされ続ける運命にあるのです。
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SF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという(『大同書』明徳出版、注より)。

参考:

井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』(52,74頁)や書評↓で触れている。

妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on


星界想遊記 - 井上円了 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=XP0zmMO9LUEC










南船北馬集 第三編
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
P550
 哲学堂の由来  
 哲学堂は今より五年前、すなわち明治三十七年、哲学館の大学公称を文部省より許可せられたる紀念として一棟を建設したるに始まり、同三十九年一月、余が同大学を他人に一任し、これを己の退隠所と定めたるに起因すといえども、哲学堂中に奉崇せる四聖の由来につきては、遠く明治十八年に画工渡辺文三郎氏をして四聖の像をえがかしめ、中村敬宇先生に画賛を請い、学友四、五輩を招きて哲学祭を挙行せしに始まる。その画賛は左のごとし。     

 四聖像賛 文学博士 中村正直   
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、

(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)


四聖堂
[木造平屋建・方形・桟瓦葺・一重]
本堂に東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの「四聖」を世界的四哲人として祀るために建立されました。
哲学の将来的発展を祈念し哲学祭を開催した圓了の意図が具現化された建物です。三間四面の小堂で四面とも正面。中央には哲学の起点、基礎となる二つの象徴として、心即ち精神は円形で光るものとして電球、物即ち物質は心を汚すものとして香炉がおかれています。これは、心が物欲で汚されても修養を積めば清浄な心は失われないことを表していて、内部、天井中央に装飾額があり、釈迦涅槃像(和田嘉平作)が堂内に安置してあります。堂内に南無絶対無限尊と刻んだ石柱、唱念塔(しょうねんとう)をおいています。四聖の像(橋本雅邦画)「孔釈瑣韓」の四字額(副島種臣書)があり11月の哲学堂祭に掲額されます。








ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。 
http://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=964583#p147
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間或智士創新領賞,財富巨盛,亦只自創行屋,放浪於山嶺水涯,而無有為坐屋者矣。蓋太平之世,人好行游,不樂常住,其與古世百里雞狗相聞而老死不相往來,最有智愚之反也。夫草木至愚者,故系而不動,羊豕之愚勝於草木,能動而不能致遠者也,若夫大鵬、黃鵠,一舉千里。古世老死不出鄉者如草、木,中世游行如羊、豕,太平世則如大鵬、黃鵠矣。


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