2022年2月11日金曜日

よみがえる承久の乱 2021 承久記絵巻関連動画リンク


よみがえる承久の乱(1221) 2021
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/02/2021.html


御成敗式目

承久記前田本+絵巻
承久記慈光寺本
https://freeassociations2020.blogspot.com/2022/11/httpsyamimin-planet.html


泰時1201年

参考:

百人一首歌織物説
林直道説
http://nam-students.blogspot.jp/2012/02/httpwww8_6191.html



99 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
   ひともをしひともうらめしあちきなく よをおもふゆゑにものおもふみは
                               後鳥羽院

100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
    ももしきやふるきのきはのしのふにも なほあまりあるむかしなりけり
                                 順徳院
(注:「百敷」は皇居をさす。)




この展覧会について ABOUT THIS EXHIBITION

12世紀における院政の展開、1180年代の内乱、そして東国での鎌倉幕府の樹立を経て、13世紀初頭には、後鳥羽上皇が列島を統べる体制が成立します。後鳥羽上皇は、勅撰集『新古今和歌集』に結実する和歌をはじめとして、多芸多能の帝王でした。

しかし承久3年(1221)、前代未聞の事件「承久の乱」が起こり、後鳥羽上皇が北条氏率いる鎌倉御家人に合戦で敗れ、隠岐に流されたのです。この承久の乱を機に、鎌倉幕府の優位のもとで公家と武家が並存する時代となりました。

本展覧会では、近年進展著しい当該期の最新の研究成果を踏まえて、皇族・貴族・武士・僧侶など、この時代の人々の息吹を伝える古文書・肖像画・刀剣・仏画や、この時代を描いた絵画類から、日本史上の重要事件の歴史的意義に迫ります。2021年は承久の乱から800年。今によみがえる乱の様相をご覧ください。

※新型コロナウイルス感染症の今後の状況により、予定が変更となる場合があります。最新情報は公式サイトをご確認ください。


よみがえる「承久の乱」-後鳥羽上皇 VS 鎌倉北条氏


参考:
よみがえる「承久の乱」展ニコニコ内覧会2021
(図録は入手困難かも)





1:20:00 北条義時





1:50:30 承久記絵巻第六巻

https://live.nicovideo.jp/watch/lv331629027 公開終了




番組概要
2021年は承久の乱から800年。

本展覧会では、近年進展著しい当該期の最新の研究成果を踏まえて、
皇族・貴族・武士・僧侶など、この時代の人々の息吹を伝える古文書・肖像画・刀剣・仏画や、
この時代を描いた絵画類から、日本史上の重要事件の歴史的意義に迫ります。

12世紀における院政の展開、1180年代の内乱、そして東国での鎌倉幕府の樹立を経て、
13世紀初頭には、後鳥羽上皇が列島を統べる体制が成立します。
後鳥羽上皇は、勅撰集『新古今和歌集』に結実する和歌をはじめとして、多芸多能の帝王でした。

しかし承久3年(1221)、前代未聞の事件「承久の乱」が起こり、
後鳥羽上皇が北条氏率いる鎌倉御家人に合戦で敗れ、隠岐に流されたのです。

この承久の乱を機に、鎌倉幕府の優位のもとで公家と武家が並存する時代となりましたが、
やがてその体制にも終止符が打たれ、南北朝の内乱が展開することとなります。

今によみがえる乱の様相をご覧ください。

(公式ホームページより)

出演者
長村祥知(京都文化博物館 学芸員)
橋本麻里(ライター・エディター、公益財団法人永青文庫副館長) ⇒ @hashimoto_tokyo

よみがえる承久の乱―後鳥羽上皇 vs 鎌倉北条氏― 緊急事態宣言延長をうけ閉幕。

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  • 開催趣旨
  • 基本情報
  • 展示内容
  • 企画チケット
  • 関連イベント
  • 図録
  • 音声ガイド
  • スタンプラリー
  • オリジナルグッズ

■特別展 よみがえる承久の乱-後鳥羽上皇VS鎌倉北条氏- 中止について

新型コロナウイルスの感染拡大、および京都府への緊急事態宣言延長の影響を受けまして、誠に申し訳ございませんが、特別展「よみがえる承久の乱—後鳥羽上皇vs鎌倉北条氏—」は閉幕とさせていただきます。チケットをお買い求めいただき、再開をお待ちいただいていた皆様には心よりお詫び申し上げます。なにとぞご理解をたまわりますよう、お願い申しあげます。なお、すでにお買い求めいただいたチケットについては、払い戻しをいたします。払い戻し方法はこちらをご確認ください。 

https://fb.watch/b6274YtywF/

https://twitter.com/JoQ1221/status/1363008692187058176?s=20&t=3aVvwocDD6xiea88Ai33ug


開催趣旨

 12世紀における院政の展開、1180年代の内乱、そして東国での鎌倉幕府の樹立を経て、13世紀初頭には、後鳥羽上皇が列島を統べる体制が成立します。後鳥羽上皇は、勅撰集『新古今和歌集』に結実する和歌をはじめとして、多芸多能の帝王でした。
 しかし承久3年(1221)、前代未聞の事件「承久の乱」が起こり、後鳥羽上皇が北条氏率いる鎌倉御家人に合戦で敗れ、隠岐に流されたのです。この承久の乱を機に、鎌倉幕府の優位のもとで公家と武家が並存する時代となりましたが、やがてその体制にも終止符が打たれ、南北朝の内乱が展開することとなります。
 本展覧会では、近年進展著しい当該期の最新の研究成果を踏まえて、皇族・貴族・武士・僧侶など、この時代の人々の息吹を伝える古文書・肖像画・刀剣・仏画や、この時代を描いた絵画類から、日本史上の重要事件の歴史的意義に迫ります。2021年は承久の乱から800年。今によみがえる乱の様相をご覧ください。

基本情報

会  期:
2021年 4月6日(火)ー 5月23日(日)
<前期> 4月 6日(火)ー 4月25日(日)
<後期> 4月27日(火)ー 5月23日(日)
休 館 日:
月曜日(5月3日は開館)
会  場:
4階・3階展示室
開室時間:
10:00~18:00 金曜日は10:00~19:30(入場は閉室の30分前まで)
入 場 料:
1,500(1,300)円、大高生1,100(900)円、中小生500(300)円
《入場券販売所》
京都文化博物館、ローソンチケット(Lコード 51482)、チケットぴあ、セブンチケット、イープラス、CNプレイガイド、京阪神の主要プレイガイド
※未就学児は無料。
※( )は前売り及び20人以上の団体料金。
※障がい者手帳等をご提示の方と付き添い1名は無料。(確認できるものをご持参ください)
※上記料金で2階総合展示室と3階フィルムシアターもご覧いただけます。
 (催事により有料の場合あり)
※学生料金で入場の際には学生証をご提示ください。
※新型コロナウィルス感染症の今後の状況により、予定を変更する場合もございますのでご了承ください。
主  催:
京都府、京都文化博物館、読売新聞社、NHK京都放送局
協  力:
海士町、後鳥羽院顕彰事業実行委員会
後  援:
(公社)京都府観光連盟、(公社)京都市観光協会、KBS京都、エフエム京都

展示構成と主な作品

【序章】院政の成立と武士
平安時代後期、貴族社会の変容から院権力が生まれました。「保元・平治合戦図屏風」や「源平合戦図屏風」は、後鳥羽院を生み出した動乱の時代を勇壮に描きます。

tobahouou.jpg鳥羽法皇像(部分)
(京都・古代学協会蔵 京都文化博物館寄託)通期
*後鳥羽の曽祖父。院政という政治体制を定着させた。

hogen.jpg保元・平治合戦図屏風(左隻)(京都・仁和寺蔵)後期
*武士が政治の表舞台に。 

genpei.jpg源平合戦図屏風(神奈川県立歴史博物館蔵)前期
*鎌倉幕府樹立に至る、長い戦の物語。 

【1章】多能の帝王、後鳥羽院
多芸多能の帝王、後鳥羽院。後鳥羽自筆の「熊野懐紙」や、自ら作ったと伝わる「太刀 菊御作」
など、ゆかりの作品を紹介します。

0005-0006.jpg天子御影(部分)(京都・陽明文庫蔵)通期
*右から2人目が後鳥羽上皇。

21.jpg後鳥羽天皇像(京都・勝林院蔵)通期
*大原陵を護る寺に伝来した肖像。 

kikugosaku.jpg重要文化財 太刀 菊御作(京都国立博物館蔵)前期
*後鳥羽が作ったと伝わる刀剣。

gotoba.jpg国宝 熊野懐紙「深山紅葉・海辺冬月」後鳥羽天皇宸翰(京都・陽明文庫蔵)後期
*後鳥羽院、熊野道中の和歌。

【2章】朝廷と貴族社会
後鳥羽の主導のもとで、勅撰集『新古今和歌集』に結実する優れた歌人達も活躍しました。藤原定家自筆「明月記」などを通して、当時の貴族社会の文化を紹介します。 

outakaiemaki.jpg建保六年八月御歌会絵巻(京都府立京都学・歴彩館蔵)通期
*順徳天皇が開催した和歌と管弦の会

meigetsu.jpg明月記断簡 建暦三年二月十一日・十二日条
(福岡・九州国立博物館蔵)通期
*藤原定家、52歳の自筆日記 

【3章】鎌倉幕府と北条氏
源頼朝が樹立した鎌倉幕府。3代将軍源実朝が討たれ、北条義時が実権を握ります。「戌神(旧辻薬師堂十二神将のうち)」は、北条義時を暗殺から守った守護神の姿を伝えています。

tachi-meikoutaka.jpg重要文化財 太刀 銘成高(京都国立博物館蔵)後期
*源頼朝が鎌倉御家人 工藤祐時に下賜。

inugamizou2.jpg神奈川県指定重要文化財 戌神像(旧辻薬師堂十二神将のうち)
(神奈川・鎌倉国宝館蔵)通期
(写真撮影:奈良国立博物館 提供:鎌倉国宝館)
*北条義時の守護神の姿を伝える 

【4章】承久の乱
承久3年(1221年)5月、後鳥羽は鎌倉の執権北条義時の追討命令を発し、承久の乱が勃発しました。その経緯を描いた唯一の絵巻「承久記絵巻」全6巻を80年ぶりに公開します。

34nennichijikki.jpg重要文化財 承久三、四年日次記残闕(部分)(京都・仁和寺蔵)前期
*承久の乱の経緯について生々しく記す。

joukyuukiemaki.jpg承久記絵巻 巻第4(個人蔵)通期(巻き替え)
*宇治橋の合戦。宇治川をはさんで、京方と鎌倉方が対峙。

【5章】乱後の隠岐・京・鎌倉
承久の乱に敗れた後鳥羽は隠岐に流されました。「時代不同歌合絵断簡」は、隠岐の後鳥羽の営為から生まれた新たな歌仙絵の表現を伝えています。「東寺百合文書」から、鎌倉幕府の西国への進展が窺えます。

joukyuu.jpg承久3年7月26日 関東下知状(個人蔵〈山口県文書館〉)後期
*北条義時の花押 

jidaihudou.jpg時代不同歌合絵断簡(中務卿具平親王・愚詠)
(京都国立博物館蔵)通期
*隠岐で後鳥羽が編んだ歌合を絵画化。 

kokuhouyuri.jpg国宝 東寺百合文書 六波羅裁許状(京都府立京都学・歴彩館蔵)後期
*西遷御家人との矛盾、そして和解。 

【終章】
承久の乱後の政治体制は100年以上続きましたが、後醍醐天皇や足利尊氏によって新たな動乱の時代を迎えることとなりました。彼らの肖像画や南北朝内乱の様子を伝える古文書を展示します。

ashikaga.jpg足利尊氏像
(神奈川県立歴史博物館蔵) 後期
*騎馬姿で描かれた珍しい尊氏像 

juubun.jpg重要文化財 縹糸威胴丸 兜・大袖付
(京都国立博物館蔵) 前期
*那須家に伝来。 

「よみがえる承久の乱」出品リストはこちら

企画チケット

①エコバッグ付きチケット※販売は終了しました。
「承久記絵巻」に登場する北条義時や合戦の場面が描かれたエコバッグ付きの入場券。
チケットぴあにて、数量限定販売。
・料金:2,500円
※エコバッグは会場特設ショップでお引き換えください。
※画像はイメージです。

20201130-01.jpg

②ペア割りチケット ※販売は終了しました。
一般2枚の前売券がペアでお得に買えるチケットです。
ローソンチケット(Lコード:51482)にて、数量限定で販売。
・料金:2,400円(前売・一般2枚セット)
※1名で2枚使用も可

③夜間にゆったり!特別鑑賞チケット ※販売は終了しました。
本展担当学芸員のミニレクチャーを聴講の後、閉館後にゆったりご観覧いただける特別鑑賞チケット。音声ガイドも付いてくる!イープラスにて100枚限定販売。
・料金:2,000円
・開催日:2021年4月17日(土)17:30~20:00
・特典①開催日限定で、閉館後に2時間ゆったり鑑賞可能
   ②長村祥知学芸員によるレクチャー「古文書から承久の乱にせまる」をご聴講
   ③音声ガイド付

関連イベント

※どちらも定員となりましたので、お申し込みを締め切らせていただきました。

①講演会「後鳥羽天皇と御番鍛冶」

日時:2021年4月17日(土)10:30~12:00
講師:末兼 俊彦氏(京都国立博物館 主任研究員) 

②講演会「『承久記絵巻』を読む」

日時:2021年4月24日(土)10:30~12:00
講師:長村 祥知(当館学芸員)

※いずれも会場は3階フィルムシアター、定員70名
 参加無料(ただし、本展入場券〈半券可〉が必要)。 

図録

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料金 2,800円(税込)

※完売いたしました。

音声ガイド

音声ガイド

利用料金 600円(税込)

ナビゲーター 加賀美 幸子さん
元NHKアナウンサー。「夜7時のニュース」「日曜美術館」など数多くの番組を担当。
現在も古典の朗読、ナレーション、執筆など様々な活動を展開中です。

ナビゲーター 井上 悟さん
アーツビジョン所属。声優として様々なキャラクターを演じています。今によみがえる乱の様相をご紹介します。

京都市交通局×よみがえる承久の乱 スタンプラリー<中止>

ゆかりの地を歩いて、800年前の戦いの記憶に迫ろう!
地下鉄・市バスに乗って、古に想いをはせながら、承久の乱ゆかりの地を巡りませんか。
4か所全てのスタンプを集めると、オリジナル缶バッジセットをプレゼント! 

実施期間:
2021年4月6日(火)~5月23日(日)<中止>
ラリーポイント:
京都文化博物館、泉涌寺、地下鉄五条駅、地下鉄二条城前駅の4か所
景品交換場所:
当館1階受付、京KOKO(京都駅前メルパルク京都1階、9時~17時)

※缶バッジの引き換えには、実施期間中有効の市バス・地下鉄各種定期券、トラフィカ京カード、
地下鉄一日券、地下鉄・バス一日券又は二日券のいずれかのご提示が必要です。
※缶バッジセットは先着500名限定。無くなり次第、配布終了となります。
※景品の交換は、お一人様につき1セットとさせていただきます。
※複写した台紙は無効となります。
※スタンプ設置エリアをまわる順番は自由です。
※コピー利用不可となります。 

京都市交通局×よみがえる承久の乱 スタンプラリー

京都市交通局×よみがえる承久の乱 スタンプラリー

よみがえる承久の乱 オリジナルグッズ

販売は終了しました。

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A4クリアファイル

joukyuu.jpgペーパーナイフ
ブックマーカー

joukyuu.jpgマスキングテープ

joukyuu.jpgドロップ缶

joukyuu.jpgトートバッグ

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抗菌マスクケース



【中世こぼれ話】佐渡島に流された順徳天皇。佐渡ではどのような生活を送っていたのだろうか(渡邊大門) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210420-00233505

【中世こぼれ話】佐渡島に流された順徳天皇。佐渡ではどのような生活を送っていたのだろうか

古来、佐渡には多くの流人が流された。順徳天皇もその一人。(写真:アフロ)

 佐渡金山に「アイランド・ミラージュ」なる新しい観光スポットが完成したという。ところで、かつて佐渡に順徳上皇が流されたことはご存じだろうか。その知られざる生活を検証しよう。

■順徳天皇の略歴

 最初に、順徳天皇について触れておこう。建久8年(1197)9月10日、順徳は後鳥羽の第二皇子として誕生した。幼少時から大変聡明であったと伝わっている。順徳は、兄の土御門から承元4年(1210)11月28日に天皇位を譲られた。14歳のときである。

 順徳は学問好きで知られており、禁中の故実作法を多数の古典籍を引いて解説した『禁秘抄』という一書を著した。また、歌論を大成した『八雲御抄』を著し、家集としては『順徳院御百首』などがある。優れた人物だったといえよう。

 その順徳に暗い影を落としたのは、承久3年(1221)6月に勃発した承久の乱(鎌倉幕府と朝廷との戦い)である。順徳は父・後鳥羽の倒幕に積極的に関与し、承久の乱の直前の承久3年(1221)4月、皇太子に天皇位を譲った。

 承久の乱の結果は鎌倉幕府の勝利に終わり、同年7月20日、幕府は順徳を佐渡に流すことを決定した(『吾妻鏡』など)。なお、後鳥羽は隠岐へ流され、土御門は挙兵に反対していたが、自らの意思で土佐に赴いた。

 次に、『承久記』などの史料によって、佐渡への路程を確認することにしよう。

■佐渡への路程

 順徳に供奉をしたのは、冷泉為家、花山院義氏、甲斐左兵衛佐範経、藤左衛門大夫康光らと女房2人(3人とも)である。意外にも寂しいメンバーだったといえよう。

 結局、為家は最終的にお供せずに京都に留まった。義氏も佐渡に向かう中で病により引き返したという。いずれにしても、佐渡までの過酷な旅を恐れたか、実際に耐えられなかったということになろう。京都から歩いて佐渡まで行くのだから、厳しい旅になるのは当然だった。

 順徳は佐渡にわたる手前で、寺泊で宿をとった。長岡市寺泊二ノ関に史跡公園聚感園があるが、そこには順徳天皇御遺跡保存碑が建立されている。順徳はこの地に行在所を設けたと考えられている。なお、寺泊は佐渡にわたる者たちが必ず泊まる場所だった。

 順徳は寺泊に到着したものの、供の範経が病に罹ってしまった。その間、船を待たせていたが、結局は亡くなった。旅の過酷さを物語るものであろう。

 こうして順徳は佐渡にわたり、たどり着いたのが恋ケ浦(佐渡市豊田)であると伝わる。当初、順徳は国分寺を宿所としたが、その後、黒木御所(佐渡市泉甲)を造作して移った。この行在所は粗末なものであったという。ここで順徳は21年もの歳月を過ごしたが、得意な歌に力を入れていた。

 残念ながら、順徳の佐渡における逸話はさほど残っていない。嘉禎3年(1237)秋、順徳は百首の和歌を作り(『順徳院御百首』)、後鳥羽と藤原定家に評価を求めた。後鳥羽は点(批評・添削)を施し、定家は点と判詞(優劣を判定した詞)を添えて順徳に返送した。

 しかし、定家はのちに『新勅撰和歌集』を編纂した際、幕府を恐れて順徳の歌を一首も採用しなかった。ただし、『小倉百人一首』には、順徳の歌を採用している。順徳の心を慰めるのは、和歌を作ることくらいしかなかった。

■順徳天皇の死

 仁治3年(1242)9月12日、順徳は亡くなった。享年46。『増鏡』によると、順徳は帰京の思いをあきらめずに持ち続けたという。遺骸は翌日に火葬された。その場所が、真野(佐渡市真野)の御陵である(火葬塚)。

 その後、遺骨は大原(京都市左京区)の大原陵に収められた。当時の史料では佐渡院と称されていたが、のちに順徳院と追号された。

 真野御陵については、近世の逸話がある。御陵は近世に至って荒廃を極めたため、延宝6年(1678)に管理していた真輪寺と国分寺が連名で佐渡奉行に対し修理を要請した。奉行の曽根吉正は要請を受け入れ、翌年に50間(約91メートル)の土地を寄進し、修理だけでなく石灯籠までも献じたという。


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