2021年9月21日火曜日

ユリイカ2021年5月号 特集=アンリ・マティス 岡﨑 乾二郎 インタビュー他

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事物の触発
岡﨑 マティスに限らないことですが、一般に絵画作品を絵画作品として表現された空間としてのみ読み取ろうとすることは限界があります。絵画のみならず、もっと一般的なメディアに広げて考えれば明らかですが、ある特定のメディアの表現が大きく変貌するとき、それはそのメディアの使用方法が変わったということです。そのメディアに要求されているものが変貌している。が、ニーズというほど明快にそれを絞り込めるわけではありません。主題というよりはニーズという言葉が広い言い方だとしても、芸術作品が言語や社会的機能に一義的に位置付けられるわけではないですから。いずれにしても画家の絵画に対する態度が変更された、ということです。それが表現の根本的な違いとして現れる。 よく知られているように、ナビ派そしてマティスにとって、絵画に対する態度の変更は比較的はっきりしています。その上で有名なドニの「絵画とはある秩序のもとに集められた色彩で覆われた平たい表面である」という定義は読み解かれるべきです。

マティスの使う基本色は五―七色に絞り込めるかもしれませんが、明度、彩度、色相において一様性がない、端的には、その基本色に色彩として黒が入っていることです。黒はほかの色彩と同じような意味では色彩として扱えません。原理的にいえば、彩度がない、明度がゼロである、という特殊性にもよりますが、実際にはこのゼロは表現できない。したがって人は黒を相対的に黒と感じるのですが、そこで感じるのはまず非色彩としての黒だということです。けれど、これはいうまでもなく黒が存在しない、実在性がないということではありません。むしろ逆です。非色彩ということは、そこから発光、反射されてくる光が不在であることも意味しますが、むしろなお、そこに黒が感じられるとき、視覚(光の偏差)に還元されない、実在性を直接そこに感じられているともいえるのです。画面に黒を導入すると、その黒との対比として他の色彩は彩度も明度も強調されはしますが、それよりも重要なのは、黒の導入によって、すべての色彩が固有の物質性、実在性を持つことを要請されるということです。なぜならば、そうでないと、黒の導入は、他の色彩のそれぞれの色価をいちじるしく弱くしてみせてしまうからです。黒が持つのと同じように、どの色も固有の物質性、実在性を持たないと絵のバランスが破綻してしまう。ゆえにマティスの肌色は肌色だけで、すでに肉体と同じ存在感を感じさせなければならないということにもなる。それは黒の導入が導き出した必然です。こうした色彩の扱いも含めて、マティスの絵画における事物の扱いを考えるとき重要なのは第一次大戦前後の仕事だと思います。…


信仰
岡﨑 アラゴンはマティスにとっての、ヴァンス礼拝堂の仕事の意味について、なんども回想し、再考します。当然のことながらマティスにとって信仰はどういう意味を持ったのか。そしてヴァンス礼拝堂の仕事が開始される直前に出版された『ジャズ』に書かれていた、有名なマティスの言葉が引用されます。このあたりの記述は感動的です。

 神さまを信じているかって? はい。自分が仕事をしているときは。

 アラゴンはこの言葉を引用した上で、これに続くマティスの次の一節を含んだ全体のコンテキストでマティスの言葉を考えるべきだと注意を促します。

 自分が従順で謙虚なとき、誰かに助けられて、自分の力を超えたことができているように感じます。しかし、私はその誰かに対して感謝の念を抱かなかったのです。むしろ自分の努力に報いるべき経験の恩恵を受けていないないなどと感じてしまう。私はそのことに呵責も感じない恩知らずなのです。

  アラゴンはここでマティスが言う「誰か」が誰を指しているか、それが神を指しているという解釈を排除します。この言葉は『ジャズ』に手書きで挿入されていた言葉であったからです。マティスは彼自身がいうように、ただ、彼のあつかう色彩たちに従い、それに奉仕しているのだ、というわけです。その色彩とは当然のことながら、多様なものであり、複数性を意味している。誰かは一人ではなく、複数である。その色彩はマティス自身が描くのではなく、ステンドグラスの窓を通して訪れるもの、降り注いでくるものである。礼拝堂に訪れる人々のように色彩が訪れる。したがって、この場、そのセッションが終わったときに、その権威も、それに対する恩などというものも、きれいさっぱり消えてしまう。後悔も呵責も残らないのは当然だというわけです。
 コミュニズムと信仰はこの地点でもはや対立しません。マティスがそして彼自身を囲い込んでいた枠は外されたというわけです。もはや絵画の固有の領土などというものは存在しない。

(おかざき けんじろう・造形作家) (よねだ なおき・美術史/表象文化論

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