2020年12月18日金曜日

ジンバブエのハイパーインフレーション

NHK高校講座 地理「世界のさまざまな地域を見てみよう~アフリカ~」[字] - Gガイド.テレビ王国
https://www.tvkingdom.jp/sp/schedule/101032202012181440.action

番組概要

地球上で起きているあらゆる事柄は、「地理」の知識で理解することができます。さぁ一緒に「地理」の知識を深め、世の中の謎を調査・分析!新たな発見をしていきましょう。

番組詳細

「フィルドストン研究所」では、さまざまな依頼に対して地理的知識や情報を駆使して調査・分析を行っています。今回のテーマはアフリカです。アフリカには気候や歴史的背景の違いによって多様な文化がありますが、特にジンバブエを取り上げ、植民地支配の負の遺産と近年の発展について調べます。「アフリカの自然と多様な文化」「植民地支配の影響と最近の発展」「グローバル化時代のアフリカ」がポイントとなります。

【講師】名古屋外国語大学教授…島田周平,【出演】石原良純,籠谷さくら,【語り】三浦祥朗


動画あり


NHK高校講座 | 地理 | 第32回 現代世界の地誌的考察 【現代世界の諸地域】編 世界のさまざまな地域を見てみよう ~アフリカ~
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/chiri/archive/chapter032.html



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  • >> 第32回 現代世界の地誌的考察 【現代世界の諸地域】編 世界のさまざまな地域を見てみよう ~アフリカ~ 

今回の学習

  • 1/9
    オープニング(25秒)
  • 2/9
    アフリカの自然(3分33秒)
  • 3/9
    アフリカの多様な文化(2分18秒)
  • 4/9
    アフリカの歴史(1分44秒)
  • 5/9
    ジンバブエの歴史(2分50秒)
  • 6/9
    植民地支配の影響と最近の発達(3分13秒)
  • 7/9
    ムガベの強引な政策とハイパーインフレ(2分13秒)
  • 8/9
    グローバル化時代のアフリカ(2分50秒)
  • 9/9
    まとめ(50秒)






2020年12月17日木曜日

信用貨幣論とマルクス:メモ

参考:
精神=ストック

金属主義と信用主義を旧教と新教に喩えたとき(資本論3-35-2)、
マルクスは宗教を脱却するべきものと考えている。
だがフォイエルバッハ批判の延長で貨幣を考えるのは危険だ。
カレツキがやったように資本論第二巻の再生産表式から有効需要の理論を生み出すべきなのだ。
価値形態論に関して言えばそれをゲーデルの不完全性定理と対比して未完成かつ可逆的なものだと捉えるならば有益だろう。
柄谷が言うように金本位制からの離脱は金流出を避けるためだし、
危機の時代に金本位制に戻る可能性はある。
ただし信用貨幣論はそれらを吸収するものとして原理的、歴史的にはある。

 
岩波文庫7
重金主義(モネタルジュステム)は本質的にカトリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。「スコットランド人は金を嫌う The Scotch hate gold.」。紙券としては、諸商品が貨幣として存在することは、一つの単に社会的な存在(ダーザイン)である。聖列に加わらしめるものは、信仰である。商品の内在的霊魂としての貨幣価値にたいする信仰、生産様式とその予定秩序とにたいする信仰、自己自身を価値増殖する資本の単なる人格化としての、個々の生産担当者にたいする信仰。しかし、プロテスタント教がカトリック教の基礎から解放されないように、信用主義は、重金主義の基礎から解放されない。》

『資本論』第三巻第五篇第三五章「貴金属と為替相場」

宇野、熊野が引用した部分。
マルクスが引用文の前で述べたインドの金保有量はケインズが研究したものでもある。
 

参考:
左翼によるMMT批判
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/11/love-and-theft-modern-monetary-theory.html
スピノザ、ケインズ、マルクス
https://nam-students.blogspot.com/2019/08/blog-post_66.html
柄谷行人

18 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2020/11/12(木) 22:38:57.79 ID:yOaOgaMw 
>https://twitter.com/ISHIZUKA_R/status/1271229738862784512?s=20

交換様式Bと交換様式Cの違いは
マネタリーベースとマネーストックの違いに対応する
イングランド銀行創設における大和解は交換様式B内におけるB'C'の結合に過ぎない
柄谷交換様式論は信用貨幣論の理解を決定的にする最後の一撃なのだ

また、マルクスが資本論3:35:2で旧教と新教に分けたのは逆だ
重金主義より信用主義の方が古いのだから

ハンセン
カレツキ:「投資と資本家消費が利潤と国民所得を決定する」という命題
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_17.html
ミハウ・カレツキ (Michal Kalecki):マクロ経済学の知られざる英雄
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/michal-kalecki.html
カレツキとマルクス
https://nam-students.blogspot.com/2020/04/blog-post_95.html
 
     ~社会科学の系譜とMMT
1900年       2000年
             世界恐慌      世界金融危機
 人類学 ┏イネス ポランニー  グレーバー
  法学 ┃H・グリアソン P・グリアソン 
 社会学 ┃ジンメル        インガム
リスト D⬇︎ ウェーバー   
 ドイツ ┃ ⬆︎       [☆=MMT
┏歴史学派┃クナップ(➡︎ケインズ、ラーナー)
⬇︎    ┗┓ ⬇︎             
┗旧制度学派┃コモンズ
      ┃   ┃(ジョン・ガルブレイス
      ┃    ┃ ジェームス・ガルブレイス
      ┃ ┃ (ケインズ➡︎┛)
マルクスA ┃カレツキ━━━┓ラヴォア
      ┃ ┗━━━➡︎┓ゴドリー 
      ┃ ロビンソン┃⬇︎フルワイラー
ケインズB ┗➡︎ケインズ➡︎ミンスキー➡︎ キーン
        ┃  レイ☆、ケルトン☆ 
ポストケインズ派 ┗➡︎ラーナー ミッチェル 
            フォーステイター
        ヴィックレー➡︎チャーネバ
        モズラー ティモワーニュ
実務家   エクルズ⬆︎オカシオ=コルテス
        ホートリー(ケインズ)
  (リスト) ➡︎中野剛志☆、三橋貴明
  日本 西田昌司☆、藤井聡☆、望月慎
ケネー C               ⬆︎
シュンペーター シュンペーター━━━━━┛
         カルドア ムーア


マルクスと信用貨幣論:熊野純彦『資本論の思考』2013
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/12/2013.html

熊野純彦『資本論の思考』2013は最後に
現行『資本論』第三巻第五篇第三五章「貴金属と為替相場」の一文を引用しコメントしている。

712
《「重金主義は本質的にカトリック的であって、信用主義は本質的にプロテスタント的である。
The Scotch hate gold." (「 スコットランド人は金を嫌う」]。紙幣としては、諸商品の貨幣定在は
ひとつのたんに社会的な定在をそなえている。救済するものは信仰である。商品の内在的精霊
としての、貨幣価値に対する信仰、生産様式とその預定秩序に対する信仰、じぶん自身を価値
増殖する資本のたんなる人格化としての、個々の生産当事者に対する信仰。しかし、プロテス
タンティズムがカトリシズムの基礎から解放されないように、信用主義も重金主義の基礎から
解放されはしないのだ。」(ebd., S.606)

 最後に語られているところは、明白である。「それだからこそ、恐慌時には信用主義から重金主義
への急転回が生起する」からである(S.552)。問題はここで語られている「信仰 Glaube」 かの
ルターの「ただ信仰のみ sola fide」なのだーーのほかならぬ内実にある。
 個々の資本にとって競争は、その外部にある超越的条件であった。資本制そのものにとって競争
は、その内部でのみ資本制総体の作動が可能となる一箇の超越論的審級である。信用主義(クレディット・ディステール)ある
いは信用システムは、その超越論的審級それ自身の制約にほかならない。現前せず、そのかぎりで
は未確定な未来を先どりすることは、時間という存在の条件に対する信頼を意味し、なにほどかは
また「預定秩序 prádestinierte Ordnung」に対する信仰を意味する。この信そのものが現在しない
場合には、資本制それ自体が作動しえない。資本制が産出する商品はかならずW-Gの過程を通過
しなければならず、その通過は、しかし〈命がけの跳躍〉として、すでにつねに無数の不確定性に
さらされているからである。そのいみで、信用制度もしくは信用システムを裏うちする信は資本制
にとっていわば本源的な信であり、資本制それ自身と起源をおなじくする信である。
 その信は、とはいえ不断に揺らぐ。信は、ここでいわば「超越論的仮象」であるからだ。「危機」
はそこで「原理的に不可避」である。「他なる社会の可能性」を問うためには、それゆえマルクスが
読まれなければならない。資本制が不断に危機をうちにふくみ、その危機を暴力的に解除すること
でたえず再生するリヴァイアサンであるしだいをみとめるならば、「マルクスを読まないこと、読み
なおさないこと」は「つねに過失 toujours une faute」となるはずなのである。》

同じ箇所を宇野弘蔵が引用している。

宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫
74頁
2-1-2
《ではいわば生産過程自身に基づいてその根拠を明らかにせられる。貨幣たる金をも含む、
あらゆる生産物が、労働力の商品化によって、すべて商品として資本によって生産せら
れ、貨幣たる金自身も、その生産に要する労働時間の変化と共に、その価値を変化する
ものとして、 商品の価値を尺度するものであることが明らかになる。事実、資本の生産
週程においては、人間の行動自身が資本の運動としてあらわれるのであって、その物化
が現実的となるのである(4)。かくしてまた労働の生産力の増進も資本の生産力の増進とし
てあらわれ、生産方法の発展もまたこの特殊の形態の下に促進されることになる。

(4)商品経済の物神崇拝的性格は、商品自身よりも、商品に対して直接交換可能性を与えられ
ている貨幣において、具体的にあらわれる。もっともそれは貨幣はもちろんのこと、商品にし
ても、そういう性格に対応して、それを根拠づける機能を現実的にもっているからであって、
単なる物神崇拝をなすわけではない。ところが資本となると、商品や貨幣と異なって特定の使
用価値と価値との関係ではなく、価値自身が種々なる使用価値としてその姿を変えながら価値
増殖することになるのであって、商品経済の物神崇拝的性格は、いわば一段の深化をとげるこ
とになる。マルクスは「重金主義(モネタール・ジステーム)は本質的にカトリック的であり、信用主義(クレディット・ジステーム)は本質的に
プロテスタント的である。」(『資本論』第三巻[イ]六四〇頁、[岩](七)四二五頁)といっている。
また「商品生産者の一般的社会的関係は、彼らの生産物を商品として、したがって価値として
取扱い、この物的形態において彼らの私的労働を同等な人間的労働として相互に関係させると
いうことにあるのであるが、このような商品生産者の社会にとっては、キリスト教が、その抽
象的人間の礼拝をもって、特にそのブルジョア的発異たるプロテスタンティズム、理神論等に
おいて、 最も適応した宗教形態となっている。」(『資本論』第一巻[イ]八五頁、(岩)(一)一四二
頁)ともいっている。労働力の商品化によって、 資本の形態の下に社会的に生産過程が展開さ
れるとき、マルクスのいう「商品生産者の一般的社会的関係」も確立されるのである。それと
同時に労働力の商品化によってすでにその物化を前提される資本の生産過程にあっては、その
物化の「外観さえも消滅する」(同上(イ)八八頁、[岩](一)一四九頁)のである。マルクスはいう。
「重金主義は、金銀から、それらが貨幣としては社会的生産関係を、ただし奇妙な社会的な属
性をもつ自然物の形態で、あらわしているということを、看取しなかった。しかし近代の経済
学者も、高慢に重金主義を冷笑してはいるが、 資本を取り扱うや否やその物神崇拝が明白にな
るではないか。地代は土地から生ずるのであって、社会から生ずるものではないという重農主
義的幻想が消えてから、どれだけたったことか。」(同上)と。資本主義的生産の「物神崇拝的性
格」は、経済学批判としての科学的解明を要するわけである。》

マルクスも熊野も宇野も金属主義を留保する。
ただし金属主義は呪術に似ている
信用貨幣は宗教か?いや呪術以前の何かだ。モースはそれを古くて新しいものと再規定した。

以下『可能なるアナキズム』山田広昭より

227
《…金本位制の完全な停止にともなって、二〇世紀後半には貨幣の本質が「社会的信用」
にあることは誰の目にも隠せないものとなった。貨幣をめぐる争点は、したがってこの信用の本
質が何であるかへと移る。新たな貨幣理論が主張するように、貸幣が、モノでも、また単なる交
換手段でもなく、流動性を備えた債務(譲渡可能な信用)なのだとすれば、それは結局のところ
誰の債務(信用)なのかということである。信用の支えが主権国家にほかならないなら、あらゆ
るマネーは、主権国家(の中央銀行)が発行するソヴリン・マネーに基礎づけられるしかない。
国家から自律する領域の拡大と新たな交換様式の探求にはこれによってあらかじめ箍がはめられ
ていることになる。しかし、もし信用の本体が主権国家ではなく、私たちの「社会」そのものだ
とすれば、話はちがってくる。》

クナップは貨幣の受領のみを国権に委ねた。社会を主体的に動かす際に信用貨幣論は必須だ。 




アドルフ・ワーグナー (経済学者,1835-1917):財政学:(友寄214頁)
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_18.html 

アドルフ・ワーグナー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC_(%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E8%80%85)
(Adolf Heinrich Gotthilf Wagner、1835年3月25日 - 1917年11月8日)は、ドイツの経済学者並びに財政学者。

経済学においては、ワグナーの法則と呼ばれる国民総生産の増大に伴い国費の支出が増加するという法則を提唱した。

* 一八六三年の『オーストリア国家財政の秩序』で帰納的に認識。以下で体系化。

* 『財政金融論』(全4冊),財政学:Finanzwissenschaft (1871-1872)[社会政策的課税の原理]
国立国会図書館デジタルコレクション - 財政学. 上 1904 
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/799802 

* 『経済学原論』:Grundlegung der politischen Oekonomie., 2 Bände, (1892~1894) [国家活動増大の法則]

ワグナー自身は歴史学派としての立場を強調している。
(ヴェブレンはADOLPH WAGNER'S NEW TREATISE(1892)なる文章を書いている)

マルクスが批判している
ヴァーグナー『経済学教科書』傍注、マルクス全集19参照




NAMs出版プロジェクト: マルクス『経済学批判』(1859年刊行)序言
http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/1859.html



以下、ゲゼルマネーにつながる認識

価値を固定化する価値形態論よりも中期マルクスに可能性はある

経済学批判 第一部 資本について 貴金属

 貴金属の高い価値比重、恒久力をもち、相対的意味では破壊されず、空気にふれても酸化しないという性質、とくに金のばあいは王水以外の酸には溶解しないという性質、こうしたいっさいの自然的属性が、貴金属を貨幣蓄蔵の自然的材料たらしめている。だからチョコレートが非常に好きであったらしいペテル・マルティルは、メキシコの貨幣の一種であった袋入りのココアについて、つぎのようにのべている。「おお、いみじくもよき貨幣よ、おまえは人類に甘美にして滋養のある飲物をあたえ、その罪のない所有者を、貪欲という業病からまもってくれる。なぜならば、おまえは、地中に埋蔵されることも、長く保蔵されることもできないのだから。」(『新世界について』《アルカラ、一五三〇年、第五編、第四章》。)


 最後に、金銀が、鋳貨の形態から地金形態に、地金形態から奢侈品の形態に、またその逆の方向に転化されうること、それゆえひとたびあたえられた一定の使用形態にしばられないという、ほかの商品よりすぐれた点をもっていること、このことは、金銀を、貨幣というたえずひとつの形態規定性から他の形態規定性に転じなければならないものの自然的な材料たらしめるのである。…

(『されどマルクス』2018,94頁で実験経済学の川越敏司が引用)




NAMs出版プロジェクト: 価値形態論(逃走論 1984,1986) 
追記:
ゲーデルの不完全性定理と較べればわかるが、マルクス価値形態論は論理が不徹底で道半ばである。
マルクスの場合、ゲーデル数にあたるものが貨幣になるが、その展開がなされていない。


‪価値形態論はゲーデル不完全性定理と比較すると論理が不徹底だとわかる。ゲーデル数はGが可逆的であることを示す。兌換停止は金の国外流出を防ぐだけのものでそれ自体は信用貨幣論を強化しない。再生産表式と共にむしろ価値形態論の徹底が信用貨幣論に必要だ。‬




NAMs出版プロジェクト: 小幡道昭 経済原論 2009 目次
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/2009.html


熊野純彦『資本論の思考』2013は最後に 
現行『資本論』第三巻第五篇第三五章「貴金属と為替相場」の一文を引用しコメントしている。 

712 
《「重金主義は本質的にカトリック的であって、信用主義は本質的にプロテスタント的である。 
The Scotch hate gold." (「 スコットランド人は金を嫌う」]。紙幣としては、諸商品の貨幣定在は 
ひとつのたんに社会的な定在をそなえている。救済するものは信仰である。商品の内在的精霊 
としての、貨幣価値に対する信仰、生産様式とその預定秩序に対する信仰、じぶん自身を価値 
増殖する資本のたんなる人格化としての、個々の生産当事者に対する信仰。しかし、プロテス 
タンティズムがカトリシズムの基礎から解放されないように、信用主義も重金主義の基礎から 
解放されはしないのだ。」(ebd., S.606) 


同じ箇所を宇野弘蔵が引用している。 

宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫 
74頁 
2-1-2 
《ではいわば生産過程自身に基づいてその根拠を明らかにせられる。貨幣たる金をも含む、 
あらゆる生産物が、労働力の商品化によって、すべて商品として資本によって生産せら 
れ、貨幣たる金自身も、その生産に要する労働時間の変化と共に、その価値を変化する 
ものとして、 商品の価値を尺度するものであることが明らかになる。事実、資本の生産 
週程においては、人間の行動自身が資本の運動としてあらわれるのであって、その物化 
が現実的となるのである(4)。かくしてまた労働の生産力の増進も資本の生産力の増進とし 
てあらわれ、生産方法の発展もまたこの特殊の形態の下に促進されることになる。 

(4)商品経済の物神崇拝的性格は、商品自身よりも、商品に対して直接交換可能性を与えられ 
ている貨幣において、具体的にあらわれる。もっともそれは貨幣はもちろんのこと、商品にし 
ても、そういう性格に対応して、それを根拠づける機能を現実的にもっているからであって、 
単なる物神崇拝をなすわけではない。ところが資本となると、商品や貨幣と異なって特定の使 
用価値と価値との関係ではなく、価値自身が種々なる使用価値としてその姿を変えながら価値 
増殖することになるのであって、商品経済の物神崇拝的性格は、いわば一段の深化をとげるこ 
とになる。マルクスは「重金主義(モネタール・ジステーム)は本質的にカトリック的であり、信用主義(クレディット・ジステーム)は本質的に 
プロテスタント的である。」(『資本論』第三巻[イ]六四〇頁、[岩](七)四二五頁)といっている。 
また「商品生産者の一般的社会的関係は、彼らの生産物を商品として、したがって価値として 
取扱い、この物的形態において彼らの私的労働を同等な人間的労働として相互に関係させると 
いうことにあるのであるが、このような商品生産者の社会にとっては、キリスト教が、その抽 
象的人間の礼拝をもって、特にそのブルジョア的発異たるプロテスタンティズム、理神論等に 
おいて、 最も適応した宗教形態となっている。」(『資本論』第一巻[イ]八五頁、(岩)(一)一四二 
頁)ともいっている。労働力の商品化によって、 資本の形態の下に社会的に生産過程が展開さ 
れるとき、マルクスのいう「商品生産者の一般的社会的関係」も確立されるのである。それと 
同時に労働力の商品化によってすでにその物化を前提される資本の生産過程にあっては、その 
物化の「外観さえも消滅する」(同上(イ)八八頁、[岩](一)一四九頁)のである。マルクスはいう。 
「重金主義は、金銀から、それらが貨幣としては社会的生産関係を、ただし奇妙な社会的な属 
性をもつ自然物の形態で、あらわしているということを、看取しなかった。しかし近代の経済 
学者も、高慢に重金主義を冷笑してはいるが、 資本を取り扱うや否やその物神崇拝が明白にな 
るではないか。地代は土地から生ずるのであって、社会から生ずるものではないという重農主 
義的幻想が消えてから、どれだけたったことか。」(同上)と。資本主義的生産の「物神崇拝的性 
格」は、経済学批判としての科学的解明を要するわけである。》 

マルクスも熊野も宇野も金属主義を留保する。 
ただし金属主義は呪術に似ている 
信用貨幣は宗教か?いや呪術以前の何かだ。モースはそれを古くて新しいものと再規定した。 

以下『可能なるアナキズム』山田広昭より 

227 
《…金本位制の完全な停止にともなって、二〇世紀後半には貨幣の本質が「社会的信用」 
にあることは誰の目にも隠せないものとなった。貨幣をめぐる争点は、したがってこの信用の本 
質が何であるかへと移る。新たな貨幣理論が主張するように、貸幣が、モノでも、また単なる交 
換手段でもなく、流動性を備えた債務(譲渡可能な信用)なのだとすれば、それは結局のところ 
誰の債務(信用)なのかということである。信用の支えが主権国家にほかならないなら、あらゆ 
るマネーは、主権国家(の中央銀行)が発行するソヴリン・マネーに基礎づけられるしかない。 
国家から自律する領域の拡大と新たな交換様式の探求にはこれによってあらかじめ箍がはめられ 
ていることになる。しかし、もし信用の本体が主権国家ではなく、私たちの「社会」そのものだ 
とすれば、話はちがってくる。》 

クナップは貨幣の受領のみを国権に委ねた。社会を主体的に動かす際に信用貨幣論は必須だ。 



 
マルクスは資本論第3部#35-2で金属主義を旧教、信用主義を新教に喩えている。
宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫 74頁、熊野純彦『資本論の思考』2013、712頁 
一見的確だが信用貨幣は実は金属主義より古いからマルクスの比喩は間違いだ。
マルクスの中でユダヤ教の優位が無意識にあるのと
信用を恐慌とセットに考えているが故に金属主義の優位が無意識にあるのだろう。
信用は負債とセットにしないと貨幣は理解出来ない。
ここに躓かずに信用貨幣を採用したマルクス主義者はカレツキだけだ。
マルクスはカレツキがやったように資本論第二巻の再生産表式から
いち早く有効需要の理論を生み出すべきだった。 





「…マルセル・モースは、信用取引の起源に贈与を見出している。《贈与は必然的に信用の観念を生じさせる。
発展は経済上の規則を物々交換から現実売買へ、現実売買から信用取引へ移行せしめたのではない。贈られ、
一定の期限の後に返される贈与システムのうえに、一方では、以前には別々になっていた二時期を相互に接近さ
せ、単純化することによって、物々交換が築かれ、他方では、売買現実売買と信用取引と貸借が築かれた。なぜ
ならば、われわれがいま描写している段階を越えたいかなる法(とくに、バビロニア法)も、われわれの周囲に
残存するすべての古代社会が知っている信用を知らなかったということを証明するなにものも存しないからである(18)》。
(18)モース『社会学と人類学』1、二九〇頁。[贈与論]

 信用は、取引の当事者の間の共同性の観念に支えられる。債務を負う者はどうしても返済しなければならないの
だ。…
 貨幣と信用によって、商品交換は空間と時間を超えておこなわれるようになる。あとで述べるが、商品交換が
空間的に拡張されたとき、商人資本の活動が可能になる。異なる空間の間での中継的交換が剰余価値をもたらす
からである。ここで大事なのは、貨幣および信用がもたらす時間性の問題である。貨幣および信用によって、現存
する他者のみならず、将来の他者との交換が可能になるのだ。少なくとも、そのように思念される。そして、この
ことは、商人資本とは違ったタイプの資本を派生させる。」
(柄谷行人『世界史の構造』)


《…商品物神は交換からたまたま生じたのではなく、交換にとって不可欠なものとしてあった。
なぜなら、見知らぬ者との間での交換は、それを保証する何らかの力を必要とするからだ。
国家・法もないときにそれを与えたのが、物に付着した霊的な力、つまり物神である。
「信用」はそれによってもたらされる。モースはつぎのようにいっている。

 「贈与は必然的に信用という観念をともなうのだ。経済にかかわる法は、
物々交換から売買へと進化したわけではない…」([モース]『贈与論』)。

 物々交換から信用が発展したのではなく、その逆である。また、売買も信用に
根ざしている。…》柄谷行人「精神としての資本」現代思想増刊2017.06より


参考: