プロレゴーメナ 序言
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二律背反、アンチノミー
___________________
| | | |1 |
| | | |実在性 |
| | | |分割合成|
|___「量」___|___「質」___|
| |3総体、| | |
| |全体性 | | |
| | 起源| | |
|____|____|____|____|
| | | | |
| | | | |
| | | | |
|___「関係」__|___「様相」__|
|2原因、| | |3 |
|因果性 | | |完全性 |
| 発生 | | | 必然性|
|__自由|____|____|____|
範疇表、カテゴリー表<判断表>◎=アンチノミー
___________________
| |1 | |1 |
| |単一性 | |実在性 |
| |<全称>| |<肯定>|
|___「量」___|___「質」◎分割合成
|2 |3総体、|2 |3 |
|多数性 |全体性 |否定性 |限界性 |
|<特称>|<単称>|<否定>|<無限>|
|____|_◎起源|____|____|
| |1 | |1 |
| |実体性 | |可能性 |
| |<定言>| |<蓋然>|
|___「関係」__|___「様相」__|
|2原因、|3 |2 |3 |
|因果性 |相互性 |現実存在|完全性 |
|<仮言>|<選言>|<実然>|<確定>|
|_◎発生|____|____|◎必然性|
純粋理性のカテゴリー
量(単一性、多数性、全体性)
質(実在性、否定性、限界性)
関係(実体性、因果性、相互性)
様態(可能性、現実存在、必然性)
純粋理性の判断表
量 →全称的(すべての〜は−である)
特称的(幾つかの〜は−である)
単称的(一つの〜は−である)
質 →肯定的(〜である)
否定的(〜でない)
無限的(〜は非−である)
関係→定言的(〜である)
仮言的(〜ならば、−である)
選言的(〜か−である)
様相→蓋然的(〜かもしれない)
実然的(〜である)
確定的(〜であるに違いない)
#43
私は諸カテゴリーの起源を、悟性のすべての判断にある四つの論理的機能に見出していたので、諸理念の起源を、推論の三つの機能に求めるのはまったく当然のなりゆきだった(99)。なぜなら、そのような純粋理性概念(超越論的理念)はともかくも与えられているのだから、それらが生得的なものとでも見なされないかぎり、理性がもつそのような働き以外のどこにも、おそらくは見出されないだろうからである。理性のもつそのような働きは、形式のみに関するかぎりでは、推論の論理的性質を構成しており、悟性の諸判断を、何らかのア・プリオリな形式に関して規定されているものとして表すかぎりでは、純粋理性の超越論的概念を構成するのである。
推論の形式的な差異によって必然的に、推論は
定言的推論、
仮定的推論、
選言的推論
に区分される(100)。そのために、これらの推論に基づいた理性概念には、
第一には完全な主体(実体的なもの)という理念、
第二には条件の完全な系列という理念、.
第三には可能的なものの完全な総体という理念
における、すべての概念の規定が含まれる*。
第一の理念は心理学的なもの、
第二の理念は宇宙論的なもの、
第三の理念は神学的なもの
であった。
この三つの理念はいずれも、それぞれ特有の仕方で弁証論を引き起こしてしまうので、それに基づいて純粋理性の弁証論全体の区分がなされており、純粋理性の誤謬推論、純粋理性の二律背反、そして最後に純粋理性の理想に分けられる。このような導出を通じて十分に確信できるのは、純粋理性のすべての要求がここで完全に表示されており、ひとつも欠けているはずがないということである。なぜなら、理性が要求するもののすべての起源がそこから生じるところの理性能力そのものが、これを通じて完全に測定されるからである。
カント
プロレゴーメナ 岩波文庫2026
目次
凡例
序言
緒論 すべての形而上学的認識がもつ特性について(第一─三節)
第一節 形而上学の諸源泉について
第二節 ただひとつ形而上学的と呼ばれてよい認識仕方について
a 総合的判断と分析的判断の区別一般について
b すべての分析的判断に共通する原理は矛盾律である
c 総合的判断には矛盾律とは異なるひとつの原理が必要である
第三節 諸判断を一般に分析的判断と総合的判断へと区分することについての注解
第四節 プロレゴーメナ 一般的問題 そもそも形而上学は可能なのか
第五節 プロレゴーメナ 一般的問題 純粋理性からの認識はどのようにして可能なのか
超越論的主要問題 第一部 純粋数学はどのようにして可能なのか(第六─一三節)
注解 一
注解 二
注解 三
超越論的主要問題 第二部
純粋自然科学はどのようにして可能なのか(第一四─三八節)
判断の論理的表
悟性概念の超越論的表
自然科学の一般的諸原則の純粋自然学的表
第三六節 自然そのものはどのようにして可能なのか
第三九節 純粋自然科学についての付録 カテゴリーの体系について ★
超越論的主要問題 第三部
形而上学一般はどのようにして可能なのか(第四〇─五六節)
第四五節 純粋理性の弁証論についての予備的所見
第四六節 一 心理学的諸理念(第四六─四九節)
第五〇節 二 宇宙論的諸理念(第五〇─五四節)
第五五節 三 神学的理念
第五六節 超越論的諸理念についての一般的注解
結論 純粋理性の限界規定について(第五七─六〇節)
プロレゴーメナの一般的問題の解決
学問としての形而上学はどのようにして可能なのか
付録 学問としての形而上学を現実のものとするためにできることについて
『批判』に関して、探究する以前になされている判断の見本
判断がその後に続けられるような、『批判』の探究についての提案
資料 ガルヴェ/フェーダー「ゲッティンゲン書評」
『ゲッティンゲン学報』、一七八二年補巻第一巻、四〇─四八頁
訳注
『プロレゴーメナ』各節の内容梗概と『純粋理性批判』の対応箇所
訳者解説 『プロレゴーメナ』の三つの位相
索引・訳語一覧
★
この体系はまさに、ひとつの普遍的原理に基づいているすべての真の体系と同じように、以下の点で、いくら賞賛してもたりないほどの使い道を示してくれる。すなわちこの体系は、さもなければあれらの純粋悟性概念のあいだにまぎれ込んでしまいがちな、あらゆる異種の諸概念を放逐して、どのような認識についてもその位置を規定するのである。私が反省概念と名づけて、やはりカテゴリーを手引きとしながら、ひとつの表にした諸概念は、存在論のなかで、許諾も正当な権利もなしに、純粋悟性概念のなかにまぎれ込んでいる。しかし、純粋悟性概念は連結のための概念であり、それだからまた客体そのものの概念なのだが、反省概念は、すでに与えられている諸概念をたんに比較するための概念でしかなく、したがってまったく異なる本性と使用をもつものなのである。私の合法則的な区分によって、双方の概念はこの混合から分離されている(『批判』二六〇頁[B316])。しかし、先の分離されたカテゴリー表の有用さがさらにはっきりと明白になるのは、この後すぐになされることだが、あれらの悟性概念とはまったく異なる自然本性と起源をもつ
超越論的理性概念の表(したがって、別の形式をもたねばならない表)を、カテゴリー表から分離するときである。どうしても必然的なその分離は、しかしどの形而上学の体系でも一度もおこなわれなかった。そのために、あの理性の諸理念と悟性の諸概念とが、まるでひとつの家族に属している兄弟姉妹のように、区別されることなく混じり合ってしまっているのだが、そのような混合は、カテゴリーの特別な体系が欠けている場合には、どうしても避けがたいことなのだった。
★
第三九節 アリストテレスの寄せ集めに近いカテゴリーではなく、認識のための概念や諸原則をひとつのア・プリオリな原理ないし認識に基づけるために、私は感性の諸概念(空間と時間)を悟性から分離し、また悟性の概念の原理を論理的な判断作用に基づけて、悟性機能の完全な「論理的表」を提示した。さらに判断機能が客体一般を可能にすることから、「純粋悟性概念(カテゴリー)表」を提示した。カテゴリーの体系は、「自然科学の諸原則の表」だけでなく純粋理性の対象にも適用されて、「形而上学的な諸概念の分類」の手引きとなり(A344, 415 B402, 443)、存在論な「存在(有)と無」の区別にも使用される(A292 B348)。さらに私は「反省概念」(A260 B316)や「超越論的理性概念」のような、異種の諸概念や認識も区分した。(A76-83, 260-292 B102-109, 316-349)
序言
この『プロレゴーメナ』は学習者が使用するためのものではなく、将来に教師となるものが使用するためのものであり、さらに教師のためとは言っても、すでに存在している学問の講義内容をまとめるためではなく、そもそもその学問そのものを発見するために役立つべきものである。
哲学(古いものであれあたらしいものであれ)の歴史そのものが自分たちにとっての哲学なのだ、というような学者たちもいるが、この『プロレゴーメナ』はそうした人々のためには書かれていない。そうした学者たちは、理性そのものがもつ諸源泉から汲み出そうと努力している人々が、その仕事をなし遂げてしまうまで待たねばならない。その後になって、汲み取られたことがらを彼らが世間に伝える順番が回ってくるだろう。そうでないというのなら、彼らの見解に従うなら、これまでに言われていないことについては何も言うことができないことになるが、実際のところ、このようなことは将来のすべてのできごとに、誤りのない予言として当てはまるものだとも言えるだろう。なぜなら、人間の悟性(1)★は何世紀にもわたって、無数の対象をさまざまな仕方で熱心に思索してきたのだから、どんなにあたらしいものごとでも、それと何らかの類似点をもつ古いものが見つからないなどというのは、そう簡単に通るような話ではないからである。
★
(1)悟性(Verstand) 古来のintellectusの訳語として、広義には「知性」という意味をもつことから、この箇所では「広義の人間知性」のことだとも受け取れる。ただし本書に示される認識能力論で注意すべきこととして、カントは、ヴォルフやバウムガルテンらの「心理学」による能力区分を使用しながらも、「感性」から始まり「想像力、理性、知性(神的・知的直観)」へと上昇していく認識の段階、という伝統的な見方を採らず、広義の人間理性のなかに、「狭義の理性(純粋理性)、悟性、構想力、感性」を機能別に横並びで区分した。そこで区分された「悟性」とは、神的な純粋知性とは異なり、人間理性のなかでも、もっぱら論理的ないし論証的な思考に基づいて認識対象の概念化をおこなう能力とされる。
私の意図は、形而上学(2)★に取り組むことに価値があると思っているすべての人々に、以下のような確信をもってもらうことである。その確信とはすなわち、何をおいても必要なのは、自分たちの仕事の手をひとまず休めて、これまでになされてきたことをすべてなかったものと見なし、どんなことよりもまず、「形而上学のようなものがそもそも可能なのかどうか」、という問いを提起することだ、というものである。
★
(2)形而上学(Metaphysik) ヴォルフ(訳注(39)★★を参照)の『哲学一般の予備的叙説』(Praemittitur Discursus praeliminaris de philosophia in genere, 1728)に見られるような、ヴォルフ学派の学問区分では、哲学を純粋哲学(純粋合理的哲学)と経験的哲学に区分し、また純粋哲学を論理学と形而上学に区分する。そこでの形而上学は合理的な純粋哲学であり、一般形而上学としての存在論の他に、「自然(万物)・心(魂)・神」という世界領域に対応する三つの特殊形而上学として、合理的宇宙論(合理的自然学)、合理的心理学、合理的(自然本性的)神学とに区分される。カントはケーニヒスベルク大学の哲学部で、ヴォルフ学派の教科書をもちいながら、長年にわたり論理学、形而上学、道徳哲学、人間学などを講義していた。
★★
(39)ヴォルフ(Christian Wolf(f), 1679-1754) クリスティアン・ヴォルフは一八世紀ドイツ啓蒙哲学の中心人物であった。ライプニッツの哲学を体系化し、全学問区分の近代的整備をおこなうことで、一八世紀前半のドイツで最大の哲学流派であるライプニッツ・ヴォルフ学派の祖となった。ヴォルフや高弟バウムガルテンなどの著書は、北ドイツのプロテスタント諸大学の哲学部においてプロイセンの欽定教科書に指定されたために、それを講述する多くの学者たちの一団である「ライプニッツ・ヴォルフ学派」が生じたとされる。
形而上学が学問であるのなら、どうして他の諸学問と同じように普遍的で永続的な同意を得られることができないのだろうか。形而上学が学問ではないとしたら、それにもかかわらずどうして形而上学は、ひとつの学問という外見を装っていつも尊大に振る舞い、けっして消えることのない、しかしけっして満たされもしない希望で、人間の悟性を引きつけることになるのだろうか。それだから、人が自分の知と不知のどちらをさらけ出すことになろうとも、この学問だと自負している形而上学の本性については、ともかく一度、何らかの確実なことが決定されねばならない。なぜなら、形而上学がこれ以上同じ立場にとどまり続けるのはもはや不可能だからである。他のあらゆる学問がたえまなく進歩しているのに、知恵そのものであろうと欲し、どんな人間でもその神託を仰いでいるこの形而上学は、いつまでも同じ場所を堂々めぐりで一歩も前に進むことがない、などというのは何とも笑うしかないことだと思われる。形而上学の信奉者たちの数も激減してしまっており、他の学問であれば輝けるほどの十分な力量をもつと自認する人たちは、この形而上学という分野で自分の名声を危険にさらそうとしないのに、その他のすべてのものごとに無知な連中が、こぞって決定的な判断を下したりしている。それは、この形而上学の地では、根本的であることを皮相な饒舌から区別するための確実な尺度がまだ存在していないからである。
しかし、ある学問が長い間考究されて、そこにどれほどの進展があったか驚きを覚えるほどになったとしても、それでもやはりだれかが、そもそもこのような学問は可能なのか、またどのようにして可能なのかという疑問をもつことは、前代未聞というほど珍しいことではない。人間の理性は建築することに熱心で、何度も塔を建てておきながら、後になると、その基礎がどうなっているのかを知りたくて、その塔をふたたび取り壊してきたからである。理性的で賢くなるのに遅すぎるということはない。ただし、洞察するのが遅くなってしまえば、それだけ洞察を実行することは困難になるのがつねである。
ある学問がはたして可能なのかと問うことは、その学問の現実性を疑うことを前提している。しかし、そのような疑念は、全所有物がおそらくこの怪しげな宝石からなっているかもしれないすべての人を、不快な気持ちにさせる。それだから、この疑念を不用意に口にする者は、あらゆる方面からの反発がつねに生じることを覚悟しておいたほうがよい。なかには、自分たちの所有物が古いがゆえに正当だとされているのをかたくなに意識して、形而上学のいろいろな要綱を手にしながら、軽蔑の目で彼を見下す人たちもいるだろう。他の人たちは、自分がどこかですでに見たことがあるものと同じものしかどこにも見ようとせず、彼の言うことを理解しないだろうから、しばらくのあいだはすべてが旧態依然のままとなるだろう。まるでさし迫った変化に対する懸念や期待を引き起こすようなことなどは、いっさい何も起こってこなかったかのように。
それにもかかわらず、私はあえて予言しておくのだが、この『プロレゴーメナ』の自ら思考する読者は、これまでの自分の学問を疑うだけでなく、学問の可能性の基礎となるような、ここで表明されているさまざまな要求が満たされないかぎり、そのような学問は存在し得ないこと、さらには、こうしたことはまだ一度も起こったことがないので、形而上学はまだどこにも存在していないのだということを、いずれ全面的に確信するようになるだろう。とはいえ、普通の人間理性がもつ関心は形而上学ときわめて密接にからみ合っているため、形而上学に対する需要が失われるようなことはけっしてない*ので、しばらくのあいだはやりたいように反発が続くかもしれないとしても、これまでまったく知られていなかった計画による形而上学の完全な改革、あるいはむしろそのあらたな誕生が必然的にさし迫っているのだということを、読者は認めてくれるだろう。
*田舎者は河の流れが終わるのを待つ。だが河は依然として流れ、いつまでも流れてとまることがない。(ホラティウス(3))★
★
(3)古代ローマの詩人ホラティウス(Horatius, 65-8 B.C.)の『書簡詩』(Epistulae)第一巻第二歌四〇行による。同じ箇所にある「あえて賢かれsapere aude」の句は、カントが「啓蒙とは何か」(Was ist Aufklärung? 1784)で引用したことで、理性的啓蒙の標語として広く知られるところとなった。引用文を含む原文と大意は以下の通り。sapere aude; incipe! qui recte vivendi prorogat horam, rusticus exspectat dum defluat amnis; at ille labitur et labetur in omne volubilis aevum.「あえて賢かれ、始めよ! ただしい生き方をする時期を先延ばしにする者は、河が流れ終わるのを待つ田舎者〔物知らず〕のようなものだ。河は流れ、いつの時にも渦を巻いて流れ続ける。」
ロックとライプニッツの試論(4)★以来、あるいはむしろ形而上学の出現以来、その歴史を振り返ってみるかぎり、デイヴィッド・ヒューム(5)★がこの学問に対して加えた攻撃ほど、この学問の運命に関して決定的なものとなったできごとは一度も生じていない。ヒュームはこの種の認識に光をもたらすことはなかったが、何らかの火花を打ち出したのであり、それが敏感な火口に当たって、かすかな輝きが慎重に保持され大きくなっていけば、おそらくは明かりを点けることもできたであろう。
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(4)試論(Versuch) ここでの試論(エッセイ)は、ジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)の『人間知性論』(An Essay Concerning Human Understanding, 1690)、および、ロックの同書を念頭において書かれた、ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)の『人間知性新論』(Nouveaux essais sur l'entendement humain, 1765)のことである。
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(5)デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-76) 英国の経験論哲学者、歴史家。哲学の主著『人間本性論』(A Treatise of Human Nature, 1739-40)において、数学以外の知識については、因果性のような科学的法則性に関しても、人間の観念の習慣的な連結という(観念)連合の法則によって形成されたものであり、客観的な必然性をもたず、蓋然的な法則性をもつにすぎないという、「穏健な懐疑主義」を主張した。ヒュームの著書は、一七五〇年代からズルツァー(Johann Georg Sulzer, 1720-79)などによって独訳されて知られており、この『プロレゴーメナ』(Prolegomena, 1783)には、カントがヒュームの諸著作と対照させながら、自らの理論を検討した形跡があちこちに見られる。
ヒュームは主に、形而上学にとって唯一の、しかし重要な概念、すなわち原因と結果との連結という概念(したがってまた、そこから生じる力や作用などの概念)から出発し、その連結の概念を自分の胎内で生み出したと称している理性に、釈明を要求したのである。すなわち理性はどんな権利をもって、ひとつの何らかのものは、それが設定されるとそのことを通じて他の何らかのものが必然的に設定されねばならないような性質をもちうるものだ、と想定しているのか、と。なぜなら原因の概念とはそういうものだからである。ヒュームが反論の余地なく証明したのは、そのような結合をア・プリオリ(6)★に諸概念から考えることは、理性にはまったく不可能だということだった。なぜなら、この結合には必然性が含まれているのだが、何かが存在するからには必然的に他の何かも存在せねばならない、というのはどうしてなのか、そしてその種の連結についての概念がア・プリオリに導入されうるのはどうしてなのか、ということはどうやっても見通せないからである。このことからヒュームは、この連結の概念に関して理性は完全にだまされているのであって、構想力(7)★の庶子に他ならないものを誤って自分の実子と思っているのだ、と結論づけた。構想力は経験を通じて身ごもり、ある種の諸表象を連合の法則(8)★の下にゆだねて、そこから生じる主観的な必然性である習慣を、洞察による客観的な必然性へとすりかえるのである。このことから、彼は次のように結論づけた。理性には、そのような連結をたんに一般的にさえも考える能力はない。なぜなら、そうした場合には、理性の諸概念はたんなる作り物にすぎないものだろうし、ア・プリオリに成立すると称されている理性の認識はすべて、普通の経験に偽造の印を押したものにすぎないだろうからである。だがこれはまさしく、形而上学などはそもそもどこにも存在しないし、いかなる形而上学もあり得ない、と言っているのに等しいことになる*。
*それにもかかわらずヒュームはこの破壊的な哲学そのものを形而上学と呼んでおり、これに高い価値を置いた。彼によれば「形而上学と道徳学は学問のもっとも重要な分野である。数学と自然科学の価値はその半分もない」(『試論〔道徳政治論集〕』第四部、独訳二一四頁(9))★とされる。だがここで、この明敏な人が注目したのは、人類を混乱させるきわめて多くの果てしない執拗な紛争を全面的に終結するのには、思弁的理性(10)★の行きすぎた権利要求を抑制することが消極的な効果をもつ、ということだけだった。だがこのことを通じて彼は、その展望によってのみ理性が意志に対してすべての努力の最高の目標を掲げられるところの、もっとも重要な展望を理性が奪われたときに生じてしまう積極的な損失を見落としていたのである。
★
(6)ア・プリオリ(a priori) 「先天的」とも訳される。ラテン語の原義は「先立つものから」で、多くの場合には「経験」や「経験的事実」に「先立っている」ことを意味している。なお『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft, 1781, 87)では、経験が成立するための条件という意味での「超越論的」(transzendental)の概念が、しばしば「先験的」と訳されることもあったために、「ア・プリオリ(先天的)」と「超越論的(先験的)」の混同を招いてきた。「ア・プリオリ」そのものにはとくに「経験」の成立条件という限定性はない。また「超越論的」なことがらは、経験の成立条件であるために「経験に先立っている」のが普通であり、その点では「ア・プリオリ」でもある。さらにまた、ア・プリオリに対して、「経験したことによる」を意味する「ア・ポステリオリ」(a posteriori)は、「後天的」とも訳される。なお一八世紀後半のカントの「ア・プリオリ」が示す「先天的」には、一九世紀後半の進化論以降に展開した、遺伝学における生物科学的な「生得的」の意味はまだ含まれていない。
(7)構想力(Einbildungskraft) ヴォルフ学派の認識能力論では、広義の想像力が、役割によっていくつかの種類に区分される。カントも『純粋理性批判』のなかで、再生的構想力や生産的構想力など、いくつかの類似の能力を区分しており、その役割も、『批判』の第一版と第二版では異なっているとされる。いずれにしても、積極的な認識作用としての構想力は、たんに形象を想起したり想像したりするのではなく、むしろ像を現実化ないし形像化(einbilden)する能力であり、カントはそうした構想力を「図式化」の能力と定義している。訳注(88)参照。
(8)連合の法則(law of association) 「観念連合association of ideasの法則」とも言われる。訳注(5)を参照。
(9)ヒューム『道徳政治論集』(Essays Moral, Political and Literary, 1741, 77)の独訳であるHerrn David Hume, Esqv, Moralische und politische Versuche, als dessen vermischter Schriften, 1756の第一七章「技芸と学問の根源と発展について」による。その箇所でのヒュームの大意は、「君主制はその安定性を権威に対する迷信的な崇敬から得ているため、宗教や政治、また形而上学や道徳に関しては一般に推論の自由を制限してきた。これらのすべてが科学のもっとも重要な分野を成している。残っているのは数学と自然哲学だけだが、その価値は半分もない」、というものである。
★
(10)思弁的理性(spekulative Vernunft) 感覚や知的直観に頼ることなく、もっぱら理性的な思考を通じて知識や経験世界の表象を得るような理性能力。多くの場合は「論理的」ないしは「理論的」な思考を手段とするので、その場合には「理論理性」と言われることもある。なお、カントは同じひとつの人間理性の働きに、「知・情・意」に対応する複数の側面を見ており、ものごとを対象的に知る働きである思弁的(理論)理性とは別に、意志として働くことによって行為の原理となる理性能力(理性的な意志能力)については、それを「実践理性」と名づけている。
ヒュームの結論はあまりに性急でただしくないものではあったが、しかしその結論は少なくとも探究に基づいていた。そしてこの探究は、その当時の頭脳明晰な人々が協力することで、問題を、彼が提起したような意味に沿って、できることならもっとうまく解決し得たはずだという点では、大きな価値があったのであり、そこからほどなくして学問の全面的な改革が生じたにちがいなかったのである。
しかしながら以前から形而上学に好意的でなかった運命は、ヒュームがだれからも理解されないことを求めた。ある種の痛みを感じずには見られないのだが、彼の敵対者であるリード(11)★、オズワルド(12)★、ビーティ(13)★、そして最後にはプリーストリー(14)★までもが、ヒュームのもつ課題の論点をどれほどまったく逸脱してしまったことか。彼らはいつでも、ヒュームがまさに疑問に思っていた点を承認されたものと見なし、その反対に、ヒュームが疑おうなどとは思いもしなかったことを激烈に、またしばしばきわめて傲慢な態度で証明して見せて、ヒュームが示した改良への示唆を見誤り、そのためにすべてが旧態依然のままで、まるで何ごとも起こっていないかのようになってしまったのである。
★
(11)リード(Thomas Reid, 1710-96) スコットランド常識哲学(Scottish Common Sense Philosophy)の中心人物。当初は経験論の影響を受けたが、後にはヒュームなどの経験主義が観念論におちいることを批判し、人間精神の根源に存在する直観的な常識の能力を重視した。ドイツにおける同様の思想は、通俗哲学(Populäre Philosophie)と呼ばれる。本書に名を挙げられている、「ゲッティンゲン書評」を書いたフェーダーおよびガルヴェらは、いずれも当時の通俗哲学者として知られており、同書評の最後には、常識的な感覚を重視する実在論という通俗哲学の立場からカントを観念論とする批判が見られる。
★
(12)オズワルド(James Oswald, 1703-93) スコットランドの神学者、著作家。常識哲学に基づいた道徳論、宗教論、教会論を展開した。
★
(13)ビーティ(James Beattie, 1735-1803) スコットランドの道徳哲学者。アバディーン大学でリードの同僚であり、常識原理に基づいた『真理試論』(An Essay on the Nature and Immutability of Truth, 1770)を著したが、ヒュームやカントはその主張を強く批判した。
★
(14)プリーストリー(Joseph Priestley, 1733-1804) 一八世紀英国の哲学者、化学者、科学史家、神学者、聖職者、教育学者。酸素などの気体を発見し、炭酸水を発明した科学者であるとともに、宗教的真理と経験の一致を重視し、自然主義的な唯物論に基づく絶対的決定論を主張した。哲学者としては、社会的自由論である『政府の第一原理』(An Essay on the First Principles of Government, 1768)での「最大多数の最大幸福」が、後のベンサムらの功利主義に大きな影響を与えた。科学と宗教との一致というプリーストリーの理論は、カントの三批判書が最終的に志向する見解に近く、カントは『純粋理性批判』で彼を賞賛している。
原因の概念がただしく、有用で、すべての自然認識について不可欠かどうかということは、問題ではなかった。なぜなら、ヒュームはこれに疑問を抱いたことは一度もなかったからである。そうではなくて、原因の概念が理性によってア・プリオリに思考されるものであって、そうしたあり方においてはあらゆる経験から独立した内的な真理性をもっており、したがってまたおそらくは経験の対象だけに限定されない、より広範な有用性をもつのかどうか、ヒュームはこの点についての解明を期待していたのである。問題だったのはまさにこの原因という概念の起源だけなのであって、それを使用することが不可欠かどうかではなかった。その概念の起源が見出されさえすれば、それを使用する諸条件やそれが妥当しうる範囲は自ずとあきらかになったはずなのである。
けれども、この有名人への反対者たちがその課題を満たそうとすれば、純粋な思考のみに関わるかぎりでの理性の本性にきわめて深く立ち入らねばならなかったのだが、それは彼らにとってやっかいなことだった。そこで彼らは、何の洞察もなくても強気に出られるもっと簡便な手段、つまり普通の人間悟性を(15)★楯にとるという手段を思いついた。
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(15)普通の人間悟性(gemeiner Menschenverstand) カントは公刊著作のなかで、同様な意味を表す言葉として、「健全な理性」、「素朴な人間悟性」などの語ももちいている。いずれも「常識」または「良識」(sensus communis, common sense, bon sens)を意味するものだが、批判的にもちいられている場合には、当時の英国のスコットランド常識哲学、また同様の思想であるドイツの「通俗哲学」などの「常識」原理が、学問的厳密さを欠いており、原理としての根拠が曖昧であることに矛先が向けられている。なお「ゲッティンゲン書評」も、この観点からカントの『批判』を理解し、また揶揄しようとするものであった。訳注(11)を参照。
たしかに、すなおな(あるいは最近名づけられているところでは、素朴な)人間悟性をもっていることは、大いなる天の賜物である。しかし、そうした人間悟性をもっていることは、さまざまな行いを通じて証明されねばならず、考えたり述べたりすることが思慮深く理性的であることによって証明されねばならないものであって、自分を正当化するのにうまい言い訳がどうしても出てこない場合に、その人間悟性を神託として楯にとることで証明されてはならないものである。洞察と学問が衰退していくときに普通の人間悟性を楯にとるというのは、以前にはなかった近年の巧妙な発明のひとつであり、そこではきわめて浅薄なおしゃべり屋でも、もっとも深遠な知性のもち主と安心して張り合い、引けを取らずにいられるのである。だが、洞察がまだ少しでも残っているあいだは、おそらく人はこの応急処置には頼らないように気をつけるだろう。そして、考えて見ればそうした訴えかけは、大衆の判断を楯にとることに他ならない。哲学者を赤面させるような拍手喝采に、受けねらいの俗物は勝ち誇って傲慢に振る舞うものである。しかしヒュームは、健全な悟性を要求する権利をビーティと同じようにもつことができたし、それに加えてあきらかにビーティがもっていなかったもの、すなわち批判的理性を要求できる権利ももつことができたのだ、と考えるべきであろう。批判的理性は、普通の悟性が思い上がって思弁にふけることのないように抑制し、また思弁ということのみに関して言えば、普通の悟性は自分の諸原則を自分で正当化する仕方がわからないのだから、何も決めようとしないように抑制するものである。そのようにすることではじめて、普通の悟性は健全な悟性でいられるからである。鑿や木槌はそれを使って木材を加工するにはまったく申し分ないが、銅板を彫るにはエッチング針を使わねばならない。そのように、健全な悟性と思弁的な悟性はどちらも、しかしそれぞれが独自の仕方で有用なのである。健全な悟性は経験に直接に適用される判断が問題となっている場合に、他方で思弁的な悟性はたんなる諸概念から普遍的に判断がなされるべきである場合に、たとえば形而上学において有用となるのであり、自分のことをときには反語的に健全な悟性と称するようなものは、形而上学においては、どのような判断もおこなうことができないのである。
私は率直に認めるのだが、デイヴィッド・ヒュームの警告こそがまさに、何年も前にはじめて私の独断のまどろみを破り、思弁哲学の分野における私の研究にまったく異なったひとつの方向性を与えてくれたものだった(16)★。私は彼のさまざまな結論にはまったく耳を貸すことはなかったが、それは、彼が自分の課題を全体として思い描くことをせず、ただその一部分にのみこだわっていたことによるものだった。一部分とはいえ、全体を考慮に入れることがなければ、何の回答を与えることもできない。もしわれわれが、だれか他の者がわれわれに残してくれた、まだ仕上がってはいないが根拠のある思想から始めるなら、熟考を続けることで、この光の最初の火花がその人のおかげだったあの明敏な人物よりも、さらに前進することが十分に期待できるだろう。
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(16)カントは『純粋理性批判』や『道徳形而上学の基礎づけ』(Grundlegung zur Metaphysik der Sitten, 1785)で、学問に厳密性と論理性とを求める必要性を強調するが、その一方で、学問としての形而上学を中心とした思弁哲学において、超越的な原理を客観的なものとして独断的に設定することには強く反対した。ヒュームによって独断のまどろみを破られたという、ここでのカントの有名な述懐は、そうした批判的見方の機縁となったもので、「ヒューム・ショック」として知られる。
そこで私はまず、ヒュームの異議が普遍的なものと考えられないかどうかを試してみたのだが、すぐにわかったのは、原因と結果との連結という概念は、物のさまざまな連結を悟性がア・プリオリに考えるための唯一の概念ではけっしてないということであり、むしろ、形而上学は総じてそうした諸連結の概念から成り立っているのだ、ということだった。私はそれらの諸連結の数を確定しようと試み、望みどおりに、つまり単一の原理から確定することに成功したので、これらの諸概念の演繹(17)★に取りかかったのだが、そこで私は、それらの諸概念はヒュームが懸念していたような、経験から導き出されたものではなく、純粋(18)★な悟性から生じたものだということを確信するにいたった。この演繹は、私の明敏な先駆者が不可能だと思っていたものであり、彼以外のだれも思いつきさえしなかったものだったにもかかわらず、その客観的妥当性が何に基づいているかを問題とすることもなく、だれもが平然としてそれらの諸概念を使用していたものだった。この演繹は、言わせてもらえれば、かつて形而上学のために企図され得たなかでも、もっとも困難なものだった。さらに何よりも不都合なことには、形而上学はどこにでも存在しているのに、この点に関しては私にとって何の助けにもならなかった。なぜならばその演繹こそが、まずもって形而上学の可能性をはじめて確立するはずのものだからである。私はヒュームの問題を解決するにあたって、たんにある特定の場合だけでなく、純粋理性の能力全体を視野に入れながら、それを達成したのである。私は、つねにゆっくりではあるが着実な歩みを進めることによって、最終的には純粋理性の全範囲をその内容だけでなくその限界においても、完全にかつ普遍的な諸原理に従って規定することができたのだが、それは、形而上学がひとつの確実な計画に従ってその体系を構築するために必要とされるものだった。
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(17)演繹(Deduktion) 証明方法としての演繹とは、多数の個別データから法則を見つけ出す「帰納」(Induktion)ではなく、公理から諸定理を導くように、根本的な原理の側からその原理の応用としての諸規則を導き出す論証仕方である。「演繹」は、法的問題においては、事実の立証とは別に、もっぱら合法的な正当性の権限(権利の要求)を立証するために使われる証明とされ、『純粋理性批判』でカントは、ア・プリオリな諸概念はつねに何らかの演繹を必要とする(KrV, A85, B117)、と述べている。
(18)純粋(rein) 『純粋理性批判』によれば、「純粋」とは「ア・プリオリ」のなかでも、経験的な要素をまったく含んでいないこと、したがって純粋にア・プリオリな原理や要素からなることを意味する。したがって経験的なものをまったく含まない「純粋理性」とは、経験的なものに左右されない理性のことになる。認識能力としての純粋理性には、経験的な誤差や曖昧さがない原理性をもって対象の構築を進められるという利点と、経験的な検証なしに自らの概念を原理として、対象を独断的に措定してしまいかねないという欠点がある。そのため理性的な原理から学問を構築するにあたっては、純粋理性の範囲と限界とを批判的に吟味し続けることが、もっとも重要な課題となる。カントはここで、『純粋理性批判』でそうした点の論証を成功裏になし遂げたと主張しているのである。
しかし私は、ヒュームの問題を可能なかぎり拡張して詳論したもの(すなわち『純粋理性批判(19)★』)が、この問題そのものがはじめて提示されたときに経験したのと同じ目にあうことになるのではないか、と懸念している。人は『純粋理性批判』を理解しないために、それを不当に判定するだろう。人はその本を通読しようとは思うが、すすんで考え抜こうとは思わないので、それを理解することはできないだろう。そして、この著述が無味乾燥であり、不透明で、通常のあらゆる概念に反しており、さらには冗長なものであるという理由で、人はこの本について考え抜くという労力を費やそうとは思わないだろう。ところで私は本音を言うなら、賞賛されて、人類に不可欠であるような認識の存在そのものが問題とされているのに、哲学者から、通俗性がなく面白みがないとか、気楽に読めないなどという不満の声を聞くのは、心外なことである。そのような認識の存在は、学術としての精確さをもったきわめて厳格な諸規則に従わなければ、確定できるものではないのであり、たしかに時間の経過とともに通俗性が生じてくるとしても、けっして通俗性が始まりであってはならない。とはいえ、計画が広範であることから、研究の眼目となっている主要な論点が見逃されかねない、ということに部分的には起因しているところの、ある種の不透明さに関しては、さまざまな不服の申し立ては正当なものでもあるので、私はそうした申し立てについては、この『プロレゴーメナ』を通じて対処するつもりでいる。
その際に、純粋な理性能力をそのすべての範囲と限界の全体にわたって提示している、あの〔『純粋理性批判』という〕著作がつねに基礎となっていることに変わりはなく、『プロレゴーメナ』はもっぱらそれに対して準備作業として関係しているだけである。というのも、形而上学を出現させることや、ほんのわずかではあってもそうした希望を抱くことを考えたりする以前に、あの『批判』は学問として体系的に、そしてまたその最小の部分にいたるまで完全に存立していなければならないからである。
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(19)『純粋理性批判』の出版年は、第一版(A版)が一七八一年、大幅に改訂された第二版(B版)が一七八七年である。本書『プロレゴーメナ』の刊行は一七八三年なので、本書のなかで『批判』と表記されている『純粋理性批判』は、基本的に第一版のことである。今日一般に読まれている『批判』は第二版であり、本書によって『純粋理性批判』を参照する際には、この点に注意する必要がある。
古ぼけて使い古されたさまざまな認識が以前の結びつきから切り離され、好き勝手に仕立てた体系的な衣服を、とはいえあたらしいさまざまな標題の下で着せかけることで、それらの認識があたらしい拠りどころを得ているのを見ることに、人々はもう長いあいだ慣れてきている。だから大多数の読者があの『批判』に前もって期待するのも、そうしたことでしかないのだろう。しかしながらこの『プロレゴーメナ』は、その『批判』がまったくあたらしい学問であり、これまでにだれもそうした考えを思いついたことすらないし、それについてはたんなる理念すらも知られておらず、ヒュームの懐疑が与えることのできた示唆だけは別にしても、従来与えられたいかなるものもその学問には何ら役立たなかったのだ、ということを読者に洞察させるだろう。ヒュームもまた、そのような本格的な学問の可能性についてはまったく予測しておらず、自分の船を安全な場所に移そうとして(懐疑論という)浜辺に座礁させたわけだが、彼の船はそこに横たわったままで朽ち果ててしまいかねない。それに対して私が重視しているのは、完全な海図と羅針盤を備え、地球儀についての知識から導き出された確実な航海術の諸原理に従って、船にとって適切と思える針路へ安全に導くことができるような航海士を、その船に与えることである。
他のものからまったく孤立していて類例のない、ただひとつの学問を扱うにあたって、すでに自分が獲得していると思い込んでいる知識、とはいえそのような知識の実在性こそがまずもって全面的に疑われねばならないものなのに、そのような知識を介して判定が可能なはずだ、などという先入見をもって取り組めば、おそらくは表現が似たものに見えることから、せいぜい自分がすでに知っていたものがどこにでも見て取れる、と信じる以上のことは何もなし遂げられない。すべてがたんにきわめて歪められており、不合理で、意味不明なものだと思われるにちがいないのだが、それは著者の思想ではないのであって、いつもの長年の習慣で身についてしまった自分なりの考え方だけを根底に置いて、取り組んでしまうからである。とはいえ、著作がもつ広範さと、そこでは避けられない無味乾燥さや講壇的な精確さというものは、そうした特性が論述に基づくのではなく学問自体に基づいているかぎり、ことがら自体にとっては非常に有利なものかもしれないが、書物自体にとってはもちろん不利なものであるにはちがいない。
デイヴィッド・ヒュームのように精細でありながら魅力的に、あるいはモーゼス・メンデルスゾーン(20)★のように根本的に、それでいて優雅に文章を書くことは、だれにでもできるものではない。通俗性だけでよいのであれば、私はやろうとすればそれを自分の論述に(自画自賛ではあるが)おそらく与えることもできていたのではないかと思う、ただしそれは、自分が長いあいだ従事してきた学問の繁栄を心にかけるのではなく、ある計画を立てて、その実施を他の人に推奨することだけを私が重視していた場合であれば、ということではあるのだが。というのも、もっと早くから好意的に受け入れられるという誘惑をあと回しにして、後々にはなってしまうが継続的な賛同を得る見込みを重視するのには、相当の根気と少なからぬ克己心までもが必要だったからである。
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(20)メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn, 1729-86) 一八世紀ドイツの啓蒙主義者、ユダヤ人哲学者。ベルリンを中心にユダヤ人の啓蒙と地位向上に尽力し、自由思想や科学的知識の普及などをうったえた。ドイツのソクラテスと呼ばれ、レッシング(Gotthold Ephraim Lessing, 1729-81)の『賢者ナータン』(Nathan der Weise, 1779)のモデルでもある。一七八〇年以降の、いわゆる「スピノザ論争」の当事者のひとりでもある。カントとメンデルスゾーンには「形而上学の明証性」や「啓蒙とは何か」など、共通の主題に関する論文もあり、文通での交流をもっていた。メンデルスゾーンの思想は、啓蒙や自由、理性信仰など、カントの批判哲学の背景となる大きな概念に少なからぬ影響を与えていると考えられている。作曲家メンデルスゾーンの祖父。
計画を立てるということは多くの場合、傲慢で大言壮語的な精神活動であって、自分ではできないことを要求し、自分ではどうしてもよりうまくいかないことは叱責し、どこで見つけられるか自分では知らないことを提案することによって、創造的な天才気取りになるものである。とはいえ、理性の一般的批判の堅実な計画ということだけでも、もしそれがいつものように、ただの希望的観測の宣言にとどまらないようにするつもりだったのなら、おそらく人が推量する以上の何ものかが必要となっただろう。しかし純粋理性というのは、他のものからはまったく孤立していて、それ自体の内部で一貫した連結がなされている領域なので、純粋理性のどの部分に手をつけるにしても、残りのすべての部分に触れないですますことはできないし、それぞれの部分の位置と他の部分への影響をあらかじめ決定しておかなければ、何の収穫も得られない。それというのも、われわれの判断を内部で修正できるものは純粋理性以外にはないので、それぞれの部分の妥当性と使用は、その部分が理性自体のなかで残りの部分に対してもっている関係に依存しており、有機体の肢節構造と同じように、それぞれの肢節の目的は全体がもつ完全な概念からのみ導き出すことができるからである。したがって、そのような種類の批判について言えるのは、批判が完全に、そして純粋理性の最小の要素にいたるまでなし遂げられていないかぎり、それはけっして信頼できるものではないということであり、純粋理性という能力の領域については、そのすべてを規定ないし決定するか、あるいは何ひとつ規定しないかのどちらかでなければならない、ということなのである。
とはいえしかし、たんなる計画が『純粋理性批判』に先行してしまうなら、それは理解不能で、信頼できず役に立たないものになるだろうが、逆にその計画が『純粋理性批判』の後に続く(21)★のであれば、むしろよりいっそう有益なものにもなるだろう。というのは、人はその計画を通じて、全体を見わたし、この学問において重要とされる要点をひとつずつ検証して、少なからぬことがらについて、あの著作の初版で示すことができたよりも、論述を通じてよりよく整理して提示できるようになるからである。
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(21)本書の「付録」部分で、カントは「『批判』に関して、探究する以前になされている判断の見本」と、「判断がその後に続けられるような、『批判』の探究についての提案」の二つの節を設けているが、その区分と理由がこの箇所に示されている。
さてここにある計画〔『プロレゴーメナ』〕はそのような、完成された著作の後になって、今や分析的方法に従って作成されたと言えるものだが、それは、著作そのものが、あくまでも総合的(22)★な教授法に従って作成されねばならなかったからである。
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(22)分析的(analytisch)・総合的(綜合的)(synthetisch) 一八世紀ドイツ啓蒙哲学で論証の方法論的区分としてもちいられていた概念。カントも、『純粋理性批判』の「序論(緒論)」、『プロレゴーメナ』、複数の『論理学講義』などで一般論理学および超越論哲学における「分析的」と「総合的」の区分を扱っており、とりわけ本書を含む理性批判の各著作では、該当部分の叙述がどちらの論証方法を採っているかについて、注意を促していることが多い。
そのように作成されることで、学問はその全項目を、ひとつのきわめて特殊な認識能力の分節として、その分節が自然に結合しているままに目の前に提示することになるのである。私が将来のすべての形而上学に先立つ『プロレゴーメナ』として送り出している、この計画さえもがまたもや不透明だと感じる人は、以下の諸点を考慮してみたほうがよい。すなわち、だれもが形而上学を学ぶ必要はないのだということ、根本的で深遠でもある諸学問においては、直観により近いものならきわめてうまく進められるが、純粋に抽象的な諸概念による探究では成功しそうにない、そのような才能もあるのだということ、そしてそのような場合には、人は自分の才覚を別の対象に振り向けねばならないということ、だが形而上学を判定しようとしたり、ましてや自分でひとつの形而上学を作成しようと企てるような人は、私の解決策を受け入れるという仕方であろうが、それとも根本的に論駁して別の解決策をその代わりに立てるという仕方であろうが、どちらにせよ、ここで出されているさまざまな要求をすべて満たさねばならないということ、というのもそれらの要求は拒否できるものではないのだから、そして最後に、とやかく言われることの多い不透明さ(言い立てている人自身の脳天気さや近視眼についての、よくある言いのがれではあるが)にも、それなりの意味があるのだ、ということである。他のすべての学問に関して慎重に沈黙を守っているだれもが、形而上学の問題については大家のように語り、あっさりと決断を下したりするのは、もちろんこの問題についての無知が他の学問と対比すればたしかに目立たないからなのだが、しかし真正の批判的な諸原則に対比すれば、彼らの無知はあきらかに際立つことになる。それゆえ、そうした批判的な諸原則については、次のように讃えることができるのである。
蜜蜂たちは怠惰な雄蜂の群れをその巣から追い払う。(ウェルギリウス(23)★)
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訳注
(23)ignavum, fucos, pecus a praesepibus arcent 古代ローマの詩人ウェルギリウス(Vergilius, 70-19 B.C.)の『農耕詩』(Georgica)第四巻一六八行による。蜜蜂の生活に仮託しつつ、人間の社会や政治について述べられている部分の一節。
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