弦理論は本当に世界を説明できるのか? AIなら答えられるかもしれない
機械学習を活用し、弦理論研究者たちはついに余剰次元の微視的構造が素粒子の集合へと変換される仕組みを示し始めた。ただし、まだわたしたちの宇宙に対応するものではないようだ。
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COURTESY OF KOUZOU SAKAI/QUANTA MAGAZINE
弦理論はその美しい単純さゆえに、数十年前に多くの物理学者の心を魅了した。この理論によると、空間の一部をどれだけズームインしても、粒子の群れや不安定な量子場は見えてこない。存在するのは同一エネルギーの束だけで、それらが振動し、融合し、分離している。1980年代後半、物理学者たちはこれらの「弦」がほんの一握りの方法で飛び回ることを発見した。これにより、踊る弦からわたしたちの世界の素粒子へつながる道がたどれるかもしれない、という興味深い可能性が浮上した。つまり、弦の最も深い振動から重力子が発生すると想定されたのだ。重力子とは、時空の重力場を形成すると考えられる、仮説上の粒子のことだ。ほかの振動からは、電子とクォークとニュートリノが生成される。この弦理論は、物理学の統一理論の有力な候補として「万物の理論」とも呼ばれていた。
「知るべきことのすべてが計算可能になるのは時間の問題だと考えられました」と、パリにあるソルボンヌ大学で弦理論を研究するアンソニー・アシュモアは語る。
しかし、弦理論の研究が進むにつれて、物理学者は絶望的な複雑性に遭遇した。
弦だけでなる世界からズームアウトして、粒子と力に満ちたわたしたちの世界に一歩近寄るたびに、爆発的な数の可能性がもたらされるのだ。数学的な整合性の観点からは、弦は10次元の時空で運動する必要がある。しかし、わたしたちの世界は4つしか次元がない(3次元の空間プラス時間)。そのため、弦理論学者らは、残りの6つの次元は極めて小さく、ヘチマに似た微小な形状に束ねられていると結論づけた。この目に見えない6次元形状には数兆の数兆倍の数のバリエーションがある。弦は、ヘチマの形状をつくりながら量子場の波紋に融合するのだが、この場の形成にもまた数え切れないほどのバリエーションがある。したがって、わたしたちの宇宙はヘチマ状の構造体から巨大な4次元世界にあふれ出る場の様相で構成されていることになる。
弦理論家は、弦理論のヘチマと場が実際の宇宙に見つかる素粒子の集合体の根底にあるのか否かを見極めようとした。しかし、そこにはおびただしい数の考慮すべき可能性があったし(ある計算によると、特に有力な微視的構成だけでも1万500通り)、次元と弦の特定の配置からどうやって視点を拡げることで、粒子のマクロ世界が生じる様子を観察できるのかも、誰にもわからなかった。
「弦理論は独自の予測を立てることができたのでしょうか? そもそも、弦理論は物理学なのでしょうか? 結論はまだ出ていません」と、バージニア工科大学で弦と粒子の関係について長年研究を続けてきた物理学者のララ・アンダーソンは語る。
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バージニア工科大学の物理学者ララ・アンダーソンは、カラビ・ヤウ多様体の形状を近似する機械学習アルゴリズムの開発に貢献した。
PHOTOGRAPH: COURTESY OF LAURA SCHAPOSNIKそして最近、新しい世代の研究者たちが斬新なツールを用いてこの問題に取り組もうとしている。そのツールとは、人工知能(AI)の進化を促すコンピュータープログラムとして開発されたニューラルネットワークだ。ここ数カ月で、物理学者とコンピューター科学者のふたつの研究チームが史上初の試みとして、ニューラルネットワークを利用して、特定の微視的な弦の世界からどのような巨視的な世界が生じるのかを具体的に計算しようとした。長年待ち望まれてきたこの画期的な試みにより、弦理論は本当にわたしたちの世界を説明することができるのかという、数十年前に行き詰まっていた課題に、再び命が吹き込まれた。
「これがわたしたちの宇宙のルールだと言える状況にはまだいたっていませんが」とアンダーソンは言った。「これが正しい方向への大きな一歩であることは確かです」
ねじれた弦の世界
弦理論からどのようなマクロ世界が生じるかを決める最も重要な要因は、6つの小さな空間次元の配置である。
そのなかでも最も単純な並びは、カラビ・ヤウ多様体と呼ばれる複雑な6D形状で、ヘチマの網状繊維に似ている。50年代にこの多様体の存在を予想した数学者のエウジェニオ・カラビと、70年代にカラビが間違っていることを実証しようとしたが、結局はその逆を証明したシン=トゥン・ヤウの両者にちなんで名付けられた。カラビ・ヤウ多様体は6次元空間で、物理学者にとって興味深いふたつの特徴を有している。
ひとつは、カラビ・ヤウ多様体は超対称性と呼ばれる対称性をもつ量子場を受け入れることができる点。超対称性場はほかの不規則な場よりもはるかに研究しやすい。大型ハドロン衝突型加速器を用いた実験では、マクロ世界の物理法則は超対称性ではないことが示されている。しかし、標準モデルを超えるスケールでのミクロ世界の性質はいまだに不明なままだ。弦理論家の大半は、そのスケールでの宇宙は超対称性を示すと想定している。その理由として、一部の学者は物理的な根拠を指摘している一方で、ほかの学者は数学的な観点から、そうでなければならないと考えている。
もうひとつは、カラビ・ヤウ多様体が「リッチ平坦性(Ricci-flat)」をもつ点だ。アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論によると、物質やエネルギーの存在が時空をゆがめ、いわゆるリッチ曲率を生み出す。カラビ・ヤウ多様体にはそのような曲率がない。そのためエネルギーや物質と無関係なほかの形に曲がる。リッチ平坦性を理解するには、ドーナツを思い浮かべてみよう。ドーナツは低次元カラビ・ヤウ多様体だ。ドーナツを展開して平坦なスクリーンに表示し、右端へ動かすと、あなたは左端に移動する。同じことが上と下でも起こる。
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カラビ・ヤウ多様体と呼ばれる 6 次元形状の 3次元スライス画像。さまざまな複雑な構造空間があるのがわかる。弦理論ではミクロな多様体が 4次元宇宙のあらゆる場所に存在し、わたしたちが日常経験する物理法則を決定している。
ILLUSTRATION: COURTESY OF O. KNILL AND E. SLAVKOVSKY結局のところ、弦理論の主要な目的は、わたしたちの宇宙における時空のミクロ構造を説明できるであろう適切な多様体を特定することだ。そのための方法のひとつは、妥当な「6次元のドーナツ」を選んで、それがわたしたちの目に見える粒子と一致するかを確認することである。
そのためにはまず、6次元のドーナツの適切な「クラス」を見つけなければならない。カラビ・ヤウ多様体が有する数えられる特徴(たとえば穴の数など)が、わたしたちの世界の数えられる特徴を決定づける。例えば多様体の特徴が、(わたしたちの宇宙には12存在する)物質粒子の明確な数を決定する。そこで研究者たちはまず、既知の粒子を説明するのに利用できる、数えられる特徴の組み合わせをもつカラビ・ヤウ多様体を探すことから始めた。
研究者たちは着実に前進していて、過去数年では、特に英国を拠点とする共同研究がドーナツの選び方を進化させた。研究グループは2019年と20年にさまざまな計算法から集めた知見を用いて、カラビ・ヤウ多様体のクラスを算出するいくつかの数式を特定した。これにより、グループいわく、適切な数の物質粒子を含む「大まかな」標準モデルが生み出された。これらの理論は、わたしたちには見えない長距離の力を生み出す傾向がある。それでも、英国の物理学者たちはそうした数式を用いることで、かつては困難だった計算をほぼ自動化することに成功した。
「そうした方法は驚くほど有効です」と、研究グループを式の発見へと導いたオックスフォード大学の物理学者であるアンドレイ・コンスタンティンは言う。そうした数式は「弦理論モデルの分析に必要な時間を、数カ月の計算から、数秒に短縮します」。
第2のステップはさらに困難だ。弦理論はカラビ・ヤウ多様体のクラスの分類だけでなく、特定の多様体を見つけることも目指している。研究者は、その大きさを知り、そこに含まれる曲線やくぼみの正確な位置を特定しようとする。そうした幾何学的な詳細がマクロ世界のほかのすべての特徴を決めると考えられている。例えば粒子同士の相互作用の強さや、粒子の正確な質量などだ。
この第2ステップを完了するには多様体にまつわる数字、つまり、多様体内の任意の2点を選んでその距離を測定する関数を知る必要がある。よく知られている測定法は、2次元平面の幾何学を計算するピタゴラスの定理だ。しかし、より高次元で曲線を含む時空へと移行すると、幾何学計算の量が増えて、より複雑になる。物理学者はアインシュタインの方程式を解き、4次元世界におけるブラックホールの回転を計算することには成功した。しかし、6次元空間の計算の難しさはその比ではない。「それこそが、物理学者にとって最も悲しい出来事のひとつです」。そう説明するのは、インペリアル・カレッジ・ロンドンの物理学者、トビー・ワイズマンだ。「数学は非常に巧妙ではありますが、実際に方程式の解を出すとなると、かなり限界があるのです」
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エウジェニオ・カラビ(右)は、ある種の対称性と数学的平坦性を備えた形状の存在を推測した。シン=トン・ヤウ(左)はカラビの誤りを証明しようとして、結局はカラビの説が正しかったことがわかった。いまでは、カラビ・ヤウ多様体は、弦理論で重要な役割を果たしている。
PHOTOGRAPH: COURTESY OF JEAN FRANÇOIS DARS00年代前半、ハーバード大学のポスドクだったころ、ワイズマンはカラビ・ヤウ多様体の「神話的な」数式に関するうわさを聞いた。この関数の存在を証明したヤウはフィールズ賞を受賞したが、実際に計算できた者はいないという。当時、ワイズマンはコンピューターを用いて、辺境にあるブラックホールを取り囲む時空の数値を計測していた。そして、もしかすると、コンピューターならカラビ・ヤウ時空の式を解けるかもしれないと考えた。
「みんな、それは不可能だと言いました」。ワイズマンは語る。「そこで、わたしは優秀な弦理論家であるマシュー・ヘドリックと組んで、本当に不可能かどうか確かめてみたのです」
ピクセル化された多様体
ワイズマンと(ブランダイス大学の)ヘドリックはカラビ・ヤウ計量が真空におけるアインシュタイン方程式を解くことになると確信していた。この条件を満たす数値は、時空がリッチ平坦性をもつことの証拠となる。ワイズマンとヘドリックは実証の場として4つの次元を選んだ。05年、高校の数学で教えられるような計算方法を活用して、ふたりは4次元のカラビ・ヤウ計量の概算に成功した。あらゆる点で完全に平坦ではないが、それに近い値が得られた。たとえるなら、ごくわずかなへこみがあるドーナツだ。
同じころ、インペリアル・カレッジの著名な数学者であるサイモン・ドナルドソンも数学的観点からカラビ・ヤウ計量を研究し、概算を得るために別のアルゴリズムを考案した。アンダーソンら弦理論家はそうした方法を用いて計算を試みたが、手順には長い時間がかかり、多くの凸凹があるドーナツができあがったため、正確な粒子の予測にはいたらなかった。
こうして、第2ステップを完了する試みはほぼ10年にわたって断念されてきた。しかし、研究者が弦理論の第1ステップやほかの問題に集中するさなか、関数を近似する新技術として、ニューラルネットワークがコンピューターサイエンスの分野を席巻した。ニューラルネットワークが膨大な数のグリッドを調節し、未知の関数に代用できる数値を導き出すのだ。
ニューラルネットワークは、画像内の物体を認識したり、発話音声を別の言語に翻訳したり、人間が行なう最も複雑なボードゲームを習得できるほどの性能を手に入れた。AI企業DeepMindの研究者がAlphaGoのアルゴリズムを開発し、16年に囲碁で人間の最高峰プレイヤーに勝ったとき、ファビアン・ルールは関心をもった。
「囲碁の世界チャンピオンに勝てるのなら、それは数学者を、あるいは少なくとも、わたしのような物理学者を打ち負かすことはできるはずだと考えたのです」と、現在ノースイースタン大学に勤務するルールは言う。
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ノースイースタン大学に在籍する物理学者のファビアン・ルール。ボードゲームで機械が人間に勝てる能力に感銘を受け、同様のアルゴリズムで弦理論における6次元多様体の形状を計算できるのではないかと考えた。
PHOTOGRAPH: COURTESY OF FABIAN RUEHLEルールと共同研究者たちはカラビ・ヤウ計量の近似という古い問題に取り組むことにした。アンダーソンらも、第2ステップを克服する目的で、以前の方法を見直した。そして、物理学者らはニューラルネットワークが以前の方法に欠けていたスピードと柔軟性をもたらしてくれることに気づいた。アルゴリズムは数値を推測し、6次元空間内の何千もの任意の点における曲率をチェックし、多様体の全域において曲率が消えるまで推測を繰り返して調節することができた。研究者がしなければならないのは、無料で入手した機械学習パッケージの調節だけだ。2020年時点で複数のグループがカラビ・ヤウ計量を求めるためのカスタムパッケージをリリースしていた。
計量を得ることができれば、物理学者はついに各多様体に対応する大きな宇宙のより微細な詳細を考察できるようになる。「測定基準を手に入れたあと、最初にわたしがやったのは、粒子の質量計算でした」とルールは語った。
弦からクォークへ
21年、ルールはアシュモアと協力して、カラビ・ヤウの曲面にのみ依存するエキゾチックな重粒子の質量を算出した。しかし、仮定上の粒子は検出するには質量が大きすぎる。弦理論家が何十年も試みてきた、電子のような身近な粒子の質量を計算するには、機械学習を利用する者がもっと多くの努力をする必要がある。
軽量の物質粒子は、空間全体に広がるエネルギー場であるヒッグス場との相互作用を通じて質量を獲得する。特定の粒子は、ヒッグス場との干渉が増えれば増えるほど重さを増す。それぞれの粒子がどの程度ヒッグス場と相互作用するかは、それがもつ湯川結合定数と呼ばれる物理量で表される。弦理論では、湯川結合定数はふたつの要素で決まる。ひとつは、ドーナツのような形をしたカラビ・ヤウ多様体の数値。もうひとつは、(弦の集合として生じる)量子場がどう多様体全体に広がるかだ。この量子場は、たとえるならドーナツに振りかけるトッピングに似ている。その配置はドーナツの形によるが、ある程度は自由でもある。
ルールら研究者は、ドーナツの形を得られるソフトウェアパッケージをリリースした。最後のステップは、トッピングを得ること。そしてここでもニューラルネットワークが有効であることが明らかになった。24年初め、ふたつの研究チームがすべてのピースをつなぎ合わせた。
まず、ケンブリッジ大学のチャレンジャー・ミシュラが率いる国際共同研究チームが、自作のニューラルネットワークを使って、ドーナツ自体の形状を計算した。その後、独自のアルゴリズムを追加して、量子場がドーナツにまぶされたトッピングのように、多様体を包むように拡がる様子を計算した。重要なのは、彼らが場の幾何学と多様体の幾何学が密接に関連している文脈で計算に取り組んだ点だ。そのため、別の方法を用いて湯川結合定数が計算できた。これは初の試みだった。このグループが結合定数を両方の方法で計算したところ、結果は一致していた。それどころか、彼らが発見した結合定数は、標準模型の未解明の特徴である粒子の質量の差異を示唆していた。
「人々は、わたしが生まれた80年代よりも前から、これをやりたいと願ってきたのです」とミシュラは言う。
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オックスフォード大学の物理学者アンドレイ・コンスタンティンは、多数の機械学習アルゴリズムを使って、弦理論の特定の事例において、基本粒子の正確な質量を計算した。
PHOTOGRAPH: COURTESY OF THE ROYAL SOCIETY弦理論のベテランであるペンシルベニア大学のバート・オヴルートとオックスフォード大学のアンドレ・ルーカスは、さらにその先を行く。ふたりはルールの計量ソフトウェアを利用した。そのソフトウェアの開発には、ルーカスもかかわっていた。ソフトウェアを基礎として、ふたりはさまざまなタイプのトッピングに対処するために、11のニューラルネットワークの配列を追加した。これらネットワークのおかげで、両者は多様な形をとるさまざまな場を計算し、ほかの方法では不可能なほど現実的なセッティングを創造できた。機械の集団が場の数値と配置を学習し、湯川結合定数を計算し、3種類のクォークの質量を導き出した。それを6つの異なる形をしたカラビ・ヤウ多様体に対してやってのけたのだ。「これほどの精度で計算できたのは、初めてです」とアンダーソンは説明する。
これらカラビ・ヤウ多様体はわたしたちの宇宙を構成しているものではない。なぜなら、クォークのふたつは同一の質量だが、わたしたちの世界の6種類のクォークは3段階の質量をもつからだ。この結果はむしろ、機械学習アルゴリズムを用いることで、物理学者はカラビ・ヤウ多様体から特定の粒子の質量を特定できるという考え方の正しさを証明している。
「これまでは、そのような計算ができるとは考えることすらできませんでした」と、オックスフォード大学を中心とする研究グループのメンバーであるコンスタンティンは語る。
待ち受ける大きな課題
ニューラルネットワークでは、複数の穴があるドーナツの計算で行き詰まってしまうが、研究者らは、最終的には数百の穴をもつ多様体の研究にたどり着きたいと考えている。またこれまでのところは、研究者は単純な量子場だけに目を向けてきた。標準モデルを確立するには、「もっと洗練されたニューラルネットワークが必要になるかもしれません」とアシュモアは指摘する。
より大きな課題が待ち受けている。弦理論の解のなかに粒子物理学を見つけようとするのは、もし本当にそこに存在するのならの話ではあるが、数のゲームだと言える。トッピングの振りかけられたドーナツを多くチェックすればするほど、答えが見つかる可能性が高まる。これまでの数十年にわたる努力の結果、弦理論はようやくドーナツ形状をチェックして現実と対比させることができるようになった。現実とは、つまりわたしたちが観察している素粒子の質量と相互作用のことだ。
しかし、どれほど楽観的な理論家であろうと、運だけで答えを見つけられる可能性は限りなく低いことはわかっている。カラビ・ヤウのドーナツの数だけでも、無限である可能性がある。「システムを巧みにコントロールする方法を学ばなければなりません」とルールは言う。
方法のひとつが、何千ものカラビ・ヤウ多様体をチェックして、探索の道しるべとなる可能性のあるパターンを見つけ出すことだ。例えば、多様体をさまざまな方法で伸ばしたり縮めたりすることで、物理学者はどの形がどの粒子につながるのか、直感的にわかるかもしれない。「本当に好ましいのは、特定のモデルを観察して、強力な推論を立てることです」と、アシュモアが説明する。「そうすることで、われわれの世界にとって適切なモデルにたどり着くのです」
オックスフォード大学のルーカスらはこの種の探索を始めるつもりで、最も有望なドーナツ形状を突き止め、そのトッピングをいじり回しながら、クォークの現実的な集団を生み出す多様体を見つけるつもりだ。コンスタンティンは、これからの数年で、残りの既知粒子の質量を再現する多様体が見つかると確信している。
しかしほかの弦理論家たちは、個々の多様体を精査するのは時期尚早だと考えている。ルーヴェン・カトリック大学のトーマス・ファン・リエは弦理論家として「スワンプランド」研究プログラムに参加し、ほかの力に比べて極端に弱い重力など、数学的に整合する弦理論の解のすべてに共通する特徴を見つけようとしている。ファン・リエと研究仲間らは、特定のドーナツ形状とトッピングについて考えるよりも先に、広い範囲の弦の解、つまり、可能な宇宙(possible universes)をまず除外することを目指している。
「機械学習を利用しようとするのはいいことです。きっとそのうち必要になるはずですから」と指摘したうえで、ファン・リエはこう続けた。でもまずは「その根底にある原則あるいはパターンについて考える必要があります。研究者が知ろうとしているのは、詳細です」
標準モデルを超える新たな物理現象
物理学者の多くは、弦理論に背を向けて、別の量子力学理論へと鞍替えした。そして、最近の機械学習の発展をもってしても、その人たちが弦理論に戻ってくる可能性は低い。オランダのラドバウド大学の物理学者、レナーテ・ロルは、本当に世間をあっと言わせるには、弦理論家は標準モデルを超える新たな物理現象を予測し、それを証明する必要があるだろうと語る。「それは干し草の山のなかから針を探すようなもので、たとえ標準モデルを再現できる確固たる定量的証拠が見つかったところで、そこから何が学べるのか、わたしにはわかりません」。そしてロルはこう続けた。「この研究を興味深いものにするには、何か新たな物理学的予測が必要でしょう」
実際、機械学習を応用する物理学者の多くにとって、新たな予測を打ち立てることは究極の目標だ。学者らは、わたしたちの宇宙と一致する各種ドーナツには共通点があるという観点からも、弦理論がかなり厳密であることが証明されるのを期待している。例えば、そうしたドーナツにはさまざまな新種の粒子が含まれていて、それらが実験のターゲットになるかもしれない。だがいまのところは、それらは純真な願望に過ぎず、現実はまったく違う可能性もある。
「弦理論は素晴らしい理論で、弦理論家の多くも素晴らしい人たちです。しかし、宇宙に関して発表してきた質的に正しい主張の数々は中身に乏しく、ゴミ同然です」と、ニュージャージー州プリンストンにある高等研究所で理論物理学者として活動するニマ・アルカニ=ハメドは指摘する。
結局のところ、弦理論に何が予測できるのか、誰にも分からない。いままさに、ニューラルネットワークの力を利用して、弦の6次元のミクロ世界を粒子の4次元のマクロ世界と結びつけようとしている弦理論家たちが、いつかその答えを見つけるかもしれない。
「数多くの弦理論が自然となんの関係もないことは間違いありません」とアンダーソンは言う。「問うべきはむしろ、自然と関係している弦理論がそもそも存在するのかということです。答えはノーかもしれません。でもその答えを見つけるためにも、この理論を推し進めるのは興味深いことだと思います」
※本記事は、サイモンズ財団が運営する『Quanta Magazine』(編集については同財団から独立)から許可を得て、転載されたオリジナルストーリーである。同財団は、数学および物理・生命科学の研究開発と動向を取り上げることによって、科学に対する一般の理解を深めることを使命としている。
(Originally published on Quanta Magazine, translated by Kei Hasegawa/LIBER, edited by Miki Anzai/Michiaki Matsushima)
※『WIRED』による物理の関連記事はこちら。
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弦理論から派生した予想によると、ダークマターはいまだ発見されていない余剰次元のなかに潜んでいるという。その考え方に正当性があるのかどうか、科学者たちは競うように検証を始めている。
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