2025年8月25日月曜日

日本航空123便墜落事故について質問です。なぜ、経済アナリストの森... - Yahoo!知恵袋

1回答 日本航空123便墜落事故について質問です。 なぜ、経済アナリストの森永卓郎をはじめとして、護衛艦「まつゆき」ミサイル誤射説を信じるバカが存在するのでしょうか? 護衛艦「まつゆき」が海上自衛隊に引き渡されたのは1986年8月19日です。 墜落事故当時、護衛艦「まつゆき」は、建造した石川島播磨重工業東京1工場の管理下にありました。 つまり、事故当時、護衛艦「まつゆき」には、ミサイルはおろか、拳銃弾1発すら搭載されていません。 しかも、墜落事故当日、護衛艦「まつゆき」は石川島播磨重工業東京第1工場の岸壁に機関を完全に停止した状態で1日中係留されていました。 護衛艦「まつゆき」は、墜落事故翌日の8月13日午後、石川島播磨重工業東京第1工場従業員の手により、相模湾でエンジン性能を確認するための海上公試を行っています。 仮に、この海上公試でミサイルを搭載して誤射してしまったとして、8月13日午後に発射したミサイルを、どのような方法で前日の8月12日に相模湾上空を飛行中の123便に命中させたのでしょうか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13297167693

宝塚プレシャス: 2007年春の御巣鷹行

宝塚プレシャス: 2007年春の御巣鷹行

2007年春の御巣鷹行

 今年もまた5月の12日に、春の御巣鷹慰霊登山を無事すませることができた。
 10日の夜から吹き荒れた強風は11日の朝になってもおさまらず、ちょっと心配だったが、とりあえず午後には止むという天気予報を信じて、風のなか家を出る。

 今回は、都内で由美ちゃん(吉田由美子)のお父さんの俊三さんが運転する車にピックアップしてもらうことになり、JR新宿東口で落ち合う。金曜でやや混雑気味の新宿だったが、なんとか無事に会うことができた。車中にはお母さんの公子さん。そして私を乗せ、車は都心部を抜けて、上信越自動車道を北へと向かう。

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由美ちゃんの墓石。両脇に水仙がみごとに咲いていた

 お2人と会うのは去年の秋以来で、お互いの近況報告で盛り上がる。ご両親の旅行の話はいつも面白い。それぞれ勝手に世界各国に出かけていくそうで、公子さんは昨年ポルトガルに行ってきたという。その旅で、焼きたてのイワシを日本の添乗員さんが用意したポン酢で食べた話は本当に美味しそうで、イワシのためだけでもポルトガルに行きたくなる。
 俊三さんは、1月に沖縄でスキューバダイビング。好奇心が強くてどれも玄人の域まできわめてしまうからすごい。そんな話のなかで、いつも当たり前のように出てくるのが、「由美子はこうだった」とか、「由美子のときは」という言葉。両親の話にはいつだって由美ちゃんが参加しているのだ。

 心配した風は、予報通り午後になったら静かになった。暑いくらい明るい陽ざしの中を、妙義山を横に見ながら下仁田を通り、湯の沢トンネルへ。4年前にできたこのトンネルのおかげで、峠越えに1時間かかっていた上野村までの道のりが、35分に短縮された。トンネルを抜けるともう上野村で、山道を少し上がっていくと、今夜の宿舎やまびこ荘に着く。

 やまびこ荘はおしゃれなペンション風の国民宿舎で、木工細工のインテリアがあちこちに置かれて木の香が漂ってくる。天然の温泉があり、食事は食べきれないほど多くて美味しい。そしていちばんの贅沢は、ゆったりとした時間の流れで、その穏やかさにひたっていると、日頃の不摂生がたたってすぐ睡魔がおそってくる。お2人に早々に「お休みなさい」と挨拶して自室に戻りベッドにもぐり込むと、あっというまに気を失っていた。

 明けて12日。気がつけば朝7時で、なんと8時間も寝てしまった。いつも睡眠時間4~5時間で必ず目が覚めるのに、やっぱり清々しい空気と山の静けさが神経を解きほぐすのだろう。
 急いで食堂へ行き、朝ご飯もまたしっかり食べる。地元の十石味噌を使ったおみそ汁や味噌漬け、特産品の舞茸やコンニャクの煮物が温かいご飯とよく合う。食後のコーヒーをいただいているところに、今日の慰霊登山に加わる予定の草野陽花さんが現れた。昨夜東京を出て、深夜3時に上野村に到着、車の中で仮眠していたという。

 陽花さんといっても女性ではない。知る人ぞ知る気鋭の若手監督で、宝塚ファンのかたならご存じの演出家、草野旦さんのご子息だ。たまたま「由美子へ」の映画化の話が、出版社から陽花さんと仲のいいプロデューサーのもとに持ち込まれ、監督は彼がいいのではと話が進み、映画化の実現に向けて力を貸してくれることになったのだ。宝塚に入ったばかりの由美ちゃんが、本公演で一気に注目を浴びることになったのが、草野旦演出作品『サン・オリエント・サン』。それを思うと、縁のある人がまた目の前に現れた。これも由美ちゃんの引き合わせなのだろう。

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開花したシャクナゲ。今年はまだ蕾の方が多かった

 8時半、御巣鷹へ向けて出発。幸い風はなく、さわやかな朝の光が新緑をキラキラと輝かせている。若葉の柔らかな色だけでも十分美しいのに、そのあいだにいろいろな花が顔を出している。野生の藤は群生しているし、黄色のれんぎょうや紅いサツキが道ばたを彩っている。何よりも嬉しいのは、ここには桜がまだ残っていることだ。
 最初の年に、このあたりの名物シャクナゲと山桜が一緒に咲いているというぜいたくな風景を見てしまってから、春の山行きには桜を期待してしまう。今年は暖かかったから、もう終わってしまったかなと心配していたら、宿舎のそばの木が何本も満開になっていて「待っててくれたんだ!」と勝手に嬉しくなってしまう。

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新しい登山口。ここまで車が入る。手前が草野さん、遠くの赤い帽子が私

 約20分くらい神流川(かんながわ)に沿って車で上っていくと、新しい登山口に着く。この登山口は去年完成して、それまで1時間以上かかっていた登山距離が約40分ほどに縮まった。急勾配で木の根や石ころが多い山道だけに、この短縮はとてもありがたい。けれど事故当時、遺族にとってそこがいつも事故現場を見返る場所だった「見返り峠のお地蔵様」も、車で通り過ぎてしまうことになって、それがちょっと残念。

 登山口に着いて、いよいよ山登りスタート。草野さんもちゃんと山登りの装備で固めている。よく聞いたらTVのドキュメント番組撮影のために富士山に12回も登ったという大ベテランだった。

 登山はマイペースが大事で、山歩きに慣れているご両親は、ゆっくりゆっくり同じペースで歩き続ける。私は「急勾配は一気にクリア、踊り場で一休み」タイプなので、先に登っていく。久しぶりの山なので最初は息が上がるが、10分もすると体が慣れてくるのがわかる。鶯の声を聞きながら新緑の中を登っていくのは、シンドサよりも楽しさが先に立ち、気候のよさもあってどんどん歩けて、気がつけばもう中間地点の山小屋に着いていた。山小屋は村が管理していて、トイレや休憩所がついているし、水場もある。一息入れ、飴を口に放り込んで、さあ出発。ここまで来たら昇魂の碑(激突地点)まではあと20分もない。気合いを入れて再び歩き始める。

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スゲの沢下流の登山道を行く草野さんと、吉田公子さん

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登山道のそばの沢は、今年は水が少なかった

 山桜は、昇魂の碑のそばにもたくさん咲いていた。茶色の柔らかい葉と八重の花びらがぎっしりと豪華だ。昇魂の碑の作られている場所は、御巣鷹の尾根の先端部分なので、周囲の山々が一望に見通せる。向かいの山の日陰にはほんの少し白い雪も残っていて、標高約1600mのこの尾根の気候の厳しさを改めて知らされる。

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昇魂の碑。鐘は見えないけれど左にある

 昇魂の碑のそばにある鐘をつき、碑の前で、ここに眠る520の御霊に、「また来させていただきました」と挨拶をする。この連休にたくさんの遺族が訪れたらしく、小さな鈴つきの短冊が、そばの木枠にたくさん結びつけられていて、風が吹くとまるで風鈴のように美しい音で鳴り渡る。昇魂の碑をあとにして、また10分ほど歩くと、いよいよ由美ちゃんの墓標にたどり着く。

 由美ちゃんの墓標は目立って華やかだから、遠くからでもすぐ見分けられる。色とりどりのドライフラワーが飾りつけられているせいもあるが、ご両親が来るたびに植える苗のどれかが、必ず花を咲かせて待っているのだ。今年は水仙がちょうど満開で、白、黄色、どれもみごとに花盛りだ。

 墓標に着いたらいつも通り、まずは周辺のお掃除。枯れ葉を片づけ雑草を抜き、運んできた水で石碑を清める。それから空いている場所に新しい苗を植えるのだが、その植苗用に、お父さんはなんと15キロの堆肥入り腐葉土をリュックに入れてきていた。これを背負って登ってきたなんて、本当にタフというか…! 草野さんも苗植えを手伝っている。ガーデニングも好きだということで、手際もいい。

 一仕事したらお茶の時間になる。あまり働かない私が、いちばん最初に甘い物に手を出す。もともと甘い物好きなうえに、山の空気と山登りのおかげでひときわ美味しく食べられる。お父さんはCDプレイヤーを取り出して(どれだけ背負ってきてるんだ…)、大好きな「千の風になって」を流している。歌手は中国の崔宗宝さん。2年前からお父さんは彼のこの歌に引きつけられて、追っかけをしているのだ(!)。今年は北京ツアーも計画しているとかで、崔さんとともに中国に旅行できるのが楽しみだという。

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由美ちゃんの墓標の前のご両親(俊三さん・公子さん)

 ひととき、由美ちゃんのお墓のそばで休んだあと、お線香を消し、お供物を片づけ、それぞれに別れを告げ、下山を始める。山は下山のほうが脚には意外と負担が大きい。細心の注意で下っていかないと、足を取られて転倒する。私も下り道では何度も転んでいて、今回もまたズルッとすべり、したたかにお尻を打ってしまった。

 山を下る途中の、スゲの沢の墓標群のあるところに、今回もたどり着く。今年はここの山桜も満開で、ピンクのベールのように墓標の群を覆い、薄桃色に空を染めている。草野陽花さんは、もちろん初めてここを見たわけで、言葉を失ったままじっと佇んでいる。美しい春に来ると、そのはかなさや無残さもひとしおで、この季節に訪れたからこそ感じる無常感のようなものに胸を打たれてしまう。「ここにくると本当によくわかりますね」と草野さんが低い声で一言つぶやいた。

 スゲの沢をあとに少し進むと、再び休憩所の山小屋にたどり着く。小屋番のご夫婦がいて、コーヒーをいれてくれる。上野村で電気関係の仕事をしながら、毎日陽のあるうちは小屋に来て、ついでに山中を見まわり、下草刈りや枝刈りをしてくれているのだ。山深いところなのに、墓標が草にも隠れず、歩く道も整えられているのは、こういう人たちのおかげで、本当にありがたいと思う。

 山から下りたら、地元のおそば屋さんに寄って、美味しいおそばをいただく。名物の舞茸などを揚げた天ぷらそばは、すごいボリュームなので、私とお母さんは揚げ茄子のおろしそばを注文。それでもなかなかの量でお腹がいっぱいになる。

 ここで帰京ルートが分かれる草野陽花さんと、一応お別れの挨拶をする。楽しい同行者で、本当によい慰霊登山ができたことに感謝し、映画化についても「気長に、でもがんばって実現させてください」とお願いする。
 由美ちゃんは、映画女優としてもまだスタートを切ったばかりだった。1本だけ、それも脇役での出演しかなかった。映像という世界が、彼女を別の形でヒロインにして再生させてくれるなら、どんなに喜ぶことだろう。その日が、そんな遠くないうちに、本当にやってくることを心から祈っている。(文:榊原和子/写真:吉田俊三氏、両親の写真は草野陽花氏)

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『由美子へ・取材ノート』は、ブログ『宝塚プレシャス』でその一部を紹介しています。全文は会員サイト『宝塚プレシャス』でお読みいただけます。

《関連情報》
『由美子へ・取材ノート』について⇒

《バックナンバー》
もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
第1章 見果てぬ夢
第2章 誕生と家族
第3章 体操する少女
第4章 宝塚との出あい
第5章 宝塚音楽学校
第6章 娘役北原遥子
第7章-1 舞台1981~1982

慰霊登山・・・そして「大蛇倉山」「高天原山」「三国山」縦走登山ラスト♪ - Wisteria'Room

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###40年目の可愛らしい尾根へ【御巣鷹の尾根:上野村】### | ぺんぎん・おおかみ学会

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###40年目の可愛らしい尾根へ【御巣鷹の尾根:上野村】###

2025年8月8日(金/カレー曜日)御巣鷹の尾根

もぅ、8月12日の直前だからか、すんげぇ~人の数。

(→いやっ、でも、その人の大半は…)

早々に小っちゃく狭くなりすぎた駐車場に着いたから良いものの、

後続車(者)は200m程度下った下の駐車場しか停められない。

下の駐車場って、駐車場と言うより路肩だけど…

もぅ、覚えている方が少なかったやもなので、記憶喚起としまして、

台風19号被害前の(上の)駐車場の写真を…

(上の)駐車場だけで7台は停められた。

1台は黒澤さんの軽トラックだけど…

現在は写真の奥に写っている(下の)駐車場だけ…5台分くらい停められるけど…

そんな感じの皆様が停めるので、「黒澤さんの車の前に停めて良いんだっけ!?

という荒業をしようとして制止させられるのがオチになる流れ…

尚、群馬県上野村は、なっかなかの陸の孤島すぎる上に、

村の中心地からスリムなあなっぼこだらけの村道を走ってまいります。

(→"村道"というご都合上、8月12日直前になると、道路の穴埋め作業や、

あんなこんなをしやすくなりますが…さすが上野村さん…その他(→ココ重要))

あぁ、白馬大雪渓の猿倉荘までの道を想像して頂けると分かりやすいかも。

それに、絶え間なくコロコロと落ちて来る落石が加わるくらい。

燕岳の登山道である中房温泉への道なんざ、広すぎるくらいに感じます。

08:35現在

まさかの40℃ガーン

って訳が無く、24℃くらいぢゃった

気温計を直射日光に当てないようにねぇ~

未だにどのようなカウント方法なのか分からん

年々パイプが増えている気がしてならない

この手前の登山道のど真ん中でショベルカーが作業をしていて、

跳ね飛ばされそうになったんですけど…

大丈夫なん、工事関係者の皆さんの安全管理ってうーん

これは、重大インシデントになりませんのんうーん

この辺り、スッキリ、サッパリした気が…

前を管理人の黒澤完一さん(82歳)と登山道整備の皆さんが上がっておりましてっと…

黒沢さん、あと50年は管理人を勤められるっくらいの体力がありますわ。

後期高齢者が御巣鷹の尾根の管理人ってのも時代を反映してますなぁ(白目)。

80歳以上は自動車運転免許証を返納しろ、

80歳以上は山に登るななどと、数字だけを拠り所に判断しかできない、

思考停止状態の国民の皆さんは、このスーパー後期高齢者の姿を

ほんのちょっとご覧いただけると、価値基準が変わる…かもしれません。

まずもって、年間を通じ御巣鷹の尾根に来る7割くらいが日本航空関係者。

他2割前後が公安系公務員、教育関連(現職、元職含む)、

1割ちょっとは正体不明で、最後の0.1割が乗客のご遺族

まぁ、一瞬で日本航空関係者と見て分かりますが、

なぜかにつきましてはブログに記載いたしません。

みんな、フツーの服装をしているのにね。

分からない方はもうちょっと観察眼を付けないと、チコちゃんに叱られます注意

あっ、上から下までガッツリトレッキング(登山者)仕様の方を見掛けますが、

興味本位やら、お参り(→この日、久々に聞いた単語)で来られた方かと思われます。

トイレが綺麗になってるぅ。

いやぁ~、前は凄いトイレで、近寄りがたかったのに、綺麗な簡易トイレになっとる。
もしかして、8月12日前後だけなのかしらんうーん

休む回数が多いのに比例して、写真の枚数も増えるという…

こんなに階段が続いてましたっけアセアセ

年々階段祭りになってますが、昔のような登山道の方が歩きやすかった気がしますにゃ。階段は太腿への負担が大きすぎますにゃ。
以前のような登山道だったら、足をひきずってでも、匍匐前進でも上がれましたのに…

こんなに階段が続いてましたっけアセアセ

もぅ、小刻みな階段が太腿にダメージを食らわしてくれちゃいまして、

昔のような"ただの道"の方が、段差が無くて、足を引きずろうが、

匍匐前進だろうが進めた気がしますが…

どこぞの山(山道)でも、気を利かせて階段にしちゃったら、

まぁ、登りにくくなったりしている所もありますし(複数形)

階段にすることに賛否否否否否が分かれる所でしょうねぇ。

→圧倒的に"否"の漢字が多いのは気のせい…

この時は、鏡平山荘、三俣山荘のキャンセルをいつしようか、

帰宅後早々にしようかしか脳裏を巡らしうずまき

結局、キャンセルしちゃいましたが…

御巣鷹の尾根に引導を渡された僕タン。

昇魂之碑前に着きまして…日陰のベンチに座っているのでこの角度

U字溝方面…日向には出ないよ

なんだか、体調激悪になったなぁ~ガーンショックガーン

立ち眩みはするし、意識が遠のきそう…うずまき

そうはいっても、一礼せねばなりませんで…

標高1,500mは長野県ですと…上高地、奥志賀高原、御射鹿池、女神湖…

えぇ~っと海抜1,539m

駐車場の所が1,359mでしたので、高低差2,898mを上がってきたことになりますね。→なぜ足し算をする…夏休みの宿題をしている小学生にシバかれるわアセアセ

違うか、180mか…

ちょっと、ちょっと、ちょっと、180mしかありませんのんうーん

途中、3回程太腿がプルプルいって、ふくらはぎはパンパンで、

両肩は脱臼しそうな勢いだったのに…→どんな身体をしてんだよ

北アルプスの主稜線までの高低差って50mでしたっけうーん

鷲羽岳/鷲羽池、キャンセル決定ですなぁ~ガーンショックガーン

もぅ、わさび平小屋まで到達できるかも危うい…

→自動車で行かれる道だし…(岐阜県警さん出番ですよ)

雪の影響でか、傾いたのを直したみたいよ。

0900頃はベンチは日陰の中

あっこのベンチでしばらく休んで…ここからが核心

ベンチ各駅停車は続き…

めまいと立ち眩みが酷くなってきたので、

「南無不動明王」と不動明王のご真言を唱えまくりで…

何かに憑りつかれたくらいの勢いで体調不良になったうずまきお清めの塩を忘れたし…

いつだか、質問メッセージが来ましたが、

その数字とアルファベット、カタカナの組み合わせは、

区画を現わしており、〇〇さんの墓標は2Aね…など、説明しやすくなってます。

チラっ目

左上にトンボが留まって(→多分、この漢字)おる…

一本カラ松(カタカナバージョン)

別角度からの一本唐松(漢字バージョン)

きっと、どこかに三国山が…(わからん)

撮影日:2025.7 羽田→くまモン路線

いっつも、スズメバチを始めとする蜂の攻撃をかわしているのですが…

今年も刺されんで済んだわ。不動明王様のご真言のおかげ、

天台宗のおかげ→そういう時だけ信じて頼る人キラキラキラキラキラキラ

サッポロビールは箱根駅伝のCMで見るくらいになっちゃった。

運航乗務員:
機長:高濱雅己さん
副操縦士:佐々木祐さん
機関士:福田博さん

本年、航空機に搭乗するにあたり、いつものごとく機材不具合、

あるいは到着便の遅れによる出発便の遅延などがありました。

今般の東京国際空港 羽田の過密化を鑑みれば、羽田発着の航空便の遅延は想像に難くなく、それは、日本航空の責というよりも、国土交通省、あるいは永田町(国会議員)の利便性の追求と己が利害関係に帰するものが大きいと考えます。

また、読書灯などの機材不具合に再三に渡り遭遇いたしましたが、

運航(飛行)に影響が出ない範囲で、

たとえ、ポンコツ航空と言われようとも、慢性遅延航空会社と言われようとも、

この御巣鷹の尾根遭難事案以降、乗客に(航空機事故による)死者が出ていないのは、

日本航空として、JALとして、おJAL丸として、鶴丸として、

そして、我が国のフラッグシップとして胸を張れることと感じております。

【機械は壊れる、人は間違える】
この大前提の元、気付いた時点で、修正をすれば良いだけですから…

ねぇ~…可愛い…

自衛艦旗(ちっこいやつを持って来ちゃった)揚げ方10秒前

ぱっぱぱっぱかぱぁ~ルンルン

ぱぁ~ぱぁ~(割愛)

8月15日に靖国神社で旧日本軍の軍服を着て、

なんやらされている方々がおりますが、世界コスプレサミットだかで、

半ケツのおねぇ~ちゃんとやっていることは変わりません。

私人が(旧日本軍と言えども)軍服を着て、公の神社仏閣に訪問する時点で、

英霊を冒涜するものであります。

そういえば、高濱さんは海上自衛官時代、対潜哨戒機の操縦士だったので、

当時の事(階級など)は分かりませんが、おそらく幹部自衛官だったでしょうから、

江田島の海上自衛隊幹部候補生学校を出られたって事かしらんうーん

本年7月の羽田→くまモン路線飛行機アセアセ機内からの

みんなの母校を…(表現が雑になっとる)

客室乗務員の墓標を巡りましてっと

波多野純さん(/`・ω・´ )

藤田香さん(/`・ω・´ )

先日、読売新聞デジタルに記事が出ておりました、一部抜粋いたします。

日本航空機墜落事故では、乗務員15人も犠牲となった。一般企業からの転職を経て、念願の客室乗務員となった藤田香さん(当時28歳)もその一人だ。

航空会社トキエアで操縦かんを握る、いとこの田中栄(ひさし)さん(58)は、

乗客に寄り添い続けた姿を追い、機長として空の安全を守ってきた。

――香さんはどんな人だったのか。
 年齢は10歳上で、いつも華やかな自慢のいとこでした。実家同士が近く、香ちゃんが帰省する度に会いに行っていました。「仕事が楽しくてしょうがない」といつも話していたのが印象に残っています。夢をかなえること、仕事を生きがいにすることに憧れるようになったのも香ちゃんの影響が大きかったです。…と。

木原幸代さん(/`・ω・´ ) 大野聖子さん(/`・ω・´ ) 吉田雅代さん(/`・ω・´ )

宮道令子さん(/`・ω・´ ) 赤田真理子さん(/`・ω・´ )

写真の焦点が合ってないだろー!!と叱られる対策で…赤田さん側からも…

白拍子由美子さん(/`・ω・´ )

可愛い…

昇魂之碑前を通り下ります

下りは1秒も立ち止まらずに、一気に下るという…

もちろん、体調復活→ただ疲れていただけぢゃん。

見上げれば澄んだ勿忘草色

綿菓子のような雲がただひとつ

静かに流れていきます

言葉数は足らないあなたでしたが、

渡せるようにと繋いできたもの

あなたがくれた日常を

愛していますルンルン

坂本九さんがこの事故で亡くなったので、

『上を向いて歩こう』を歌われる方が、たっまぁぁぁ~におりますが、

この日はUruさんの【手紙】を歌いながら歩き、

すれ違う方に、思いっ切り怪訝な顔で見られたのは言うまでもありません。

あぁ、でも、こちらでも目まいと立ち眩みが…

来年以降、薬師如来さんのご真言も加えてみる…

波多野京子さん(/`・ω・´ )

大野美紀子さん(/`・ω・´ )
対馬優美子さん(対馬さんだけ"故"が付いてませんが)(/`・ω・´ )
海老名光代さん(/`・ω・´ )

昨年(以下昨年のブログのコピペ)、令和6年(2024年)1月2日
羽田空港C滑走路上において、
日本航空(JAL)516便と海上保安庁航空機の衝突事故が発生を致しました。
乗員12名(運航乗務員3名、客室乗務員9名)、
乗客367名 計379名が搭乗しておりましたが、
皆様の後輩にあたる9名の客室乗務員並びに運航乗務員による的確な避難誘導により、
事故の大きさに比し、1名の死者を出すことがなかったのは、
皆様同様に日頃の訓練、乗務による練度の高さによるものだと認識をしております。
この日本航空123便遭難が礎となり、現在そして未来に向け
公共交通機関のひとつである航空が本来の果たす役割を担えればと感じております。

この国のフラッグシップとして、

サービスを追求するよりも、安全性を極める…

空港ラウンジなどでの華美なサービスばかりが着目、報道されている昨今、
乗客の皆さんは、どちらを心の底から求めているかは明確でしょうし…

可愛いぃ

毎年のように出掛けてましても、大きな変化、小さな変化を感じられます。

昨年あったそれは、翌年には持ち越さず、山全体が新陳代謝をしているようです…

まるで、霊が生きているかのように…

御巣鷹の尾根関連は、どこかのブログに何かが書いてあるかと思います。

もぅ、毎年のように何を書いているのか、まったく記憶になく…

そりゃ、昨晩何を食べたか覚えていないくらいですしねぇ。

29年目の御巣鷹の尾根へ

30年目の御巣鷹の尾根へ

31年目の約束の尾根へ

32年目の遺された尾根へ

33年目の鎮魂の尾根へ

34年目の静寂な尾根へ

35年目の静かな霊園の園へ

35年目の沈黙の尾根へ

37年目の新緑の尾根へ

38年目の日航機墜落事故遭難者遺体安置の場所へ

2024年墓標の位置変更有

39年目の知らぬ間に変化の尾根へ

慰霊の園に向かいましてっと

人口988人【2025年8月1日現在】の群馬県多野郡上野村

そこには520名が眠っています。

あらためまして、520名の御霊に哀悼の意を表するとともに、
道半ばで途絶えた520の未来が、

今後の航空行政を始めとする公共交通機関の安全に
活かされますことを祈念してやみません。

本日皇紀2685年/令和7年/西暦2025年
8月12日1856i(→時刻に"i"を付けるのは僕タンと"はまにゃん"くらい)
40年目の時を刻みます。