2024年9月23日月曜日

輪島市長「孤立集落に物資が一切入ってない」 県の会議で発言:朝日新聞デジタル

輪島市長「孤立集落に物資が一切入ってない」 県の会議で発言:朝日新聞デジタル

輪島市長「孤立集落に物資が一切入ってない」 県の会議で発言

 輪島市の坂口茂市長は22日夕、県の災害対策本部員会議にオンラインで参加し、「今日、孤立集落にヘリと陸送で入ると言った物資が一切入っていないし、情報もない。どうなってるのか。期待している方もいる。急いでお願いしたい」と述べた。

 坂口市長は、避難者が28カ所の避難所に730人いるとし、「いま雑魚寝状況。学校も床上浸水や(授業)再開中などで使いにくい。快適な受け入れがこの人数ではできないと心配されている」と現状を訴え、「ホテルとかで受け入れをお願いする可能性も出てくるのではないか」と話した。

 馳浩知事は「物資が届いていないことに私もびっくりした」と応じた。県は、悪天候でヘリが使えず、「連絡がうまくいかなかった」と説明した。ヘリでしか運べない門前地区以外へは、トラックで物資を運ぶことを検討しており、22日中に届ける予定という。

2024年9月21日土曜日

ユダヤ団体がイスラエルを猛批判、「ナチス国家」「ネタニヤフは現代のヒトラー」(志葉玲) - エキスパート - Yahoo!ニュース

ユダヤ団体がイスラエルを猛批判、「ナチス国家」「ネタニヤフは現代のヒトラー」(志葉玲) - エキスパート - Yahoo!ニュース

ユダヤ団体がイスラエルを猛批判、「ナチス国家」「ネタニヤフは現代のヒトラー」

ユダヤ人団体l「トーラー・ジュディイズム」のX(旧ツイッター)より

 イスラエルは、ナチス等による迫害から逃れたユダヤ人が安住の地を求め、建国したユダヤ国家―とりわけ日本も含む西側諸国では、そのような認識が一般的だと言えるでしょう。しかし、世界の国々に暮らすユダヤ人が皆、イスラエルを支持している訳ではないし、イスラエル国内においても、現在のネタニヤフ政権のような、右派・強硬派に異を唱える人々が少なからずいます。中でも、「パレスチナの土地はユダヤ人のもの」というシオニズムに反対するユダヤ人のネットワーク「トーラー・ジュディイズム」のネタニヤフ首相やイスラエルへの批難は、極めて強烈です。

*本記事は「志葉玲ジャーナル-より良い世界のために」から転載したものです。

https://reishiva.theletter.jp/

〇ユダヤ人団体によるイスラエル批判

 シオニズムとは、パレスチナの土地はユダヤ人のものであり、ユダヤ人はパレスチナに国を作り暮らすべきだという政治思想で、イスラエル建国の根幹となったものです。他方、イスラエルの対パレスチナ政策、とりわけネタニヤフ政権のような右派・強硬派のそれに批判的な人々からは、シオニズムとは、パレスチナの人々を抑圧したり、殺害したりすることを正当化する政治思想とされているし、実際、それは否定しがたい事実でしょう。

 こうした、シオニズムに憤り抗議するのは、パレスチナの人々や彼らを同胞とするアラブ系の人々、イスラム教徒の人々だけではありません。実は、当のユダヤ人の中にも、シオニズムに批判的な人々がいるのです。そうしたユダヤ人による反シオニズムのネットワークの一つ、「トーラー・ジュディイズム」は、その約27万のフォロワーを持つX(旧ツイッター)のアカウントで、イスラエル首相のネタニヤフ氏の訪米について、強烈に批判する投稿を連投しています。例えば、シオニズムに反対する集会の動画と共に、以下のように訴えました。

「アメリカや世界中にはイスラエルとシオニズムに反対するユダヤ人が何十万人もいます」「すべてのユダヤ人がシオニスト*というわけではありません」「イスラエルはユダヤ国家ではなく、ナチス国家です」

*シオニズムを支持する人のこと。

さらに別の投稿では、今月25日に訪米したネタニヤフ首相が米国議会で演説したことについて、「イスラエルのロビー団体は上院議員を金で買収しており、これはアメリカにとって恥ずべき状況です。アメリカ政府は大量虐殺に加担することを選びました」と批判。

また別の投稿では、「ネタニヤフはユダヤ人のリーダーではない」「ネタニヤフは現代のヒトラーです」「彼はジェノサイド(大量虐殺)を行う殺人者。裁判にかけられ、犯したすべての戦争犯罪の償いを受けるべきです」「ネタニヤフを支持することは、大量虐殺とナチスを支持することを意味します」と強烈に批難しています。

〇なぜ、多くのユダヤ人がイスラエルに批判的なのか

 この「トーラー・ジュディイズム」程ではないにせよ、シオニズムやイスラエルの右派政権に対し、批判的なユダヤ人の人々には、筆者も取材の中で幾度も会ったことがあります。その経験から言えば、シオニズムやイスラエルの右派政権に批判的なユダヤ人の人々には、大きく分けると以下のような立場や考え方があるようです。

・ユダヤ教を厳格に解釈する、いわゆる超正統派。彼らからすれば、神の意志と力によるのではなく、政治活動でイスラエルを強引に建国したことは、ユダヤ教に反する行為に映る。

・欧米等のイスラエルの外に住むユダヤ人。シオニズムには固執しておらず、普遍的な人権擁護の立場から、イスラエル右派によるパレスチナ占領及び人権侵害や一般市民の殺害に対し、いくらなんでもやりすぎだと感じている。

・イスラエル国民として同国に暮らすユダヤ人。イスラエルの国家としての存在は認めてほしいが、中東和平を支持し、それを破壊しようとするイスラエルの右派政権に対し、批判的。

 総じて、上述のような立場・考え方のユダヤ人の人々は、ネタニヤフ首相らのような右派・強硬派がイスラエル全体あるいはユダヤ人全体を代表しているかのように自らの主張を語ることに、強い嫌悪感を持っています。そして、ネタニヤフ首相らがガザ攻撃等で、国際法・国際人道法に反するイスラエルの行為について批判に対し、「反ユダヤ主義」と問題をすり替えて批判を封じることにも、上述のようなユダヤ人の人々は憤っているのです。ユダヤ人による反戦運動のスローガン、「not in our name」には、イスラエル右派・強硬派のやることにユダヤの名を使うな、という怒りが込められています。

〇シオニズムとバイデン政権

 このような平和を求めるユダヤ人当事者の声に耳を貸さず、欧米諸国、とりわけ米国がイスラエルの右派・強硬派を支持・支援してきた理由として、やはりシオニズム系のロビー団体や大口献金者に「買収」されてきたということは少なからずあるのでしょう。

 直近の事例で言えば、米国のバイデン大統領は、ガザ攻撃で現地市民の犠牲を拡大させているとして、米国産の大型・中型爆弾のイスラエルへの移転を今年5月に一時停止したものの、今月に入って500ポンド(約227キログラム)爆弾の移転を再開しました。これに関して、米ニュースサイト「アクシオス」によれば、シオニストの大富豪で、バイデン陣営に多額の献金をしてきたハイム・サバン氏が、イスラエルへの兵器移転の一時停止についてバイデン大統領に抗議したとのことです(関連記事)。サバン氏の圧力が実際にどこまでバイデン大統領の判断に影響したかは明確ではないものの、ガザの一般市民の避難所となっている国連の学校にもイスラエル軍が攻撃し、それらの攻撃にも米国産の爆弾が使われている中で、米国産爆弾の移転再開を決めたバイデン大統領の責任は極めて重いと言えます。

 他方、イスラエルのガザ攻撃への支持・支援は、バイデン大統領の大統領再選を断念させる一つの要因になりました。確かに再選断念の一番の大きな理由は、バイデン氏の高齢とそれによる衰えですが、それだけではなく、バイデン大統領がガザ攻撃の支持・支援によって、特にリベラルな若者達の支持を失った影響もあるのです。こうした若者層からの支持は前回の大統領選で、バイデン大統領が勝利した要因の一つであっただけに、イスラエルの右派政権に過剰に肩入れした代償は大きかったと言えるでしょう。

〇欧米は平和を求めるユダヤ人の声を聞け

 冒頭にも書いたように、欧米、とりわけドイツがイスラエル支持を「国是」とする背景には、かつてのユダヤ人迫害への罪悪感、贖罪的な意識があります。しかし、人権侵害や虐殺を真に反省するならば、国際法/国際人道法を重んじなくてはならないし、当然ながら、国際法/国際人道法は特定の国や民族という理由で無視することが許されるものではありません。戦争犯罪に憤るユダヤ人の真っ当な声に、米国はじめ西側諸国の政府関係者は耳を傾けるべきです。

(了)

駐日パレスチナ常駐総代表部さんによるXでのポスト

パレスチナ支援デモに参加した「敬虔なユダヤ教徒」の人々が訴えたこと【池上彰・増田ユリヤ】 | 池上彰と増田ユリヤの世界最前線 | ダイヤモンド・オンライン

パレスチナ支援デモに参加した「敬虔なユダヤ教徒」の人々が訴えたこと【池上彰・増田ユリヤ】 | 池上彰と増田ユリヤの世界最前線 | ダイヤモンド・オンライン

パレスチナ支援デモに参加した「敬虔なユダヤ教徒」の人々が訴えたこと【池上彰・増田ユリヤ】

パレスチナ支援デモに参加した「敬虔なユダヤ教徒」の人々が訴えたこと【池上彰・増田ユリヤ】反戦デモに参加した超正統派のユダヤ教徒の人々 写真提供:増田ユリヤ

イスラエルによるガザ地区攻撃により、ガザ地区の死者数は2万5000人を超えた。2023年12月に米国を取材したジャーナリストの増田ユリヤ氏によると、ユダヤ人の中でも即時停戦を求める人々がいるという。池上彰氏と対談した。(ジャーナリスト 池上 彰、増田ユリヤ 構成/梶原麻衣子)

ユダヤ教の超正統派の人たちも
即時停戦を掲げるデモに参加

増田 この年末年始も、ガザ地区ではイスラエルの攻撃で連日100人以上の死者が出ています。

池上 米国は2023年12月8日の国連安全保障理事会で停戦決議案に拒否権を発動した一方で、年明けすぐにブリンケン国務長官がイスラエルやサウジアラビアなどを歴訪。イスラエルには、ガザでの戦闘による民間人のさらなる被害の回避や人道支援の強化などを働き掛けたそうです。

増田 米国国内でもガザへの攻撃やイスラエルに対し支持を続けるバイデン政権を非難する声が高まっていることを受けて、でしょうか。12月にニューヨークで取材しましたが、パレスチナ支持と即時停戦を掲げるデモの参加者にはユダヤ人も少なくなく、大きな黒い帽子をかぶり黒ずくめの服を着たユダヤ教の超正統派の人たちの姿もありました。

池上 米国は世界で2番目にユダヤ人の多い国ですが、敬虔なユダヤ教徒でも、パレスチナに寄り添う人たちがいるのだ、と私もその映像を見て驚きました。

luminous womanさんによるXでのポスト ケンヤマモト

2024年9月17日火曜日

バラスト • ジャック・ランシエール:「人々は建設です」

BALLAST • Jacques Rancière : « Le peuple est une construction »

BALLAST • Jacques Rancière : « Le peuple est une construction »


Entretien paru dans le n° 3 de la revue Ballast

Mai 2017. Nous igno­rons qui des deux can­di­dats occu­pe­ra bien­tôt le trône. Nous savons seule­ment qu'il fau­dra tenir tête au nou­veau pou­voir — qu'il ait le visage d'un Golden Boy, car­nas­sier à temps plein et apôtre de Margaret Thatcher, ou celui d'une héri­tière, répu­bli­caine auto-pro­cla­mée escor­tée de fas­cistes en cra­vate. Il a sou­vent été ques­tion du « peuple », le temps de cette cam­pagne ; aux com­men­taires média­tiques du match de la veille, pré­fé­rons le temps long : le phi­lo­sophe Jacques Rancière nous parle, jus­te­ment, de ce « peuple » qui n'est, à ses yeux, pas la popu­la­tion mais la somme des ano­nymes en paroles et en actes. Le peuple de la démo­cra­tie, mot dont l'auteur de La Méthode de l'égalité tient à nous rap­pe­ler tout le tran­chant tant que « l'État [sera] gou­ver­né par des dro­gués du pou­voir et des repré­sen­tants des inté­rêts finan­ciers ».


[lire en anglais ou en ita­lien]


La notion de démo­cra­tie est omni­pré­sente dans votre tra­vail. Le révo­lu­tion­naire Blanqui esti­mait qu'elle était tou­te­fois un mot « en caou­tchouc » tant elle était flot­tante et récu­pé­rable. Pourquoi tenez-vous autant à ce terme ?

Pour qu'il y ait poli­tique, il faut qu'il y ait un sujet spé­ci­fique de la poli­tique. Telle est mon idée fon­da­men­tale. Il ne suf­fit pas de gens qui gou­vernent et d'autres qui obéissent. C'est la grande sépa­ra­tion ini­tiale entre l'art de l'élevage et la poli­tique : cette der­nière sup­pose tou­jours que la même per­sonne qui gou­verne soit gou­ver­née. C'est cela qui m'a paru impor­tant pour cer­ner le rap­port entre démo­cra­tie et poli­tique. Pour qu'il y ait poli­tique, il faut qu'il y ait quelque chose qui s'appelle le peuple : il doit, en même temps, être l'objet sur quoi porte l'activité poli­tique et le sujet de ladite acti­vi­té. Dans tous les modèles ordi­naires de « l'art de gou­ver­ner », on sup­pose une cer­taine dis­sy­mé­trie : il y a une masse à gérer et ceux qui ont la capa­ci­té de le faire — la légi­ti­ma­tion du pou­voir fonc­tionne ain­si. « Démocratie » n'est pas, à l'origine, le nom d'un régime poli­tique mais une insulte (le gou­ver­ne­ment des moins que rien, le gou­ver­ne­ment de la canaille). C'est ce gou­ver­ne­ment des gens qui ont pour pro­prié­té de n'avoir aucune pro­prié­té qui les auto­rise à gou­ver­ner, aucune pro­prié­té qui dis­tingue ceux qui sont bons pour gou­ver­ner de ceux qui sont bons pour être gou­ver­nés. C'est pour cela qu'il m'a paru per­ti­nent de conser­ver ce mot ; il est celui qui dit l'absence de légi­ti­mi­té fon­da­men­tale du pou­voir, celui qui dit que tout pou­voir est contin­gent — le pou­voir des auto­ri­tés oli­gar­chiques que nous connais­sons, comme celui de l'avant-garde qui se réclame de la révolution.

« Démocratie n'est pas, à l'origine, le nom d'un régime poli­tique mais une insulte (le gou­ver­ne­ment des moins que rien, le gou­ver­ne­ment de la canaille). »

L'idée impor­tante dans la démo­cra­tie, c'est que le gou­ver­nant est n'importe qui — c'est-à-dire per­sonne. C'est l'égalité radi­cale, qui se trouve en deçà de toute forme par­ti­cu­lière, consti­tu­tion­nelle ou repré­sen­ta­tive. Il y a donc une oppo­si­tion claire entre l'idée répu­bli­caine et l'idée démo­cra­tique : la pre­mière est une sorte de gou­ver­ne­ment, un mode de ges­tion de la socié­té, une consti­tu­tion et un corps col­lec­tif — on le voit reve­nir for­te­ment aujourd'hui, avec le thème du répu­bli­ca­nisme (qui sup­pose une culture com­mune ou une iden­ti­té col­lec­tive). L'idée de démo­cra­tie, en revanche, signe une absence radi­cale de cor­po­réi­té com­mune et d'autorité qui serait légi­time. J'ai vou­lu pen­ser en dehors des schèmes clas­siques, et même mar­xistes (l'opposition entre démo­cra­tie for­melle et démo­cra­tie réelle). Et j'ai rap­pe­lé la divi­sion inhé­rente à la notion. Comme je le note dans La Haine de la démo­cra­tie, la démo­cra­tie, comme idée éga­li­taire, se trouve aujourd'hui atta­quée par des gens qui appar­tiennent à des régimes dits « démo­cra­tiques ». Les mêmes gens, qui sont tou­jours prêts à sou­te­nir les cam­pagnes mili­taires amé­ri­caines pour expor­ter la démo­cra­tie et qui vantent la démo­cra­tie contre « le tota­li­ta­risme » ou « l'intégrisme reli­gieux », se sont mis à atta­quer de manière extrê­me­ment vive le signi­fiant démo­cra­tique et à lui oppo­ser celui de « République ». Les mots ont une his­toire et je tiens à m'y reporter.

Poursuivons ce tra­vail sur les mots. Vous avez sou­vent écrit sur votre refus de la néces­si­té his­to­rique et de ses déter­mi­na­tions sup­po­sées : les termes « conser­va­teur », « pro­gres­siste » et « réac­tion­naire » ont-ils encore un sens à vos yeux, dès lors ?

Ces trois mots vont tou­jours se défi­nir à l'intérieur d'une séquence his­to­rique, mais ils n'ont en réa­li­té pas de valeur glo­bale. S'il y a un réel conflit qui mérite d'être nom­mé, c'est celui entre éga­li­té et inéga­li­té, entre une pen­sée inéga­li­taire de la struc­tu­ra­tion de l'être-ensemble et une pen­sée éga­li­taire. Ce qui m'a inter­pel­lé dans l'idée d'émancipation intel­lec­tuelle, à tra­vers la figure de Joseph Jacotot, au XIXe siècle, et sa cri­tique du pro­gres­sisme, c'est pré­ci­sé­ment cela : le pro­grès a pu signi­fier le pro­grès de l'égalité et l'espérance d'un monde plus juste, mais, dans le même temps, il est cal­qué sur un modèle inéga­li­taire : celui du maître qui guide l'élève pour qu'un jour ce der­nier devienne l'égal du pre­mier grâce au savoir que le maître lui a trans­mis. Le fond de la cri­tique du modèle pro­gres­siste (et du modèle péda­go­gique en géné­ral), c'est que la démarche même qui est cen­sée pro­duire de l'égalité à venir, à par­tir de l'inégalité pré­sente, est un modèle qui repro­duit indé­fi­ni­ment la situa­tion inéga­li­taire : le maître doit tou­jours être un pas en avant de l'élève afin de le gui­der dans la voie de l'égalité — qui ne sera bien sûr jamais atteinte… Il faut tenir deux choses à la fois : on peut tou­jours, dans une conjonc­ture défi­nie, défi­nir une pers­pec­tive de main­tien de l'ordre hié­rar­chique (qu'on pour­rait appe­ler « conser­va­teur » ou « réac­tion­naire ») et une démarche éga­li­taire (qu'on pour­rait appe­ler « pro­gres­siste »). Mais il n'en demeure pas moins que, fon­da­men­ta­le­ment, le pro­grès est deve­nu une idée conser­va­trice en ce qu'elle induit l'idée d'un mou­ve­ment réglé : la puis­sance qui ordonne la marche en avant et, paral­lè­le­ment, la puis­sance qui fait que cette marche pro­duit tou­jours le même résul­tat — à savoir la même hié­rar­chie entre celui qui fait avan­cer et celui qui suit.

[Stéphane Burlot | Ballast]

Comment expli­quez-vous que la majo­ri­té des mou­ve­ments de gauche, plus ou moins radi­caux, se pré­sentent encore sou­vent comme « progressistes » ?

Ce mot, pour­tant, a désor­mais peu de signi­fi­ca­tion. Il y a une époque où il en avait une (on était en accord avec un cer­tain sens de l'Histoire, on sup­po­sait que cette der­nière pro­gres­sait vers l'émancipation, la libé­ra­tion et un ave­nir d'égalité). Mais le XIX et le XXe siècle nous ont don­né une leçon : l'Histoire ne pro­gresse pas parce que l'Histoire n'existe pas. Il n'y a pas de mou­ve­ment his­to­rique glo­bal qui por­te­rait les mou­ve­ments éga­li­taires. Donc, j'y reviens : l'opposition nette reste entre l'égalité et l'inégalité. Vous le savez aus­si bien que moi : désor­mais, la droite aime à dire que la gauche est réac­tion­naire, pas­séiste, archaïque et conser­va­trice car elle ne veut pas des « chan­ge­ments néces­saires ». Depuis trente ou qua­rante ans, on assiste à une sorte d'inversion du dis­cours pro­gres­siste mar­xiste : c'est la droite qui a récu­pé­ré le sens de l'Histoire, c'est la droite qui explique les sacri­fices qu'il convient de faire au nom de l'avenir, qui explique qu'il faut aban­don­ner les vieux archaïsmes que sont les lois sociales, la pro­tec­tion sociale, les ser­vices publics, et ain­si de suite. Ces cli­vages, qui défi­nis­saient des réflexes, des habi­tudes, se sont trou­vés brouillés. Il suf­fit de pen­ser à la manière dont une série de thèmes de gauche ont été retour­nés, depuis trois décen­nies, pour com­prendre qu'il faut cla­ri­fier l'usage des termes « tem­po­rels » quand il s'agit d'évaluer les conduites et pra­tiques politiques.

Dans La Mésentente, vous écri­vez que la poli­tique est tou­jours « locale et occa­sion­nelle ». Pourtant, vous avez plu­sieurs fois fait savoir que vous n'êtes pas un pen­seur de l'Évènement. Quelles nuances apportez-vous ?

« Il n'y a pas de théo­rie capable de nous conduire à la libé­ra­tion, à l'émancipation ultime. S'il y en avait eu une, et si elle était bonne, je ne vois pas pour­quoi elle n'aurait pas marché. »

S'il y a de la poli­tique, ce n'est pas sim­ple­ment parce qu'il y a des peuples, des sou­ve­rains et des lois, mais parce qu'il y a une struc­tu­ra­tion spé­ci­fique de l'être-en-commun. La poli­tique n'existe pas tout le temps, mais lorsqu'est pré­ser­vé un excès propre à la poli­tique — c'est-à-dire lorsque le peuple poli­tique est tou­jours plus que la popu­la­tion comme recen­se­ment, plus que l'ensemble des groupes sociaux, plus que le peuple élec­to­ral que gère le gou­ver­ne­ment, plus que le peuple que sondent les ins­ti­tuts. Il y a poli­tique pour autant qu'il y a mani­fes­ta­tion de ce sur­plus : quand, par exemple, un peuple dans la rue qui s'oppose au peuple géré par le gou­ver­ne­ment, le par­le­ment et les grandes ins­ti­tu­tions ; quand des gens se réunissent sur la Puerta del Sol, à Madrid, pour dire aux autres qu'ils ne les repré­sentent pas ; quand un peuple, qui est en plus du peuple incor­po­ré à l'État (comme sujet d'administration), se trouve en ten­sion par rap­port à ce der­nier. C'est un pre­mier point. Le deuxième, c'est que la poli­tique se main­tient tou­jours en fonc­tion des moments évé­ne­men­tiels. Si on prend l'histoire de France : 1789, 1830, 1848, la Commune, 1936, la Libération et 1968. S'il y a des par­tis et des stra­té­gies à long terme, c'est parce qu'il y a des moments qui font rup­ture, des moments de délé­gi­ti­ma­tion des pou­voirs en place, de la dis­tri­bu­tion des pou­voirs, de la répar­ti­tion entre ceux qui gou­vernent et ceux qui sont gou­ver­nés, de la répar­ti­tion entre les lieux poli­tiques et ceux qui ne le sont pas. Ce sont des moments révo­lu­tion­naires ou sub­ver­sifs qui font qu'il y a poli­tique. On peut appe­ler ça « évé­ne­ment », mais ce qui m'importe, c'est la façon dont ces évé­ne­ments recon­fi­gurent la dis­tri­bu­tion même des espaces, des temps et des iden­ti­tés sociales. Aussi, j'ai une cer­taine méfiance vis-à-vis de l'Événement pen­sé comme trans­cen­dance, comme sur­gis­se­ment ouvrant le cours de l'Histoire — ceci est l'objet d'échanges contra­dic­toires avec Alain Badiou. C'est par l'événementiel qu'il y a de la poli­tique, mais l'événementiel n'est pas à même d'être élu­ci­dé par quelque science ou dis­cours spé­ci­fique afin d'en faire, ensuite, le prin­cipe d'une avant-garde. Je suis contre la concep­tion trans­cen­dan­tale du chef poli­tique comme celui qui inter­prète l'événement.

Vous men­tion­nez Badiou. Il vous a jus­te­ment repro­ché, lors d'un débat pour Mediapart, de lais­ser votre lec­teur incer­tain, « à la fin des fins », quant à « l'usage » que l'on peut faire de votre pen­sée. En pré­pa­rant cet entre­tien, c'est une remarque qui nous a éga­le­ment été faite. Une objec­tion récur­rente, donc sans doute las­sante : com­ment se fait-il que l'on vous demande tou­jours « quoi faire » ?

Mieux vaut, en un sens, ne pas savoir quoi faire. Nous savons en effet ce qui est adve­nu du savoir de ceux qui savaient quoi faire. Ce savoir n'a jamais obte­nu les fins atten­dues et la plu­part de ceux qui le pro­cla­maient sont deve­nus des ado­ra­teurs de l'ordre exis­tant. Une pen­sée sus­pen­sive est donc oppor­tune. Elle consiste à recon­naître qu'il n'y a pas de théo­rie capable de nous conduire à la libé­ra­tion, à l'émancipation ultime. S'il y en avait eu une, et si elle était bonne, je ne vois pas pour­quoi elle n'aurait pas mar­ché. On ne sait pas quoi faire avec ce que je dis ? D'un côté, cela ne m'est pas spé­ci­fique : qui sait quoi faire aujourd'hui ? Le Comité invi­sible, par exemple, lou­voie entre une théo­rie avant-gar­diste de l'action exem­plaire, seule à même de remuer les masses et de les sor­tir de leur tor­peur, et, à l'inverse, une théo­rie du retrait emprun­tée à Giorgio Agamben. Il y a une époque où Badiou m'attaquait en disant que l'on ne fait de la poli­tique qu'au sein des orga­ni­sa­tions poli­tiques, en tant que mili­tants ; aujourd'hui, Badiou n'est plus membre d'une orga­ni­sa­tion et il conti­nue pour­tant, constam­ment, d'écrire sur la poli­tique sans que cela ne déter­mine aucune action spé­ci­fique. La dif­fé­rence qui m'est propre, c'est de décla­rer moi-même l'écart irré­duc­tible entre les ana­lyses des situa­tions et les consé­quences qu'on peut en tirer. C'est d'avoir mis en cause le modèle sim­pliste de la théo­rie que l'on applique et posé à mes inter­lo­cu­teurs la ques­tion de savoir ce qu'ils vou­laient. Que veut-on ? Voilà la vraie ques­tion. La plu­part des dis­cours radi­caux font comme si la seule ques­tion était celle des bons moyens pour atteindre une fin sup­po­sée être tou­jours la même, alors qu'on ne sait plus bien ce qu'est cette fin — même mon édi­teur et ami Éric Hazan, lorsqu'il décrit les « pre­mières mesures révo­lu­tion­naires »…

[Stéphane Burlot | Ballast]

… Nombre de ses écrits récents sont en effet des pro­grammes pré­cis, presque des modes d'emploi de la socié­té future.

C'est le pas­sage de l'avant à l'après qui, chez lui, est assez mal pro­gram­mé. Son der­nier livre, La Dynamique de la révolte, explique que la seule révo­lu­tion réus­sie (sur une période rela­ti­ve­ment courte, du reste) est celle d'Octobre, en Russie — et, pré­cise-t-il, par un coup de chance ! Toutes les logiques pro­gram­ma­tiques ont fait faillite ou sont de bric et de broc. Et s'il y a eu un moment où l'on a eu l'impression d'une logique d'enclenchement des moyens et des fins, elle est aujourd'hui péri­mée. La ques­tion à poser est : où peut-on dis­cer­ner quelque chose de nou­veau ? C'est ce que j'ai essayé de dire, avec les mou­ve­ments récents comme les Indignés, Occupy, etc. La ques­tion n'est pas de savoir com­ment trans­for­mer ces mou­ve­ments en une nou­velle orga­ni­sa­tion révo­lu­tion­naire mais de com­prendre ce qu'ils ont vou­lu. Que veulent les gens qui se réunissent sur une place durant un mois ? Vivre un mois dif­fé­rent ? Constituer des petits îlots à l'écart du monde domi­nant ? Une trans­for­ma­tion radi­cale de la socié­té ? Mais, en ce cas, com­ment l'opérer, com­ment la pen­ser réa­li­sable ? Voilà ce que j'ai pu dis­cer­ner comme ten­sions dans l'histoire de la volon­té éga­li­taire, de la volon­té révo­lu­tion­naire. La ques­tion essen­tielle, à mes yeux, c'est de se défi­nir par rap­port à ces tensions.

On assiste à une évo­lu­tion dans le dis­cours de cer­tains mou­ve­ments de masse. Mélenchon aban­donne le réfé­rent « gauche » pour lui sub­sti­tuer celui de « peuple » et Podemos a délais­sé le cli­vage gauche/droite pour celui de peuple/caste. Comment obser­vez-vous ceci ?

« Le peuple, ce n'est pas la masse de la popu­la­tion ; le peuple est une construc­tion. Il n'existe pas, il est bâti par des dis­cours et des actes. »

Est-ce très pro­fond ? Je ne sais pas. La situa­tion espa­gnole est essen­tiel­le­ment fon­dée sur le mou­ve­ment du 15-M (un pas de côté par rap­port à la poli­tique ins­ti­tu­tion­nelle et la gauche radi­cale ou trots­kyste) : les Indignés marquent une rup­ture. Ce sont des pra­tiques popu­laires nou­velles qui essaient de défi­nir une action démo­cra­tique, à tra­vers la créa­tion d'espaces spé­ci­fiques ou par des actions de longue haleine, comme la lutte contre les expul­sions. En face de cela, il y a la logique de « la gauche de la gauche » : le Front de gauche et Mélenchon, en France, et Syriza, en Grèce. Ils tentent de récu­pé­rer la dyna­mique de ces nou­veaux mou­ve­ments popu­laires. Podemos est une sorte de com­pro­mis entre ces deux dyna­miques. Les Indignés ou Occupy enten­daient consti­tuer une puis­sance à l'écart du jeu éta­tique et élec­to­ral ; la gauche de la gauche veut prendre appui sur ces mou­ve­ments pour créer une nou­velle gauche. C'est pour­quoi ils veulent récu­pé­rer la notion de peuple et la reva­lo­ri­ser concep­tuel­le­ment — notam­ment à par­tir des théo­ries de Laclau sur le popu­lisme. Une idée par­ti­cu­liè­re­ment ambi­guë. Elle s'appuie d'une part sur une logique d'autonomie (un peuple qui se mani­feste contre la logique domi­nante et élec­to­rale) et, d'autre part, sur la reva­lo­ri­sa­tion du peuple, au sens de l'usage élec­to­ral du signi­fiant popu­laire. On regrette de l'avoir aban­don­née, de l'avoir lais­sée au Front natio­nal et aux mou­ve­ments d'extrême droite. Dès lors, ils avancent tous sur cette ambi­guï­té : d'une part, on affirme l'autonomie d'un peuple d'anonymes, d'incomptés, de gens qui ne se défi­nissent aucune capa­ci­té par­ti­cu­lière à gou­ver­ner ; d'autre part, on entend par­ler à la fois au nom de ce peuple des aban­don­nés et des délais­sés mais aus­si au nom du « vrai » peuple, des gens de « chez nous », qui appar­tiennent à la terre, au sang, à la tra­di­tion et à l'Histoire. Ils jouent sur les deux tableaux : être à l'écoute des Indignés et repê­cher ceux qui sont pas­sés à l'extrême droite.

Il y a par­fois des débats pour savoir s'il existe un « peuple de droite » et un « peuple de gauche », ou seule­ment « le peuple » : com­ment tranchez-vous ?

Le peuple, ce n'est pas la masse de la popu­la­tion ; le peuple est une construc­tion. Il n'existe pas, il est bâti par des dis­cours et des actes. Occupy, le Printemps arabe, les Indignés, la place Syntagma à Athènes, les mou­ve­ments des sans-papiers, tout cela fabrique un cer­tain peuple d'anonymes. Et ce peuple est celui de la démo­cra­tie : un peuple qui mani­feste le pou­voir de n'importe qui. Mais qui dit construc­tion dit qu'il peut y avoir plu­sieurs construc­tions du peuple : le peuple n'est pas que celui de l'égalité et de la démo­cra­tie, que je viens de décrire, il peut aus­si être celui que gèrent le gou­ver­ne­ment et les son­dages, celui que pro­duisent les dis­cours d'extrême droite (la majo­ri­té silen­cieuse, le peuple pro­fond, le peuple des ban­lieues aban­don­nées, le peuple des ouvriers sans tra­vail, le peuple fran­çais dont les immi­grés ont pris la place, le peuple qui a une tra­di­tion his­to­rique et reli­gieuse balayée par l'arrivée des bar­bares). Peuple de droite, peuple de gauche : bien sûr, à cer­tains moments, il y a des sec­tions de la popu­la­tion qui se consti­tuent selon des modèles de peuple.

[Stéphane Burlot | Ballast]

Dans La Haine de la démo­cra­tie, vous dites que le popu­lisme, deve­nue l'injure suprême, est un « nom com­mode ». Ce mot a pour­tant par­fois exis­té, dans les mou­ve­ments d'émancipation, comme un mar­queur posi­tif : les popu­listes russes, bien sûr, mais aus­si les mou­ve­ments agri­coles et ouvriers amé­ri­cains du XIXe siècle, qui lut­taient contre les élites, les banques, les pro­prié­taires fon­ciers et les com­pa­gnies de che­mins de fer, ou encore le cou­rant lit­té­raire fran­çais et le Prix du roman popu­liste. Comment com­prendre cette évolution ?

Il y a plu­sieurs couches his­to­riques. Dans le mou­ve­ment révo­lu­tion­naire russe, ce fut rapi­de­ment une insulte. Souvenons-nous de la polé­mique avec Lénine. Très tôt, « popu­lisme » a dési­gné un atta­che­ment sen­ti­men­tal un peu idiot, une his­toire de bonne volon­té, une manière d'aller vers le peuple et de s'adresser à lui sans savoir qui il est vrai­ment, sans tenir compte des condi­tions qui le divisent. Dans la tra­di­tion mar­xiste, qui a été domi­nante dans la gauche fran­çaise, « popu­liste » fut très vite un signi­fiant néga­tif. Ce qui est peut-être nou­veau, c'est la façon dont ce signi­fiant néga­tif a été dépla­cé pour des rai­sons par­ti­cu­lières : créer un amal­game. La droite s'est empa­rée de la condam­na­tion mar­xiste de l'attachement à un pas­sé dépas­sé pour l'appliquer aux conquêtes du mou­ve­ment ouvrier. C'est le cœur de la nou­velle idéo­lo­gie, désor­mais lar­ge­ment par­ta­gée par la gauche depuis les années 1980 : dire qu'il y a une voie his­to­rique rai­son­nable (celle tenue par nos gou­ver­nants et les ins­ti­tu­tions euro­péennes) et un rêve pas­séiste, réac­tion­naire et popu­liste, dans lequel on peut ran­ger, pêle-mêle, le Front natio­nal et les for­ma­tions d'extrême gauche. Tout mou­ve­ment qui veut don­ner une cer­taine consis­tance à l'idée de peuple peut aujourd'hui être consi­dé­ré comme popu­liste. Et cet amal­game sert tout le monde : les vieux mar­xistes qui conti­nuent d'en appe­ler au pro­lé­ta­riat orga­ni­sé, la droite à la solde des puis­sances finan­cières et la gauche au ser­vice de l'oligarchie. Le terme de popu­lisme per­met de jeter dans le même camp tous ceux qui, pour­tant très dif­fé­rem­ment, leur tiennent tête. En face de cela il y a la volon­té posi­tive, dans une par­tie de la gauche radi­cale, de reva­lo­ri­ser le popu­lisme, sur la base des théo­ries de Laclau…

Vous êtes scep­tique par rap­port à ces ten­ta­tives, n'est-ce pas ?

« Pourquoi êtes-vous à ce point fâchés contre les ouvriers qui votent à droite, sous pré­texte qu'ils devraient, par je ne sais quelle néces­si­té socio­lo­gique, voter à gauche ? »

Dans la pra­tique, cela a conduit à mettre les mou­ve­ments auto­nomes au ser­vice d'une logique par­le­men­taire renou­ve­lée, voire à la tra­di­tion du lea­der qui incarne le peuple : Vargas au Brésil, Perón en Argentine, Chávez au Venezuela… Cette reva­lo­ri­sa­tion de la repré­sen­ta­tion entend marier la logique par­le­men­taire avec celle du diri­geant aimé du peuple.

Au mois d'avril, Samuel Joshua, ancien diri­geant de la LCR, a écrit une tri­bune consa­crée à votre réflexion. Il y expli­quait notam­ment que votre vision du monde, trop « opti­miste », récuse le fait que le peuple puisse sécré­ter en son sein de la domi­na­tion et de l'oppression.

C'est faux. Il n'y a pas de saint peuple, chez moi. Les gens croient en effet que je suis pour la « bon­té ori­gi­naire du peuple » et que je suis inca­pable de com­prendre com­ment il peut y avoir des ouvriers réac­tion­naires et des élec­teurs au FN, dans cette classe. Pourtant, je l'ai tou­jours dit et redit : pour­quoi êtes-vous à ce point fâchés contre les ouvriers qui votent à droite, sous pré­texte qu'ils devraient, par je ne sais quelle néces­si­té socio­lo­gique, voter à gauche ? L'ouvrier, en tant que com­bat­tant poli­tique, n'est pas l'ouvrier en tant qu'appartenant à la classe socio­lo­gique des ouvriers. Je n'ai jamais déve­lop­pé une mys­tique du corps col­lec­tif, qui m'empêcherait de com­prendre pour­quoi il pour­rait y avoir des mou­ve­ments d'extrême droite, racistes et xéno­phobes, à base et ancrage popu­laire. C'est, même, un fait qui m'a posé beau­coup moins de pro­blèmes qu'à tous ceux qui me font ce reproche !

Comment expli­quer qu'on conti­nue, alors, de tordre ain­si votre propos ?

C'est tou­jours plus facile de pré­tendre que je suis pour « le bon peuple »… Pourtant, lorsque j'ai par­lé de la part des sans-part, des ano­nymes, des incomp­tés, il ne s'agissait pas de dési­gner les misé­rables et les aban­don­nés : lorsque j'ai tra­vaillé sur La Nuit des pro­lé­taires, je n'ai pas tra­vaillé sur les gens des fameuses caves de Lille, non, j'ai tra­vaillé sur des gens qui, tout en se disant ouvriers, opé­raient une rup­ture par rap­port à leur identité.

[Stéphane Burlot | Ballast]

En 2010, lorsque vous vous expri­mez sur le racisme, avec le texte « Racisme, une pas­sion d'en haut », vous en par­lez comme d'une « créa­tion intel­lec­tuelle », une xéno­pho­bie ins­ti­tu­tion­nelle, et non une « pas­sion popu­laire ». On vous a dit que vous dédoua­niez encore le peuple !

On peut tou­jours trou­ver des gens, dans ce qu'on appelle le « peuple socio­lo­gique », qui vous diront qu'ils n'aiment pas les étran­gers, les Arabes et les Noirs. Cela a tou­jours exis­té. Les ouvriers com­mu­nistes de la grande époque étaient pour l'internationalisme pro­lé­ta­rien mais ils n'aimaient pas for­cé­ment les ouvriers immi­grés. La ques­tion n'est pas celle des com­por­te­ments indi­vi­duels, mais des formes de construc­tion sym­bo­lique col­lec­tive. Il s'est créé, depuis les années 1990, une forme de racisme d'en haut, mené par des actions d'État et des cam­pagnes idéo­lo­giques pro­ve­nant de la classe intel­lec­tuelle (sup­po­sée être de gauche). Je songe en par­ti­cu­lier au dévoie­ment de l'idéologie laïque. À tra­vers cette intense agi­ta­tion — des lois Pasqua à celles sur le voile et la bur­qa —, on a assis­té à la consti­tu­tion d'un conflit de civi­li­sa­tions. Cela n'est pas venu des pro­fon­deurs popu­laires mais de l'État et des intel­lec­tuels. On n'a pas vu récem­ment de grands mou­ve­ments popu­laires de chasse aux immi­grés. Il y a des actions iso­lées, mais pas plus qu'à d'autres époques de l'Histoire récente. Ce qui est nou­veau, ce n'est pas qu'il y aurait des milices d'extrême droite for­mées pour aller cas­ser du Noir ou du Maghrébin, c'est la consti­tu­tion offi­cielle de l'image d'une popu­la­tion qui serait inin­té­grable. L'on ne cesse de répé­ter que si le pou­voir mène de telles cam­pagnes, c'est pour enrayer le racisme fon­da­men­tal, pour évi­ter que le peuple des pro­fon­deurs et des pul­sions redou­tables ne fasse irrup­tion. Mais ce peuple des pro­fon­deurs est un argu­ment mani­pu­lé par ceux qui construisent ce nou­veau racisme !

Didier Eribon, dans son Retour à Reims, évoque le racisme pré­sent dans son milieu fami­lial, c'est-à-dire popu­laire. Il parle du tirage au sort, un sujet qui vous est cher, et fait savoir qu'il ne vou­drait pas que sa famille accède au pou­voir car elle n'a pas les com­pé­tences pour gou­ver­ner. Qu'est-ce que vous en pensez ?

« L'État doit-il être diri­gé par des repré­sen­tants d'intérêts par­ti­cu­liers bien déter­mi­nés ? Par des malades du pouvoir ? »

Je ne vois pas très bien de quelle façon on peut jus­ti­fier le fait que des gens qui n'ont pas de com­pé­tences pour par­ti­ci­per au gou­ver­ne­ment des choses com­munes, en auraient, en revanche, pour choi­sir les bons ges­tion­naires des choses com­munes. Cela me paraît la contra­dic­tion fon­da­men­tale. Dans l'idée de tirage au sort, il y a cette idée très forte, qui remonte à Platon (qui n'était pas du tout un homme de gauche…) : le pire des gou­ver­ne­ments, c'est le gou­ver­ne­ment des gens qui veulent gou­ver­ner. Mon idée fon­da­men­tale est que l'on ne voit pas pour­quoi une repré­sen­ta­tion au sort serait pire qu'une repré­sen­ta­tion dans les condi­tions actuelles. Déjà, la repré­sen­ta­tion au sort éli­mine les gens qui veulent gou­ver­ner. Deuxièmement, elle éli­mine le clien­té­lisme. Troisièmement, elle éli­mine le déve­lop­pe­ment des sen­ti­ments troubles qui sont liés au rap­port élec­to­ral lui-même. Évidemment, on peut tou­jours dire : « Je ne vois pas ma famille, mon concierge ou mon plom­bier diri­ger l'État. » On peut. Mais pour­quoi voit-on par­ti­cu­liè­re­ment, pour cette tâche, des membres d'une école d'Administration ou des avo­cats d'affaire ? L'État doit-il être diri­gé par des repré­sen­tants d'intérêts par­ti­cu­liers bien déter­mi­nés ? Par des malades du pou­voir ? Car c'est bien la com­bi­nai­son que l'on a actuel­le­ment : l'État est gou­ver­né par des dro­gués du pou­voir et des repré­sen­tants des inté­rêts finan­ciers. L'argument, c'est tou­jours : « Ils savent à quelle porte frap­per, ils savent com­ment obte­nir l'argent, ils savent se débrouiller avec les copains à Bruxelles. » D'accord. Mais si l'on veut autre chose, il faut, tout sim­ple­ment, ima­gi­ner autre chose. Il n'y a pas de rai­sons de pen­ser qu'une Chambre par­tiel­le­ment issue d'un tirage au sort, dans une logique de man­dats courts et non renou­ve­lables, serait pire qu'une Chambre repré­sen­tant les dro­gués du pou­voir, les notables locaux et les repré­sen­ta­tions des inté­rêts finan­ciers. La ques­tion des ins­ti­tu­tions a été com­plè­te­ment délais­sée par la gauche dite radi­cale. Au nom du vieux prin­cipe mar­xiste selon lequel les appa­rences de la démo­cra­tie for­melle cachent la réa­li­té pro­fonde de la domi­na­tion éco­no­mique, cette gauche a aban­don­né toute pro­po­si­tion sur les trans­for­ma­tions de la vie publique. Il est clair, par ailleurs, que ceux qui pré­sentent le tirage au sort comme solu­tion qui résou­drait à elle seule la ques­tion du pou­voir du peuple oublient que ce pou­voir est d'abord un contre-pou­voir pro­duit par la dyna­mique effec­tive de la lutte. Il faut que ce contre-pou­voir existe pour que des formes nou­velles prennent sens et force.

Dans votre ouvrage Moments poli­tiques, vous reve­nez sur la notion de « com­mu­nisme » et sur ce qu'il serait pos­sible et pen­sable d'en faire. Vous avez tra­vaillé sur la tra­di­tion anar­chiste, dans votre œuvre, mais vous sem­bliez, avec ces écrits, faire vôtre cette voix communiste.

Le texte auquel vous faites réfé­rence a été pro­non­cé lors d'un col­loque consa­cré au com­mu­nisme. Si quelqu'un m'invite à un col­loque sur l'anarchisme, j'en serai — mais il est plus dif­fi­cile de trou­ver des fonds et la logis­tique néces­saire à un grand col­loque sur l'anarchisme que sur le com­mu­nisme. (rires) J'ai pro­po­sé une défi­ni­tion du signi­fiant démo­cra­tique qui est anar­chique, au sens fort : il n'y a pas de puis­sance qui soit auto­ri­sée et légi­ti­mée à exer­cer le pou­voir. La démo­cra­tie, ce n'est rien d'autre, au fond, que le rap­pel du signi­fiant anar­chique. J'ai, par ailleurs, beau­coup tra­vaillé sur la tra­di­tion anar­chiste et le syn­di­ca­lisme révo­lu­tion­naire : l'idée com­mu­niste a un sens si elle est celle du pou­voir de n'importe qui — et c'est anar­chiste. Il y a une grande force his­to­rique du mou­ve­ment liber­taire et de nom­breux héri­tages très forts. Mais il faut bien dire que l'anarchisme a trop sou­vent signi­fié, his­to­ri­que­ment, la consti­tu­tion d'une petite secte doc­tri­naire : on a trou­vé du doc­tri­na­risme et de la com­pro­mis­sion poli­tique dans l'anarchisme comme dans le com­mu­nisme. J'ai pu consta­ter, dans mes recherches, qu'un cer­tain nombre de syn­di­ca­listes liber­taires se sont mis au ser­vice de Vichy, pre­nant ain­si la place des com­mu­nistes, rayés de la carte. Je dis­tingue l'anarchisme comme prin­cipe et idéo­lo­gie, sou­vent entra­vés par leurs propres pesan­teurs. J'ai une sen­si­bi­li­té pro­fon­dé­ment anar­chiste mais je la sépare des petits groupes anar­chistes. Et je tiens à dis­so­cier ce prin­cipe de la confu­sion qu'on entre­tient aujourd'hui : on appelle « anar­chistes » les gens qui, avec ou sans dra­peau noir, cassent des dis­tri­bu­teurs de billets à la fin des mani­fes­ta­tions… L'anarchisme, c'est d'abord l'autonomie. Ce sont les coopé­ra­tives de pro­duc­tion et de consom­ma­tion, les formes de trans­mis­sion de savoir et d'information auto­nomes par rap­port aux logiques domi­nantes. C'est l'indépendance à l'égard de la sphère gouvernementale.


Photographies de ban­nière et de vignette : Stéphane Burlot | Ballast


image_pdf

REBONDS

☰ Lire notre article « L'émancipation comme pro­jet poli­tique », Julien Chanet, novembre 2016
☰ Lire notre entre­tien avec Ivan Segré : « Être à l'affut de toutes les conver­gences pro­gres­sistes », sep­tembre 2016
☰ Lire notre entre­tien avec Manuel Cervera-Marzal : « Travail manuel et réflexion vont de pair », mars 2016
☰ Lire notre article « Droite et gauche, le couple des pri­vi­lé­giés », Émile Carme, février 2016
☰ Lire notre entre­tien avec Razmig Keucheyan : « C'est à par­tir du sens com­mun qu'on fait de la poli­tique », jan­vier 2016
☰ Lire le texte inédit de Daniel Bensaïd, « Du pou­voir et de l'État », avril 2015

Publié le 04 mai 2017 dans Philosophie

三囲神社 - Wikipedia

三囲神社 - Wikipedia

三囲神社

三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、東京都墨田区向島に在る神社である。祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)。

概要

倉稲魂命(宇迦之御魂神)を祀る。旧村社(現在はかつての小梅村にあたる地区にあるが、旧地は須崎村にあったと推測されている)。元、田中稲荷と称した。創立年代は不詳。伝によれば、近江国三井寺源慶[要曖昧さ回避]が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。

元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人宝井其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。このことからこの神社の名は広まり、松阪の豪商・三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、越後屋の本支店に分霊を奉祀した。

本来は牛嶋神社の隣にあったが、洪水で一度流され、河岸に堤が築かれることになった際に南へ少し移動した[1]。その堤のために、対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。

三井家との関係

三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の"囲"の文字に三井の"井"が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。社域の一角には没後100年を経た三井家当主たちを祀った「顕名霊社」がある。三井グループ各社の総務部によって三囲会が組織されており、年に4回代表が一堂に会し祭典を催している[2]。閉店した池袋三越前にあったライオン像も寄贈されている。
三越各店に分社があるが、なぜか日本橋本店(屋上)ではなく銀座店(9階屋上)に社務所がある(日中のみの対応で諸業務のほかおみくじも引ける)。

祭神

[icon]
この節の加筆が望まれています。
  • 宇迦之御魂之命、宇迦御魂之命

なお、丹後神社の祭神も、宇迦御魂之命である。

その他

この神社の境内には、隅田川七福神のうち「恵比寿」・「大国神」が祀られている。

木嶋神社と同様の石造りの三柱鳥居がある。この石造りの三柱鳥居は「三井邸より移す。原型は京都太秦・木嶋神社にある」と境内に表示されている。

三柱鳥居の手前には三本柱の屋根を持つ手水鉢がある。

ライオンの狛犬

神社境内の狛犬の傍にライオンが置かれている。三越デパートの入り口に置かれている物と同じ像で、2009年平成21年)に三越から奉納された。かつては池袋三越店頭に設置されていたもので、同店の閉店に伴い、神社からの申し出により、三越と強い縁を持っている事から実現した。

灯籠

三囲神社の灯籠の火袋には三つの穴があいている。三つ穴灯籠三郷市丹後神社にもある。

三囲神社、丹後神社の祭神は共に宇迦御魂之命である。

一勇斎歌川先生墓表

明治6年(1873年)に浮世絵師歌川国芳を顕彰するために絵馬堂脇に建立された石碑

詳細は「一勇斎歌川先生墓表」を参照

文化財

三囲神社石造鳥居(堤下の大鳥居)
墨田区登録有形文化財(建造物)[3]
三囲神社本社
墨田区登録有形文化財(建造物)[3]
宝井其角「ゆうだちや」の句碑 (雨乞いの句碑)
墨田区登録有形文化財(歴史資料)[3]
三囲神社の石造常夜燈
墨田区登録有形文化財(歴史資料)[3]
「一勇斎歌川先生墓表」(歌川国芳顕彰碑)
墨田区指定有形文化財(歴史資料)[3]
三囲神社の石造狛犬
墨田区登録有形民俗文化財[3]
三囲神社の石造神狐
墨田区登録有形民俗文化財[3]

所在地

脚注

参考文献

"登録文化財一覧". 墨田区ホームページ. 墨田区. 2020年6月26日閲覧。normal

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、三囲神社に関連するカテゴリがあります。