2020年11月28日土曜日

~社会科学の系譜とMMT~

    ~社会科学の系譜とMMT
1900年 世界恐慌            2000年 世界金融危機
 人類学 ┏イネス ポランニー  グレーバー
  法学 ┃H・グリアソン P・グリアソン 
 社会学 ┃ジンメル        インガム
リスト D⬇︎ ウェーバー   
 ドイツ ┃ ⬆︎       [☆=MMT
┏歴史学派┃クナップ(➡︎ケインズ、ラーナー)
⬇︎    ┗┓ ⬇︎             
┗旧制度学派┃コモンズ
      ┃   ┃(ジョン・ガルブレイス
      ┃    ┃ ジェームス・ガルブレイス
      ┃ ┃ (ケインズ➡︎┛)
マルクスA ┃カレツキ━━━┓ラヴォア
      ┃ ┗━━━➡︎┓┃ゴドリー 
      ┃      ┃⬇︎フルワイラー
ケインズB ┗➡︎ケインズ➡︎ミンスキー➡︎
 キーン
        ┃  レイ☆、ケルトン☆ 
ポストケインズ派 ┗➡︎ラーナー ミッチェル 
            フォーステイター
        ヴィックレー チャーネバ
実務家   エクルズ オカシオ=コルテス
       ┗ホートリー(ケインズ)
        モズラー
  (リスト) ➡︎中野剛志☆、
三橋貴明
  日本 西田昌司☆、藤井聡☆、望月慎
ケネー C               ⬆︎
シュンペーター シュンペータ━   ━━━━┛
         カルドア ムーア


anthropologists study taboo things everybody knows 
but no one is supposed to talk about in british society 
you can say almost anything you like about sex 
economics however is riddled with taboo 
there are basic economic principles that everybody knows 
but no one is ever allowed to talk about.
today i want to talk about Wong let's call it the peter paul principle 
the less the government is in debt the more everybody else is 
the mathematics are simple 
imagine 40 poker chips peter has half paul has the rest obviously if peter gets 10 more then paul has 10 less.
 now look at this it's a diagram of the balance between public and private sectors notice.
how the top is an exact mirror of the bottom this is what's called an accounting identity.
one goes up the other must necessarily go down what this means is that.
if the government declares we must act responsibly and pay back the national debt and runs a budget surplus then it.
the public sector is taking in more money in taxes out of the private sector than it's paying back.
 in that extra money has to come from somewhere so if the government goes into surplus the private sector goes into deficit if the government reduces its stat everyone else has to go into debt in exactly.
that proportion in order to balance their own budgets.
the chips are redistributed this isn't a theory it's simple math now you might be asking why does anybody have to be in debt why can't everybody.
governments people businesses just live within their means because then there wouldn't be any money.
this is another thing everybody knows but no one really wants to talk about money is debt bank notes are just a bunch of circulating ious don't believe me look at any banknote in your pocket.
 it says i promise to pay the bearer the sum of five pounds see it's an io pounds are either circulating government debt or they're created by banks by making loans that's where money actually comes from.
 you might say okay that doesn't mean i'm going to end up in debt just be improvident but in the real world how does distributed has very little to do with fiscal responsibility it's mainly about power the wealthy have a million ways to wriggle out of debt the debt always gets passed off on those least able to pay so when the government runs a deficit creditors rich people again end up holding a lot of government bonds which pay quite low rates of interest the government taxes you to pay it off all of us have to pay our share.

all that's really happening when it runs a surplus is that same government takes that same debt and effectively transfers it directly to you as higher mortgage debt payday loans and so on at much higher rates of interest yet somehow taxes never seem to go down everyone really knows this it's just a taboo to say it because what it really means is if the government balances its books it makes it almost impossible for you to balance yours.

人智学はタブーを研究する 
イギリス社会では誰も口にしないことになっている 
エッチのことなら何でも言える 
経済学はタブーだらけ 
知る人ぞ知る経済原理 
とか言っても、誰も口にすることは許されない 
今日はウォンの話をしたいと思います 
ピーター・ポールの原理と 呼んでみましょう 
借金が減れば皆が増える 
数学は簡単 
ポーカーチップ40枚を想像してみてください ピーターは半分を持っています ポールは残りを持っています 明らかにピーターが10枚以上手に入れれば、ポールは10枚少なくなります。
  さて、これを見てください 公的部門と民間部門のバランスの図です。
上が下と正確に一致しているのは、これが会計上のアイデンティティーと呼ばれるものです。
一方が上がれば、他方は、必然的に下がらなければなりません。これが何を意味するかというと、
政府が、責任を持って行動して、国の借金を返済すると宣言して、予算が黒字になれば、
公共部門は、民間部門から、返済よりも多くの税金を取り込んでいます。
  政府が黒字になれば民間部門は赤字になり、政府が財政を縮小すれば、他の誰もが正確に借金をしなければなりません。
自分たちの予算を均衡させるために、その割合で借金をしなければなりません。
チップは再分配されます。これは理論ではなく、単純な数学です。なぜ、誰もが借金をしなければならないのか、なぜ、誰もができないのかと聞きたいかもしれません。
なぜ、誰もが借金をしなければならないのか、なぜ、誰もができないのか。政府、人々、企業は、自分たちの手段の範囲内で生活しているだけです。
これは誰もが知っていることですが、誰もがお金の話をしたがらないことです。借金とは、銀行券はただの流通する紙幣の集まりです。
  5ポンドの金額を持ち主に支払うことを約束すると書いてありますが、これはイオポンドです。
  借金で終わるわけではないと言うかもしれませんが、現実の世界では、どのように分配されているのでしょうか?財政責任とは、ほとんど関係ありません。主に権力の問題です。富裕層は、借金から抜け出す方法をいくらでも持っていますが、借金は常に支払い能力の低い人たちに転嫁されます。

政府が黒字になると、実際に起きていることは、同じ政府が同じ借金をして、その借金を、住宅ローンや給料日ローンなどの高金利の借金にして、直接、あなたに渡してしまうことです。

2020年11月23日月曜日

ミッチェル2019#30 Bancor

   参考:


bancor2



ミッチェルが主に参照したのは、
C. Sardoni & L. Randall Wray, 2007. "
Fixed and Flexible Exchange Rates and Currency Sovereignty," Economics Working Paper Archive wp_489, Levy Economics Institute,
(マルクスとケインズの関係を正確に把握している)

及び、
ケインズ全集#25
戦後世界の形成 一清算同盟-1940~44年の諸活動-
(ケインズ全集第25巻)1992年5月28日 発行

ミッチェルはバンコールを固定相場制限定アイデアと考えている。

bancor



 ケインズのバンコール計画とブレトンウッズの終焉 

ここでの議論は、Sardoni and Wray(2007)の研究に続くものです。ケインズは、バンコールと呼ばれる会計単位に基づいて国際清算連合(ICU)を設立するよう求めた。バンコールの価値は金に対して固定され、ICUに参加しているすべての国の通貨はバンコールに対して固定されます。Bancorは、国間の清算目的でのみ使用されます。各国は金を使用してICUからBancorの残高を購入できましたが、Bancorを金と引き換えることはできなかったため、Bancorでの実行はありませんでした。 

当初、Bancorの埋蔵量は、以前のレベルの国際貿易に基づいて国々に分配されていました。貿易黒字を出している国は追加の準備金を蓄積し、赤字国は準備金を失います。ICUは、準備金を使い果たした国々に当座貸越施設を提供します。準備金はシステムを離れることができず、ICUは赤字国に前進することでBancor準備金の供給を常に拡大することができました。さらに、黒字国は、Bancorの準備金を使用して、赤字国への融資、投資、または一方的な助成を行うことができます。 

ケインズは、バランスの取れた貿易を促進するために、過度の当座貸越と1〜2パーセントポイントの過度の準備金残高に対する請求を求めました。赤字国の場合に取られるべき他の可能な行動には、通貨切り下げ、資本規制、金準備の差し押さえ、および国内政策が含まれていました。余剰国に対して取るべき行動には、内需の拡大、通貨の上昇、関税およびその他の貿易障壁の引き下げ、および国際開発融資の奨励が含まれていました(Keynes 1980:462–3)。最後に、ICUはその力を利用して、救援活動、商品の緩衝在庫の開発、国際投資公社の設立、および価格の安定化のための当座貸越の使用を通じて経済発展を促進することができます(Keynes 1980:190)。 

バンコールプランは採用されませんでした。ブレトンウッズ体制は、米国から世界の他の地域へのドルの流れが、世界のドル資産の需要を満たすのに十分である限り機能しました。1960年代後半までに、ドルは圧力にさらされ、世界中のドル請求の量は米国の金準備を大幅に上回り、ドルの比較的小さな部分だけが償還のために提出された場合、保有者がこれらの準備を使い果たす恐れがありました。確かに、ドルの大幅な切り下げのヒントは、実行を生成します。これが起こるのではないかと恐れて、このシステムは、米国の金準備を保護するために1970年代初頭にニクソン大統領によって放棄されました。米国は通貨を変動させ、ほとんどの大国がそれに続いた。 

ケインズのバンコール計画と比較したBWシステムの弱点は次のとおりです。

1.国際準備通貨として米ドルが使用されました。ケインズの計画では、準備通貨はバンコールになります。個々の国の通貨ではなく、国際通貨。 

2.米ドルは金に変換可能であり、実行が可能になりました(Bancorは変換できませんでした)。 

3.国際通貨準備を赤字国に送る「逆流」法は、バンコール計画よりもBWシステムの方がはるかに弱かった。 

4. BW制度の下で余剰国に罰則は課されなかったが、Bancor計画は、過剰な準備金を蓄積した国にそれらを「使用または喪失」させることになる。 

ドルへの必然的な圧力がBWシステムの崩壊につながったとき、主要国は変動相場制に移行するために米国に加わった。この動きは、一部の新古典派経済学者、特にミルトン・フリードマンによって支持されました。主張は、柔軟なシステムは、金本位制時代の貿易の不均衡を迅速に是正したとされる伝説の「種の流れ」メカニズムのように機能するというものでした。正統派の主張は、変動相場制では、貿易の不均衡により通貨が調整され(黒字は通貨を高く評価し、赤字は通貨を下落させる)、世界貿易を自動的に均衡に戻すというものでした。 

ブレトンウッズの放棄以来、ほぼ半世紀の経験を経て、この主張は完全に信用を失っています。確かに、多くの国は変動相場制を採用していませんが、介入は貿易不均衡の持続を説明するのに十分な大きさではありません。長期的な貿易不均衡に加えて、世界は、単に貿易不均衡のために予想されるよりもはるかに大きな為替レートの不安定さを(特に発展途上国の間で)非常に経験しています。したがって、変動相場制への移行は貿易収支をもたらしませんでした。米国のような国は何年にもわたって大きくて増加している経常赤字を出してきましたが、日本のような国は均衡を求める為替レートの調整を開始せずに何十年もの間大きな経常黒字を出しました。 

ケインズの為替レートへのアプローチとバンコール計画に沿った国際通貨制度の改革の難しさの1つは、多くの主流の分析と同様に、資本の動きがあまり注目されない一方で、貿易の不均衡と当座預金に集中することです。公平を期すために、ケインズは「自由な」資本の流れを予見していなかったし、支持もしなかった。彼の提案は、財政は国内のままであると推定した。ケインズの提案は、為替レートの調整が機能しない可能性があることを認識し、持続的な貿易赤字を抱える国に緊縮財政を課すという選択肢を維持したことにも注意してください。結果として、お金は交換の媒体と見なされる傾向があります。ICUでの彼の仕事では、ケインズは、彼の目標は、国が「商品と商品の取引」を行っているかのように外貨両替が行われる国際通貨システムを設計することであると述べた(Keynes 1980:18)。ICUの運用は、Bancorの予備がアイドル状態の貯蔵庫に失われないように設計されます。むしろ、ある国の準備金が別の国の当座貸越の基礎を形成し、それによって貿易を促進するでしょう。ケインズの提案は、外貨準備を蓄積している国々にペナルティを課すだろうが、それでも、お金が(ほとんど)商品を流通させるという見解に基づいているように思われる。それによって貿易を奨励します。ケインズの提案は、外貨準備を蓄積している国々にペナルティを課すだろうが、それでも、お金が(ほとんど)商品を流通させるという見解に基づいているように思われる。それによって貿易を奨励します。ケインズの提案は、外貨準備を蓄積している国々にペナルティを課すだろうが、それでも、お金が(ほとんど)商品を流通させるという見解に基づいているように思われる。

 今日の現実の世界では、通貨は当座預金取引だけでなく、資本勘定取引でも使用されています。したがって、資本が完全に動かない場合を除いて、経常収支の不均衡を解消するために為替レートを調整する理由はありません。確かに、国の制限を簡単に回避するグローバルファイナンスの成長に伴い、国際取引の大部分は当座預金に直接関係していません。 

資本規制が政治的にも技術的にも実行可能でない場合、国際通貨システムは商品に対する商品取引がうまく機能しないかのように機能するべきであるという信念に基づいて為替レートシステムを設計します。さらに、米国、中国、ユーロランドのように多様な関心を持つ国や国のグループが集まって、日本、ドイツ、中国は言うまでもなく、世界最大の貿易赤字国である米国に厳粛さを課している。 

ケインズ計画は、為替レートを固定し、貿易の不均衡を減らすためにいくつかの手順を採用することにより、外部の安定性を高めることを望んでいました。しかし、以下で議論する理由により、固定相場制の国家が国内政策を利用して内部の安定を達成する能力が低下するため、これには多大なコストがかかります。強化された外部安定性自体が内部安定性も生成しない場合、外部安定性と内部不安定性のトレードオフがあります。 

★国際通貨への代替(MMT)アプローチ:変動金利とソブリン通貨 

前節で論じたように、貿易と経常収支の不均衡に焦点を当てた国際通貨制度の改革派プロジェクトは、資本移動が中心的な役割を果たす現状への不十分な対応である。ここでは、同じくケインズから派生した国際通貨制度への代替アプローチの概要を説明します。この代替アプローチは、各国による変動相場制の採用を意味するため、現在の状況に関連しています。 

米国のような国(および日本、英国、ユーロを採用する前のヨーロッパ諸国、カレンシーボード制を放棄した後のアルゼンチンなど)は、国内で使用するための通貨を作成し、主にその通貨。ただし、法定通貨法を採用している通貨もあります。州(国庫と政府の代理人として機能する中央銀行を含む)は、マネタリーベースを他の通貨または金に変換する約束なしに、マネタリーベース(中央銀行の現金と準備金)を発行して使用しますまたはその他の商品、固定為替レート。国民国家がその通貨に関してこのように振る舞い、その財政的独立を維持する能力は、ここでの主権への言及が意味するものです。 

支払いを行うソブリン政府の能力は、収入の制約も準備金の制約もありません。さらに、ソブリン証券に支払われる金利は、通常の「市場の力」の影響を受けません。短期国債は基本的に利払い準備金と同等であり、したがってオーバーナイト銀行間市場での貸付に近いものであるため、中央銀行が設定したオーバーナイト金利が短期政府の「借入」金利を左右します2。ソブリン国家は、政府債務の短期金利を必要なだけ低く(または高く)選択できること。基本金利がゼロになるか100になるかは金融政策の問題であり、市場の決定の対象ではありません。 

非統治政府はまったく異なる状況にあります。「ドル化された」国では、政府はドルを獲得できなければなりません。(たとえば)米ドル建ての独自のIOUを発行できる場合もありますが、ドルとの同等性を維持するには、IOUを実際の米ドルに変換する準備ができている必要があります。したがって、税金を使用し、IOUを発行して、支出を見越して米ドルの準備金を取得します。主権国家の場合とは異なり、この政府は支出する前にドルの預金を持っている必要があります。さらに、主権国家とは異なり、非主権政府は、自国の債務を返済するために第三者のIOU(米ドル)を提供することを約束します(米国および他の主権国は、独自のIOUのみを提供することを約束します)。このため、非主権政府のドル負債の金利は独立して設定されていません。それは効果的にドルを借りているので、ドル化された国が支払う率は3つの要因によって決定されます。まず、米国(ドルの発行者)の金融政策によって設定されたドルの基本レートがあります。第二に、非ソブリン政府の信用力に関する市場の評価があり、これは多くの要因によって決定される可能性があります。これらの2つの考慮事項は、市場が許容する最低金利を決定します。第三に、金利はまた、国の為替レートを固定または別の通貨に固定する必要性によって制約されています。したがって、通貨のユーザー(発行者ではない)としての非主権政府は、国内金利を独立して設定することはできません。まず、米国(ドルの発行者)の金融政策によって設定されたドルの基本レートがあります。第二に、非ソブリン政府の信用力に関する市場の評価があり、これは多くの要因によって決定される可能性があります。これらの2つの考慮事項は、市場が許容する最低金利を決定します。第三に、金利はまた、国の為替レートを固定または別の通貨に固定する必要性によって制約されています。したがって、通貨のユーザー(発行者ではない)としての非主権政府は、国内金利を独立して設定することはできません。まず、米国(ドルの発行者)の金融政策によって設定されたドルの基本レートがあります。第二に、非ソブリン政府の信用力に関する市場の評価があり、これは多くの要因によって決定される可能性があります。これらの2つの考慮事項は、市場が許容する最低金利を決定します。第三に、金利はまた、国の為替レートを固定または別の通貨に固定する必要性によって制約されています。したがって、通貨のユーザー(発行者ではない)としての非主権政府は、国内金利を独立して設定することはできません。これらの2つの考慮事項は、市場が許容する最低金利を決定します。第三に、金利はまた、国の為替レートを固定または別の通貨に固定する必要性によって制約されています。したがって、通貨のユーザー(発行者ではない)としての非主権政府は、国内金利を独立して設定することはできません。これらの2つの考慮事項は、市場が許容する最低金利を決定します。第三に、金利はまた、国の為替レートを固定または別の通貨に固定する必要性によって制約されています。したがって、通貨のユーザー(発行者ではない)としての非主権政府は、国内金利を独立して設定することはできません。 

このことから、資本移動性の高い世界で国が金利を設定する能力は、変動相場制の採用に左右されるということになります。変動相場制は、特に開発途上国にとって重要です。彼らは、巨額の対外債務、外貨準備の減少、市場の期待によって引き起こされた、アジア(1990年代)とラテンアメリカ(1980年代)の国々(この章の前半で説明)が苦しんだ金融と為替レートの危機に正しく懸念しています。その為替レートのペグを保持することができませんでした。

 対照的に、独自の変動相場制通貨を採用している国は、失業中の国内資源を機能させる余裕が常にあります。政府は自国通貨建ての負債を発行し、自国通貨建ての債務を返済します。その債務が内部または外部に保持されているかどうかにかかわらず、破産リスクに直面していません。これは、国が貿易収支や為替レートの変動を必ずしも無視できるという意味ではありませんが、国内の雇用と成長を政策課題の最上位に置くことができるという意味です。

 主権国家は、国内政策を利用して国内または国内の安定を達成することができます。これには、外部の不安定性が大きくなる可能性があります。変動相場制は、前述のように、必ずしも貿易をバランスに向けて動かすとは限りません。ただし、マクロの観点からは、輸入は利益になり、輸出はコストになることを覚えておく必要があります。したがって、貿易赤字は純利益を意味します。これは、国内雇用への影響が推定されるため、貿易収支の議論では通常無視されます。しかし、国内政策が安定に向けられている限り、貿易赤字が存在する場合でも完全雇用を達成することができます。 

これには通貨の主権が必要であり、変動相場制が必要になります。貿易赤字が為替レートに下向きの圧力をかけ、国内インフレに「パススルー」の影響を与える可能性があります。必要に応じて、国内政策は、インフレ圧力を緩和するためにより厳しい財政政策を採用する従来の方法を含め、インフレとの戦いに転向することができます。しかし、そのソブリン通貨を使用して、国は代わりに、賃金と価格を安定させるのを助けながら、完全雇用を自動的に保証する雇用保証を採用することができます。 

固定相場制を採用している国は、外部の安定を生み出す条件が、内部の安定を可能にする条件と一致することを期待しなければなりません。対照的に、浮かぶ国は、貿易赤字、実質貿易条件の改善(貿易赤字は、輸出の観点からの輸入の「実質」コストが低いことを意味する)、および国内の完全雇用の純利益を享受することができます。これらはすべて、通貨安と価格上昇の可能性のあるコストによっていくらか相殺される可能性があります。為替レートを固定する国は(為替レートの圧力のために)貿易赤字を「賄う」ことができないかもしれず、おそらくそのペグを維持するための手段として国内失業を使わなければならないでしょう。これらの理由から、変動相場制は、独立した政策形成のための「政策空間」を維持します。 

★★ユーロと最適通貨圏 

共通通貨圏の創設につながったヨーロッパの経験は、変動相場制を放棄することによって主権を放棄するという国民国家にとっての有害な結果のもう1つの重要な例です。欧州諸国は、共通通貨圏を採用し、欧州内の安定した為替レートを求めて単一の中央銀行を設立しました。組合内の固定為替レートにつながる金融統合には本質的に何の問題もありません。確かに、米国は50の州の間で固定為替レートを持つ通貨同盟と考えることができます。非常に疑わしいのは、金融統合がどのように追求されたかです。財政統合への懸念が最小限であるため、連邦主権財政機関が設立されなかったにもかかわらず、個々のヨーロッパ諸国は通貨主権を失いました。 

ヨーロッパの統合プロセスは、常に政治的要因が果たす重要な役割によって特徴付けられてきました。著しく異質な国々で構成される通貨圏の創設は本質的に政治的な決定であり、それらの経済的収斂の自発的な結果ではありませんでした。これは、通貨統合自体が、効率的な通貨圏に必要な国々の間の経済的収斂の程度を促進するという考えに基づいています。このようにして、ヨーロッパはマンデルのOCAの1つになる可能性があります。 

しかし、ヨーロッパは政治的側面の重要性を認識しながら、統合の過程における国家と政治の役割の重要性を見落としていました。第一に、ヨーロッパは、OCAの事後作成に向けたプロセスにおいて、連邦レベルの財政政策が果たすことができる役割を避けました。共通通貨を採用している国々が異質であり、価格や賃金の柔軟性が低く、生産要素の流動性が低いという状況では、非対称ショックのリスクは、財政カウンターパートを作成することで対処できます。単一の中央銀行に。 

欧州における金融統合のプロセスは、財政政策が長期的には歪曲的で効果がないと見なす理論的スタンスに依存していました。より一般的には、国家の介入は、経済の自発的な働きを妨げないために、可能な限り回避するものと見なされています。その結果、ヨーロッパは非常にユニークなプロセスを採用しました。財政の権威を持っている国家とお金の創造と管理との間の強いつながりは、国民国家から完全に独立していて財政的な対応物を持たない中央銀行を持つという点まで弱まりました。 

一般に、独立した中央銀行の概念には欠陥があり、曖昧ですが、具体的なヨーロッパの経験では、その概念は実現しました。欧州中央銀行(ECB)は、その目的の決定とそれを実現するために採用された政策の両方に関して完全に独立しています。この枠組みでは、個々の国民国家は、生産と雇用に影響を与えるために財政手段を自由に使用することができないため、制約を受けています。ヨーロッパは悪循環に陥っているようです。ECBの反インフレスタンスと「財政的責任」を求める欧州政府の要件は、かなりの停滞を引き起こしています。「慎重な」(または制限的な)金融および財政政策は、一般的に投資の成長と総需要を思いとどまらせます。財政赤字の内生的な性質は、成長の鈍化が税の生成を妨げることを意味します。赤字が拡大する原因になります。これにより、財政パラメータを維持することがさらに困難になり、したがって、需要にさらに悪影響があります。

 この文脈において、欧州連合は経済成長の原動力として外需に依存しています。しかし、これは循環性を生み出します。各加盟国は、他のEMU諸国と世界の他の地域の両方で、部分的には低コストの生産者になろうとすることによって、純輸出を増加させようとします。為替レートはEMUの他の部分と固定されているため、唯一の選択肢は、加盟国内の賃金と価格を維持または削減するか、より高い生産性の成長を達成することです。前者は、緊縮財政と成長の鈍化に対する圧力をさらに高めます。ユーロの経験は、実質的な国際力を持つ大規模な貿易圏の場合でも、固定相場制への「一人で行く」アプローチを提唱する人々に否定的な教訓を提供します。

★★★結論 

ブレトンウッズ体制が形成された1940年代以降、世界は大きく変化しました。ある世代では、そのシステムは、固定されているが調整可能な為替レートで、かなりうまく機能していました。しかし、それは資本の流れが制御され、比較的小さく、公式の流れ(IMF、世界銀行、米国のマーシャルプランから)によって支配されている世界のために開発されました。結局のところ、これはケインズ自身の計画が為替レートに対する資本移動の役割と影響をほとんど無視した理由を説明することができます。さらに、戦後の米国の圧倒的な支配もあって、商品やサービスの貿易でさえかなり抑制されていました。 

やがて、ヨーロッパが回復し、アジアが主要な生産国になったため、米国は地位を失いました。同様に、民間資本の流れは徐々に増加し、その後急流になりました。これは、一部は技術の変化によるものであり、一部は金融市場を解放しようとする「新自由主義」政策によるものです。その方向に多くの進歩が見られる前でさえ、ブレトンウッズ体制は崩壊した。ケインズのバンコール計画に基づく固定為替相場制への復帰を懐かしく求める人もいますが、現在の経済的および政治的傾向により、これは非常にありそうにありません。また、投機的な攻撃が事実上すべてのペグを壊す可能性がある場合、大規模なドルの蓄積を蓄積しているいくつかの現代の重商主義国を除いて、ほとんどの国が個別に固定為替レートを採用することはできません。 

固定相場制は重要な自由度を取り除き、国内の財政および金融政策を為替相場に人質にします。変動金利は、国内の政策の独立性を高め、財政および金融政策のスペースを提供します。ただし、変動相場制を採用することは万能薬ではないことを強調する必要があります。それは、政策の独立を獲得するための必要条件にすぎません。それ自体では、このポリシーの独立性の啓発的な使用や、成長と発展への容易な道筋を保証するものではありません。現在の世界の状況では、変動相場制は必要ですが、より多くの成長、雇用、福祉を促進できる政策を実施するための十分条件ではありません。最終的に、そのような政策の採用は、そうする社会的、政治的、経済的関係者の能力と意欲に左右されます。 

柔軟なまたは変動金利制度は必ずしも「フリーフロート」システムではないことに注意してください。変動相場制は、裁量的介入の余地を残す可能性があります。いくつかの状況では、財政および金融政策、ならびに為替市場での公式取引を引き続き使用して、為替レートを「管理」することができます。特に、過大評価された通貨から生じる競争圧力を緩和するために、迅速な再評価の場合には介入が必要となる可能性があります。しかし、国内、内部、安定を達成することが政策の主要な目標であり、完全雇用が最も重要な国内政策の目標です。

 変動相場制は、各国にもう1つの自由度を与えますが、もちろん、いくらかのコストも意味します。そのようなコストの中には、為替レートと交易条件の変動の可能性、および自国通貨の大幅な下落に起因するインフレプロセスのトリガーの可能性のあるコストのために、より大きな程度の不確実性があります。輸入品の価格が上昇します。この観点から、特に発展途上国の場合、変動相場制と資本規制および通商政策の何らかの組み合わせによって、より大きな安定性と独立性が達成される可能性があります。これらの要因により、管理為替レートの採用が容易になります。しかし、現在の世界情勢に効果的な資本規制をどのように導入するかという問題は未解決のままです。 

ケインズの計画は、何らかの形の国際統治の存在に依存していた。金融開発に注力することで経済成長を促進する国際機関を構築することが可能になれば、為替レートや交易条件をより安定させることで国際経済のパフォーマンスを向上させることもできます。 

この観点から、ヨーロッパでの経験はその好例です。原則として、金融統合は、欧州諸国におけるより安定した外部条件の必要性に対する正しい対応である可能性があります。しかし、現在のヨーロッパの取り決めは、為替レートに安定性を与えていますが、より多くの成長とより高いレベルの雇用を保証するために効果的に機能していません。基本的な理由は、主権国家の政府が果たす役割を果たす超国家的な制度がないということです。言い換えれば、EMUは、固定相場制の世界体制がケインズらによって想定されたものと同様のタスクを持つ超国家的な機関なしではうまく機能できないのと同じ理由で、十分に機能しません。そのような超国家的な機関に服従する政治的意思はほとんどなく、そのため、 

★★★★31.6環境の持続可能性と経済成長 

この教科書では、マクロ経済政策の主な目標は完全雇用と物価の安定であることに注目して、マクロ経済学の研究を開始しました。

 ミクロ経済学とマクロ経済学の両方の中心的な考え方は効率です。あなたが利用できるものを最大限に活用する。マクロ経済レベルでは、「効率フロンティア」は通常、完全雇用、つまり利用可能なすべての労働資源が生産的に展開されている状況の観点から要約されます。完全雇用の概念は、マクロ経済学のさまざまな学派の間で激しく争われていることを学びましたが、これは、マクロ経済学のリソースを最大限に活用して完全雇用を達成することが、マクロ経済理論の中心的な焦点であり続けているという事実を否定するものではありません。ポリシー。議論は、その限界が実際に何であるかについてです。しかしながら、 

第20章から第24章で、資本主義金融経済は、有効需要の欠如の結果として、大量の非自発的失業をもたらす傾向があることを学びました。非自発的失業の解決策は、有効需要のレベルを上げて、働く意欲と能力のあるすべての人々を雇用するために必要なレベルと一致し、公的純支出で満たされるようにすることです。これは、完全雇用レベルの需要に対する非政府支出の不足を確実に埋めるために政府支出を増やすことによって達成できます。さらに、政府は、減税、金利引き下げ、投資および輸出インセンティブ制度など、さまざまな方法で非政府支出を刺激することもできます。 

これは、完全雇用という経済的および社会的に望ましい目標を維持するには、人口の増加に伴う総需要と実質GDPの継続的な成長が必要であることを示唆しています。 

第4章では、幸福の指標としての従来の市場ベースの国民所得の測定にはいくつかの欠陥があることを学びました。第一に、幸福を育む多くの活動(例えば、家事労働、子供たちの世話)は、サービスの支払いがなされない限り、経済活動として数えられません。さらに、市場で販売される生産物はすべて、GDPの従来の測定値に追加されます。したがって、社会は「成長」しており、軍事兵器の生産量が増加し、紛争時に大混乱をもたらす場合、より良く機能していると見なされます。同様に、メキシコ湾での2010年のディープウォーターホライズン油流出事故などの大規模な環境災害は、地域の海洋環境を荒廃させたとしても、浄化作業を通じて経済成長を後押しします。 

また、幸福の国民所得指標は、分配の問題をほとんど無視していることも学びました。同じ成長率を記録している2つの経済についてどう思いますか。一方、所得の伸びの大部分は少数派によって確保されており、残りの人口は貧困状態にありますが、他方では、人口は広く増加した実質所得のシェア? 

従来の実質GDP指標は、再生不可能な天然資源の枯渇率を高めるコストも無視しています。たとえば、鉱業や林業は経済成長を後押ししますが、関係する企業はその被害を生産コストとしてカウントしないため、取り残された環境被害は考慮されません。鉱工業生産の成長は実質GDPの成長にとって「良い」ものですが、活動に起因する土地、水、空気の関連する汚染は私たちの健康に悪影響を及ぼし、最終的には経済の生産能力を損なう可能性があります。自然のシステムは死にます。持続不可能な農業慣行が利用可能な生産的な土地の量を減らし、水路を破壊しているという証拠が増えていますが、それでも私たちの経済成長の測定ではドルを数えています。 

資本主義システムは、大量失業を引き起こしやすいだけでなく、自然資本を破壊している環境悪化を背景に成長していることは明らかです。これには、経済政策立案への「あらゆるコストでの成長」アプローチの転換が必要であるように思われます。 

マシューフォーステイターは次のように書いています。 

持続不可能な速度の天然資源の枯渇と土地、空気、水の過度の汚染という形での環境悪化は、現代の資本主義経済の特徴です。人類は現在、オゾン層破壊、地球規模の気候変動、生物多様性の喪失、土壌侵食、森林破壊など、地域の生態系危機と地球環境問題の両方の形で重大な課題に直面しています…(2003:386) 

人為的な地球温暖化と資源の枯渇が自然環境の健康を危険にさらしているという証拠が増えていることを考えると、完全雇用を維持したいという願望とその政策目標に関連する必要な成長が環境の持続可能性と一致しているかどうかが問題になります。私たちの経済的および社会的解決は依存しています。完全雇用は必要な社会的および経済的目標であるように見えますが、私たちの自然環境も維持されることを保証するという明白な必要性とそれを調和させることができますか?総需要を拡大して、労働力の成長と生産性の成長に追いつくのに十分な成長を促進し、長期失業者の膨大な在庫を一掃することができたとしても、すでに大きな緊張状態にある自然の生態系はどうすればよいのでしょうか。 、 対処? 

環境の持続可能性を構成するものの完全な取り扱いはこの教科書の範囲を超えていますが、いくつかの有用な観察を行うことができます。環境の持続可能性を構成するものの詳細については、Lawn(2001)およびForstater(2003)を参照してください。 

その文献から浮かび上がる重要な点は、成長自体が必ずしも良いか悪いかではないということです。上記の欠点を反映するために、成長の測定を確実に改善することができます。少なくとも、これには、経済活動の測定にすべての生産コストを含める必要があります。改訂された経済成長の正味測定値により、経済活動の規模の変化が全体的な幸福を促進しているかどうかを確実に理解できます。実質GDPの従来の測定値が成長の鈍化を示す可能性がありますが(これは現在問題と解釈されます)、実質GDPの新しい改善された測定値(コスト控除後)は持続可能な成長の改善を示します。 

しかし、仕事をしたいすべての人が適切な賃金と条件で仕事を見つけ、それでも環境の持続可能性の要件を満たすことができるようにするのに十分な成長を生み出すこともできます。 

明らかに、これは、環境的に持続可能な活動に向けて最終生産物の構成を変更する必要があることを示唆しています。完全雇用を維持するために必要となるのは、総需要自体の増加ではなく、特定の活動分野における総需要の増加です。 

人的可能性の無駄を排除することに熱心な政策立案者はまた、私たちの自然資本を保護し、資源の抽出から生じる無駄を最小限に抑えるというより広い目的を追求しなければなりません。つまり、「マクロ経済効率フロンティア」という私たちの概念には、自然資本を保護する必要性という追加の制約があります。 

フィリップローンはこれを「最適なマクロ経済規模」の観点から定義しています。 

ここで、国のマクロ経済の物理的規模とそれを構成する商品の質的性質は、国民が享受する持続可能な経済厚生を最大化します。最適なマクロ経済規模の概念は、継続的な成長の必要性を認識せずに、国が[持続可能な開発]をどのように達成できるかを理解できるため、非常に重要です。(2001:1–2) 

「最適なマクロ経済スケール」の概念を検討する際に、いくつかの疑問が生じます。まず、経済活動から得られる富を生み出し、維持することの利点は何ですか? 

第二に、利用可能な環境サービスを使い果たすという点で、このコストはいくらですか?自然資本は、「低エントロピー物質エネルギーの唯一の供給源であり、すべての高エントロピー廃棄物の究極の貯蔵所である」ため、ローン(2001:4)によって「すべての経済活動の元の供給源」として識別されています。経済活動は実質所得(生産された財やサービスを消費することから得られる満足度)を生み出しますが、これらの財やサービスを生産する人々に社会的費用も課します。 

ローンは、これらの経済的利益を生み出すプロセスの一環として、仕事の無駄や通勤のストレスなどの個人的なコストに耐えなければならないと述べ、彼が「純精神的収入」と呼ぶものの計算は、人的コストと経済的利益を反映していますアクティビティ。 

経済活動の人的コストを計算する際には、利用可能な環境サービスを枯渇させるコストも考慮に入れる必要があります。これらのサービス(低エントロピー物質エネルギー)を抽出すると、無駄(高エントロピー物質エネルギー)が生成され、それ以上使用できなくなります。この廃棄物は私たちの自然資本を枯渇させ、経済活動の究極の資源コストです。 

天然資源の枯渇のコストを定義しようとすると、生物システムは生きている存在であり、経済学者はそれを超えると死ぬ使用ポイントを定義できないため、失敗します。 

持続可能な純利益は、純精神的収入と経済活動の環境コストとの差です。国の最大のマクロ経済規模は、持続可能な純利益がゼロのときに発生します。この物理的な生産規模を超えて、環境コストは経済活動から得られる正味の精神的収入を上回ります。 

正味の精神的利益と環境コストの差が最大であるため、最大の持続可能な正味の利益のポイントは、最適なマクロ経済スケールです。したがって、マクロ経済効率のフロンティアは、正味の人的利益と、それらの正味の人的利益を生み出すために必要な環境コストとの並置によって定義されます。その場合、完全雇用目標は、必要な仕事の総数だけでなく、仕事の種類とこれらの仕事が従事する活動の観点からも表現する必要があります。 

人口の増加に伴い、雇用には成長が必要ですが、自由に市場に任せることはできません。それは、政府が彼らの貢献がどうあるべきか、そして彼らが非政府部門の貢献をどのように規制すべきかを決定するのを助けるために経済学者によって通常使用されない新しいツールによる注意深く導かれた成長でなければなりません。それを考慮すると、生産的な仕事の概念がかなり劇的に再形成されます。これは、現在、(私的)利益を追求するための「利益のある」有給の努力という観点から狭義に定義されています。 

☆References 

ABS(オーストラリア統計局)(さまざまな年)連邦財政ペーパー1. http://www.abs.gov.au/で入手可能、2017年6月14日にアクセス。 

バーナンキ、BS(2004)「大いなる安定」、米国連邦準備制度理事会、2月20日、ワシントンDCの東部経済協会の会議。 

BLS(労働統計局)(さまざまな年)。https://www.bls.gov/で入手可能、2018年10月12日にアクセス。 

連邦老齢保険および生存者保険および連邦障害保険信託基金の理事会(2016)年次報告書、米国政府印刷局、ワシントン。https://www.ssa.gov/OACT/TR/2016/tr2016.pdf、2017年 6月13日にアクセス。Boughton、JM(2001)「1956年のスエズは21世紀の最初の金融危機でしたか? 」金融と開発、38(3)、9月。入手可能:http://www.imf.org/external/pubs/ft/fandd/2001/09/boughton.htm、2017年 6月14日アクセス。 

Dantas、F。and Wray、LR(2017)「FullEmployment:Are We ThereYet?」、Levy Public Policy Brief、No。142、2月。 

米国大統領行政府(2016年)「プライムエイジの男性労働力参加の長期的衰退」、6月。https://obamawhitehouse.archives.gov/sites/default/files/page/files/20160620_cea_primeage_male_lfp.pdfで入手可能、2017年6月13日にアクセス。 

Forstater、M。(2003)「公共雇用と環境の持続可能性」、Journal of Post Keynesian Economics、Spring、25(3)、385–406。 

ケインズ、JM(1980)ジョン・メイナード・ケインズの収集された著作:活動1940–1944。戦後の世界を形作る:クリアリングユニオン、ロンドン:マクミラン。 

ペンシルバニア州ローン(2001)持続可能な開発に向けて:生態経済学アプローチ、フロリダ州ボカラトン:CRCプレス。 

マンデル、RA(1961)「最適通貨圏の理論」、American Economic Review、51(4)、657–65。 

ピジョン、マサチューセッツ州およびレイ、LR(2002)P。デビッドソン(編)の「需要制約とニューエコノミー」、21世紀の経済問題に関するポストケインジアンの視点、チェルトナム:エドワードエルガー、pp。158–94。 

Sardoni、C。and Wray、LR(2007)「固定相場制と変動相場制と通貨主権」、レビーエコノミックスワーキングペーパーNo. 489、1月。 

コンパニオンウェブサイトwww.macmillanihe.com/mitchell-macroにアクセスして、作成者のビデオ、インストラクターマニュアル、実例、チュートリアルの質問、追加のリファレンス、テキスト内のさまざまなグラフの作成に使用されるデータセットなどの追加リソースを確認してください。 




第31章付録1:ケーススタディ1 –経済成長:需要または供給の制約?米国、1975年から2007年はじめにこのケーススタディでは、過去半世紀の大部分にわたる米国の経済成長を検証します。31970年代初頭から1990年代半ばまでの期間は、標準以下の成長と比較的高い成長が特徴でした。戦後初期の期間とはまったく対照的な失業。1990年代初頭までに、多くのエコノミストは、成長は供給サイドの要因、つまり技術の進歩の減少、若年労働者による労働力への愛着の低下、求職者のスキルの低さによって制約されていると結論付けていました。驚いたことに、失業率が1960年代に最後に経験された低率に近づいた一方で、「ニューエコノミー」がドットコムの革新で急上昇したため、1990年代の後半にこれらすべてが変化しました。ドットコムの崩壊により経済成長が鈍化し、1990年代の終わりに景気後退が発生した一方で、商品、不動産、株式市場のバブルの相乗効果により、2000年代初頭に成長が再開しました。供給側に端を発した成長への「速度制限」についての初期の考えは、10年以上の間忘れられていました。実際、1995年から2007年の間に、より速い成長は生産性の上昇を伴い、供給側の制約についての話を一時的に弱めました。多くのオブザーバーは、私たちがより高い成長、より低い失業率、安定した価格、そして財政の安定という「新時代」に入ったと主張していました。それは、米国連邦準備制度理事会の2人の議長、アラン・グリーンスパンとベン・バーナンキ(2004)によってそれぞれ説明されているように、「ニューエコノミー」と「大安定」です。オーソドックスなアプローチでは、長期的な成長は、次の要因の成長の組み合わせから生じると考えられています。


2020年11月22日日曜日

IVA


図4,309
図5,316

分度器


邦訳では図4がない?






 


Die Natürliche Wirtschafts- ordnung - Silvio Gesell(Adobe PDF)
www.silvio-gesell.de/das-hauptwerk.html?.../Gesell...pd...
Silvio Gesells Hauptwerk "Die Natürliche Wirtschaftsordnung durch Freiland und. Freigeld" zehn Auflagen in deutscher ...
1920

https://www.silvio-gesell.de/das-hauptwerk.html?file=files/luxe/img/Download-Dateien/Gesell.NWO.V2015.pdf



ゲゼルは「国家間の協調」に関して「IVA(エヴァ)」という新たな通貨構想を持っていた。
エヴァと言ってもアニメではなく、ゲゼルのもう一つの代替案、世界通貨のことである。
信用バスケット方式なので、(後述するように)どちらかと言えばユーロよりアジア各国間の
通貨信用制度に近い。むろんゲゼル案の方が実効力を持つ。

以下、ゲゼル著相田慎一訳『自然的経済秩序』(ぱる出版p534)より
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmQ4JzsVLgR5OERRpY4Gmm1o9DLJfahNb9lJByBM9ahdYPB0SyuS7aB6p48qkJDDTvHqid6-4Isy_0UcQGEgINQmI-vNAYgGezSpCeow-kqTHqDiUCvoW5Fo0x4kFaP3rQkdtNvp0cmvY/s1600/a0024841_8563499.jpg

「エヴァ」紙幣による国際的交換比率の安定化。貯水池の黒点部分は国民紙幣を示している。
それに対し、その斜線部分は「エヴァ」紙幣を示している。

以上、ゲゼルの国際通貨はユーロよりも柔軟で、なおかつ世界的広がりを持ちうるものと解釈できる。
アジアのバスケット型の危機管理に近いかも知れないが、それよりもより明確である。
ちなみに1944年ケインズが提案したバンコールもエヴァに近い。
バンコールは通帳のみ、赤字と黒字が減価する仕組みになっていた。

図5の説明 振動が起こった後に連結管の水が自動的に同じ水位に戻ろうとする傾向があるように、
国際通貨制度の撹乱が生じた場合、自国の国民通貨を「エヴァ」国際銀行券に連結させている国々の
商品価格の全般的水準は、いたる所で同一の水準にとどまろうとするか、またはその撹乱の終焉後
自動的にその水準に戻ろうとする傾向がある。もちろん、それは、このようなすべての国で国民的通貨
政策が絶対通貨の上に基礎づけられているかぎりにおいてのことであるが。
 もしこれらの国のひとつが絶対通貨の原理を放棄し、しかも危険信号一ー国際(ヴァルタ)銀行券の
輸出入一ーに注意を払わなかったならば、その国は国際銀行券で溢れるか(合衆国)、または国際
(ヴァルタ)銀行券が完全に国外流出する(イギリス)という事態が生じるだろう。だが、国際
(ヴァルタ)銀行券の氾濫は、当該国の利益にはならない。なぜなら、国際(ヴァルタ)銀行券の溢
れた国は、この国際(ヴァルタ)銀行券の代わりに発行されるだろう国民通貨の利子を失うからで
ある。また国際(ヴァルタ)銀行券の完全な駆逐も、その結果生まれるだろう不快な打歩が外国貿易に
損害を与えるという理由から、当該国に歓迎されないだろう。ドイツと記された容器は通常の状態を
示している。国際(ヴァルタ)銀行券の流入を示す下の湾曲部ーー小売取引ーーが半分ほど満たされて
いる。それは、より多くの国際(ヴァルタ)銀行券を受け入れる余地をもつと同時に、多くの国際(
ヴァルタ)銀行券を譲渡できる状態を示すものでもある。それに対し、「ロシア」と記された容器の中
は国際(ヴアルタ)銀行券で満杯の状態になっている。国民通貨を強力に注入すれば、この過剰はただちに
一掃される。逆にイギリスでは、国民通貨の過剰が解消されるならば、国際(ヴァルタ)銀行券の逆流
によって打歩がただちに解消されるだろう。
 この過程をより明確に認識するために、読者は前章の「為替理論家」の節とそこでの貿易収支にかん
する図4(分度器のような図だが省略:引用者)の説明をも参照されたい。
                      
(略)
            
(4)こうした五フラン銀行券の異常な流入は、自国の国民通貨の流通が過少であることの証拠となるだろう。逆に、こうした五フラン銀行券の異常な流出は、自国の国民通貨の流通が過剰であることの証拠となるだろう。
(5)こうした国際的な五フラン銀行券の大規模な国外流出とその結果としての打歩(国際的な五フラン銀行券のプレミア)の発生は、打歩が消滅し国際的な五フラン銀行券が再び国内に流入するまでの期間、当該国が自国の国民通貨を国内の貨幣市場から排出させることの必要性を示す危険信号となる。
(6)逆に、こうした国際的な五フラン銀行券の異常を国内流入は、自国の国民通貨の流通が過少であることの証拠である。−そのことは、その他の国々が自国の国民通貨の大量の発行によって国際的な五フラン銀行券を国外に駆逐していないことを前提とする。この後者の前提から本来の通貨間題が生まれるけれども、その間題を為替問題と混同してはならない。ーー

われわれは次の章において通貨制度と為替の両者を規制する世界通貨同盟(国際ヴァルタ同盟)についてのわれわれの提案の要旨を示すことにしよう。

第7章 世界通貨同盟(国際ヴァルタ同盟)

(1)世界通貨同盟(国際ヴァルタ同盟「エヴァ」)への加入を希望する国々には、通貨単位としての「エヴァ」が導入される。
(2)この新しい通貨単位「エヴァ」は、何らかのひとつの物質(金)の特性の所産のように静態的に理解されてはならず、むしろ通貨政策のような継続的行為の所産として(つまり、実践として)動態的に理解されるべきである。

(以下略)

以上、ゲゼルの国際通貨はユーロよりも柔軟で、なおかつ世界的広がりを持ちうるものと解釈できる。アジアのバスケット型の危機管理に近いかも知れないが、それよりもより明確である。




2020年11月18日水曜日

アナ・クート(ラワース『ドーナツ経済学』#7より )

参考:
ケインズ「わが孫たちの経済的可能性」- On John Maynard Keynes -"Economic Possibilities for Our Grandchildren (1930)"- ...
ゲゼル
Hazel Henderson
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/09/httpsmobile_22.html 
NAMs出版プロジェクト: 宇沢弘文(1928~2014)
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_10.html
ドーナツ経済学

人新世の「資本論」 (集英社新書) 

ソロー
ポール・ローマー
ポズナー&ワイル ラディカル・マーケット
ハーマン・デイリー
Janine Benyus: ジャニン・ベニュス:行動するバイオミミクリー | TED Talk
トミー・ウィードマン
Mariana Mazzucato マリアナ・マッツカート



 


‘We will need to get rid of perverse incentives in tax and insurance systems,’ explains Anna Coote, the social policy expert behind the proposal, ‘so that employers are encouraged rather than penalized for taking on more workers.’63

ドーナツ経済学#7より

ケインズは、技術の進歩で労働生産性が向上するにつれ、標準的な労働時間は減るだろうと予想した。二十一世紀には週一五時間の労働で足りるようになり、「残った仕事はできるだけ多くの人々で分担し合われる」社会が築かれるだろうと述べた(*61)。

61. Keynes, J. M. (1931) 'Economic possibilities for our grandchildren' in Essays in Persuasion, London : Rupert Hart-Davis, p. 5, available at : http://www.econ.yale.edu/smith/econ116a/keynes1.pdf 

ケインズの予想は、少なくとも今のところ、当たっていない。しかし今後、正しかったことが証明される可能性はある。英国のシンクタンク、新経済学財団が失業と過労の両方の問題を解決する手段として、高所得国での労働時間を現在の週三五時間以上から週二一時間に短縮することを提言している(*62)。

62. Coote, A., Franklin, J. and Simms, A. (2010) '21 hours : why a shorter working week can help us all flourish in the 21st century' London : New Economics Foundation. 


ケインズはこれに諸手をあげて賛成するだろう。もちろん、そのような大胆な変革のためには、雇用の経済学を変えることが欠かせない。この提言に携わった社会政策の専門家アナ・クートは次のようにいう。「税や保険の制度に備わっている不条理なインセンティブを廃止する必要があります。雇用者が人を多く雇うほど損をするのではなく、得をするものにしなくてはなりません(*63)」  

It would, of course, be a challenging transition that could not happen without transforming the economics of employment. ‘We will need to get rid of perverse incentives in tax and insurance systems,’ explains Anna Coote, the social policy expert behind the proposal, ‘so that employers are encouraged rather than penalized for taking on more workers.’63


63. Coote, A. (2012) 'The 21 Hour Work Week', TEDxGhent. 
https://www.youtube.com/watch?v=1IMYV31tZZ8

もし雇用者自身が従業員でもあれば、そのような労働時間の短縮ははるかに実現しやすくなる。大恐慌のときも、二〇〇八年の金融危機のときも、従業員が所有者でもある協同組合は一般の企業に比べ、従業員の解雇を巧みに避けることができた。従業員全員の労働時間を減らして、みんなで仕事を分担し合おうとする傾向が協同組合にはある。これは需要変動に柔軟に対処するための一つのすばらしい手本を示している(*64)。

64. Smith, S. and Rothbaum, J. (2013) Cooperatives in a Global Economy : Key Economic Issues, Recent Trends, and Potential for Development. Institute for International Economic Policy Working Paper Series, George Washington University IIEP-WP-2013-6. 
https://www.gwu.edu/~iiep/assets/docs/papers/Smith_Rothbaum_IIEPWP2013-6.pdf 
[25頁]


しかし一般の企業の雇用のありかたを変える方法もある。広くいわれているのは、労働力への課税から、資源利用への課税に切り替えることで、人間に備わった工夫の才が、より少ない人間でより多くのものを作ることではなく、より少ない資源でより多くのものを修理したり、作り直したりすることに発揮されるよう促し、同時に雇用も増やすという方法だ。

The widely recommended shift from taxing labour to taxing resource use would simultaneously draw human ingenuity away from making more stuff with fewer people towards repairing and remaking more things with less stuff, while employing more people too.

そのような政策はまちがいなく分配的で環境再生的な経済を築くのに役立つだろう。しかし、成長にこだわらない経済で、十分な雇用を提供しようとするうえでも役に立つだろうか? 別の対策が求められるだろうか? この点については、もっと多くの画期的な実験や研究が待たれるところだ。


#2


政府主導のイノベーションの経済学を研究するマリアナ・マッツカートが指摘するように、スマートフォンを「スマート」にしているイノベーション──GPS、マイクロチップ、タッチスクリーン、それにインターネットそのもの──の背後にある基礎研究は、すべて米国政府の出資で行われたものだ。イノベーションを起こし、リスクを負うパートナーになり、私企業を「締め出す」のでなく「活性化」したのは、市場ではなく国家だったということだ。この傾向は製薬業界やバイオテクノロジー業界など、ほかのハイテク業界にも広く見られる(*42)。


42. Mazzucato, M. (2013) The Entrepreneurial State. London : Anthem Press.(『企業家としての国家―イノベーション力で官は民に劣るという神話』マリアナ・マッツカート著、大村昭人訳、薬事日報社、2015年)


#7

一九五〇年代、経済成長理論の父ロバート・ソローが、米国経済の過去五〇年間の成長の具体的な要因を探った。最初に考案した成長モデルは、フロー循環図と同じ理論を土台にしたもので、労働力と資本が効果的に組み合わさって、生産性が向上することに、成長の要因を帰していた。ところが、そのモデルの方程式に米国のデータを当てはめてみると、驚いたことに、過去四〇年間の米国の経済成長のうち、労働者一人当たりの投下資本で説明できるのはわずか一三パーセントだった。説明のつかない残りの八七パーセントは、苦し紛れに「技術の変化」によるものとされた(*34)。


34. Solow, R. (1957) ‘Technical change and the aggregate production function’, Review of Economics and Statistics 39 : 3, p. 320.


八七パーセントという数字はあまりに大きな余りだったことから、自身の計算でもやはり同じような結果が出た同時代の経済学者モーゼス・アブラモヴィッツは、この余りを「経済成長の原因について解明できていない部分の大きさを示すものだ」と認めた(*35)。


. 35. Abramovitz, M. (1956) ‘Resource and output trends in the United States since 1870’, American Economic Review, 46 : 2, p. 11. 


  経済学者たちは以来、GDP成長を説明できる理論を追い求め、その謎の余りの正体を突き止めようと取り組んでいる。もしビル・フィリップスがMONIACの水を循環させる動力源に電力以外のものを選んでいたら、数十年前にその答えは見つかっていただろう。


もし電源のスイッチで動く装置ではなく、ペダルを回すことで動く装置にしていたら──学生がそのつど、必死になって自転車を漕ぐことで動く装置にしていたら──フィリップスにしても、その同僚たちにしても、経済活動が外部のエネルギー源によって維持されていることにいやでも気づいたはずだ。フィリップスやソローがもし、経済の全体像──第2章で紹介した組み込み型経済の図──を見ていたら、その経済モデルには初めから謎の余りの正体が取り込まれていたにちがいない。




#7

この概念を最初に考案したのは、アルゼンチンで事業を営んだドイツ人、シルビオ・ゲゼルだ。ゲゼルは一九〇六年の著書『自然的経済秩序』のなかで、有効期限つきの印紙を付した紙幣の導入を提唱した。それは一定期間ごとに印紙を新たに買って、貼付しなければ使えなくなる紙幣だった。現在であれば、電子通貨を使って、同じことがもっと簡単にできる。一定期間保有された電子通貨に利用料を課すだけでいい。そうすることで、お金が価値を蓄積する手段として使われるのを防ぐことができる。「古新聞のように、腐ったじゃがいものように、錆びた鉄のように古くなる」お金は、同じようにやがて朽ちるものとの引き換えに、どんどん手放されるだろうとゲゼルは主張した。「貨幣を交換手段としてよりよいものにするためには、商品と同じぐらい劣化するものにしなくてはいけない(*54)」


54.Gessel,S.(1906)The Natural Economic Order,p.121,availableat: https://www.communityexchange.org/docs/Gesell/en/neo

このような提案は初めはあまりに突飛で、絵空事のように聞こえる。しかしじつは過去に立派に実施されている。一九三〇年代、ドイツとオーストリアで地域経済の活性化のため、都市規模で導入されて、成功を収めたほか、一九三三年にはほぼ米国全土で導入された。しかしどの場合も、最終的には、政府の圧力で廃止に追い込まれた。こんな草の根の運動が広まれば、貨幣を管理する国の力が脅かされると政府は感じたのだろう。しかしケインズはゲゼルに感銘を受けて、「不当に無視された預言者」と評し、その提案にも興味を引かれた。大恐慌のさなかに消費を呼び戻すという実績を上げていたからだ(*55)。

55.Keynes,J.M.(1936)The General Theory of Employment, Interest and Money.London:Macmillan,Chapter23.(『雇用、利子および貨幣の一般理論』ケインズ著、間宮陽介訳、ワイド版岩波文庫、2012年)

では、もし今、消費を活気づけるためではなく、将来のための環境再生的な投資を活気づけるために、デマレージつきの通貨を設計し、導入したらどうなるか、考えてみよう。金銭へ寄せる期待ががらりと変わるだろう。人々の関心は利潤を増やすことから、価値を保つことに変化するはずだ。蓄えられた富の価値を長期的に保つためには、植林計画など、長期的な再生の活動に投資することが最善の方法になる(*56)。


56.Lietaer,B.(2001) The Future of Money. London : Century,pp.247248.  [リエター未邦訳]

銀行も、現金の保有のために費用を支払うよりは、投資利益率がゼロに近い企業への融資も検討するようになるだろう。そうなれば、あまり大きな金銭的リターンはもたらせないが、社会的な富や自然の富を生み出している環境再生的で分配的な企業には追い風になる。さらにもっとも大事なこととしては、経済が無限に富の蓄積を追い求める状態から解放されて、金銭面での成長への依存を克服できる。

デマレージは現代の金融市場ではかなりの異端に見えるが、現代の金融市場もマイナス金利を除外してはいない。マイナス金利とは、事実上、現金を保有することに料金を課すものだ。マイナス金利は二〇一四年以来、日本、スウェーデン、デンマーク、スイス、欧州中央銀行で緊急措置として取り入れられ、今日の金融界の一風景になりつつある。それらの国々がマイナス金利を導入した目的はまちまち──GDP成長の回復、為替レートの調整、物価の上昇──だが、それらの国々ではすでに金利はゼロ以下にならないという神話は打ち破られている。


#4より


経済学における複雑性  

 経済学に動的な分析を取り入れる必要性があることは、最近になって初めていい出されたことではない。過去一五〇年にわたって、あらゆる学派の経済学者がニュートン物理学のまねごとからの脱却を試みてきた。しかしそれらは均衡理論と整った数式の強大な支配によって、ことごとく押しつぶされた。ジェヴォンズ自身も、動的な経済分析の必要性を感じていたが、それを行う数学的な手法がなかったことから、結局、時間軸上の二点のスナップショットを比較する比較静学を手がけるだけであきらめた。しかしこの妥協は残念なことだった。そのせいで、ジェヴォンズは自分の追究していたものに近づかずに、遠ざかってしまったのだ(*13)。一八六〇年代、カール・マルクスは、労働者と資本家の相対的な所得分配が生産と雇用の永続的なサイクルのせいで、たえず増減する仕組みを描き出した(*14)。十九世紀末には、ソースティン・ヴェヴレンが経済学を「進化という視点を持たないことにおいて、絶望的なほど時代に遅れ」ており、だから変化や発展を説明することができないと指摘するいっぽう(*15)、アルフレッド・マーシャルも機械的なメタファーに反対し、経済学を「広い意味で捉えた生物学の一部門」と見なすべきだと唱えた(*16)。  

 二十世紀に入ってからも同様に、さまざまな学派の経済学者たちが経済のダイナミズムに目を向けようと試みたが、やはり均衡思考を追い払うことはできなかった。一九二〇年代、ジョン・メイナード・ケインズは比較静学の利用を批判して、それらの経済現象のスナップショットとスナップショットのあいだに起こっていることにこそ、研究の価値があると指摘した。「経済学者たちがせっせと取り組んでいる課題は、あまりに簡単すぎ、あまりに無益ではないか。嵐に見舞われているときに、嵐がすぎれば、海はふたたび静けさを取り戻すということしかいえないのだとしたら(*17)」。一九四〇年代、ヨーゼフ・シュンペーターはダイナミズムについてのマルクスの洞察を取り入れて、資本主義の「創造的破壊」のプロセスがどのように、たえずイノベーションと衰退を繰り返しながら、景気循環を生み出しているかを描き出した(*18)。一九五〇年代、ビル・フィリップスは、まさに比較静学に代わるシステム・ダイナミクスを築こうとして、管とタンクを行き来する水の流れでタイムラグや変動を観察できるMONIAC(国民貨幣所得アナログコンピュータ)を開発した。一九六〇年代、ジョーン・ロビンソンは、均衡理論をこっぴどく批判し、「実際の歴史に適用できるモデルは、均衡から逃れ出られるものでなくてはならない。というより、それは本来均衡状態になるはずがない(*19)」と述べた。さらに一九七〇年代、新自由主義の父、フリードリヒ・ハイエクも、経済学者の「輝かしい成功を収めた物理科学の手続きをできるかぎりまねようとする傾向」を公然と非難し、「そういうまねは、経済学の分野では完全な失敗に終わるだろう」と戒めた(*20)。  

 そろそろ彼らの助言に耳を傾けて、均衡理論を退け、代わりにシステムとして経済を考え始めるべきときだ。あの需要曲線と供給曲線の交差をほどいて、それぞれの曲線をひねり、一組のフィードバックループに描き直そう。同時に、経済学者たちにこよなく愛されている「外部性」という概念も捨てよう。ある活動に関わっていない人がその活動の副次的な影響を被っていると感じるときに持ち出される概念だ。例えば、川の下流にあるコミュニティに被害をもたらす、上流の工場から出される有毒な排出物とか、都市の道路を自転車で走る人たちが吸い込む排気ガスとかが、「外部性」として扱われる。そのような負の「外部性」は、環境経済学者ハーマン・デイリーが指摘するように、「『外部』費用と分類される。しかしそう分類されるのは、今の経済理論では誰もそれらを供給していないことになっているからにすぎない(*21)」。システム・ダイナミクスの専門家ジョン・スターマンも同じ意見だ。「副産物などというものはない。あるのは産物だけだ」とスターマンはいい、副産物という概念があること自体、「わたしたちの思考モデルの視野が狭すぎること、考慮に入れる時間の幅が短すぎることを示すものだ」と指摘する(*22)。グローバル経済のもたらした規模の拡大や相互のつながりの結果、二十世紀の理論で「外部性」として扱われてきた経済の影響の多くが、今、二十一世紀を特徴づける社会や環境の危機へと変わった。それらの影響に対処することは、けっして経済活動の「外部」にある瑣末な問題ではない。人類全員を幸せにする経済を築けるかどうかを左右する、重大な問題だ。



13. Keen, S. (2011) Debunking Economics. London : Zed Books, p. 184. 

14. Marx, K. (1867) Capital, Vol. I, Chapter 25, Section 1, available at http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Marx/mrxCpA.html(『資本論』カール・マルクス著、今村仁司/三島憲一/鈴木直訳、筑摩書房、2005年) 

15. Veblen, T. (1898), ‘Why is economics not an evolutionary science ?’ Quarterly Journal of Economics, 12 : 4 (pp. 373-397 ; at p. 373). 

16. Marshall, A. (1890) Principles of Economics. London : Macmillan(『経済学原理』アルフレッド・マーシャル著、馬場啓之助訳、東洋経済新報社、1965-1967年), available at http://www.econlib.org/library/Marshall/marP.html 

17. Keynes, J. M. (1923) A Tract on Monetary Reform, p. 80, in The Collected Writings of John Maynard Keynes, Vol. IV, 1977 edn. London : Palgrave Macmillan.(『お金の改革論』ジョン・メイナード・ケインズ著/山形浩生訳、講談社学術文庫、2014年) 

18. Schumpeter, J. (1942) Capitalism, Socialism and Democracy. New York : Harper & Row.(『資本主義、社会主義、民主主義』ヨーゼフ・シュンペーター著;大野一訳、日経BP社、2016年) 

19. Robinson, J. (1962) Essays in the Theory of Economic Growth. London : Macmillan, p. 25.(『経済成長論』J・ロビンソン著、山田克巳訳、東洋経済新報社、1963年) 

20. Hayek, F. (1974) ‘The Pretence of Knowledge’. Lecture to the memory of Alfred Nobel, 11 December 1974, available at http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/1974/hayek-lecture.html 

21. Daly, H. (1992) Steady State Economics. London : Earthscan, p. 88. 

22. Sterman, J. D. (2012) ‘Sustaining sustainability : creating a systems science in a fragmented academy and polarized world’, in Weinstein, M. P. and Turner, R. E. (eds), Sustainability Science : The Emerging Paradigm and the Urban Environment. New York : Springer Science, p. 24.


#6


高所得国の国境内で採取されたり、加工されたりしている資源の量は、現に減っている。EUやOECD諸国からは、資源生産性の向上や、GDPの成長と資源の利用のデカップリング(切り離し)を自賛する声が上がる。それらは「グリーン成長」の夢が実現できる証拠だと持ち上げられてもいる。しかし喜ぶのは早すぎたようだ。国際的な資源フロー分析の第一人者、トミー・ウィードマンは次のように警告する。「確かにこれらの傾向からは、先進国で資源効率が高まったように見える。しかし実際にはどの国も、見えないところで、いまだに資源という土台に深くつなぎとめられている(*6)」


6. Wiedmann, T. O. et al. (2015) ‘The material footprint of nations’, Proceedings of the National Academy of Sciences 112 : 20, pp. 6271-6276.




今、斉藤幸平氏が言及していた『ドーナツ経済学』を読んでいます。

前半は論理展開が緩くお勧め出来ませんが、特に最終第七章には達見が散りばめられています。

以下少し引用します。


ドーナツ経済学#2より

政府主導のイノベーションの経済学を研究するマリアナ・マッツカートが指摘するように、スマートフォンを「スマート」にしているイノベーション──GPS、マイクロチップ、タッチスクリーン、それにインターネットそのもの──の背後にある基礎研究は、すべて米国政府の出資で行われたものだ。イノベーションを起こし、リスクを負うパートナーになり、私企業を「締め出す」のでなく「活性化」したのは、市場ではなく国家だったということだ。この傾向は製薬業界やバイオテクノロジー業界など、ほかのハイテク業界にも広く見られる(*42)。


42. Mazzucato, M. (2013) The Entrepreneurial State. London : Anthem Press.(『企業家としての国家―イノベーション力で官は民に劣るという神話』マリアナ・マッツカート著、大村昭人訳、薬事日報社、2015年)


#4より


経済学における複雑性  

 経済学に動的な分析を取り入れる必要性があることは、最近になって初めていい出されたことではない。過去一五〇年にわたって、あらゆる学派の経済学者がニュートン物理学のまねごとからの脱却を試みてきた。しかしそれらは均衡理論と整った数式の強大な支配によって、ことごとく押しつぶされた。ジェヴォンズ自身も、動的な経済分析の必要性を感じていたが、それを行う数学的な手法がなかったことから、結局、時間軸上の二点のスナップショットを比較する比較静学を手がけるだけであきらめた。しかしこの妥協は残念なことだった。そのせいで、ジェヴォンズは自分の追究していたものに近づかずに、遠ざかってしまったのだ(*13)。一八六〇年代、カール・マルクスは、労働者と資本家の相対的な所得分配が生産と雇用の永続的なサイクルのせいで、たえず増減する仕組みを描き出した(*14)。


13. Keen, S. (2011) Debunking Economics. London : Zed Books, p. 184. 

14. Marx, K. (1867) Capital, Vol. I, Chapter 25, Section 1, available at http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Marx/mrxCpA.html(『資本論』カール・マルクス著、今村仁司/三島憲一/鈴木直訳、筑摩書房、2005年) 



#7

一九五〇年代、経済成長理論の父ロバート・ソローが、米国経済の過去五〇年間の成長の具体的な要因を探った。最初に考案した成長モデルは、フロー循環図と同じ理論を土台にしたもので、労働力と資本が効果的に組み合わさって、生産性が向上することに、成長の要因を帰していた。ところが、そのモデルの方程式に米国のデータを当てはめてみると、驚いたことに、過去四〇年間の米国の経済成長のうち、労働者一人当たりの投下資本で説明できるのはわずか一三パーセントだった。説明のつかない残りの八七パーセントは、苦し紛れに「技術の変化」によるものとされた(*34)。


34. Solow, R. (1957) ‘Technical change and the aggregate production function’, Review of Economics and Statistics 39 : 3, p. 320.


八七パーセントという数字はあまりに大きな余りだったことから、自身の計算でもやはり同じような結果が出た同時代の経済学者モーゼス・アブラモヴィッツは、この余りを「経済成長の原因について解明できていない部分の大きさを示すものだ」と認めた(*35)。


. 35. Abramovitz, M. (1956) ‘Resource and output trends in the United States since 1870’, American Economic Review, 46 : 2, p. 11. 


  経済学者たちは以来、GDP成長を説明できる理論を追い求め、その謎の余りの正体を突き止めようと取り組んでいる。もしビル・フィリップスがMONIACの水を循環させる動力源に電力以外のものを選んでいたら、数十年前にその答えは見つかっていただろう。


もし電源のスイッチで動く装置ではなく、ペダルを回すことで動く装置にしていたら──学生がそのつど、必死になって自転車を漕ぐことで動く装置にしていたら──フィリップスにしても、その同僚たちにしても、経済活動が外部のエネルギー源によって維持されていることにいやでも気づいたはずだ。フィリップスやソローがもし、経済の全体像──第2章で紹介した組み込み型経済の図──を見ていたら、その経済モデルには初めから謎の余りの正体が取り込まれていたにちがいない。


この概念を最初に考案したのは、アルゼンチンで事業を営んだドイツ人、シルビオ・ゲゼルだ。ゲゼルは一九〇六年の著書『自然的経済秩序』のなかで、有効期限つきの印紙を付した紙幣の導入を提唱した。それは一定期間ごとに印紙を新たに買って、貼付しなければ使えなくなる紙幣だった。現在であれば、電子通貨を使って、同じことがもっと簡単にできる。一定期間保有された電子通貨に利用料を課すだけでいい。そうすることで、お金が価値を蓄積する手段として使われるのを防ぐことができる。「古新聞のように、腐ったじゃがいものように、錆びた鉄のように古くなる」お金は、同じようにやがて朽ちるものとの引き換えに、どんどん手放されるだろうとゲゼルは主張した。「貨幣を交換手段としてよりよいものにするためには、商品と同じぐらい劣化するものにしなくてはいけない(*54)」

54.Gessel,S.(1906)The Natural Economic Order,p.121,availableat: 

https://www.communityexchange.org/docs/Gesell/en/neo


このような提案は初めはあまりに突飛で、絵空事のように聞こえる。しかしじつは過去に立派に実施されている。一九三〇年代、ドイツとオーストリアで地域経済の活性化のため、都市規模で導入されて、成功を収めたほか、一九三三年にはほぼ米国全土で導入された。しかしどの場合も、最終的には、政府の圧力で廃止に追い込まれた。こんな草の根の運動が広まれば、貨幣を管理する国の力が脅かされると政府は感じたのだろう。しかしケインズはゲゼルに感銘を受けて、「不当に無視された預言者」と評し、その提案にも興味を引かれた。大恐慌のさなかに消費を呼び戻すという実績を上げていたからだ(*55)。


55.Keynes,J.M.(1936)The General Theory of Employment, Interest and Money.London:Macmillan,Chapter23.(『雇用、利子および貨幣の一般理論』ケインズ著、間宮陽介訳、ワイド版岩波文庫、2012年)


では、もし今、消費を活気づけるためではなく、将来のための環境再生的な投資を活気づけるために、デマレージつきの通貨を設計し、導入したらどうなるか、考えてみよう。金銭へ寄せる期待ががらりと変わるだろう。人々の関心は利潤を増やすことから、価値を保つことに変化するはずだ。蓄えられた富の価値を長期的に保つためには、植林計画など、長期的な再生の活動に投資することが最善の方法になる(*56)。


56.Lietaer,B.(2001) The Future of Money. London : Century,pp.247248.  [リエター未邦訳]


銀行も、現金の保有のために費用を支払うよりは、投資利益率がゼロに近い企業への融資も検討するようになるだろう。そうなれば、あまり大きな金銭的リターンはもたらせないが、社会的な富や自然の富を生み出している環境再生的で分配的な企業には追い風になる。さらにもっとも大事なこととしては、経済が無限に富の蓄積を追い求める状態から解放されて、金銭面での成長への依存を克服できる。


デマレージは現代の金融市場ではかなりの異端に見えるが、現代の金融市場もマイナス金利を除外してはいない。マイナス金利とは、事実上、現金を保有することに料金を課すものだ。マイナス金利は二〇一四年以来、日本、スウェーデン、デンマーク、スイス、欧州中央銀行で緊急措置として取り入れられ、今日の金融界の一風景になりつつある。それらの国々がマイナス金利を導入した目的はまちまち──GDP成長の回復、為替レートの調整、物価の上昇──だが、それらの国々ではすでに金利はゼロ以下にならないという神話は打ち破られている。



英国のシンクタンク、新経済学財団が失業と過労の両方の問題を解決する手段として、高所得国での労働時間を現在の週三五時間以上から週二一時間に短縮することを提言している。この提言に携わった社会政策の専門家アナ・クートは次のようにいう。「税や保険の制度に備わっている不条理なインセンティブを廃止する必要があります。雇用者が人を多く雇うほど損をするのではなく、得をするものにしなくてはなりません(*63)」  


63. Coote, A. (2012) 'The 21 Hour Work Week', TEDxGhent. 

https://www.youtube.com/watch?v=1IMYV31tZZ8


もし雇用者自身が従業員でもあれば、そのような労働時間の短縮ははるかに実現しやすくなる。大恐慌のときも、二〇〇八年の金融危機のときも、従業員が所有者でもある協同組合は一般の企業に比べ、従業員の解雇を巧みに避けることができた。従業員全員の労働時間を減らして、みんなで仕事を分担し合おうとする傾向が協同組合にはある。これは需要変動に柔軟に対処するための一つのすばらしい手本を示している

しかし一般の企業の雇用のありかたを変える方法もある。広くいわれているのは、労働力への課税から、資源利用への課税に切り替えることで、人間に備わった工夫の才が、より少ない人間でより多くのものを作ることではなく、より少ない資源でより多くのものを修理したり、作り直したりすることに発揮されるよう促し、同時に雇用も増やすという方法だ。

そのような政策はまちがいなく分配的で環境再生的な経済を築くのに役立つだろう。しかし、成長にこだわらない経済で、十分な雇用を提供しようとするうえでも役に立つだろうか? 別の対策が求められるだろうか? この点については、もっと多くの画期的な実験や研究が待たれるところだ。


〜〜



今、斉藤幸平氏も言及していたケート・ラワース著『ドーナツ経済学』をkindleで読んでいます。

前半は論理展開が緩くお勧め出来ませんが、後半部特に最終第七章には達見が散りばめられています。

以下少し引用します。


ドーナツ経済学#2より

政府主導のイノベーションの経済学を研究するマリアナ・マッツカートが指摘するように、スマートフォンを「スマート」にしているイノベーション──GPS、マイクロチップ、タッチスクリーン、それにインターネットそのもの──の背後にある基礎研究は、すべて米国政府の出資で行われたものだ。イノベーションを起こし、リスクを負うパートナーになり、私企業を「締め出す」のでなく「活性化」したのは、市場ではなく国家だったということだ。この傾向は製薬業界やバイオテクノロジー業界など、ほかのハイテク業界にも広く見られる(*42)。


42. Mazzucato, M. (2013) The Entrepreneurial State. London : Anthem Press.(『企業家としての国家―イノベーション力で官は民に劣るという神話』マリアナ・マッツカート著、大村昭人訳、薬事日報社、2015年)


#4より


経済学における複雑性  

 経済学に動的な分析を取り入れる必要性があることは、最近になって初めていい出されたことではない。過去一五〇年にわたって、あらゆる学派の経済学者がニュートン物理学のまねごとからの脱却を試みてきた。しかしそれらは均衡理論と整った数式の強大な支配によって、ことごとく押しつぶされた。ジェヴォンズ自身も、動的な経済分析の必要性を感じていたが、それを行う数学的な手法がなかったことから、結局、時間軸上の二点のスナップショットを比較する比較静学を手がけるだけであきらめた。しかしこの妥協は残念なことだった。そのせいで、ジェヴォンズは自分の追究していたものに近づかずに、遠ざかってしまったのだ(*13)。一八六〇年代、カール・マルクスは、労働者と資本家の相対的な所得分配が生産と雇用の永続的なサイクルのせいで、たえず増減する仕組みを描き出した(*14)。


13. Keen, S. (2011) Debunking Economics. London : Zed Books, p. 184. 

14. Marx, K. (1867) Capital, Vol. I, Chapter 25, Section 1, available at http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Marx/mrxCpA.html(『資本論』カール・マルクス著、今村仁司/三島憲一/鈴木直訳、筑摩書房、2005年) 



#7より

 一九五〇年代、経済成長理論の父ロバート・ソローが、米国経済の過去五〇年間の成長の具体的な要因を探った。最初に考案した成長モデルは、フロー循環図と同じ理論を土台にしたもので、労働力と資本が効果的に組み合わさって、生産性が向上することに、成長の要因を帰していた。ところが、そのモデルの方程式に米国のデータを当てはめてみると、驚いたことに、過去四〇年間の米国の経済成長のうち、労働者一人当たりの投下資本で説明できるのはわずか一三パーセントだった。説明のつかない残りの八七パーセントは、苦し紛れに「技術の変化」によるものとされた(*34)。

 八七パーセントという数字はあまりに大きな余りだったことから、自身の計算でもやはり同じような結果が出た同時代の経済学者モーゼス・アブラモヴィッツは、この余りを「経済成長の原因について解明できていない部分の大きさを示すものだ」と認めた(*35)。

  経済学者たちは以来、GDP成長を説明できる理論を追い求め、その謎の余りの正体を突き止めようと取り組んでいる。もしビル・フィリップスがMONIACの水を循環させる動力源に電力以外のものを選んでいたら、数十年前にその答えは見つかっていただろう。

 もし電源のスイッチで動く装置ではなく、ペダルを回すことで動く装置にしていたら──学生がそのつど、必死になって自転車を漕ぐことで動く装置にしていたら──フィリップスにしても、その同僚たちにしても、経済活動が外部のエネルギー源によって維持されていることにいやでも気づいたはずだ。フィリップスやソローがもし、経済の全体像──第2章で紹介した組み込み型経済の図──を見ていたら、その経済モデルには初めから謎の余りの正体が取り込まれていたにちがいない。


34. Solow, R. (1957) ‘Technical change and the aggregate production function’, Review of Economics and Statistics 39 : 3, p. 320.

35. Abramovitz, M. (1956) ‘Resource and output trends in the United States since 1870’, American Economic Review, 46 : 2, p. 11. 



 この概念を最初に考案したのは、アルゼンチンで事業を営んだドイツ人、シルビオ・ゲゼルだ。ゲゼルは一九〇六年の著書『自然的経済秩序』のなかで、有効期限つきの印紙を付した紙幣の導入を提唱した。それは一定期間ごとに印紙を新たに買って、貼付しなければ使えなくなる紙幣だった。現在であれば、電子通貨を使って、同じことがもっと簡単にできる。一定期間保有された電子通貨に利用料を課すだけでいい。そうすることで、お金が価値を蓄積する手段として使われるのを防ぐことができる。「古新聞のように、腐ったじゃがいものように、錆びた鉄のように古くなる」お金は、同じようにやがて朽ちるものとの引き換えに、どんどん手放されるだろうとゲゼルは主張した。「貨幣を交換手段としてよりよいものにするためには、商品と同じぐらい劣化するものにしなくてはいけない(*54)」


 このような提案は初めはあまりに突飛で、絵空事のように聞こえる。しかしじつは過去に立派に実施されている。一九三〇年代、ドイツとオーストリアで地域経済の活性化のため、都市規模で導入されて、成功を収めたほか、一九三三年にはほぼ米国全土で導入された。しかしどの場合も、最終的には、政府の圧力で廃止に追い込まれた。こんな草の根の運動が広まれば、貨幣を管理する国の力が脅かされると政府は感じたのだろう。しかしケインズはゲゼルに感銘を受けて、「不当に無視された預言者」と評し、その提案にも興味を引かれた。大恐慌のさなかに消費を呼び戻すという実績を上げていたからだ(*55)。


 では、もし今、消費を活気づけるためではなく、将来のための環境再生的な投資を活気づけるために、デマレージつきの通貨を設計し、導入したらどうなるか、考えてみよう。金銭へ寄せる期待ががらりと変わるだろう。人々の関心は利潤を増やすことから、価値を保つことに変化するはずだ。蓄えられた富の価値を長期的に保つためには、植林計画など、長期的な再生の活動に投資することが最善の方法になる(*56)。


 銀行も、現金の保有のために費用を支払うよりは、投資利益率がゼロに近い企業への融資も検討するようになるだろう。そうなれば、あまり大きな金銭的リターンはもたらせないが、社会的な富や自然の富を生み出している環境再生的で分配的な企業には追い風になる。さらにもっとも大事なこととしては、経済が無限に富の蓄積を追い求める状態から解放されて、金銭面での成長への依存を克服できる。


 デマレージは現代の金融市場ではかなりの異端に見えるが、現代の金融市場もマイナス金利を除外してはいない。マイナス金利とは、事実上、現金を保有することに料金を課すものだ。マイナス金利は二〇一四年以来、日本、スウェーデン、デンマーク、スイス、欧州中央銀行で緊急措置として取り入れられ、今日の金融界の一風景になりつつある。それらの国々がマイナス金利を導入した目的はまちまち──GDP成長の回復、為替レートの調整、物価の上昇──だが、それらの国々ではすでに金利はゼロ以下にならないという神話は打ち破られている。


54.Gessel,S.(1906)The Natural Economic Order,p.121,availableat: 

https://www.communityexchange.org/docs/Gesell/en/neo

55.Keynes,J.M.(1936)The General Theory of Employment, Interest and Money.London:Macmillan,Chapter23.(『雇用、利子および貨幣の一般理論』ケインズ著、間宮陽介訳、ワイド版岩波文庫、2012年)

56.Lietaer,B.(2001) The Future of Money. London : Century,pp.247248.  [リエター未邦訳]



 英国のシンクタンク、新経済学財団が失業と過労の両方の問題を解決する手段として、高所得国での労働時間を現在の週三五時間以上から週二一時間に短縮することを提言している。この提言に携わった社会政策の専門家アナ・クートは次のようにいう。「税や保険の制度に備わっている不条理なインセンティブを廃止する必要があります。雇用者が人を多く雇うほど損をするのではなく、得をするものにしなくてはなりません(*63)」  

 もし雇用者自身が従業員でもあれば、そのような労働時間の短縮ははるかに実現しやすくなる。大恐慌のときも、二〇〇八年の金融危機のときも、従業員が所有者でもある協同組合は一般の企業に比べ、従業員の解雇を巧みに避けることができた。従業員全員の労働時間を減らして、みんなで仕事を分担し合おうとする傾向が協同組合にはある。これは需要変動に柔軟に対処するための一つのすばらしい手本を示している

 しかし一般の企業の雇用のありかたを変える方法もある。広くいわれているのは、労働力への課税から、資源利用への課税に切り替えることで、人間に備わった工夫の才が、より少ない人間でより多くのものを作ることではなく、より少ない資源でより多くのものを修理したり、作り直したりすることに発揮されるよう促し、同時に雇用も増やすという方法だ。

 そのような政策はまちがいなく分配的で環境再生的な経済を築くのに役立つだろう。しかし、成長にこだわらない経済で、十分な雇用を提供しようとするうえでも役に立つだろうか? 別の対策が求められるだろうか? この点については、もっと多くの画期的な実験や研究が待たれるところだ。


63. Coote, A. (2012) 'The 21 Hour Work Week', TEDxGhent. 

https://www.youtube.com/watch?v=1IMYV31tZZ8

[該当部分14:20〜]

https://youtu.be/1IMYV31tZZ8?t=14m20s


〜〜〜



今、斉藤幸平氏も言及していたケート・ラワース著『ドーナツ経済学』をkindleで読んでいます。

前半は論理展開が緩くお勧め出来ませんが、後半部特に最終第七章には達見が散りばめられています。

以下少し引用します。


ドーナツ経済学#2より

政府主導のイノベーションの経済学を研究するマリアナ・マッツカートが指摘するように、スマートフォンを「スマート」にしているイノベーション──GPS、マイクロチップ、タッチスクリーン、それにインターネットそのもの──の背後にある基礎研究は、すべて米国政府の出資で行われたものだ。イノベーションを起こし、リスクを負うパートナーになり、私企業を「締め出す」のでなく「活性化」したのは、市場ではなく国家だったということだ。この傾向は製薬業界やバイオテクノロジー業界など、ほかのハイテク業界にも広く見られる(*42)。


42. Mazzucato, M. (2013) The Entrepreneurial State. London : Anthem Press.(『企業家としての国家―イノベーション力で官は民に劣るという神話』マリアナ・マッツカート著、大村昭人訳、薬事日報社、2015年)


#4より


経済学における複雑性  

 経済学に動的な分析を取り入れる必要性があることは、最近になって初めていい出されたことではない。過去一五〇年にわたって、あらゆる学派の経済学者がニュートン物理学のまねごとからの脱却を試みてきた。しかしそれらは均衡理論と整った数式の強大な支配によって、ことごとく押しつぶされた。ジェヴォンズ自身も、動的な経済分析の必要性を感じていたが、それを行う数学的な手法がなかったことから、結局、時間軸上の二点のスナップショットを比較する比較静学を手がけるだけであきらめた。しかしこの妥協は残念なことだった。そのせいで、ジェヴォンズは自分の追究していたものに近づかずに、遠ざかってしまったのだ(*13)。一八六〇年代、カール・マルクスは、労働者と資本家の相対的な所得分配が生産と雇用の永続的なサイクルのせいで、たえず増減する仕組みを描き出した(*14)。


13. Keen, S. (2011) Debunking Economics. London : Zed Books, p. 184. 

14. Marx, K. (1867) Capital, Vol. I, Chapter 25, Section 1, available at http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Marx/mrxCpA.html(『資本論』カール・マルクス著、今村仁司/三島憲一/鈴木直訳、筑摩書房、2005年) 



#7より

 一九五〇年代、経済成長理論の父ロバート・ソローが、米国経済の過去五〇年間の成長の具体的な要因を探った。最初に考案した成長モデルは、フロー循環図と同じ理論を土台にしたもので、労働力と資本が効果的に組み合わさって、生産性が向上することに、成長の要因を帰していた。ところが、そのモデルの方程式に米国のデータを当てはめてみると、驚いたことに、過去四〇年間の米国の経済成長のうち、労働者一人当たりの投下資本で説明できるのはわずか一三パーセントだった。説明のつかない残りの八七パーセントは、苦し紛れに「技術の変化」によるものとされた(*34)。

 八七パーセントという数字はあまりに大きな余りだったことから、自身の計算でもやはり同じような結果が出た同時代の経済学者モーゼス・アブラモヴィッツは、この余りを「経済成長の原因について解明できていない部分の大きさを示すものだ」と認めた(*35)。

  経済学者たちは以来、GDP成長を説明できる理論を追い求め、その謎の余りの正体を突き止めようと取り組んでいる。もしビル・フィリップスがMONIACの水を循環させる動力源に電力以外のものを選んでいたら、数十年前にその答えは見つかっていただろう。

 もし電源のスイッチで動く装置ではなく、ペダルを回すことで動く装置にしていたら──学生がそのつど、必死になって自転車を漕ぐことで動く装置にしていたら──フィリップスにしても、その同僚たちにしても、経済活動が外部のエネルギー源によって維持されていることにいやでも気づいたはずだ。フィリップスやソローがもし、経済の全体像──第2章で紹介した組み込み型経済の図──を見ていたら、その経済モデルには初めから謎の余りの正体が取り込まれていたにちがいない。


34. Solow, R. (1957) ‘Technical change and the aggregate production function’, Review of Economics and Statistics 39 : 3, p. 320.

35. Abramovitz, M. (1956) ‘Resource and output trends in the United States since 1870’, American Economic Review, 46 : 2, p. 11. 



 この概念を最初に考案したのは、アルゼンチンで事業を営んだドイツ人、シルビオ・ゲゼルだ。ゲゼルは一九〇六年の著書『自然的経済秩序』のなかで、有効期限つきの印紙を付した紙幣の導入を提唱した。それは一定期間ごとに印紙を新たに買って、貼付しなければ使えなくなる紙幣だった。現在であれば、電子通貨を使って、同じことがもっと簡単にできる。一定期間保有された電子通貨に利用料を課すだけでいい。そうすることで、お金が価値を蓄積する手段として使われるのを防ぐことができる。「古新聞のように、腐ったじゃがいものように、錆びた鉄のように古くなる」お金は、同じようにやがて朽ちるものとの引き換えに、どんどん手放されるだろうとゲゼルは主張した。「貨幣を交換手段としてよりよいものにするためには、商品と同じぐらい劣化するものにしなくてはいけない(*54)」


 このような提案は初めはあまりに突飛で、絵空事のように聞こえる。しかしじつは過去に立派に実施されている。一九三〇年代、ドイツとオーストリアで地域経済の活性化のため、都市規模で導入されて、成功を収めたほか、一九三三年にはほぼ米国全土で導入された。しかしどの場合も、最終的には、政府の圧力で廃止に追い込まれた。こんな草の根の運動が広まれば、貨幣を管理する国の力が脅かされると政府は感じたのだろう。しかしケインズはゲゼルに感銘を受けて、「不当に無視された預言者」と評し、その提案にも興味を引かれた。大恐慌のさなかに消費を呼び戻すという実績を上げていたからだ(*55)。


 では、もし今、消費を活気づけるためではなく、将来のための環境再生的な投資を活気づけるために、デマレージつきの通貨を設計し、導入したらどうなるか、考えてみよう。金銭へ寄せる期待ががらりと変わるだろう。人々の関心は利潤を増やすことから、価値を保つことに変化するはずだ。蓄えられた富の価値を長期的に保つためには、植林計画など、長期的な再生の活動に投資することが最善の方法になる(*56)。


 銀行も、現金の保有のために費用を支払うよりは、投資利益率がゼロに近い企業への融資も検討するようになるだろう。そうなれば、あまり大きな金銭的リターンはもたらせないが、社会的な富や自然の富を生み出している環境再生的で分配的な企業には追い風になる。さらにもっとも大事なこととしては、経済が無限に富の蓄積を追い求める状態から解放されて、金銭面での成長への依存を克服できる。


 デマレージは現代の金融市場ではかなりの異端に見えるが、現代の金融市場もマイナス金利を除外してはいない。マイナス金利とは、事実上、現金を保有することに料金を課すものだ。マイナス金利は二〇一四年以来、日本、スウェーデン、デンマーク、スイス、欧州中央銀行で緊急措置として取り入れられ、今日の金融界の一風景になりつつある。それらの国々がマイナス金利を導入した目的はまちまち──GDP成長の回復、為替レートの調整、物価の上昇──だが、それらの国々ではすでに金利はゼロ以下にならないという神話は打ち破られている。


54.Gessel,S.(1906)The Natural Economic Order,p.121,availableat: 

https://www.communityexchange.org/docs/Gesell/en/neo

55.Keynes,J.M.(1936)The General Theory of Employment, Interest and Money.London:Macmillan,Chapter23.(『雇用、利子および貨幣の一般理論』ケインズ著、間宮陽介訳、ワイド版岩波文庫、2012年)

56.Lietaer,B.(2001) The Future of Money. London : Century,pp.247248.  [リエター未邦訳]

 英国のシンクタンク、新経済学財団が失業と過労の両方の問題を解決する手段として、高所得国での労働時間を現在の週三五時間以上から週二一時間に短縮することを提言している。この提言に携わった社会政策の専門家アナ・クートは次のようにいう。「税や保険の制度に備わっている不条理なインセンティブを廃止する必要があります。雇用者が人を多く雇うほど損をするのではなく、得をするものにしなくてはなりません(*63)」  

 もし雇用者自身が従業員でもあれば、そのような労働時間の短縮ははるかに実現しやすくなる。大恐慌のときも、二〇〇八年の金融危機のときも、従業員が所有者でもある協同組合は一般の企業に比べ、従業員の解雇を巧みに避けることができた。従業員全員の労働時間を減らして、みんなで仕事を分担し合おうとする傾向が協同組合にはある。これは需要変動に柔軟に対処するための一つのすばらしい手本を示している

 しかし一般の企業の雇用のありかたを変える方法もある。広くいわれているのは、労働力への課税から、資源利用への課税に切り替えることで、人間に備わった工夫の才が、より少ない人間でより多くのものを作ることではなく、より少ない資源でより多くのものを修理したり、作り直したりすることに発揮されるよう促し、同時に雇用も増やすという方法だ。

 そのような政策はまちがいなく分配的で環境再生的な経済を築くのに役立つだろう。しかし、成長にこだわらない経済で、十分な雇用を提供しようとするうえでも役に立つだろうか? 別の対策が求められるだろうか? この点については、もっと多くの画期的な実験や研究が待たれるところだ。


63. Coote, A. (2012) 'The 21 Hour Work Week', TEDxGhent. 

https://www.youtube.com/watch?v=1IMYV31tZZ8


Anna Coote 

‘We will need to get rid of perverse incentives in tax and insurance systems, so that employers are encouraged rather than penalized for taking on more workers.’


[該当部分14:20〜]

https://youtu.be/1IMYV31tZZ8?t=14m20s


〜〜〜〜



今、斉藤幸平氏も言及していたケート・ラワース著『ドーナツ経済学』をkindleで読んでいます。

前半は論理展開が緩くお勧め出来ませんが、後半部特に最終第七章には達見が散りばめられています。

以下少し引用します。


ドーナツ経済学、

#2より:

政府主導のイノベーションの経済学を研究するマリアナ・マッツカートが指摘するように、スマートフォンを「スマート」にしているイノベーション──GPS、マイクロチップ、タッチスクリーン、それにインターネットそのもの──の背後にある基礎研究は、すべて米国政府の出資で行われたものだ。イノベーションを起こし、リスクを負うパートナーになり、私企業を「締め出す」のでなく「活性化」したのは、市場ではなく国家だったということだ。この傾向は製薬業界やバイオテクノロジー業界など、ほかのハイテク業界にも広く見られる(*42)。


42. Mazzucato, M. (2013) The Entrepreneurial State. London : Anthem Press.(『企業家としての国家―イノベーション力で官は民に劣るという神話』マリアナ・マッツカート著、大村昭人訳、薬事日報社、2015年)


#4より:


経済学における複雑性  

 経済学に動的な分析を取り入れる必要性があることは、最近になって初めていい出されたことではない。過去一五〇年にわたって、あらゆる学派の経済学者がニュートン物理学のまねごとからの脱却を試みてきた。しかしそれらは均衡理論と整った数式の強大な支配によって、ことごとく押しつぶされた。ジェヴォンズ自身も、動的な経済分析の必要性を感じていたが、それを行う数学的な手法がなかったことから、結局、時間軸上の二点のスナップショットを比較する比較静学を手がけるだけであきらめた。しかしこの妥協は残念なことだった。そのせいで、ジェヴォンズは自分の追究していたものに近づかずに、遠ざかってしまったのだ(*13)。一八六〇年代、カール・マルクスは、労働者と資本家の相対的な所得分配が生産と雇用の永続的なサイクルのせいで、たえず増減する仕組みを描き出した(*14)。


13. Keen, S. (2011) Debunking Economics. London : Zed Books, p. 184. 

14. Marx, K. (1867) Capital, Vol. I, Chapter 25, Section 1, available at http://www.econlib.org/library/YPDBooks/Marx/mrxCpA.html(『資本論』カール・マルクス著、今村仁司/三島憲一/鈴木直訳、筑摩書房、2005年) 


#6より:

 高所得国の国境内で採取されたり、加工されたりしている資源の量は、現に減っている。EUやOECD諸国からは、資源生産性の向上や、GDPの成長と資源の利用のデカップリング(切り離し)を自賛する声が上がる。それらは「グリーン成長」の夢が実現できる証拠だと持ち上げられてもいる。しかし喜ぶのは早すぎたようだ。国際的な資源フロー分析の第一人者、トミー・ウィードマンは次のように警告する。「確かにこれらの傾向からは、先進国で資源効率が高まったように見える。しかし実際にはどの国も、見えないところで、いまだに資源という土台に深くつなぎとめられている(*6)」


6. Wiedmann, T. O. et al. (2015) ‘The material footprint of nations’, Proceedings of the National Academy of Sciences 112 : 20, pp. 6271-6276.



#7より:

 一九五〇年代、経済成長理論の父ロバート・ソローが、米国経済の過去五〇年間の成長の具体的な要因を探った。最初に考案した成長モデルは、フロー循環図と同じ理論を土台にしたもので、労働力と資本が効果的に組み合わさって、生産性が向上することに、成長の要因を帰していた。ところが、そのモデルの方程式に米国のデータを当てはめてみると、驚いたことに、過去四〇年間の米国の経済成長のうち、労働者一人当たりの投下資本で説明できるのはわずか一三パーセントだった。説明のつかない残りの八七パーセントは、苦し紛れに「技術の変化」によるものとされた(*34)。

 八七パーセントという数字はあまりに大きな余りだったことから、自身の計算でもやはり同じような結果が出た同時代の経済学者モーゼス・アブラモヴィッツは、この余りを「経済成長の原因について解明できていない部分の大きさを示すものだ」と認めた(*35)。

  経済学者たちは以来、GDP成長を説明できる理論を追い求め、その謎の余りの正体を突き止めようと取り組んでいる。もしビル・フィリップスがMONIACの水を循環させる動力源に電力以外のものを選んでいたら、数十年前にその答えは見つかっていただろう。


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjelaXgl_9p32jjXcSSrGRqv7zfW0TiGrzy8q7BQw9UyGvFoJr0U2mXr_8sD1DYctIKZDHkBrdtGAGwW3nVmlMpFb8gZBtDHRrZoqh2Y9EKLYGOEoZ9RTAwpDoXw33wgpho4wmMGhHcAJ8/s1334/0E9CF4B4-5EAC-4FA5-A195-ED15D2C4FD9B.png


 もし電源のスイッチで動く装置ではなく、ペダルを回すことで動く装置にしていたら──学生がそのつど、必死になって自転車を漕ぐことで動く装置にしていたら──フィリップスにしても、その同僚たちにしても、経済活動が外部のエネルギー源によって維持されていることにいやでも気づいたはずだ。フィリップスやソローがもし、経済の全体像──第2章で紹介した組み込み型経済の図──を見ていたら、その経済モデルには初めから謎の余りの正体が取り込まれていたにちがいない。


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj5S8SGESeS9Hnhu7wtXBirlL4RRQzpRli2cteMzjxbJHKDewf2CmRxVIb4xk5Sfr_Lyn8jgkl-sVqV9-O1CVEyNkvfBKT5PS79SzJi6huZw6R6B8SlAdBMd6DTtBrzw05gKctcPfoMPZA/s1334/1E51762E-A9F5-4281-95AC-25BDC58C9890.png


34. Solow, R. (1957) ‘Technical change and the aggregate production function’, Review of Economics and Statistics 39 : 3, p. 320.

35. Abramovitz, M. (1956) ‘Resource and output trends in the United States since 1870’, American Economic Review, 46 : 2, p. 11. 



 この概念を最初に考案したのは、アルゼンチンで事業を営んだドイツ人、シルビオ・ゲゼルだ。ゲゼルは一九〇六年の著書『自然的経済秩序』のなかで、有効期限つきの印紙を付した紙幣の導入を提唱した。それは一定期間ごとに印紙を新たに買って、貼付しなければ使えなくなる紙幣だった。現在であれば、電子通貨を使って、同じことがもっと簡単にできる。一定期間保有された電子通貨に利用料を課すだけでいい。そうすることで、お金が価値を蓄積する手段として使われるのを防ぐことができる。「古新聞のように、腐ったじゃがいものように、錆びた鉄のように古くなる」お金は、同じようにやがて朽ちるものとの引き換えに、どんどん手放されるだろうとゲゼルは主張した。「貨幣を交換手段としてよりよいものにするためには、商品と同じぐらい劣化するものにしなくてはいけない(*54)」


 このような提案は初めはあまりに突飛で、絵空事のように聞こえる。しかしじつは過去に立派に実施されている。一九三〇年代、ドイツとオーストリアで地域経済の活性化のため、都市規模で導入されて、成功を収めたほか、一九三三年にはほぼ米国全土で導入された。しかしどの場合も、最終的には、政府の圧力で廃止に追い込まれた。こんな草の根の運動が広まれば、貨幣を管理する国の力が脅かされると政府は感じたのだろう。しかしケインズはゲゼルに感銘を受けて、「不当に無視された預言者」と評し、その提案にも興味を引かれた。大恐慌のさなかに消費を呼び戻すという実績を上げていたからだ(*55)。


 では、もし今、消費を活気づけるためではなく、将来のための環境再生的な投資を活気づけるために、デマレージつきの通貨を設計し、導入したらどうなるか、考えてみよう。金銭へ寄せる期待ががらりと変わるだろう。人々の関心は利潤を増やすことから、価値を保つことに変化するはずだ。蓄えられた富の価値を長期的に保つためには、植林計画など、長期的な再生の活動に投資することが最善の方法になる(*56)。


 銀行も、現金の保有のために費用を支払うよりは、投資利益率がゼロに近い企業への融資も検討するようになるだろう。そうなれば、あまり大きな金銭的リターンはもたらせないが、社会的な富や自然の富を生み出している環境再生的で分配的な企業には追い風になる。さらにもっとも大事なこととしては、経済が無限に富の蓄積を追い求める状態から解放されて、金銭面での成長への依存を克服できる。


 デマレージは現代の金融市場ではかなりの異端に見えるが、現代の金融市場もマイナス金利を除外してはいない。マイナス金利とは、事実上、現金を保有することに料金を課すものだ。マイナス金利は二〇一四年以来、日本、スウェーデン、デンマーク、スイス、欧州中央銀行で緊急措置として取り入れられ、今日の金融界の一風景になりつつある。それらの国々がマイナス金利を導入した目的はまちまち──GDP成長の回復、為替レートの調整、物価の上昇──だが、それらの国々ではすでに金利はゼロ以下にならないという神話は打ち破られている。


54.Gessel,S.(1906)The Natural Economic Order,p.121,availableat: 

https://www.communityexchange.org/docs/Gesell/en/neo

55.Keynes,J.M.(1936)The General Theory of Employment, Interest and Money.London:Macmillan,Chapter23.(『雇用、利子および貨幣の一般理論』ケインズ著、間宮陽介訳、ワイド版岩波文庫、2012年)

56.Lietaer,B.(2001) The Future of Money. London : Century,pp.247248.  [リエター未邦訳]

 英国のシンクタンク、新経済学財団が失業と過労の両方の問題を解決する手段として、高所得国での労働時間を現在の週三五時間以上から週二一時間に短縮することを提言している。この提言に携わった社会政策の専門家アナ・クートは次のようにいう。「税や保険の制度に備わっている不条理なインセンティブを廃止する必要があります。雇用者が人を多く雇うほど損をするのではなく、得をするものにしなくてはなりません(*63)」  

 もし雇用者自身が従業員でもあれば、そのような労働時間の短縮ははるかに実現しやすくなる。大恐慌のときも、二〇〇八年の金融危機のときも、従業員が所有者でもある協同組合は一般の企業に比べ、従業員の解雇を巧みに避けることができた。従業員全員の労働時間を減らして、みんなで仕事を分担し合おうとする傾向が協同組合にはある。これは需要変動に柔軟に対処するための一つのすばらしい手本を示している

 しかし一般の企業の雇用のありかたを変える方法もある。広くいわれているのは、労働力への課税から、資源利用への課税に切り替えることで、人間に備わった工夫の才が、より少ない人間でより多くのものを作ることではなく、より少ない資源でより多くのものを修理したり、作り直したりすることに発揮されるよう促し、同時に雇用も増やすという方法だ。

 そのような政策はまちがいなく分配的で環境再生的な経済を築くのに役立つだろう。しかし、成長にこだわらない経済で、十分な雇用を提供しようとするうえでも役に立つだろうか? 別の対策が求められるだろうか? この点については、もっと多くの画期的な実験や研究が待たれるところだ。


63. Coote, A. (2012) 'The 21 Hour Work Week', TEDxGhent. 

https://www.youtube.com/watch?v=1IMYV31tZZ8


Anna Coote 

We will need to get rid of perverse incentives in tax and insurance systems, so that employers are encouraged rather than penalized for taking on more workers.


[該当部分14:20〜]

https://youtu.be/1IMYV31tZZ8?t=14m20s



追記:


#2

舞台を用意する

  一九四八年に刊行されたサミュエルソンの古典的名著『経済学』には、数々の新しいアイデアが盛り込まれていた。なかでも一般向けの教材として大好評を博したのが、あのフロー循環図だった。以後、次々とそれを模倣した図が現われた。フロー循環図に似た図はほとんどすべての経済学の教科書に載っている。  

 経済学の学生が最初に出会うマクロ経済学のモデルであるこの図には、初学者の「白紙状態の心」に「最初の一撃」を浴びせる特権が与えられている。では、経済を分析するとき、何に注目し、何を無視するべきだと、この図はいっているのだろうか? 舞台の中央に据えられているのは、家計と企業との市場関係だ。家計は労働と資本を提供して、賃金と利潤を受け取るとともに、その所得を使って、企業から財とサービスを買う。この生産と消費の相互依存によって、所得の循環は生じている。そしてこの所得の循環は、外側の三つのループ──銀行、政府、貿易──によって別の使途に所得が流れる以外には、妨げられない。このモデルには、銀行が預金として所得を吸い取るとともに、投資として返すことが示されている。政府は税金として所得を抜き取るが、公共支出としてそれを再注入する。輸入されたものの代金は、外国の貿易業者に支払われるが、逆に、輸出されたものの代金は、国内の貿易業者に支払われる。これら三つの支流によって市場のフロー循環に漏出や注入が生じるが、全体として見ると、システムは閉じ、完結している。これは水がぐるぐるとめぐり続ける循環式の配管を思わせる図だ。サミュエルソンが最初に描いたのもそういう配管に似せた図だった。  

 実際、技師から経済学者に転身したビル・フィリップスという変わり種が、サミュエルソンの教科書の刊行の翌年、フロー循環図と配管が似ているのを見て、本物の水流装置を制作することを思いついた。完成した装置は透明のタンクとピンク色の液体の流れる管からなり、MONIAC(国民貨幣所得アナログコンピュータ)と名づけられた。フロー循環図を現実のものにしようとしたMONIACのタンクと管は、英国経済の所得の流れを表していた。史上初のコンピュータ経済モデルでもあり、たいへん見事な出来映えだった。フィリップスはこの装置のおかげで、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに講師の職を得た(*3)。


3. Harford, T. (2013) The Undercover Economist Strikes Back. London : Little, Brown, pp. 8-14. 


ただしこの装置には大きな欠陥があることが、やがて明らかになった。  

 技師たちは配管に似ていることに目を奪われたようだが、フロー循環図が称賛に値するのは、有名な図になるだけの十分な理由があったからだ。第一に、この図は経済を全体として捉えようとした最初の試みだった。そしてそれが経済を巨視的に見て、モデル化するという分野の先駆けになった。サミュエルソンがこの図でめざしたのは、経済が不況に陥る仕組みについてのケインズの洞察を図示することだった。例えば、将来の見通しが暗いせいなどで、家計の支出が減り始めると、企業で必要とされる労働者の数は減る。労働者の解雇が進めば、国全体の給与の総額は減るので、ますます需要は落ち込む。こうして、不況が不況を招く事態になる。これがケインズの洞察だ。ケインズによれば、こういう事態を防ぐための最善の方法は、経済がふたたび動き始め、人々の自信が回復するまで、政府の支出を増やすことだという。またフロー循環図は、今も世界中で使われている国民所得の計算方法のもとにもなっている。マクロ経済の重要な考えの数々を可視化したこの図は、とても便利なものであることはまちがいない。  

 ただ、問題は見えない部分にある。システム思考のジョン・スターマンによれば、「あるモデルのもっとも根本的な仮定は、数式には示されないし、説明のなかにも出てこない。それは文字や言葉で語られないところにある。コンピュータの画面の変数のなかにはなく、その周りの空白部分にある」という(*4)。


4. Sterman, J. D. (2002) ‘All models are wrong : reflections on becoming a systems scientist’, System Dynamics Review 18 : 4, p. 513.


http://web.mit.edu/jsterman/www/All_Models_Are_Wrong_(SDR).pdf


フロー循環図にもこの注意書きを付さなくてはならないだろう。フロー循環図には経済活動を支えているエネルギーや資源についての言及もなければ、経済活動の場である社会についての言及もない。それらは登場人物表から完全に抜け落ちてしまっている。意図的にそれらは省かれたのか。そうではないだろう。サミュエルソンはそもそも、所得の流れを図示しようとしただけなのだ。だから、図にそれらを入れる必要はなかった。しかしフロー循環図によって、経済の舞台は築かれてしまった。



The trouble, however, lies in what it leaves invisible. In the words of the systems thinker John Sterman, ‘The most important assumptions of a model are not in the equations, but what’s not in them; not in the documentation, but unstated; not in the variables on the computer screen, but in the blank spaces around them.’4 The Circular Flow diagram certainly needs to be introduced with this caveat. It makes no mention of the energy and materials on which economic activity depends, nor of the society within which those activities take place: they are simply missing from its cast of characters. Did Samuelson omit them on purpose? Unlikely: he was, after all, merely intent on illustrating the flow of income, and so they literally didn’t come into the picture. But with that, the stage was set.


スターマン2002:

p.13

Yet we and other modelers use these simple disciplines too little. Narrow modelboundaries areall too common,from thementalmodelsofthepersonon the street to the formal models published inthe mosthighly respectedscientific journals. By model boundary I mean not only substantive assumptions such as whethertheinterestrateisendogenous orexogenousorwhethertheproduction function assumes constant returns to scale, but also the more subtle boundaries imposed by all modeling methodologies, such as the assumption that data are numbers, or that human beings make decisions to maximize expected utility. Most of the critical assumptions in any model, mental or formal, are the implicit ones, the ones buried so deep that the modelers themselves are unaware of them (Meadows 1980; Meadows and Robinson 1985; 2002). The most important assumptions of a model are not in the equations, but what’s not in them; not in the documentation, but unstated; not in the variables on the computer screen, but in the blank spaces around them. Let me illustrate with two examples, both drawn from resource economics. First, consider the debate over the future supply of energy and mineral resources. Here’s what Morris Adelman, a leading energy economist, had to say in 1993: 


Minerals are inexhaustible and will never be depleted. A stream of investment creates additions to proved reserves, a very large in-ground inventory, constantly renewed as it is extracted.... How much was in the ground at the start and how much will be left at the end are unknown and irrelevant. (p. xi) The fixed stock does not exist. (p. xiii) 

What exists, and can be observed and measured, is not a stock but a flow. (p. xiv) 


Figure 4 shows the stock and flow structure corresponding to Adelman’s statements. The only stock is the stock of proven reserves, increased by a f low of investment, and drained by extraction. 

Adelman’s assertion that ‘‘The muchlarger amount in the ground is unknowable and irrelevant, a nonbinding constraint’’ (p. xiii) means additions to proven reserves, in his view, are best modeled as flowing from an infinite source. Adelman’s statements violate conservation of matter. Every ton of titanium and every barrel of oil added to the stock of proven reserves reduces the stock of titanium and oil remaining to be found in the future. Every ton and barrel extracted reduces the quantity remaining in the ground. As exploration adds to the stock of proven reserves, the stock of undiscovered resource falls. Ceteris paribus, the smaller the stock of resources remaining to be discovered, the lower the productivity of exploration activity must be (on average), and the smaller the rate of addition to proven reserves will be for any investment rate. In the limit, if the stock of undiscovered resource fell to zero, the rate of additions to proven reserves would necessarily fall to zero. 




Fig. 4. Simplistic economic model of mineral resources. Investment includes improvements in technology



Economists…


スターマン2002

p.13


しかし、私たちや他のモデラーは、これらの単純な分野をほとんど使っていません。狭いモデルの境界線は、道行く人の心のモデルから、最も尊敬されている科学雑誌に掲載されている形式的なモデルに至るまで、あまりにも一般的なものである。モデルの境界線というのは、経済連関が内生的か外生的か、生産関数が一定の規模へのリターンを前提としているかといった実質的な仮定だけでなく、データが数字であるという仮定や、人間は期待効用を最大化するために意思決定を行うというような、あらゆるモデル化手法が課すより微妙な境界線も意味しています。精神的なものであれ形式的なものであれ,モデルにおける重要な仮定のほとんどは,暗黙の仮定であり,モデラー自身がそれに気づかないほど深く埋もれているものである(Meadows 1980; Meadows and Robinson 1985; 2002).モデルの最も重要な仮定は,方程式の中にあるのではなく,方程式の中にないものであり,文書の中にはないが明記されていないものであり,コンピュータの画面上の変数の中にはないが,その周りの空白の中にあるものである.2 つの例を挙げて説明しましょう。まず、エネルギーと鉱物資源の将来の供給をめぐる議論を考えてみましょう。エネルギー経済学の第一人者であるモリス・アデルマンは1993年に次のように述べています。


鉱物は無尽蔵であり、枯渇することはない。鉱物は無尽蔵であり、枯渇することはない。投資の流れは、証明された埋蔵量の追加を生み出し、非常に大きな地中在庫を生み出し、採掘されるたびに常に更新される.... 最初にどれだけの埋蔵量があったのか、最後にどれだけの埋蔵量があるのかは未知であり、無関係である。(p. xi) 

固定在庫は存在しない。(p. xiii) 

存在し、観測・測定できるものは、ストックではなく、流れである。(p. xiv) 


図 4 は、アデルマンの発言に対応するストックとフローの構造を示している。唯一のストックは、埋蔵量のストックであり、投資によって増加し、抽出によって排出される。アデルマンの「地中の埋蔵量が大幅に増加していることは未知であり、無関係であり、 拘束力のない制約である」(p. xiii)という主張は、実証埋蔵量の増加は、無限の源泉からの流れとしてモデル化されるのが 最適であるということを意味している。アデルマンの発言は物質の保存性に反する。1トンのチタンと1バレルの石油が実証埋蔵量に追加されるごとに、将来発見されるチタンと石油の在庫が減少します。抽出された1トンと1バレルごとに、地中に残っている量が減少します。探鉱が実証埋蔵量を増やすと、未発見資源のストックは減少します。セタリスパリバスでは、発見されるべき資源のストックが少なければ少ないほど、探鉱活動の生産性は低く(平均的には)ならざるを得ず、どのような投資率でも実証埋蔵量への追加率は小さくなると考えられます。限界的には、未発見資源のストックがゼロになった場合、実証埋蔵量の追加率は必然的にゼロになる。


図4. 鉱物資源の単純な経済モデル。投資には技術の向上を含む


大学1年生の時(1965年)、大教室で行われた経済史. の講義で、「 ... 展開される。MIT 経営大学院のジョーン・スターマン教授の著書「 Business Dynamics (982 ... NY, 2002 (756pages)  ...
275 ページ·8 MB
よって、農業が変化し、社会に経済成長などの影響を与えたのか振り返り ... ラマンド、スターマン(Hazhir Rahmandad and John Sterman、2008、2012) は、 ... ドニアスら(I. Dounias et al、2002)はアフリカの農家を例に栽培管理の決定 ... うな鉱物性生産品、小麦、大豆、綿花のような農産物、さまざまなサービスも ...

山口公共

11:


1本書では今後システム思考・システムダイナミックスの手法を用いた初歩的な議論が随所で展開される。MIT経営大学院のジョーン・スターマン教授の著書「Business Dynamics (982ページ)」は、システムダイナミックスのバイブルといわれているテキストで、今世界中のビジネススクールで利用されている。筆者も同志社ビジネススクールの講義で同書を使用していた。同書のシステム思考の部分のみを翻訳した本が「システム思考-複雑な問題の解決技法」というタイトルで、東洋経済新報社から2009年に出版されている。システムダイナミックスに興味を持たれた方にぜひお薦めしたい。


https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B015FGUMSS/


61:




http://www.mhhe.com/business/opsci/sterman/TOC.mhtml

前半のみ邦訳あり


スターマン
ビジネスダイナミクス
Sterman || Table of Contents
http://www.mhhe.com/business/opsci/sterman/TOC.mhtml

Table of Contents 

INTRODUCTION

PART I. PERSPECTIVE AND PROCESS

1. LEARNING IN AND ABOUT COMPLEX SYSTEMS 
2. SYSTEM DYNAMICS IN ACTION 
3. THE MODELING PROCESS
4. STRUCTURE AND BEHAVIOR OF DYNAMIC SYSTEMS

PART II. TOOLS FOR SYSTEMS THINKING

5. CAUSAL LOOP DIAGRAMS 
6. STOCKS AND FLOWS 
7. DYNAMICS OF STOCKS AND FLOWS 
8. CLOSING THE LOOP: DYNAMICS OF SIMPLE STRUCTURES

PART III. THE DYNAMICS OF GROWTH

9. S-SHAPED GROWTH: 
EPIDEMICS, INNOVATION DIFFUSION, AND THE GROWTH OF NEW PRODUCTS 
10. PATH DEPENDENCE AND POSITIVE FEEDBACK

PART IV. TOOLS FOR MODELING DYNAMIC SYSTEMS

11. DELAYS 
12. CO-FLOWS AND AGING CHAINS 
13. MODELING HUMAN BEHAVIOR: 
BOUNDED RATIONALITY OR RATIONAL EXPECTATIONS 
14. FORECASTS AND FUDGE FACTORS: MODELING EXPECTATION FORMATION

PART V. INSTABILITY AND OSCILLATION

15. SUPPLY CHAINS AND THE ORIGIN OF OSCILLATIONS 
16. MANAGING SUPPLY CHAINS IN MANUFACTURING 
17. THE LABOR SUPPLY CHAIN AND THE ORIGIN OF BUSINESS CYCLES 
18. THE INVISIBLE HAND SOMETIMES SHAKES: COMMODITY CYCLES VALIDATION AND MODEL TESTING 

APPENDIX A: NUMERICAL INTEGRATION

APPENDIX B: NOISE

REFERENCES

INDEX



Introduction to System Dynamics: Overview


https://youtu.be/AnTwZVviXyY