2024年9月17日火曜日

三囲神社 - Wikipedia

三囲神社 - Wikipedia

三囲神社

三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、東京都墨田区向島に在る神社である。祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)。

概要

倉稲魂命(宇迦之御魂神)を祀る。旧村社(現在はかつての小梅村にあたる地区にあるが、旧地は須崎村にあったと推測されている)。元、田中稲荷と称した。創立年代は不詳。伝によれば、近江国三井寺源慶[要曖昧さ回避]が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。

元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人宝井其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。このことからこの神社の名は広まり、松阪の豪商・三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、越後屋の本支店に分霊を奉祀した。

本来は牛嶋神社の隣にあったが、洪水で一度流され、河岸に堤が築かれることになった際に南へ少し移動した[1]。その堤のために、対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。

三井家との関係

三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の"囲"の文字に三井の"井"が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。社域の一角には没後100年を経た三井家当主たちを祀った「顕名霊社」がある。三井グループ各社の総務部によって三囲会が組織されており、年に4回代表が一堂に会し祭典を催している[2]。閉店した池袋三越前にあったライオン像も寄贈されている。
三越各店に分社があるが、なぜか日本橋本店(屋上)ではなく銀座店(9階屋上)に社務所がある(日中のみの対応で諸業務のほかおみくじも引ける)。

祭神

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  • 宇迦之御魂之命、宇迦御魂之命

なお、丹後神社の祭神も、宇迦御魂之命である。

その他

この神社の境内には、隅田川七福神のうち「恵比寿」・「大国神」が祀られている。

木嶋神社と同様の石造りの三柱鳥居がある。この石造りの三柱鳥居は「三井邸より移す。原型は京都太秦・木嶋神社にある」と境内に表示されている。

三柱鳥居の手前には三本柱の屋根を持つ手水鉢がある。

ライオンの狛犬

神社境内の狛犬の傍にライオンが置かれている。三越デパートの入り口に置かれている物と同じ像で、2009年平成21年)に三越から奉納された。かつては池袋三越店頭に設置されていたもので、同店の閉店に伴い、神社からの申し出により、三越と強い縁を持っている事から実現した。

灯籠

三囲神社の灯籠の火袋には三つの穴があいている。三つ穴灯籠三郷市丹後神社にもある。

三囲神社、丹後神社の祭神は共に宇迦御魂之命である。

一勇斎歌川先生墓表

明治6年(1873年)に浮世絵師歌川国芳を顕彰するために絵馬堂脇に建立された石碑

詳細は「一勇斎歌川先生墓表」を参照

文化財

三囲神社石造鳥居(堤下の大鳥居)
墨田区登録有形文化財(建造物)[3]
三囲神社本社
墨田区登録有形文化財(建造物)[3]
宝井其角「ゆうだちや」の句碑 (雨乞いの句碑)
墨田区登録有形文化財(歴史資料)[3]
三囲神社の石造常夜燈
墨田区登録有形文化財(歴史資料)[3]
「一勇斎歌川先生墓表」(歌川国芳顕彰碑)
墨田区指定有形文化財(歴史資料)[3]
三囲神社の石造狛犬
墨田区登録有形民俗文化財[3]
三囲神社の石造神狐
墨田区登録有形民俗文化財[3]

所在地

脚注

参考文献

"登録文化財一覧". 墨田区ホームページ. 墨田区. 2020年6月26日閲覧。normal

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、三囲神社に関連するカテゴリがあります。

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