2021年8月26日木曜日

【文豪と社交】凄まじいサボり癖と人間嫌いの江戸川乱歩を、リーダー気質に変えた意外な戦時生活 | ブンゴウ泣きたい夜しかない。~文豪たちのなんだかおかしい人生劇場 | よみタイ

【文豪と社交】凄まじいサボり癖と人間嫌いの江戸川乱歩を、リーダー気質に変えた意外な戦時生活 | ブンゴウ泣きたい夜しかない。~文豪たちのなんだかおかしい人生劇場 | よみタイ

【文豪と社交】凄まじいサボり癖と人間嫌いの江戸川乱歩を、リーダー気質に変えた意外な戦時生活

恩人に対しても居留守を使う

ブンゴウ泣きたい夜しかない。~文豪たちのなんだかおかしい人生劇場

またある時、宇野浩二が乱歩の家を訪ねたことがあります。宇野浩二といえば谷崎潤一郎、佐藤春夫、芥川龍之介と共に乱歩が愛読していた作家でした。また、デビュー間もない頃の乱歩を賞賛し「日本のエドガア君、万歳!」と推薦文を寄せてくれた恩人でもあります。その宇野浩二が訪ねて来てくれたのです。しかし何を思ったのか乱歩は「旅行に出ている」と居留守を使ってしまいます。当時の乱歩はスランプに陥っており、しばしば連載を休載したり中断したりしていたので、自分に期待してくれている宇野浩二に会わせる顔がなかったのかもしれません。しかし居留守を使った事に罪悪感を感じたのか、乱歩はわざわざ本当に旅行に行き、旅先から宇野に宛てて「あれは嘘だったけども、その申訳のために旅行して今、ここに居ります」と葉書を出します。なんとも回りくどい謝罪です。しかし宇野には気にいってもらえたようで、乱歩は宇野から好意的な返事をもらっています。

デビュー以来、読者にも出版社にも大いに歓迎された乱歩作品でしたが、昭和12年に日中戦争が始まると風向きが変わってきます。戦時統制が敷かれ出版物への検閲が厳しくなり、本を出版する際には事前に当局に原稿を提出しなくてはならなくなりました。既刊本も時局に合わないとされれば削除や書き直しを命じられます。乱歩の作品も例外ではありません。探偵小説そのものが欧米的であると槍玉に挙げられたのです。新潮社から出版予定だった『江戸川乱歩選集』は度々書き変えを命じられました。しかしすでにゲラ刷りも出来上がっていてページ数を変えることはできません。「この部分を書き変えろ」と言われれば、ページ数はそのままに、物語に整合性をつけつつ書き直さなければなりませんでした。なんとか書いて提出するも、またダメ出しをくらう。何度書いても通らない。うんざりした乱歩は半ばヤケクソ気味に、物語に全然関係のない会話を何ページも書いたり、酷いときは時候の挨拶を書いて原稿を埋めたりしたといいます。「エドガー・アラン・ポーから名前を取っていたのがいけなかったのかも」と鷹揚なことをいう乱歩ですが、結局乱歩の本の出版は全て時局を汲んだ出版社の判断により自粛されることとなり、それまで刊行されていた文庫本も増刷されなくなったのでした。

戦時中に発揮された意外な能力

昭和15年になると国民総動員体制を円滑にするシステムとして全国的に隣組が組織されました。池袋丸山町会第十六隣組に組み込まれた乱歩は防空郡長に任命されてしまいます。これまでの乱歩であればこんなものは断るか無視するところですが、戦時中ということもありそうもいきません。「戦争に負けちゃいかん」「末端の協力」という気持ちもありました。なにより当時の乱歩はほとんど仕事もなく、ヒマだったのです。根がまじめで、やるとなればきっちりと事に当たりたいのが乱歩という男です。近所の奥さんたちを指揮して防空訓練を開始します。すると視察に訪れていた町会長の目に止まり、その仕事ぶりを評価されてなんと町会部長に抜擢されます。

出世してさらに仕事が楽しくなったのか、乱歩は回覧板の原稿をご丁寧に挿絵入りで執筆し、それを自らガリ版で印刷して配布します。大学生時代に、文も挿絵もひとりで書いて、自分で製本し表紙絵も描いたという手製の「探偵小説評論集」を作っていた乱歩ですから、この手の仕事はお手の物です。他にも町内の詳細な地図を作成して地理を把握したり、配給の管理監督を徹底することで円滑に物資が町内会員に届くように調整したり……、とバリバリと仕事をこなしていきます。食えなかった頃に転々とした仕事の経験も大いに役に立ったことでしょう。もう、人嫌いで閉じこもって天井を見つめていた乱歩ではありません。昭和20年に辞任するまでに乱歩は、防空指導係長、貯蓄部総代、消費経済部総代を兼任し、さらには翼賛壮年団豊島区支部副団長兼事務長を務めるにまで出世したのでした。

「私はそれまで我儘な人嫌いで、孤独を愛し、孤独の放浪を愛し、家にいれば終日床の中で暮らすという、始末におえない生活をしていたので、向こう三軒両隣のつき合いなど、思いもよらぬことであった。それが戦争のために、やはりじっとしていられなくなり、俄かに隣組常会に出席するようになったのだから、実に恐るべき変化であった」

乱歩自身が回想するように、この戦争中の体験により、乱歩はすっかり人付き合いができるようになったのです。

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