2020年9月22日火曜日

映画『八甲田山』

jihyo


八甲田雪中行軍遭難事件 地形図から解説


遭難の実際は上の動画がわかりやすい。
ただし1902年の事件を大きくした責任者は山口少佐ではなく動画に出てこない津川謙光中佐である。映画では津山中佐として小林桂樹が演じた。
事件の責任が隠蔽されたことも起因し、この事故で生き残った隊員も三年後の1905年日露戦争、黒溝台会戦で全滅した。
以下の書籍に詳しい。

伊藤 薫著『八甲田山 消された真実 』『生かされなかった八甲田山の悲劇』
youtubeにそれぞれ出版記念トークショーがある。

  0:01 時は1902年 0:03 明治維新から約30年後大黒ロシアも領土 0:06 を拡張し続けています日本に迫ってくるの 0:09 は時間の問題です 0:11 日本もロシア軍が攻めてきた場合を想定し 0:14 ていました 0:19 まず津軽海峡を支配されます 0:22 陸奥湾から青森市に上陸 0:26 冬の八戸は孤立してるので 0:28 占領されてしまいます 0:33 日本軍は厳冬機の発光打算を超えて青森市 0:36 へ侵攻できるかどうかを検証します 0:42 今回の予定ルートです 0:44 遭難した舞台とは別の弘前連隊が先に出発 0:46 します 0:48 弘前連隊は38名の少数精鋭出発に先立っ 0:52 て地元の漁師や農家から情報収集し徹底的 0:55 に冬山登山の準備をして臨みます 0:58 十和田湖の南側を通り 1:00 八戸を目指し 1:04 難関の発光打算を抜けて 1:06 再び青森市に戻ってきます 1:10 総延長224km11泊12日の予定です 1:14 結論から言うとこの舞台は計画通りに成功 1:16 します 1:18 一方 1:19 遭難してしまった青森連帯の210名 1:22 青森市を出発して 1:24 田代で一泊して青森市へ戻ります 1:28 往復40km1泊2日の予定です天気が 1:31 良ければもう少し先まで進み2泊3日に 1:34 伸ばす予定です 1:35 青森隊は宮城岩手などの太平洋側地域の 1:38 出身者がほどで雪山登山の知識がありませ 1:40 んでした1泊2日の遠足気分のものが多く 1:44 装備も不十分でした 1:53 1月20日先に弘前連隊38年が出発 2:00 1月23日 2:02 朝7時 2:02 青森連帯210名が出発 2:05 気温は-16°c前後 2:07 重い重い反りを引いて興奮します 
2:10 リーダーは金なりたい上巻の山口少佐が 2:13 随行します 2:15 山の入り口のタモギのに到着明日から 2:18 山の神の日から 2:20 山に入ってはいけないな 2:22 昔からの言い伝えで明日から山があられる 2:24 だ大丈夫 2:26 どうしても行くなら我々が道案内するだ 2:29 大丈夫大丈夫 2:41 しかし深い雪に阻まれ早くも反り舞台が 2:44 遅れだします 2:46 上空からだと簡単そうに見えますが 2:48 実際はこのように富士の樹海のような 2:50 山深いところです 2:53 一度道に迷ってしまうと夏場でも遭難必死 2:55 です 2:57 この辺りは才の瓦と言われていて 3:00 昔 3:00 地元の青年たちが山の神の日に言い伝えを 3:03 破って山に入っていきましたそして20名 3:06 ほどが遭難してしまいます 
3:08 今回の事件でもこの辺りでたくさんの隊員 3:11 の方が亡くなっています 3:16 ちなみに今日の予定は 3:20 馬立場を経由して 3:25 谷へ降りて 3:27 駒込川を渡り 3:28 田代で一泊して帰る予定です天気が良けれ 3:32 ばもう少し進む予定でしたがこの天候では 3:34 無理でしょう 3:36 話を戻します 3:40 天候が悪化して暴風雪になってきました 3:43 ソリ舞台はかなり遅れてしまってます 3:46 撤退しようかと検討します行かせて 3:48 ください 3:49 我々は大丈夫であります 3:53 地元民の助言を断ってるプライドもあり 3:55 進行することになります 4:01 当時はこのような舗装された道はありませ 4:03 ん 4:04 わずかな山道があるだけです 4:07 冬場は完全に雪で閉ざされています 4:29 なんとか埋ま立て場までたどり着きました 4:33 ソリ舞台は2時間以上の遅れをとってます 4:37 先遣隊15名を田代へ向かわせ進行でき 4:39 そうか調査させます 4:43 88名を取引の応援に向かわせます 4:48 午後5時それでの運搬を断念 4:51 荷物を拡大院が分担して持つことに 4:58 先見体は道に迷っていました 5:03 偶然本体と合流できました 5:12 田代への道が見つからずここでビバーク 5:13 することになりました 5:23 田代まであと1.5kmくらいの距離です 5:26 田代温泉といっても何もありません 5:29 冬場は人が近づけるような場所ではあり 5:31 ません 5:46 ギアナを掘り夜を過ごします 5:48 日がなかなかつかずまともに食料を取る 5:51 ことができませんでした 5:53 気温はマイナス20度 5:55 眠ると東証になるとして噴火性症や足踏み 5:58 を命じます 6:02 まともに眠ることもできず午前2時ごろ 6:04 消えを決定 6:13 午前3時半頃馬立場を目指すが迷って 6:16 しまいます 6:19 真夜中の上毛布武器なので視界はゼロです 6:27 体調私は田代温泉への道を知っています 6:31 確か 6:32 駒込側を渡ったところだったはず 6:37 さらに谷間へ降りていってしまいます 6:50 しかし駒込川に阻まれ進めません 6:59 田代温泉はもっと先でした 7:06 仕方なく崖を登り元来た場所に戻ります 7:12 しかし崖を登れず落語するものが出てき 7:14 ます 7:16 第4小隊の水の注意が投資してしまいます 7:26 雪で足跡が消えてしまい完全に道に迷い 7:28 ます 7:32 2日目は14時間もの間 7:34 彷徨い続けます 7:42 2日目はここで美白します 7:51 接合をフォローにも道具を稽古していた 7:53 ものは全員行方不明となり 7:55 きさらしの露天に露営することとなりまし 7:57 たこの時点で死者行方不明者は70名を 8:01 超えていました 8:02 体感温度はマイナス50度 8:04 食料も凍って食べられず 8:06 前日からほとんど不眠不急で絶食状態です 8:11 夜明けを待って出発する予定でしたが 8:13 投資者が続出したためやむなく午前3時 8:16 ごろ出発 8:18 2日目も迷い続けます 8:21 天は我々を見放したここで舞台を解散する 8:26 各自で下山せよ 8:27 実際はこのようなことは言ってないよう 8:29 です 8:30 しかし発狂するものや川に飛び込むもの 8:32 など死亡者が続出します 
8:35 山口少佐が意識障害となり倒れます 8:39 午後7時頃やや天候が回復したのを 8:41 見計らい暗い死体が石膏体を募ります 8:45 タモギの方面に高橋ご丁以下7名 8:49 田代温泉方面に渡辺軍装以下6名を 8:52 送り出した 8:56 救助隊が来たぞ大いにこっちだ 9:01 ただの木でした 9:05 11時30分ごろ石膏部隊が埋ま立て場を 9:08 発見 9:11 隊員が一人向かいに来ます 9:14 本体と一緒に埋ま立て映えたどり着きます 9:27 石膏部隊の2人は死亡していました 9:31 田代方面へ向かわせた石膏部隊を待ちます 9:33 が彼らは戻りませんでした 9:44 3日目の夜はここで露営することにします 9:53 才の瓦で4日目の夜を過ごします 9:59 青森中東署では救援隊60名が捜索に 10:02 向かいますこの日は気温マイナス14°c 10:04 こんな日に山に入っていくのは 10:06 自殺行為でこの日は捜索を断念します 10:13 道がわからないので二手に分かれて青森を 10:15 目指します 
10:17 気象外の山口少佐は部下が背負います 10:21 川に降りた暗い死体は崖に阻まれ身体が 10:24 困難になります 10:28 噛んだり隊は猛吹雪のため落語者が続出し 10:31 残り2名になってしまいました 10:34 タモキのへ行って 10:36 本部に報告せよ 10:39 後藤5兆は一式モードとしながらも共にの 10:41 を目指します 10:44 救助隊も捜索を再開します 11:01 おーいしっかりしろ 11:05 しっかりしろ 11:08 かなりたいがどうしたどこにいる 11:12 近くを捜索したところ雷対応を発見します 11:14 がすでに亡くなっていましたしかし過酷な 11:17 状況で救助隊員の半数が東証になって 11:19 しまいますこれ以上の捜索は困難と判断し 11:22 一旦引き返します 11:32 その頃くらい死体は川を進めずにいました 11:34 私が駐屯所へ報告してきます 11:38 裸になって川に飛び込んでしまいますその 11:41 後も何人かは川に飛び込んでしまいます 11:48 救助隊が戻り雪中行軍隊が全滅の模様で 11:51 あると報告 11:54 大規模な救助活動を開始します 11:56 延べ1万人動員 11:59 [音楽] 12:06 タモギのに拠点を設置し救助活動にあたり 12:08 ます 12:08 [音楽] 12:10 後藤5兆の証言をもとに捜索していきます 12:16 一方11日の工程で興奮していた弘前隊 12:20 現地の村人を案内人として何人か雇ってい 12:23 ました 12:24 案内人は引き返すよう進言しますが弘前大 12:26 は叱り飛ばし無理やりずれていきます 12:28 しかし田代への道中迷ってしまいます 12:32 案内人の一人を人質にとり田代への道を 12:35 探してくるように命じます 12:36 [音楽] 12:38 案内人はまともに休憩を取ることができず 12:40 弘前隊だけが休憩しています 12:41 [音楽] 12:43 田代が見つからず代わりに小屋を見つけた 12:45 のでそこへ案内します 12:48 しかし小さい小屋で全員が入ることができ 12:50 ず交代後退で一夜を過ごします 12:52 [音楽] 12:55 道中 12:56 遭難者を見たとの噂がありますが救助して 12:58 ません 13:01 気づかなかったのか 13:02 救助する余裕がなかったのか謎ですが 13:05 休みなくこき使われた案内人たちが疲労 13:07 困憊で動けなくなってしまいます 13:09 [音楽] 13:10 弘前隊は彼らを見捨てて先に行ってしまい 13:12 ます 13:14 案内人たちは重度の東証を追って 13:16 重い後遺症が残るが国からは何の保証もさ 13:18 れなかった 13:20 上に報告すらされなかった可能性があり 13:22 ます 13:23 弘前隊のリーダーである福島隊が 13:25 過去2日間のことは絶対口外すべからず」 13:27 と言っています 13:29 自身の立身出世のためなら手段を選ばない 13:31 タイプでしょうか 13:32 [音楽] 13:38 前日発見したカンナリ隊と他1名の遺体を 13:41 終了 13:41 [音楽] 13:44 才の瓦で36名の遺体を発見 13:54 炭小屋で3名発見 13:56 うち1名はすでに死亡 13:59 古谷周辺で16名の遺体発見 14:04 鳴沢付近で33名の遺体発見 14:06 [音楽] 14:17 暗い主体ら9名が救助隊に発見される 
14:20 山口少佐他に名が後日なくなる 14:24 平沢のスミ小屋で4名発見 14:26 うち2名は後日なくなる 14:29 田代温泉付近の炭小屋で2名発見 14:31 うち1名はすでに死亡 14:38 [音楽] 15:31 生存者は210名中11名 15:34 ほとんどのものが10度の東証のため両手 15:36 や施設だ 15:38 亡くなった199名の方の代替の発見場所 15:40 です 15:41 遺体の収容は困難を極めたカチカチに凍っ 15:44 ているためそ略に扱うと間接部分が 15:46 バラバラに砕けてしまいます 15:48 川の中の遺体は海にまで流されてしまった 15:50 ものも 15:53 全員の遺体収容まで約4ヶ月かかりました 15:56 [音楽]

健さんと八甲田山【WOWOWぷらすと】


https://twitter.com/apapane_lehua/status/955410755024707584?s=21

 

映画『八甲田山』



134 八甲田連峰 八甲田ロープウェイ。 案内の声「これは青森トド松でございます。この青森トド松は冬になりますと大きな樹氷となる木でございます」 老人がゴンドラの窓からくい入るように八甲田の山々をみつめる。 その田茂萢岳の頂上に近い八甲田ロープウェイ山頂公園駅。 展望台や周辺にいる人々、登山姿も見えるが、殆どは観光客だ。 そうした人達からはポツンと離れ、行軍隊の墓地を訪づれていた老人が立っている。 義手で義足、顔に深い無数のしわを刻みこませた、それはかつてただ一人田代元湯にまで達した九十歳の村山伍長。 その村山伍長がゆっくり見廻す、緑の八甲田連峰やその広大な平原ヘタイトルがWり始める。
 T①「三十一連隊の徳島大尉以下の雪中行軍隊と、五連隊の倉田大尉、伊東中尉らは、二年後の日露戦争中」
 T②「極寒零下二十数度の黒溝台で、二昼夜飲まず食わずに戦い、続く奉天大会戦を勝利に結びつけ、全員が戦死した」
 T③「今に残るのは、本州最北端の地に、うすれかける記憶で語りつがれる──八甲田山雪中行軍の物語だけである」 タイトルの終り頃から深いO・Lで、八甲田連峰は再び冬になり──静かに雪が降り始める。(F・O) (終)

八甲田山 消された真実 | 伊藤 薫 | Kindle 
https://www.amazon.co.jp/dp/B078XBXGV9/  
2018 

生かされなかった八甲田山の悲劇 Kindle版 


30:30
敵情軽視

黒溝台会戦


黒溝台会戦(こっこうだいかいせん)とは、日露戦争中の1905年1月25日 - 1月29日にロシア満州軍の大攻勢により起きた日本陸軍とロシア陸軍の戦闘。ロシア側の奇襲 ...

この状況を打開すべく、明治三十八年一月にロシア第二軍司令官グリッペンベルグは約10万の大軍で日本軍左翼への総攻撃を決行した。日本軍左翼は秋山好古率いる秋山支隊が ...


https://ja.wikipedia.org/wiki/八甲田山_(映画)

山田 正太郎(やまだ しょうたろう)少佐
演 - 三國連太郎
第二大隊長。雪中行軍の目的を履き違え(「弘前三十一連隊に勝つため」にすり替え)て行軍本番中に(我田引水と朝令暮改を重ねて神田大尉より指揮権を奪うなど)隊の指揮系統を乱し、大量遭難を招いた張本人として描かれている。

遭難の全責任は(雪山の知識がなかったのに神田大尉より指揮権を奪い我田引水した)自分にある」と土下座で謝罪した。また、徳島隊が(負傷のため三本木より中途帰営させた松尾伍長を除き)全員無事に雪中行軍を終えて帰営中であることを(津村連隊長からの返答・報告で)知った。これに対して青森第五連隊が(徳島隊に勝ちたいがための)ずさんな計画によって多くの遭難者を出したこと、ことごとく退けた神田大尉の意見が正しかったことを痛感し、(自身の我田引水で多数の部下が犠牲となった)己の愚かさを深く反省する。最期は自責の念から、搬送された青森市内の病院で拳銃自決を遂げた。
モデルは山口鋠少佐。



津村(つむら)中佐
演 - 小林桂樹
連隊長。山田少佐から雪中行軍計画書の提出を受けた際に、神田隊のほかに上部組織の大隊本部が随伴することによる指揮系統の乱れを不安に思ったが、山田少佐の「三十一連隊は既に弘前を出発した」という報告により、「随行する大隊本部は行軍と無関係の編成外組織で、行軍隊の指揮は神田大尉が執る」ことを再確認したうえで木宮少佐同席の下、計画書に署名して決裁印を捺した。
五連隊雪中行軍隊結団式(ただし、下士卒は欠席)では木宮少佐同席の下「行軍隊・随行員計210名の中から、たとえ一人といえども落伍者その他を出さぬよう、万全の準備とその実施を希望する」と参加隊員に訓示。出発当日(1月23日)は屯営正門で木宮少佐らと共に雪中行軍隊員を見送った。
神田隊遭難後、救助隊員によって「遭難した五連隊雪中行軍隊の中から江藤伍長を含む12名の生存を確認し救出した(うち1名は救出後に死亡)」との報告を受け、五連隊幹部を引き連れて田茂木野へ迎えに出向いた。このとき、山田少佐から謝罪を受け、自身は山田少佐らに三十一連隊(徳島隊)が八甲田を踏破したことを伝えた。
モデルは津川謙光中佐。

『八甲田山 消された真実』 発刊記念トークイベント
2018/02/01
https://youtu.be/KvoEjZQIqw0
1:02:00~ 黒幕津川

http://www.asahi-net.or.jp/~cr1h-ymnk/jihyo.html

jihyo

「陰謀」組織論を超えて-クラン型組織の病理-


『時評』96年8月
「官僚組織問題」の定番的解説

 「いまの官僚組織の硬直化を分かりやすくご解説いただくとともに、こんご官が活性化で きるとすれば、どういう組織体に移行していくべきとお考えか。また、そのために必要とな る人事システム見直しなど、組織改革への具体的提言をいただきたく存じます」

 と原稿依頼の手紙には書いてあった。

 官僚組織がなぜ硬直するのかといった問題に対して、社会学者がするべき回答は、すでに 定番と言うべきものが用意されている。大学の教養課程の社会学の講義にでも出れば、回答 はちゃんと聞くことができるのである。

 たとえば、こう答えのが通例だ。

 M・ウェーバーは近代の官僚組織について、その特徴をつぎのように指摘している。一、 規則によって定められた権限、二、上下の命令系統(ヒエラルキー)、三、文書によるコ ミュニケーション、四、専門的訓練を前提とした職務、五・組織に対するメンバーの全面的 関与、(つまり、雇用されているということ)、六、規則による職務の執行。官僚組織は、 近代の産業社会を発展させるためは、欠くことのできない合理性と機能性をもった組織形態 だった。しかし、他方、官僚組織といえば、非効率で無意味な文書の生産にあけくれる組織 の代名詞のように言われる。なぜ、このようなことになるのか。

 アメリカの社会学者のR・マートンは、機能分析という方法を用いて、官僚組織がどのよ うな条件にあるとき、本来の機能を果たせなくなるのかを分析した。彼によれば、官僚組織 は、あまりに整然とした体系を持っているために、組織を取り囲む外部の環境が変化して も、内部は変化しにくい。そのため、慣行や規則に縛られているうちに、環境の変化に対応 できず目標の達成すらおぼつかなくなってしまうというのである。たとえば、アメリカの一 九三〇年代、ニューディール政策の時代につくられた開発公社が、その後何十年にもわたっ て延々とダムを造り続けた結果、自然保護という環境の変化に対応できず、環境破壊公社と さえ呼ばれるようになってしまったとか、オイルショックという環境変化の後も大排気量の 大型車を生産し続け、日本の小型車に市場を席巻されて倒産寸前に追い込まれたアメリカの 自動車産業などがこの好例である。

映画『八甲田山』とコンティンジェンシー理論

 官僚組織のこのような問題性は、すでに衆知の事実で、今日の組織経営理論にはその対策 が折込済みである。たとえば、コンティンジェンシー理論がその代表である。

 コンティンジェンシー理論とは、外部環境の変化に応じて、組織管理の方針を柔軟に変化 させようというもので、環境の変化が少なく市場が安定しているときはライン型の組織、新 技術の開発や経済の混乱などがあって不安定な環境に対応しなければならないときはスタッ フ型の組織と、組織を使い分ける戦略をとろうとする考え方である。私がアメリカの大学院 で学んでいた八〇年代の始め、すでに、このコンティンジェンシー理論は組織経営論の定番 と化していた感があり、教室で、熟年教授からこの理論の説明を懇々と聞かされたものだ。

 大学で教えるようになった今、この理論を学生たちに解説する時、私が使うのは映画『八 甲田山』である。大編成でピラミッド的な青森五連隊の雪中行軍隊がライン型の組織、それ に対して、小編成で水平的な人間関係からなる弘前三一連隊の雪中行軍隊がスタッフ型の組 織。吹雪の八甲田山という外部環境の激しい変化に対して、ライン型組織は脆くも解体する が、スタッフ型の組織は生き残る。やや単純化し過ぎるきらいはあるが、この理論の背景を 解説するには、もってこいの教材である。

 余談になるが、数年前、文部省の研究機関に勤めていた時、大学教育の方法をいかに改善 するかを研究するプロジェクトの一環として、若手の社会学者でチームを作り、市販の映画 ビデオを使って学べる社会学の入門書(『ビデオで社会学しませんか』有斐閣)を出版した ことがある。この入門書の執筆代表が私だったため、チームメンバーに適当な執筆担当者が いなかった「集団と組織」という章を私がなりゆきで担当することになった。集団、組織、 官僚制、小集団といった社会学入門書の定番の項目をいくつかの映画を使ってわかりやすく 解説するのである。この入門書は、けっこうヒットし、多くの大学で社会学のテキストに採 用された。研究としては、一応成功したわけだが、それ以来、いろいろな企業から、現代の 組織について講義してほしいと研修や講演の依頼を受けるようになった。そんなときも、私 はこの映画を題材に使っている。

 さて、官僚組織の問題点は何かと問われれば、ほとんどの社会学者なら以上のようなこと をまず述べるだろう。しかし、これはあくまで理念型としての「官僚組織」についての話で あって、それは、日本の官庁に代表される現実の大官僚機構の話ではないことに注意してい ただきたい。理念と現実とは、また別のものだからである。

 そもそも、最初にいただいたテーマ、つまり、「いまの官僚組織の硬直化」を解説すると いう課題について再度吟味する必要があるのではなかろうか。というのも、どうもこの問い 自体の中に、日本の官庁は西欧人のウェーバーが提示した理念型としての「官僚組織」に当 てはまるという前提が、すでに含まれているように思えるのである。しかし、本当にそうだ ろうか。

クラン-日本型組織のモデル

 社会学の世界では、日本の大企業や官庁組織は西欧人が描いたような官僚組織ではないと 見方が、すでに広く支持されている。

 イギリスの社会学者、A・ギデンスは、たんにその秀でた業績で世界の社会学界に名を馳 せるだけでなく、優れた社会学教科書の編者としても著名な人物であるが、彼が編纂した定 番の社会学テキストの「集団と組織」の章には、官僚組織の原則では理解できない組織の代 表として、とくに日本の企業や官庁の組織が取り上げられている。

 ギデンスは、日本的組織を説明するにあたって、日系人の社会学者であるW・オオウチの 議論を紹介し、その組織の特徴をクラン型組織と表現している。クランとは、親族集団を核 として形成された規模の大きな組織集団で、たとえば封建時代の大名や商家などに代表され るように、親族集団を中心に、その周りに非血縁者を主従関係によって結びつけながら、そ の一族の繁栄と発展を果たすことを目標に形成された社会集団のことである。

 さて、なぜ、今日の日本型組織がクラン的なのかについて、ギデンスの考え方をみてみよ う。

 まず、日本型組織には、職務権限のピラミッドがないか、あっても脆弱である。たとえ ば、組織の方針に関わる実際の決定は、下部から積み上げられていく。これをもっともらし くボトムアップ方式と呼ぶのは自由だが、欧米のリーダーシップ感覚に慣れた人々からみれ ば、日本型組織の決定システムは言葉の正確な意味の官僚制とは認められないだろう。

 これは、能力を伴わない家長がトップに来たとき、家臣団がそれを補佐して組織を経営す る必要から生じるクラン型組織の特徴である。

 つぎに、専門分化の程度が低いことがあげられる。日本の官庁では、専門家は出世できな いし権力を持てない。また、専門的な職能をもつ人材を雇用することを嫌う。このような専 門家に対する冷遇は、外国人が日本の役所で驚くことの一つになっている。たとえば、官庁 の図書資料室などにいくと、一般事務しかしない事務官が正規の職員なのに、不可欠の専門 家であるはずの司書が非常勤職員だとか、自治体の国際交流課にいくと課長は英語すらでき ないのに、唯一英語のできるスタッフは何の決定権もない非常勤のアルバイトだったとか枚 挙にいとまがない。

 これも、主人に対して絶対服従せず同業者のギルドを作ってそれに強い帰属意識をもつ専 門職者たちを危険視するクラン型組織の特徴である。たとえば、酒造りの蔵元が、技術者と しての杜氏をけっしてクラン内部に抱え込まなかったようにである。

 また、地位に関係のない年功賃金体系や組織内の職務と業務外の生活との一体化など、日 本型組織の特徴としてすでによく言われている特徴も、このクラン型組織の特徴として説明 されている。

 ギデンスのいうような議論を、もちろん、我々も知らないわけではない。一時期はやった 諸種雑多な日本式経営論の中でこういった議論には耳にタコができるほどつきあった経験が あるからである。ただ、その時は、こういった日本型組織の特徴は、当時の「株式会社日 本」の成功の余力をかって、日本型組織の強さの秘訣としてもてはやされていたのではな かっただろうか。ギデンスの教科書にも、そんな傾向の残り香のようなものが漂っている。

自己愛・自己保存と疑心暗鬼・陰謀-クラン型組織の行動原理

 しかし、組織がクラン的性格を保持しているということは、その組織が前近代的な性格を 強く持っていることの証左でもある。

 本来、クラン型組織は、特定の親族集団を守りつづけることを唯一の目標として形成され た集団である。日本の官僚組織が明治に組織されたとき、仕えるべき親族集団とは、もち ろん天皇家だった。それは、ちょうど旗本たちにとっての徳川家と同じである。ところが、 戦後、そのような心身を捧げて仕えるべき対象は失われた。戦後の一時期は、成長という国 家目標が失われた主人の代わりを果たしたが、今は、それも失われた。しかし、クラン型組 織の実質は、便宜的に維持され続けている。

 心理学者たちの議論を借りれば、対象喪失は心の病を引き起こす。外に対象を失った愛 が、結局、自己愛と化してしまうように、クラン型組織としての日本の官僚組織も、自己 愛、自己保存のための組織へと偏していったといっては言い過ぎだろうか。

 このような状況を、私は黒澤監督の映画『影武者』を使って学生たちに説明している。ク ラン型組織の自己愛と自己保存という目標は、実は主人の存在するしないにかかわらず持続 するということである。このような状況を「空虚な中心」と表現する政治人類学者たちもい る。

 クラン型組織に属する人間が求められる行動規範は、一言でいえば儒教的な忠義といった 言葉で代表させてよいものである。城山三郎の企業小説などを読むときのキーワードの一つ である。しかし、戦国時代の武将たちが他方で忠義を口にしつつ、常に裏切りや陰謀におび えたように、この忠義という一見美しい行動規範の暗い裏面には、「疑心暗鬼」が存在して いる。

 組織目標がはっきりし、個々のメンバーの役割が明確であり、情報が公開され、また、仕 事についての評価が業績というはっきりとした基準によるものであれば、組織のメンバーは 疑心暗鬼にならずにすむ。しかし、自己愛と自己保存が目標と化したクラン型組織は、その ような開かれた組織の対極にあるといってよいだろう。

 自己愛的な人々は、いつも自分や自分の属するセクションの利益を最大化することを考え る。しかし、組織内の資源は有限だから、自己利益の最大化は他者の減益なくてはありえな い。これはひとつのゼロサム・ゲームである。誰もが互いにそう考えることによって、組織 内のどこかに自分や自分のセクションを罠にはめようとする陰謀が企図されているのではな いかと疑いはじめる。

 このような疑心暗鬼は、情報の得にくいセクションや人ほど抱きやすい。一般に縦割りの 官僚組織では、セクションを横に伝わる情報の回路は少ないから、ボトムにいる人や中央か ら遠いところにいる人には情報が入りにくい。そこで、そんな人々はますます自衛に走るこ とになる。

 つまり、自分たちのセクションの情報を外に出さない。あるいは、すべての権限をも行使 して組織内のどんな小さな活動も自分たちのセクションに関係していると主張し、情報を確 保する。

 上にいる人もそのような疑心暗鬼から逃れられない。セクションの情報が秘匿されている のでトップからはボトムが見えにくい。よって、部下が本当のことを言っているのかごまか しを言っているのか判断できない。みんな「予算がない、人が足りない」という。その要求 は一見すべて正当性をもっている。しかし、誰もが嘘を言っているとトップは内心思ってい る。そこで、ボトムから上がってくる要求の内容ではなく、それをもってくる人物への信頼 度が重要になってくる。ただ、多くの場合、信頼度は接触頻度に相関するから、たくさん顔 を出す接触頻度の多い人の言い分がとりあえず聞き入れられることになる。役所にお百度を 踏むことが大切なわけはここにある。

 これらの行動は、クラン型組織の自己愛・自己保存と疑心暗鬼・陰謀という行動原理から みれば、当然のことである。

 このような関係は、セクション間だけでなく個人間でも生じる。だから、職場の中では、 他人による陰謀を阻止するため、いつも職場に留まり監視する。これをみんながするから職 場にはいつも人が群れていることになる。そして、何かの理由で接触頻度の少ない人物が現 われると、先手必勝とばかりに、その人物を追い落とす陰謀が企図される。

 全共闘世代の社会学者である橋爪大三郎は、日本型組織に見られる人間の行動原理のひと つに、「いつもいっしょに群れている」ことを指してトゥゲザネス(togetherness)とい う概念を提唱したが、このような行動原理も自己愛・自己保存と陰謀というクラン型組織の 特徴をうまく言い当てている。

官僚批判の再吟味を

 今日、日本の官僚組織に対して、さまざまな批判が投げかけられている。しかし、それら の批判を一括して扱うことは危険かもしれない。批判のある部分は、近代官僚制の固有の問 題というより日本のクラン型組織の問題として別個に対応しなければならないと思われるか らである。

 意志決定にかかる時間がやたらに長かったり、リーダーシップの所在が不明だったり、専 門家の意見が取り入れられなかったり、情報が特定の部門に秘匿されたままだったり、接待 づけがあらたまらなかったりするのも、日本の組織がもつクラン的な性格と不可分の関係に あるといわねばならない。日本の場合、とくに急速に行なわれた近代化のひずみが、今日の 大企業や中央官庁の中にさえ、クラン型組織の要素を強く残存させてしまった。

 もちろん、このような事態に対する批判は昔からあった。とくに、左右を問わず近代化論 者の中に強く存在していた。ところが、「株式会社日本」が時に利を得、成功してしまった ことによって、クラン型組織のもつ負の要素も日本の文化風土の独自性だとして、やみくも に肯定的に評価してしまった。その結果、このような日本型組織の負の体質を改善する時期 と機運を失してしまったではないだろうか。もし、そうなら、日本経済が失速中の今こそ、 その負の体質を改善できる好機かもしれない。

 ここで、日本式組織論をそのままにして、日本の官僚組織の抱える問題を官僚組織の一般 問題に還元したりしてしまえば、問題の分析を誤り、日本固有の解決モデルがあるという錯 覚を抱き続けることになってしまう。

 残念ながら、一社会学者の私には、現在の官僚組織をどのように改革すべきか具体的な処 方せんを書く力はないし、たとえ、そんなものを書いたとて誰も読んではくれないだろう。 ただ、私はいつも、企業で講演する際、私の前にすわっている私よりはるかに立派そうな中 堅幹部たちに、こういっている。

 「みなさんは私よりはるかに組織のことを御存知の専門家です。日本の企業組織が強いの は、社員のほとんどの人がいつも組織のことを考え、それをどう動かそうかと策を練ってい るところにあります。でも、みなさんの専門的知識は、お勤めのこの会社組織にだけ適用で きる理論です。そこが問題なのです。私がお手伝いできることは、みなさんが自分の組織を 別の視点から見直す機会をさしあげることです。そして、それができれば、みなさんには、 ご自分の組織をどうすれば改善できるか、すでに処方せんは分かっておられるはずです」

 まずは、自己愛と陰謀の無限地獄に陥っている自分を発見することがその第一歩かもしれ ない。こんなことをいうと、どこか宗教めいてくるのも、今日の状況を反映しているのだろ うか。

 

1 件のコメント:




  1. まちゃん
    ⁦‪@movielove1234‬⁩


    「八甲田山」で遭難した神田大尉が「天は我々を見放した」と呟いた瞬間。実話ではこの言葉を聞いた部下達が絶望して次々に倒れていったらしい。映画では名セリフだが本当は指揮官が絶対に口にしてはいけない最悪のセリフ。#映画の絶望的な瞬間を貼る pic.twitter.com/BmlV6JyVa6

    2022/10/11 19:43


    https://twitter.com/movielove1234/status/1579784803783565312?s=21

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