2020年8月25日火曜日

道=あり方、存在、being、秩序化


安冨歩「「道」とは何か? :『論語』と『老子』の世界観」ー東洋文化研究所公開講座 2017 「アジアの知」





以下、昔のメモ

カントと孔子:メモ 

https://yojiseki.exblog.jp/15059055/

カントと孔子:メモ

孔子の言行録である『論語』には、仏陀やキリストに通じるものがある。神秘主義を退けた点や、倫理を重視した点が彼らに近い。
しかし、あえて哲学的観点に立てば、カントの批判哲学と親和性が高いだろう。

怪力乱神を語らなかった孔子は(論語述而7:20)、理性の越権行為を禁じたカントに近いのだ。

以下、引用。

1:14
先生は言いました。「君子(りっぱな人)は、食事をするときは、飽きるまで食べたいとは思いません。家にいるときは、気楽に暮らしたいとは思いません。自分を向上させるために努力して、発言を慎重にします。道理をわきまえている人につき従って、自分のまちがいを正します。これでこそ学んでいると言えます」
子曰:「君子食無求飽,居無求安,敏於事而慎於言,就有道而正焉,可謂好學也已。」

2:17
先生は言いました。「 仲由 よ、あなたに知るということを教えましょうか。知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとするのが、知るということです」

子曰:「由!誨女知之乎!知之為知之,不知為不知,是知也。」


2:18
顓孫師が収入を得るために学ぼうとしました。先生は言いました。「いろんなことを聞いて、そのうち疑わしいものを取り除いて、その残りを慎重に発言するなら、失敗することはありません。いろんなことを見て、そのうち疑わしいものを取り除き、その残りを慎重に実行するなら、後悔することはありません。言葉に非難されるところがなく、行動に後悔するところがないようにしていれば、おのずと収入を得られるようになるものです」

子張學干祿。子曰:「多聞闕疑,慎言其餘,則寡尤。多見闕殆,慎行其餘,則寡悔。言寡尤,行寡悔,祿在其中矣。」


7:8
先生は言いました。「わかりたいけど、わからない、ともどかしく感じないなら、こちらから教えてあげません。言いたいことはあるけど、どう言ったらよいかわからない、とむずむずしないなら、こちらから言ってあげません。1つ説明したら、その他のことも応用して考えつくようでないなら、二度と説明してあげません」
子曰:「不憤不啟,不悱不發。舉一隅不以三隅反,則不復也。」


三隅__一隅
 |  |
 |__|
三隅  三隅


11:5
 先生は言いました。「やり過ぎるのは、やり足らないのと似たようなものです(よくありません)」

子曰:「過猶不及。」

11:11
仲由が鬼神(神霊)に仕えることについて質問すると、先生は言いました。「まだ人に仕えることができていないのに、どうして鬼神に仕えることができるでしょうか」
  仲由が死について質問すると、先生は言いました。「まだ生についてよくわかっていないのに、どうして死についてわかるでしょうか」

季路問事鬼神。子曰:「未能事人,焉能事鬼?」「敢問死?」曰:「未知生,焉知死?」


以下の、フレーズもある。


子曰:「吾未見好德如好色者也。」9:18

子曰:「已矣乎!吾未見好德如好色者也!」15:13

先生が言われた。
「私はまだ美人を好むように徳を好む人を見たことがない。」


これは「我々が不和になった愛人の許へ再び戻って行くように、必ず形而上学へ立ち帰る」(A878)と述べるカントに結果的に近いのだ。

カントは唯名論的立場を取っているが、孔子も名を正すことを重視した。
敷物に人が寄り添うことが原義の仁も、統整論的なものだということがわかる(ちなみに白川静『常用字解』によれば礼は酒を使った儀式、徳は強い目の呪術が原義だそうだ)。


韓非子| 孔子
___|___
老子 |

柄谷の交換図では上記になるが、孔子の思想はアソシエーションに移行することも可能だろう。

倫理的には第二批判、(徳と幸のアンチノミーは孔子が提出したものでもある。孔子は徳を選択するが、仮定に置けるアンチノミーは維持される。ちなみに、徳と幸を一致させるスピノザは老子に近い。)が参照されるべきだが、
音楽への興味などはカントの第三批判を想起させる。
孔子にとっては音楽は美であり、歴史こそが崇高なものだったようだが。

ただし、より厳密には『論語』全体はパーソンズの図式に当てはまるだろう(両者とも柄谷のタームでいえばネーションに希望が託される)。


孔子『論語』構造図
 _______________________
|           |     |孝 弟 質|
|           |  善  |礼 聖A信|達
|           |     |剛 智 文|
|     義     |_____|倹_政_名|聞
|           |     |    詩|
|           |  徳  | 学  書|
|           |     | 知  楽|
|___________|_____|_____|
|           |           |
|  天     命  |           |
|           |           |
|     道     |     仁     |
|           |           |     
|         聖B|           |
| (怪力乱神)    |           |
|___________|___________|

あるいは、

    義  | 礼
    ___|___
    徳  | 仁

(天、道)

注:

集合論的に整理され得る諸概念は、写像関係(例:聖A→聖B)にもある。
中庸は集合同士の交わる地点を意味する。


参考:
『森の生活』と東洋思想:メモ(転載)
http://nam-students.blogspot.jp/2010/02/blog-post_22.html


追記:
カント第二批判に近いのは以下だろう。ちなみに第三批判は孔子のいう礼学(フィンガレットの指摘するように孔子のいう礼=儀式は公的なものである)と重なり、なおかつカントのいうカテゴリーに近い。

衛霊公15より

14:先生は言いました。「自分自身は厳しく責めて、他人を厳しく責めないなら、 怨うら まれにくくなります」
子曰:「躬自厚,而薄責於人,則遠怨矣!」


20:先生は言いました。「君子(りっぱな人)は、自分に求めます(たとえば、自力救済を志向し、失敗したら自分に原因があるとします)。小人(つまらない人)は、他人に求めます(たとえば、他力本願を志向し、失敗したら他人のせいにします)」
子曰:「君子求諸己,小人求諸人。」


23: 端たん 木ぼく 賜し が質問しました。「死ぬまで守るとよいことで、一言で言えるものはありますか」
 先生は言いました。「それは 恕じょ (思いやり)です。自分がされて嫌なことは、他人に対してしてはいけません」
子貢問曰:「有一言而可以終身行之者乎?」子曰:「其怒乎!己所不欲,勿施於人。」


7:29
先生は言いました。「仁は、遠くにあるのでしょうか。いや、そうではありません。自分が仁を欲したならば、すぐさま仁がやってきます」
子曰:「仁遠乎哉?我欲仁,斯仁至矣。」



付録:
孔子が理想とした音楽は以下の編鐘のようなものだったのだろうか?
参考:http://www.ts-kaneko.net/ow061100.htm
「図らざりき。楽を為すことのここに至らんとは」(『論語・述而第七』)
「詩に興り、礼に立ち、楽になる」(『論語・泰伯第八』)




07-13
子在齊、聞韶樂三月、不知肉味、曰、不圖爲樂之至於斯也、
子、斉に在(いま)して、韶(しょう)を聞くこと三月(さんげつ)、肉の味を知らず。曰わく、図(はか)らざりき、楽を為すことの斯(ここ)に至らんとは。
先生は斉の国で数カ月の間、韶(しょう)の音楽を聞き[習われ、すっかり感動して]肉のうまさも解されなかった。「思いもよらなかった、音楽というものがこれほど素晴らしいとは」



http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/point32.html
以下上記サイトより

孔子は36歳のとき隣国の斉で衝撃的な体験をしました。 それまで聞いたことのなかったショウという古い音楽を聞いたのです。孔子は寝食を忘れるほど、その音楽に感動したといいます。 ショウとは300年以前の周から伝えられた古い音楽です。

北京の故宮博物院に収蔵された士父鐘。周代の青銅の楽器です。大小8個から22個の組み合わせで編鐘という楽器になります。編鐘の奏でる音楽は単なる娯楽ではなく、 天や先祖を祭る重要な儀式において欠かせないものでした。

宗周鐘。周の末期厲王という王が南方を侵略した異民族を撃退した記念に作らせた、数少ない青銅器のひとつです。 周代、音楽は儀礼を彩る神聖なものとされ、急速に発達しました。鐘ばかりでなく琴などの弦楽器も加わり、合唱や舞も行われたと記録されています。
湖北省の考古研究所では、およそ2500年前の講師の時代の音楽が復元されています。

やがて孔子は音楽だけでなく周という国の儀式や制度にも関心を深め、周の国そのものに強く惹かれるようになりました。それでは、孔子が憧れた周とは、 いったいどのような国なのでしょうか。
周はB.C.1000ごろ神聖国家の殷を倒しました。周の時代になり、天下は安定し、処罰は40年以上も使われなかったと司馬遷の『史記』に書かれています。 周は秩序の整った制度を持つ国でした。天や先祖を祭るときには建物の大きさから、奏でられる音楽まで儀式の次第が事細かにさだめられていました。 「礼」とよばれる制度です。孔子が憧れたのは、この「礼」でした。


参考、礼楽関連:

7:
13:先生は、 斉せい 国において、すぐれた音楽を聞かれ、その感動のあまり3ヶ月にわたり、おいしいものを食べても、その味がわからないほどでした。先生は言いました。「音楽がこれほどのものとは、知りませんでした」
子在齊聞韶,三月不知肉味,曰:「不圖為樂之至於斯也。」

7:
31:先生は、人と一緒に歌っていて、その歌がよいときは、必ずそれをくりかえして歌ってもらい、そのあとで合わせて歌いました。

子與人歌而善,必使反之,而後和之。

14:
42:先生が 衛国の首都で石の打楽器をたたいていると、竹のかごを背負って 孔子の家の前を通りかかった人が言いました。
「心がこもっていますね、そのたたき方は」
 しばらくして、さらに言いました。「だめですね、こちこちの音です。自分のことを理解してもらえなければ、そこでやめるだけです。『詩経』に「深い川なら、服を脱いで渡ります。浅い川なら、すそを持ち上げて渡ります」とあります(世の中に合わせて、ほどよく暮らせばよいではないですか)」
 先生は言いました。「思いきりのよいことですが、そう難しいことではありません」

子擊磬於衛。有荷蕢而過孔氏之門者,曰:「有心哉,擊磬乎!」既而曰:「鄙哉,硜硜乎!莫己知也,斯已而已矣!『深則厲,淺則揭。』」子曰:「果哉!末之難矣!」

16:
2: 孔子 は言いました。「天下が道にかなっているときには、 礼楽 と征伐は天子(君主)によって決められます。天下が道にはずれているときには、 礼楽 と征伐は諸侯(臣下)によって決められます。諸侯が決めるようになっても、(正当性がないので)10世代も経過すれば力を失っていくものです。大夫(諸侯の臣下)が決めるようになっても、(正当性がないので)5世代も経過すれば力を失っていくものです。陪臣(大夫の臣下)が決めるようになっても、(正当性がないので)3世代も経過すれば力を失っていくものです。天下が道にかなっているときには、大夫が政治を行うことはありません。天下が道にかなっているときは、庶民が意見することはありません」

孔子曰:「天下有道,則禮樂征伐自天子出;天下無道,則禮樂征伐自諸侯出。自諸侯出,蓋十世希不失矣;自大夫出,五世希不失矣。陪臣執國命,三世希不失矣。天下有道,則政不在大夫。天下有道,則庶人不議。」

17:
11:先生は言いました。「礼儀だ、礼儀だと言っても、宝玉や絹織物を献上することだけが礼儀ではありません。音楽だ、音楽だと言っても、鐘や太鼓を演奏することだけが音楽ではありません」

子曰:「禮云禮云,玉帛云乎哉?樂云樂云,鐘鼓云乎哉?」


////////

礼楽のレベルでも批判哲学が適応される。

7:
30: 陳国の司敗(司法官)は質問しました。「 魯国の 昭公は礼を知っていますか」
  孔子 は答えて言いました。「礼を知っています」
  孔子 が出て行くと、 司敗は 巫馬期 にあいさつして進ませ、言いました。「私は「君子(りっぱな人)はえこひきいをしない」と聞いていましたが、君子もえこひいきをするのですか。 魯国の君主は、 呉国から妻をむかえましたが、(礼の規定では同姓の家から妻をむかえてはいけないとなっていますが、 呉国は同姓なので、本来なら 呉姫と呼ぶべきところ)妻を 呉孟子 と呼びました。この君主が礼を知っていると言うなら、礼を知らない人はいないでしょう」
  巫馬期 がこれを先生に告げると、先生は言いました。
「私は幸せ者です。もしまちがいがあれば、人がそれを知らせてくれます」

陳司敗問昭公知禮乎,孔子曰:「知禮。」孔子退,揖巫馬期而進之曰:「吾聞君子不黨,君子亦黨乎?君取於吳,為同姓,謂之吳孟子。君而知禮,孰不知禮?」巫馬期以告。子曰:「丘也幸,苟有過,人必知之。」



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