2020年6月1日月曜日

下村治(1910~1989)

参考:



経済変動の乗数分析 (1952年) - – 1952/1/1

ーーー

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3019100




日本経済成長論
著者
下村治 著
出版者
金融財政事情研究会
出版年月日
1962
請求記号
333-Si421n
書誌ID(国立国会図書館オンラインへのリンク)
000001033867


日本経済成長論 [190]

  • 目次
  • まえがき
  • I 成長政策の基本問題/p1
  • 成長政策の基本問題/p3
  • 経済成長の可能性と条件/p27
  • 成長政策の基礎理論/p76
  • II 経済成長に関する若干の諸問題/p107
  • 日本経済と成長政策/p109
  • 経済成長と自由化について/p127
  • 経済成長と金融政策のあり方/p141
  • 経済成長の金融的条件/p157
  • 経済成長と景気循環/p167
  • III 当面の情勢と経済成長/p177
  • 米国のドル防衛と日本の経済/p179
  • 当面の経済情勢とこれに対処する基本的態度/p194
  • 9%の成長に不安なし/p225
  • 日本経済の現段階と経済成長/p274
  • 日本経済の歴史的位置づけのために/p322
  • 索引および統計表索引




日本経済学新論 ──渋沢栄一から下村治まで (ちくま新書) Kindle版

2020年5月23日に日本でレビュー済み
あとがきまでで430ページあり、読み応えがある。
同じ著者による「富国と強兵」よりは薄く、この本は「富国と強兵」の副読本として、「ああ、こんなことも『富国と強兵』に書いてあったなあ、と思い出しながら読むこともできる。

この本でメインに取り上げられているのは渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治の4人。
しかし、これらの人たちに影響を与えた、或いは同様の境地に達した人たちとして、由利公正、大隈重信、石橋湛山、深井英五、高橋亀吉、前田正名、金井延、吉野信次、三土忠造、高島善哉も登場、これだけの「日本経済学」を作った人たちがいたことを中野さんはよく調べあげたものだと思う。

これらの人たちに共通するのはプラグマティストでありナショナリストであること。
特定のドグマに囚われず状況に応じて最善と考える策をとる。あくまで「日本国民ファースト」。
そして、MMT(現代貨幣理論)に近いところまで行き着いた人たちが多いことにも驚く。

かつてこれだけの人たちが懸命に舵取りしてきた日本社会の現代の体たらくをこの人たちが見たら嘆くだろう。

著者があとがきで述べるこの言葉。「最後に、我々日本人にとって実に恐ろしい問題が、ひとつ残っていることを告白しなければならない。(中略)下村治の死後、すなわち平成元年から今日に至るまで、その経済思想を研究したいと感じさせる人物が、誰一人として思い当たらないということである。」

岸信介の孫である現首相への言及はもちろんないが、著者がこの本を読ませたいのは現首相及び彼を放置している周囲人、マスコミ、頭がいいだけで志のない「今だけ金だけ自分だけ」の知識人だろうが、彼らの誰一人としてこの本を読むことはなかろう。

唯一の薄い光はあとがきの最後の言葉「この日本のどこかには、知られていないだけで、国民生活の具体的な問題を解決しようと日々努力している人々がいる。『日本経済学』は、そういう人々の実践の中に必ず宿っていて、その命脈をまだ保っている。」
コロナウイルス禍の中で馬脚を顕しつつあるエニホエア族に対し一矢報いるにはそういう人々と我々一般日本国民が連携するしかなく、そこにしか光はないと思う。
2020年5月12日に日本でレビュー済み
ベストセラー作家の新しい本。テーマは過去の経済思想。主要登場人物は渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治の4人。初めの3人はお馴染みの人。下村治はそこまでは著名人ではないが、高度成長本でよく顔を出す人。作者が4人を選んだ基準は、プラグマティスト、反合理主義者、経済ナショナリストである。ここで言われている合理主義者とは理論は不動の真理であり、理論が主、実践が従と考える者のことをいう。そんなことを言えば、政治家は、少なくとも経済については、プラグマティストでなければ生き残れないように思うが、ここでは、合理主義者とプラグマティストに分けている。また、この本での過去の政策判断基準は「現代貨幣理論」である。「現代貨幣理論」は「表券主義」と「信用貨幣論」を統合したもの。「表券主義」は「金属主義」(たとえば金)に対立する理論で、「信用貨幣論」は「商品貨幣論」(金との交換価値重視)に対立する理論。作者はこの現代貨幣理論で、過去の学者、政治家を検討していく。ちょっと変。お気に入りが上の4人。もちろん、4人ともプラグマティストなので、常に「現代貨幣理論」に従って行動したわけではないが、その辺は作者は寛容。一章が総論、二章と三章が渋沢栄一基礎編、四章と五章と六章が渋沢栄一応用編、七章と八章が高橋是清編、九章と十章が岸信介編、十一章が下村治編。お話としては面白いし、高橋是清についてはまあそうかと共感する点もあるが、戦前の岸信介について全面賛美し、教祖に祭り上げかねないような内容については、面白いとは言っておられなくなる。そもそも、ここに書かれているのは大部分が岸信介の理論であって、実践ではない。そして、岸の理論通りに現実が進まなかったのは、軍部や政府の努力不足というのは、なにおかいわんや。また、この三十年間の政治家、官僚がやってきた事が皆愚かだったと吠えるのはポピュリズムではないか。平成はそんなに悪い時代だっただろうか。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E6%B2%BB

下村治







下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月27日 - 1989年(平成元年)6月29日)は、日本経済学者大蔵官僚池田勇人内閣で高度経済成長プランナーを務めた。 

経歴







1910年(明治43年)に佐賀県佐賀郡北川副村(現・佐賀市)に生まれる。旧制佐賀中学校旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1930年東京帝国大学経済学部へ進学し、その後コロンビア大学へ進学。
1933年高等試験行政科試験に合格、1934年、東京帝大経済学部を卒業し大蔵省に入省、1959年退官までの間に経済安定本部物価政策課長、日本銀行政策委員などを歴任したが、病気がちなこともあり大蔵省内ではいわゆる“傍流”にあった。戦後すぐに、日本銀行法43条を巡って、日銀の論客・松本重雄らと対峙した。また、独創的な理論経済学者として知られたのは戦後である。1948年結核に倒れ、3年ほど闘病生活を送る間に口述筆記などで論文を執筆し、1956年、『経済変動の乗数分析』により経済学博士(東北大学)。
退官後は国民金融公庫理事、日本開発銀行理事、日本経済研究所会長を務めた。1960年代前半の池田内閣国民所得倍増計画立案に中心的役割を果たし、日本の高度経済成長のメカニズムを体系づけた。第一次石油ショック以降はゼロ成長を提言した。最後の著書ではアメリカの経済政策に対する日本経済の過剰対応を警告した。1981年には、勲二等旭日重光章を受章している。

親族







海外経済協力基金国際協力銀行勤務を経て法政大学人間環境学部教授を歴任した下村恭民は子息[1][2]

著書







共著

  • 『日本経済の転回点』竹中一雄対談、東洋経済新報社〈東経選書〉、1972年
  • 『低成長をどう生きる』鈴木幸夫対談、財経詳報社、1978年
他の著作は宏池会など関係者の元での刊行、講演録の小冊子などが多い。

研究評伝








脚注







  1.  「解説 父が見た「危機の宰相」下村恭民」『危機の宰相』 文春文庫、2008年。
  2.  “ニュース 下村恭民人間環境学部名誉教授がNHKスペシャル(5/30)に出演します。”. 法政大学 2016年7月1日閲覧。








日本経済成長論』(にほんけいざいせいちょうろん)とは、池田勇人内閣で閣議決定された所得倍増計画を起案、推進した下村治が、所得倍増計画などについて、各メディアで発表した論説をまとめたものである。

刊行編集








内容編集







下村はまず、「経済成長ということは端的に国民総生産の増加という形で表現されます」と、言い切っている[3]

脚注編集







[脚注の使い方]

関連文献編集










511 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2022/01/17(月) 21:08:45.24  ID:iTfFDFvn 
MMTにも通じる議論

​コロナ危機に下村治が再評価されるべき理由 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
中野剛志 2020/07/02

また、国債の発行を説く下村に対しては、国債の消化を懸念する観点からの批判があった。
現在でも、「国債の発行は、いずれ民間貯蓄の不足を招いて金利を高騰させる」と論ずる経済学者が圧倒的に多い。

これに対して、下村は、こう反論している。

「なぜ国債消化がむずかしいようにみられるかというと、政府が支出するためには、その以前に国債を発行し、それが消化されなくてはならないことが当然の前提であるかのごとく思い込まれているからである」

「しかし、手順を逆にして政府はまず歳出を実行する。つまり、税金で引き上げたのではない資金をまず支出する、そのあとで国債を発行して消化するという手順を考えると、ことは簡単である。資金がさきに支出されているから、民間部門に資金が流入する。
民間部門の資金がふえたところで国債を発行すれば、それは容易に消化されることになるはずである」

要するに下村は、「政府の赤字財政支出が、それと同額の民間部門の貯蓄を増やす。
したがって、国債発行が民間部門の貯蓄不足を招いて金利を高騰させるなどということはありえない」と述べているのである。

実際、過去20年間、日本の政府債務は増加し続け、昨年にはGDP(国内総生産)比230%を超えるに至ったが、この間、長期金利は上がるどころか、世界最低水準で推移し、マイナス金利を記録することすらあった。

ちなみに、現代貨幣理論(MMT)も、下村のこの説明とよく似た議論を展開して、国債発行と金利上昇の関係を否定している。
しかも、MMTの代表的論者であるステファニー・ケルトンは、その事例として日本を挙げている。

2 件のコメント:

  1. 是清『随想録』より

    ●下村治(1910〜1989)
    《たとえ赤字国債でもためらわず発行すべきです。でないと手遅れになります…
    政府に、勇気があれば、すむことです》1965年
    https://twitter.com/dr_kusiyaki/status/1030613911370838017?s=21
    https://bilibili.com/video/BV1et4y1y7eR?from=search&seid=185446666087419757

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  2. https://twitter.com/_luminous_woman/status/1366029747453497346?s=21

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