無一文@経世済民 (@Economy4Nation) | |
あーずっと探してた図あった。
ケインジアンやリフレ派が考えているイメージとMMTのイメージが違うというのがわかる図。 下の2枚はそれぞれ 潜在GDPと政府支出の関係性の概念図 (図では完全雇用GDP) 左側はケインジアン いわゆるデフレギャップを表す。 右側はMMT 経済変動を抑えるGDPを目指す。 pic.twitter.com/ic1LB4nyhu |
インフレの話 - 断章、特に経済的なテーマ
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/d8059ee4972cc0f9997455a58e8e7c62インフレの話
20/02/16 14:08
MMTの議論で分かりにくいことの一つは
インフレに対する考え方だろう。
数量説要因を全面的に否定していることはわかるのだけれど、
例えばクルグマンとの論争ではMMT側(レイ・ケルトン・ガルブレイス)は
インフレ時に財政支出を減らすことについては否定的であった。
簡単に言えばクルグマンあるいは
裁量的財政政策を支持する人たちのイメージは次のようなものであろう。
要するに、民間の支出や投資は循環的に変動する。
それを補完しあるいは相殺する形で政府支出を増減させることで
何とか(理想的には)完全雇用(自然失業率)へと経済全体を誘導してゆこう、と。
まあこれはあくまでも雑なイメージの話で、
実際にはなかなかうまくいかず、四苦八苦するわけだが、
80年代以降、世界の先進資本制諸国といわれる地域では
また別の問題も生まれた。というのは政府がこうやって補完的に財政政策をやってるもんだから
財政赤字が累積して国債残高が増えてしまって
経済成長できなくなってしまった、というわけだ。
金利は低いままだし、あるいは金利が低いにもかかわらず、
なんで過大な国債残高のせいで成長が止まるのかは
よくわからないところもあるが、まあ、主張している人たちにはそれぞれ
色々あるのだろう。今回はその話は割愛。
それに対するMMT側のイメージだが、これまた雑なイメージ図で行くと
これは先ほどの図とは違って、
民間支出と政府支出を足し合わせて国内所得を示しているわけではなく、
民間支出と政府支出を重ねて示している。国内所得を示すためには
これを改めて書き直さなきゃならないんだが、ここで言っているのは
両者の「狙い」をイメージ図に示して比較することだから
これでいいのである。
というとまあ、疑問に思う人もいるだろう。
これがMMTの主張だとすると、民間支出と政府支出を足し合わせたら
単に民間支出の変動がそのまま国内所得の変動に代わるだけの話であって、
政府支出は全然、景気循環を抑制する役目をはたしていないのではないか、と。
これがまあ、クルグマンの主張である。図で見ればわかる通り、
一応、緩やかとはいえ、政府支出は右上がりなので、
民間部門で景気が過熱すると、その加熱スピードはもっと加速され
インフレはもっと激しくなり、いつかはハイパーインフレになってしまうかもしれない。
だから、民間部門で景気が過熱した時には、政府部門は支出を減らすことで
完全雇用国内所得、自然失業率を維持するように取り計らうべきなのである、
というわけだ。MMTって何言ってるか、シリメツレツー。
MMTの考え方は、ちょっと違うようだ。
MMTの考えは民間部門の変動を相殺するように政府支出を裁量的に
左右することよりは、民間部門の変動自体を緩やかなものにする点に
力点が置かれている。政府支出を安定させることで民間支出の波自体の大きさを
小さくすることができる、と考えているのである。MMTer自身は、よく「政府赤字を反循環的に
変動させる」といっているが、それは税収やJGPといった自動安定化装置のことで
公共投資などについてはむしろ安定させることを主張している。
なぜか。そしてそれならなぜ、JGPによる支出は反循環的であることを
主張するのか。
まず第一に、中央政府の公共投資支出は、まあ国によっても違うだろうが、
国内で最大級の支出である。だから民間部門の投資はしばしば
これに合わせ、これに引きずられる形で増減する。東京オリンピックは
必ずしも中央政府のプロジェクトというわけではないが、
政府のかかわる大規模プロジェクトの一つであり、これが民間部門に
大きな影響を与え、様々な資材不足等が発生したことは
ご承知の通り。だから民間部門の投資支出を安定させようとするなら、
何より、この、多くの国で国内最大級の意思決定主体である政府の支出を
安定させることが必要不可欠なのである。
他にもまだ、民間部門の投資に大きな影響を与える支出がある。
家計の消費投資支出である。家計の消費投資支出に大きな影響を
与えるものと言ったら、家計の収入・所得である。
家計の収入・所得のうちでも、多くの国で最大のものは
賃金給与所得であろう。最近は日本あたりでも利子配当の占める割合が
大きくなっていることと思うが、やはりまずは賃金給与である。
これが安定するためには、まず雇用自体が安定していなければならない。
JGPには、もちろん、労働バッファーストックとして
景気回復期の労働力不足の発生を先送りする機能が付与されている。
しかし家計の支出面を見るなら、
景気停滞時の家計の支出を下支えするとともに、
回復時の支出を抑制することにもなり(というのは賃金上昇が
遅れるので)、これにより、消費支出の変動を抑制することが
可能になる。
家計の所得のうち、利子配当収入の占める比率も、近年は
大きくなってきている。利子配当収入は、景気が改善すれば自動的に
大きくなるだろう。景気過熱時とりわけバブル発生時には
極端に大きくなることさえありうる。こうした時に中央銀行が
「金融引締め政策」と称してインターバンクレートを引き上げたら
どうなるだろうか。企業の投資意思決定が、現時点の金利より
将来の収入見通しにより大きく影響されるとしたら、
こうした状況の下で、中央銀行の金利引上げがどのようなメッセージを
伝えることになるだろうか。伝えたいメッセージと伝わるメッセージは
常に同じというわけではない。ビル住宅といった長期実物投資は
その性格上、ポンツイ金融に依存せざるを得ないが、こうした商品は
金利引き上げメッセージによって減価し、減少するだろうか?
むしろ単に、資本化される金利が引き上げられることで、
一層の資産価格上昇が見込まれるだけになりはしないだろうか。この
価格引き上げは、教科書に書かれているように投資収益性を悪化させ
需要を減らすことになるのか、それとも――当の需要者自身が
金利所得階級だとしたら――一層刺激することになるのではないか。
これはいつか、「当面の負債の償還を賄うだけの
キャッシュを得られるのだろうか」という不安が生じるまで
続くのではないか。
企業部門の投資に影響を与える今一つの支出項目は
企業部門自身の投資それ自体である。「投資が投資を呼ぶ」というのは
何も日本の高度成長期にのみ特有の現象というわけではない。
しかし、政府支出、家計支出が相対的に安定すれば
最終製品生産部門(あるいは公共工事請負部門)における企業の投資も
安定化することになり、そしてその部門に資材を供給する部門の
支出も相対的に安定することだろう。こうして企業部門全体の
投資支出の変動も、相対的に安定することとなる。
他にも、海外部門という大きな部門があり、これに対して
政府ができることは限られているだろう。また
企業の投資は、イノベーションや技術進歩の結果、
あるいは環境問題に代表されるような新しい課題の発生など、
様々な事情で変動する。だから
結局は、資本制経済の下で景気変動を抑制することには
限界があるだろう。しかしだからといって、
こうした景気変動に合わせて政府が場当たり的に公共投資や
支出を変化させたのでは、企業部門ではますます
不確実性が高まる。
だから政府に問われることは、何らかの事情でインフレや
デフレが発生した時には
場当たり的に支出を増やすのではなく、
それが長期的には企業部門自身の内部で解決に向かう問題なのか、
あるいは国全体として取り組まなければならない課題なのかを
判断し、実態面からみて政府が積極的に関与しなければならない課題に対しては
長期的・計画的にアプローチすることが必要になるだろう。
環境問題などは、こうした問題の代表的なものであり、
現在のグリーン・ニューディールの取り組みは
こうした試みがうまくいく可能性があるかどうかを確認するための
試金石となりうるものだ――といったって、当の中央政府自身に
その気がなければお話にならないが。だからこそ、
次の大統領選挙(いやまあ日本の衆議院本選挙だってそうなんだけどさぁ)では、
こうした課題に正面から向き合う意思と能力のあるものが
選出されることを期待したいのだけれど、
まあ、よその国の話だが、ちょっと難しいのかなあ。。。。。。。
ってか、日本ではどうよ? 山本太郎さん、MMTに言及してるらしいけど
(最近はあまり触れなくなった、という話も見たが)、どうなんでしょうね。。。
MMTとりわけカンサスグループがインフレデフレに対してこうしたアプローチを
とることは、彼らに対するミンスキーの影響を考えれば
当然といえば当然である。ミンスキーによれば
金融危機やインフレ・スダグフレーションの原因は、それに先行する時期の
不均衡の累積にある。「景気が良い」ということは
「金融危機の原因が累積しつつある」可能性があるわけだ。
これを排除することは、資本制経済の下では
おそらくは不可能だろう。だがその悪影響を減らすことなら可能だ。
現に、金融資本制体制の崩壊を決定づけた世界恐慌と、
マネー・マネージャー資本制経済の崩壊の端緒を切ることとなった(と思われる)
世界金融危機とを比べるなら、
金額、規模の大きさで言えば、後者のほうがはるかに大きかったのにもかかわらず、
その市民生活や景気に与えた影響は
後者のほうが小さかった、という。これは政府が(管理資本制経済の時代に比べれば
小さくなったとはいえ)巨額の投資や移転支出を継続し、
また連銀が実質的に、必要な場合には流動性を無制限に供給すると宣言したことで
実体経済に対する悪影響を以前よりはるかに小さくすることに
成功したからだとされる。(ただしその結果、
insolvency 危機としての実態が流動性危機として
隠蔽され、数多くの、マネーマネージャーたちが救済され、
数多くの不正・詐欺的行為が処罰の対象とされることもなく、
金融規制・投機行為に対する規制も中途半端なものとなり、
結果としてMMCが維持存続することとなった。)
なぜ、上のクルグマンのイメージ図に示されるような裁量的財政支出が
求められたのか、といえば、
一方で、政府は完全雇用を実現することを義務付けられながら
他方でその財政には制約があり、わずかな支出によって
民間の投資乗数効果を通じて、なるべく効率的に
雇用を増やすことが求められたからではないか、少なくとも
理由の一つはそこにあったのではないか、と思われる
しかしながら、政府予算には貨幣制約がなく、
賃金給与自体は信用創造によっていくらでも生み出すことができるとなれば
話はもう終わりである。政府は
何も民間の投資支出を刺激するという迂遠なやり方を使わなくても
公共サービスのため、あるいはグリーンニューディールのため、
必要な貨幣を自ら生み出し、完全雇用を実現することができる。
せっかく政府が貨幣を発行することでいくらでも
雇用できることがはっきりしているのに、
わざわざ民間企業の利益を優先し、企業が利益を得られるという
前提でのみ雇用が確保される状況を作り、
環境破壊を一層促進するような形で、
それによって景気変動をますます大きくしてしまうようなことは
どちらかというと愚策であろう。
それよりは、家計の消費支出を安定させそれによって
企業の利潤を確保させ、
同時に、民間部門で雇用されなかった人々の雇用を通じて
教育支援・介護労働のようなもののほか、
環境や地域史跡の保護などを実現するほうが
得策であろう。もちろん、こうした政策のためには
JGPによる短期的就業者だけではどうにもならない。
国内の自然環境や生態系、あるいは史跡等を保護再生産し続けようと
思えば、それに必要な学者や技術者や管理者が多数必要になるだろう。
こうした人々を養成するための学校、教育機関や技術訓練所も
当然必要となる。こうした専門職は、政府部門のみならず
政府が実効ある規制監督体制をとることで
安定した受注とイノベーションを求める営利部門によっても
求められるようになることだろう。「環境保護」なんてのは
ものすごく金と人手がかかる事業なのである。
政府支出は拡大し、政府債務(それがベースマネーか
国債かはどうでもいい)の額も増え続けるだろう。
これが民間部門の純資産の「入れ物」つまり、
リスクフリーの金融資産を提供する。
民間投資主導の景気回復に比べれば
経済成長は遅くなるだろうし、好景気を知らない若い人が目を回すような
バブル景気のようなバカ騒ぎも(まあ、あれはあれで楽しかった、
という人のいうことを否定しようというんじゃないが)経験できなくなるだろう。
しかし、そのバカ騒ぎが終わった後に
あたりを見回すと、みな債務を抱えて
弱いものから路頭に迷うというのでは仕方ないだろう。
家計のキャッシュフローは再び「所有(実態は債務化)から所得へ」戻さなければならない。
そして民間に合わせて、民間の変動を補完相殺する形で政府が後追いに
支出をするのではなく、
民間部門自身の、景気循環を平均してinsolventとなってしまうような投資を
なるべく抑制するようにアレンジすることが必要なのである。
というのが、MMT中でもカンサスグループの人々に
共通の考え方であるように思われる。
英語力さえ伴えば(絶望的だが)、ティモワーニュ氏とも
この辺の話で盛り上がりたいものである。
インフレに対する考え方だろう。
数量説要因を全面的に否定していることはわかるのだけれど、
例えばクルグマンとの論争ではMMT側(レイ・ケルトン・ガルブレイス)は
インフレ時に財政支出を減らすことについては否定的であった。
簡単に言えばクルグマンあるいは
裁量的財政政策を支持する人たちのイメージは次のようなものであろう。
要するに、民間の支出や投資は循環的に変動する。
それを補完しあるいは相殺する形で政府支出を増減させることで
何とか(理想的には)完全雇用(自然失業率)へと経済全体を誘導してゆこう、と。
まあこれはあくまでも雑なイメージの話で、
実際にはなかなかうまくいかず、四苦八苦するわけだが、
80年代以降、世界の先進資本制諸国といわれる地域では
また別の問題も生まれた。というのは政府がこうやって補完的に財政政策をやってるもんだから
財政赤字が累積して国債残高が増えてしまって
経済成長できなくなってしまった、というわけだ。
金利は低いままだし、あるいは金利が低いにもかかわらず、
なんで過大な国債残高のせいで成長が止まるのかは
よくわからないところもあるが、まあ、主張している人たちにはそれぞれ
色々あるのだろう。今回はその話は割愛。
それに対するMMT側のイメージだが、これまた雑なイメージ図で行くと
これは先ほどの図とは違って、
民間支出と政府支出を足し合わせて国内所得を示しているわけではなく、
民間支出と政府支出を重ねて示している。国内所得を示すためには
これを改めて書き直さなきゃならないんだが、ここで言っているのは
両者の「狙い」をイメージ図に示して比較することだから
これでいいのである。
というとまあ、疑問に思う人もいるだろう。
これがMMTの主張だとすると、民間支出と政府支出を足し合わせたら
単に民間支出の変動がそのまま国内所得の変動に代わるだけの話であって、
政府支出は全然、景気循環を抑制する役目をはたしていないのではないか、と。
これがまあ、クルグマンの主張である。図で見ればわかる通り、
一応、緩やかとはいえ、政府支出は右上がりなので、
民間部門で景気が過熱すると、その加熱スピードはもっと加速され
インフレはもっと激しくなり、いつかはハイパーインフレになってしまうかもしれない。
だから、民間部門で景気が過熱した時には、政府部門は支出を減らすことで
完全雇用国内所得、自然失業率を維持するように取り計らうべきなのである、
というわけだ。MMTって何言ってるか、シリメツレツー。
MMTの考え方は、ちょっと違うようだ。
MMTの考えは民間部門の変動を相殺するように政府支出を裁量的に
左右することよりは、民間部門の変動自体を緩やかなものにする点に
力点が置かれている。政府支出を安定させることで民間支出の波自体の大きさを
小さくすることができる、と考えているのである。MMTer自身は、よく「政府赤字を反循環的に
変動させる」といっているが、それは税収やJGPといった自動安定化装置のことで
公共投資などについてはむしろ安定させることを主張している。
なぜか。そしてそれならなぜ、JGPによる支出は反循環的であることを
主張するのか。
まず第一に、中央政府の公共投資支出は、まあ国によっても違うだろうが、
国内で最大級の支出である。だから民間部門の投資はしばしば
これに合わせ、これに引きずられる形で増減する。東京オリンピックは
必ずしも中央政府のプロジェクトというわけではないが、
政府のかかわる大規模プロジェクトの一つであり、これが民間部門に
大きな影響を与え、様々な資材不足等が発生したことは
ご承知の通り。だから民間部門の投資支出を安定させようとするなら、
何より、この、多くの国で国内最大級の意思決定主体である政府の支出を
安定させることが必要不可欠なのである。
他にもまだ、民間部門の投資に大きな影響を与える支出がある。
家計の消費投資支出である。家計の消費投資支出に大きな影響を
与えるものと言ったら、家計の収入・所得である。
家計の収入・所得のうちでも、多くの国で最大のものは
賃金給与所得であろう。最近は日本あたりでも利子配当の占める割合が
大きくなっていることと思うが、やはりまずは賃金給与である。
これが安定するためには、まず雇用自体が安定していなければならない。
JGPには、もちろん、労働バッファーストックとして
景気回復期の労働力不足の発生を先送りする機能が付与されている。
しかし家計の支出面を見るなら、
景気停滞時の家計の支出を下支えするとともに、
回復時の支出を抑制することにもなり(というのは賃金上昇が
遅れるので)、これにより、消費支出の変動を抑制することが
可能になる。
家計の所得のうち、利子配当収入の占める比率も、近年は
大きくなってきている。利子配当収入は、景気が改善すれば自動的に
大きくなるだろう。景気過熱時とりわけバブル発生時には
極端に大きくなることさえありうる。こうした時に中央銀行が
「金融引締め政策」と称してインターバンクレートを引き上げたら
どうなるだろうか。企業の投資意思決定が、現時点の金利より
将来の収入見通しにより大きく影響されるとしたら、
こうした状況の下で、中央銀行の金利引上げがどのようなメッセージを
伝えることになるだろうか。伝えたいメッセージと伝わるメッセージは
常に同じというわけではない。ビル住宅といった長期実物投資は
その性格上、ポンツイ金融に依存せざるを得ないが、こうした商品は
金利引き上げメッセージによって減価し、減少するだろうか?
むしろ単に、資本化される金利が引き上げられることで、
一層の資産価格上昇が見込まれるだけになりはしないだろうか。この
価格引き上げは、教科書に書かれているように投資収益性を悪化させ
需要を減らすことになるのか、それとも――当の需要者自身が
金利所得階級だとしたら――一層刺激することになるのではないか。
これはいつか、「当面の負債の償還を賄うだけの
キャッシュを得られるのだろうか」という不安が生じるまで
続くのではないか。
企業部門の投資に影響を与える今一つの支出項目は
企業部門自身の投資それ自体である。「投資が投資を呼ぶ」というのは
何も日本の高度成長期にのみ特有の現象というわけではない。
しかし、政府支出、家計支出が相対的に安定すれば
最終製品生産部門(あるいは公共工事請負部門)における企業の投資も
安定化することになり、そしてその部門に資材を供給する部門の
支出も相対的に安定することだろう。こうして企業部門全体の
投資支出の変動も、相対的に安定することとなる。
他にも、海外部門という大きな部門があり、これに対して
政府ができることは限られているだろう。また
企業の投資は、イノベーションや技術進歩の結果、
あるいは環境問題に代表されるような新しい課題の発生など、
様々な事情で変動する。だから
結局は、資本制経済の下で景気変動を抑制することには
限界があるだろう。しかしだからといって、
こうした景気変動に合わせて政府が場当たり的に公共投資や
支出を変化させたのでは、企業部門ではますます
不確実性が高まる。
だから政府に問われることは、何らかの事情でインフレや
デフレが発生した時には
場当たり的に支出を増やすのではなく、
それが長期的には企業部門自身の内部で解決に向かう問題なのか、
あるいは国全体として取り組まなければならない課題なのかを
判断し、実態面からみて政府が積極的に関与しなければならない課題に対しては
長期的・計画的にアプローチすることが必要になるだろう。
環境問題などは、こうした問題の代表的なものであり、
現在のグリーン・ニューディールの取り組みは
こうした試みがうまくいく可能性があるかどうかを確認するための
試金石となりうるものだ――といったって、当の中央政府自身に
その気がなければお話にならないが。だからこそ、
次の大統領選挙(いやまあ日本の衆議院本選挙だってそうなんだけどさぁ)では、
こうした課題に正面から向き合う意思と能力のあるものが
選出されることを期待したいのだけれど、
まあ、よその国の話だが、ちょっと難しいのかなあ。。。。。。。
ってか、日本ではどうよ? 山本太郎さん、MMTに言及してるらしいけど
(最近はあまり触れなくなった、という話も見たが)、どうなんでしょうね。。。
MMTとりわけカンサスグループがインフレデフレに対してこうしたアプローチを
とることは、彼らに対するミンスキーの影響を考えれば
当然といえば当然である。ミンスキーによれば
金融危機やインフレ・スダグフレーションの原因は、それに先行する時期の
不均衡の累積にある。「景気が良い」ということは
「金融危機の原因が累積しつつある」可能性があるわけだ。
これを排除することは、資本制経済の下では
おそらくは不可能だろう。だがその悪影響を減らすことなら可能だ。
現に、金融資本制体制の崩壊を決定づけた世界恐慌と、
マネー・マネージャー資本制経済の崩壊の端緒を切ることとなった(と思われる)
世界金融危機とを比べるなら、
金額、規模の大きさで言えば、後者のほうがはるかに大きかったのにもかかわらず、
その市民生活や景気に与えた影響は
後者のほうが小さかった、という。これは政府が(管理資本制経済の時代に比べれば
小さくなったとはいえ)巨額の投資や移転支出を継続し、
また連銀が実質的に、必要な場合には流動性を無制限に供給すると宣言したことで
実体経済に対する悪影響を以前よりはるかに小さくすることに
成功したからだとされる。(ただしその結果、
insolvency 危機としての実態が流動性危機として
隠蔽され、数多くの、マネーマネージャーたちが救済され、
数多くの不正・詐欺的行為が処罰の対象とされることもなく、
金融規制・投機行為に対する規制も中途半端なものとなり、
結果としてMMCが維持存続することとなった。)
なぜ、上のクルグマンのイメージ図に示されるような裁量的財政支出が
求められたのか、といえば、
一方で、政府は完全雇用を実現することを義務付けられながら
他方でその財政には制約があり、わずかな支出によって
民間の投資乗数効果を通じて、なるべく効率的に
雇用を増やすことが求められたからではないか、少なくとも
理由の一つはそこにあったのではないか、と思われる
しかしながら、政府予算には貨幣制約がなく、
賃金給与自体は信用創造によっていくらでも生み出すことができるとなれば
話はもう終わりである。政府は
何も民間の投資支出を刺激するという迂遠なやり方を使わなくても
公共サービスのため、あるいはグリーンニューディールのため、
必要な貨幣を自ら生み出し、完全雇用を実現することができる。
せっかく政府が貨幣を発行することでいくらでも
雇用できることがはっきりしているのに、
わざわざ民間企業の利益を優先し、企業が利益を得られるという
前提でのみ雇用が確保される状況を作り、
環境破壊を一層促進するような形で、
それによって景気変動をますます大きくしてしまうようなことは
どちらかというと愚策であろう。
それよりは、家計の消費支出を安定させそれによって
企業の利潤を確保させ、
同時に、民間部門で雇用されなかった人々の雇用を通じて
教育支援・介護労働のようなもののほか、
環境や地域史跡の保護などを実現するほうが
得策であろう。もちろん、こうした政策のためには
JGPによる短期的就業者だけではどうにもならない。
国内の自然環境や生態系、あるいは史跡等を保護再生産し続けようと
思えば、それに必要な学者や技術者や管理者が多数必要になるだろう。
こうした人々を養成するための学校、教育機関や技術訓練所も
当然必要となる。こうした専門職は、政府部門のみならず
政府が実効ある規制監督体制をとることで
安定した受注とイノベーションを求める営利部門によっても
求められるようになることだろう。「環境保護」なんてのは
ものすごく金と人手がかかる事業なのである。
政府支出は拡大し、政府債務(それがベースマネーか
国債かはどうでもいい)の額も増え続けるだろう。
これが民間部門の純資産の「入れ物」つまり、
リスクフリーの金融資産を提供する。
民間投資主導の景気回復に比べれば
経済成長は遅くなるだろうし、好景気を知らない若い人が目を回すような
バブル景気のようなバカ騒ぎも(まあ、あれはあれで楽しかった、
という人のいうことを否定しようというんじゃないが)経験できなくなるだろう。
しかし、そのバカ騒ぎが終わった後に
あたりを見回すと、みな債務を抱えて
弱いものから路頭に迷うというのでは仕方ないだろう。
家計のキャッシュフローは再び「所有(実態は債務化)から所得へ」戻さなければならない。
そして民間に合わせて、民間の変動を補完相殺する形で政府が後追いに
支出をするのではなく、
民間部門自身の、景気循環を平均してinsolventとなってしまうような投資を
なるべく抑制するようにアレンジすることが必要なのである。
というのが、MMT中でもカンサスグループの人々に
共通の考え方であるように思われる。
英語力さえ伴えば(絶望的だが)、ティモワーニュ氏とも
この辺の話で盛り上がりたいものである。
カテゴリー:MMT & SFC
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