フロイト超自我・図解
フロイトによる無意識の図解。基本的に、
意識Bw
前意識Vbw
無意識Ubw
と並んで、斜めに抑圧が入る。
「自我とエス」(1923)より、エスの図 ↓(超自我はまだ入っておらず、「聴覚帽」が自我の上に斜めにのっている。最新の脳科学を取り入れた結果かもしれない)。
『続精神分析入門』(1933)より 超自我が入った図↓(横向きに掲載されることもあるがフロイト原典は未確認。Ichを強調しているから本来は横向きだろうが上図との比較の便宜上、縦にした)。
エスの下が開いているのは身体領域の本能エネルギー(リビドー)が取り込まれるためらしい。
参考:http://www.kbc.gr.jp/concerto/study/seisinbunseki.html
超自我が加わることでフロイト理論は難解さが増した。実際超自我の位置づけはフロイト自身の中でも変化している(ちなみにフロイトは図よりも実際は意識の部分が大きいと注意している*)。
下記サイトより日本語訳バージョン。
http://www.2px.jp/psycho/p3.htm
http://filmplus.org/thr/2004.html
フロイト自身の図解ではないが、超自我の位置づけに関しては上記サイトの図↓がわかりやすい。超自我が無意識・前意識・意識と広範囲を横断することがよく明示されている。
以下は集団の理想が外部にある状態を説明したもの(自我理想)。ラカンの記載法だとi(a)。超自我(理想自我)とは直接関係ないが、再び内部から外部へ超自我=理想が移行した場合と似ていなくもない。
「集団心理学と自我の分析」(1921)より自我理想の図↓
ちなみにエスはドイツ語で非人称の主語、「それ」のこと。諸説*あるがフロイトがグロデック経由でニーチェから借りた言葉と言われる**。邦訳『エスとの対話』解説(p284)で詳しく引用されている。
「論理学者たちの迷信に関して言えば、私はこれらの迷信家たちが承認したがらないひとつの小さな簡短な事実を何度でも繰り返し強調しようーーひとつの思想というものは「それ es」が欲するときにやって来るもので、「われ ich」が欲するときにやって来るのではない、と。」(『善悪の彼岸』第17節より)
注*
これはマルクスが最初に経済表の交換される部分の割合を制限していたのと似ている。どちらもその制限はその後無効化され理論の刺激的な部分が拡大されたのも似ている。これは元々両者の実在的体系、カント***が示そうとしたような観念論的フィードバック装置を欠いた体系それ自体に不備があると考えるべきかも知れない。フロイトは二元論を維持したが臨床は捨ててしまったのでその文明論に反証可能性は極端に少なくなった。
注**
フロイトはインタビューでニーチェへの親近感を語っている(下記の他に記憶がなければ永劫回帰に意味はない、とも語っているが)。
「ニーチェは最初の精神分析者の一人です。彼の直感がどれほどわれわれの発見を先取りしていたかは驚異的です。それまで誰も人間行動の二重の動機と,終わりのない支配に執着する快感原則を彼以上に深く認識していませんでした。ツァラトゥストラは言います。//苦しみは/泣き叫ぶ、なくなれ、と/だが、快楽は永遠を求める/消えない,永遠を」(文芸春秋『インタヴューズ1』p382より)
しかし、学説の優先権争いに関しては複雑なものがあり必ずしも率直に語ってはいない。
たとえば『ヒステリー研究』はピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859年5月30日 - 1947年2月24日)との争いだったし(フロイド選集版に詳しい)、それだけでなく、例えば、「マゾヒズムの経済的問題」(1924)に関しては、ジャネの『心理学的医療』 (1919)や『心理学的医学』(1923,邦訳あり)に似た発想(心理的経済)が既にある。また、後期フロイトはリビドーに代表される生理学から離れ、心理学を社会的に位置づけるようになるが、これもジャネがすでに行っていたことだ。しかもフロイトは『モーゼと一神教』で心的外傷モデルというジャネの理論を援用している。
フロイトの経済論的なメタ心理学は1915年「欲動とその運命」「抑圧」から始まる。
ただしジャネの『心理学的自動症 ― 人間行動の低次の諸形式に関する実験心理学試論』L'automatisme psychologique(松本雅彦訳, みすず書房, 2013)はそもそも原著が1889年だ。
P・ジャネはフロイトと同時代に活躍し、下意識、解離などの概念を発見して精神医学の基礎を築いた。
20世紀後半、心的外傷とPTSDの関係が注目されてからその仕事が見直され、北米を中心に深い影響を与えることになる。
本書はジャネの主著で、「新しい力動精神医学の体系を打ち立てた記念碑的著作」(エランベルジェ)。
精神医学の「最後の古典」だ。
「自動症」とは、私たちの意思のコントロールを離れて、観念や行動がひとりでに立ち現れてくる心理現象のこと。
おもにヒステリー患者に現れるこれらの病態を分析し、ジャネは意識の下層にある「無意識の存在」に辿りつく。
症例分析が「心理学」に結実していく過程がまざまざと記述される。
心理学があくまで個々の症例の上にあることを実証する本書は、精神病が「症状」ではなく、人間全体の病であることを教えてくれる。
心理学の誕生を告げる基本文献、待望の翻訳。
20世紀後半、心的外傷とPTSDの関係が注目されてからその仕事が見直され、北米を中心に深い影響を与えることになる。
本書はジャネの主著で、「新しい力動精神医学の体系を打ち立てた記念碑的著作」(エランベルジェ)。
精神医学の「最後の古典」だ。
「自動症」とは、私たちの意思のコントロールを離れて、観念や行動がひとりでに立ち現れてくる心理現象のこと。
おもにヒステリー患者に現れるこれらの病態を分析し、ジャネは意識の下層にある「無意識の存在」に辿りつく。
症例分析が「心理学」に結実していく過程がまざまざと記述される。
心理学があくまで個々の症例の上にあることを実証する本書は、精神病が「症状」ではなく、人間全体の病であることを教えてくれる。
心理学の誕生を告げる基本文献、待望の翻訳。
追記(2010.1.12):
第一 第 二 局 所 論
局所論
__ _____
意識_|__|_|_____|_
前意識_|超_|_|_自我__|_
無意識 | | |_____|
| | _____
|自 | | |
| | | |
| | | イド |
|我 | | |
|__| |_____|
***参考:
フロイトによるカントへの言及は以下がある。
「空間性とは、心的装置の広がりの投射であるのかもしれない。他の[かたちでの]派生は在りそうもない。カントの言う、われわれの心的装置のアプリオリな条件の代わりに。心(プシュケ)とは延長しており、そのことについては何も知らない。」(邦訳『フロイト全集22』p.285)
さらに柄谷行人(「死とナショナリズム」定本第四巻p95)によって論考された、
「それゆえカントの定言命法は、エディプス・コンプレクスの直接の相続人である」[Freud: Studienausgabe 3, S.351] 。(「マゾヒズムの経済的問題」1924『著作集6』p306、ちくま『自我論集』p287。<フロイト曰く「子供の頃両親に従うよう強制されたように、自我はその超自我(Über-Ich)の定言命法に服従する」[Freud: Studienausgabe 3, S.315]
などがある。
参考サイト:http://http-server.carleton.ca/~abrook/KTFRDJAP.htm
追記の追記:
さらに、フロイトが著作集第9巻.304頁で引用した文章に、カントの乳搾りの比喩というものがある。
「一人が雄山羊の乳をしぼり、もうひとりが篩でそれをうけている」(カント純理平凡社上199頁)
元々は昔話らしいが、これによって合理的に問うことそのものの重要性をカントは説き、それをフロイトはシュレーバーの症例研究上の方法論にあてはめ、精神分析の重要性を指摘している。
カントの原文は以下、
Kritik der reinen Vernunft - 2. Auflage B83
http://gutenberg.spiegel.de/?id=5&xid=1369&kapitel=24&cHash=e1996c376b2#gb_found
Es ist schon ein großer und nötiger Beweis der Klugheit oder Einsicht, zu wissen, was man vernünftigerweise fragen solle. Denn, wenn die Frage an sich ungereimt ist, und unnötige Antworten verlangt, so hat sie, außer der Beschämung dessen, der sie aufwirft, bisweilen noch den Nachteil, den unbehutsamen Anhörer derselben zu ungereimten Antworten zu verleiten, und den belachenswerten Anblick zu geben, daß einer (wie die Alten sagten) den Bock melkt, der andere ein Sieb unterhält.
返信削除デイヴィド・バカン
David Bakan
『ユダヤ神秘主義とフロイド』51頁
1976年11月30日
フロイドは、改宗の問題について、マックス・グラフに対しきわめて鮮明に自分の見解を述べた。グ
ラフはつぎのように書いている。
彼の何回目かの訪問の折に、たまたま話題がユダヤ問題に及んだ。彼は、自分が世界の人々に聖書
を与えたユダヤ民族の一員であることを誇りとした。私の息子がうまれたとき、当時ウィーンにおい
して非常に有名であったリューガー博士によって唱道されていた世間一般の反ユダヤの憎悪から息子
を救ってはいけないかどうかと悩んだ。私には、自分の息子をキリスト教を信仰するよう育てること
がよくないかどうか、自信がなかった。フロイドは私にそうしないように忠告した。「もしあなたが
自分の息子をユダヤ人として育てなかったら」と彼はいった「あなたは何物にもかえがたいエネルギー
の源泉を息子から奪うことになります。 彼はユダヤ人であることにより戦わなければならないこと
になるでしょう。そしてあなたは、その戦いに必要になるあらゆるエネルギーを息子の中に育ててや
るべきです。彼からその利点を奪ってはいけません」 5
Max Graf, (1942). Reminiscences of Professor Sigmund Freud.
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/21674086.1942.11925509
The Psychoanalytic Quarterly
Volume 11, 1942 - Issue 4