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2021年1月11日月曜日

高橋是清(1854~1936) 

https://vimeo.com/505101235

korekiyo



高橋是清とMMT 

経済産業省 中野剛志


https://ies.keio.ac.jp/upload/Nakano_Paper.pdf


高橋には、「およそ経済の要は物を安くし、人を高くするにある」72のであり、「『人の働きの値打』をあげることが経済政策の根本主義」73だという確信があった。「人の働きの値打ち」を上げるというのは、賃金を上げることを意味する。それは、「物の値打だとか、資本の値打のみを上げて『人の働きの値打』をそのままに置いては、購買力は減退し不景気を誘発する結果になる」という理解となる。74 


73 高橋(2010, p.189)。 

74 高橋(2010, pp.188-9)。 


高橋是清 『随想録』、中公クラシックス、2010年 ★

高橋是清 『経済論』、中公クラシックス、2013年 


★

経済難局に処するの道(昭和十年一月)

…

すなわち資本が、経済発達の上に必要欠くべからざることはいうまでもないことであるが、この資本も労力と相俟って初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいえば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。ゆえに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信している。すなわち「人の働きの値打」をあげることが経済政策の根本主義だと思っている。またこれを経済法則に照して見ると、物の値打だとか、資本の値打のみを上げて「人の働きの値打」をそのままに置いては、購買力は減退し不景気を誘発する結果にもなる。


(昭和十年一月)


経世済民大学院生

@LiberalismStu


https://twitter.com/liberalismstu/status/1523639640346877952?s=21


高橋是清「資本が、経済発達の上に必要欠くべからざることはいう迄もないことであるが、この資本も労力と相俟って初めてその力を発揮するもので、生産界に必要なる順位からいえば、むしろ労力が第一で、資本は第二位にあるべきはずのものである。」

「ゆえに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信している。即ち『人の働きの値打ち』をあげることが経済政策の根本主義だと思っている。 」


「高橋是清の経済政策と現代への教示」講師:経済評論家 中野剛志氏 責任ある積極財政を推進する議員連盟 第1回勉強会 令和4年2月24日 youtu.be/UBvqmoWTuF8 より


https://youtu.be/UBvqmoWTuF8





1935年4月25日
高橋是清「財政経済について」
https://youtu.be/CMMy8N2vpbw


《高橋は虫が知らせたわけでもあるまいが、昭和十年から十一年二月に不慮の死をとげるまで の短い間に、かれの蔵相としての業績に総決算をするような演説をいくつもおこなっている。 十年春の手形交換所連合会では金輸出再葵止以来の景気好転をふり返って、いささか手前みそ のきらいはあるけれども、次のように述べた。 

「顧みれば、政府が昭和六年十二月金輸出再禁止を決行いたしましてより、今日まですでに三 年有余を経ましたが、この間、政府はその当時における経済界の深刻なる不況を打開し、景気 回復の目的を達せんがため、適当なる方策を定め、鋭意これが実行に努力いたしたのでありま すが、幸いに国民の熱烈なる協力を得て、いまや景気の好転相当顕著なるものがあるに至りま したことは、まことに欣快とするところであります。すなわち、政府においては、昭和七年以 来、まず一方に時局匡救を目的とする各種の事業を起すとともに、他方金融上に適切なる改善 を施し、もって資金の円滑なる供給をはかったのでありまして、これがため、日本銀行発券制 度の改正、不動産融資および損失補償法等の制定、郵便貯金利率の引下げ等必要なる施設をお こなった次第でありますが、これら諸施設は、時局匡救事業の進行と相まって、漸次その効果 を現わし、金利は一般的に低下し、資金の供給もすこぶる円滑となるに至りました。[債権発行総額~略~]……また 一般物価も穏健なる騰勢をたどり[ゆっくり]、労務の需要もしだいに喚起せられ、政府が支出する資金の 浸潤する[染み渡ってゆく]につれて、国民の購買力および貯蓄力も漸次回復をみたのでありまして、銀行その他 金融機関の預り金もいちじるしく増加いたしました。[郵便貯金残高~略~]…」》
 高橋是清、第30回手形交換所連合会にて1935年4月25日
 今村武雄『高橋是清』日本宰相列伝8時事通信社1958年225〜6頁
 『高橋是清経済論』は未確認。 


評傳. 高橋是清 - 251 ページ

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今村武雄 · 1948 · ‎スニペット表示
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における経済不況の轉換は遅々たる狀況にあるものがあります故、政府はこれが振興につき最善の努力を続けて居る次第であります。(昭和 10 ・四・二五手形交換所連合会演説)この景氣好轉の原動力が貿易の伸長にあつたことは明かである。昭和元年から同三年 ...

Nihon kinyūshi shiryō - 第 6 巻

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Nihon Ginkō. Chōsakyoku · 1961 · ‎スニペット表示
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高橋〔高橋是清]大蔵大臣ノ演説此重大ナル時局二當リマシテ、大蔵大臣ノ財政經濟ニ關スル御抱負ヲ伺フトノ出來 ... 森森廣藏〕東京手形交換所理事長)挨拶(昭和十年四月二十五日)第三十回手形交換所連合会2100 (拍手)要スルニ今日我國ノ財界ハ漸次好轉ノ ...
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高橋是清と国際金融 - 第 2 巻 - 331 ページ

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藤村欣市朗 · 1992 · ‎スニペット表示
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十九日、大蔵省、満洲中央銀行首脳、銀本位を中心に満洲国弊制問題を協議。 ... 二十五日、第三十回手形交換所連合会開催、高橋蔵相の演説ラジオで放送さる。 ... 会設置。会長 331 高橋是清年譜・関係年表 四月三月二月昭和十年(一九三五) 8 歳一月十二月.
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高橋是清 - 225 ページ

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今村武雄 · 1985 · ‎スニペット表示
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高橋は虫が知らせたわけでもあるまいが、昭和十年から十一年二月に不慮の死をとげるまでの短い間に、かれの蔵相としての業績に総決算をするような演説をいくつもおこなっている。十年春の手形交換所連合会では金輸出再禁止以来の景気好転をふり返って、 ...
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高橋是淸と国際金融 - 第 2 巻 - 331 ページ

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藤村欣市朗 · 1992 · ‎スニペット表示
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二十七日、高橋是清蔵相就任。(政友会よりの離党勧告に ... 二十五日、第三十回手形交換所連合会開催、高橋蔵相の演説ラジオで放送さる。。 特に、中国幣制改革の研究会や、 331 高橋是清年譜・関係年表 四月三月」二月昭和十年(一九三五) 8 歳一月十二月.


全銀協の歴史 | 組織概要 | 一般社団法人 全国銀行協会
https://www.zenginkyo.or.jp/abstract/outline/history/

手形交換所 - Wikipedia


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%BD%A2%E4%BA%A4%E6%8F%9B%E6%89%80

手形交換所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

手形交換所(てがたこうかんじょ)とは、一定の地域内に所在する金融機関が申し合わせによって、定時に決まった場所へ約束手形や小切手などを持ち寄って、その決済交換を行う場所を言う。 


手形交換所略史

日本では1879年12月に16の銀行が参加した大阪手形交換所が最初のものであり、以後手形法制の整備に伴って、東京でも1880年10月に為替取組所が創設され、1883年9月に東京銀行集会所の機関である手形取引所が創設、1887年に東京手形交換所がその下部機関として発足した。1891年3月には日本銀行も参加してロンドンで行われていた銀行が日本銀行に持つ当座預金を通じた振替決済が導入された。また、この時、東京銀行取引の直属の機関となり、東京交換所と改称した。 

その後、1897年に神戸、1898年に京都、1900年に横浜、1902年に名古屋と各地の主要都市に手形交換所が設置されていく。1903年には全国の手形交換所の代表による第一回各地交換所組合銀行連合会も結成された。1900年、東京交換所は東京銀行集会所から分離し、1911年の商法改正によって手形交換所における小切手の支払呈示に関する法的保護規定の導入に伴って、他の手形交換所とともに司法大臣指定機関となる。この際、「手形交換所」という用語が用いられていたことから、第一次世界大戦後に「手形交換所」を正式名称とするものが増加し、1925年には東京交換所も旧称である東京手形交換所に戻し、翌年12月には社団法人となった。また、手形交換以外にも預金利子協定や手数料協定なども扱うようになった。 

1940年に常設の全国組織として全国手形交換所連合会を結成するが、戦時経済体制強化の下で行われた1942年の金融統制団体令によって強制的に解散させられた。ついで1945年の6月には本土決戦に備えて全ての手形交換所は解散させられて日本銀行の業務とされた。だが、8月の敗戦で手形交換所再建論が浮上し、1946年1月に東京銀行協会の機関として東京手形交換所が再建され、同年4月までに日本全国の手形交換所のほとんどが地域の銀行協会の下で再興された。 

戦後も手形交換所の整備が進められ、東京手形交換所では1971年に磁気インク文字認識を採用して従来の立会為替方式を廃止した。 

司法大臣・法務大臣指定の手形交換所は1912年の10、手形交換所が一時廃止された1945年には56、1980年には184、2003年には162に達している。

~~~

1935年5月6日

 
 
地域通貨花子1
⁦‪@TiikituukaHana‬⁩
「朝礼訓話」高橋是清蔵相 | NHK放送史(動画・記事)
www2.nhk.or.jp/archives/tv60b…
1935年
『朝礼訓話』は学校の朝礼の時間にあわせ放送された学校放送番組。この録音は、当時の大蔵大臣・高橋是清が自宅から生放送したものである。高橋是清は、この放送の翌年二・二六事件で凶弾に倒れる。 pic.twitter.com/1hVOkoqEiV
 
2022/01/18 13:12
 
 
https://twitter.com/tiikituukahana/status/1483291073485352970?s=21

「朝礼訓話」高橋是清蔵相 | NHK放送史(動画・記事)https://t.co/epBD4jiMSn
1935年
『朝礼訓話』は学校の朝礼の時間にあわせ放送された学校放送番組。この録音は、当時の大蔵大臣・高橋是清が自宅から生放送したものである。高橋是清は、この放送の翌年二・二六事件で凶弾に倒れる。 pic.twitter.com/1hVOkoqEiV

— 地域通貨花子1 (@TiikituukaHana) January 18, 2022




「朝礼訓話」 高橋是清 自邸より[23007000544]の写真素材 ..




「朝礼訓話」高橋是清 自邸より 昭和10年05月06日[23007000544]の写真素材・イラスト素材。アマナイメージズでは3000万点以上の高品質な写真素材・イラスト素材・動画 ...

含まれない: 1935 ‎| 含めて検索: 1935 



 高橋是清はプロテスタント系キリスト教徒として知られる。以下前掲書31頁より。

 「明治二年、わが輩が森有礼さんの紹介で、当時大学南校の教頭であったフルベッキ先生の 書生をしていたころ、毎日耽読していた聖書のなかに、『天は空飛ぶ鳥をさえ飢えさせぬ。 ましてや万物の霊長たる人間の誠の道さえ踏んでいくならば、飢えることなどのあるべきも のではない』(マタイ伝第六章)という意味の一句があった。わが輩は、この句に深く感激し 心の信仰とした。人間は、誠の道を踏んで働きさえすれば、どんな人でも不自由なく生活す ることができる。天は、何人にでも、働く者には必ず衣食のかてを与えるものである、とい う信念が、深くあたまのなかにしみこんでいた。」 (『処世一家言』)

上は多分1934年

初代特許庁長官高橋是清について | 経済産業省 特許庁
https://www.jpo.go.jp/introduction/rekishi/shodai-choukan.html
…

このように発展していった日本の特許制度は、昭和11年には50周年を迎えた。これにちなんでNHKラジオが是清に「特許制度が始まった頃について」というタイトルで出演を依頼したが、彼はラジオ出演を好まず、依頼を断った。そこで、300人ほどの観客を集めた上で講演会として依頼し、講演席に少々物を置かせてもらうということで承諾を得た。しかし、是清が当日講演会場にいってみると、なんとラジオ用のマイクが置かれていた。さすがの彼もこれには応じざるを得ず、彼にとって初のラジオ講演が行われることとなった。彼がラジオで講演を行うというのは非常に珍しい、ということでNHKは当時非常に重要な放送であった漁船通報を中止してまでその放送を行ったという。また、同講演では速記でメモがとられ、会場の出口で即座に配布されたため、人々は大いに驚いたということである。

昭和9年の講演
https://www.iip.or.jp/publication/pdf/korekiyo3.pdf

知財史資料[高橋是清遺稿集] | 知的財産研究所
https://www.iip.or.jp/publication/korekiyo_ikosyu.html

https://www.iip.or.jp/chizaishi/korekiyo_ikosyu.html



高橋是清閣下講演・特許局の思い出

1 昭和9年9月29日 華族会館に於て 高橋是清閣下講演 特許 ...

https://www.iip.or.jp › pdf › korekiyo3

PDF
特許局において新規に商標条例、特許条例、意匠条例の草案が出来上って省議も済んだ. 時分には黒田さんが農商務大臣で次官は花房さん、秘書官は小牧さんであった。出来上っ.
含まれない: ラジオ ‎| 含めて検索: ラジオ

  • 高橋是清遺稿集 - 知的財産研究所

    https://www.iip.or.jp › chizaishi › korekiyo_ikosyu


    「遺稿集」の資料の多くは、条例草案、上申書・通知書、講演草稿など、当時の立法、行政に関する公文書です。特許局は、関東大震災の被害で震災以前の資料・文献を一切消失 ...

https://www.inpit.go.jp/jinzai/educate/kyouzai/H24aideaikasoumiraie.pdf


ーー

https://books.google.co.jp/books?id=pEDLHP6obuoC&printsec=frontcover&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false


工業所有権制度百年史 - 第 3 巻 - 345 ページ

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1985 · ‎スニペット表示
次の書籍のコンテンツと一致: – 345 ページ
... 輸出業者に注意満州国商標出願,法令施行以来 9 カ月で 1 万 5 千に及ぶ高橋是清前蔵相が特許局初代長官として座談会ラジオ放送に高橋是清,特許制度 50 年記念放送への心づもり等語る高橋是清ラジオ放送,名調子記録的講演放送 2 時間特許法制定 50 年 ...
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日本国債: 

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幸田真音 · 2003 · ‎プレビューは利用できません
日本国債のディーラーが遭った不審な交通事故。直属の部下・朝倉多希が任された翌週の入札で異常事態が発生した。未達―国の募集総額に対し応札額が大幅に不足。「この国が ...
他の版

発明特許の日本史: 礎石を置いた高橋是清と高峰譲吉の人生 - 135 ページ

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石原藤夫 · 2008 · ‎スニペット表示
次の書籍のコンテンツと一致: – 135 ページ
この講演で是清は、この《明治二十一年特許法》策定の時代の苦心を、つぎのように述べている。 ... これきよ現在の特許庁の最古級の資料は、その多くが高橋是清の寄贈によるものだし、昭和十一年九月二十九日に華族会館でなされて、ラジオで全国放送され ...
画像がありません

天佑なり: 高橋是清・百年前の日本国債 - 第 2 巻

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幸田真音 · 2015 · ‎プレビューは利用できません
日本経済を変えた男、高橋是清の生涯--新田次郎賞受賞作!
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最新電子デバイス事典 - 456 ページ

books.google.co.jp › books
馬場玄式 · 1976 · ‎プレビューは利用できません
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官界 - 第 1~4 号 - 36 ページ

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1984 · ‎スニペット表示
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ちょうど特許法施行五十年に当たるというので記念式典も盛大に行なわれ、初代の特許局長だった高橋是清が講演をした。 ... 二十七日には戒厳令が布告され、二十九日戒厳司令部が武力対心を決意し「に告ぐ」というラジオ放送をしたため、全員無抵抗で帰順 ...
他の版


参考:

ビル・ミッチェル「ケインズに先駆けて大恐慌から日本を救った男、高橋是清」(2015年11月17日) — 経済学101
https://econ101.jp/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%8C%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%81%AB%E5%85%88%E9%A7%86%E3%81%91%E3%81%A6%E5%A4%A7%E6%81%90%E6%85%8C%E3%81%8B/

Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=32355
 
(後述) ★
______

「国際経済情勢とわが国の非常時対策」『高橋是清 経済論』428頁でケインズらの金本位制批判(「金本位は専制的暴君と化するに至りたり…」)を紹介。昭和8年4月21日手形交換所聯合会での演説より。

鈴木隆『高橋是清と井上準之助』223頁参照。

ただし同じ演説内のホートリーへの言及の方が目立つ。7頁ではスミスとリストにも言及。

 

1 件 (0.33 秒) 

検索結果


中央銀行會通信錄 - 第 362~365 号 - 287 ページ

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1933 · ‎スニペット表示
次の書籍のコンテンツと一致: – 287 ページ
從來世界文明国の多くは金本位腕匹又は金為替本位制度を採用し正貨保有量の此窮状を民救するには先っ或程度まで物償を ... 中止するに至りたるが為、歐洲各國に對外支捕の手りれる結果でありまして彼のケインズ教授其他の人々が「金本位は専制的暴君こ段に窮したのであります。而も借桃園に益々保護政策を強行し物資又は労協た以化するに至りたり、依て ... ては世界不引き況打開の為に我國も亦適當なる貢献を貸すべき義務ありさ考ふるのであるが夫れ更にホートレーは「 | 2871 ...
___________
 

 

以下は高橋是清『随想録』より

緊縮政策と金解禁 
     所謂緊縮政策について
 緊縮という問題を論ずるに当っては、先ず国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。 
 例えばここに一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円を以て生活し、あと二万円はこれを貯蓄する事とすれば、その人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、これを国の経済の上から見る時は、その倹約によって、これまでその人が消費しておった二万円だけは、どこかに物資の需要が減るわけであって、国家の生産力はそれだけ低下する事となる。ゆえに国の経済より見れば、五万円の生活をする余裕ある人には、それだけの生活をして貰った方がよいのである。  
 さらに一層砕けて言うならば、仮にある人が待合へ行って、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。これは風紀道徳の上から云えば、そうした使い方をして貰いたくは無いけれども、仮に使ったとして、この使われた金はどういう風に散ばって行くかというのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部分となり、また料理に使われた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及びそれ等の運搬費並びに商人の稼ぎ料として支払われる。この分は、すなわちそれだけ、農業者、漁業者その他の生産業者の懐を潤すものである。しかしてこれらの代金を受取たる農業者や、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住その他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、その一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、その他の代償として支出せられる。すなわち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであろうが、その金の効果は二千円を出でない。  
 しかるに、この人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それがまた諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。ゆえに、個人経済から云えば、二千円の節約をする事は、その人にとって、誠に結構であるが、国の経済から云えば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、むしろその方が望ましいわけである。ここが個人経済と、国の経済との異っておるところである。  
 以上は、もとより極端な例を挙げたに過ぎない。かく言えばとて、私は待合行きを奨励する次第では決して無い。ことにそれだけの余裕なきものが、借金までして浪費する事は、無論よく無い事である。ただ私がここに待合の例証を取ったのは、世に最も浪費なりと称せられている、この待合遊びについてさえも、これを個人経済から見る時と、国の経済から見る時とは、大変な相異がある事を明かにしたまでである。

…

   金解禁の準備は自主的なるべし  

 近ごろ世間で唱えておるところを聞くと、所謂緊縮節約は金解禁のためである、と云っている。それは先ずよいとして、この金解禁についても、我が国民は、もっと慎重に考えるの必要がある。やれ対米為替が上ったから、やれ英米の金利が下ったから、金解禁に好都合になったと、有頂天になっている者もあるが、それは少し早計でないかと考える。もとより今日金解禁をなすについては、外国市場の金利や為替相場等の影響も考慮せねばならぬが、もっと、大事な事は、これを自主的にきめる事である。

  しかして自主的の準備とは、我が国の国際貸借の関係において、支払いの立場に立たぬよう、国内の産業、海運その他の事業の基礎を確立する事である。この基礎が出来て初めて解禁という事が行われ得るので、その準備なく、徒らに為替相場や、外国市場の金利の低下を頼りとして、外国の御蔭で解禁せんとするがごときは、国家永遠の利害を考えぬ謬見と云わねばならぬ。

                       (昭和四年十一月)


 
 
Noah Smith 🐇
⁦‪@Noahpinion‬⁩
Takahashi is a macroeconomics legend, btw. His fiscal and monetary policies helped pull Japan out of the Great Depression faster than other countries. But he was assassinated in one of those fascist coups... 😢

bradford-delong.com/2013/09/takaha…
 
2021/01/20 13:07
 
 

https://twitter.com/noahpinion/status/1351743063425601536?s=21


2021

是清

https://vimeo.com/505101235

korekiyo





中野剛志
https://nam-students.blogspot.com/2019/05/2016.html

20200523

戦前昭和の軍部台頭を招いた「健全財政」の呪縛 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

中野剛志


https://toyokeizai.net/articles/-/349511?display=b★

20200131MMTシンポジウム@慶応
https://nam-students.blogspot.com/2020/02/2020131-mmt.html
(高橋是清とMMT)
20200516是清論
https://iitomo2010.blogspot.com/2020/05/20200516.html?zx=6b7dcf2877c61520
戦前昭和の軍部台頭を招いた「健全財政」の呪縛 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
2020年5月23日

https://iitomo2010.blogspot.com/2020/05/blog-post_25.html?m=1
悲劇は繰り返す
https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/10/facta-online.html?m=1

日本の経済成長率が「世界最低」である、バカバカしいほど“シンプルな理由” 中野剛志2020.4.3
https://nam-students.blogspot.com/2020/04/202043.html



「健全財政の打破」で世界恐慌を克服した政治家 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

中野剛志20200516
https://toyokeizai.net/articles/-/349508?display=b

「健全財政の打破」で世界恐慌を克服した政治家

高橋是清ならば「100兆円規模の財政出動」も

世界恐慌にも匹敵するともいわれるコロナ危機を脱するには?(写真:sefa ozel/iStock)

1930年代の世界恐慌にも匹敵するともいわれるコロナ危機。この危機を脱するにはどうすればいいのだろうか。

このたび『日本経済学新論: 渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が、1930年代に世界恐慌から脱する偉業を成し遂げた政治家・高橋是清の思考を探る。

世界恐慌に挑んだ高橋是清

コロナ危機については、1930年代の世界恐慌に匹敵する恐慌であるという認識が共有されている。

すでに3月24日の段階で、ハーバード大学のカーメン・ラインハート教授は今回の経済危機を世界恐慌以来最悪と評し、短期的な回復は困難と述べていた(「世界経済は大恐慌以来最悪の状態」Bloomberg 2020年3月25日)。

4月9日には、国際通貨基金(IMF)のクリスタリナ・ゲオルギエバ専務理事も、世界経済は、世界恐慌以来の悪化となるという見通しを述べている(「『世界は大恐慌以来の景気悪化』IMF専務理事が警鐘」日本経済新聞 2020年4月9日)。

もちろん、世界恐慌とコロナ危機とでは、違いもある。しかし、失業の増大、所得の減少、需要の消失、そしてデフレ圧力という点においては、同種の経済危機であることは間違いない。したがって、我々は、1930年代の世界恐慌の経験から、多くを学ぶことができるはずだ。

世界恐慌を研究した経済学者ジョン・K・ガルブレイスは、恐慌下において「肯定的に捉えられていたいかなる政府の経済政策も否定する」ような、「固定概念を打ち破る思考の偉業」が達成されると述べた。

1930年代、その「固定概念を打ち破る思考の偉業」を最初に成し遂げたのは、誰あろう、我が国の高橋是清である。



https://toyokeizai.net/articles/-/349508?page=2

「健全財政の打破」で世界恐慌を克服した政治家

高橋是清ならば「100兆円規模の財政出動」も

1931年、高橋は、5度目となる蔵相に就任し、金本位制からの離脱と金兌換の停止、金融緩和、日本銀行による国債の直接引き受け、そして財政赤字の拡大など、ケインズを先取りしたケインズ主義的政策を断行した。その結果はまことに劇的なもので、1936年までに国民所得は60%増加し、完全雇用も達成したのである。

「健全財政」という固定概念

当時、高橋が打ち破った「固定概念」の1つは、国家予算の収支均衡を原則とする健全財政論であった。だが、高橋が90年前に破壊したはずの健全財政論は、今日の日本においてもなお、強固な「固定概念」として政策当局や経済学者、そして世論を支配している。

例えば、昨年、MMT(現代貨幣理論)が我が国にも広く紹介されたが、MMTこそ、健全財政論を否定する理論であった。

しかし、我が国の政策当局や経済学者の大多数は、MMTを一蹴し、健全財政論に固執し続けた。それどころか、この世界恐慌以来のコロナ危機の渦中にあってもなお、「固定概念」を打ち破ることができずに財政支出を惜しみ、財政赤字の拡大を懸念している。

しかし、海外に目を転じれば、憲法で政府債務を制限しているドイツですら、制限を停止し(「財政目標『放棄しない』 麻生財務相」時事ドットコムニュース 2020年4月13日)、EU(欧州連合)も、加盟国に課していた財政健全化目標を一時停止して(「EU、財政ルール一時停止 経済縮小『09年に匹敵』」日本経済新聞社 2020年3月21日)、大規模な財政支出へと舵を切っているのである。

ところが、4月13日、麻生財務相は、財政健全化目標は放棄しないと述べている(「財政目標『放棄しない』 麻生財務相」時事ドットコムニュース 2020年4月13日)。

麻生財務相とは対照的に、高橋蔵相は、1934年、健全財政論はもはや時代遅れだと喝破し、均衡予算に固執していると、国家間競争の敗者となると警鐘を鳴らしていた。

(中略)今日の如く政府自ら事業をなし、あるいは民間の事業を助けていかねばならぬ―各国経済の競争場において負けてはならぬことになつて、歳出はただ一般の行政費だけで済ますことが出来なくなつた。ここにおいて事実上入るを計つて出づるを制するといふことが行はれない時代になつてきたのである。

(中略)もしそれがいかぬといつてただ納税のみによつて政府の仕事をすることになれば、国際間の経済競争に落伍者となるよりほか仕方がない。今日の時勢の変化からこれはよほど研究すべき価値がある。(経済論)

さらに高橋は、健全財政論を是とする主流派経済学を批判し、財政赤字の拡大は恐れる必要はないだけでなく、国富を増大させるためにはむしろ必要であると論じた。


https://toyokeizai.net/articles/-/349508?page=3

「健全財政の打破」で世界恐慌を克服した政治家

高橋是清ならば「100兆円規模の財政出動」も

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今日までの経済学は、二百年以前の英国から起つて来た。これは当時の英国の経済事情を背景にしたものだ。だが、このマンチェスター経済学((注)自由主義経済学)を、私は、いつも動かざる真理だとは思つてゐない。

そこで今までの考へだと、財政は常に収支の均衡を保たねばならぬと云ふ。けれどもこの国を見ても、初めはなかつた借金がだんだん増えてゐる。戦争とか天災とか、思はぬ事件がどこの国にでも、次ぎ次ぎに起るからだ。しかしさう借金が殖えて行く結果はどうなつたかと云ふと、一面産業は大いに進歩し、国の富も殖えたので、国債の増加も苦にならない。十分、その重みに堪へる力が出来て来たのだから赤字公債と云ふものもさう理屈通りに気に懸けることはない。場合に依つては、借金をしても進んだ方が善い。又已むを得ず借金をしなければならぬ場合もある。しかしその結果、国民の働きが増せば、茲に富が出来る。前の借金くらゐ何でもない。(随想録)

今日、高橋が財務大臣であれば、このコロナ危機に処するため、100兆円規模の財政赤字も躊躇しなかったであろう。

当時、膨張する経済対策費や軍事費、あるいは国債の利払い費を支弁するため、増税が必要であるという議論があった。軍部もまた、軍事費を増大させるため、増税を主張していた。しかし、高橋は、増税を断固拒否した。増税は、国民の購買力を奪うものだからだ。

しかしながら現内閣が時局匡救、財界回復のために全力を傾注しつゝあるこの際、増税によりて国民の所得を削減し、その購買力を失はしむることは、折角伸びんとしつゝある萌芽を剪除するの結果に陥るので、相当の期間までこれを避くるを可なりと認めたる次第であります。(経済論)

「固定概念」を打ち破る思考

安倍政権は、2014年に消費税率を8%に引き上げて、「折角伸びんとしつゝある萌芽を剪除するの結果」に陥り、さらに2019年にも消費税率を10%に引き上げ、深刻な景気後退を招いた。高橋が財務大臣であったならば、絶対にありえない判断であろう。

今日、財政赤字を拡大してよいとするMMTの主張に対しては、多くの経済学者が、まるで示し合わせたかのように「インフレが制御不能になる」という批判を繰り返している(「MMT『インフレ制御不能』批判がありえない理由」東洋経済オンライン 2019年5月29日)。

どうやら、1930年代当時、高橋に対しても、同じような批判があったようだ。これに対して、高橋は、こう反論している。

能く世の中でインフレーションと言ふが、インフレーションの弊害は今のところ少しもない。それから公債は出るけれども、その公債を出して政府が使つた金はいろいろ働きをして又再び中央銀行に戻つて来る。さういふ訳で兌換券発行高といふものは、季節的に月末とか季節末には殖えるが、平常はさう俄に殖えない。一方に於ては徐々として需要供給の原理に基いて物価が上がるものもある。けれどもこれもさう急激な騰貴はない。(随想録)

『日本経済学新論:渋沢栄一から下村治まで』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

実際、その通りで、高橋が蔵相の間、インフレ率は年率3%未満であった。

こうして、高橋は、高インフレを伴うことなく、世界に先駆けて、恐慌からの脱出に成功した。まさに、「固定概念を打ち破る思考の偉業」であった。

しかし、この令和の日本で、高橋のような「固定概念を打ち破る思考の偉業」を成し遂げられる者が、果たしてどれだけ現れるというのだろうか。

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戦前昭和の軍部台頭を招いた「健全財政」の呪縛

高橋財政批判「3つの誤解」で学ぶ歴史の教訓

高橋是清は1930年代の恐慌を克服したが、「高橋財政」はなぜ「歴史の教訓」と否定的に捉えられているのだろうか(写真:Universal Images Group/アフロ、1934年)  

前回記事では、『日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が、1930年代に世界恐慌から脱する偉業を成し遂げた政治家・高橋是清の思考を探った。今回は当時の「高橋財政」に関する根強い批判の誤解を解きながら、「歴史の教訓」について考える。

MMTと似ている「高橋財政」

前回も述べたように、高橋是清は、従来の健全財政路線を転換して積極財政に転じ、国債発行を増発し、財政支出を拡大することで、1930年代の恐慌を克服した。

しかも、完全雇用を達成しただけでなく、インフレも制御することに成功していた。この「高橋財政」は、今日のMMT(現代貨幣理論)の発想によく似ていた。

ところが、「高橋財政」については、次のような批判が根強くある。

「高橋財政の下では、日銀が国債を直接引き受け、財政支出を拡大させたことで、財政規律が失われた。その結果、軍部による軍事費の増大に歯止めがかからなくなり、さらに敗戦後の激しいインフレにつながった」

高橋財政をこのように否定的に評価し、それを「歴史の教訓」と称する論者たちは、MMTについて論じる際も、高橋財政の「歴史の教訓」を引き合いに出して、歯止めのない財政膨張や激しいインフレのおそれがあると批判するのである(「MMT/収容所群島/高齢者と車」毎日新聞2019年5月23日付 東京朝刊、「太平洋戦争に学ぶ…話題の『MMT』がハイパーインフレを招くリスク」現代ビジネス 2019年8月14日)。




https://toyokeizai.net/articles/-/349511?page=2

戦前昭和の軍部台頭を招いた「健全財政」の呪縛

高橋財政批判「3つの誤解」で学ぶ歴史の教訓

しかし、このような高橋財政に対する否定的な評価は、いくつもの間違いを犯している。

第1に、高橋財政が、日銀による国債の直接引き受けを行ったことが批判される。しかし、実際には、高橋財政下では、国債はいったん日銀が引き受けた後、その85%以上が民間に売却された(島倉原『MMTとは何か』)。要するに、その効果は今日、一般に行われている「国債の市中消化」とほとんど変わらないのだ。

第2に、高橋財政下で、確かに軍事費は増えた。しかしその一方で、高橋はインフレ悪化の予兆が現れると、軍事費の抑制に努め、軍部と対立したのである。その結果、高橋は軍部の怒りを買い、そのことが二・二六事件における高橋暗殺につながったと言われている。高橋は、文字どおり、命をかけて軍事費の膨張を抑えようとしていたのだ。

第3に、高橋は、増大する軍事費を支弁するための増税を認めなかったのに対し、軍部はむしろ増税を要求していた。その意味で、高橋よりも軍部のほうが、健全財政論に近いのだ。

このように、軍事費の膨張は軍部の暴走のせいであって、高橋財政によるものではないのである。ところが、これに対して、なお「高橋が財政規律を放棄したから、軍事費の膨張を求める軍部の暴走を抑えられなくなったのだ」などと解釈する論者もいる。

しかし、これは、ナイーブにすぎる見解である。

軍事費の膨張とインフレの原因

そもそも、いったん国家が戦争へ向かって暴走を始めたら、それを財政規律で抑止することなど不可能だ。例えば、かの満州事変は、高橋財政以前の財政規律の下で勃発している。

また、財政規律を守りつつも、軍事費を膨張させ、戦争を始める手段はある。例えば、増税をすればよいのだ。実際、軍部は高橋に増税を要求していたことはすでに述べた。また、植民地を搾取するという方法もある。あるいは、他国を侵略して富を収奪して軍事費に充当するという手段もある。この場合、財政規律は侵略を抑止するどころか、その原因である。

また、いったん戦争を決意した国家は、仮に財政規律が戦争の妨げになっているというのであれば、それをあっさりと撤廃するであろう。財政規律を優先して戦争を諦めるなどということはしないのだ。

実際、第1次世界大戦が始まると、参戦国は、軍事費拡張の妨げとなる金本位制を次々と離脱していったのである。

したがって、軍事費の膨張と敗戦後の激しいインフレの原因は、あきらかに台頭した軍部にあるのであって、高橋財政のせいではない。


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戦前昭和の軍部台頭を招いた「健全財政」の呪縛

高橋財政批判「3つの誤解」で学ぶ歴史の教訓

ならば、軍部の台頭をもたらした原因は何か。結論を急げば、その原因こそ、健全財政にほかならなかった。

恐慌による中間層没落とファシズム

1929年に成立した浜口雄幸内閣は、井上準之助を蔵相に任命し、金解禁(金本位制への復帰)を成し遂げるため、緊縮財政を断行した。そして、世界恐慌が始まっていたにもかかわらず、1930年1月、金解禁を実行した。

『日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

その結果、日本経済は恐慌となり、倒産や失業が増大し、とくに農民と中小企業者は深刻な打撃を受けた。それにもかかわらず、井上は金本位制という財政規律を維持し、かたくなに健全財政路線を守り続けた。

こうして困窮し、没落した中間層は過激な労働運動や右翼的な運動へと走った。こうして軍部が台頭し、わが国は軍国主義化していったのである。

このように、恐慌(デフレ不況)によって中間層が没落し、ファシズムが生まれるという現象は、同時代のドイツなどでも見られた現象である。

実は、高橋はデフレが失業を増やし社会問題を引き起こすことを、1918年の段階ですでに理解していた。

増加すべき当然の理由ありて増加したる通貨を急激に収縮したりとせんがために物価は下落すべしといへども、物価の下落は一面において不景気となり、失業者の増出を予想せざるべからず。したがつて重大なる社会問題の発生を見るべし。(経済論)

また、社会問題が発生すれば、人心が乱れ、過激な思想が台頭することも高橋はわかっていた。次の引用は、関東大震災の翌年の彼の言葉である。

この秋に於て私などの深く考へて決心したるところは、このままただ移つて行けば、政治問題が軈ては社会的問題になり、社会的問題になつて、全国にこの不平が起れば、燎原の火のごとく人心は激昂して来る、いづれのところに止まるか分らない。それゆゑにこれを要約して申しますれば、吾々の考へはかくのごとく極端に国民の思想を激発しないやうに、政治問題の範囲に於てこれを喰止めたい。(随想録)

しかし、井上準之助による健全財政が招き寄せた軍国主義は、もはや高橋の手に負えるものではなかった。その軍国主義の凶弾によって、高橋は倒れたのである。

国民の失業や困窮を放置すれば、人心が乱れ、思想が過激化し、ファシズムを生み出しかねない。これこそが、本当の「歴史の教訓」である。

現在、世界恐慌以来、最悪と言われるコロナ危機にあって、倒産、失業、貧困が急増し、国民の生活に対する不安が高まっている。それにもかかわらず、政府は、財政健全化の呪縛にいまだにとらわれ、十分かつ迅速な経済対策を打ち出せていない。

これが何をもたらすのか。為政者は「歴史の教訓」に学ぶべきであろう。

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ビル・ミッチェル「ケインズに先駆けて大恐慌から日本を救った男、高橋是清」(2015年11月17日) — 経済学101
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ビル・ミッチェル「ケインズに先駆けて大恐慌から日本を救った男、高橋是清」(2015年11月17日)

tagomago

[Bill Michel,  “Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression,“ billy blog, Novenber 17, 2015]

このエントリーは、以前に明示的財政ファイナンス(OMF)について書いた一連のエントリーに追加された第二部のエントリーだ。前英国金融サービス機構長官のアデア・ターナーは、2015年11月5日から6日に掛けて、ワシントンで開かれたIMF主催の第十六回ジャック・ポラック年次研究会議で新しい論文–The Case for Monetary Finance – An Essentially Political Issue–をちょうど出した。その論文では明示的財政ファイナンスが提唱されていたが、私はその内容を受け入れられない。それについては明日書くだろう (それはPart2になるが、二つの記事は必ずしもつながってないだろう)。

アメリカのジャーナリストのジョン・キャシディが、2015年11月23日発行のニューヨーカー誌でターナーについて書いている最新の記事を紹介しよう。-Printing Money。題名からわかるように、全く中央銀行の操作ニュアンスを正しく理解してない。彼はまたジンバブエやワイマール共和国のホラ話を持ち出すが、その詳細に対して単に無知なだけでなく、たとえ金融操作が関係しようとも、あらゆる支出が―公的、私的問わず―インフレリスクを抱えている事を学んでいない恐怖のネオリベラリズムのお仲間のひとりであるのがわかっている。それについては明日書くとしよう。しかしながら、今日はその背景として、私が第二次世界大戦前の日本経済政策について進めているある研究について報告しよう。これは、とても為になるし、明示的財政ファイナンスについての私たちの考えに結びついているからだ。今日の話題はそれだ。

高橋是清–は日本の第20代内閣総理大臣で、1932年に臨時な地位に就任したのを最後に総理大臣を2回務めた。彼は以前、日本銀行で働いていた。ほとんどの場合において、1920年代後半から1936年の彼の死まで、さまざまな政権の下で財務大臣だった。

私は、現在取り組んでいる本の企画の一環として、これまでかなりの期間、日本銀行の公文書を研究し続けている。高橋是清が日本の経済政策を形成する上で主要な人物であった時代まで進んで、この事はアデア・ターナーやジョン・キャシディに判断を下したいコメントとちょうど偶然にも一致している。

そこで、この背景が明日に備えて助けになるだろうと思った。

高橋是清は、1931年12月13日に金本位制を離脱、中央銀行の与信を伴った大規模な財政政策を行ない、その結果として日本を救ったことで名高い。その事で非常に高い評価を受けている。彼の行動とそれに続いた結果は、明示的財政ファイナンスが望ましいかどうかを評価する基準への確固たる証拠を与えている。

明示的財政ファイナンスは、現代金融理論(MMT)の中心となる政策であり、その点をキャシディは不安を感じているようだ。その詳細については明日。

高橋是清に関して、1936年に所謂226事件で―そのクーデターは失敗したが― (就寝中に銃撃と刀による) 反乱陸軍将校たちによって彼が暗殺された事と彼の貨幣に対する洞察が関連していたとは考えてない。

実際には、彼は軍事費を削減していた、なぜならば、日本の軍国主義を弱めるのを望んでいた穏健主義者だったからだ。その為に敵対者たちを作った。彼らは武器を所持しており、その使い方を知っていた!

これの背景として、日本は1927年に大手民間銀行の経営破綻を経験した (昭和金融恐慌)。その結果として”戦後の破綻まで遡る、過去の欠陥に対して度重なる失敗の隠蔽とその場しのぎの手段”として見なされている。(高橋亀吉『大正昭和財界変動史』第二巻、東洋経済新報社、東京、P.739から引用)

言い換えるのなら、1920年代に日本に於いて、バンクスター(訳者注:顧客をだまして利益を挙げる強欲な銀行幹部)たちは退出させられた。高橋亀吉は、1920年代後半の昭和金融恐慌を機に生じた改革は高橋是清が導入した刺激策の補助になったと論じている。

高橋是清によって行なわれた重要な刺激策が三つあった:

1. 日本が1931年12月に金本位制を離脱した後に、為替レートは対米ドルで60%、対英ポンドで44%下落した。為替の下落は、1931年12月から1932年11月の間で起こった。それから日本銀行は1933年4月以降には平価を安定させた。

2. 彼は拡張的財政刺激策を導入した。1932年3月、高橋は日本銀行が政府国債(即ち、政府支出を促進するために関連銀行口座に入金して)を引き受ける政策を提案した。

この提案は、1932年6月18日に国会で可決された。国会では向こう12カ月の財政政策戦略を可決したが、それは100%日本銀行の信用によって賄われる財政赤字を伴うものだった。

日本銀行の歴史家の鎮目雅人は日本銀行レビュ-(2009年4月)にて論じていた。–両大戦間期の日本における恐慌と政策対応:金融システム問題と世界恐慌への対応を中心に – これによると

財政政策については、日本は1930年代の高橋財政期を通じて、他国に比べて大幅な財政赤字を継続していた。

1932年12月25日に、日本銀行は政府支出の“引受”を始めた。

3. 日本銀行は、1932年(3月,6月,8月)と数回、再び1933年初頭に金利を引き下げた。利下げはイングランド銀行とアメリカのFRBの利下げに追随したものだった。従って、金融政策の利下げは各国とも共通していたが、財政政策による刺激の大きさは日本独自のものだった。

鎮目雅人は次のように論じている:

高橋財政のマクロ経済的側面に着目する多くの論者は、ケインジアン政策の先駆的な成功例として、高橋財政に積極的な評価を与えてきた。例えば、キンドルバーガーは、高橋是清が典型的なケインズ政策を行ったと指摘しており、以下のように述べている。「彼の著述は、彼が1931 年『エコノミック・ジャーナル』誌のR・F・カーンの論文に当ったような徴候は何もないのに、ケインズ的な乗数機構をすでに理解していたことを示した」

[完全な出典は:鎮目雅人(2009)“両大戦間期の日本における恐慌と政策対応:金融システム問題と世界恐慌への対応を中心に “ 日銀レビュー,2009-E-2]

次のグラフは、鎮目雅人の論文から日本と他国のマクロ経済政策を比較した図表7を転載したものである。これを見れば一目瞭然だ。

他の通貨ブロック圏と日本との間の大きな違いは、財政政策にある。

これらの三つの異なる刺激策の相対的な影響については、この論文の中では相当の議論があるが、次の事は明らかだ:

1. 実質GDP成長率は急速に回復し、景気後退に陥った他国と比較して際立っていた。1932年から1936年の間に、実質鉱工業生産は62%と驚異的に増大した。

2. また大恐慌の初期において急落していた雇用は、高橋介入の後では力強く成長した。

3. インフレは、1933年の為替の下落の結果として急上昇したが、財政と金融刺激の下支えによって経済成長率が上がったので急速に低水準となり、1934年には安定した状態となった。

金本位制の放棄は、政府に大規模な国内刺激策を導入する余地を与えたので、これが決定的な最初の一歩になったのは明らかだ。金本位制下に於いては、これらの政策は対外赤字を押し出して金保有量の流出を招くので不可能だった。

私は、アメリカの共和党現職大統領候補の多くが、再び金本位制への復帰を訴えかけているのに注目している。各国がこのような為替レートの仕組みを採用した時の最悪の記憶を考えれば、彼らは明らかに何を語っているのかを理解してないだろう。

大恐慌を確固たるものにしたのは、金本位制である事は確かだ。 (景気後退によって輸入が停止した後の)1929年に、アメリカが貿易黒字を計上し始めたのに連れて、他の国々は資本流入を促すために金利を引き上げなければならないので金保有量が枯渇し始めた。アメリカの景気後退は広がっており、ヨーロッパの多くの投資家は、他の中央銀行が平価切下げを行わなければならないだろうと考えた。このように予測したので、投資家たちは金を引き出し、マネーサプライが減少して景気は悪化した。それから銀行たちは破綻した。

グレッグ・イップに寄るおもしろい記事(2015年11月12日)がある。- What Republicans Get Wrong About the Gold Standard -この話題に関係しており、愚かな共和党候補者たちを標的にしている。

疑いもなく、高橋是清は、金本位制下では各国はその金保有量と比例したマネーサプライを維持しなければならず、それが国内政策において制約を課しているのを理解していた。彼はその制約を除去することで、その次には(日本銀行を通した)財政と金融手段を使って国内需要を狙い撃ちできた。

一部の研究者たちは、為替レートの下落と財政刺激の提携が“活動レベルに重大な影響を及ぼしていた”事を示唆している。(Nanto, D.K. and Takagi, S. (1985) ‘Korekiyo Takahashi and Japanese Recovery from the Great Depression’, American Economic Review, 75, 369-74を参照).

それらの研究のほとんどが示唆するのは、金融緩和政策(金利の引き下げ)が他の二つの刺激策ほど重要ではなかった事だ。

もう一つの議論の立脚点は、1930年代初頭の民主主義からファシズムの過渡期に於いて、労働組合は抑圧されて労働争議は減少した。その結果として、実質賃金は低下し雇用と産出の回復を齎したという主張もある。

2000年9月30日に、韓国の学者Myung Soo Chaによる興味深い論文が発表された。– – Did Korekiyo Takahashi Rescue Japan from the Great Depression?

大恐慌期間中での、その特異な回復への影響を調べるために、これらの刺激策と賃金下落とで因数を分離して求めた。また、この回復が日本の外部の出来事によって起こったものかどうかを調べるために、(日本の輸出への)世界的な産出の影響も含めている。

統計的手法 (ベクトル自己回帰分析) と日本銀行が公開している歴史的データを使って、大恐慌初期での日本では”下降を反転させる上で決定打だった“のは財政主導であった事を論証している。

余談として、日本銀行は素晴らしい歴史的統計ページを運営している。この時期を研究するのに他の有益なソースがある。-例えば、the League of Nations, International Statistical Yearbook -これはアメリカのノースウェスト大学を通してオンラインで利用できる。

次のグラフはMyung Soo Chaの図1をコピーしたもので、1920年代中盤から1937年にかけての工業生産の発展を示している。

日本の体験は、当時の他の主な経済国と完全に異なっており、特に高橋是清によって導入された一連の大規模な刺激策の後ではそれは明らかだ。

また、興味深い事に各国のグラフ上での転換点が、“景気後退後に金本位制を離脱した順番と一致している事だ。:イギリス、ドイツ、日本は1931年に、アメリカは1933年、最後にフランスが1936年” これは偶然ではない。

彼の方法論にこれ以上は言及しないだろう。(それは標準的なものだ) この種の計量経済分析に興味があるのならば、あなた自身でその論文を読んでみるといい。

彼の研究結果は、非常に明瞭だ。

1. 彼は、“日本において大恐慌を終わらせるのに、高橋の財政拡大の卓越した役割について感銘を受けずにはいられない。” と綴っている。

2. “特に高橋是清が行なった赤字支出は、不況を素早く終わらせるのに極めて重要だったのがわかっている”

3. “平価切下げは、1932年に於いては救済になったが、生産量の伸びへの貢献はささやかなものだった”

4. “円安は同様に刺激を与えたが、日本国外部からのインフレ収縮を上回るほど十分には強くなかった”

鎮目雅人の研究からもう一つわかった事は、自由民主主義からファシズムの過渡期において、インフレ期待が幾分か上昇したことだ。 “デフレーションからインフレーションへの期待の変化は、主に通貨下落の結果であり日本銀行の国債引受ではない”

財政刺激を提供したのは軍事費の増大であり、現在に於いては好ましいものではなかったと主張する人々がいるかもしれない。

しかし、研究が示唆するのは、刺激に対する財政転換のうち軍事費の割合は公平に見て取るに足りないものだった。

(例えば、Metzler, M. (2006) Lever of Empire: The International Gold Standard and the Crisis of Liberalism in Prewar Japan, Berkeley, University of California Press).

結論 

高橋是清の経済政策姿勢は-その作用はとても現代金融理論(MMT)的だ-日本を大恐慌から救った。

主に中央銀行の与信引受を伴う大規模な財政刺激は、インフレ率の暴騰を引き起こさなかったし、インフレーションを加速しなかった。

インフレーションは、短期間で上がり、それから再び落ちたが、これは主に大幅な平価切下げの結果に寄るものだ。これは、常に日本のような小国開放経済(当時は-小国である)で起きるかもしれない結果である。

不必要な側面-例えば軍事費など-はあったが、高橋是清の‘実験’は現代に於いて、明示的財政ファインンスを議論するのに関連があるのは明らかだ。

私は、最新の著作-Eurozone Dystopia: Groupthink and Denial on a Grand Scale(2015年5月発行)-の中で、明示的財政ファイナンスがユーロ圏(それ自身から)を救う可能性があると論じている。

ブリュッセルとフランクフルトの政策立案者に於いては、1931年に高橋是清が実行したような深い政策的な洞察と展望の提示をしてみよう。

パブでの政治-ハミルトンー2015年11月17日

今夜、私は(ニューキャッスル郊外、NSWの)バーモント通りにあるハミルトンステーションホテルで開催されるパブでの政治において講演するつもりだ。

講演タイトルは’なぜオーストラリアにとって財政赤字は好ましいのか’であり、2013年4月29日のニューヨークタイムズ紙で、アメリカの哲学者ダニエル・デネットが語った事から引用して講演するつもりだ:

人々に対して、『彼らは幻想に人生を捧げている』と礼儀正しく告げる方法は単に存在しない…

私たちはそれを楽しむつもりだ!

イベントは18:30に始まる。

地元の読者はそこで見物して欲しい。

今日はここまで!

Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=32355

Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression

billTuesday, November 17, 2015

This blog is really a two-part blog which is a follow up on previous blogs I have written about Overt Monetary Financing (OMF). The former head of the British Financial Services Authority, Adair Turner has just released a new paper – The Case for Monetary Finance – An Essentially Political Issue – which he presented at the 16th Jacques Polak Annual Research Conference, hosted by the IMF in Washington on November 5-6, 2015. The paper advocated OMF but in a form that I find unacceptable. I will write about that tomorrow (which will be Part 2, although the two parts are not necessarily linked). I note that the American journalist John Cassidy writes about Turner in his latest New Yorker article (November 23, 2015 issue) – Printing Money. Just the title tells you he doesn't appreciate the nuances of central bank operations. He also invokes the Zimbabwe-Weimar Republic hoax, which tells you that he isn't just ignorant of the details but also part of the neo-liberal scare squad that haven't learnt that all spending carries an inflation risk – public or private – no matter what monetary operations migh be associated with it. I will talk about that tomorrow. Today, though, as background, I will report some research I have been doing on Japanese economic policy in the period before the Second World War. It is quite instructive and bears on how we think about OMF. That is the topic for today.

Takahashi Korekiyo – was the 20th Prime Minister of Japan and held office twice the last time in an acting capacity in 1932. He had previously worked in the Bank of Japan. For the most part though, he was Finance Minister under various administrations from the late 1920s until his death in 1936.

I have been researching documents in the Bank of Japan archives for some time now as part of a book project I am working on. I am up to the period that Takahashi Korekiyo was a major player in Japanese economic policy making and it just happens to fit in with the comments I wish to make about Adair Turner and John Cassidy.

But I thought this background would help us for tomorrow.

Takahashi Korekiyo is famous for abandoning the Gold Standard on December 13, 1931 and introducing a major fiscal stimulus with central bank credit which rescued Japan from the Great Depression in the 1930s. That is quite a reputation. His actions and the subsquent results provide a solid evidence base for assessing whether OMF is desirable.

I note that OMF is core Modern Monetary Theory (MMT) policy, a point that Cassidy seems to be worried about. More about that tomorrow.

As to Takahashi Korekiyo, I don't think his monetary acumen had anything to do with his assassination (in his sleep by gunshot and sword) by rebel army officers in 1936 during the so-called – February 26 Incident – which was a failed coup d'état.

He had in fact reduced military funding because he was a moderate and wished to reduce Japan's martial tendencies. Enemies were thus made and they were the type of enemies that carried weapons and knew how to use them!

As background, Japan had experienced a major private banking collapse in 1927 (the Showa Financial Crisis) as a result of what has been referred to as "cumulative mismanagement of cover-ups and halfway measures against earlier flaws dating back to the post-war collapse" (quote from Takahashi, Kamekichi [1955a], Taisho Showa Zaikai Hendou Shi (A History of Economic Fluctuations during Taisho and Showa Eras), vol.2, Toyo Keizai Shinposha, Tokyo, p.739).

In other words, the banksters were out in force in Japan during the 1920s. It is argued by Takahashi Kamekichi that the stimulus measures introduced by Takahashi Korekiyo were assisted by the reforms that were made in the late 1920s to deal with the Showa Financial Crisis.

There were three notable sources of stimulus introduced by Takahashi Korekiyo:

1. The exchange rate was devalued by 60 per cent against the US dollar and 44 per cent against the British pound after Japan came off the Gold Standard in December 1931. The devaluation occurred between December 1931 and November 1932. The Bank of Japan then stabilised the parity after April 1933.

2. He introduced an enlarged fiscal stimulus. In March 1932, Takahashi suggested a policy where the Bank of Japan would underwrite the government bonds (that is, credit relevant bank accounts to facilitate government spending).

This proposal was passed by the Diet on June 18, 1932. The Diet passed the government's fiscal policy strategy for the next 12 months with a rising fiscal deficit 100 per cent funded by credit from the Bank of Japan.

Bank of Japan historian Masato Shizume wrote in his Bank of Japan Review article (May 2009) – The Japanese Economy during the Interwar Period: Instability in the Financial System and the Ipact of the World Depression – that:

Japan recorded much larger fiscal deficits than the other countries throughout Takahashi's term as Finance Minister in the 1930s.

On November 25, 1932, the Bank of Japan started 'underwriting' the government's spending.

3. The Bank of Japan eased interest rates several times in 1932 (March, June and August) and again in early 1933. This easing followed the cuts by the Bank of England and the Federal Reserve Bank in the US. Monetary policy cuts were thus common to each but the size of the fiscal policy stimulus was unique to Japan.

Masato Shizume wrote that:

A number of observers who focus on the macroeconomic aspects of the Takahashi economic policy praise Takahashi's achievements as a successful pioneer of Keynesian economics. Kindleberger points out that Takahashi conducted quintessential Keynesian policies, stating, "his writing of the period showed that he already understood the mechanism of the Keynesian multiplier, without any indication of contact with the R. F. Kahn 1931 Economic Journal article."

[The full reference is: Shizume, Masato (2009) "The Japanese Economy during the Interwar Period: Instability in the Financial System and the Impact of the World Depression", Bank of Japan Review, 2009-E-2]

The next graph is a reproduction of Chart 7 Macroeconomic Policies of Japan and Other Countries from Masato Shizume's paper. It is self-explanatory.

The big variation between the different currency blocs and Japan is in fiscal policy.

Japan_Shizume_Chart_7

There is substantial discussion in the literature about the relative impacts of these three different stimulus measures. But what followed is clear:

1. Real GDP growth returned quickly and stood out by comparison with the rest of the world which was mired in recession. Between 1932 and 1936, real industrial production grew by a staggering 62 per cent.

2. Employment, which had also plummeted in the early days of the Great Depression, grew robustly after the Takahashi intervention.

3. Inflation spiked as a result of the exchange rate depreciation in 1933 but quickly fell to low and relatively stable levels in 1934 as the economy's growth rate picked up under the support of the fiscal and monetary stimulus.

It was clear that abandoning the Gold Standard was a crucial first step because it gave the government space to introduce major domestic stimulus policies. These policies were not possible under the Gold Standard because they would have pushed out the external deficit and the nation would have lost its gold stocks.

I note a number of the current Republican presidential potentials in the US are once again calling for a return to the Gold Standard. They clearly haven't a clue what they are talking about given the appalling record of nations when they were on such exchange rate mechanisms.

It was the Gold Standard that ensured the Great Depression ensued. As the US started to run trade surpluses in 1929 (after the recession choked off imports), other nations started to deplete their gold stocks which meant they had to raise interest rates to attract capital inflow. The US recession spread and many investors in Europe considered that the central banks would have to devalue. Anticipating that, they withdrew gold and the contractionary effects on the money supply worsened the downturn. Then banks collapsed and so on.

There is an interesting article (November 12, 2015) by Greg Ip – What Republicans Get Wrong About the Gold Standard – that bears on this issue. It is targetted at those stupid Republican candidates.

Clearly, Takahashi Korekiyo understood the constraints that the Gold Standard and the need to maintain the money supply in proportion with the nation's stock of gold imposed on domestic policy. Once he removed that constraint he could then use the fiscal and monetary tools available to him (and through the Bank of Japan) to target domestic demand.

Some researchers have suggested that the combination of the exchange rate depreciation and the fiscal stimulus "had significant impacts upon the level of activity" (see Nanto, D.K. and Takagi, S. (1985) 'Korekiyo Takahashi and Japanese Recovery from the Great Depression', American Economic Review, 75, 369-74).

Most of the studies suggest that the monetary policy easing (cutting interest rates) was not as significant as the other two stimulus measures.

Another strand of argument is that in the transition from democracy to fascism in the early 1930s, the trade unions were suppressed and industrial disputation fell. Real wages fell as a result, which some claim caused employment and output to rise.

An interesting paper was published on September 30, 2000 by the Korean scholar Myung Soo Cha – Did Korekiyo Takahashi Rescue Japan from the Great Depression?.

It sought to decompose these stimulus factors and wage reductions to see order their impact on the exceptional recovery during the Great Depression. He also includes world output impacts (on Japanese exports) to see whether the recovery was driven by events outside of Japan.

He uses statistical techniques (Vector Autoregression) and historical data released by the Bank of Japan to show that it was the fiscal initiative that "was critical in reversing the downswing" in Japan in the early years of the Great Depression.

As an aside, the Bank of Japan runs an excellent Historical Statistics page. There are other sources of data that is of use in studying this period – for example the League of Nations, International Statistical Yearbook – which is available on-line through Northwestern University in the US.

The next graph is a reproduction of Myung Soo Cha's Figure 1 and show the evolution of Industrial Production from the mid-1920s to 1937.

It is clear that Japan's experience was quite different to the other major economies of the day, especially after the major stimulus package introduced by Takahashi Korekiyo.

It is also interesting that the turning points in the graph for the respective countries "matches the sequence of going off gold in the wake of the Depression: Britain, Germany and Japan in 1931, the U.S. in 1933, and finally France in 1936". That is not coincidental.

Japan_Industrial_Production_CF_Takahashi_Korekiyo

I won't go into his methodology (it is standard) and you can read the paper yourself if you are interested in this sort of econometric analysis.

The results of his study are fairly clear:

1. He writes "one cannot but be impressed by the prominent role of Takahashi's fiscal expansion in ending the Great Depression in Japan".

2. "In particular, his deficit spending was found to have been crucial in ending the depression quickly".

3. "Devaluation did help during 1932, but its contribution to output growth was modest."

4. "The depreciating yen provided some stimuli as well, but they were not sufficiently strong to outweigh the contractionary influences from the rest of the world."

Another finding from Shizume Mazato's work is that while inflationary expectations rose somewhat during the shift from liberal democracy to fascism, "the shift in expectation from deflation to inflation was chiefly the result of the currency depreciation, not the BOJ underwriting of government bonds".

Some might argue that it was the increased military spending that provided the fiscal stimulus, which would be undesirable in today's world.

But research suggests that the military part of the fiscal shift to stimulus was fairly insignificant (see for example, Metzler, M. (2006) Lever of Empire: The International Gold Standard and the Crisis of Liberalism in Prewar Japan, Berkeley, University of California Press).

Conclusion

There is little doubt that Takahashi Korekiyo's economic policy stance – which was very MMT in operation – saved Japan from the Great Depression.

The large fiscal stimulus that was mostly underwritten with central bank credit did not cause interest rates to sky-rocket nor inflation to accelerate.

Inflation rose for a time then fell again but this was mainly the result of the massive exchange rate depreciation. That is a result that would always occur in a small open-economy such as Japan (at the time – small that is).

While there were aspects that were unnecessary – for example, the military spending – it is clear that Takahashi Korekiyo's 'experiment' has relevance for us today in discussions concerning Overt Monetary Financing.

I have argued in my current book – Eurozone Dystopia: Groupthink and Denial on a Grand Scale (published May 2015) – that OMF could save the Eurozone (from itself).

But try to get the policy makers in Brussels and Frankfurt to display as much policy acumen and foresight as Takahashi Korekiyo did in 1931.

Politics in the Pub – Hamilton – November 17, 2015

Tonight, I will be the speaker at the Politics in the Pub, which is held at the Hamilton Station Hotel, Beaumont Street, Hamilton (a suburb of Newcastle, NSW).

The title of my talk will be 'Why budget deficits are good for Australia' and I will motivate the talk with the quote from US philospher Daniel Dennett who told the New York Times on April 29, 2013 that:

There's simply no polite way to tell people they've dedicated their lives to an illusion …

We will have some fun with that!

The event starts at 18:30.

I hope to see local readers there.

That is enough for today!





緊縮政策と金解禁 所謂緊縮政策について  

 緊縮という問題を論ずるに当っては、先ず国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。  

 例えばここに一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円を以て生活し、あと二万円はこれを貯蓄する事とすれば、その人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、これを国の経済の上から見る時は、その倹約によって、これまでその人が消費しておった二万円だけは、どこかに物資の需要が減るわけであって、国家の生産力はそれだけ低下する事となる。ゆえに国の経済より見れば、五万円の生活をする余裕ある人には、それだけの生活をして貰った方がよいのである。  

 さらに一層砕けて言うならば、仮にある人が待合へ行って、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。これは風紀道徳の上から云えば、そうした使い方をして貰いたくは無いけれども、仮に使ったとして、この使われた金はどういう風に散ばって行くかというのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部分となり、また料理に使われた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及びそれ等の運搬費並びに商人の稼ぎ料として支払われる。この分は、すなわちそれだけ、農業者、漁業者その他の生産業者の懐を潤すものである。しかしてこれらの代金を受取たる農業者や、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住その他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、その一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、その他の代償として支出せられる。すなわち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであろうが、その金の効果は二千円を出でない。  

 しかるに、この人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それがまた諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。ゆえに、個人経済から云えば、二千円の節約をする事は、その人にとって、誠に結構であるが、国の経済から云えば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、むしろその方が望ましいわけである。ここが個人経済と、国の経済との異っておるところである。  

 以上は、もとより極端な例を挙げたに過ぎない。かく言えばとて、私は待合行きを奨励する次第では決して無い。ことにそれだけの余裕なきものが、借金までして浪費する事は、無論よく無い事である。ただ私がここに待合の例証を取ったのは、世に最も浪費なりと称せられている、この待合遊びについてさえも、これを個人経済から見る時と、国の経済から見る時とは、大変な相異がある事を明かにしたまでである。  

 言うまでも無く、如何なる人の生活にも、無駄という事は、最も悪い事である。これは個人経済から云えば、物を粗末にする事である。倹約という事も詮じ詰れば、物を粗末にしないと云う事に過ぎない。しかしながら、如何に倹約がよいからと云って、今日産業の力を減退させるような手段を取る事は好ましからぬ事だ。もとより財政上緊縮を要するという事はあるが、その場合には、なるべく政府の新たなる支出を出来るだけ控目にする事が主眼で無くてはならぬ。すでに取かかった仕事まで中止するという事は考えものだ。  

 先だっても、永田町を通って見たら、帝国議事堂の鉄骨が、ガランとして秋空の上に突立っている。そうして仕事は中途半端で停止せられ、構内は寂として山寺のようである。霞ケ関でも先頃までは内務省の庁舎の基礎工事が進んでおり、桜田門では警視庁の建物がこれも鉄骨の組立てを終っていたようだ。ところが四、五日前に通って見ると、この方にも人の子一人おらず、閑古鳥も鳴かぬ有様である。  

 これらはすでに取掛って、現に進行中の仕事である。これを止めるとか中止するとかいうには十分に事の軽重を計り、国の経済の上から考えて決せねばならぬ。その性質をも考えず、天引同様に中止する事は、あまりに急激で、そこに必ず無理が出て来る。その無理はすなわち、不景気と失業者となって現れ出ずるのである。  

 現に、帝国議事堂、内務省庁舎、警視庁の例を見ても、これらの工事を止めたために、第一に請負人が職を失う。またこれに従事せる事務員、技術者、労働者及び工事の材料の生産者、その材料を取次ぐ商人等の総ては、節約または繰延べられたるだけ職を失うのである。これらの人々が職を失う事は、やがて購買力の減少となり、かような事が至る所に続出すれば、それに直接関係なき生産業者も、将来における商品の需要の減退を慮って、自分の現在雇傭せる労働者を解雇して、生産量を減少するようになる。その結果は、一般の一大不景気を招来するに至るのである。かくのごとき事は国家経済の上から、よほど考慮を要する事柄である。 


  金解禁の準備は自主的なるべし  

 近ごろ世間で唱えておるところを聞くと、所謂緊縮節約は金解禁のためである、と云っている。それは先ずよいとして、この金解禁についても、我が国民は、もっと慎重に考えるの必要がある。やれ対米為替が上ったから、やれ英米の金利が下ったから、金解禁に好都合になったと、有頂天になっている者もあるが、それは少し早計でないかと考える。もとより今日金解禁をなすについては、外国市場の金利や為替相場等の影響も考慮せねばならぬが、もっと、大事な事は、これを自主的にきめる事である。  

 しかして自主的の準備とは、我が国の国際貸借の関係において、支払いの立場に立たぬよう、国内の産業、海運その他の事業の基礎を確立する事である。この基礎が出来て初めて解禁という事が行われ得るので、その準備なく、徒らに為替相場や、外国市場の金利の低下を頼りとして、外国の御蔭で解禁せんとするがごときは、国家永遠の利害を考えぬ謬見と云わねばならぬ。 

          (昭和四年十一月)


随想録






時刻: 1月 11, 2021 15 件のコメント:
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2021年1月7日木曜日

NAMs出版プロジェクト: Dr. Dühringデューリングによる『資本論』第一巻書評1867

NAMs出版プロジェクト: Dr. Dühringデューリングによる『資本論』第一巻書評1867

デューリングは反ユダヤ的発言で知られるが

資本論の最初の書評を書いた人物でもある。


Ergänzungsblätter zur Kenntnis der Gegenwart: 1868

https://play.google.com/store/books/details/Ergänzungsblätter_zur_Kenntnis_der_Gegenwart?id=5Q1CAAAAcAAJ&feature=search_result#?t=W251bGwsMSwxLDEsImJvb2stNVExQ0FBQUFjQUFKIl0.

pp.182〜186


マルクスからルートヴィヒ・クーゲルマンの手紙(1868年3月6日)にはデューリングへ

の悪口のあとにこうある。

《私としては、この男に感謝しなければならないのです。となかくなにか言ってくれたの

は、専門家では彼が最初なのですからね。》

(34巻442頁)


http://nam-students.blogspot.com/2013/04/dr-duhring1867.html?m=0

http://www.emeraldinsight.com/journals.htm?issn=0144-3585&volume=29&issue=4&articleid=846205&show=html x

Dr. Dühringデューリングによる『資本論』第一巻書評1867

                    (google自動翻訳、Dühring『ユダヤ問題』メモ、リンク::::::)
  http://books.google.co.jp/books?id=uXhMAAAAMAAJ&pg=PA181&dq=Anschauung++des++gekennzeichnet.++duhring&hl=ja&output=text


デューリング『資本論』第一巻書評
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/dr-duhring1867.html(テクスト)
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/duhring-e-1867-marx-das-kapital-kritik.html(画像)

Dühring『ユダヤ人問題』:目次、メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/durhring.html


  Marx, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, 1. Band, Hamburg 1867.  — Das Unternehmen einer Kritik der politischen Oekonomie in einem auf 3 Bände berechneten Werk über das Kapital ist die Wiederaufnahme einer bisher fragmentarisch gebliebenen Veröffentlichung desselben Verfassers von 1859. In dem ersten Kapitel des vorliegenden ersten Bandes wird der Inhalt der älteren kleineren Schrift reproducirt.   Ein vollständiges Urtheil ist vor der Einsicht der in Aussicht gestellten beiden weiteren Bände nicht möglich, was übrigens auch der Verfasser selbst für sich geltend macht.  Indessen soll an dieser Stelle nur eine Charakteristik des im ersten Bande Gelieferten gegeben werden.  Was Darstellung und Untersuchungsmethode anbetrifft, so werden die Kenner der hegelschen Logik die entsprechende Dialektik überall und durchgängig gehandhabt und den gesammten Stoff ökonomischer Theorie in den zugehörigen Formen vorfinden.  Die strenge Anhänglichkeit an dieses logische Gerüst erstreckt sich bis auf die neuen Schlußfiguren Hegels, so daß z. B. der Kapitalbegriff selbst nach dem Schema g—w—g (Geld—Waare—Geld) als Ergebnis eines dialektischen Prozesses dargestellt wird.    In der Anwendung hegelscher Spekulation und Dialektik auf die Lehren der Nationalökonomie befindet sich der Verfasser in Uebereinstimmung mit dem Professor L. Stein in Wien, dessen sämtliche Schriften bekanntlich auch im Gewände hegelschei Dialektik erschienen sind, Uebrigens ist aber zwischen dem eben Genannten und dem im englischen Exil theoretischrenden Privatgelehrten wenig Verwandtschaft.   Denn der letztere greift die gesammte bürgerliche Oekonomie an, die der erste mit denselben methodischen Mitteln vertheidigt.   — Das ganze Bestreben des vorliegenden neuen Werks gipfelt in der gänzlichen Verurtheilung der gegenwärtigen Produktionsweise, an welcher der Verfasser besonders die Rolle des Kapitalisten zu kennzeichnen versucht.   Die Ausbeutung der Arbeit durch das Kapital ist der Hauptgegenstand dieser neuen „Kritik der politischen Oekonomie".   Auf dieses Ziel laufen alle Begriffsbestimmungen und etwa eingeführten neuen Unterscheidungen hinaus.  Zunächst ist es der Begriff vom Kapital selbst, welcher eine von der gewöhnlich überlieferten Ökonomie abweichende und eigenthümlichen Fassung erhält.   Diese Fassung ist jedoch nicht verständlich, ehe man nicht im Allgemeinen den Boden kennt, auf welchem der Kritiker der politischen Oekonomie fußt.   Es ist dies die von Adam Smith überlieferte und von Ricardo in weiterer Ausdehnung gehandhabte Vorstellung von der allgemeinen Ursache des ökonomischen Werth(s).

  Dieser Werth ist im Sinne Adam Smiths das Ergebniß der in die producirt(en) Artikel verwendeten und gleichsam hineingesteckten Arbeit, und diese Vorstellung vom Werth, die keineswegs unstreitig, sondern ein Menschenalter hindurch von verschiedenen Seifen, zu allerletzt noch von Macleod angefochten worden ist, leitet den Verfasser in allen seinen Untersuchungen und dient ihm als Grundlage für alle seine Veranschlagungen und Schlüsse.  Um dieser Werthvorstellung möglichst eine exakte Form zu geben, nimmt er die abstrakte Arbeitszeit, die in die Artikel verwendet wird, zum Ausgangspunkt.   Hiernach wird also der Werth jedes Artikels durch eine bestimmte Anzahl Arbeitstage oder Arbeitsstunden gemessen.  Tie intrikate Frage, wie denn nun der Werth der Arbeit selbst zu messen sei, wird durch eine Hinweisung auf die zur Erhaltung der Arbeit normal nothwendigen Unterhaltsmittel erledigt.  Der Werth eines Arbeitstags soll demgemäß durch diejenige Arbeitszeit, z. B. 6 Stunden, bestimmt sein, welche in den Unterhaltsmitteln des Arbeiters für den Arbeitstag steckt.  Der so gewonnene Begriff von nothwendiger Arbeit und Mehrarbeit wird alsdann zum Eckstein des Systems der Kritik.  Greifen wir jedoch nicht vor und versichern wir uns erst über des Verfassers Meinung, was bei Kapital eigentlich zu denken sei.

  Die Waare, oder mit andern Worten die VerkehrSartikel können ihren Werth thatsächlich erst dadurch bekunden, daß sie einen Preis in Geld erhalten und alsdann als Repräsentanten on Geld, d. h. überhaupt als Werth(s) umlaufen und in der Produktion auch nur als solche Werthe maßgebend werden.  In dieser Eigenschaft repräsentiert sie abstrakte Werthsummen.   In sofern nun die Cirkulation dieser Werthsummen oder mit andern Worten des Austausches von Geld gegen Geld mit Gewinnung eines Mehr der sich immer wiederholende Endzweck des ganzen Hergangs ist, gilt dem Verfasser das Geld oder der durch dasselbe dargestellte Werth als Kapital.   Es ist also nach des Verfassers Ansicht Kapital nicht etwa irgend eine besondere Klasse ökonomisch erheblicher Gegenstände oder Werte , sondern es ist ihm Kapital geradezu Alles, in sofern es in der Form des Geldes oder Geldwertes auf feine eigne Vermehrung hinarbeitet.   — Indem diese Begriffsbestimmung des Kapitals von derjenigen der überlieferten Nationalökonomie abweicht und an die Stelle der Vorstellung von einem Werkzeug der Produktion die Idee einer Funktion, nämlich der Funktion der Selbstvermehrung des Geldes setzt, behauptet sie zugleich, daß die Erscheinung des Kapitals in dieser ihm eigenthümlichen Rolle, ja überhaupt das Vorhandensein des Kapitals, an bestimmte geschichtliche Vorbedingungen gebunden und in der neuem Zeit erst vom 16. Jahrhundert zu bat()iren sei.  Früher habe es eigentlich kein Kapital gegeben denn die Voraussetzung der Existenz des Kapitals sei die Möglichkeit und Herrschaft des sich auf Grund der Arbeitsausbeutung vermehrenden Geldwerths.  — Man sieht, daß hier der Verfasser denjenigen specifisch(en) Begriff von Kapital vor Augen hat, welcher erst mit der sogenannten Geldwerthschaft, ja im höchsten Maße erst mit der ausgedehnteren Kreditwirthschaft zur Verwirklichung gelangt.  An diese Begriffsbestimmung lehnt sich dann auch die Vorstellung von dem an, was der Verfasser kapitalistische Produktionsweise nennt, und was er theils logisch zu analysiren, theils, wie dies die dialektische Methode mit sich bringt, zugleich historisch zu entwickeln und zu beschreiben versucht.  Die Grundanschauung ist hier folgende.  Die Produktionsweise durch Vermittlung und unter der Herrschaft deS Kapitals setzt Arbeiter voraus, die im juristischen Sinne des Worts frei sind und daher ihre Arbeit als Waare zu verkaufen haben.  Auf der andern Seite müssen die Vertreter des Kapitals im Stande fein, diese Arbeit, zwar nicht unter ihrem Werth, aber wohl weit unter ihrer Ergiebigkeit an Werten zu kaufen.   Das Verhältniß, in welchem eine derartige „AuSpressung" der Arbeit möglich ist, wird nun aber nach des Verfassers Ansicht sofort mit der Existenz einer freien, aber besitzlosen Arbeit einerseits und eines Besitzes am Grund und Boden und an den Arbeitsmitteln andererseits unbeugsam gegeben.  Die Abhängigkeit des Arbeiters vom Kapital und die Nothwendigkeit der Ausbeutung sind eine reine Konsequenz des angedeuteten gesellschaftlichen Verhältnisses.  Diese kapitalistische Produktionsart soll jedoch keine ewige Norm, sondern nur eine historische Phase sein.  Das Kapital in dem specifisch(en) Sinne, in welchem es der Verfasser versteht, soll durch eine geschichtliche Metamorphose des gegenwärtigen Eigentums gänzlich verschwinden.  Die Notwendigkeit dieses Verschwindens soll sich auS dein Entstehung - und Bildungs(-)principle() des Kapitals selbst ergeben.  Hiernach könnte man, ohne der Meinung des Verfassers Eintracht zu thun, sagen, daß er den Todeskeim des Kapitals und der kapitalistischen Produktionsweise bereits in dem Zeugungsakt desselben sucht.  Auch entspricht eine solche Anschauung von dem Gesetz der geschichtlichen Hergänge völlig der zu Grunde liegenden natur- und geschichtsphilosophischen Idee.    Sie entspricht außerdem der speziellen Art von zugleich subjektiver und objektiver Logik, die der Verfasser regelmäßig im Auge hat.  In unserer modernen Phrase ausgedrückt, soll also die „Logik der Thatsachen" in Rücksicht auf Entstehung und Untergang der vom Kapital beherrschten Produktion genau dem Satze entsprechen, daß das Lebensprincip einer natürlichen und geschichtlichen Erscheinung auch zugleich ihr Lebensprincip sei.  Die Perspektive auf die Entthronung des Kapitals ergibt sich daher dem Verfasser durch die Untersuchung der Art und Weise, wie die kapitalistische Machthaberschaft entstanden sei, sich vermehrt habe, sich gegenwärtig steigere und die ihr abgesteckten Grenzen erreiche.

  Zunächst handelt es sich um die Entwicklung der Nahrungs- und Lebensbedingung des Kapitals.  Es nährt sich nach des Verfassers Ansicht von jenem Mehr, welches der Arbeiter an Tauschwerthen über den Tauschwerthe seiner eigenen Arbeit hinaus producirt, oder mit andern Worten von demjenigen Theil der Arbeit, für welche der Arbeiter nicht bezahlt wird.   Diese unentgeltliche Arbeit wird von dem Verfasser als sehr beträchtlich veranschlagt und er hat im Allgemeinen hierbei ein Verhältnis vor Augen, bei welchem der Arbeiter höchstens die Hälfte, seiner Arbeitszeit für sich, die andere Hälfte aber unentgeltlich für das Kapital arbeitet.  Die Arbeitszeit eines Arbeitstages wird auf diese Weise in zwei veränderliche Bestandtheile zerlegbar.  Der eine Bestandteil ist diejenige Arbeitszeit, die der Arbeiter für seine Erhaltung und für die Reproduktion seines Stande unter allen Umständen selbst nöthig haben würde.  Sie bestimmt den Werth oder Preis der Arbeit auf dem Arbeitsmarkt; denn Arbeit und Arbeiter find eine Waare, deren Werth oder Preis nach Produktions- und Reproduktionskosten bestimmt sind.  Der andere Bestandtheil der Arbeitszeit des Arbeitstages wird nun im Interesse des Kapitalisten aus verschiedenen Gründen theils absolut, theils relativ vergrößert werden können.  Der Verfasser untersucht diese Größenveränderungen und Verschiebungen der beiden Bestandtheile mit specieller Rücksicht auf die englischen Stundengesetze.    Er zeigt, wie die gesetzliche Abkürzung der Länge des Arbeitstages auf 12 und später 10 Stunden die Ausbeutungsenergie anstachelt, an Intensität der Arbeitsstunde zu gewinnen, was an der Anzahl verloren gegangen ist.  Alle Maschinerie wird, so weit es irgend möglich ist, auf ein schnelleres Tempo eingerichtet, und der Arbeiter, der seine Thätigkeit nach ihren Bewegungen einrichten muß, hiedurch zu einem Mehr von Leistung innerhalb derselben Zeit genöthigt. Die „Auspressung" von Mehrarbeit zu Gunsten des Kapitals hat nun zwar äußerliche und so zu sagen extensive Schranken in dem Stundengesetz; allein sie versteht in diesem engeren Spielraum schließlich mehr heraus zu kapitaliften und den Arbeiter besser bis auf das letzte Theilchen seiner möglichen Kraftausgabe auszunutzen als sonst.  Diese Behauptung wird natürlich unbeschadet der absoluten Grenzen einer solchen intensiveren Ausbeutung aufgestellt.  — Von einer ganz andern Seite her ergibt sich eine neue Art der Steigerung der unbezahlten Arbeitszeit.  Indem nämlich die Unterhaltskosten durch die verbesserten Produktionsmethoden oder sonst durch irgend welche Ursachen sinken, wird die Anzahl Arbeitsstunden, die auf Erhaltung und Reproduktion des Arbeiters zu verrechnen ist, geringer; aber dieser Umstand ist kein Vortheil für den Arbeiter, da er nicht ihm, sondern dem Kapitaliften zu Gute kommt.  Werden die Lebensmittel billiger, d. h. ist ein geringeres Quantum von Arbeit zu ihrer Beschaffung genügend, so sinkt der Werth und Preis der Arbeit.   Das Material, mit welchem die Arbeitsmaschine im Gange oder mit andern Worten beim Leben zu erhalten ist, ist selbst mit geringerem Arbeitsaufwand zu produciren. Hiernach ist die Arbeit und der Arbeiter selbst billiger zu produciren, und es bleibt ein größerer Theil seiner Arbeitszeit oder Leistungsfähigkeit zur Disposition des Kapitaliften.   Das Verhältniß ist in der Hauptsache dasselbe wie bei einer Maschine, bei welcher man volkswirtschaftlich sorgfältig zwischen dem, was sie gekostet hat und kostet, und zwischen dem, was sie leistet, unterscheiden muß.   Was der Arbeiter kostet und was er leistet, — das sind zwei ganz verschiedene Werthgrößen, deren Verhältniß den „Ausbeutungsgrad" erkennen läßt.   — Es sei hier noch bemerkt, daß dieses bisher reproduzierte Raisonnement des Verfassers auf der Voraussetzung der unbeschränkten Gültigkeit der ricardo'schen Anficht von der Regelung des Arbeitslohns durch die Unterhaltskosten beruht.    Dieses sogennante Lohngesetz Ricardo's ist jedoch bekanntlich nicht unstreitig.   Namentlich macht es die Erklärung der Verbesserung der Lebensweise und der Veränderungen in dem Begriff der nothwendigen Unterhaltsmittel schwierig.    Der Verfasser versucht zwar eine derartige Erklärung, beruft sich aber dabei ohne weitere Analyse auf Sitte und geschichtliche Umgestaltungen der Genussmittel.  Von Interesse sind in der Besprechung des Arbeitstages die Hinweisung(en) auf die tatsächliche Beschaffenheit des englischen Fabriklebens und besonders die Anführungen aus den Berichten der Fabrikinspektoren.    Auch die Auseinandersetzungen über Weiber- und Kinderarbeit, sowie die entschiedene Art, in welcher der Verfasser die volkswirtschaftlien und socialen Wirkungen der Einführung dieser neuen Arbeitsfaktoren bloßlegt, find geeignet, die höchst einseitigen Anschauungen zu beschränken, die über diesen Hergang bei uns umlaufen.   Nach des Verfassers Ansicht werden Werth und Preis der Arbeit durch die Einführung der Weiber- und Kinderarbeit gerade um so viel erniedrigt, daß jetzt die ganze Familie arbeiten muß, wo früher der Mann allein ausreichend war.   Die Arbeit des letzteren ist um so viel entwerthet, als die Arbeit seiner Familie Werth ist; mit anderen Worten, der Werth der Arbeit des Mannes war früher dem Werth der gegenwärtigen Arbeit der ganzen Familie gleich. In beiden Fällen wird nur das Leben und die Erhaltung beim Leben erarbeitet; das eine Mal geschieht es bloß durch die Arbeit das Mannes, das andere Mal, nämlich in dem neuen Zustande, ist dazu die Anspannung der ganzen Familie erforderlich.    Der wirkliche Produktionsvorteil oder mit einem Wort die Mehrarbeit kommt nach dieser Vorstellungsart ausschließlich dem Kapital zu Gute, welches überhaupt nur zufälliger Weise und gelegentlich, aber keineswegs prinzipiell dasselbe Interesse mit der Arbeit hat.

  Durch diese und andere Untersuchungen gelangt der Verfasser zu dem Ergebniß, daß die konzentri rende und absorbirende Kraft des Kapitals mit geschichtlicher Nothwendigkeit Alles außer sich selbst in Proletariat verwandle und eine allgemeine Hörigkeit der Massen begründe, ja diese Massen selbst erst in dieser Eigenschaft in weiterem Umfange erzeuge.  Indem das Kapital durch VerMittelung des Großbetriebs die kleineren und mittleren Eristenzen vernichtet, führt es zu einer immer mehr zugespitzten Oligarchie.    Hiermit werden sein Reich und seine Herrschaft selbst immer mehr dem Punkte entgegengeführt, bei welchem die Expropriation der kapitalistischen Oligarch(en) eine geschicht liche Aufgabe von geringerer Schwierigkeit ist, als es ursprünglich die Expropriation der großen Zahl kleiner Besitzer und selbstständiger, mit eigenen Mitteln ausgerüsteter Arbeiter gewesen sei.  Die historische Skizze der ursprünglichen Kapitalbildung gehört zu den lesenswerthesten Partien des vorliegenden Bandes.  Der Verfasser stellt hier die bekannte Gemüthlichkeit bloß, deren Anschauungsweise das Kapital und den Kapitalismus aus besonderem Fleiß einzelner Gesellschaftselemente entstehen läßt.   Er recur(rirt) mit Recht auf Erklärungen aus der mechanischen Gewalt der Uebermacht, also auf Unterwerfungen, und veranschaulicht den Hergang der Eigentumsveränderungen in einer weit sachgemäßen Art, als es gewöhnlich geschieht.  Wie immer nimmt er England als Normalbeispiel und versucht die großen Enteignungsvorgänge der letzten vier Jahrhunderte in ihrer volkswirt(h)schaftlichen und socialen Bedeutung detaillierte darzulegen.  Die gewaltsamen Konsolidation(en) des Grundbesitzes, die entsprechende Vertreibung der kleinen Eristenzen, die Verwandlung bloßer Feudalrechts in modernes Eigenthum, ferner die Vereinigung der isolirten Arbeit in Manufakturen und ähnliche Hergänge werden als die Bildungsfaktoren des Proletariats charakterisirt.   Die Grundidee ist hierbei, daß die Entstehung des Kapitals auf eine in großen Dimensionen und der Regel nach gewaltsam vollzogene Trennung des Arbeitenden von den Arbeitsmitteln, seien diese Grund und Boden oder etwas Anderes, zurückzuführen sei.  Die moderne Kolonisation dient schließlich als gegenwärtiges Beispiel des in Europa zum größten Theil vollendeten Prozesses.  Die Schwierigkeiten der Kolonisation beständen hauptsächlich in der Nothwendigkeit, den eingesessenen Arbeiter zum Proletarier und Lohnarbeiter zu machen, ihn aus seinen bisherigen Produktions und Versorgungsverhältnissen hinauszudrängen und unter das kapitalistische Regime mit seinen ursprünglich unumgänglichen sehr entschiedenen Polizeimaßregeln zu beugen.    Mit dem Export von Arbeitern sei es nicht immer gethan, da sich nicht immer auch zugleich die kapitalistische Produktionsweise und ihre ursprüngliche Wurzel, die Herrschaft garantierenden Polizei mit exportieren() lasse.    In den modernen Zuständen habe diese Polizei, welche den Arbeiter in schwere Abhängigkeit hineinzwängte, sich schließlich, nachdem sie ihr Werk gethan, selbst zum größten Theil überflüssig gemacht, woraus sich z. B. die Aufhebung der Antikoalitionsgesetze erkläre.  In den Kolonien sei es aber anders.
Sort lasse sich jenes erste Stadium, die große Expropriation, studiren, deren geschichtliche Konsequenz sür uns eine andere viel leichtere Expropriation der Wenigen und die Verwandlung des Privateigenthums in gesellschaftliches Eigentum sein werde.  Mit dieser socialistischen Perspektive ist die aus dem vorliegenden Bande ersichtliche Anschauung des Verfassers gekennzeichnet.

 Dr. Dühring.


http://www.emeraldinsight.com/journals.htm?issn=0144-3585&volume=29&issue=4&articleid=846205&show=html

Dühring, E. (1867), "Marx, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, 1. Band, Hamburg, 1867", Ergänzungsblätter zur Kenntniß der Gegenwart, pp.182-186.


デューリング博士による『資本論第一』巻書評1867

                    (google自動翻訳、Dühring『ユダヤ問題』メモ、リンク::::::)

  http://books.google.co.jp/books?id=uXhMAAAAMAAJ&pg=PA181&dq=Anschauung++des++marked.++duhring&hl=yes&output=text


  このように、この本では、「政治経済の批判」を3巻まで計算していますが、これは、同じ著者による1859年の出版物を再開したものです。 この第1巻の第1章では、より古い小著の内容が再現されています。   ところで、著者自身が自分のために主張している2巻の続刊の見通しの前に、完全な判断は不可能である。  ただし、この時点では、第1巻で配信された内容の特徴付けのみを行うものとする。  提示と調査の方法が懸念される限り、ヘーゲル論理に精通している者は、対応する弁証法が随所に、そして全体に適用され、経済理論の全体の材料が適切な形で見出されるだろう。  この論理的枠組みへの厳密な固執は、ヘーゲルの新しい最終的な数値にまで及んでおり、例えば、資本の概念自体が、弁証法的プロセスの結果として、g-w-g(貨幣-商品-貨幣)という図式に従って提示されるのである。    国家経済学の教えへのヘーゲル派の思索と弁証法の適用において、著者はウィーンのL.スタイン教授と一致しており、その全著作は、よく知られているように、ヘーゲル派の弁証法の装いでも出版された。   後者はブルジョア経済全体を攻撃しているが、前者は同様の方法論で擁護している。  - この新しい作品の努力は、現在の生産様式の完全な非難で頂点に達し、その中で著者は、特に資本家の役割を特徴づけようとしている。   資本による労働の搾取は、この新しい "政治経済批判 "の主要な対象である。   すべての用語の定義と導入された新しい区別は、この目標につながります。  まず、通常受け継がれてきた経済とは異なる独自のバージョンを受けるのは、資本の概念そのものである。   しかし、この版では、政治経済評論家の根拠を一般的に知るまでは理解できない。   これは、アダム・スミスが受け継いだ経済価値の一般的な原因の概念であり、さらに拡張してリカルドが扱ったものである。


  アダム・スミスの感覚では、この価値は、生産された製品に使用された、いわば労働の結果であり、この価値の概念は、決して議論の余地のないものではないが、様々な石鹸、特にマクルードによって何年にもわたって争われてきたものであり、筆者はすべての調査において指針となり、すべての推定と結論の基礎となるものである。  この価値観を可能な限り正確な形にするために、彼は記事で使われている抽象的な労働時間を出発点としている。   したがって、各物品の価値は、一定の勤務日数または勤務時間で測定される。  労働の価値そのものをどのように測定するかという複雑な問題は、労働の維持に通常必要な生計手段を参照することによって解決される。  したがって、一日の労働の価値は、一日の労働に対する労働者の生計手段に含まれるその労働時間、例えば6時間によって決定されることになる。  このようにして得られた必要労働と余剰労働の概念が、批判のシステムの基礎となる。  しかし、私たちは予想しないで、まず、実際に資本で考えられることについて、著者の意見を確認してみましょう。


  商品、すなわち、言い換えれば、流通の物品は、実際には、貨幣で価格を受け取り、貨幣の代表として、すなわち、一般的な価値として流通することによってのみ、その価値を顕在化することができ、生産においては、そのような価値としてのみ決定的なものとなる。  この容量では、それは抽象的な価値の合計を表しています。   これらの価値の総額の循環、言い換えれば、剰余金の抽出を伴う貨幣と貨幣の交換が、全体のプロセスの常 に繰り返される最終目的である以上、著者は、貨幣、あるいはそれによって表象される価値を資本とみなす。   このように、著者の見解では、資本とは、経済的に重要な対象や価値の特別なクラスではなく、むしろ資本とは、彼にとって、貨幣という形で存在する限り、正確にはすべてのものである。




この容量では、それは抽象的な価値の合計を表しています。   これらの価値の総額の循環、言い換えれば、剰余金の抽出を伴う貨幣と貨幣の交換が、全体のプロセスの常 に繰り返される最終目的である以上、著者は、貨幣、あるいはそれによって表象される価値を資本とみなす。   このように、著者の見解では、資本は経済的に重要な対象物や価値の特別なクラスではなく、資本は彼にとって事実上すべてのものであり、お金やお金の価値という形でそれ自身の増加に向けて働くものである。   - この資本の定義は、伝統的な国民経済のそれを逸脱し、生産の道具の概念に代えて、機能の概念、すなわち貨幣の自己実現の機能を代用している点で、資本のこの特有の役割の出現、すなわち資本一般の存在は、一定の歴史的前提条件に拘束されており、近代においては16世紀からのみバト()イリングされることを主張している。  それ以前の時代には、実際には資本は存在していなかった。資本の存在の前提条件は、労働の搾取の上に増大した貨幣価値の可能性と支配であったからである。  - ここで著者は、いわゆる貨幣経済でしか実現できない資本の具体的な概念を念頭に置いていることがわかる。  著者が資本主義的生産様式と呼ぶものの概念は、部分的には論理的に分析しようとし、部分的には弁証法的方法が必要とするように、歴史的に発展させ、記述しようとするものであるが、それもまた、この定義に基づいている。  ここでの基本的な見方は以下の通りです。  媒介を通じた、資本の支配下での生産形態は、労働者が法人的な意味で自由であることを前提としており、それゆえに労働力を商品として売らなければならない。  一方、資本の代表者は、この労働力を買う立場にならなければならず、その価値を下回るどころか、その価値の利回りを大きく下回ることになる。   しかし、このような労働の「恐喝」が可能な関係は、著者の見解では、一方では自由ではあるが無財産の労働が存在し、他方では土地と労働手段の所有権が存在することによって直ちに与えられる。  労働者の資本への依存と搾取の必要性は、示された社会関係の純粋な帰結である。  しかし、この資本主義的生産様式は、永遠の規範ではなく、歴史的段階にすぎない。  著者が理解している具体的(論理的)な意味での資本とは、現在の財産の歴史的変容によって完全に消滅することである。  この消滅の必然性は、資本そのものの起源・形成原理に起因するものとされている。  これによれば、著者の意見に賛同することなく、彼は資本の死の病原菌と、すでに資本主義的生産様式がその増殖行為の中にあることを追求していると言えるだろう。  このような歴史的過程の法則観もまた、自然哲学・歴史哲学の根底にある考え方に完全に対応している。    さらに、それは、著者が常日頃から考えている、主観的でありながら客観的でもある特別な種類の論理にも対応している。  現代の言葉で表現すると、資本に支配された生産の起源と没落に関する「事実の論理」は、自然で歴史的な現象の生命原理は、同時にその生命原理でもあるという命題に正確に対応していると考えられている。  


したがって、資本の脱却という視点は、著者にとって、資本主義の力がどのように発生し、増加し、現在増加し、そのために設定された限界に達しつつあるのかを検証することから生じる。


  まず、資本の食料や生活条件の発展の問題である。  著者の見解では、それは、労働者が自らの労働の交換価値以上の交換価値で生産する余剰分、言い換えれば、労働者が支払われていない労働の部分を糧としているのである。   この無給労働は非常に相当なものであると著者は推定しており、彼は一般的に、労働者が労働時間の半分は自分のために働き、残りの半分は資本のために無給であるという比率を念頭に置いている。  このようにして、1日の労働時間は2つの可変成分に分割されるようになります。  一つの構成要素は、労働者自身が、あらゆる状況下で労働者の維持と状態の再生産のために必要とするであろう労働時間である。  労働市場における労働の価値や価格を決定するものであり、労働者や労働者は、その価値や価格が生産や再生産のコストによって決定される商品であるからである。  労働日の労働時間の他の構成要素は、資本家の利益のために様々な理由で、部分的に絶対的に、部分的に相対的に、増加させることができる。  著者は、これら2つの構成要素の大きさの変化とシフトを、特に英語の時間法を参考にして考察しています。    彼は、労働時間の長さを12時間、それ以降10時間に短縮するという法的な方法が、数で失われたものを労働時間の強度で得るための搾取のエネルギーをどのように刺激するかを示している。  すべての機械は、可能な限り、より速いテンポのために設定され、その動きに応じて彼の活動を整理しなければならない労働者は、それによって同じ時間内に出力を増加させることを余儀なくされています。資本の利益のために余剰労働を「搾り取る」ことは、時間法には、外部的、いわば広範な限界があるが、この狭い範囲では、最終的には、資本をより多く計上し、他の方法よりも労働者をよりよく搾取する方法を、エネルギーの支出可能な最後の粒子に至るまで知っている。  もちろん、この主張は、このようなより集中的な搾取の絶対的な限界に偏見を持つことなくなされている。  - 全く別の側面から、無給労働時間の新しい種類の増加が発生します。  なぜなら、生産方法の改善やその他の原因によって生計費が減少すると、労働者の維持・再生産に課せられる労働時間数は少なくなるが、このような状況は、労働者にとっては、労働者の利益ではなく、資本の利益であるからである。  食料が安くなれば、すなわち、より少ない労働量で十分に調達できるようになれば、労働の価値と価格は低下する。   作業機械が動き続ける、言い換えれば生かされる材料は、それ自体がより少ない労力の支出で生産することができます。作業機械が動き続けている材料、つまり生かされている材料は、少ない労力でも生産することができます。   この関係は、主に機械の場合と同じで、経済学の立場からすると、それがコストを持つものとコストを持つものと、それが達成するものとの間で慎重に区別しなければならない。   労働者がコストをかけて何をするか、何をするか、これらは全く異なる価値の大きさであり、その関係は「搾取の程度」を明らかにするものである。   - ここで注意しなければならないのは、これまでに再現された著者のこの存在意義が、「労働の賃金は生活費によって規制される」というリカルドの考えの無制限の妥当性を前提としていることである。   


しかし、このいわゆるリカルドの賃金の法則は、よく知られているように、議論の余地のないものではない。   生活様式の改善や必要な手段の概念の変化を説明するのが難しくなる。    著者はそのような説明を試みているが、それ以上の分析をせずに、生計手段の慣習や歴史的変容に頼っている。  労働日についての議論で興味深いのは、英国の工場生活の実際の性質についての言及であり、特に工場検査官の報告書からの引用である。    女性と子どもの労働に関する議論や、著者がこれらの新しい労働要因の導入による経済的・社会的影響を暴露する決定的な方法は、この過程について私たちが持っている高度に一方的な見解を制限するのにも適している。   著者の意見では、女性と子供の労働の導入によって労働の価値と価格が低下し、以前は男性だけで十分だった家族全員が働かなければならないようになったという。   後者の労働は、その家族の労働が衰退するのと同じくらい衰退している、言い換えれば、男の労働の価値は、かつては家族全体の現在の労働の価値と同じだった。いずれの場合も、生命と生命の保存のみが鍛えられ、一方では人間の労働だけで行われ、他方では、すなわち新しい状態では、そのためには家族全体の努力が必要となるのである。    この考え方によれば、生産の真の利益、一言で言えば、余剰労働は、もっぱら資本の利益のためにあり、資本は、一般的には、偶然に、時折しか、労働と同じ利益を持っていないが、決して原則的には、労働と同じ利益を持っていない。


  これらおよび他の調査を通して、著者は、資本の集中吸収力は、歴史的必然性をもって、それ自身を除くすべてのものをプロレタリアートに変え、大衆の一般的な束縛を確立するという結論に到達する;実際、これらの大衆自身がより大きな範囲で生成されるのは、この能力の中でのみである。  大企業を媒介にして中小企業を破壊することで、資本はますます研ぎ澄まされた寡頭制を導く。    このようにして、その帝国とその支配自体は、資本家のオリガルヒの収用が、自らの手段を備えた多数の小さな所有者と独立した労働者の収用が本来そうであったよりも困難ではない歴史的課題であるという点に、ますます導かれていくのである。  資本の原初形成の歴史的スケッチは、本編の中で最も読み応えのある部分の一つである。  ここで著者は、資本と資本主義を見る方法が、社会の個々の要素の特殊な勤勉さに基づいているという、おなじみのゆとりを暴露している。   彼は、優れた力の機械的な力からの説明、すなわち服従の説明を正しく再現し、通常行われるよりもはるかに適切な方法で財産の変化の経過を説明しています。


いつものように、彼はイギリスを普通の例に出して、最後の4世紀の偉大な収用のプロセスについて、その経済的、社会的意義について詳細に説明しようとしています。  土地所有権の強制的な統合、対応する小農地の追放、単なる封建的権利の近代的財産への変容、さらには、工場における孤立した労働者の統一と同様のプロセスは、プロレタリアートの形成的要因として特徴づけられる。   ここでの基本的な考え方は、資本の起源は、土地であれ何であれ、労働者と労働手段との分離にさかのぼり、それが大規模かつ原則として力によって行われているということである。  最後に、近代植民地化は、ヨーロッパで大部分が完了したプロセスの現代的な例として機能します。  植民地化の困難は、主に、確立された労働者をプロレタリア人と賃金労働者に変え、彼の以前の生産と供給の関係から彼を強制的に離脱させ、資本主義体制の下で彼を屈服させる必要性に起因していたが、それは、もともと避けられなかった、非常に決定的な警察手段を持つ資本主義体制の下で、彼を屈服させることであった。   労働者の輸出は、資本主義的生産様式とその元来の根源である警察保証支配が、常に同時に輸出されるとは限らなかったからである。    近代的な状況では、労働者に重い依存を強いていたこの警察は、その仕事をした後、最終的には、それ自体がほとんど余計なものになってしまっていた。  しかし、植民地ではそれは違った。

その第一段階である大規模な収用は、そこで研究することができ、その歴史的帰結は、私たちにとっては、少数者のさらなる容易な収用と私有財産の社会的財産への変容をもたらすことになるだろう。 このような社会主義的な視点が著者の見解を特徴づけていることは、本巻を読めば明らかである。


 デュアリング博士 


追記:
1868年初頭におけるデリューリングの書評に対するエンゲルス、マルクスの反応。
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK03_32_00
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK03_32_00&p=58
邦訳大月書店版全集32巻7〜11頁より

(新日本出版社『マルクス、エンゲルス書簡選集〈中〉』 2012/06、科学的社会主義の古典選書 [単行本] 不破 哲三 編集 も下記の手紙の抜粋を網羅している。)

三 エンゲルスからマルクス(在ロンドンへ)

      マンチェスター、一八六八年一月七日
 裂愛なるモール
 デューリングと『ベオーバハター』をお返しする。前者はまったくおもしろい。この論文は困感と恐怖でいっばい だ。この勇敢な俗流経済学者は痛烈な打撃を受けている、ということがわかる。そして、第三巻が出てからでないと 第一巻の批判はできないとか、労働時間による価値規定は争う余地のないものではないとか、労働の生産費による労 働の価値規定には多少の疑間をもっている人々がいるとか、こんなことのほかにはなにも言えないのだ。君の見るよう に、この連中から見ると君はまだまだ学問が足りないのだし、大マクラウドを決定的な点で反駁してもいないのだ! それにもかかおらず、ロッシャーと同じ扱いを受けるのではないかという恐怖が至るところに現われている。この男 はこいつを猫き上げたときは嬉しかぅたが、それを郵便に出すときの気持はどうにも重苦しいものだったろう。
…
(註:『ベオーバハター』にはエンゲルスの『資本論』書評が載った。』邦訳全集16巻224〜226頁。それは唯物論を称揚するわりには観念的な無内容な賞讃記事である。)
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK01_16_00
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK01_16_00&p=274

四 マルクスからエンゲルス(在マンチェスター)ヘ
        [ロンドン]一八六八年一月八日
 親愛なフレッド
…
 デューリングの書いたもの(彼はベルリン大学の私講師だ)はなかなかのものだが、それは、僕が彼の師「ケア リ」をあまり厳しく叱ったので、いりそうひどいのだ。いろいろなことをデューリングは明らかに誤解している。だが、いちばんこっけいなのは、彼か僕をシュタインと対比していることで、そのわけは、僕は弁証法を駆使している が、シュタインは、おもしろくもないせんさく立てのなかで、二、三のへーゲル的範疇のおおいをかぶせながらじつ に些細なことを無思想に並べ立てているからなのだ。…
(註:シュタイン『国家学体系』『行政理論』他)

五 マルクスからエンゲルス(在マンチェスター)ヘ
        [ロンドン]一八六八年一月八日
 親愛なフレッド
 デューリングについて。「本源的蓄積」にかんする節をほとんど潰極的に受け入れているのは、この男としては大できだ。彼はまだ若い。ケアリの弟子として、自由貿易論者にたいしては正反対の立場にある。おまけに私講師だから、彼ら全員の道をさえぎっている教授ロッシャーが足蹴にされるのを悲しんではいない。僕には彼の叙述のなかで 一つのことがひどく目についた。すなわち、労働時間による価値規定がリカードにおいてさえそうであったように 「無規定」であるあいだは、それは連中を震えあがらせはしないのだ。ところが、労働日やその諸変化と正確に結び つけられるやいなや、彼らにたいしてまったく不愉快な新しい灯火が現われるのだ。思うに、そもそもデューリング がこの本の書評を書いたのは、ロッシャーにたいする悪意からだ。ロッシャーと同じに扱われることにたいする彼の 心配は、もちろん非常によく感知される。おかしいのは、彼がこの本の三つの根本的に新しい要素を感じ取っでいな いということだ。それは次の三つだ。(1)以前のすべての経済学が、地代や利潤や利子という固定的な形態をもってい る剰余価値の特殊な諸断片を、はじめから、与えられたものとして取り扱っているのとは反対に、僕は、まず第一に、 すべてこれらのものがまだ分解しないでいわば溶液状態で存在しているところの、剰余価値の一般的な形態を取り扱 っているということ。
 (2)商品が使用価値と交換価値との二重物だとすれば、商品に表わされる労働も二重の性格をもっていなければなら ない、という簡単なことを経済学者たちは例外なく見落としていたのだが、他方、スミスやリカードなどにおけるよ うな単なる労働への単なる分解は至るところで不可解なものにぶつからざるをえない、ということ。これこそは、じつに、批判的な見解の秘密の全部なのだ。
 (3)はじめて労賃が、その背後に隠れている関係の非合理的な現象形態として示され、このことが労賃の二つの形態 である時間貨金と出来高賃金とによって精確に示される、ということ。(高等数学ではしばしばこのような公式が見いだされるということは、僕の助けになった。)
 デューリング氏が価値規定にたいして出している控え目な異論についていえぽ、彼は第二巻では、価値規定がブル ジョア社会では「直接には」ほとんどあてはまらない、ということを知って驚くだろう。じっさい、社会の可処分労働時間がなんらかの仕方で生産を規制するということは、どんな社会形態でも妨げることはできないのだ。だが、この規制が、社会の労働時間にたいする社会の直接的意識的な支配——これはただ共同所有の場合にのみ可能だ——に よってではなく、諸商品の価格の運動によって実現されるあいだは、相変わらず、君がすでに『独仏年誌』のなかで まったく適切に途べたとおりの有様なのだ。
…

特にマルクスの五番の書簡は『資本論』の要点を伝えていて重要だ。

ちなみにマルクスからルートヴィヒ・クーゲルマンの手紙(1868年3月6日)にはデューリングへの悪口のあとにこうある。「…私としては、この男に感謝しなければならないのです。とにかくなにか言ってくれたのは、専門家では彼が最初なのですからね。」(34巻442頁)

エンゲルスもこの書評に関して「比較的に合理的な内容紹介」と『反デューリング論』(邦訳全集20、129頁、原著p115)で書いている。
両者が本気でデューリングを批判する気になったのは『哲学教程』1875年以降である。1876年5月の往復書簡(邦訳全集34参照)が参考になる。
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK03_34_00
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK03_34_00&p=58



参考:
http://www.emeraldinsight.com/journals.htm?issn=0144-3585&volume=29&issue=4&articleid=846205&show=html

Dühring, E. (1867), "Marx, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, 1. Band, Hamburg, 1867", Ergänzungsblätter zur Kenntniß der Gegenwart, pp.182-6.





Ergänzungsblätter zur Kenntnis der Gegenwart: 第 3 巻 - Google Play の書籍


https://play.google.com/store/books/details/Erg%C3%A4nzungsbl%C3%A4tter_zur_Kenntnis_der_Gegenwart?id=5Q1CAAAAcAAJ&feature=search_result#?t=W251bGwsMSwxLDEsImJvb2stNVExQ0FBQUFjQUFKIl0.

182-186

デューリングの資本論第一巻書評








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