2026年4月16日木曜日

リスト 政治経済学の国民的体系  1841

リスト 政治経済学の国民的体系  1841

https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/04/1841.html @


https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/477934891696227781


デイヴィッド・ヒューム(David HUME)1711-1776




【図書】 国民経済学体系
フリードリツヒ・リスト /著, 谷口吉彦 /共訳, 正木一夫 /共訳,     -- 改造社 -- 1938.01 -- 23cm -- 519p
    *
    * 本棚へ
資料詳細
タイトル 国民経済学体系
著者名等 フリードリツヒ・リスト /著, 谷口吉彦 /共訳, 正木一夫 /共訳,
出版 改造社 1938.01
大きさ等 23cm 519p
分類 331.5
件名 経済学-歴史学派
注記 Das nationale System der politischen Oekonomie.
書誌番号 1192005126
URL https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?bibid=1192005126
ページの先頭へ

【図書】 経済学の国民的体系
フリードリッヒ・リスト /著, 小林昇 /訳,     -- 岩波書店 -- 1970.12 -- 22cm -- 563,19cm
    * 予約申込
    * 本棚へ
資料詳細
タイトル 経済学の国民的体系
著者名等 フリードリッヒ・リスト /著, 小林昇 /訳,
出版 岩波書店 1970.12
大きさ等 22cm 563,19cm
分類 331.5
件名 経済学-歴史学派
注記 Das nationale system der polotischen o¨konomie
書誌番号 1195061347
URL https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?bibid=1195061347


グローバル恐慌の真相 (集英社新書) 新書 – 2011/12/16 

#4

▼ネイションを主体としたリストの保護主義

中野 『政治経済学の国民的体系』のなかで、リストは、ネイション(国民)とステイト(国家)の概念を明確に区別しています。彼は自分の理論をステイトではなく、ネイション、あるいはネイション・ステイト(国民国家)の政治経済学と位置づけているんですよね。

柴山 経済学者は、そこを区別しないで語ることが多いですね。

中野 そうなんです。でもネイションとステイトは別なんですよ。ステイトが政治的、法的な制度を指すのに対して、ネイションは、人々の集団であり、彼らの間の社会的、文化的、あるいは心理的な紐帯のことを意味するんですね。だから、リストは、自身の理論を「国民経済学」(ナショナル・エコノミー)と呼んで、国家の経済学とは異なるものだと明言したんです。


ところが、リストの経済学はよく重商主義と混同されて、重商主義と経済ナショナリズムは同一視されてきたんですよね。しかし、これはまったく違うものなのです。リストの政治経済学における主眼は、利益でも効用でもなく、国民が共有する「文化」なんです。さらにいえば、物質的要素と文化的要素は、相互に関連し、ともに発展できると彼は考えていたんですね。★

柴山 そのとおりですね。リストはあくまで国民主体の政治経済を語ったわけですね。保護主義を最初に体系化したのはリストですが、リストは明らかに、重商主義と保護主義は違うと言っています。これは簡単なロジックです。当時ドイツは農業国で、農産品を輸出すれば儲かったんです。しかし、リストは当時ドイツの主力産業だった農業よりも、自分たちがまだ不得意だった工業を優先させなければいけないと言った。重商主義的に言えば、得意分野の拡大に重点を置くわけですが、ドイツが安い農産品をヨーロッパに輸出できるからと、そこばかり強化していてはドイツの発展はないと、リストは主張したんですね。むしろ、今後必要となる工業の発展のために、国内の工業を保護して、農業の後押しだけをするという政策はやめるべきだと言ったんです。得意分野に特化するという重商主義に対して、国家の長期的な独立や、国家国民全体の繁栄のために、そのときの短期的に儲かる産業に投資するのではなくて、長い目で見て国民経済全体が発展するものを奨励することが保護主義であると、リストは言ったわけですね。もちろんリストは農業を切り捨てるべきだと考えていたわけではない。当時のドイツは零細農が多かったので、彼らを中産化するための農地改革が不可避だと考えていた。ただ、そのためにも都市の工業を育成する必要があったんです。これは保護主義が何を保護するのか、という問題に関わります。リストの目的は、当時はまだ国家統合がでできていなかったドイツの統一でした。そのためには国民を結合しなければならない。国民を結合させつつ、経済を発展させていかなければならないと考えた。その鍵となるのが、国民間の分業を進めていくこと。経済発展というのは国内で分業が進むことで、国内のいろんな産業が有機的に結びつくことが大事だと考えた。農業だけでなく、工業を育成しなければならないというのは、そういう文脈から理解される必要があります。分業が発展の基礎だというのは、アダム・スミスが最初に言ったことですね。仕事が分割されていき、その成果が交換されることでみんなが豊かになる。農家が自分で鋤や鍬をつくるよりも、都市の職人から買ったほうがいい。農作物を自分で売りに行くよりも、商人に任せたほうがよいという具合に、それぞれが専門分化していく。そうすると一つのことに特化していけばいいわけだから、生産性が上がりますね。これが経済発展の基本的なメカニズムだとスミスは言った。


経済発展は分業の拡大と深化だというスミスの説を、リストも認めるわけです。ただ問題は、どこまでが分業の範囲なんだということです。特に一八四〇年代のドイツはまだ国家として統一されていない。しかも国家としてまだ貧しい。その状態で分業が必要ですというと、じゃあドイツは農業を、イギリスは工業をやればいいじゃないか。交換すればお互い利益になるじゃないかという話になる。リストはそこに異議を唱え、国内で分業を発展させることが重要なのだと説いた。ドイツは農業だけでなく、工業もやる必要がある。国内の分業を進めていくことで、国民の結合をはかるべきだ。そのためには、ドイツはまだインフラストラクチャーが未熟なので、鉄道や道路を完備して、国民の結合と分業を促進させないといけないと主張したわけですね。

中野 保護主義というのは、特定の産業を保護しろという話じゃないんですよね。

柴山 そうなんです。日本で保護主義というと農業を保護するという話になる。もちろん保護すべきなんですが、それが目的なんじゃなくて、農業を含めた国内の分業や農民を含めた国民の結合を守るということのほうが大事なんです。



▼有形無形のナショナル・キャピタルに注目する
柴山 先ほどの、リストが注目したのが利益の論理ではなく、生産の論理だという中野さんの指摘は非常に重要だと思います。生産を行うのがとりあえず企業だとして、企業はその国の社会とか文化のなかで生産しているんですよね。そこで働く人はその国のなかで教育されているし、使われる知識はその国で蓄積されている。
 そういえばヒュームが「天文学の知識がないところで毛織物はつくれない」と言っていましたね。毛織物と天文学は直接、関係ないのだけれど、天文学のような高度な知識に高い関心をもつ国民でないと、すぐれた毛織物もつくれない。洗練された文化をもった国でないと、すぐれた産業は育たないし、創造性豊かな生産もない、ということですね。言いかえれば知識は、国民のなかで蓄積されている有形無形の資本のようなものだという考え方です。
中野 言わば「ナショナル・キャピタル」ですね。
柴山 そうです。リストが言ったことを別の言い方に直すと、国民の生産力の背後にはナショナル・キャピタルがあるということなんです。
 経済成長がなぜ起こるかという問いに、アダム・スミスは「労働生産性が上がること」という明晰な答えを出した。一〇人の労働者を使って一トンの小麦をつくっていたのが、五人で一トンの小麦をつくれるようになった。これが生産性の向上ですよね。その分、物の値段が安くなるし、賃金も増えて労働者の生活もよくなる。生産性の向上が経済成長の源泉であるということは、スミスの偉大な発見なんですよね。
 じゃあ生産性の向上はどうやって起こるの?という問いに対して、今の経済学は技術進歩と答える。では、どうして技術進歩が起こるのかとなると、実はちゃんと説明できていないんです。


デイヴィッド・ヒューム、田中敏弘訳『完訳版ヒューム道徳・政治・文学論集』名古屋大学出版会、二〇一一年


フリードリッヒ・リスト、小林昇訳『経済学の国民的体系』岩波書店、一九七〇年

リスト
http://nam-students.blogspot.com/2018/10/friedrich-list-1789-1846.html



★フィヒテについても同じことが言える。

遅れた国は国家主義をとらざるを得ない。ドイツ歴史学派の特徴だ。スコットランドの場合も同じだがドイツ以上にユダヤ人からの影響があり得る。

以下柄谷行人の指摘。

…こうしてドイツ国民は、共通の言語と思考様式をつうじて申し分なく結合し、他の諸民族から十分に確然と区別され、系統を異にする種族を分かつ塁壁としてヨーロッパの中央に存在しながら、他国からのあらゆる襲撃に対して自らの国境を防衛しうるだけの人口と勇気を保持しつつ暮らしていたのです(8)。  


(8) フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」第一三講演、細見和之・上野成利訳、ルナンほか『国民とは何か』インスクリプト、一四九─一五〇頁。 


 フィヒテは、ここでネーションを国家から区別している。国家が国境をもつのに対して、ネーションは「内的な国境」をもつ。そして、「内的な国境」が現実化されたとき、真に理性的な国家が確立されるのである。しかし、内的国境としての言語において、すでに理性的なものが感性化=美学化されていることは明らかである。逆にいえば、感性的なものが精神化されている。たとえば、言語(文学)を通して、山や川がナショナルな風景として美学化されるのである。


柄谷行人『世界史の構造』3:3:⑤


デイヴィッド・ヒューム(David HUME)1711-1776

政治経済学の国民的体系 : 国際貿易・貿易政策およびドイツ関税同盟 上巻



https://dl.ndl.go.jp/pid/3046686/1/113?keyword=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B9


占松を受け取ったのではなく他国民に比較してただ時間的に優越していたにすきぬ有力な国民と、同等の地位にこうとする一の手段であるかぎりーこの見地から考察すれば、保護制度は、諸国民の第極的同盟の、したがって式の自由貿易の最も重要な手段のようである。思うに、国民経済学はこの見地から言えば、諸国民の現在の利害と固有の決酸とを認め、いかにすれば各国民を経済発達の一定設!この段階において、発達度を同じうする他の諸国民との結合したがって自由貿易が、各国民によって可能となり有用となるであろうーに到達せしめうるかを教える科学である。

だが、学派は二つの学説を互に混同した。学派は諸国民の状態を純万民的則にしたがって物断し、生産諸力の万民的傾向を政治的理由から選認す

大きな誤器に陥っている。

生産諸力の万民的領向を誤認したから

マルサスは人口の増加を制限しょうとするが如き設認を犯すこと

ができー最近に至ってチャーマーとトレンズとが、資本の増加と無制限の生産とは害悪であり、それらに限界を与えることは一般の福利を促進するものである、という不思議な見解を発表することができ、シスモンデイは工場を以て公安を害するもの、と宝言することができたのである。かくてこの理論は自分の子供を一呑みにする悪魔に似ている、それは人口と資本と機械との増加から分業を生ぜしめ、分業から社会の幸福を説明しておきたがら、最後に至って、これらの力を目して国民の幸福を脅かす怪物と見している、というのは、その理合かただ個々の国民の現状のみを眼中に置き、地球全土の状態と人類のご来の進歩とを考慮に入れないからである。

人口は生活資料の生産よりも大きた割合で増加する、ということは真実でない。地球上には幾何とも知れぬ天

然力が数置されており、それを利用すれば、現在生存している十倍の人間が、恐らくは百倍の人間が強われうるであろうかきり、このような不均を仮定し、現は技巧的計算によりまたは弁的議論によって論証しようとするが如きは、少なくとも思かな話である。

一般に生産路力の現在の力をとって、一定地域に何の人間が生存しうるかを測るべき尺度となすのは、狭い考えである、かかる計算によれば、未開人や楽師や漁夫は百万人に必要な場所を、牧畜者は一千万人に必要な場所を、粗放的染家は一人に必要な場所を、それぞれ地球上に持ってはいなかったであちる。しかも現在=ーロッパのみに二億の人間が生存しているのだ。馬鈴薯と飼草との栽培および貴業一般における近来の改良は、生活資料を出すべき人類の生産力を十倍にも増加させた。中世において、イギリスでは一ニーカーの土地の小麦産額は図倍に増加し、今日では十乃至二十倍となっており、加ろるに耕作地は五倍以上に加している。しかるにイギリスの土地と同様の天然の豊沢性を有する多数のローロッパ諸国では、その額は今日四倍以上には増加していない。更にまた、誰が人類の発見と発明と改良とに限界を加えようとするのか。農業化学は未だ幼稚である、しかしながら明日にでもなんらかの新発明または新発見によって土地の産出力が五倍十倍になることなし、とは誰が保証しうるであろうか、現代でさえすでにわれわれは、アルテスの泉の中に、不毛の草野を肥沃の田野に一変せしめる手段を有している。その上なおどんな力が大地のふところに隠されているかわからない。試みにわれわれが新たな発見によって、現在知られている燃料の力をかりずに、至る所で安価に熱を作ることができるようになった場合を想像してみよ。それがためにどれだけ広い面の土地が作され、また一定面織の土地の生

第十一章 政治経済学と万民離済学

110W


第二篇理給

産力が不断にどれだけ増進せしめられることである

マルサスの学説は、その意図においては限定的なものの

ようにわれわれには思われるが、その手段においては自然に背くもの、論理と力とを殺すもの、恐るべきものとして現れる。それは、自然が人間をしてその肉体と精神とを緊張せしめ、その尚な感情を喚起・脊成せしめるために最も有効な手段として使用する動ー人類がその進歩の大部分をそれに負わなければならないところのその衝動を、殺そうとする、それは最も無情な利己主義を法則にまで引き上げようとするものであり、またえている者に食物や飲物を与えれば、恐らく三十年以内に他の者がかれの代りに加えるに相途なかろうという理由で、その飢えている者に向ってわれわれの心を閉じることを要決する。それは打算を同情に置きえようとする。

この学説は人間の心を石に変化させるであろう、しかしながら、各人がその胸のうちに心のかわりに石を懐いているような国民から、結局何が期待されようか、国民のすべての道徳、したがってまたすべての生産力・すべての賞・すべての文明および勢力の徹底的改落以外に、何が期待されようか。

ある国民においてその人口が生活資彩の生産よりもおり多く加する場合、結に資本がひどく増加してもはやその国民の中ではその使途が見出されたい場合、機械が大人間を失業せしめ製品が過剰をきたす場合、これらの場合は知ち、自然は工業・文明・富および勢力をある国民にだけ与えるを欲したいということ、また排作し

うべき地上の大部分は動物のみの棲む場所となっていて人類の最大多数は然として未開と無知と貧困とに沈んでいるということ、の証拠にすぎない。

学派が人類の生産力を政治的見地から判断することによっていかなる割に踏ったかは、われわれの説明した

ところである。今やわれわれは、学派が諸国民の特殊利益を万民的見地から考察することによって犯した教をも、指摘しなければならない。

北アメリカ合衆国に成立しているような諸国民の同盟が実際に成立するとすれば、人口・才能・熟および数

質的資本の過刺部分は、あたかもそれがアメリカ合衆国の東部諸州から西部諸州へ流入するよろに、イギリスがら大陸路国へ向って逃れて行くであろう。但しそれには、生命および財産に関する同一の保証・同一の法および同一の一般的法律が大陸路国に存在するということ、またイギリス政府が世界的連合の総休志に展従するということ、この二つを前提とする。この前提の下では、これらの諸園とイギリスとを富と文明との同一段階に高めるための手段としては、自由賀場に勝るものはないであろう。これが学派の論拠である。ところが、現在の世界情勢の下では自由貿易の作用はどうであろうか、

自主的な・それ自体においてまとまれる国民としてのプリテン人は、以後その国民的利益を以て政治の準一の指針とするであろう。イギリス人は、その言話を、その法律および講度を、その横習を確受して、その力とその資本とをできるかぎり国内産業に投するであろう。なぜならば、自由易はそれがイギリスの製造品市場をあらゆる諸国にまで拡大することによって、そうする会をイキリス人に充分与えるからである。イギリス人がフラソス波はドイツに工業を起そうと思いつくのは容易なことではなかろう。通刺本はすべて、以後イギリスでは世界の未知の地方との貿易に利用されるであろう。イギリス人は、移住したりその資本をイギリス以外の他の場所へ投下したりする場合になると、隣りの大陸諸国を選ばずに現在のように先ず自国の言路・自国の法律および

第十一章 政治経済学と万民能済学

10X



https://dl.ndl.go.jp/pid/3046687


IMG_6027.jpeg

IMG_6028.jpeg



カントはスミスの貨幣国定説、租税貨幣論を受け継いでいるが、柄谷は労働価値説を受け継いでいるという。これは誤読である。

フィヒテの表券主義からは金属主義に見えるが、カントの租税貨幣論は一般常識的に正しい。


トラクリ2:2:④文庫版327~328


リストのリカード批判は、

 ・F. List(1959), Das nationale System der politischen Ökonomie : Volksausgabe auf Grund der Ausgabe letzter Hand und Randnotizen in Lists Handexemplar, Kyklos-Verlag, p.310(邦訳:フリードリッヒ・リスト『政治経済学の国民的体系 : 国際貿易・貿易政策およびドイツ関税同盟』正木一夫訳、勁草書房、1965年、[下]441頁)


https://dl.ndl.go.jp/pid/3046687/1/83?keyword=リカード


https://dl.ndl.go.jp/pid/3046687/1/83

IMG_6126.jpeg

IMG_6124.jpeg


といえどもなお、数千年後に社会の奴隷が鉄や鍋や真館で製造されるであろうなどとは、予想することもできなかった。またキケロの精神といえどもなお、印刷術が代議制度を全国に、否、恐らくは全世界・全人類の上におし広めることができようなどとは、予想することもできなかった。しかしながら、二・三の偉大な智者があって、あたかもキリストが奴隷の解放を予想した如く、将来数千年のあらゆる進歩を予想したとしても、各時代にはそれぞれ特殊の任務が存する。しかしわれわれが生をけている今日の任務は、人類をフーリエの調う同住共産主義の中へ粉砕し個人の精神的および肉体的享楽をできるかぎり平等にする点にあるのではなくて1あらゆる国々の生産力・精神的文化・政治状態および勢力を発達せしめ、できるかぎりの平等化によってそれらの国々をして世界連合へ入るの準備となす点にあるようである。何となれば、現在の世界情勢の下においてかの同住共産主義によって彼等の使徒が目指した目的」最も手近かな目的が達せられたとしても、彼等は国家の勢力および独立にいかなる作用を与えるであろうか。そして同住共産主義の中で粉砕された国民は、旧状を継続している後進諸国民によって征服せられ、彼等の以前の創造物はそのすべての国民性とともに滅亡するの危険に演しないであろうか。


 今日では交換価値論はあまりにも無力となり、ほとんど取ら地代の性質の研究のみを行なっており、リカードはその「経済学原理」(Principles of Political Economy”)の中で次の如く述べることができたのである。「土地の収益を地主と小作人と労働者とに分配するところの法則を定めることが、経済学の主要任務である」と。

 この学間は完成されていてこの上付け加えらるべき本質的なものは何もない、という気休めの主張を或る人はするが、この書物を哲学的或は実践的見地から読む人は、かく主張するであろう。政治経済学なるものは未だ全

く存在しない。この学間は更にはじめから形成されなければならない。今日まではそれは単に占星術にすぎなかった。しかしそれより天文学を導き出すことは可能でありまた望ましいことであると。

 後に、誤解を受けないためにわれわれが注意しなければならないことは、J・B・セイならびにその先行者および後雑者の著作に対するわれわれの批判は、国民的および国際的関係に及んだのみであって、二義的な学説の形成に関してはその価値をそのままにしておく、ということである。或る著者は、学問の個々の部門に関しては極めて価値ある見解や演繹法を提出するが、それにもかかわらず、かれの学説の土台が全く間違っている場合のありうることは、明らかである。


第三十二章続きジャン・バティスト・セイとその学派

第三篇 学説


政治経済学の国民的体系 - Wikipedia

政治経済学の国民的体系』(Das nationale System der politischen Oekonomie)とは1841年にドイツの経済学者フリードリッヒ・リストによる研究である。

概要

1789年にドイツで生まれたリストは幼稚産業論を主張し、スミスやリカードによって主張されてきた貿易自由化の議論に異議を唱えた経済学者である。リストが生まれた当時、ドイツの工業はイギリスの製品が大量に輸入されたために壊滅的打撃を受けた。そのためリストは国家の産業を育成するために貿易自由化を規制する必要を論じた。本書『政治経済学の国民的体系』とは観察、理論化、比較、政策提言から成り立っており、貿易自由化を批判している。

段階的発展

経済発展が段階的に前進することを指摘している。つまり農業が基盤にある経済で工業が確立されるためには科学技術の知識が導入されなければならず、また生産手段を準備する必要もある。つまり産業として工業が自立するためには時間がかかる。これをリストは「幼児や少年が格闘で強壮な男子に打ち勝ちがたい」と述べており幼稚な産業を自由競争に晒せば発展が阻害されると考えた。リストは経済発展のモデルとして未開状態、牧畜状態、農業状態、農工業状態、農工商業状態の五段階を提示した。まず農業によって国家の経済的基盤を確立すれば、工業を振興するための条件を整えることができる。ただし工業の発展のためには知識、技能、熟練が必要であるために政府によって保護しなければならない。重要なことは工業を育成することであり、国内の工業が需要に対する供給能力を備えれば、保護関税は段階的に廃止する。最終的には自国の工業が自由貿易によって駆逐されない程度に発展すれば、貿易の制限を撤廃することもできる。

精神的側面

経済の物質的側面だけではなく精神的側面にも着目しなければならないと論じている。それは社会関係や制度、そして産業の基礎となる知識体系である。スミスが『国富論』で明らかにした分業とは生産法の共有という社会関係が機能して初めて成立するものである。これをリストは精神的な国民資本として重要視しており、教師行政官などによって蓄積されることが経済発展には不可欠であると考えられる。

邦訳

  • 正木一夫訳『政治経済学の国民的体系』勁草書房、1965年
  • 小林昇訳『経済学の国民的体系』岩波書店、1970年(オンデマンド版、2014年 ISBN 9784007301506

0 件のコメント:

コメントを投稿