アントヌッチ証言の肝は123便が横田基地に着陸を試みていたことを傍受していた点である。 
以下『永遠に許されざる者』(小田周二75頁)より 

 《さらにアントヌッチ中尉は周波数を横田基地・事故機の会話周波数に切り替え、中尉の搭乗するC-130は「Okuraで 
ホールデイング(待機)する」よう指示されている。そしてこの旋回待機中に、米軍の横田管制が日航123便に「横田基地 
への着陸を許可する」のをアントヌッチ中尉は聞いている。 

〈We heard Yokota Approach clear JAL123 for landing at the base.〉[1995年7月「星条旗」] 

 この時から、アントヌッチ中尉らは日航機の非常事態を一層真剣に注視するようになったのである。事実、日航123便の 
緊急事態は相当深刻であった。中尉は「めったにないことだが、日航パイロット(高濱機長)は米軍基地への着陸を要求した」 
との内容を傍受したことを証言している。》