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小田周二、 青山透子、 森永卓郎
高浜機長他3人のクルーはエンジン出力の上げ下げなどで機体を巧みにコントロールしていた
日航123便は垂直尾翼の大部分が吹き飛び、また油圧系統も機能しなくなり、極めて操縦が困難になる中、エンジンパワーの上げ下げ、および、フラップ、ギアなどの操作により、奇跡的にコントロールを維持して行きます。これは高浜機長以下クルーの極めて高度な技術によるものと思われます。 機体の揺れはあるものの、ひとまず墜落などの危険はそれほどなくなったようです。

高浜機長らはエンジン出力の上げ下げだけで機体を巧みにコントロールしていた
横田基地に緊急着陸を試みるが
大月市上空で旋回し、高度を落として横田基地に緊急着陸を試みますが、この時追尾してきた2機の自衛隊のF4ファントム戦闘機から横田基地に着陸しないようにという、命令というより、脅しともとれるような強い指示が出されます。 おそらく人口密集地に緊急着陸すると、着陸に失敗した時、住民に大きな被害が出るから、人口の少ないところに不時着するように、といったものではないかと思われます。
山岳地帯に向かう
高浜機長は何度もこのまま横田基地に着陸することを懸命に懇願しますが、聞き入れられず、高浜機長はやむなく一旦自衛隊機の指示に従って北の方向を変えて、そこから逆方向で横田基地へのアプローチを試みます。それも自衛隊機の幅寄せ、あるいは撃墜の脅しなどにより、強制的に阻まれ、指示通りに最終的に墜落現場となる長野県と群馬県の県境の山岳地帯に向います。

123便は横田基地への緊急着陸を断念した後、"御巣鷹の尾根"と呼ばれる墜落現場へと向かう。それは長野県川上村のレタス畑に不時着するためで、ほぼ一直線にその方向に飛んでいて、決して機体をコントロール出来ずに、たまたまそっちの方に飛んでいったわけではない。
123便は迷走などしていなかった
これらのことにより、はっきりわかるのは、123便は高浜機長らによって飛行をコントロールされていたと言うことです。報道等では123便はコントロールを失し、迷走して山岳に衝突したようなニュアンスで伝えていますが、飛行経路を見ても、123便は横田基地緊急着陸を断念した後は、まっすぐ墜落現場の方に向っています。決して迷走などしていなくて、はっきりと墜落現場となる地点に向かったと思われます。
川上村のレタス畑に不時着する予定だった
その目的は、現場の長野県側に川上村というところがありますが、そのに広いレタス畑があり、そのに不時着することだったと思われます。おそらく自衛隊機は、その機体の状態では横田基地への緊急着陸は付近の住民を巻き込む可能性がある。川上村のレタス畑であれば、失敗した場合でも住民を巻き込むことはないから、というように進言したのでしょう。高浜機長としては、安全に横田基地に着陸する自信があったのでしょう。

長野県川上村の広いレタス畑 123便の高浜機長はここに不時着するつもりだった
不時着予定地を低空飛行で確認し、不時着にに入ろうとした時
123便はその後、19::00直前、おそらく18:50前後くらいに長野県川上村のレタス畑の上を低空で旋回し、それは多くの住民が目撃しています。そこで着陸地点を確認した後で、燃料の投機を行い、不時着を試みるべく一旦群馬県の上野村方向に向け、山岳地帯の上空を飛行している時、18時56分30秒に、現在 "御巣鷹の尾根" と呼ばれる地点に墜落しています。
この御巣鷹の尾根という場所は、群馬県上野村で、御巣鷹山(標高1639m) と高天原山(1978m)とほぼ中間点くらいにあり、標高1565m前後の地点です。事故後に上野村村長、黒沢丈夫氏によって名付けられました。

オレンジの線は小田氏の著書に従って、私が書き入れたもの、あまり正確ではない。 ちょっとギザギザしてしまったが、もちろん実際にギザギザ飛んでいたわけではない。 123便は低空飛行で川上村のレタス畑を視認した後、急上昇して(高度3000mくらい)三国山、高天原山、御巣鷹山と尾根伝いに飛び、御巣鷹山付近でUターンし、おそらくそこから三国山と高天原山の間を通って、再びレタス畑にアプローチを試みるつもりだったと思われる。 しかし御巣鷹山でUターンした後、追尾していたファントム機から第4エンジンをミサイルで破壊され、右旋回しながら急降下して墜落した。 しかし墜落直前に123便は奇跡的に一旦水平を保ち、真っ逆さまに墜落したわけではなかったようだ。 4人の生存者がいたのも、最後の水平飛行のためと言われている、なんというクルーの執念だろうか。
大きな衝撃の後、急降下した
この頃には再び2機のファントム戦闘機が再び123便を追尾していいて、それを多くの住民が目撃しています。 生存者の落合由美さんの証言によれば、墜落の直前に大きな衝撃(横揺れ)があって、その後機体が急降下したことを証言しています。 「そしてすぐに急降下が始まったのです。全くの急降下です。真っ逆さまです」 と落合さんは証言しています。
フライト・レコーダーにも墜落直前の急激な揺れは記録されているそうで、また地元の住民からは 「流れ星のようなものが飛行機の後を追いました」、 「飛行機は煙や炎を吐きながら落ちてゆきました」 といった証言もあります。

123便の墜落現場(御巣鷹の尾根)
テレビでは水平飛行している123便が、樹木にエンジンをひっかげて墜落している映像が流されていたが
テレビの報道などでは、123便が水平飛行中にコントロールを失って尾根に激突したような表現をしており、再現映像もそのようになっています。 しかし目撃者の表現では、煙や、炎をあげながら落ちて行った(ぶつかったのではなく、"落ちて行った")と証言しています。落合さんの証言からも、123便は明かに"撃墜"されていることが示唆されます。
ご想像の通り
ではなぜ、123便は墜落したのか? それは皆さんも想像ついていると思いますが、追尾していた自衛隊の戦闘機がミサイルで撃ち落とした訳ですね。撃ち落としたと言っても、大きなミサイルで旅客機を木っ端みじんにしてしまえば、当然証拠が残ってしまう。そこで破壊力の弱いミサイルを第4エンジン(4つあるエンジンのうち、最も右側のエンジン)に当て、墜落を導いた訳です。
小田氏は追尾していたファントムではなく、別のF15戦闘機がミサイルを撃ち込んだと書いていますが、そのF15については目撃情報はないようです。
第4エンジンを破壊され、右回転しながら急降下した
突然第4エンジが機能しなくなれば、機体は右下方向に旋回することになります。通常であれば、それでも機体を立て直せたかもしれませんが、何と言ってもパワーの上げ下げしか出来ない状態です、さらに第4エンジンの破壊と共に水平尾翼も脱落し、どうすることも出来なくなっていました。
水平尾翼があまり破壊された様子がなく、墜落現場から少し離れた地点に落ちていたのと、第4エンジンの破壊状態から、そうしたことが推測されるそうです。樹木に引掛けたくらいでは、そのように破壊されることはないそうです。
クルーの執念で、一旦水平を保った
確かに123便は第4エンジンを吐かされた後、右旋回し、急降下したのですが、そのまま真っ逆さまに山肌に激突したわけではなく、なんと墜落直前に一旦水平飛行を復活させたようです。水平状態で尾根に衝突したわけですね、奇跡的に4人の生存者が出たのも、この最後の水平飛行によるものらしいです。真っ逆さまに墜落していれば、それはあり得なかったことになります。
高浜機長らの高度な操縦技術と使命感の強さは筆舌に尽くしがたい
それにしても、何というクルーのパイロット魂なのでしょうか、本当に最後の最後まで諦めずに、少しでも命を守ろうと、懸命な機体操縦を行った訳です。極めて過酷な条件の中、機体をコントロールした奇跡的な操縦技術は称賛されるべきでしょうし、最後の最後まで命を守るために諦めなかった精神は、ただただ頭の下がる思いです。
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