わずか5分のやり取り。だが、それまで管制との交信記録などから、調査官は機体右のドアの破損が原因と考えており、「早い時点で重要な口述が得られたのは好運であり、その後の調査の助けとなった」と振り返っている。
重要な証拠をゴミ袋へ
事故から2日後の14日午後…
https://www.asahi.com/articles/AST883TNDT88UTIL01HM.html第6回 重要な証拠、調査官はゴミ袋に入れた 手記から浮かぶ日航機墜落事故
1985年8月に日本航空(JAL)のジャンボ機が墜落し、520人が死亡した事故では、国の航空事故調査委員会(現・運輸安全委員会)から17人の調査官が事故原因の解明にあたった。
うち11人は数年後、事故の教訓などを生かすためにそれぞれの思いをつづり、ひそかに手記集としてまとめていた。事故から40年の節目に入手した全172ページの手記から、事故直後の生存者の証言や水面下でのやり取りをたどった。
「谷底に塵のようになった残骸の山」
8月12日午後6時56分ごろ、羽田発大阪行きの日本航空のジャンボ機123便が上空で操縦不能になり、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落。乗客・乗員520人が死亡し、4人が重傷を負った。
手記集は、ジャンボ機が墜落した12日夜から始まる。現場が長野県か群馬県か分からないまま夜が明け、自衛隊のヘリで上空から事故機を見たある調査官は、その光景をこう記す。
〈墜落場所と思われる所には、主翼が一枚見えるが、もう一枚の主翼と胴体が全く見当たらない。はるか谷底に塵(ちり)のようになった残骸の山が見えるだけだ。〉
〈これまで、いろいろな事故を見てきたが、こんなに壊れかたがひどく飛行機の形の残っていない事故現場は始(初)めてだ。〉
事故翌日、生存者の証言
13日午前11時40分ごろ、宿舎の広間で「生存者発見」のニュースが流れた。生存者4人のうちの1人、日本航空のアシスタントパーサーだった女性(当時26)は運び込まれた病院で、調査官に重要な証言をした。
〈「あのう、デコンプ(急減圧)があったんです」〉
〈「ドアは飛ばなかったんですが、後の天井付近が壊れて…」〉
わずか5分のやり取り。だが、それまで管制との交信記録などから、調査官は機体右のドアの破損が原因と考えており、「早い時点で重要な口述が得られたのは好運であり、その後の調査の助けとなった」と振り返っている。
原因究明の鍵を握る重要な証拠を、調査官はゴミ袋に入れていました。一体、なぜなのか。記事の後半では、調査報告書に盛り込まれなかったある「証拠」をめぐる裏話を、当時の調査官が取材に初めて明かしています。
重要な証拠をゴミ袋へ
事故から2日後の14日午後…
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