2020年8月2日日曜日

Think Globally, Act Locally


Think Globally, Act Locally
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/08/think-globally-act-locally.html @
病という意味
https://nam-students.blogspot.com/2020/03/blog-post_31.html?m=1

The Wooing of Earth (ペーパーバック) 

Rene J. Dubos (著)
地球への求愛 (日本語) 単行本 – 1990/1/1 ルネ デュボス (著), 長野 敬 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4783511519/
https://www.amazon.co.jp/dp/4783510849/


2007年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまり知られていないが、これは有名な「Think Globally, Act Locally」*という言葉の出典となった書籍である(原著の出版自体は1980年だが、これは講演録なので、言葉自体はもっと古い。1970年代にはデュボスは環境運動に転じていたのだ)。
一微生物学者(こちらの専門書の方が興味深い)が、晩年になって文明批評家に転じた訳だが、そこにはオルタナティブなヴィジョンがあったことを銘記すべきだろう。


*#8人類と地球 邦訳初版178頁★

   Think globally,       
     /◣ 
____/_█◣______ 
◥██◤_/◣_\Joy     
 ◥◤ ◥█Love/   
 /\/_◥◢█◣◢◣ 
Nature__◢██◣  
    ◥█ / 
     ◥/ 
    act locally





*2 地域系について
関心系に参加した者は、自動的に、各自が居住する、あるいは活動する地域に登録される。そのことで、それまで同地域にいながら互いに疎遠であった人たちが結びつくことになる。逆に、地域でのつながりからNAMに参加する者は、同時に、関心系に属することで、地域を超えることになる。ところで、別の観点から見れば、関心系も、物理的な地域空間ではないが、位相空間として「地域」であるといってよい。諸個人は一定の地域に属すると同時に、関心系などの位相空間においてグローバルな「地域」に属している。NAMは、このような多元的「地域」からなるリゾーム的アソシエーションであって、国際連合や「インターナショナル」のように国家を単位とするものと異なっており、また、たんなる諸個人の国際的ネットワークとも違っている。NAMは、Think globally, act locally というようなスローガンをわざわざ唱えないが、組織原則においてそれを実現する。たとえば、NAMは先ず日本において始められる。しかし、NAMは根本的にトランスナショナルな組織であって、空間的に限定されるものではない。NAMがグローバルなアソシエーションとなったとしても、以上に述べた原理は不変である。そのとき、「日本」は一つの地域と見なされる。
その意味で、われわれは地域系よりも関心系を重視する。地域系から出発すれば、ローカルな閉鎖性や排他性に陥りやすいからである。しかし、このことは地域、あるいは現実の生活空間を軽視することではない。関心系から始めることによって、地域があらためて重要な意味を帯びる。たとえば、NAMが何かのプロジェクトを構想するとき、それは先ずサイバースペースに存在するチーム、すなわち複数の関心系セクションの間でのネットワークにおいて討議検討されるが、それを実行する段になると、現実のスペース、すなわち、地域の人々の協力が不可欠である。さらに、地域での実践の経験がプロジェクトチームをへて,各関心系へとフィードバックされ,そこでさらに問題点が討議されることになる。このように、関心系と地域系は具体的プロジェクトを媒介にして相互に補完しあう。



Moberg
http://press-files.anu.edu.au/downloads/press/n4068/pdf/article07.pdf Human Ecology Review, Volume 23, Number 2, 2017 Think globally, act locally Without a doubt the most famous maxim of the twentieth-century environmental movement, this phrase emerged as the world moved from the local euphoria of the f irst Earth Day to the global environmental challenges considered at the 1972 United Nations Conference on the Human Environment. British economist Barbara  Ward and Dubos (1972) prepared the conference’s conceptual framework, called  Only One Earth: The Care and Maintenance of a Small Planet. In a lecture Dubos (1973) gave at an unofficial forum during the Stockholm conference, he said: In practice a global approach is needed when dealing with the problems of the spaceship earth which affect all of mankind. But local solutions, inevitably conditioned by local interests, are required for the problems peculiar to each human settlement. (p. 42) T he actual four-word motto first appeared six years later, in a 1978  EPA Journal interview (Temple, 1978). T his iconic phrase spread so quickly and universally that very few people know that it originated with Dubos. It galvanized innumerable crusades by grassroots activists, nature organizations,  and political campaigns and continues to proliferate on bumper stickers, billboards, lapel buttons, and tee-shirts. “Think globally, act locally” was used sparingly by him, although he enhanced its ethical implications in his penultimate book,  The  Wooing of Earth, in 1980. He wrote: Ecology  is  nothing  more  than  the  study  of  interrelationships  between  living  things and their environment; it is therefore ethically neutral. These relationships, however, are always influenced by the human presence, which introduces an ethical component into  all  environmental  problems  … ecological  thinking  must  be supplemented  by humanistic value judgments. (Dubos, 1980, p. 157) When this book was translated into French, it won the  Prix Littéraire Eugène Le Roy. At the award ceremony, French President  Valéry Giscard d’Estaing saluted Dubos in person for espousing an “écologie civilisatrice” and remarked that ecology was no longer only a defensive effort but now a civilizing force “where nature needs man who can alone reestablish the natural equilibrium compromised sometimes by his own actions” (Giscard d’Estaing, 1980).3 T he important legacy of Dubos’s human ecology in “Think globally, act locally” resides in its spirit of practicality infused with a sense of environmental citizenship. Between abstract awareness and concrete action, between imagination and experience, lay its decree that Earth housekeeping and Earth health begin with human beings. Local was not necessarily a place; it was also Dubos’s way of saying 3 72  This prize was one of three  Prix Sully Olivier-de-Serres  awarded in 1980.
that what seems small and personal can have profound implications, and that what seems right is worth doing. For this reason, the motto’s concept remains practical and empowering. As much as any individual of the twentieth century, Dubos became the conscience of health. His ability to think ecologically allowed him to accept and expect nature’s changes, grasp its complexities, and fathom paradoxes in health and disease. With broad  vision, he conceived of a  human science of  ecology in  which human health is symbiotic with the Earth’s health, and both had to be evaluated in light of human needs, tastes, and aspirations. Reaching beyond conventional gloom with heartening belief in diversity, resilience, and innovation, he suggested ways to preserve, enrich, and create healthy individuals and environments. The essential biotic view of humans and Earth, to rephrase his grand motto, is think ecologically, act ethically.  To whichever ecosystem Dubos applied his thinking, his integrative wisdom focused on seeking health. As a good doctor, he practiced and preached ecology as a healing art.





 人間社会は、少なくとも環境条件と同じくらい技術的条件の影響を受ける点で自然生態系と異なっ
ている。にもかかわらず、人間と自然の系の間には示唆に富んだ類似点もある。生物学的多様性がダ
ーウィン的進化を促進させるのと同様に、文化的多様性は社会の進歩に欠くことができない。このよ
うに考えると、世界各地で民族集団や人種集団が自らを主張し、自治権を取戻しはじめていることは
おそらく幸いなことなのだろう。それによって、文化的多様性と創造的な社会変化の速度が増すかも
しれないからである。

 しかし社会の脱集中化の傾向が強まったとしても、それと同時にある種の人間の活動、特に交通そ
の他のコミュニケーションに関するものや、大規模で複雑な技術に依存するものなどは、世界的なス
ケールに広がるだろう。したがって私たちは、人間と地球の間に、次第に二元的な関係を作りだして
いくのかもしれない。つまり一方では、精巧な科学に基づく高度に自動化された技術の利用によって
管理の集中化が進み、もう一方では、地城レベルで人間の生活により密着した脱集中型の管理が行な
われるというわけである。将来の一般的な管理の方式は、地球的に考え地域的に行動するということ
かもしれない
 地球的な考えと地域的な行動には、どちらにも生態系に対する理解が要求されるが、生態学的管理
は、私たちと地球を結びつけている肉体的、精神的価値を考慮に入れた上で、はじめて効を奏するの
である。科学的に定義すると、生態学とは生物とその環境間の相互関係の研究にほかならない。した
がって倫理的には中立の立場にあるわけである。しかしこれらの関係は人間の存在によってたえず撹
乱をうけるので、あらゆる環境問題に倫理的要素が導入される。私たちの行動の性質いかんで、環境
変化の程度や方向が決まるのだから、生態学的な考え方は、私たちの選択や行動が人類と地球の関係
の質にどんな影響をおよぼすかという人間的な価値判断によって補われなければならない。現在はも

ちろん、未来についても同様なことが言える。至高者に義務あり。




   Think globally,       
     /◣ 
____/_█◣______ 
◥██◤_/◣_\Joy     
 ◥◤ ◥█Love/   
 /\/_◥◢█◣◢◣ 
Nature__◢██◣  
    ◥█ / 
     ◥/ 
    act locally 











ルネ・デュボス(René Jules Dubos、1901年2月20日 - 1982年2月20日)は、アメリカ合衆国細菌学者病理学者、環境保護活動家、人道主義者。フランスのサン・ブリス・スー・フォレ生まれ。 

業績







ルネ・デュボスは人生の多くの時間を微生物の研究、および人類の福祉に影響する環境および社会的なファクターの分析に捧げた。一定の土微生物から抗菌性の物質を分離することにおける彼の開拓研究は、主要な抗生物質の発見をもたらした。彼は先駆的な研究を実行し、結核肺炎、および取得された免疫、自然な感受性、および抵抗のメカニズムを感染に含む多くの主題において広く書いた。公衆衛生のハーバード・メディカル・スクールとハーバード学校で彼が比較病理のジョージフェービアン教授および熱帯の医学の教授であった時の1942から1944までの期間は別として、彼の科学のキャリアは医学研究のためのロックフェラー研究所に完全に費やされた 後でロックフェラー大学に新しく名前をつけた。 
後の方の年、デュボスにおいて、環境の力の相互作用、および人類の物質的で、精神的で、スピリチュアルな開発を探究した。彼の人本主義的な哲学の主要な主義は下記であった:グローバルな問題はローカルな状況により制約されて、選択、社会的な発展のため、私達は人の行動を考え直すことができて、生態学的に釣り合いが取れた環境を促進するために、方向を変更しなさい。未来は楽観的である。なぜなら、人命と自然は弾力があり、私達は、それにますます気づいたからである自然な力および人の活動、および私達に固有の危険は、私達の成功から利益を得て、他の同時代の環境問題を解決することに学ばれたレッスンを適用できる。
デュボスはしばしばポピュラーな格言の作者として帰されている グローバルな環境問題が、私達のローカルな環境のエコロジカルで、経済、および文化的な違いを考慮することだけによる行動に変るかもしれないという主張を参照する「法をローカルにグローバルに考えなさい」 。デュボスがアドバイザーとして1972国連人間環境会議に勤務した6年後に、この標語は1978年に初めて出現した。1979年に、デュボスは、エコロジカルな意識が家から始まることを提案した。彼は、世界注文 in which 「自然なおよび社会的なユニットは、それらのアイデンティティーまだ通信の豊かなシステムを通る互いを持つ相互作用を維持するか、または取り戻す」 の作成を勧めた。1980年代に、デュボスは演技の彼の考えをローカルに固守し、それらの「ユニークな物質的で、気候、および文化的な文脈」において、環境に関係する問題が扱われなければならないと思った。人々と地球の間の弾力があり、建設的な関係を築くことへのデュボスのアプローチは共鳴し続ける。
学年度1963--1964および1964--1965の間、彼はウェズリアン大学の高度研究のためのセンターで仲間であった。彼は、1980年に彼に敬意を表して専門であった人環境、非営利的な教育、および研究組織のためのルネデュボスセンターの評議員の会長として勤務した。ウィリアムとルースEblenにより共同設立されたセンターという任務は、「環境の問題の解像度のための公式化方針および環境の価値の作成について一般大衆と意志決定者を補助しなさい。」にである。デュボスは1982年に彼の死までセンターに活動的に没頭し続けた。彼は、また、現在一般大衆、1949から1952までがそれ科学&のための社会として知られている科学サービスの理事会において勤務した。

著書







  • The Bacterial Cell in its Relation to Problems of Virulence, Immunity and Chemotherapy, 1945, Harvard University Press
  • Louis Pasteur, Free Lance of Science, 1950, 1960, Charles Scribner's Sons, Da Capo Press 1986 reprint of 1960 edition: ISBN 0-306-80262-7
  • The White Plague: Tuberculosis, Man, and Society, 1952, Little, Brown, and Company, Rutgers University Press 1987: ISBN 0-8135-1224-7
  • Biochemical Determinants of Microbial Diseases, 1954, Harvard University Press
  • Man, Medicine, and Environment, 1968, Praeger
  • Mirage of Health: Utopias, Progress & Biological Change, 1959, Rutgers University Press 1987: ISBN 0-8135-1260-3
  • Pasteur and Modern Science, 1960, Anchor Books, American Society of Microbiology edition with new chapter by Thomas D. Brock, 1998: ISBN 1-55581-144-2
  • The Dreams of Reason: Science and Utopias, 1961 George B. Pegram lectures, Columbia University Press
  • The Unseen World, 1962, The Rockefeller Institute Press
  • The Torch of Life: Continuity in Living Experience, 1962, Simon and Schuster, Touchstone 1970 reprint: ISBN 0-671-20469-6
  • Man Adapting, 1966, Yale University Press, ISBN 0-300-00437-0, enlarged edition 1980: ISBN 0-300-02581-5
  • So Human an Animal: How We Are Shaped by Surroundings and Events, 1968, Scribner Book Company, Transaction Publishers 1998 edition: ISBN 0-7658-0429-8 (won the 1969 Pulitzer Prize for non-fiction)
  • Reason Awake, 1970, Columbia University Press, ISBN 0-231-03181-5
  • Only One Earth: The Care and Maintenance of a Small Planet, 1972, coauthored with Barbara Ward and United Nations Conference on the Human Environment, W W Norton & Co, ISBN 0-393-06391-7
  • A God Within, 1973, Scribner, ISBN 0-684-13506-X
  • Of Human Diversity, 1974, Clark University Press, ISBN 0-914206-24-9
  • Beast or Angel: Choices That Make Us Human, 1974, Scribner, hardcover: ISBN 0-684-17608-4, paperback 1984: ISBN 0-684-14436-0
  • The Professor, the Institute, and DNA: Oswald T. Avery, His Life and Scientific Achievements, 1976, Paul & Company, ISBN 0-87470-022-1
  • The Wooing of Earth, 1980, Scribner, ISBN 0-684-16501-5
  • Quest: Reflections on Medicine, Science, and Humanity, 1980, Harcourt Brace Jovanovich, ISBN 0-15-175705-4
  • Celebrations of Life, 1981, McGraw Hill, ISBN 0-07-017893-3
  • The World of René Dubos: A Collection from His Writings, 1990, Henry Holt & Co, ISBN 0-8050-1360-1

受賞歴








日本語訳著書







  • 『細菌細胞 細菌の生物学』川喜田愛郎訳 岩波書店 1952
  • 『感染から発症への生化学』石田名香雄,日沼頼夫共訳 日本教学出版 1958
  • 『健康という幻想 医学の生物学的変化』田多井吉之介訳 紀伊国屋書店 1964
  • 『ルイ・パストゥール 驚異の世紀におけるその生涯と業績』竹田美文, 竹田多恵共訳 納谷書店 1967 『ルイ・パストゥール』竹田美文訳 1979 講談社学術文庫
  • 『環境と人間 現代医学の方向』田中英彦訳 エンサイクロペディア・ブリタニカ日本支社 1968 (現代人の教養
  • 『パストゥール 20世紀科学の先達』長野敬訳 河出書房 1968 (現代の科学
  • 『人間と適応 -生物学と医療-』木原弘二訳 みすず書房 1970
  • 『人間であるために』野島徳吉,遠藤三喜子訳 紀伊国屋書店 1970
  • 『目覚める理性 人間のための科学』野島徳吉, 遠藤三喜子共訳 紀伊国屋書店 1971
  • 『かけがえのない地球 人類が生き残るための戦い』バーバラ・ウォード共著,人間環境ワーキング・グループ, 環境科学研究所共訳 坂本藤良 1972
  • 『理性という名の怪物』三浦修訳 思索社 1974
  • 『健康と病気』マヤ・パインズ共著,編集: ライフ編集部 タイムライフブックス 1974 (ライフ/人間と科学シリーズ)
  • 『内なる神 人間・風土・文化』長野敬, 新村朋美共訳 蒼樹書房 1974
  • 『人間への選択 生物学的考察』長野敬, 中村美子共訳 紀伊国屋書店 1975
  • 『生命の灯』長野敬, 新村朋美訳 思索社 1978
  • 『生命科学への道 エイブリー教授とDNA』柳沢嘉一郎訳 岩波書店 1979
  • 『白い疫病 結核と人間と社会』ジーン・デュボス共著,北錬平訳 結核予防会 1982
  • 『いま自然を考える 地球への求愛』長野敬訳 思索社 1983
  • 『地球への求愛』長野敬訳 思索社 1990
  • 『パストゥール 世紀を超えた生命科学への洞察』トーマス・D.ブロック編,長木大三[ほか]訳 学会出版センター 1996
  • 『遺伝子発見伝』田沼靖一訳 小学館 1998 (地球人ライブラリー)

脚注

13 件のコメント:

  1. The Wooing of Earth (英語) ペーパーバック – 1981/2/1
    Rene J. Dubos (著)
    5つ星のうち2.8 2個の評価
    その他 の形式およびエディションを表示する
    ハードカバー
    ¥4,106
    ¥1,589 より 7 中古品
    ¥4,106 より 4 新品

    ペーパーバック
    ¥2,432
    ¥2,195 より 6 中古品
    ¥11,120 より 2 新品
    お届け日: 9月8日 - 21日 詳細を見る

    返信削除

  2. :
       Think globally,      
         /◣
    ____/_█◣______
    ◥██◤_/◣_\Joy    
     ◥◤ ◥█Love/  
     /\/_◥◢█◣◢◣
    Nature__◢██◣ 
        ◥█ /
         ◥/
        act locally

    返信削除
  3. 第4章 病という意味
    144
    145
    いる(『反方法)。彼はそれをガリレオの事件を例にとって示そうとしたが、おそらく微生物(細菌)の
    発見とともに生じた事態は、それをもっと歴然と示す例である。すなわち、パストゥールやコッホに
    よって主張された、病気の特異的原因論が、これまでの医学思想を根本的に変えてしまったのである。
    ルネ・デュボスは次のようにいっている。

     病原体説、さらにもっと広くいえば病気の特異的原因論は、ほとんど一世紀にわたって、ヒポ
    クラテスの伝統を打ち破った。おのおのの病気は明確に限定された原因をもち、原因となる作用
    因子を攻撃することによって、また、これが不可能なら、からだの病気の部分に治療を集中すれ
    ば、その挨滅がよくできるというのが、新しい学説の中核である。これは、全体としての患者
    さらに患者の環境全体を重視した古代医学からは、かけはなれている。この二つの観点の相異は、
    バストゥールがパリ医学会で発表を行なった際の論争に、劇的な形であらわれている。(ルネ・デ
    ュボス『健康という幻想』同前)

     「病原体」が見出されたことは、あたかも従来のさまざまな伝染病が医学によって治療されるよう
    になったかのような幻影を与えている。たとえば、結核はコッホによって結核菌が見出されるまで西一
    洋では遺伝病だと考えられていたが、一九二一年にワクチン(BCG)が完成し、結核の予防が可能と一
    なっただけでなく、以後ストレプトマイシンなどが発見され、死亡率がいちじるしく低下している、
    というのが常識である。しかし、西洋の中世·近世の伝染病は、その「病原体」が見出されたときに
    は、事実上消滅していた。それは、下水道をはじめとする都市改造の結果であるが、むろん都市改造一
    をすすめた者たちは細菌や衛生学について何も知らなかったのだ。同じことが結核についてもいえる。

     たとえば、結核が広く流行した問、いちばん感受性の高い人は若いうちに死にやすいから、子
    孫も残らない。これに反して、生き残った多くの人は、遺伝的に高度の自然抵抗力をもっており
    それを子孫に伝えていく。現在の西欧社会にみられる結核死亡率の低下は、部分的には、感受性
    の高い家系を減ぼしさった、十九世紀の大流行で生じた、淘汰作用の結果である(同前)。

     つまり、結核菌は結核の「原因」ではない。ほとんどすべての人間が、結模菌やその他の微生物病
    原体の感染をうける。われわれは微生物とともに生きているのであって、むしろそれがなければ消化
    もできないし、生きていけない。体内に病原体がいることと、発病することとはまったくべつである。
    西洋の一六世紀から一九世紀にかけて結核が憂延したことは、けっして結核菌のせいではないのだし、
    それが減少したのは必ずしも医学の発達のおかげではない。それでは何が窮極的な原因なのかと問う
    てはならない。もともと一つの「原因」を確定しようとする思想こそが、神学·形而上学的なのであ

    返信削除
  4. 146
    る。
     デュボスのいうように、「人間と微生物との闘争」というイメージは、まったく神学的なものであ
    る。そこでは、細菌はいわば眼にみえないが遍在している「悪」なのだ。明治二十年代に、結核につ
    いての学説が普及したとき、それがはらむ神学的なイデオロギーもまた普及したのである。『不如帰』
    にはこの学説のイデオロギー的側面が浸透している。そこでは、結核はあたかも原罪のように存在し
    ている。そして、浪子はキリスト教に魅かれる。ベストセラーとなったこの小説は巧妙なプロパガン
    ダであって、それは結核菌そのものにはないような感染力をもっていたのである。

      4
     『不如帰』以来、結核は文学的なイメージにおおわれたが、いま問題にするのは、その医学的イメ
    ージそのものである。それらは相互連関的なものであって、同じ源泉をもっている。
     たとえば、スーザン·ソンタグは癌患者になった経験から、病気がいかに隠除として使われている
    かに気づき、「そうした隠除の正体を明らかにしそれから解放される」べきだと考える。私の言いた
    いのは、病気とは隠除などではなく、したがって病気に対処するには||最も健康に病気になるには

    返信削除
  5. 139
    2

    第4章 病という意味
    139
     このような浪子の形姿は、典型的にロマン派のものである。ロマン派と結核の結びつきはよく指摘
    されているが、スーザン・ソンタグの『隠除としての病い』によれば、西欧では一八世紀中葉までに、
    結核はすでにロマンティックな連想を獲得していた。結核神話が広がったとき、俗物や成り上り者に
    とって、結核こそ上品で、繊細で、感受性の豊かなことの指標となった。結核を病んだシェリーは、
    同じ病いのキーツに、「この肺病というやつは、きみのように素晴らしい詩を書く人をことさらに好
    むのです」と書いている。また、結核を病む者の顔は、貴族が権力ではなくなってイメージの問題に
    なりかけた時代では、貴族的な容貌の新しいモデルとなった。
     ルネ・デュボスは、「当時は病気のムードがとても広まっていたため、健康はほとんど野蛮な趣味
    の徴候であるかのように考えられた」(『健康という幻想』田多井吉之介訳、紀伊圏屋書店)といっている。
    感受性があると思いたい者は、むしろ結核になりたがった。バイロンは「私は肺病で死にたい」とい
    ったし、太って活動的なアレクサンドル・デュマは、弱々しい肺病やみにみせかけようとした。
     実際に社会的に蔓延している結核は悲惨なものである。しかし、ここでは結核はそれとかけはなれ、
    またそれを転倒させる「意味」としてある。結核が、あるいは一般に病気がこのような価値転倒をは
    らむ「意味」として存在したことは、日本にはなかった。のちにのべるように、それはユダヤ・キリ
    スト教的な文脈においてのみあったのだ。西洋における結核の神話化は、たしかに近代におこってい

    返信削除
  6. グローカルということ-地球環境問題と私 - 環境科学部年報
    www.ses.usp.ac.jp/nenpou/np1/np1hayasi/np1hayasi.html
    -キャッシュ
    地球環境問題と関わるとき、Think Globally, Act Locally(地球規模で考え、身近に行動 ... Act locallyという行動原則の前提として欠かせぬ認識の方法ではない かと思います。 ... このような熱帯材の大量使用が、熱帯林の商業的な大規模な伐採を ...
    未指定:NAMスローガンわざわざ唱え組織

    返信削除

  7. http://www.ses.usp.ac.jp/nenpou/np1/np1hayasi/np1hayasi.html
    グローカルということ -地球環境問題と私-

    林 昭 男

    環境計画学科

    環境・建築デザイン専攻



     地球環境問題と関わるとき、Think Globally, Act Locally(地球規模で考え、身近に行動する)は行動原則として重要なものです。このことは、地球環境問題に国境はなく、地球全体の仕組みのなかでその原因と影響を把え、解決に当っては自らの生活の場を通して、地道な活動を続けることが大切だという意味だと理解します。

    返信削除
  8. 第4章 病という意味
    144
    145
    いる(『反方法)。彼はそれをガリレオの事件を例にとって示そうとしたが、おそらく微生物(細菌)の
    発見とともに生じた事態は、それをもっと歴然と示す例である。すなわち、パストゥールやコッホに
    よって主張された、病気の特異的原因論が、これまでの医学思想を根本的に変えてしまったのである。
    ルネ・デュボスは次のようにいっている。

     病原体説、さらにもっと広くいえば病気の特異的原因論は、ほとんど一世紀にわたって、ヒポ
    クラテスの伝統を打ち破った。おのおのの病気は明確に限定された原因をもち、原因となる作用
    因子を攻撃することによって、また、これが不可能なら、からだの病気の部分に治療を集中すれ
    ば、その撲滅がよくできるというのが、新しい学説の中核である。これは、全体としての患者
    さらに患者の環境全体を重視した古代医学からは、かけはなれている。この二つの観点の相異は、
    バストゥールがパリ医学会で発表を行なった際の論争に、劇的な形であらわれている。(ルネ・デ
    ュボス『健康という幻想』同前)

     「病原体」が見出されたことは、あたかも従来のさまざまな伝染病が医学によって治療されるよう
    になったかのような幻影を与えている。たとえば、結核はコッホによって結核菌が見出されるまで西一
    洋では遺伝病だと考えられていたが、一九二一年にワクチン(BCG)が完成し、結核の予防が可能と一
    なっただけでなく、以後ストレプトマイシンなどが発見され、死亡率がいちじるしく低下している、
    というのが常識である。しかし、西洋の中世·近世の伝染病は、その「病原体」が見出されたときに
    は、事実上消滅していた。それは、下水道をはじめとする都市改造の結果であるが、むろん都市改造一
    をすすめた者たちは細菌や衛生学について何も知らなかったのだ。同じことが結核についてもいえる。

     たとえば、結核が広く流行した問、いちばん感受性の高い人は若いうちに死にやすいから、子
    孫も残らない。これに反して、生き残った多くの人は、遺伝的に高度の自然抵抗力をもっており
    それを子孫に伝えていく。現在の西欧社会にみられる結核死亡率の低下は、部分的には、感受性
    の高い家系を減ぼしさった、十九世紀の大流行で生じた、淘汰作用の結果である(同前)。

     つまり、結核菌は結核の「原因」ではない。ほとんどすべての人間が、結模菌やその他の微生物病
    原体の感染をうける。われわれは微生物とともに生きているのであって、むしろそれがなければ消化
    もできないし、生きていけない。体内に病原体がいることと、発病することとはまったくべつである。
    西洋の一六世紀から一九世紀にかけて結核が憂延したことは、けっして結核菌のせいではないのだし、
    それが減少したのは必ずしも医学の発達のおかげではない。それでは何が窮極的な原因なのかと問う
    てはならない。もともと一つの「原因」を確定しようとする思想こそが、神学·形而上学的なのであ

    返信削除
  9. yoji2020年8月7日 20:32
    第4章 病という意味
    144
    145
    いる(『反方法)。彼はそれをガリレオの事件を例にとって示そうとしたが、おそらく微生物(細菌)の
    発見とともに生じた事態は、それをもっと歴然と示す例である。すなわち、パストゥールやコッホに
    よって主張された、病気の特異的原因論が、これまでの医学思想を根本的に変えてしまったのである。
    ルネ・デュボスは次のようにいっている。

     病原体説、さらにもっと広くいえば病気の特異的原因論は、ほとんど一世紀にわたって、ヒポ
    クラテスの伝統を打ち破った。おのおのの病気は明確に限定された原因をもち、原因となる作用
    因子を攻撃することによって、また、これが不可能なら、からだの病気の部分に治療を集中すれ
    ば、その撲滅がよくできるというのが、新しい学説の中核である。これは、全体としての患者
    さらに患者の環境全体を重視した古代医学からは、かけはなれている。この二つの観点の相異は、
    バストゥールがパリ医学会で発表を行なった際の論争に、劇的な形であらわれている。(ルネ・デ
    ュボス『健康という幻想』同前)

     「病原体」が見出されたことは、あたかも従来のさまざまな伝染病が医学によって治療されるよう
    になったかのような幻影を与えている。たとえば、結核はコッホによって結核菌が見出されるまで西
    洋では遺伝病だと考えられていたが、一九二一年にワクチン(BCG)が完成し、結核の予防が可能と
    なっただけでなく、以後ストレプトマイシンなどが発見され、死亡率がいちじるしく低下している、
    というのが常識である。しかし、西洋の中世·近世の伝染病は、その「病原体」が見出されたときに
    は、事実上消滅していた。それは、下水道をはじめとする都市改造の結果であるが、むろん都市改造
    をすすめた者たちは細菌や衛生学について何も知らなかったのだ。同じことが結核についてもいえる。

     たとえば、結核が広く流行した問、いちばん感受性の高い人は若いうちに死にやすいから、子
    孫も残らない。これに反して、生き残った多くの人は、遺伝的に高度の自然抵抗力をもっており
    それを子孫に伝えていく。現在の西欧社会にみられる結核死亡率の低下は、部分的には、感受性
    の高い家系を減ぼしさった、十九世紀の大流行で生じた、淘汰作用の結果である(同前)。

     つまり、結核菌は結核の「原因」ではない。ほとんどすべての人間が、結模菌やその他の微生物病
    原体の感染をうける。われわれは微生物とともに生きているのであって、むしろそれがなければ消化
    もできないし、生きていけない。体内に病原体がいることと、発病することとはまったくべつである。
    西洋の一六世紀から一九世紀にかけて結核が憂延したことは、けっして結核菌のせいではないのだし、
    それが減少したのは必ずしも医学の発達のおかげではない。それでは何が窮極的な原因なのかと問う
    てはならない。もともと一つの「原因」を確定しようとする思想こそが、神学・形而上学的なのであ
    る。

    返信削除
  10. THE WOOING OF EARTH
    rapid when the total population is subdivided into colonies
    that are sufficiently small and separated to permit the sur
    vival of mutant forms, yet sufficiently interconnected to
    permit interbreeding.
    Human societies differ from natural ecosystems in that
    they are influenced by teleological considerations at least as
    much as by environmental conditions. There are, neverthe-
    less, suggestive analogies between human and natural sys-
    tems. Just as biological diversity facilitates Darwinian evo-
    lution, so is cultural diversity essential for social progress. It
    is probably fortunate in this regard that, all over the world,
    ethnic and regional grou
    are beginning to recapture some autonomy. This might help
    increase cultural diversity and thereby the rate of creative
    social change.
     Even if the trend toward social decentralization is success-
    are asserting their identity and
    ful, however, there will probably occur simultaneously an
    increasing globalization of certain types of human activities,
    in particular those dealing with transportation and other
    forms of communication, and those dependent on large-
    scale complex technologies. We may thus gradually move
    toward a dual type of human relationship between human-
    kind and Earth--on the one hand an increasingly centralized
    management based on the use of highly automated tech-
    nologies derived from sophisticated science, and on the
    other hand a decentralized management dealing at the local
    level and on the human scale with the more intimate aspects
    of life. The general formula of management for the future
    might be, think globally and act locally.
     Global thinking and local action both require understand-
    ing of ecological systems, but ecological management can be
    effective only if it takes into consideration the visceral and
    [ 156 ]

    返信削除
  11. HUMANKIND AND THE EARTH
    spiritual values that link us to the Earth. Scientifically
    defined, ecology is nothing more than the study of interrela-
    tionships between living things and their environment; it is
    therefore ethically neutral. These relationships, however,
    are always influenced by the human presence, which in-
    troduces an ethical component into all environmental prob-
    lems. Since the nature of our activities determines the extent
    and direction of environmental changes, ecological thinking
    must be supplemented by humanistic value judgments con-
    cerning the effect of our choices and actions on the quality
    of the relationship between humankind and Earth, in the
    future as well as in the present. Noblesse oblige.
    [ 157 ]

    返信削除
  12. 1980

    CONTENTS
    PREFACE
    xiii
    A Family of Landscapes
    ONE
    1
    TWO
    The Wilderness Experience
    THREE Can the World Be Saved?
    19
    FOUR
    The Resilience of Nature
    31
    Mechanisms of Ecological Recovery
    Homeostatic Recovery of Natural Ecosystems
    Recovery of Waterscapes
    Evolution of Natural Ecosystems
    FIVE
    Humanization of the Earth
    49
    The Wooing of Earth
    Environmental Needs of Human Life
    Homo sapiens and Nature
    Humankind and Nature
    The Management of Earth
    Improving on Nature
    Does Nature Really Know Best?
    The Human Origin of Many "Natural"
    Environments
    The Management of Woodlands
    Artificial Environments from the Industrial
    Wilderness
    SIX
    79
    ix



    109
    SEVEN Of Places, Parks, and Human Nature
    Place versus Environment
    The Emergence of Places
    Landscaping for Human Nature
    Humankind and the Earth
    128
    EIGHT
    Environmental Ambivalence
    Preservation versus Management of the
    Wilderness
    Symbiosis of Humankind and the Earth
    Noblesse Oblige
    Envoi
    158
    APPENDICES
    I. Can the Earth Be Saved?
    II. Selected Successes and Associated Problems of the
    Technological/Industrial Era
    II.
    160
    162
    163
    166
    179
    NOTES
    INDEX

    返信削除
  13. 1980.1983

    181
    141 125 1 57 37 23 I ix
    209 193 188 186 183
    目次
    |第一章さまさな風景|
    「第二章 野生の体驗-
    「第三章 世界を救うことはできるか
    |第四章 自然の回復力一
    一第五章 地球の人間化」
    くC
    益券
    「第六章 地球の管理一
    一 第七章 場所、公園、そして人間性
    一第八章 人類と地球
    一第九章 むすぴ」
    付錄
    |地球を数うことはできるか?
    = 技術 = 産業時代の成功およびこれに伴5間題の事例 |
    注記
    「訳者あとがき

    返信削除