2020年8月15日土曜日

Old Bloomsbury (1922)

Old Bloomsbury (1922)
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/08/old-bloomsbury-1922.html @


ブルームズベリー・グループの人々を描いた映画

『めぐりあう時間たち』
ヴァージニア・ウルフ、レナード・ウルフ、ヴァネッサ・ベルとその子供たち(ジュリアン、クウェンティン、アンジェリカ)らが登場
ドーラ・キャリントン、リットン・ストレイチー、ヴァネッサ・ベル&クライブ・ベル夫妻、ダンカン・グラント、オットリーン・モレル&フィリップ・モレル夫妻
T.S.エリオット、ヴァージニア・ウルフ、バートランド・ラッセル、オットリーン・モレル
ヴィトゲンシュタイン、バートランド・ラッセル、ケインズ、オットリーン・モレル
めぐりあう時間たち』(めぐりあうじかんたち、The Hours)は、2002年アメリカ合衆国の映画スティーブン・ダルドリー監督。マイケル・カニンガム原作。

20世紀の初頭に、ロンドン中心部の地区ブルームズベリーに集まった知識人や芸術家の私的なサークルのこと。主要なメンバーに、小説家のヴァージニア・ウルフ、美術批評家のクライヴ・ベル、ロジャー・フライ、美術家のヴァネッサ・ベル、ダンカン・グラントらがいる。統一的な理念や信条をもった強固な連帯によって繋ぎとめられていた組織ではなかったが、同性愛を含めた複雑な人間関係やモダニズムを反映したグループ内の思想に、次第に学究的な関心が集まった。ヴァネッサ・ベルが開始し、美術家仲間とともにレクチャーや展覧会などが開催された「フライデー・クラブ」はその主要な活動形態のひとつであり、ポスト印象派以降のモダン・アートの導入と積極的な評価が進められた。美術批評の文脈では、クライヴ・ベルとロジャー・フライのテクストがフォーマリズム批評の源泉をなすものとして再評価されている。たとえば「すべての視覚芸術作品に共通する唯一の性質」として「意味のあるフォーム(significant form)」という概念を展開させた『芸術』(1914)におけるベルの認識はその一例を示していた。
著者: 沢山遼

参考文献

  • 『ブルームズベリー・グループ 二十世紀イギリス文化の知的良心』,クウェンティン・ベル(出淵敬子訳),みすず書房,1972
  • Bloomsbury: The Artists,Authors and Designers By Themselves,Gillian Naylor(ed.),Pyramid

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bloomsbury
http://britannia.xii.jp/a_z/bloomsbury.html

ブルームズベリー・グループとは

1906年から30年頃に活躍した知識人や芸術家の集まりのこと。 彼らの多くは豊かな教養を備えたアッパーミドルクラスの出身で、19世紀の古い道徳観念を批判する一方で、知性と美に満ちた20世紀の自由な文化を開拓しようとした。 文芸においてはヴァージニア・ウルフやE.M.フォースターら、美術の分野においてはロジャー・フライとクライブ・ベルが企画した「ポスト印象派展」、オメガ・ワークショップの装飾芸術などが挙げられる。
バージニア・ウルフ(作家)、E・M・フォースター(作家)、ジョン・メイナード・ケインズ(経済学者)、リットン・ストレーチー(批評家・伝記作家)、ロジャー・フライ(美術批評家)、クライブ・ベル(美術批評家)、ダンカン・グラント(画家)、ヴァネッサ・ベル(画家)、レナード・ウルフ(作家・出版者)
先輩格として、哲学者バートランド・ラッセル、G・E・ムーア、政治学者G・L・ディキンソンも広義には含まれる

ブルームズベリー・グループのはじまり

著名な文芸批評家レズリー・スティーブンの4人の子供、長女ヴァネッサ(後のヴァネッサ・ベル)、長男トゥービー(Thoby)、次女ヴァージニア(後のヴァージニア・ウルフ)、末弟エイドリアンは、父レズリーの死をきっかけにロンドンの文教地区ブルームズベリーのゴードン・スクウェア46番地にある家に転居。 ここにThoby(1906年に夭折)のケンブリッジ時代の友人たちが集まるようになり、毎週木曜の夜に開かれたサロンがブルームズベリー・グループのはじまりとなった。
 

ケンブリッジ使徒会(The Apostles)とブルームズベリーグループ

ゴードン・スクウェアの家に集まってきたのは主にThobyのケンブリッジ大学時代の友人が中心だったが、その中にはシークレット・ソサエティとして知られる「ケンブリッジ使徒会(The Apostles)」のメンバーが少なくなかった。 そもそも、リットン・ストレイチーと彼の友人レナード・ウルフが使徒会の中に作った小グループが発展して、ブルームズベリーグループへとつながって行ったのだ。このグループにはロジャー・フライやデズモンド・マッカーシー、ケインズらがいた。
ケンブリッジ使徒会は、1820年の創立以来詩人のテニソンや哲学者バートランド・ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、経済学者ケインズ、作家E.M.フォースターやリットン・ストレイチー、そしてイギリスを震撼させたダブルスパイのガイ・バージェスやアントニー・ブラントら、さまざまな分野に多くの足跡を残した知識人たちを輩出した。
ブルームズベリーグループのメンバーやグループに関わりを持った人々のうち、主な使徒会員は以下の通り。 (括弧内の数字は会員となった年)
バートランド・ラッセル/Bertrand Russell(1892)哲学者・数学者
G・E・ムーア/George Edward Moore(1894)哲学者
G・L・ディキンソン/Goldsworthy Lowes Dickinson (1885)政治学者
ロジャー・フライ/Roger Fry(1887)美術評論家
デズモンド・マッカーシー/Desmond MacCarthy(1896)
E・M・フォースター/E. M. Forster(1901)
サクソン・シドニー=ターナー/Saxon Sydney-Turner (1902)
リットン・ストレーチー/Lytton Strachey(1902)
メイナード・ケインズ/John Maynard Keynes(1903)
アーサー・ホブハウス/Arthur Lee Hobhouse (1905)
フランク・ロレンス・(愛称ピーター)ルーカス/Frank Lawrence Lucas (1914)
第二次大戦中はブレッチレー・パーク勤務
クライブ・ベルは使徒でなかったが、息子のジュリアン・ベルは使徒会員となった(スペイン内戦で死亡)
ヴァネッサとヴァージニアの従兄で切り裂きジャックの容疑者のひとりJ.K.・スティーブン(クラレンス公の家庭教師)も使徒会員
 

良心的兵役拒否(conscientious objector)

第一次大戦が勃発すると、ブルームズベリーグループの人々は「良心的兵役拒否者」としての立場をとるものが少なくなかった。
バートランド・ラッセルは第一次大戦が勃発すると反戦運動を展開したため、1916年にはケンブリッジを追われ、1918年には獄中生活を余儀なくされる。 労働党のクリフォード・アレン率いる徴兵反対同盟(NCF)とも関わりを持っていた。
リットン・ストレイチーは「徴兵反対国民会議」に参加。実際は次々と医者の診断書を持ち出して何とか兵役を逃れようとしていたらしい。
ダンカン・グラントと当時の恋人デイビッド・ガーネットは良心的兵役拒否者として農家での仕事をするために、イースト・サセックスに移った。
自由党議員フィリップ・モレルと彼の妻オットリーン・モレルは、オックスフォード郊外のガーシントン・マナーに、良心的懲役拒否をする知識人たちに農作業などの職を与えて兵役を免除させ、庇護した。 平和主義者のフィリップは主に自由党員らによって組織された「民主的支配同盟 (UDC:Union of Democratic Control)」のメンバーだった。


ブルームズベリー・グループは、1905年から第二次世界大戦期まで存在し続けたイギリス芸術家学者からなる組織である。
もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルヴァージニア・ウルフを含む4人のケンブリッジ大学生によって、結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。
1910年のドレッドノートを舞台とした「偽エチオピア皇帝事件」にはメンバーの多くが参加したが非国民という悪名を負う羽目となり、また彼らのストレートな平和主義左派自由主義の信念は戦時中において非難を引き起こすことがあった。第一次世界大戦後その組織統一は弱まり、意見や信念もばらばらなものとなってしまった。
ブルームズベリー・グループの意見や信念は第二次世界大戦を通して話題を呼び、広く非難されたが、次第に主流となりそれは終戦まで続いた。ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となり、作家ヴァージニア・ウルフの作品は広く読まれ、そのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー、画家のロジャー・フライ、作家のデイヴィッド・ガーネットE・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリスの哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある[1]
ブルームズベリー・グループは組織一丸となっての活動成果よりも個々人の芸術的な活動成果が主に評価されているが、20世紀の終わりが見えた頃から、組織内での複雑な人間関係が、学問的注目を集め研究対象となっている。



  • クウェンティン・ベル 『ブルームズベリー・グループ 二十世紀イギリス文化の知的良心』
    出淵敬子訳、みすず書房、1972年、新装版1991年
  • クウェンティン・ベル 『回想のブルームズベリー すぐれた先輩たちの肖像』
    北條文緒訳、みすず書房、1997年。著者は、ヴァネッサ・ベルの次男
  • 北條文緒 『ブルームズベリーふたたび』 みすず書房、1998年。文学的紀行・エッセー
  • 橋口稔 『ブルームズベリー・グループ ヴァネッサ、ヴァージニア姉妹とエリートたち』中公新書、1989年
  • 坂本公延 『ブルームズベリーの群像 創造と愛の日々』 研究社出版、1995年
  • ヴァージニア・ウルフ『存在の瞬間 回想記』 ジェーン・シュルキンド編
    出淵敬子ほか訳、みすず書房「著作集 別巻」、1983年
  • クウェンティン・ベル 『ヴァージニア・ウルフ伝』 黒沢茂訳、みすず書房(全2巻)、1977年
  • ヴァージニア・ウルフ 『ロジャー・フライ伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1997年
  • フランセス・スポールディング 『ヴァネッサ・ベル』 宮田恭子訳、みすず書房、2000年
  • ナイジェル・ニコルソン 『ヴァージニア・ウルフ』 市川緑訳、岩波書店<ペンギン評伝双書>、2002年
  • 中矢俊博 『ケインズとケンブリッジ芸術劇場 リディアとブルームズベリー・グループ』同文舘出版、2008年

何にもましてブルームズベリーは、対話すること、議論すること、うわさ話をすることを滅多にやめる
ことのない個々人の集まりであった。彼らは概して、すぐれたユーモアの精神を有しており、また自嘲することので
きる人々であった。また彼らは、お互いに対する無慈悲な批評家でもあったが、そのような批判によって友情が壊れ
ることはなかった。実際、本心を隠し立てすることはまったく許されなかった。ある種の主題を取り上げるまでに幾
らかの時間を要することはあったけれども、何でも語ることができた。一九二二年頃にブルームズベリー・メモワー
ル・クラブのために執筆された論文で、ヴァージニア・ウルフは、そのグループがどのようにして性について語りは
じめたのかを回想している。彼女が、姉(ヴァネッサ)および他の友人たちと一緒に客間にい
た時のことだった。

突然ドアが開いたかと思うと、長身で意地悪そうな姿のリットン・ストレイチー氏が入口に立っていた。彼は、ヴァ
ネッサの白いドレスについたシミを指さした。そして彼は、「ザーメンか」と言った。
 何てことを言うのだろう、と私は思った。そして私たちはどっと笑った。その一言で、寡黙と遠慮という壁が
崩れた。聖なる液体の洪水が私たちを圧倒したかのように思われた。性が私たちの会話に浸透した。男色者とい
う言葉さえも、私たちは口にするようになった。善の性質について議論したときと同じような興奮と率直さをもっ
て、私たちは性交について議論した(V. Woolf 1922, p.54)。》

(『ケインズの闘い』ジル・ドスタレール72~73頁)

Woolf, Virginia
Old Bloomsbury (1922) 

The Bloomsbury Group: A Collection of Memoirs and Commentary (Heritage) (英語) ペーパーバック – 1995/11/1


In an essay entitled 'Old Bloomsbury', written in 1922, Woolf reflected on what it was like to live at No. 46, and her ...

https://books.google.co.jp › books
S.P. Rosenbaum, James M. Haule. The philosophical origins of the Bloomsbury Group are being described here in the Apostolic discussions that Principia Ethica stimulated and in which Virginia now participated. Her memoir continues: It had beenveryaustere,very exciting, of immense importance. ... The thirdscene ofVirginia's memoiris the famous one in whichLytton Strachey, pointing toastain on Vanessa'sdress, inquires 'semen?

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