2026年7月7日火曜日

フローベールとマラブー プルードンについて デリダ『声と現象』の文庫も新版。今回はマラブーの序文付き。

 5/30(土)東京日仏学院「哲学の夕べ:アナキズム」のチラシが届きました。2週間後です。13時より、2024年という同じ年に、プルードン『所有とは何か』に頻出するdroit d’aubaineのダブルミーニングに注目したカトリーヌ・マラブーさんと伊多波による講演、対談があります。よろしくお願いします!


https://x.com/itarbucks/status/2055081437838426492?s=61



フローベールとマラブー

https://freeassociations2020.blogspot.com/2026/07/blog-post.html @


https://www.blogger.com/blog/post/edit/102781832752441205/333475874479048484


https://fr.wikipedia.org/wiki/Droit_d%27aubaine


オーベインの権利は、領主が外国人の財産を領主領(すなわち「オーベイン」)に徴収することを条件とする、封建的起源の権利です。[1]彼の死後、まるで奴隷状態でそこに住んでいたかのように。

歴史家ピーター・サーリンスによれば、この権利はアンシエン・レジームの下でヨーロッパの君主たち、特にフランスによって回復された。[2].

旧体制期フランス. には臣民を定義する制定法はまだなかったが、外国人のみに適用される外国人遺産取得. (droit d'aubaine)は存在した。外国人遺産取得は、王国で帰化 ...

... 権利を、不労所得. の権利droit d'aubaine)と呼び、次のように告発していた。「不労所得の. 利(droit d'aubaine)のおかげで、所有者は耕さずとも刈り入れし、栽培 ...


https://researchmap.jp/nhirasaw


ブヴァールとペキュシェ 

#6

 この郡に於ける党の主導者は、伯爵と、フーローと、マレスコと、神父。毎日四時頃になると、彼等は広場を歩きまわりながら、いろいろな問題について談じあった。主要な仕事はパンフレットの配布である。その標題はいずれもなかなか乙なものであった。『そは神の意志なり』とか『共にわかつ者』とか『難局を打開せん』とか『我等はいずこに行く?』といった類である。中でも愉快だったのは、農民の精神を昂揚するために村の方言で、フランス語の間違いや、彼等の呪詛の言葉を、そのままに綴った会話体である。新しい法令によって、印刷物の頒布権は知事の手に握られてしまった。そして、プルードン(一七)がセント=ペラジの獄舎に繋がれてしまった。まさに大勝利である。


 その第一章はサン=シモン(三四)の理論を展開している。  天辺には、法王であると同時に皇帝でもある天帝。遺産相続の禁止。あらゆる資産、社会財産を構成する動産及び不動産は、等級に応じて利用さるべきこと。実業家が公衆の財産を支配することとなろう。しかし懸念は無用。《最も愛の深きもの》が支配者となるからである。  ただ一つ、女性の問題が省かれている。社会の福祉は女性の戦列參加の如何にかかっているのだという。 「わしには分らん」 「わしにも!」  そこで彼等はフーリエ(三五)主義に触れてみる。  一切の不幸は拘束から起る。引力は自由であることが望ましく、然る時に、和合もおのずから生じるのである。  我々の魂には十二の大きな情念が潜んでいる。その中五つは利己的なもの、四つは霊的なもの、三つは配分的なものである。これらは夫々に、第一のものは個体に、第二のものは集団に、第三のものは集団の集団、即ち団体に向う傾向がある。この団体の綜合が、一つの住宅に住む千八百人からなる共同体の社会である。毎朝、馬車が労働者を畑にはこび、夕方にはこれを送り帰す。旗印も揚げれば、宴会も開くし、菓子も食べられる。すべての女性は希望とあれば、夫と恋人と生殖者の三人をもてる。独身者のためには、印度の舞妓風のものが制度化されている。 「こいつはわしにもってこいだ!」と、ブヴァール。  こういって、彼は和合の世界の空想に浸りこんだ。  気候の調整によって、大地はもっと美しくなるだろう。人種の混合によって、人間の寿命は更にのびるだろう。今日電光を扱うように、人間は雲も自由にするようになり、町を清めうるおす雨は、夜間に降ることとなろう。船舶は極光の下に解氷した北極洋を航海することになるだろう。何故なら、一切のものは、極から迸出する陰陽両種の流れの交合によって生ずるものであり、極光は遊星の発情期の徴候、生殖力の放射だからである。 「わしには、ちんぷんかんぷんだ」ペキュシェは匙を投げる。  サン=シモンとフーリエの後に、残るは賃銀問題である。  ルイ・ブランは労働者の利益をはかって、外国貿易の禁止を要望している。ラファレル(三六)は機械類に課税することを、またある一人は飲料の減税、労働組合の再建、スープの配給を要望している。プルードンは賃銀の斉一を考え、政府に対して砂糖の専売を要請している。 「この社会主義者等は、みな圧政を希望しているじゃないか」と、ブヴァールが言った。 「そんなことあるものか!」 「そうだとも!」 「馬鹿いうな!」 「わしの言うことに楯つくんだな!」  彼等はまだ概略しか知らない数々の著述を取寄せた。ブヴァールはそのところどころを書留めて、それを示しながら、…


ブヴァールとペキュシェ (上): ブルジョワ生活の悲喜劇 (19世紀堂書店) 


「ない」とブーヴァールは答えた;「むしろ私は人々の騙されやすさを信じる。特許健康回復剤、デュピュイトラン軟膏、シャトレーヌの水などを買うすべての人々を考えてみろ。それらの間抜けどもが有権者の大多数を構成し、我々は彼らの意思に従うのだ。なぜ3000フランの収入をウサギから得ることができないのか?過密状態が死の原因となるからだ。同じように、それが多数派であるという単なる事実を通して、それに含まれる愚かさの芽が発達し、そこから計り知れない結果が生じるのである。」 「あなたの懐疑論は私を怖がらせる」とペキュシェは言った。 後の時期に、春に、彼らはド・ファヴェルジュ氏に会い、彼はローマ遠征について彼らに知らせた。我々はイタリア人を攻撃すべきではないが、保証を要求すべきである。そうでなければ我々の影響力は破壊されるだろう。この干渉ほど正当なものはないだろう。 ブーヴァールは目を大きく見開いた。「ポーランドの問題に関して、あなたは反対の意見を表明しました。」 「それはもはや同じことではない。」今やそれは教皇の問題だった。 そしてド・ファヴェルジュ氏は、「我々は望む」「我々は行う」「我々は明確に計算する」と言うとき、一派を代表していた。 ブーヴァールとペキュシェは多数派と同様に少数派にも嫌気がさした。要するに、庶民は貴族と全く同じだった。 干渉権は彼らには疑わしく思えた。彼らはその原理をカルヴォ、マルテンス、ヴァッテルに求めた;そしてブーヴァールの結論はこうだった: 「王子を王座に戻すため、民衆を解放するため、または予防のために、公共の危険を考慮して干渉があるかもしれない。他の場合では、それは他者の権利に対する侵害、力の濫用、偽善的な暴力の一片である。」 「それでも」とペキュシェは言った、「民衆には人間同様に連帯感がある。」 「おそらくそうだろう。」そしてブーヴァールは物思いに沈んだ。 ローマ遠征はすぐに始まった。 国内では、革命的思想への憎悪を通して、パリの中産階級の指導者たちは二つの印刷所を略奪させた。秩序の大政党が形成された。 その地区の長には伯爵、フーロー、マレスコ、そして司祭がいた。毎日、4時頃になると、彼らは緑地の一端から他端まで歩き、その日の出来事について話し合った。主な仕事はパンフレットの配布だった。そのタイトルは魅力に欠けるものではなかった:「神はそれを喜ばれるだろう」「分配」「混乱から抜け出そう」「我々はどこへ向かうのか?」その中で最も素晴らしいものは、農民の精神的能力を高めるために、誓いや悪いフランス語を用いた村人のスタイルの対話だった。新しい法律により、パンフレットの行商は県知事の手に委ねられることになった;そして彼らはちょうどプルードンをサン・ペラジーに詰め込んだ——巨大な勝利だ! 自由の樹は一般的に引き倒された。シャヴィニョルは命令に従った。ブーヴァールは自分自身のポプラの破片が手押し車に載っているのを目撃した。それらは憲兵を暖めるのに役立ち、切り株はそれを祝福した司祭に提供された。なんという嘲笑だ! 学校教師は自分の考え方を隠さなかった。


皆が救世主を求めた。彼らが出て行くとき、ブーヴァールとペキュシェはファヴェルジュ氏がジュフロワ司祭に言うのを聞いた: 「我々は服従を再確立しなければならない。権威が議論の対象にされれば滅びる。神権——それ以外には何もない!」 「まさにその通りです、伯爵殿。」 十月の太陽の淡い光線が森の後ろに長く伸びていた。湿った風が吹いており、彼らが枯れ葉の上を歩くとき、彼らはちょうど解放された男たちのように息をした。 彼らが言う機会を見つけられなかったすべてが叫び声となって彼らから逃げ出した: 「なんて馬鹿な連続だ!」 「なんて卑劣さだ!」 「そんな頑固さをどうやって想像できるというのか!」 「まず第一に、神権とはどういう意味か?」 デュムーシェルの友人、つまり美学について彼らに教えを供給したあの教授が、学識ある手紙で彼らの質問に答えた。 「神権の理論はチャールズ二世の治世に英国人フィルマーによって定式化された。それは以下の通りである:」 「創造主は最初の人間に世界に対する支配権を与えた。それは彼の子孫に伝えられ、王の権力は神から発する。」 「彼は神の似姿である」とボシュエは書く。「父権的帝国は我々を一人による支配に慣れさせる。王たちは親のモデルに倣って作られてきた。」 「ロックはこの教義を反駁した:『父権は君主権と区別され、全ての臣民は君主が自分の子供に対して持つのと同じ権利を自分の子供に対して持つ。王権は民衆の選択によってのみ存在する;そして戴冠式の儀式では選挙さえも呼び戻され、二人の司教が王を指さしながら、貴族と農民の両方に彼をそのように受け入れるかどうか尋ねた。』」 「したがって、権威は人民から来る。」 「『彼らは好きなことをする権利がある』とエルヴェシウスは言う;『彼らの憲法を変える』とヴァッテルは言う;グラフェイ、オトマン、マブリーその他の主張によれば『不正に対して反乱を起こす』;そして聖トマス・アクィナスは彼らが『暴君から自分自身を解放する』ことを認可する。『彼らは』ジュリューによれば『正しいことをする義務からさえ免除されている。』」 その公理に驚いて、彼らはルソーの社会契約論を取り上げた。ペキュシェは最後まで読み通した。それから目を閉じ、頭を後ろに投げ出して、その分析をした。 「個人が自分の自由を放棄するという協定が仮定される。」 「人民は同時に自然の不平等から彼を保護することを引き受け、彼が所有していた物の所有者にした。」 「契約の証拠はどこにある?」



「どこにもない!そして共同体は何の保証も提供しない。市民は政治に専念する。しかし職業が必要であるため、ルソーは奴隷制に賛成している。『科学は人類を破壊した。劇場は堕落させ、金銭は致命的であり、国家は死刑の罰則付きで宗教を課すべきである。』」 「なんと!」彼らは言った、「ここに民主主義の教皇がいる。」 改革の全ての擁護者たちは彼を模倣していた;そして彼らはモランの社会主義検討を入手した。 最初の章はサン=シモンの教義を説明していた。 頂点には父、同時に教皇かつ皇帝。相続の廃止;全ての動産と不動産が社会基金を形成し、それは階層的に運営されるべきである。製造業者たちが公共の富を統治する。しかし恐れることは何もない;彼らは「最も愛する者」をリーダーとして持つだろう。 一つだけ欠けているものがある:女性。女性の到来にかかっている世界の救済。 「理解できない。」 「私もだ。」 そして彼らはフーリエ主義に向かった: 「『全ての不幸は強制から来る。引力を自由にさせよ、そうすれば調和が確立される。 『我々の魂には十二の主要な情熱が閉じ込められている:五つは利己的、四つはアニミズム的、三つは分配的。第一類は個人に関係し、第二は集団に、最後は集団の集団、または系列に関係し、その全体がファランジュ、千八百人が宮殿に住む社会を形成する。毎朝馬車が労働者を田舎に運び、夕方に連れ戻す。旗が掲げられ、祝祭が開かれ、ケーキが食べられる。全ての女性は、望めば三人の男性——夫、恋人、生殖者——を持つことができる。独身者には、バヤデール制度が確立される——』」 「それは私にぴったりだ!」とブーヴァールは言った。そして彼は調和のとれた世界の夢にふけった。 「『気候の回復によって、地球はより美しくなる;人種の交配によって、人間の寿命は長くなる。雲は今や雷のように導かれる:都市では夜に雨が降り、それによって清潔になるだろう。船は北極海を横断し、オーロラの下で解かれる。なぜなら全ては二つの流体、男性と女性の結合によって生み出され、それらは極から噴出し、オーロラは惑星の融合の兆候——豊かな放出であるからだ。』」


「これは私の理解を超えている!」とペキュシェは言った。 サン=シモンとフーリエの後、問題は賃金の問題に帰着する。 ルイ・ブランは労働者階級の利益のために、対外貿易の廃止を望む;ラファレルは機械に課税する;別の者は酒税を廃止し、同業組合監督官を復活させ、またはスープを配布することを望む。 プルードンは統一関税の考えを抱き、国家による砂糖の独占を主張する。 「これらの社会主義者たちは」とブーヴァールは言った、「常に専制を要求する。」 「ああ、違う!」 「いや、確かに!」 「君は馬鹿げている!」 「まあ、君には驚いた!」 彼らは要約しか持っていなかった作品を取り寄せた。ブーヴァールは多くの箇所に印をつけ、それらを指さしながら言った: 「自分で読んでみろ。彼らは我々に例としてエッセネ派、モラヴィア兄弟団、パラグアイのイエズス会士、さらには刑務所の政府さえも提供している。」 「『イカリア人たちの間では朝食は二十分で終わった;女性は病院で出産した。本については、共和国の許可なしに印刷することは禁止されていた。』」 「しかしカベは馬鹿だ。」 「さあ、ここにサン=シモンからの引用がある:『著述家たちは自分の作品を製造業者の委員会に提出すべきである。』」 「そしてピエール・ルルーから:『法律は市民に演説者に耳を傾けることを強制する。』」 「そしてオーギュスト・コントから:『司祭たちは若者を教育し、文学作品に対する監督を行使し、生殖を規制する権力を自分たちに留保する。』」 これらの引用はペキュシェを悩ませた。夕食時に、彼はこう返答した: 「ユートピアの発明者たちの作品に不条理な点があることは認める;それでも彼らは我々の同情に値する。世界の醜さが彼らを苦しめ、それを美しくするために、彼らは全てに耐えた。モアが斬首され、カンパネッラが七度拷問にかけられ、ブオナロッティが首に鎖を巻かれ、サン=シモンが貧困で死んでいったことを思い出せ;他にも多くの者たちが。彼らは平和に暮らせたかもしれない;しかしそうではなかった!彼らは英雄のように、空に向かって頭を上げて道を進んだ。」 「君は信じるのか」とブーヴァールは言った、「世界が、ある特定の紳士の理論のおかげで変わるだろうと?」 「それが何だというのか?」とペキュシェは言った;「利己主義に沈滞するのをやめる時だ。最良の体系を探そう。」 「では君はそれを見つけると期待しているのか?」 「もちろん。」



Flaubert et Proudhon :

les questions de la propriété dans Bouvard et Pécuchet

Nobuyuki HIRASAWA


フローベールとプルードン

「ブヴァールとペキュシェ』第6章における「所有」の問題をめぐって

平澤 暢之 

1988

https://researchmap.jp/nhirasaw/published_papers/49603878/attachment_file.pdf


フローベールとプルードン

「ブヴァールとペキュシェ』第6章における「所有」の問題をめぐって

平澤暢之

1. はじめに一プルードンの所有批判とフローベール

「所有とは盗みである」という挑発的な定式で知られるプルードンの著作「所有とは何か』は1840年に出版されるや否や七月王政下の社会に一人

スキャンダルを巻き起こした。自然法学が所有の正当化の根拠として挙げる自然権・占有・協約・労働といった前提から出発して、逆説的に所有の不可能性を証明しようとするこの著作は、所有権を自己保存の権利に基づいた「自然で絶対的な規範的事実」とみなす同時代の支配的イデオロギーへのラディカルな批判を含んでいた?。

フローベールは1848年の革命を舞台とする『感情教育』と『ブヴァールとペキュシェ』第6章の執筆に際し、『所有とは何か」を含むプルードンの著作について数多くの読書ノートを残している3が、自らを「熱狂的な自由主義者”」と規定する作家は、プルードンに対して一貫して否定的な評価を

  1. Proudhon, Qu'est-ce que la propriété ?, Paris, Garnier frères, 1849, p. 2.
  2. Pierre Crétois, Le Renversement de l'individualisme possessif, de Hobbes à l'État social, Paris, Classiques Garnier, 2014, p. 279-283.
  3. プルードンについての読書ノートは、大部分が「感情教育」執筆時の 1860年代にとられたものであるが、「ブヴァールとペキュシェ」執筆に再利用されたため、今日では「ブヴァールとペキュシェ資料集」の一部としてルーアン市立図書館に保管されている。この読書ノートについては小倉孝誠による詳細な分析がすでに存在する(「フローベールにおける知の生成と変貌一『感情教育』
  4. と社会主義的言説一」『文学』、第56号、1988年12月、p.67-98.およびKosei
    Ogura, « Proudhon jugé par Flaubert : note de lecture de Flaubert sur Qu'est-ce que la

propriete ? , Equinore, n 1, 1987,p. 107-116)。本稿では、小倉が精査した「感情

教育』執筆時の読書ノートに加えて、『ブヴァールとペキュシェ』執筆の際に新たにとられたと見られる読書ノートを分析の組上に載せる(Infira)。

4 Lettre à Leroyer de Chantepie, 30 mars 1857 ; Correspondance, éd. Jean Bruneau et Yvan Leclerc, Paris, Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 1973-2007, 5 vol, t. II,

p.698.以下、フローベールの書簡の引用は断りのない限り全てこの版に拠る。


下している。1860年代の書簡が示すように、フローベールを何より憤慨させたのは、芸術を社会に奉仕させるプルードンの美学であった。1865年8月12日付のゴンクール兄弟宛書簡で、作家は次のように、プルードンの遺著の一つ『芸術の原理とその社会的使命について』(1865)を、「社会主義の下劣さ(Pignouferie socialiste)の極み」、「一つ一つの文章が汚物なのです”」と激烈な調子で批判している。

このように、フローベールは、プルードンのうちに自らの条に敵対する文章を見つけては感情的な反発を露わにするが、その一方で、プルードンの著作の理論的側面について言及することはほとんどない。そのため先行研究では、フローベールはプルードンの所有批判の内在的な論理と射程に対して一貫して無関心であると見徴されてきた。事実、「感情教育」執筆時、作家がプルードンの『所有とは何か』についてとった読書ノートを精査した小倉孝誠は、次のように結論付けている。



「所有とは何か」においてプルードンが示そうとしたのは、一般に自然権とみなされ社会の基礎として承認されている所有が正義に反する装置であり、所有の制度化は何ものによっても正当化されえない、ということであった。_・」しかし、ブルードンと彼の論敵の間に繰り広げられる激しい葛藤を報告するページは、フローベールの側からは完全な沈黙をもって迎えられるだろう。フローベールは、プルードンの著作の論争的次には無関心である。それに反して、自己の個人的条に敵対するような文節を前にする時、彼は知的というよりもむしろ情動的な荒々しい態度を示すことになる。[...]我々は既に、やがて「ブ

ヴァールとペキュシェ」に結実するであろう操作の端緒に立ち合っているのである。。



しかし、「感情教育』執筆時の読書ノートのこのような性格は、作家の知的態度というよりは、『感情教育』という作品の構想によって大きく規定されているように我々には思われる。1864年10月6日の書簡で自ら語っているように、フローベールはこの作品を通じて「自らの世代の人々の精神史

5

Lettre à Edmond et Jules de Goncourt, 12 août 1865 ; Corr. II, p. 454.

6 小倉孝誠、前掲論文、84頁。




小倉孝誠「フローベールにおける知の生成と変貌一『感情教育』と社会主義的言説一」『文学』、第56号、1988年12月、p.67-98


I'histoire morale des hommes de ma generation/)」を書こうとしたのであり、彼が「感情教育』執筆時に行った資料調査は、社会主義者たちの個々の理論の体系的な理解ではなく、彼らの精神的傾向を一種の理念型として抽出することを目指していたのである。こうして抽出された精神的傾向は、セネカルのような登場人物の造形に活かされることとなる。

対して、作家自ら「あらゆる近代思想の再検討”」と位置付ける遺作「ブ

ヴァールとペキュシェ』においては、プルードンの扱いも自ずと変化することになるであろう。フローベールは、1848年の政治的言説を扱う「プ

ヴァールとペキュシェ』第6章の執筆に際し、19世紀の政治学について新たな資料調査を行う一方で、社会主義者の言説については、概ね「感情

育」執筆時の読書ノートを再利用している。しかしながら、興味深いことに、プルードンについては例外的に、「所有の理論』と「貧困の哲学』について新たに読書ノートをとっていることが確認できる”。この読書ノートの特質は、ブルードンの心理的・精神的傾向性よりも、著作の理論的射程に注意が払われていることである。このことは、『ブヴァールとペキュシェ』の主題に合わせて、作家が理論的な関心から、あらためてプルードンを読み直す必要性を感じた可能性を示唆している。

事実、「ブヴァールとペキュシェ」の生成過程を検討すると、作家が当初、第6章で、19世紀の政治学・法学における所有概念の再検討を行おうと考えていたこと、そこでプルードンの所有批判が重要な参照項のひとつとなっていたことがわかるだろう。たとえば草稿第6巻f 630で、フローベールは自らの読書ノートをもとに、「所有」、「労働権・労働の組織化」、「福祉権」について論点を整理しているが、その際「所有」の問題に関して作家が依拠しているのは、『所有とは何か」、『所有者への普告』そして『所有の理論」といったプルードンの著作群である。しかも、そこでは、プルードンの著作の論争的側面、「所有の起源」と「民法における(所有の)定義 10」の問題が、ティエールやバスティアといった論敵との論争とともに、大き

7

Lettre à Leroyer de Chantepie, 6 octobre 1864; Corr. III, p. 409.

  1. Lettre à Gertrude Tennant, 16 décembre 1879 ; Corr. V, p. 767.
  2. Les dossiers documentaires de Bouvard et Pécuchet, Stéphanie Dord-Crouslé (dir.), [en ligne], https://www.dossiers-flaubert.fr, 2012, g226, vol. 7, f° 281 r° et v°.
  3. Manuscrit du I volume de Bouvard et Pécuchet, édition génétique, Yvan Leclerc (dir.), Centre Flaubert, Université de Rouen, [en ligne], Brouillons, vol. 6, f° 630 v°.


く取り上げられているのである。

決定稿に至る過程でこの構想は惜しくも廃棄されることになるものの、草稿を仔細に検討すれば、決定のとある挿話に、「所有」をめぐるプルードンの問題提起が形を変えて現れていることが明らかになるだろう。本稿では、まず「ブヴァールとペキュシェ』第6章の決定稿と草稿、作家の読書ノートを比較検討し、不動産賃貸の問題を扱う挿話でプルードンの著作が暗に参照されていることを示す。次いでプルードンの所有批判の思想史的文脈に立ち返った上で、「ブヴァールとペキュシェ」第6章の当該挿話の背後に、いかなる文脈と含意があるのかを分析する。この作業を通じて、フローベールがプルードンの所有批判をどのようにテクストに組み込んでいるのか、それが「ブヴァールとペキュシェ』第6章の政治表象にいかなる形で寄与しているのかを明らかにしたい。


2.ペキュシェとフーローの論争:不動産所有者の特権?


上述したように、「ブヴァールとペキュシェ」の決定稿では、プルードンが提起した「所有」の問題が明示的に扱われることは殆どない。しかし、草稿を丹念に追っていくと、同作第6章には、プルードンの議論を暗示的に参照していると思われる箇所がある。それは、借家人たちの不平の声を憂えるフーローに対して、ペキュシェが賃貸借契約における「家主の優遇」を挙げて反論する場面である。まずは決定の当該場面を概観してから、順次、草稿での記述、そして発想源となったプルードンの著作の一節へと遡ってゆこう。

周知のように「ブヴァールとペキュシェ」第6章は、二月革命の煽りを受けたノルマンディーの地方住民の混乱を描く場面から始まる。1848年2月22日、改革宴会を求めるデモが家徒化、2月24日にルイ・フィリップが亡命し、第二共和制が成立した。この不測の事態に慌てふためくシャヴィニョル村の人々は、パリの内情を知ろうとこぞって新聞を購読し、臨時政府の施策の正否をめぐって広場で政談に励むようになる。賃貸借契約における「家主の優遇」の問題が取り上げられるのは、まさにその議論の場面においてである。

「しかし政府は」とペキュシェが言った「奴隷制を廃止しました」。

「奴隷制が私に何の関係があるというんだ!」


「ほほう、では政治犯罪に対する死刑の廃絶は如何ですかな?」「まったく!」とフーローが答える。「何でもかんでも廃止ときた!しかし見たまえ、借家人たちは既に要求を始めているではないか!」「それは結構!」ペキュシェによれば家主(proprietaires)は優遇されている。「不動産を所有するものは...」

フーローとマレスコはペキュシェの演説を遮って、彼はコミュニストだ!と叫んだ。「私が!?コミュニストだって!"'」

ここでペキュシェは「政治犯罪に対する死刑の廃絶」を引き合いに出して、第二共和制が恐怖政治とは程遠いことを強調し、臨時政府を非難する村長フーローを説得しようと試みている。興味深いのはフーローの次のような反応だ。「何でもかんでも廃止ときた!しかし見たまえ、借家人たちは既に要求を始めているではないか!」ここでやや唐突に言及されている「借家人たちの要求」とは具体的にどのような事態を指すのだろうか。そして、なぜフーローは、「死刑の廃絶」とは全く関係のないように思われる借家人たちの要求」を引いて、ペキュシェに反論しているのだろうか。

第一の問いには、作家が執筆のために活用した資料に遡ることで答えることができる。フローベールが「ブヴァールとペキュシェ」のために活用した、ダニエル・ステルン名義のマリー・ダグーの著作「1848年革命史』には、二月革命間もないパリの様子について次のような記述がある。

聖アントワーヌ街では、下層の借家人たちが家主に、満期の家賃の完全な免除、あるいは少なくとも減額を要求した。家主たちのうち、この要求に応じた者は、自らの名前が記された旗が街路を意気揚々と練り歩くのをみることになった。しかし要求に頑として応じなかった家主たちは、あらゆる仕方で揶揄され、嘲弄されることになった。多くの場合、彼らの家には黒旗が立てられ、窓の下で、悪しき家主の典型として、部屋着を着て、綿製の縁なし帽を被った人形が首をつられるか、火刑に処されたのだった”。

  1. Flaubert, Bouvard et Pécuchet, éd. Stéphanie Dord-Crouslé, Paris, Flammarion, coll.
    « GF », 2011, p. 220.
  2. Daniel Stern, Histoire de la Révolution de 1848, Paris, Charpentier, 2' édition, 1862, 2 vol., t. I, p. 21.



フローベールはこの記述に着日し、読書ノートに次のようなメモを残している。「(聖アントワーヌ街の)下層の借家人たちが家賃の免除を要求した。

頑として従わなかった家主たちは嘲弄された。彼らの窓には黒旗が吊るされ、綿製の縁なし帽を被った人形が火刑に処された! 13」小説『ブヴァールとペキュシェ」決定第6章で、フーローが暗に仄めかしている「借家人たちの要求」というのは、この史実を指していると考えて間違いはないだろう。

フーローの発言の背後に、ダニエル・ステルンが記録しているような史実があるとするならば、第二の問いの答え、なぜフーローが「借家人たちの要求」を引いてペキュシェに反論しているのかも自ずと明らかになるだろう。ダニエル・ステルンの記述によれば、「借家人たち」の要求に「頑として応じなかった家主」の家の前には、「黒い旗が立てられ、窓の下で、悪しき家主の典型として、部屋着を着て、綿製の縁なし帽を被った人形が首をつられるか、火刑に処された」のであり、フーローのような保守的な当時のブルジョワにとって、パリでの「借家人たちの要求」の高まりが、過激思想に感化された群衆の暴動を想起させたことは、容易に想像できるからである。「政治犯罪に対する死刑の廃絶」を持ち出したペキュシェに対し、ここでフーローは借家人による不平不満の爆発を仄めかすことで、臨時政府が過激な政治思想を容認していると非難しているのである。このような文脈を一切顧慮せずに、賃貸借問題における家主(proprietaires)の優遇を批判し、借家人の肩を持ったばかりに、ペキュシェは意に反して「コミュニスト」として弾劾されることになったというわけだ。

では、対するペキュシェは、「家主の優遇」という言葉で一体いかなる事態を指していたのだろうか。決定では、ペキュシェの演説は、フーローらに遮られてしまい、その内実を窺い知ることはできない。しかし、ルーアン市立図書館に所蔵されている「ブヴァールとペキュシェ」草稿第6巻

°626には、次のようにペキュシェが非難する「家主の優遇」の内実を知る手掛かりが残されている。

ペキュシェは政府の善政を引き合いに出した。[..]「臨時政府が死刑

13 Les dossiers documentaires de Bouvard et Pécuchet, op. cit., g226, vol. 6, fº 156 r°.


を見事廃止したことはお認めになりますよね。」

フーロー「ごろつきには良い知らせだろう」終いには一切を廃止するに違いない。もうすでに別の混乱が生じている。見よ借家人の要求を。

[かってパリの住人だったブヴァールとペキュシェは、法律は家主を優遇していると思う」

家主は特権的な債権者である。なぜなのか?家具商(tapissier)の例。

なぜ不動産所有は、他の所有より保護されているのか。

「お前は所有を攻撃している。お前はコミュニストだ[..]"4」

興味深いことに作家の読書ノートを参照すると、ペキュシェのこれらの発言一「家主は特権的な債権者である」「家具商の例」、「なぜ不動産所有は、他の所有より保護されているのか」一の背後には、どうやら、プルードンによる所有批判という思想史的文脈が隠れているらしいことがわかる。作品執筆の際にプルードンの遺著「所有の理論」についてフローベールがとった読書ノート Msg 226 vol. 7,『281vには、次のような記述が見られるから

だ。

家主は、賃借人に対して排他的に守られている。

「所有とは盗みである」という命題の説明。

(p.15) なぜなら、賃借人の所有、動産の所有は(不動産所有と同じ所有として)認められていないからだい。

ここでフローベールは、プルードンの遺著「所有の理論』の巻頭に掲げられた「所有という語の様々な意味について」と題された序文の記述を要約している。同序文で、プルードンは不動産所有とその他の所有の扱いの違いについて論じており、我々はそこで「ブヴァールとペキュシェ』草稿第6

巻626で引用されていた「家具商(tapissier)の例」に次のような形で出

くわすことになる。

ある事業家が20年の賃貸借契約(bail)を結び、想像を絶するような

14

Manuscrit du ler volume de Bouvard et Pécuchet, op. cit., Brouillons, vol. 6, f° 626.

15 Les dossiers documentaires de Bouvard et Pécuchet, op. cit., g226, vol. 7, fº 281 v°.



高値で、パリの一等地の一区画に小さな不動産を借りて、そこに一軒のカフェを開いたとしよう。彼は恭しく慣習に従って、6ヶ月分の賃貸料を前払いした。それからペンキ職人や室内装飾業者、家具商(tapissier)、ガスの設営工事業者、ブロンズ職人やシャンデリア職人を呼び寄せて、ラウンジと酒蔵に同じように豪奢な家具を備え付けた。

全て宿用払いである。まずはここで次の違いに注目しよう。すなわち納入業者は期日払いに合意したのに対し、家主への支払いは前払いで行われるのである。

ここで指摘されているように、賃貸借契約(bail)において家主は、あらゆる点で他の形態の契約者よりも優遇されている。その一例が保証金としての6カ月分の前払いである。宿用払いを条件として商品を譲渡する家具商

r tapissier yら、納入業者と比べれば、家主の優遇は一目瞭然である。このような家主の優遇は、支払い方法のみならず、賃借人が破産した場合の債権の扱いにまで及ぶ。『所有の理論」序文では、次のように他の債権者に対する家主の優越が説明されている。

さて、しばらくのち、1年あるいは18ヶ月が過ぎたころ、カフェの経営者は破産の憂き目にあった。納入業者への支払いは、まだ一件も済んでいない。彼らは各々、[….]自分たちの損失を軽減できるのをこれ幸いに商品を回収にやってくる。ところが、彼らは民法の2100条以下に定められている家主の特権を勘定に入れていなかった。家主は、6カ月の前払いのおかげで何も失っていないにも拘らず、突然やってきて次のように言い放つ。「本来であれば、私はこの好条件の賃貸契約から、残りの契約期間19年分の利益を手にするはずだった。[..]従って、残りの賃借契約の収益総額を補償するために、物件に備えられた全ての家具、鏡、振り子時計、ワイン、リキュールおよびその他の備えの品々を差し押さえる。それらが支払い済みであるかどうかは私には関係ない。なぜなら、納入業者諸君が単なる小売商人や製造業者に過ぎ

16 Proudhon, La Théorie de la propriété, Paris, A. Lacroix, Verboekhoben et Cie, 1866,

p.8-9.なお、この著作の序文は、プルードンが遺した草稿と既刊著作の引用をもとに、編者たちが編纂したものである。ここでは、煩瑣な書誌学的検討に立ち入ることはせず、序文の筆者を便宜的にプルードンとして扱う。


を見事廃止したことはお認めになりますよね。」

フーロー|ごろつきには良い知らせだろう」終いには一切を廃止するに違いない。もうすでに別の混乱が生じている。見よ借家人の要求を。

[かってパリの住人だったブヴァールとペキュシェは、法律は家主を優遇していると思う」

家主は特権的な債権者である。なぜなのか?家具商(tapissicr)の例。

なぜ不動産所有は、他の所有より保護されているのか。

「お前は所有を攻撃している。お前はコミュニストだ [..]14」

興味深いことに作家の読書ノートを参照すると、ペキュシェのこれらの発言一「家主は特権的な債権者である」「家具商の例」、「なぜ不動産所有は、他の所有より保護されているのか」一の背後には、どうやら、プルードンによる所有批判という思想史的文脈が隠れているらしいことがわかる。作品執筆の際にプルードンの遺著「所有の理論』についてフローベールがとった読書ノート Msg 226 vol. 7,f281vには、次のような記述が見られるから

だ。

家主は、賃借人に対して排他的に守られている。

「所有とは盗みである」という命題の説明。

(p.15) なぜなら、賃借人の所有、動産の所有は(不動産所有と同じ所有として)認められていないからだい。

ここでフローベールは、プルードンの遺著「所有の理論」の巻頭に掲げられた「所有という語の様々な意味について」と題された序文の記述を要約している。同序文で、プルードンは不動産所有とその他の所有の扱いの違いについて論じており、我々はそこで「ブヴァールとペキュシェ」草稿第6

巻f626で引用されていた「家具商(tapissier) の例」に次のような形で出

くわすことになる。

ある事業家が20年の賃貸借契約(bail)を結び、想像を絶するような

14

Manuscrit du ler volume de Bouvard et Pécuchet, op. cit., Brouillons, vol. 6, f° 626.

15 Les dossiers documentaires de Bouvard et Pécuchet, op. cit., g226, vol. 7, fº 281 v°.





ないのに対して、私は特権的な所有者であるからだ!。[...]」


民法によれば、家主は、賃借人の破産に際して第一に払い戻しを受ける権利(先取特権)を有する「特権的な債権者」である。しかも賃貸借契約(bail)では、賃借人が契約期間満了前に破産して家賃の支払いを続けられなくなった場合、家主は残りの契約期間に支払われるはずだった家賃の総額に等しい額の商品を差し押さえる権利を持っていた。ブルードンが引いている事例が示すように、債権回収において家主に認められたこの二重の特権は、破産した賃借人を経済的に再起不能な状態に追い込むばかりか、いまだ納入品の支払いを受けていない家具商ら納入業者の債権を回収不能にしてしまい、彼らの破産すら招きかねないものだ。これが家具商ら、納入業者の所有権への侵害でなくてなんだろう。ブルードンによれば、民法におけるこのような家主の優遇は、不動産所有者が動産所有者とは決定的に異なる「特権的な所有者」であることの証拠である。フローベールの読書ノートにあった「賃借人の所有、動産の所有は(不動産所有と同じ所有として)認められていない」という要約、そして小説の決定において、ペキュシェが告発する「家主(proprietaires)の優遇」は、このような事態を指していると考えられるだろう。

3. ブルードンとコミュニスム?

フローベールがここで依拠しているプルードンのテクストに立ち返るならば、ペキュシェによる「家主の特権」の告発は、プルードンによる「所有批判」と密接に結びついていると考えられる。プルードンは『所有の理論」序文で、先述したような動産所有と不動産所有の取り扱いに見られる不平等を、他ならぬ自然法学の所有概念の問題を明るみに出す事例として引いていたからだ。フローベール自身も、プルードンの同著作についての読書ノートで「賃借人の所有、動産の所有は(不動産所有と同じ所有として)認められていない」という事実が「『所有とは盗みである』という命題の説明 18」であると記している。

ではブルードンにとって、不動産所有者とその他の所有者の間に不平等

researchma..

  1. Ibid., p. 9.
  2. Les dossiers documentaires de Bouvard et Pécuchet, op. cit., g226, vol. 7, fº 281 v°.


が存在するという事実と、「所有とは盗みである」というスローガンは一体どのような連関を有していたのだろうか。すでに述べた通り、このスローガンが記された「所有とは何か」においてブルードンが批判していたのは、所有権という実定法上の取り決めを、人間が誰しも生まれながら平等に持つ自己保存の権利に基づいた「自然で絶対的な規範的事実」とみなす同時代のイデオロギーである。生存に必要な労働を権原とする自然法学の所有概念は、まさにこのようなイデオロギーに基づくものであった。ところが、民法の規定する様々な所有形態に視線を転じると、自然法学の枠組みで所有を正当化することには大きな困難が伴うことが明らかになる。すでに見たように「所有」という語が現実に指示する対象は一様なものではなく、そこには自然法学の前提とする理念的な平等性と矛盾を来たす現実的な不平等があるからだ。賃貸借契約において家主の所有と納入業者の所有の間に存在する不平等は、プルードンにとって、そのことを示す格好の事例であった。

この不平等は、地主や家主の所有が、実際には第三者の労働によって維持されるという事態によく現れている。地主や家主は不動産を自らの労働力だけで管理・運営することはできない。それゆえ彼らは小作契約や賃貸契約といった形で、所有権自体の譲渡なしに物件を一定期間、第三者に占有・使用・管理させ、自らは資本の提供の対価として、小作料や賃貸料などの収入を得る。所有者のこのような権利は、しかし、自己保存のための労働を権原とする自然法学の所有概念からは決して導出され得ないだろう。

ブルードンは「所有とは何か」で、所有者のこのような権利を、不労所得の権利(droit d'aubaine)と呼び、次のように告発していた。「不労所得の権利(droit d'aubaine)のおかげで、所有者は耕さずとも刈り入れし、栽培せずとも収穫し、生産せずとも消費し、何もなさずとも果実を享受する"°。」「所有とは何か」において、プルードンは、自然権思想の本来の前提一すなわち万人に共通の自己保存の権利と、その帰結としての所有権の平等-に立ち返ることによって、不労所得の権利(droit d'aubaine)と所有者の特権の廃絶を主張した。これがプルードンの所有批判、そして有名な「所有とは盗みである」という命題の意味するところである。

翻っていえば、プルードンの所有批判は、生存に必要な資源や居住空間

19 Proudhon, Qu'est-ce que la propriété ?, op. cit., p. 132.



を占有することや、自らの労働の果実を使用・享受すること自体を批判したものではなかった。占有者たる「小作人」や「賃借人」の権利は、むしろプルードンの観点からは正当に擁護されるべきものであると言える。実際、この点について、『所有の理論』の序文でプルードンは次のように自らの立場を定式化している。


1840年に私が所有についての第一論文を公刊した頃、私は、占有や単なる用益権から所有を区別することに気を配った。私は次のように言った。濫用の権利が存在せず、社会がそのような権利を何人にも認めなければ、所有権は存在しないだろう。その場合はただ単に占有の権利のみが存在するだろう”。20


この観点から、プルードンの著作における「家主の優遇」の告発と「借家人の権利」の擁護は読まれなければならない。それは、所有者の特権の排撃と占有者の権利の擁護を求めるプルードンの一貫したプログラムの一部なのである。「ブヴァールとペキュシェ」第6章において、「家主の優遇」を告発するペキュシェの背後には、このようなブルードンの所有批判が隠れている。

フーローがペキュシェを「コミュニスト」と弾劾することの背景にも、おそらく、プルードンの所有批判があるに違いない。というのも、プルードンの所有批判は同時代の人々からコミュニスムの主張として理解されたからである。例えば、フローベールが「ブヴァールとペキュシェ』執筆時に読んだアルフレッド・シュドルの『コミュニスムの歴史』において、プルードンは次のように評されている。

人々の知性に混乱を広め、豪味極まる階級を社会の乱へと駆り立てた近代の著述家のうちで、プルードン氏よりも壊滅的な影響を与えた人物は他にいない。衆日の一致するところによれば、彼は所有に対する最も執拗な敵対者であり、正当にも所有の否定の不可避の帰結と見做される、コミュニスムの最大の煽動者の一人である”。

Proudhon, La Théorie de la propriété, op. cit., p. 16.

Alfred Sudre, Histoire du communisme, Paris, Victor Lecou, 1848, p. 403.


この点、最も象徴的なのが、プルードンが1848年の7月11日に提出した法案をめぐる騒乱である。1848年6月の国民議会補選にて国会議員として肖選したプルードンは、逼迫する国家財政を賄うと同時に、労働者や事業家への融資を行うため、同年7月11日、地代や家賃の三分の一を税金として徴収し、その半分を国家に、残り半分を借地人、借家人に返還する法案を財務委員会に提出する。不動産所有者の不労所得に課税し、徴税額の一部を借地人や借家人に分配する本法案は二月革命後の経済危機によってら

き起こされた貸し渋りを解消し、産業を活性化させるという意味で、ブルードンの考える「流通ないし用の組織化」を目指した政策であったと言える。同時にそれは所有者の特権を排撃し、占有者の権利の擁護を求める『所有とは何か」以来のプルードンのプログラムに連なるものでもあった。

ところが、プルードンの本法案は、国民議会の多数を占める保守派議員から、「公衆道徳の原理に対するましい侵害」であるとして激しい非難にさらされることになった。その先鞭をつけたのは7月26日に本法案についての報告を行ったテイエールである。プルードンの法案のうちに社会の基盤たる「神、家族、所有権」を損なう過激思想を見てとったテイエールは、公衆道徳侵害のかどでプルードンを糾弾した。結局、法案は廃案となり、「労働権」の保障を盾に「所有の廃絶」を主張した?2プルードンの演説を弾劾する動議が圧倒的多数によって可決される顛末となった。議員たちはプルードンの演説のうちに危険な「コミュニスム」の主張を見てとったのである。

『ブヴァールとペキュシェ』第6章で描かれる「賃貸借問題」における「家主の優遇」についてのフーローとペキュシェの対立は、このティエールとプルードンの間での対立を暗に下敷きにしていると考えられる。事実、決定稿の当該場面に対応する草稿の記述には、次のように、フローベールが当初、所有権をめぐるティエールとプルードンの対立を描こうと考えていたことを示唆する記述がある。「コミュニスムへの恐れ。所有権の問題(ティエールとプルードン)23」。しかも、自らの読書ノートで、フローベー

  1. Rapport du Citoyen Thiers, précédé de la proposition du citoyen Proudhon, relative à l'impôt sur le revenu (...), Paris, Garnier Frères, 1848, p. 85-86, p. 28 et p. 40.
  2. Mamscrit dh " volume de Bouvard et Pecuchet, op.cit, Brouillons, vol.6,「616.但しフローベールは欄外に(ティエールとブルードンの思想については)後になっ


ルは、プルードンの法案をめぐる一連の議論を収めた議事録について「人々がプルードンに投げかけた罵詈雑言とブルジョワたちの愚かしい憤激、そしてプルードンの当該演説を非難するためになされた動議を見るために読むべし2」(Msg 226,vol.7,F185V)と記している。このことは作家が、プルードンを断罪したティエールら保守派議員を弄せんとしていたことを示唆している”。

仮に「賃貸借問題」におけるフーローとペキュシェの対立の背後にプルー

ドンが提出した法案とそれに対する保守派議員の反発という文脈が隠されているとすれば、ブルードンにならって「家主の優遇」を告発するペキュシェが、「コミュニスト」呼ばわりされる理由も十分に理解される。すでに触れた通り、1848年7月の国民議会でブルードンを弾劾した保守派議員たちは、プルードンの法案のうちに私有財産を否定するコミュニスムの主張を見てとっていたからである。

このような批判は、プルードンの側からすれば誤解に基づくものでしかなかった。彼自身は、共同体所有を旨とするコミュニスムに対して、常に批判的であったからである。プルードンは7月31日の国民議会演説で、自らに投げつけられた「コミュニスト」という批判に対して、次のように反論している。

[...]私が所有権の廃絶という言葉で言わんとするのは、繰り返すように、資本収入の廃絶、それも段階的で望みうる限り周到に準備された、自由競争を通じての廃絶、強制収用によらぬ如何なるコミュニスト的な傾向も不在の廃絶に他ならない。私は未だかつてこれ以外の意味でこの語を用いたことはない2。

プルードンが廃絶を主張する「所有」は、「占有」とは区別された資本家の不労所得の権利である。彼の主張によれば、人々が自らの所有物に対して

てからでなければ議論されない」と追記している。

  1. Les dossiers documentaires de Bouvard et Pécuchet, op. cit., g226, vol. 7, f° 185 v°.
  2. Cf. Flaubert, L'Education sentimentale, éd. Stéphanie Dord-Crouslé, Paris,
    Flammarion, Coll. GF , 2013,p.456; Lettre a George Sand, 18 decembre 1867; Corr.
    III, p. 711.
  3. Rapport du Citoyen Thiers, op. cit., p. 40.


有する権利は、「所有権の廃絶により、一種の占有へと変換される」のであり、それはコミュニスムの主張する共同体所有とは区別される。というのも、共同体所有においては、資本家に代わって国家や共同体が所有者の位置を占めるに過ぎないからだ。いわば所有権の所在が移行しただけで、所有権そのものの廃絶には程遠い。「所有の理論」において、プルードンはこの点を次のように明確化している。

したがって、1840年、私は所有権をきっぱりと否定した。私の第一論文を読んだ人々は、私は集団にも個人にも、国家にも市民にも、所有権を認めなかったことを知っているはずだ。このことは、私の側からあらゆるコミュニスト的、国家主義的主張を排除するものである?。

このように、プルードンの「所有権の廃絶」の主張は、コミュニスムとはそもそもの射程を異にするものであった。しかるに、プルードンによる「所有」と「占有」の区別を理解しないブルジョワには、プルードンは、皮肉にもコミュニスムの最大の煽動者と見做されたのである。

プルードンの著作の内在的論理に無理解であるとされるフローベールだが、自身の読書ノートにおいて、プルードンのこの立場を正確に要約していることは見逃せない。「プルードンは所有から占有を区別している[...]彼は所有権を攻撃する労働権に賛同している。しかしながら、コミュニスムに至るような社会の組織化には反対している 28」。またアンリ・ディドンに宛てた1878年11月26日の書簡でも作家は次のように記している。「あらゆる社会主義者の分派は(おそらく、交換の理論を有するプルードンを除いて)、資本を破棄するどころか、それを国家と共同体のものとして要求しています。それは(資本の破棄とは)全く違う事柄です?。」この二つの記述は、作家がプルードンの所有批判とコミュニスムの主張を明確に区別していたことを示している。このことを踏まえた上で、「ブヴァールとペキュシェ』第6章の件の挿話をあらためて読み直せば、そこに込められた

  1. Proudhon, La Théorie de la propriété, op. cit., p. 16-17.
  2. Les dossiers documentaires de Bouvard et Pécuchet, op. cit., g226, vol. 7, fº 260 r°.
  3. Lettre à Henri Didon, 26 novembre 1878. Transcription réalisée pour l'édition électronique de la Correspondance de Flaubert, Centre Flaubert, [en ligne], http:// flaubert-vl.univ-rouen.fr/correspondance/edition.


皮肉を理解できるだろう。ペキュシェを「コミュニスト」と弾劾するフーローの姿には、『所有とは何か』や『所有の理論』の主張を理解することなしにプルードンを「コミュニスト」として弾劾する当時の無知なブルジョ

7たちの「愚かしい憤激」に対するフローベールの皮肉がさりげない形で込められているのである。

4.結論

我々は、作家の草稿や読書ノートにまで遡ることで、「ブヴァールとペキュシェ』第6章に登場する「賃貸借問題」をめぐるフーローとペキュシェの対立の背景に、プルードンの所有批判というコンテクストがあることを明らかにした。これまでの研究において、フローベールはブルードンの著作の内在的論理や論争的側面に無関心であるとみなされてきたが、本稿はそういった見方を一定程度、相対化するものであるといえよう。ペキュシェを「コミュニスト」として弾劾するフーローと、それに対するペキュシェの反応が示すように、作家が、所有権をめぐるブルードンとティエールの論争を、戯画化した形でテクストの中に書き込んでいることは間違いない。

そこには、ブルジョワ的な所有形態を神格化し、社会秩序の絶対的基盤とみなす同時代の保守主義のイデオロギーに対して、作家が向ける批判的な視線が読み取れるだろう。この点において、フローベールとプルードンは立場の違いを越えて、同じ批判精神を共有していたのである。

(日本学術振興会特別研究員 PD)


Flaubert et Proudhon :

les questions de la propriété dans Bouvard et Pécuchet

Nobuyuki HIRASAWA

Pour rédiger L'Éducation sentimentale et le chapitre VI de Bouvard et

Pecuchet, Flaubert a lu plusieurs ouvrages de Pierre-Joseph Proudhon et il en a pris des notes. Dans ces notes, Flaubert s'est contenté de relever les traits antipathiques du socialiste ; et il a souvent négligé les enjeux polémiques de ses ouvrages. Certains critiques considèrent ainsi Flaubert comme insensible à la portée polémique des ouvrages proudhoniens qui visent à remettre en cause les arguments justifiant la propriété, sur lesquels s'appuient les théoriciens bourgeois de l'époque.

Pourtant, si l'on regarde de près la genèse de Bouvard et Pécuchet, il est clair que, dans son œuvre posthume, Flaubert avait l'intention polémique de remettre en cause les fondements théoriques de la notion de propriété, en se référant à des ouvrages proudhoniens tels que Qu'est-ce que la propriété? et La Théorie de la Propriété. Flaubert n'était donc pas insensible à la dimension polémique des ouvrages proudhoniens. Si notre auteur n'a pas retenu ce plan initial dans le texte final, des traces de la critique proudhonienne sont néanmoins perceptibles dans l'épisode du débat entre Pécuchet et Foureau sur la location immobilière (le chapitre VI). Notre article se propose de reconstituer le contexte proudhonien de cette scène, qui restera imperceptible pour le lecteur d'aujourd'hui, sans l'examen minutieux des avant-textes du

roman.

(Chercheur-postdoctoral à la Société japonaise

pour la Promotion de la Science)


フローベールとプルードン:

『ブヴァールとペキュシェ』における所有権の問題

平澤信之

『感傷教育』および『ブヴァールと

ペキュシェ』の第6章を執筆するにあたり、フローベールはピエール=ジョゼフ・プルードンの著作をいくつか読み、そのメモを残していた。これらのメモの中で、フローベールは社会主義者の好ましくない側面を指摘するにとどまり、その著作が抱える論争的な争点についてはしばしば見過ごしていた。そのため、一部の批評家は、当時のブルジョア理論家たちが拠り所としていた所有権を正当化する論拠に疑問を投げかけることを目的としたプルードンの著作の論争的な意義に対して、フローベールは無関心であったと見なしている。

しかし、『ブヴァールとペキュシェ』の創作過程を詳しく見てみると、フローベールがこの遺作において、プルードンの『所有とは何か?』や『所有の理論』といった著作を参照しつつ、所有という概念の理論的基盤に異議を唱えるという論争的な意図を持っていたことは明らかである。したがって、フローベールはプルードン派の著作が持つ論争的な側面に対して無関心ではなかった。著者が最終稿においてこの当初の構想を採用しなかったとはいえ、ペキュシェとフーローによる不動産賃貸をめぐる議論のエピソード(第6章)には、プルードン派の批判の痕跡が依然として認められる。本稿では、小説の「前文」を綿密に検討しなければ、現代の読者には気づかれないであろう、この場面に込められたプルードン的な文脈を再構築することを試みる。

(日本学術振興会

博士研究員)



https://x.com/yuji_nishiyama/status/2039374952621817930?s=61

デリダ『声と現象』の文庫も新版。今回はマラブーの序文付き。


キャサリン・マラブー

『声と現象』を再読する


 今日『声と現象』を読み返すことは、単に脱構築の基礎となるテキストに立ち返るというだけではない。それは、その衝撃が今なお波紋を広げ続けていることを改めて体験することなのだ。1967年に出版された本書は、その批評的な力を少しも失っていない。意識の現象学、現前についての思考、言語哲学、そして生きた自己感情としての意味の決定といった、私たちがすでに安定していると思っていた境界線を、本書は今もなお揺るがし続けている。


 『声と現象』は、現象学が「声」と呼ぶもの、すなわち内言、意識が絶対的な近接性をもって自己と接触しているように見える沈黙の対話に疑問を投げかけることで、フッサールの厳密な読解を展開していることは周知の事実である。フッサールはこの声による自己感情の中に、書かれた記号という外部の媒介から解放された、自己に完全に現前する意味の可能性を見出した。声は「自分の声を聞く」こととして、意味と意識の一致を保証し、志向性の透明性を自己に対して守ることを意図していた。声は「伝達」するのではなく、自己に耳を傾けていたのである。


デリダが解体するのは、まさにこの自明な内面性である。しかし、彼はそれを単に否定するわけではない。実際、『声と現象』は、単に書くことと話すことを対立させるものでも、現前性の形而上学的特権を非難するものでもない。その試みはより繊細で、より根本的なものだ。それは、声による自己愛そのものが、決して純粋ではなく、決して単純ではなく、決して無傷ではないことを示すことにある。声は完全な即時性をもって現れるのではなく、すでに還元不可能な隔たり、遅延、そして時間化によって形作られているのだ。

その違い。手がかり、身振り、顔の動き、痕跡、繰り返し、つまり最初から意味をそれ自体の外に置くあらゆる刻印なしには、表現は存在しない。

 この転換は決定的なものである。それは、時間性と主観性が絡み合う超越論的現象学のまさに核心に触れる。デリダは記号の理論だけでなく、意味構成の根源的な場としての主体という概念そのものにも疑問を投げかけている。

声が純粋な存在ではなく、自己愛がすでに内的な他者性によって汚染されているならば、主体性はもはや疑う余地のない理想性の基盤として捉えることはできない。主体性自体が、それに先行し、その痕跡を辿る差異化作用の結果となる。「差異の運動は超越論的主体に生じるのではなく、主体を生み出すのである。」

 したがって、『声と現象』を読み直すということは、総合の内在的な脆弱性という観点から、カントとフッサールをこれまでとは異なる視点から読み直すことを意味する。総合はもはや、主体の庇護のもとに多様性を統一するだけのものではなく、常に分離、遅延、非一致に晒されている操作として現れる。時間はもはや内在的な意味の単なる形式ではなく、現前がそれ自体で閉じられることを防ぐものとなる。

 本書の揺るぎない強みは、言語や主体性に関する新たな理論を提示しない点にある。それは、既存の概念を置き換えることなく、むしろ既存の概念を解体し、提起する問いを未解決のまま残す。本書『声と現象』は現象学に取って代わるものではなく、現象学自身の前提と緊張関係に置くことで、現象学が排除しようとしたもの――書くこと、痕跡、媒介――が、すでに生きた経験の中心で作用していることを示している。

 このような解釈は、今日において新たな意味合いを帯びる。言語が主体なしに機能し、技術的な装置が意識や生きた意図なしに意味のあるシーケンスを生み出す時代において、『声と現象』は予言的なテキストとして現れる。

彼がこれらの展開を予見していたからではなく、究極的な主観的保証なしに総合を可能にしたからである。デリダが痕跡、差異、補足と呼んだものは、言語の一般的な条件として、古典的な言語意識の場面を超えて理解できるようになる。

 したがって、今日このテキストを読み返すことは、それを博物館に展示することではなく、むしろ、存在の形而上学を新たな技術的あるいは計算的な確実性で置き換えようとする誘惑が強い現代社会において、このテキストが問い続けていることを認識することである。『声と現象』は、意味の創造は、残余、空白、不透明さ、さらには技巧なしには成り立たないことを力強く私たちに思い起こさせ、まさにそこに思考の責任が果たされるのだと教えてくれる。

 この新版は、忍耐強く、注意深く、そして懐古主義に陥ることなく読むことを促します。脱構築は破壊行為でも、方法でも、過ぎ去った時代でもなく、むしろ必要条件であることを私たちに思い出させてくれます。それは、言葉の優位性を額面通りに受け取ってはならないという条件です。声、たとえ内なる声であっても、決して孤独ではありません。そして、このあり得ない孤独の中から真実が生まれるのです。


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RELIRE LA VOIX ET LE PHÉNOMÈNE par Catherine Malabou


 Relire La Voix et le Phénomène aujourd'hui n'est pas seulement revenir à un texte fondateur de la déconstruction, c'est éprouver à nouveau une secousse dont les ondes n'ont cessé de se propager. Le livre, publié en 1967, n'a rien perdu de sa puissance critique. Il continue de déplacer les lignes là où l'on avait cru pouvoir les stabiliser : dans la phénoménologie de la conscience, la pensée de la présence, la philosophie du langage et la détermination du sens comme autoaffection vivante.


 On sait que La Voix et le Phénomène déploie une lecture rigoureuse de Husserl en questionnant ce que la phénoménologie appelle la « voix », c'est-à-dire la parole intérieure, le discours silencieux par lequel la conscience semble se contacter elle-même dans une proximité absolue. Husserl voyait dans cette autoaffection vocale la possibilité d'un sens pleinement présent à soi, affranchi de la médiation extérieure du signe écrit. La voix, en tant que « s'en-tendre-parler », devait garantir la coïncidence du sens et de la conscience et protéger la transparence de l'intentionnalité à elle-même. La voix ne « communiquait » pas. Elle s'écoutait.


C'est cette évidence de l'intériorité que Derrida vient fissurer - sans jamais la congédier simple-ment. En effet, La Voix et le Phénomène ne se contente pas d'opposer l'écriture à la parole, ni de dénoncer un privilège métaphysique de la pré-sence. Le geste est plus subtil, plus radical aussi : il consiste à montrer que l'autoaffection vocale elle-même n'est jamais pure, jamais simple, jamais in-demne. La voix ne se manifeste pas dans une immédiateté pleine; elle est déjà travaillée par un écart, un retard, une temporalisation irréductibles :

la différance. Il n'y a pas d'expression sans indices, gestes, mouvements de physionomie, marques, ré-pétitions, toutes inscriptions qui mettent d'entrée de jeu le sens hors de lui.

 Ce déplacement est décisif. Il touche le cœur même de la phénoménologie transcendantale, là où se nouent la temporalité et la subjectivité. Derrida ne met pas seulement en question une théorie du signe mais bien aussi une certaine idée du sujet comme lieu originaire de la constitution du sens.

Si la voix n'est pas présence pure, si l'autoaffection est déjà contaminée par une altérité interne, alors la subjectivité ne peut plus être pensée comme le sol indiscutable de l'idéalité. Elle devient elle-même l'effet d'une opération différentielle qui la précède et dont elle suit la trace : le « mouvement de la diffé-rance ne survient pas à un sujet transcendantal, il le produit ».

 Relire La Voix et le Phénomène revient dès lors à relire Kant et Husserl autrement, depuis ce point de fragilité interne de la synthèse. La synthèse n'est plus ce qui unifie simplement le divers sous l'égide du sujet; elle apparaît comme une opération toujours déjà exposée à la disjonction, au retard, à la non-coïncidence. Le temps n'est plus la simple forme du sens interne ; il est ce qui empêche toute clôture de la présence sur elle-même.

 Ce qui fait la force durable de ce texte est qu'il ne propose pas une théorie alternative du langage ou de la subjectivité. Il opère un déplacement sans relève, une désarticulation qui laisse ouvertes les questions qu'elle soulève. La Voix et le Phénomène ne remplace pas la phénoménologie; il la met en tension avec ses propres présupposés, en montrant que ce qu'elle cherchait à exclure - l'écriture, la trace, la médiation - est déjà à l'œuvre au cœur de l'expérience vécue.

 Une telle lecture prend aujourd'hui une résonance nouvelle. À l'heure où le langage peut fonctionner sans sujet, où des dispositifs techniques produisent des enchainements signifiants sans conscience, sans intention vécue, La Voix et le Phénomène apparaît comme un texte prémonitoire

- non pas parce qu'il aurait anticipé ces développe-ments, mais parce qu'il a rendu pensable une synthèse sans garantie subjective ultime. Ce que Der-rida appelait trace, différance, supplément, devient lisible comme condition générale du langage, au-delà de la scène classique de la conscience parlante.

 Relire ce texte aujourd'hui n'est donc pas le mu-séifier mais reconnaître à l'inverse qu'il continue d'interroger notre présent, là où la tentation est grande de substituer à la métaphysique de la présence une nouvelle assurance technique ou compu-tationnelle. La Voix et le Phénomène rappelle avec force qu'aucune production de sens ne se donne sans reste, sans écart, sans opacité, sans artifice même - et que c'est précisément là que se joue la responsabilité de la pensée.

 La présente réédition invite ainsi à une lecture patiente, attentive, sans nostalgie. Elle rappelle que la déconstruction n'est ni un geste de destruction, ni une méthode, ni une époque révolue mais une exigence : celle de ne jamais croire sur parole la supériorité de la parole. La voix, même intérieure, n'est jamais seule. Et c'est de cette solitude impossible que naît la vérité.



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