症例エメ
エメの場合、その行為のある特別な点が子供のころから現われている。《彼女はけっして他人とは合わない。彼女はいつも遅れる》。この明らかな臨床的特徴、つまり行為の緩慢さと遅れは、ジャネが精神衰弱症状の次元での重要性を示したものだが、これは発達の途上で現われてくるであろうような同次元の数多い特徴の意義をすべて含んでいる。
家族複合の病理
●転移神経症
…
症状があらわすもろもろの動向をはっきりさせたあとで、症状を人格内へ導入する分裂の発生をこのように示すことによって、フロイトの解釈は、ジャネの臨床的分析と一線にならぶが、神経症を不安に対する特異な戦いとしてドラマ風に理解する点でこれを超えている。
…
●強迫神経症
強迫症状についていえば、ジャネが自我を組織するもろもろの行為の分離をまさしくそこに認めたのだが──つきまとう不安、強迫衝動、強迫儀礼、強制行為、反芻的ないし小心翼々とした強迫、あるいは強迫的疑惑などでわかるように──この症状はその意味を観念内での感情の置き換え(déplacement de l'affect)から受けとる。この過程の発見はこれまたフロイトに負っている。
星5つ中4つ
ラカンによるプルードン評
2007年11月28日に日本でレビュー済み
以下、レビューというより読書メモです。
ラカンはプルードンの恋愛論(おそらく『革命と教会における正義』におけるそれ)に関して「セミナール2」において以下のように述べています。
「プルードンを読まれることを薦めます。この人は揺るぎない精神の持ち主で、教父のような確かな語調で語る人です。彼は人間の条件についてほんの少し身を引いて考察し、一般に考えられているよりずっと手を焼かされると同時に繊細なこの事柄、つまり貞節に接近しようとしました。(中略)プルードンの思考はことごとくロマンティックな幻想に刃向かうものですが、一見したところ神秘主義的とも見えるような文体で結婚における貞節を規定しようとします。そして彼が解答を見いだすのは象徴的契約としてしか認識できない何ものかにおいてなのです。」(「ソジー」『フロイト理論と精神分析技法における自我―1954- 1955 (下) 』岩波書店pp146−7)
相手である異性を通して「すべての男/女」につながろうとする恋人同士の感情の奥に潜む無意識をラカンは、プルードンの相務的契約=相互主義的交換理論をヒントに読み解こうとしています。ラカンもプルードンも原理的な主張と政治的な主張を一つの文章の中で行なおうとしていて文章が難解になる点が似ているのですが、そこから明確な解答を得ようとする方向性も似ています。
二人とも交換=契約によってカオスを脱しようとしているのです。
もちろんラカンは「剰余享楽」(これはセミナール16にある用語)にも注意を払っています。マルクスの用語である剰余価値をラカンは「剰余享楽」と読み替えるなど、思い切った試みをしています。かつて、ラカンはフロイトよりもジャネの方がすぐれていると指摘したことがあるらしいですが(『ラカン』マローニ、新曜社)、マルクスやフロイトに対する見直しもラカンを鍵に行えるかもしれません。
ちなみに、プルードンの交換システムなどは、文学理論とは違う「現実界」のものですが、ラカンの立場からは「象徴界」と「想像界」を含むボロメオの結び目(これはイタリアのボロメオ家の紋章が名称の元になっている)をつなぐ試みとして考えることも出来るでしょう。ラカンとプルードンの違いをあえて指摘するならば、ラカンの方が、契約を保障する象徴的な第三項により多くの構造上の力点を置いている点でしょう。
ところで、『ジャック・ラカン伝』(河出書房新社、p26,69)を読むと、ラカンは若いころスピノザのエチカの構成を表す図面(色付の矢印つき)を部屋に飾っていたそうです。プルードンも『革命と教会における正義』で『エチカ』から引用していましたが(第5部定理20)、これは相互主義の理論的強化に役立つ部分でした。ラカンとプルードンのスピノザ理解(具体的にはラカンの飾った図はどのようなものだったのでしょうか?)も興味深いところです。
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