邪馬台国阿波説の特徴は古事記の舞台が阿波であるという歴史の連続性の主張である。例えば
●フランキー堺のテレビ番組(「いま解きあかす古代史の謎!ついに発見!!幻の国・皇祖の地高天原」日本テレビ、1977年)も邪馬台国より高天原が重視された。
以下メモ。
●空海『太龍寺縁起』(825年)に皇都阿波説を連想させる記述があるという。
●徳川光圀は、江戸に修史局を開き、大日本史の編纂に乗り出した後、元禄10年(1697)、突然、徳島藩や老中土屋相模守政直を呼びつけ、阿波及び淡路両国にある古代天皇の墳墓の調査を命じた。古代阿波国の重要性を嗅ぎつけていた?
●本居宣長の弟子筋?千家俊信による『杉の小山の記』は、
天保二年(1831年)に記された「天石門別八倉比賣大神御本記」解説本。千家は柿本人麻呂が阿波で歌を詠んだと確信したらしい。
●その後幕末の阿波の勤皇国学者、池辺真榛(1830~1863)がいる。池辺は平安時代の法令集『延喜式』を研究するなかから、阿波国を日本の「本つ国」と称した。
阿波国風土記によれば、空から降ってきた山の大きなもので、阿波国に降ってきたものを天本山(あまのもとやま)という。その山は砕けて大和国に降り付いたものを天香具山(あまのかぐやま)と呼ぶという。
●その影響を受け、維新後に東京美術学校教授になった小杉榲邨(1835~1910)が阿波神代史を研究、
●さらにその流れをくみ、樺太・択捉の探検でも知られる明治中期の徳島中学校長の岡本監輔(1839~1904。『名神序頌』の著書あり)が、「神代の高天原は阿波の国をさすと思われる」と公言したという話が地元に伝わっている。
●折口信夫(1887~1953)は、天皇家のルーツを辿って奈良を調べていたがどうしても7世紀から遡れず、あることがきっかけで遂に皇祖の地が阿波であると確信したと言われる。
《阿波といへば、舊地の舊地》(「日本文學の發生 序說」『折口信夫全集 第七巻』246頁)
●以下谷川健一(1921~2013)「阿波--栗の信仰と海人族の足音」『黒潮の民俗学』(1976)より、
《古事記や日本書紀の作者ができるだけ神話の舞台をひろく見せるために、九州や出雲をさかんに登場させることがあっても、イザナギ、イザナミの神話は淡路をそう遠くはなれてはならぬ。むしろ、鳴門海峡や明石海峡が出てくるのだから、阿波の国を考えるのが一番自然である。》
●明示的な邪馬台国阿波説については、以下大杉博氏(1929~)の著作から引用する。
●邪馬台国阿波説を最初に発表したのは上板町の故・保田兵治郎氏で、昭和36年(1961年)地元の神社の古記録に「粟散土国王在日弥子」の記事を発見し、邪馬台国研究に入った。
そして阿波歴史研究会で「邪馬台国阿波在国説」を発表したのが昭和39年(1964年)。
保田氏は昭和41年(1966年)には「建国日本秘匿史の解折と魏志倭人伝の新解訳」を自費出版した。
●この保田氏をモデルとして「邪馬台国は阿波だった」(1983年刊行、表題作執筆は1974年)という小説を書いたのが堤高数氏。
●これらの足跡を受けて昭和51年(1976年)に、古代阿波研究会というグループが「邪馬壱国は阿波だった」を出版した。
●『道は阿波より始まる』 (①②③1985~1989)の著者岩利大閑(1925~1989)は上記グループの一員。
●『狐の帰る國』 坂東 一男著 1994年。坂東氏(1923~?)は岩利氏の友人。岩利氏の父も郷土史家。
●『皇都ヤマトは阿波だった』の笹田至孝も『古代史入門』の藤井榮も彼の弟子筋。
●2006 (平成18) 年 9月11日にたま出版から発行されたのが、高木隆弘先生の 『記・紀の説話は阿波に実在した』。
●小説『アマテラス・サーガ』(2021)、小説『ヒミコの暗号』(2025)は、
岩利氏の主張をわかりやすく書いた藤井榮『古代史入門』に多くを負っている。
(邪馬台国阿波説を最初に商業小説にしたのは『邪馬台国の神符』志茂田景樹1984年。後に九州説に転向)
他に
●「阿波古事記研究会」 の三村隆範氏、
●ブログで活躍しているぐーたら秋山氏、
●鉱物に着目した越智正昭氏、
●邪馬台国行程に画期的な説を唱えたyoutuberのANYAチャンネル、
●阿波忌部を研究する林博章氏など。
ぐーたらさん以外は著作あり。
ぐーたらさんは著作はないがブログは影響力大。
●谷務氏などYouTubeチャンネルも影響力大。
●追記。大杉氏は宇野正美氏と知り合うことによって、朝廷の出自隠しの理由を「契約の箱(失われたアーク)を隠匿するため」ということに変更した。
邪馬台国阿波説には日ユ同祖論を採る人もいる。
0 件のコメント:
コメントを投稿