飛鳥昭雄 蘇民将来2021
#2
ツヌガアラシト 天之日矛に関して避けて通れないのが「ツヌガアラシト」である。『日本書紀』に「都怒我阿羅斯等」という名前で登場する渡来人で、その伝承が天之日矛とそっくりなのである。しかも、書かれている場所が天之日矛の記事の直前なのだ。
逸話はふたつある。ひとつは先代の崇神天皇の御代の話として、こう記されている。あるとき、額に角の生えた男が一艘の船に乗って越の笥飯浦にやってきた。角が生えていたので、その地を角鹿と呼ぶことにした。 何者かという問いに対して、ツヌガアラシトは自分を「大加羅国」の王子であり、名を「都怒我阿羅斯等」、またの名を「于斯岐阿利叱智干岐」と称した。日本に聖王がいると聞き、海を越えて穴門へ上陸。そこから出雲を経て、ここにやってきたという。 だが、あいにく、ちょうどそのころ崇神天皇が崩御された。やむなく、ツヌガアラシトは垂仁天皇に仕えた。3年後、垂仁天皇はツヌガアラシトに帰国することを許し、祖国の名を崇神天皇の御名「御間城天皇」にちなんで「任那」と呼ぶようにいった。
帰国の際、ツヌガアラシトは赤い絹織物を賜り、これを大切に倉庫へ納めた。が、そこへ新羅人がやってきて、強引に赤い絹織物を奪っていった。このことが原因で、任那と新羅の関係がこじれ、人々は互いに争うようになったのだという。
もうひとつは、こうだ。故国にいたとき、ツヌガアラシトは農具を背負わせた黄牛を引いて地方の村へ行った。すると、急に黄牛がいなくなった。足跡をたどって村の奥へと捜しに行くと、そこにひとりの老人がいた。
老人曰く、ツヌガアラシトが捜している黄牛は、この村の役人がつかまえて食べてしまった。どうせ食べるための黄牛に違いない。飼い主がやってきたら、物を与えて代償とすればいいと村役人は考えている。だから、もし彼に会って、黄牛の代償として何を望むかと聞かれたならば、下手に財物を望んではいかん。むしろ村に祀ってある神様がほしいというがいい、と。 そこでツヌガアラシトは出会った村役人に対して、いわれた通りの返事をした。すると村役人は了承し、村で祀っていた御神体の白い石を差しだした。これを受け取ったツヌガアラシトは帰宅して納屋にしまっておいた。すると、白石は美しい女になった。ツヌガアラシトは大いに喜び、一夜を共に過ごそうとしたが、それも束の間。ちょっとした隙に女は姿を消してしまう。
妻に聞くと、彼女は東方へ旅立ったという。あきらめきれないツヌガアラシトは女を追って海を渡り、日本へとやってきた。女は豊国から難波に至って、日本の神様となっていた。彼女は今も「比売語曽社」に祀られているという。 天之日矛とツヌガアラシトの類似性は、だれの目にも明らかだ。まず、両者は、共に朝鮮半島からの渡来人である。新羅と大加羅=任那との違いはあれど、共に王子という身分だ。渡来してきた理由のひとつは、日本に聖王がいるから謁見したい。もうひとつは逃げた女を追ってきた。どちらも説話に牛が登場し、色の違いはあれど、玉が女に化生して、さらに男の元を去って海を渡り、日本の難波で神として祀られる。天之日矛とツヌガアラシトは同一人物だと見て間違いないだろう。
さらに『日本書紀』で、ツヌガアラシトを紹介した段には、もうひとり「蘇那曷叱智」なる人物が登場する。彼も任那の人間で、崇神天皇の時代に渡来し、垂仁天皇の時代に帰国している。その際、彼は赤い絹織物を賜ったが、これを新羅人が略奪したことで、任那と新羅の関係がこじれて争うようになったという。状況から考えて、蘇那曷叱智も同一人物だと考えていい。つまり、こうだ。 「天之日矛=都怒我阿羅斯等=于斯岐阿利叱智干岐=蘇那曷叱智」 ツヌガアラシトで興味深いのは、その額に生えた角だ。おそらく鬼のように、2本の角が生えていたのだろう。鬼門の方角は「艮」、つまり「丑寅」であり、鬼のイメージは牛の角に虎の腰巻だ。ツヌガアラシトは「牛人間」として描かれている。
事実、朝鮮半島の官職名だとされる「于斯岐阿利叱智干岐」の「于斯岐」は「ウシキ」である。「キ」は助詞であると説明されるが、これを日本語読みすれば「牛鬼」とも解釈できる。合わせて「都怒我阿羅斯等=于斯岐阿利叱智干岐」とは、牛鬼のような角が生えた人という意味だ。 そう、これは、まさしく牛頭天王である。牛頭天王は新羅の牛頭山で祀られていた。牛頭山=ソシモリに降臨したスサノオ命は新羅から日本へと渡ってきた。ある意味、天之日矛は牛頭天王にして、スサノオ命であったのかもしれない。 もっとも、頭に牛の角があったというのは、おそらく象徴だろう。石川県七尾市にある「久麻加夫都阿良加志比古神社」では配神としてツヌガアラシトを「都努加阿羅斯止神」という表記で祀っている。実際は、主祭神である「阿良加志比古神」と同一神だと思われる。神社名にある「久麻加夫都」は「熊甲」であり、勇壮な武者甲を意味している。戦国武将の甲には、しばしば角がしつらえられる。ツヌガアラシトもまた、牛のような角をつけた甲をかぶっていたのではないだろうか。 さらにいえば、天之日矛は牛頭天王を祀っていたのではないか。彼は牛をトーテムとする一族で、牛頭天王を信仰していた。新羅にいたころ、牛頭山に牛頭天王を祀り、日本に渡来して、スサノオ命として神社の祭神としたのは、天之日矛及び、その配下でいっしょにやってきた新羅系渡来人だった可能性は高い。 イザサワケ命 天之日矛という名前は非常に日本的である。あくまでも記紀においてではあるが、実在する人間に対して「天」と冠する例は、ほかにはない。研究家によっては、そもそも天之日矛は倭国の人間だったとする人もいる。 確かに、天之日矛と同一人物と目されるツヌガアラシトは大加羅の王子だった。大加羅とは伽耶諸国のひとつで、日本は任那と呼んでいた。任那は朝鮮半島における大和朝廷の直轄地とされ、そこにいた優秀な人物に対して「天」という名を贈ったとしても不思議ではない。 問題は天皇だ。古代天皇と天之日矛の関係だ。ただ単に新羅や伽耶からの渡来人であるならまだしも、天皇と深い関係にあるとすれば、話は違う。記紀神話において、きわめて微妙な説話がひとつある。「イザサワケ命」だ。 イザサワケ命は『古事記』で「伊奢沙和気大神之命」と記される。時代としては、応神天皇のころだ。まだ「応神天皇=誉田別命」が幼かったころ、彼は豪族の有力者であった武内宿祢に連れられて諸国を行脚した際、越の敦賀へとやってくる。敦賀には父である第14代・仲哀天皇が立てた行宮「笥飯宮」があり、禊をするため仮宮を建てた。
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