老子道徳経/老子の哲学 ペーパーバック – 2021/8/6
トルストイ 小西増太郎 (翻訳)
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トルストイと日本人留学生小西増太郎により露訳された「老子道徳経」の和訳版です。和訳は、詩人・演劇評論家であり、チェホフの研究者としても著名な神奈川大学名誉教授、中本信幸氏です。
トルストイによって紡ぎ出された老子の言葉は、中本名誉教授の訳文を得て、まるで壮大な詩のように生まれ変わりました。是非、舞台で朗々と聴衆に語りかけるように、そんな気分でお読みください。新しい老子の世界に出会える筈です。
小西の「老子の哲学」は、ロシアで発表されたもので本邦初公開の論文です。トルストイとの「老子」翻訳直後にロシア語で書かれました。
小西増太郎(1861年〜1939年)は、26歳の時、ロシアへ留学。キエフの神学校を卒業後、モスクワ大学へ行きました。
そこでニコライ・グロート教授(1852年〜1899年)のもとで学び、『大学』『中庸』『孝経』のロシア語訳を一気に仕上げます。すると小西の翻訳力を高く評価したグロート教授は、『老子道徳経』のロシア語訳を勧めました。
当時、東洋の思想、特に「老子」に強く関心を持っていたトルストイは、教授からその話を聞くと、「その青年に会いたい」と申し出たのです。
そこでグロート教授に伴われ、モスクワのトルストイ別邸を訪問することになりました。1892年11月のことです。『老子』を通じ、小西増太郎はトルストイに出会った最初の日本人になりました。
それから、4か月間にわたり、トルストイと小西の二人の露訳作業が隔日ごと進められました。
作業の初日、翻訳原稿を持ってトルストイ邸に訪れた小西は、トルストイに尋ねました。
「どのように仕事を始めましょうか」
トルストイは、次のように答えます。
「英・独・仏の訳文を私が見ているから、君は自分の訳をゆっくりと読んでください。そうすると、わたしは一語一語、三訳に照合します。そして一句まとまると、行文を整え,一章を終えると全文を訂正、確定するようにしましょう」
こうして「老子」の露訳作業は始まりました。
作業の経緯、翻訳の内容につきましては、『トルストイが日本人留学生に贈った聖書』及び『トルストイにより老子道徳経は、壮大な詩に生まれ変わった。』(いずれも電子版、吉橋泰男著)をご覧ください。
トルストイによって紡ぎ出された老子の言葉は、中本名誉教授の訳文を得て、まるで壮大な詩のように生まれ変わりました。是非、舞台で朗々と聴衆に語りかけるように、そんな気分でお読みください。新しい老子の世界に出会える筈です。
小西の「老子の哲学」は、ロシアで発表されたもので本邦初公開の論文です。トルストイとの「老子」翻訳直後にロシア語で書かれました。
小西増太郎(1861年〜1939年)は、26歳の時、ロシアへ留学。キエフの神学校を卒業後、モスクワ大学へ行きました。
そこでニコライ・グロート教授(1852年〜1899年)のもとで学び、『大学』『中庸』『孝経』のロシア語訳を一気に仕上げます。すると小西の翻訳力を高く評価したグロート教授は、『老子道徳経』のロシア語訳を勧めました。
当時、東洋の思想、特に「老子」に強く関心を持っていたトルストイは、教授からその話を聞くと、「その青年に会いたい」と申し出たのです。
そこでグロート教授に伴われ、モスクワのトルストイ別邸を訪問することになりました。1892年11月のことです。『老子』を通じ、小西増太郎はトルストイに出会った最初の日本人になりました。
それから、4か月間にわたり、トルストイと小西の二人の露訳作業が隔日ごと進められました。
作業の初日、翻訳原稿を持ってトルストイ邸に訪れた小西は、トルストイに尋ねました。
「どのように仕事を始めましょうか」
トルストイは、次のように答えます。
「英・独・仏の訳文を私が見ているから、君は自分の訳をゆっくりと読んでください。そうすると、わたしは一語一語、三訳に照合します。そして一句まとまると、行文を整え,一章を終えると全文を訂正、確定するようにしましょう」
こうして「老子」の露訳作業は始まりました。
作業の経緯、翻訳の内容につきましては、『トルストイが日本人留学生に贈った聖書』及び『トルストイにより老子道徳経は、壮大な詩に生まれ変わった。』(いずれも電子版、吉橋泰男著)をご覧ください。
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