2021年7月1日木曜日

鳥の声と波の音に包まれて ムーミン作者が愛した夏の島 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]


鳥の声と波の音に包まれて ムーミン作者が愛した夏の島 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
鳥の声と波の音に包まれて ムーミン作者が愛した夏の島 | 朝日新聞デジタルマガジン


参考:
北欧スペシャルトーク:フィーカの時間⑬|kukkameri 2021/06/30








鳥の声と波の音に包まれて ムーミン作者が愛した夏の島

北欧・フィンランドの魅力を紹介する、新連載が始まります。フィンランドといえば「ムーミン」の故郷。まずは「ムーミン」の作者トーベ・ヤンソンの愛した小さな島のお話から。見過ごしがちな自然の小さな変化に目を凝らすと、心を満たすヒントが見つかるかもしれません。

四季の美しい自然、アートやデザインを楽しむ暮らし。ライターの内山さつきさんが、フィンランドで日々を豊かにするヒントを見つけ、"幸せ"を感じたスポットや人々の営みを紹介します。

水も電気もない岩の島へボートで

生涯忘れられない旅は? と問われたら、迷うことなく、「クルーヴハル」という名前の小さな島で過ごした一週間のことを挙げると思う。

クルーヴハルは、「ムーミン」シリーズを生み出したアーティスト、トーベ・ヤンソンが夏の間暮らした、フィンランド湾の群島のなかのひとつ。トーベは50歳のとき、パートナーのトゥーリッキ・ピエティラと、この岩礁の小さな島に自分たちの力で小屋を建て、以降20年以上の夏をそこで過ごした。

トーベ・ヤンソン生誕100年の2014年8月、私はジャーナリストとして、イラストレーターの友人とともにこの島に一週間滞在する機会に恵まれた。そしてその旅は、その後の私の旅と進む道をすっかり変えてしまったのだった。

クルーヴハルには、水も電気もなく、人の住む島もすぐ近くにはない。もちろん公共交通手段もないので、地域の船乗りのカイさんにボートを出してもらうことになっていた。私たちを島まで連れて行ってくれるのは、アルベルティーナという名前の美しいボートだ。

「アルベルティーナは、私の父親から取った名前で、この船は父が造ったんだよ。アルベルティーナのネームプレートは、トーベがデザインしてくれたんだ」

カイさんは誇らしげにそう紹介してくれた。アルベルティーナに乗り込んで、いざ、出発!

海
アルベルティーナから眺める夏の海

アルベルティーナは島々の間を抜けると風を切り、飛ぶように走っていく。40分くらい進むと、遠くに島影と小屋の屋根が見えてきた。島は次第に大きくなり、アルベルティーナは、ゆっくりと速度を落とし、カイさんがロープで係留。ボートのエンジン音がやむと、潮の音と鳥たちの声が聞こえるようになった。

ボート

フィンランドでは8月は夏の終わり。白夜の余韻が少しずつ消えていく頃だけれど、日没は午後10時くらいなので、到着した午後6時ごろでも、まだまだ明るかった。

いよいよこれから滞在する、トーベたちが暮らした小屋へ。中には、今もまだ彼女たちが使った家具や食器などが残されていた。部屋のそこここに置かれたものたちが、トーベたちの思い出をささやいているようで、ひとつずつ何を語っているのか耳を傾けたくなる。

部屋

小屋の部屋には窓が四つ。近づいてくる嵐やよそから来るボート、島の中央にある池のようなたまり水に映る月明かりを眺められるように、すべての壁に一つずつ窓が作られた。開け放たれた水色の窓からは、潮の流れる音が絶えず聞こえてくる。

窓辺には一輪のひまわりの花。訪れた前日はトーベの100回目の誕生日だった。ひまわりは、彼女の作品を愛する人たちが、トーベの誕生日にお墓に手向ける花だという。

「ムーミン」シリーズの成功によって世界的に著名な作家となり、常に来客に追われていたトーベにとって、この島は、煩わしい世界から逃れて制作に打ち込むことのできるよりどころだった。トーベが77歳で体力の衰えを理由に島を引き揚げた後は、地元の人々が今も大切に守り、保全している。

石
窓辺に置かれた石。トーベ・ヤンソンは石を愛した

「じゃあ、6日後に迎えに来るからね。もしも嵐が来なかったらだけど」

小屋の使い方を説明してくれた後、カイさんはちゃめっ気たっぷりにそう言い残して帰っていった。嵐を愛したトーベは、その作品に魅力的な嵐をたくさん描いている。凶暴な風やうねる波、目まぐるしく様相を変える空、そして不思議な陶酔と高揚感。

もしも、キャンプの経験もほとんどない日本人女性2人だけがいる、この島に嵐が来てしまったら? そう考えると、少し怖いような気もしたけれど、その嵐さえも体験してみたいという好奇心がむくむくと湧いてきてしまったのだった(でも、結局嵐は来なかった)。

食器
使った食器は環境にやさしい洗剤でさっと洗って海水ですすぐ。そして風に乾かしてもらう
プレート
小屋の入り口に付けられた、トーベ・ヤンソンとトゥーリッキ・ピエティラのプレート。生前トーベは、自分の誕生日に花冠をかぶってお祝いしたという

鳥の声と波の音に包まれて ムーミン作者が愛した夏の島

トーベを思う日々 たくさんの美しい瞬間を見つけて

徒歩10分程度で一周できてしまう島では、時間はあり余るほどあるのではないかと思っていた。なのに、書棚に残された書籍や画集を眺めたり、小説の一編を思い出しながら散策したりしているうちに、日々はあっという間に過ぎてしまった。この小さな島はどの瞬間もどの場所も美しくて、片時も目を離せなかったのだ。訪れた日の夕刻には、西の空に日没を、東の空に満月を同時に眺めることができた。小屋の裏手にある小高い丘に登って岩の上に身を横たえると、一日の終わりと夜の始まりが両手の届くところにあるような気がした。

日没
食事
ろうそくの明かりのもとでの食事もなかなか趣がある
トイレ
こちらは野外トイレ。固形物は滞在後に各自が持ち帰ることになっている

島の真ん中にあるたまり水は、天候によって水位を変え、水が引くと岩の間に緑が茂り、鳥たちが遊びに来る。たまり水を囲む大きな岩々をつたって、外海の方へ歩いていくと、つややかなじゅうたんのような海草の森が広がっている。そして、トーベも愛した丸くすべすべとした石、はっきりとした色のラインが入った、切り立った大きな岩。

鳥
島にはたくさんの鳥たちがやって来る
石
どの石も美しい

夜になると、月明かりが漆黒の海とたまり水に光の道をつくる。明け方に雲を連れてさあっと降ってくる雨が上がった後には、空に鮮やかな虹が架かった。

小さな小屋とたまり水、小高い岩の丘の他には、背の高い木も生えないこの島での暮らしが、こんなに心満たされるものだとは思わなかった。ただ美しい自然の中にいるだけで他には何もいらないことを、私はトーベの残してくれたこの島で実感した。

島の記憶は今もなお色あせない。偉大なフィンランドの作家が愛した島と、その島を大切に守り続ける地元のあたたかい人々は、私にとってフィンランドを何度も訪れたい、忘れられない国にした。それから毎年フィンランドを訪ねている。そしてその度にフィンランドは想像以上に美しい風景を見せてくれ、心あたたまる出会いをくれた。

フィンランドの旅を思い出すとき、人に話すとき、いつもある思いに満たされているのを感じる。もしかしたらそれは、"幸せ"という感情なのかもしれないと最近気づいた。そしてそれは、フィンランドを旅することがかなわない今も薄れることはない、あたたかく懐かしい感情なのだ。

※クルーヴハルは通常は非公開です。夏のオープンウィークのみ一般公開され、ツアーの訪問先として組み入れられることもあります。

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海

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