2026年8月10日月曜日

「ニスカネンの予算最大仮説」について考える | ユウ坊の経済を考えるブログ

「ニスカネンの予算最大仮説」について考える | ユウ坊の経済を考えるブログ

「ニスカネンの予算最大仮説」について考える

 「ニスカネンの予算最大仮説」とは“官僚の私益は、予算規模が大きければ大きいほど増加するという考え方”をいう。「ニスカネンの予算最大仮説」について考える。

  ニスカネンは、給料額が定まっている官僚は(この給料が定まっていることが最大の悪の要因だと個人的に思う)、一般企業のように自らが多大の努力を注力して公共財や行政サービスを効率的に提供しても、自己の報酬を高められない(一般企業では業績連動型の給与が存在する)。

 よって、給料以外に報酬を求める。例せば『大きな権力、名声、綺麗なオフィス、専用車、瀟洒で豪華な官舎、豊富な自由裁量予算、自由に使える交際費、退官後の高い地位等々』である。これらの便益は通常、その官僚自らが支配する資金が大きくなるほど、又、民間への事業発注額が大きくなるほど、それらに比例して大きくなる。従って、官僚は出来るだけその為の資金となる予算を獲得できるように努力する。ゆえに、予算編成においては、大きな予算の獲得が目的となる(いわゆる予算スラック=予算の水増し)。

 官僚が立案、提出した予算は、国会で代議士が国民に変わって検証する。しかし、検証する際、代議士は、通常、官僚ほど情報を持たない(いわゆる情報の非対称性)。官僚の提出する予算要求を詳細に検討して官僚に対抗できない。又、予算案は、議会によって、一括して受け入れるか一括して拒否するかの選択しかないので、議会は結局、政府支出がもたらすサービスの効用が、国民が負担するその費用を下回らない限り、要求額を承認することになるのが通常となる。

 従って、予算規模は、国民が予算の執行から得る純便益が最大となる最大規模、即ち、予算執行から生まれる総便益と支払税額の差を最大とする大きさより拡大し、国民が得たはずの純利益は官僚の私益の拡大のための犠牲となって消滅するとニスカネンは主張している。

 個人的見解をいうと現在の制度では政治家だけを責めるわけにはいかない。政治家にもっと権限と責任を与えるべきだと思う。ファヨールは『責任=権限』の原則を提唱した。責任を果たすにはそのための権限も同時に与えられるべきだ。でなければ責任を果たすことはできなくなる。

 様々な国々で国家予算が破たんしたりしている(これは共同体というような別の理由もあるが…)。全てではないが「ニスカネンの予算最大仮説」が関係している国も多いと思う(調べていないので予測でしか言うことが出来ないが…)。

 取り敢えずわが国でも政治家への責任を増加させ、それに付随して権限も増加させるべきだと思う。

(注)責任を増加させればそれを履行するためにより大きな権限が必要となる。

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