三島歌舞伎の最高峰「椿説弓張月」
こんにちは。五月花形歌舞伎をまたまた新橋演舞場で観てきました。昼の部の感想は「現代にも通じる普遍性 五月花形歌舞伎」というタイトルでブログに書かせてもらいましたが今回は夜の部を観ることが出来たのでその感想を書いておきたいと思います。
今回も会社からいただいたチケットです。しばらく会っていなかった、大阪に本社のあるアバレルメーカーでチーフデザイナーをしている友人を誘って観にいきました。
演目は…
曲亭馬琴:原作 三島由紀夫:作・演出 織田紘二:演出
通し狂言『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)です。
上の巻 伊豆国大嶋の場
中の巻 讃岐国白峯の場
肥後国木原山中の場
同じく山塞の場
薩南海上の場
下の巻 琉球国北谷斎場の場
北谷夫婦宿の場
運天海浜宵宮の場
配役
源為朝 市川染五郎さん
白縫姫/寧王女(ねいわんにょ) 中村七之助さん
高間太郎 片岡愛之助さん
陶松寿(とうしょうじゅ) 中村獅童さん
鶴 中村松江さん
亀 尾上松也さん
左府頼長の霊 大谷廣太郎さん
舜天丸(すてまる)
冠者後に舜天王(しゅんてんおう) 中村鷹之資さん
為朝の子為頼 中村玉太郎さん
武藤太 坂東薪車さん
大臣利勇 澤村由次郎さん
為義の霊 大谷友右衛門さん
阿公(くまぎみ)/崇徳(しゅとく)上皇の霊 中村翫雀さん
高間妻磯萩 中村福助さん
為朝妻簓江(ささらえ) 中村芝雀さん
紀平治太夫 仲村歌六さん
僕、このお芝居長年観たいと思っていたのです。大好きな作家、三島由紀夫さんが、曲亭馬琴の原作に想を得て書き下ろされ、ご自身で演出された「三島歌舞伎」の最高峰と言われるものなので今回観ることができて幸せでした。
「椿説弓張月」は文化4年(1807年)から同8年(1811年)にかけて刊行された、『保元物語』に登場する武将鎮西八郎為朝(ちんぜい はちろう ためとも)と琉球王国建国の秘史を描く、スケールの大きな展開の勧善懲悪の伝奇物語で「南総里見八犬伝」と並ぶ馬琴の代表作だそうです。今では「南総里見八犬伝」の方が有名ですが、刊行された当時は「椿説弓張月」の方が大人気だったそうですよ。
鎮西八郎と称した源為朝の活躍を『保元物語』にほぼ忠実に描いた前篇・後篇と、琉球に渡った為朝が琉球王国を再建(為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという学説があるそうです)するくだりを創作した続篇から構成されています。日本史のなかでも悲劇の英雄の一人に数えられる源為朝に脚光をあて、その英雄流転譚を琉球王国建国にまつわる伝承にからめたスケールの大きい物語です。
正式なタイトルは「鎮西八郎為朝外伝」の角書きが付いて『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』だそうです。『椿説弓張月』の「椿説」は「ちんせつ」と読みます。意味としては「珍説」と同じで、今でいう「異説」の古い表現ですね。この「説」という字は、「遊説」を「ゆうぜい」と読むように、「ぜい」と読むこともできるので「椿説」は、「ちんぜい」という読みが可能で、この「ちんぜい」が、読みが同じ「ちんぜい」の「鎮西」こと鎮西八郎為朝に掛かっているのです。これは歌舞伎の外題で多く用いられる、題名の中に主人公の名を暗示する文字や音を掛詞として織り込む手法で、古くから『椿説弓張月』は歌舞伎の外題風に「ちんぜい ゆみはりづき」と読まれることも多かったみたいです。勉強になりますね(笑)。
馬琴の原作を戯曲化したのが作家の三島由紀夫さんです。昭和44年(1969年)、僕の大好きないしだあゆみさんのブルー・ライト・ヨコハマが大ヒットした年の11月、東京国立劇場で初演されました。形骸化した当時の歌舞伎界に失望していた三島さんが、後の市川猿之助さんのスーパー歌舞伎に通じる、斬新な演出を随所に盛り込み、伝統的な義太夫歌舞伎の様式に構成した新作歌舞伎です。
初演時の配役は、源為朝に8代目松本幸四郎さん、阿公・崇徳院に2代目中村雁治郎さん、紀平治に8代目市川中車さん、高間太郎に3代目市川猿之助さんと一流の役者をキャスティングし、白縫姫には、当時まだ無名に近かった10代の5代目坂東玉三郎さんが抜擢され、玉三郎さんはこの舞台が絶賛され、以降の盛名に至る出世作となったのです。
三島さんは戯曲を書いただけではなく、演出も担い、公演全体の権限も得て、衣装、装置、照明にいたるまで最終決定権を持たれて、公演ポスターも横尾忠則さんを起用するなど自分の歌舞伎の集大成にしようと意気込んでおられたようです。しかし配役は自分の思うようにはいかなかったみたいですね。中川右介さんという方が書かれた「坂東玉三郎」という本によれば、同じ月に歌舞伎座で市川海老蔵さん(十二代目團十郎、今の海老蔵さんのお父様)の襲名披露公演が予定されていて、主だった役者さんは歌舞伎座へでることになっていたからだそうです。玉三郎さんの起用も三島さんが希望したわけではなく、襲名披露公演のリストに名前がなかったので選んだんだと書かれていますがどうなんでしょうね。でも結果的に玉三郎さんはこの作品で注目され、三島さんという後ろ盾を得ることが出来たのですから出演されてよかったってことですよね。
この公演を観て、玉三郎さんの魅力に取り憑かれた若い写真家がいたそうです。それは篠山紀信さんです。これが今に続くお二人のお付き合いの始まりなんですね。運命って面白いです。この初演、観たかったですね。
今回の公演もその初演時の三島さんの演出を基に構成されていたようです。面白かったですね~。「南総里見八犬伝」でも分かるように馬琴の書くものってファンタジーの世界ですよね。荒唐無稽という言葉がぴったりなのですが、でもちゃんと史実を交えて書かれているので、あり得ないけど、あったかもしれないと思わせる不思議な世界なんですね。伊豆大島や琉球が舞台なので、海のシーンが多いのですが、荒れる波の中に巨大な海魚が出現したり、魂が蝶になって助けてくれたり、霊が登場したりと舞台装置を駆使した迫力のある演出で、娯楽性を追求しようとした三島さんの想いが溢れた舞台だと思いました。
主役の為朝を演じたのは市川染五郎さんです。3、4、5月と染五郎さんのお芝居を観させていただきましたが、初役、大役続きで大変ですね!と思わず言ってしまいそうになりました(笑)。今回は花道に近い座席だったので、じっくりお顔を拝見させていただきましたよ。凛々しいだけではなく、寂しさも漂わせながら、運命に翻弄され、それでも強く生き抜くという主人公にびったりだと思いました。この作品は過去に3回上演されているそうで、初演の1969年に染五郎さんの祖父・白鸚さん(当時は八代目幸四郎)、再演の87年はお父様の九代目幸四郎さん、2002年には市川猿之助さんが為朝を演じてらっしゃいます。親子三代ですよ。3つとも観られた方もいらっしゃるでしょうね。そういうところが歌舞伎の面白さの一つなのではないでしょうか。
今回の白縫姫は中村七之助さん。お綺麗でしたよ。ほっそりとしてられるのに声の張りが良くて驚きました。明瞭でセリフも聞きやすかったです。白縫姫の見せ場といえば「中の巻」の讃岐国白峯の場です。為朝を裏切った、坂東薪車さん演じる武藤太を許せない白縫姫は、雪の降りしきる中、武藤太の着ているものをはぎ取らせ、侍女たちに嬲り殺させるのです。ふんどし一丁なんですよ。武藤太の身体に侍女たちが一人一人、代わる代わる竹釘を木槌で打ち込むのです。コンと打ち込むたびに叫び声をあげる武藤太。身体から流れ落ちる血。それを横目に平然と琴を弾き続ける白縫姫。三島さんが最も描きたかったシーンなんでしょうね。歌舞伎ならではの演出でした。残虐美、嗜虐趣味と呼ばれるものなんでしょうけど、観客席から「三島由紀夫らしいね」という声が聞かれました。三島さんってやっぱりこういうイメージでとらえられているんですね。
ストーリーを紹介していなかったですね。こんなお話です。
「上の巻」
崇徳上皇への忠誠を抱く源為朝は、保元の乱に敗れ、伊豆国大嶋に配流されますが、家臣の紀平治太夫や高間太郎、その妻磯萩らとともに島民をまとめ、再挙の時を窺っています。そこへ来襲した平家軍を見事撃退したものの、妻簓江を失い失意の為朝は、紀平治太夫と共に小舟で西へ向かいます。
「中の巻」
讃岐で現れた上皇の霊のお告げに従い、九州肥後へ向かった為朝は、妻白縫姫と息子舜天丸と再会します。一行は平家討伐のため船出しますが、大海原で暴風に見舞われ、高間夫婦ら大勢が悲壮な最期を遂げてしまいます、白縫姫は海神の怒りを鎮めるため、自ら身を海に投げるのです。危機に瀕した為朝は、上皇の霊が遣わした烏天狗に助けられ、紀平治太夫と舜天丸は黒蝶に変じた白縫姫の助けで怪魚の背に乗り、それぞれ琉球に漂着します。
「下の巻」
琉球国では巫女阿公らが、寧王女の正統な王位継承を妨げています。寧王女と忠臣陶松寿らの危難を救った為朝は琉球国再興を誓い、ついに阿公は滅ぼされます。平和を取り戻した琉球の島民は、新国王に為朝を推しますが、為朝はこれを固辞。その座を舜天丸に譲ります。そして、為朝は一同が引き留める中、故国日本を目指して天馬で天駆けて行くのでした。
ラストの天馬で賭けて行くシーンはやはりスーパー歌舞伎のように宙づりで観たかったです~。花道に作られた海の底から天馬が現れるという演出でしたが、三島さんはどうしたかったんでしょうか。過去の公演で宙づりだった回もあったそうですけど。今回もまた違った歌舞伎の魅力に触れることが出来て楽しかったです。一度観たいと思っていた「椿説弓張月」を観ることが出来て大満足です。友人とも久し振りに会えたしね。
6月も観にいければいいなあ。
椿説弓張月
『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)は、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本。文化4年(1807年)から同8年(1811年)にかけて刊行。全5編29冊[1]。版元は平林庄五郎と文刻堂西村源六[2]。
『保元物語』に登場する強弓の武将鎮西八郎為朝(ちんぜい はちろう ためとも)と琉球王朝開闢の秘史を描く、勧善懲悪の伝奇物語であり、『南総里見八犬伝』とならぶ馬琴の代表作である。
概要
馬琴の史伝物読本の初作[2]。物語は日本の物語と琉球の物語に区分でき[3]、鎮西八郎を称した源為朝の活躍を『保元物語』にほぼ忠実に描いた前篇・後篇と、琉球に渡った為朝が琉球王国を再建(為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという伝説がある[4])するくだりを創作した続篇・拾遺・残篇からなる。
そのあらすじは、九州に下った弓の名人源為朝は八町礫紀平治を家来とし、阿曾忠国の娘白縫の婿となるが、保元の乱に破れて大島に流される[2]。大島を抜け出した為朝は兵を挙げるが、海上で暴風雨に遭い、琉球に漂着する[2]。琉球では尚寧王の姫忠婦君が利勇や曚雲と図って、王女寧王女を陥れようとしていた[2]。為朝は寧王女を助け、琉球を平定するというものである[2]。
日本史のなかでも悲劇の英雄の一人に数えられる源為朝に脚光をあて、その英雄流転譚を琉球王国建国にまつわる伝承にからめた後編は、そのスケールの大きさと展開力で好評を博した。
小史
文化4年(1807年)にまず『前篇』が出版され、以後足掛け4年をかけて『後篇』、『続篇』、『拾遺』、『残篇』が出版されて、全5篇・29冊で完結。当初は前篇と後篇の全12巻で完結予定だったが[5][1]、反響が予想以上に大きかったことで馬琴の筆が伸び、完結も延期を繰り返した。
題名
正式には「鎮西八郎為朝外伝」の角書きが付いて『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』。
『椿説弓張月』の「椿説」は「ちんせつ」と読む。意味としては「珍説」と同じで、珍しい説の意味であり[3]、九州の鎮西にも通じる[6]。「弓張月」は主人公が弓の名手であるから名付けられた[3]。「為朝外伝」は正史以外の伝記を意味し、本作の内容が史実離れしていることを標榜している[3]。
「説」という字は、「遊説」を「ゆうぜい」と読むように、「ぜい」と読むこともできる。したがって「椿説」は、「ちんぜい」という読みが可能で、この「ちんぜい」が、読みが同じ「ちんぜい」の「鎮西」こと鎮西八郎為朝に掛かっている。これは歌舞伎の外題で多用される、題名の中に主人公の名を暗示する文字や音を掛詞として織り込む手法と同じで、このため古くから『椿説弓張月』は歌舞伎の外題風に「ちんぜい ゆみはりづき」と読まれることも多かった[要出典]。
主要登場人物
- 源為朝(みなもとの ためとも):源為義の八男で弓の名手。
- 白縫姫(しらぬい ひめ):為朝の正室。舜天丸を儲ける。
- 尚寧王(しょうねい おう):琉球王。
- 寧王女(ねい わんにょ):尚寧王の第一王女。
- 白縫王女(しらぬい わんにょ):寧王女の肉体に白縫姫の魂が宿ったもの。
- 八町礫紀平治(はっちょう つぶての きへいじ):為朝の忠臣で礫(印地)打ちの名手。舜天丸を養育する。
- 舜天丸(すてまる):為朝と白縫姫の嫡子。曚雲を討ち、琉球国王舜天となる。
- 鶴・亀(つる・かめ):琉球王国の忠臣・毛国鼎(もう こくてい)の二人の息子。
- 阿公(くまきみ):琉球王国の高名な巫女。利勇の陰謀に加担。
- 曚雲(もう うん):尚寧王が暴いた蛟塚から現れた妖僧。妖力を使い妖獣・禍を操る。
- 崇徳院(しゅとく いん):かつて為朝が主として仕えた上皇。怨霊となって、為朝が危機に陥ると救いに現れる。
典拠
『弓張月』の典拠は多岐多様にわたるが、ここでは代表的なものをいくつか挙げるにとどめる。
- 謡曲「海人」
- 『椿説弓張月』の初期段階の構想に用いられ、作品の枠組みに貢献した[7]。
- 『保元物語』[3]
- 前半の種本。なお、馬琴が採用したのは、元禄時代に水戸の彰考館で編纂刊行された『参考保元物語』であり[3]、上方読本『保元平治闘図会』も部分的に用いている[8]。
- 佐藤行信『伊豆国海嶋風土記』[3]
- 天明2年(1782年)著、伊豆諸島の地誌。馬琴の蔵書印が押された写本が残る[3]。
- 古宋遺民『水滸後伝』[3]
- 後半のネタ元。『水滸伝』の後日談で、李俊がシャム王になるという筋にとどまらず、人物や部分的趣向も借りている。
- 徐葆光『中山伝信録』[3]
- 6巻。琉球関係の人名・地名・事件などについて活用。
当時の評価
本作は庶民から絶大な支持を得て、商業的に大成功を収め、馬琴の読本作者としての地位を確たるものとした[5]。『為朝一代記』『源氏雲弦月』『弓張月春宵栄』といった合巻をはじめ[3]、錦絵や双六の題材となるなど、幅広い人気を集めた[2]。本作の次に書いたのが『南総里見八犬伝』で、今日ではこちらの方が有名になっているが、当時は逆だった。
文献
活字本
- 和田万吉校注 『椿説弓張月』 岩波文庫(上・中・下)。(挿絵を欠く)。度々復刊
- 後藤丹治校注 『椿説弓張月 (上・下)』、岩波書店〈日本古典文学大系60・61〉。(鈴木重三所蔵の初刊本により挿絵を全て収録する)
現代語訳
- 三田村信行訳 『新編弓張月』(上巻「伝説の勇者」・下巻「妖魔王の魔手」)、ポプラ社、平成18年(2006年)。※児童書。
- 平岩弓枝訳 『椿説弓張月』 学研パブリッシング〈学研M文庫〉、平成14年(2002年)。※編訳版、初刊・学研、1981年。
- 山田野理夫訳 『椿説弓張月』 教育社歴史新書(上・下) 原本現代訳、昭和61年(1986年)。※訳文のみ。序跋系図の類は省略。
- 高藤武馬訳 『椿説弓張月 古典日本文学全集27』 筑摩書房、昭和35年(1960年)。訳文のみ、新装版「古典日本文学」。※序跋「備考」や本筋に無関係な考証的な箇所(系図など)に省略がある。
- 丸屋おけ八訳 『全訳 椿説弓張月』、言海書房、2012年。訳文のみ、序跋の類や考証的な箇所は省略。
派生作品
錦絵
北斎の他に、歌川国芳や月岡芳年らが本作から着想した作品を残している。
歌舞伎
椿説弓張月 | |
---|---|
訳題 | A Wonder Tale:The Moonbow |
作者 | 三島由紀夫 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 歌舞伎 |
幕数 | 3幕8場 |
初出情報 | |
初出 | 『海』 1969年11月号 |
出版元 | 中央公論社 |
刊本情報 | |
出版元 | 中央公論社 |
出版年月日 | 限定版 - 1969年11月25日 通常版 - 1970年1月30日 |
題字 | 竹柴蟹助(限定版) |
初演情報 | |
公演名 | 国立劇場昭和44年11月歌舞伎公演(第28回歌舞伎公演) |
場所 | 国立劇場大劇場 |
初演公開日 | 1969年11月5日 |
演出 | 三島由紀夫 |
主演 | 八代目松本幸四郎 |
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術 | |
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馬琴の『椿説弓張月』刊行中の文化5年10月に、まず浄瑠璃『鎮西八郎誉弓勢』として、同年11月には近松徳三作の歌舞伎『島巡弓張月』として演じられたほか[9]、1853年(嘉永6年)、三代目瀬川如皐作『与話情浮名横櫛』劇中、主人公与三郎の夢という演出による常磐津の所作事『嶋廻色為朝』、さらに明治14年に河竹新七 (3代目)により『弓張月源家鏑箭』が初演されるなどしたが[10]、一篇のまとまったストーリーとして劇化されたのは戦後昭和の1969年(昭和44年)11月5日に東京国立劇場で初演の三島由紀夫作『椿説弓張月』全3幕8場である[11]。
三島台本の活字発表は雑誌『海』同年11月号でなされ、11月25日には中央公論社より限定版で、歌舞伎戯曲『椿説弓張月』が出版された。この作品は三島の書いた最後の歌舞伎であり、最後の舞台作品となった[12]。脚本のほか、演技、美術、音楽などの演出も自ら手掛けた[13][14]。
似非近代化した当時の歌舞伎に失望していた三島が、古典的・伝統的な義太夫狂言の様式に構成したルネサンス的な創作歌舞伎である[11]。初演時・配役も、源為朝に八代目松本幸四郎、阿公・崇徳院に二代目中村雁治郎、紀平治に八代目市川中車、高間太郎に三代目市川猿之助と一流の役者を配し、白縫姫には三島の肝煎で当時まだ無名に近かった19歳の五代目坂東玉三郎が抜擢された。玉三郎はこの舞台が絶賛され、以後の盛名に至る出世作となった。なお、為朝の役について三島は、市川染五郎(6代目)を強く希望していたが、染五郎のスケジュールが空かなかったため、父・松本幸四郎になった[15]
のち文楽で上演する話が進められたが、三島の死で脚本が未完成となったのを、演出を担当していた山田庄一らにより補筆され1971年(昭和46年)11月に初演された[16]。
当時演出助手を務めた織田紘二が三島の言葉をメモした制作ノートによると、テーマは「太い男の流れる姿」であるとし、挫折と行動を繰り返し続けた「未完の英雄」為朝を自らの理想の英雄像として仮託し、「為朝の孤忠」を主題とした[11][14][17]。三島は、「日本のオデッセイを作りたい。日本のオデッセイは為朝だ」と腹案を織田に伝えたとされる[15]。為朝の騎乗する白馬が海の中から出現して飛翔する演出に、三島は最後までこだわり続けたという[11]。
歌舞伎は過去に遡るほどよいとする三島は古典様式を重んじ、擬古文で書いた擬古典歌舞伎にこだわり、(河竹黙阿弥が活躍し歌舞伎の様式を確立した)「明治初年の作者に戻り、歌舞伎の様式の中で新しい形式を作りたい」とスタッフ会議で並々ならぬ意欲を述べたという[14]。音楽には、当時としては異例だった文楽の義太夫を入れることにし、鶴澤燕三に作曲を依頼、文楽座を初めて歌舞伎に出演させた[14][13]。また、狂言作者は本読みを自分で行ない皆に聞かせるという習慣に倣って、三島も本読みを行なったところ、すべての役を巧みに演じ分ける三島のうまさに驚いたスタッフの勧めで録音することになり、杉並公会堂で8月26日と27日の2日間かけて録音しレコードを制作、役者顔寄せの日にそれを聞かせた[14][18]。ポスターを手掛けた横尾忠則のジャケット装で日本コロムビアから『椿説弓張月』(上の巻)として発売もされた[14][19]。
公演
- 国立劇場昭和44年11月歌舞伎公演(第28回歌舞伎公演)
- 国立劇場昭和62年11月歌舞伎公演(第145回歌舞伎公演)
- 歌舞伎座平成14年12月大歌舞伎
- 新橋演舞場平成24年五月花形歌舞伎[20]
- 国立劇場小劇場昭和46年11月公演(第20回文楽公演)
おもな刊行本
- 限定版『椿説弓張月』(中央公論社、1969年11月25日) 限定1000部(記番入) NCID BN06674487
- 『椿説弓張月』(中央公論社、1970年1月30日) NCID BN05623593
- 題字:竹柴蟹助。B5横判。紙装。
- 収録内容:「椿説弓張月」「『弓張月』の劇化と演出」
- 普及版:上記の1969年11月刊行の限定版と同じ内容
- 文庫版『椿説弓張月』(中公文庫、1975年11月10日)
- 『My Friend Hitler and Other Plays』(Columbia University Press、2002年11月15日)
- 英訳:佐藤紘彰
- 収録内容:「The Rokumeikan(鹿鳴館)」「Backstage Essays(楽屋で書かれた演劇論)」「The Decline and Fall of The Suzaku(朱雀家の滅亡)」「『My Friend Hitler(わが友ヒットラー)』「The Terrace of The Leper King(癩王のテラス)」「The Flower of Evil: Kabuki(悪の華)」「A Wonder Tale:The Moonbow(椿説弓張月)」
全集収録
- 『三島由紀夫全集24(戯曲V)』(新潮社、1975年4月25日)
- 『三島由紀夫戯曲全集 下巻』(新潮社、1990年9月10日)
- 『決定版 三島由紀夫全集25巻 戯曲5』(新潮社、2002年12月10日)
音声資料
- LPレコード『椿説弓張月"上の巻"』(日本コロムビア、1969年11月10日)
- 台詞朗読:三島由紀夫。義太夫:鶴澤燕三、野沢勝平。長唄:杵屋栄左衛門。囃子:田中佐十次郎
- ジャケット装幀:横尾忠則。帯、ブックレット付。
- ジャケット掲載文章:寺中作雄「耳で聴く三島文学」、三島由紀夫「レコード化に当って」
- 収録内容:「椿説弓張月"上の巻・伊豆国大嶋の場"」
- ※国立劇場と日本コロムビア提携作品。"下の巻"は未刊。
- ※1987年(昭和62年)10月21日にカセットテープ・CD化され発売[19][18]。こちらのジャケットはLPの装幀とは異なり、掲載文章は三島の「『レコード化に当って』序文より」のみ[19]。
- ※2004年9月に刊行された『決定版 三島由紀夫全集41巻 音声(CD)』のディスク3として所収。
映画
1914年(大正3年)と1955年(昭和30年)の2度、映画化されている。
テレビ
- 連続人形劇『新八犬伝』(1973年 - 1975年)
- 八犬士の一人(犬塚信乃)が琉球へ渡り、その琉球では『弓張月』の登場人物である阿公、朦雲、中婦君などがそのままの名で登場する。その自由な創作ぶりを巡っては賛否両論で、『椿説里見八犬伝』と論評に書かれたこともあった。
脚注
[脚注の使い方] |
- ^ a b 後藤丹治校注 『椿説弓張月 上』岩波書店、1958年8月、3-54頁。none
- ^ a b c d e f g 岡本勝・雲英末雄編 『新版 近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、115頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 後藤丹治校注 『椿説弓張月 上』岩波書店、1958年8月、3-54頁。
- ^ 琉球王国の正史『中山世鑑』、『おもろさうし』、『鎮西琉球記』などには、為朝は現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったと書かれている。
- ^ a b 国文学研究資料館・八戸市立図書館編 『読本事典』笠間書院、2008年2月、64-66頁。
- ^ 国史大辞典
- ^ 大高洋司 (2004). "『椿説弓張月』の構想と謡曲「海人」". 近世文藝 (日本近世文学会) 79: 17-28. doi:10.20815/kinseibungei.79.0_17.
- ^ 三宅宏幸 (2011-03). "『椿説弓張月』典拠小考". 同志社国文学 (同志社大学国文学会) 74: 45-56. doi:10.14988/pa.2017.0000012691.
- ^ 江戸歌舞伎の残照吉田弥生、文芸社, 2004
- ^ 弓張月源家鏑箭歌舞伎・浄瑠璃外題辞典
- ^ a b c d 織田紘二「椿説弓張月」(事典 2000, pp. 234–236)
- ^ 千谷道雄「椿説弓張月」(旧事典 1976, pp. 260–261)
- ^ a b 「『椿説弓張月』の演出」(毎日新聞 1969年11月7日号)。35巻 2003, pp. 732–735
- ^ a b c d e f ETV2000 「シリーズ 巨匠 その知られざる素顔 第1回三島由紀夫 最後の歌舞伎」NHK、2000年6月12日放送
- ^ a b 「第四章 憂国の黙契」(生涯 1998, pp. 233–331)
- ^ 織田紘二「文楽椿説弓張月」(事典 2000, pp. 330–331)
- ^ 「『弓張月』の劇化と演出」(国立劇場プログラム 1969年11月)。35巻 2003, pp. 728–731
- ^ a b 「解題の冊子」「disc3」(41巻 2004)
- ^ a b c 山中剛史「音声・映像資料――肉声資料」(42巻 2005, pp. 891–899)
- ^ 新橋演舞場五月花形歌舞伎平成24年5月1日(火)~25日(金)歌舞伎美人
- ^ 「プロゼルピーナ」はゲーテ、「ブリタニキュス」はラシーヌ、「聖セバスチャンの殉教」はダヌンツィオの戯曲訳書
参考文献[編集]
- 三島由紀夫 『決定版 三島由紀夫全集25巻 戯曲5』新潮社、2002年12月。ISBN 978-4106425653。
- 三島由紀夫 『決定版 三島由紀夫全集35巻 評論10』新潮社、2003年10月。ISBN 978-4106425752。
- 三島由紀夫 『決定版 三島由紀夫全集41巻 音声(CD)』新潮社、2004年9月。ISBN 978-4106425813。
- 佐藤秀明; 井上隆史; 山中剛史 編 『決定版 三島由紀夫全集42巻 年譜・書誌』新潮社、2005年8月。ISBN 978-4106425820。
- 安藤武 『三島由紀夫の生涯』夏目書房、1998年9月。ISBN 978-4931391390。
- 井上隆史; 佐藤秀明; 松本徹 編 『三島由紀夫事典』勉誠出版、2000年11月。ISBN 978-4585060185。
- 長谷川泉; 武田勝彦 編 『三島由紀夫事典』明治書院、1976年1月。NCID BN01686605。
- 松本徹監修 編 『別冊太陽 日本のこころ175――三島由紀夫』平凡社、2010年10月。ISBN 978-4582921755。
外部リンク[編集]
- 椿説弓張月(椙山女学園大学デジタルライブラリー)
- 市川裕見子、「三島由紀夫の歌舞伎作品についての覚え書き : その五『椿説弓張月』」『外国文学』 52号 p.37-52, 2003-03-31, 宇都宮大学外国文学研究会, ISSN 0288-3309
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