2020年7月16日木曜日

トリアージ

nagaya (@nagaya2013)
読むべき声明です。
wikipediaによると「命の選別」の一種であるトリアージは明治時代に森鴎外によって持ち込まれましたが、鴎外自身をはじめ当時の軍医たちは「差別的治療」にあたるとして導入しなかったそうです。軍事的必要性から普及しましたが、トリアージが必要な状況は政治の敗北といえます。 twitter.com/eikokimura/sta…
https://twitter.com/nagaya2013/status/1283566131748298754?s=21

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を点す。帰車中ポムペと語る。余等に向ひて日く。諸君の中森氏の面大に林紀君に似たり。
林紀君の倭蘭に在るや、殊に婦人と葛藤を生じ、余をして機外神 Deus ex machina の役を
勤めしめたり。森氏の性また之に類することなき乎と。また日く。余が日本に在りて行ひた
る所は今やた 歴史上価値を存ずるのみ。而れども当時は随分至難なる境に逢ひしことあり
セ小

    二十六日。午前十時臨会。欧洲の諸会は欧洲外の戦あるに臨みて傷病者の救助を為すべき
や否の問出づ。是れ和蘭中央社の出す所にして、眼中たゞ欧洲人の殖民地あるを見て発した
る倉卒の問なり。余石君の同意を請ひし後日く。本題は単に欧洲の諸会を以て救助を為す者
と見倣したる間なり。もし決を取るに至らば日本委員は賛否の外に立つべしと。米国委員は
黙然たり。議論百出して決を取るに足らず。

   二十七日。午前十時臨会。前議譲を継ぐ。余石君の許可を得て後日く。日本委員は前日演べ
たる説を維持す。畢意本題を国際会に出さんと欲せば、宜く「一大洲の赤十字社は他の大洲
の戦に」云々と云ふ如き文に改むべきなり。是れ修正案を提出するには非ず。之を言へば則
ち足れり。もし夫れ本題に反対せる場合即ち亜細亜外の諸邦に戦あるときは、日本諸社は救
助に力を尽すこと必然ならんと思考す。全会壮 哉(Bravo!)と呼び、謹聴と呼ぶ。背後の
一譲員会員薄を閲し
ひつきよう(4)

そうなるかな
一議員会員簿を閲して日く。学士森林太郎 (Rintaro Mori, Dr.)なり。大学の科程を経た






五十嵐敬子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kanhouseiken/2/0/2_31/_pdf/-char/ja
2. 災害初動期医療とトリアージ
(1)トリアージの起源
トリアージの語源はフランス語の選別 (triage)に由来する。 トリアージの起
源について医師尾立貴志は, 戦場で発生する大量の傷病者を混乱させることなく
うまく取り扱う方法には2種類あると以下の二っに分類する16)。
一つはルソー Jean-Jacques Rousseau)に起源をもっ方法で, 「傷病兵は戦力外
になったと見なし,もはや敵味方の関係のない自然状態の人間になったと認め,
その基本的な人権を尊重して平等に扱うという民主主義的な方法である」 1:4と述べ
ている17。
ルソーは,「武器を捨てて降伏するやいなや, 敵または敵の道具であることを
やめたのであり,再び単なる人間にかえったのであるから,もはやその生命を奪
う権利はない18)」 と述べ, 「社会契約は当事者の保存を目的とする 19」2:5 と『社会
契約論』のなかで述べている。 この方法は, 尾立も論文の中で述べているように

16) 尾立貴志「軍事と医療のジレンマ ートリアージの歴史について一」 『軍事史学』
49 巻3号,2013年, p.61.
17) 尾立貴志,前注 16.

18) 桑原武夫·前川貞次郎訳『ルソー 社会契約論」,岩波書店, 1954年, p.25.
法政治研究 第2号 (2016年3月)
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19) ルソー,前注 18, p.54.



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災害時及び被災後の医療システムの再構築 (五十子敬子)
日本赤十字社第一回社員総会で日本赤十字社社則が改訂された。
同年9月に第4回赤十字国際会議に出席した石黒忠恵は, 一委員の 「『赤十字
条約中にある列国は相互に恵み, 病傷者を彼我の別なく救療する』という明文は,
これを欧州以外の国にも適用すべきか31)」 という議題が提出されたことに対して,
「われわれ日本帝国の代表は本来赤十字事業なるものには,地理的もしくは人種
的差別をもうけものではないと確信してこれに加盟し,ここに出席しているので
ある。しかるに,かくの如き議が神聖なる議場に提出せられるとは真に意外であ
る。もしこの提案が議題となるならば,われわれは遺憾ながら議席を退くほかな
い32」と抗議し,それが認められ, 議題とはならなかった。
日本赤十字社は, 1888 (明治 21)年の磐梯山噴火の際に最初の災害救助活動を
行っている3。「差別無く救助活動を行う」 という赤十字精神によると, トリアー
ジはジュネーブ条約に反するものとなる。下記表1に戦時平時の赤十字社の出
動について記す。



31) 石黒忠直(心)『懐旧 90年』,岩波書店, 1983年, p.257.
32)石黒忠恵(通訳 森鴎外), 前注30, p.257. この石黒の発言は森鴎外の 『森鳴
外全集 13 独逸日記/小倉日記』, 筑摩書房,1996年, p.186 によると石黒の許可
を取って鴎外がその場で発言したこととなっている。


トリアージ




トリアージとは、患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定して選別を行うこと。語源は「選別」を意味するフランス語トリアージュtriage[注 1][注 2])から来ているとする説が有力である[1]
救急事故現場において、患者の治療順位、救急搬送の順位、搬送先施設の決定などにおいて用いられる。識別救急(しきべつきゅうきゅう)とも称する。
トリアージはまた、病院の救命救急部門(ER)受付や[2]救急通報電話サービスでも行われている[3]
現代の軍隊では全ての兵士が基本的な応急処置の講習を受けることを前提とし、差別型トリアージを改良した手法が主流である。第一線救護処置として軽傷者は医療キットによる自己治療か応用的な救護法を訓練した兵士や衛生兵が処置して復帰、重傷者は仲間が野戦病院に搬送し医官が容態を安定させるダメージコントロール処置を行い、設備の整った後方に移送することで、戦力を即座に回復させつつ資源の集中と兵士を見捨てない人道性を確保している[20]
現代の救急医療でのトリアージは、野戦病院のシステムが民間医療に逆輸入されたものである。

日本における歴史編集

日本では1888年明治21年)に森鷗外がヨーロッパからトリアージのシステムを持ち帰っていた。しかし、1889年(明治22年)に陸軍衛生教程が編纂された時に、日本ではトリアージの導入を行わなかった。森鴎外や石黒忠悳ら当時の軍医のトップたちは、トリアージが赤十字国際条約で禁止されている「差別的治療」に当たるとして日本では導入しないことにした。しかし、野戦病院のシステムはトリアージを行うことを前提に構築されているため、トリアージ無しではシステムが機能しなくなるという問題があった。そのため、日本では「分類はするが優先順位はつけない」という欧米のトリアージを変形させた独自の手法になった。その後、優先順位無しでは不便も多いことから、1923年大正12年)に陸軍軍医総監の石黒大介はトリアージを行わない建前で、軍医関係者にだけ順位が分かるような隠語的な優先順位をつける方式へ変化させた。このシステムは満州事変で初めて大々的に行われた。なお、日本軍では「在隊治癒可能な微傷者」「自分で歩ける徒歩可能者」「担架で搬送しなければならない重傷者」「助かる見込みの無い死者」に分類していた。
日本軍式のトリアージは第二次世界大戦(太平洋戦争)後に日本軍の解体と共に失われた。自衛隊では現代の軍隊で主流の軽傷者を優先して復帰させるトリアージを導入している。
1994年平成6年)の中華航空機墜落事故の際、消防医師会などで様式が異なり、現場が混乱したことを教訓に、1996年(平成8年)に現在の標準様式が定められたという[21]

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