2024年10月12日土曜日

【日航機墜落事故】海外メディアが事故直後のニュースで真実を報道していた【海外の反応】

以下、小田周二*著『永遠に許されざる者』(2021)より


《8月12日、 自衛隊の戦闘機による訓練演習があり、 その時に自衛隊標的機が暴走し、

日航123便に激突して、 垂直尾翼と油圧装置を破壊脱落させたのである。

この緊急事態について、 当時百里基地の稲吉司令官がその同期の友人に電話で

「えらいことをした。 標的機を民間機 (日航機)に当ててしまった。 今百里基地

から、 偵察機2機を追尾させている」と話した。

当時F4Eの一部の機体は偵察機に改造されて百里基地に配備されている。 そして

現在でも、百里基地には 偵察機部隊が存在するのである。

それではこの情報で稲吉司令官は誰に電話で話をしたかである。

それは第2次世界大戦での戦友である岩田裕次郎氏で、 直接稲吉司令官から

聞いたと証言しているのである。》


*小田周二 (おだ しゅうじ) 1937年、奈良県生まれ。

・日航機事故遺族(日航123便撃墜事件 1985.8.12) 犠牲者名 次男小田浩二(15歳)、長女小田陽子(12歳)、中上岑子(37歳)、中上義哉(12歳)、中上佳代子(10歳)の5名 

・日本の空の安全を願う会主宰

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