2020年7月29日水曜日

荒政要覧

荒政要覧
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/07/blog-post_29.html @
常平倉 ケインズ1912
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/1912.html
NAMs出版プロジェクト: 柳田国男と孝(柄谷行人『遊動論』をめぐって)&蝸牛考
http://nam-students.blogspot.jp/2014/01/blog-post_30.html

ケインズ書評1912註釈
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/baguwen-eight-legged-essay-8-1902-282_60.html
https://ncode.syosetu.com/n1937en/271/

以下は要覧に影響を受けた建部が民間~冒頭で引用

 礼記・王制編、『國無九年之蓄曰不足、無六年之蓄曰急、無三年之蓄曰國非其國也』。

『国に9年分の蓄えが無いと不足という。6年分の蓄えが無いと危険である。3年分の蓄えが無ければ国と言ってももはや国の体ではない』 


《『荒政要覧』には、「燕や秦の国では、千本の栗の木を持つ人は、千戸の領民を持つ諸侯と同じであるという。栗の木のもたらす利益は、まことになつめに劣らないものである」と記されている。》
建部 民間…
日本農書全集18より
68頁
柄谷43頁
1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』
(第4巻の一項目が『朱子社倉法』として単独で紹介されている。八巻一雄『民間備荒録と荒政要覧』岩手史学研究1963★参照)
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/yo07/yo07_00961/index.html
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/yo07/yo07_00961/yo07_00961.pdf

50:

216:




228-229
いうまでもなく朱子の社倉法は、長孫平の森倉法と、王安石の青苗法から発展したもので、社倉そのものは『隋書食貨志』以来見えるものである。これが江戸初期に研究されたことは、備荒思想が朱子を通じて再認識されたことを示すものであろう。つぎの佐藤友信の『社倉由来』も、この流れを汲むものである。社倉関係の文献を挙げれば、それだけで長大なリストとなろう。しかし、明治初期の織円の認識には、それらは入っていなかったのである。
 それは、朱子の社倉法が、為政者のとるべき備荒策であって、民衆自身のなすべき努力と異なった次元で考えられていたことと無縁ではないだろう。朱子社倉法と、清庵の村共同性に根ざした備荒思想との差は大きい。さらに、為政者―‐lii荒思想が主流であるなかで、板行本としては『民間備荒録』が最初ということは、備荒思想の受容基盤との関係を考えさせられるのである。清庵の備荒、救荒は制度ではない。農民自身の経営理念であり、行動指針であり、生活技術である。それだけ民衆的な受容基盤があったといえよう。


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217 ページ
以上のことを踏まえて、ここでは、『荒政要覧』を中心として、本書にみられる中国農書の
影響についてみておきたい。この点については、すでに早く八巻一雄氏の詳細な研究「
民間備荒録と荒政要覧 II 漢籍受容態度の考証 I 」(『岩手史学)第四二号、一九六三年)
 ...
218 ページ

荒政要覧』十巻の目次はつぎのようである。

巻一詔論、
巻二奏議、
巻三救荒総論、
巻四平日修備之要、
巻五水旱捍禦之要、
卷六餓饉極致之要、
巻七荒後寛恤之要、
巻八遇荒得失之鏊、
巻九備荒樹芸、
巻十救荒本草

『荒政要覧』十巻の目次はつぎのようである。巻一 詔諭、巻二 奏議、巻三 救荒総論、巻四 平日修備之要、巻五 水早拝禦之要、巻六 餞饉極致之要、巻七 荒後寛仙之要、巻八 遇荒得失之5、巻九 備荒樹芸、巻十 救荒本草

このうち、清庵が最も多く依拠しているのは巻九と巻十であり、他にも巻一などがみられる。
 
 『荒政要覧』巻九の構成は、 まず『斉民要術』にいう「木奴千あれば凶年なし」(清庵も、この文を栗の項で引用している)の立場から、 棗、栗、銀杏、柿、手、 外す、支ヽ菌章、蕨、 山業の一〇種の栽培法を述べ、つぎに凶年の非常代用食の製法として、勢粥法、淡黄韮煮レ粥法、辟穀法、千金方、服二生松柏葉・法、食二車木葉一法、食二生黄一妥法について述べ、最後に治療法として、服二百漆水一法、療二垂レ死畿人一法、救・水中凍死人一法について述べている。このうち、『民間備荒録』に取上げられているのは、 備荒作物のうち棗、栗、柿の三種、非常代用食のうち彿粥法、淡黄茎煮レ粥法を除く五種、 そして治療法のうち服二百浚水一法を除く二種である。 これは本書の目次と対比すればわかるように、項目としては本書の大半を占めるものである。つぎに巻十は、 飢饉を救うための植物の説明であるが、『民間備荒録』巻之下の「食草木葉法」にはこれによったものが多い。 なお、 巻之下には朱備の『救荒本草』からの引用も多く、 その引用数は『荒政要覧』から一一、『救荒本草』から九と数えられる。ただ、後述(本章の3)するように、『救荒本草』は、『荒政要覧』あるいは『農政全書』からの孫引きかもしれない。以上、八巻氏の研究を踏まえて概略をみたが、 こうした状況を考えれば、一‐昼夜あんじ煩らひしかとも……術なかりし」と嘆いていた清庵が、『荒政要覧』を手にすることによって、一‐慨然として」執筆に踏みきった心情もわかるのである。
 清庵が中国の救荒書を利用するときの基本的立場は、食物の備蓄であった。冒頭で『礼記』王制編を引用して、国にとって備蓄の肝要なることを述べ、日本の一‐救急料」の理念を併せて援用しながら、金銀を貯えることを好む者は飢えても食えず、寒くとも着られず、食を貯えることこそ重要と説くのである。理念的にはこうした立場に立って、この具体化を、中国書にある知識を上台として、わが国ないし東北地方の実情に合わせて述べていくのである。このような単なる中国書の紹介にとどまらない態度は、清庵が手元において参照した『農業全書』の著者宮崎安貞の著述態度金則述)に学んだものであろう。とくに、東北地方の実情に合うように具体化したことは、清庵の日ごろの知見によるところが大きいと思われる

222 ページ
兪汝為なる人物および『荒政要覽』が著わされた年代が不明なため、『荒政要覧』と『
救荒本いま『荒政要覧』巻之九のなかの「瓜楼根」についてみると、その全文が朱槭の『
救荒本草』と全く同一であるす「食草木葉法」は、『荒政要覧』巻之十に採録された「救荒
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http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/354/1/SZK0002693_20040929055329451.pdf#search='荒政要覧とは'
きゅうこうしょ みんかんびこうろく 日本最初の本格的救 荒 書『民間備荒録』(Q611-2)

救荒書とは一般には飢饉を生き延びる術を記した書物を指します。飢饉への備えを説き、飢饉 の際にどのようにして食糧を食いつなげ、またどのような食物が食べられるかを伝えることを 目的としています。救荒書の登場は、中国では15世紀初頭の『救荒本草』が最初です。日本で
たてべせいあん はさらに遅れ18世紀後半に現れます。奥州一関藩藩医建部清庵(正徳2(1712)年~天明3
(1783)年)が記した『民間備荒録』が、本格的な日本最初の救荒書で、それ以降の救荒書の一つ の手本となりました。当館の久能文庫には、版本2巻が所蔵されています。(Q611-2)
建部清庵は漢方外科を修得しながら、 オランダ医学にも深い知識を持っていました。また『解 らんがくかいてい おおつきげんたく
体新書』で有名な杉田玄白と親交を結び、さらに『蘭学階梯』の著者大槻玄沢の師でもありま した。
ほうれき めい わ 『民間備荒録』の最初の刊行は宝暦5(1755)年、10(1760)年、明和8(1771)年と諸説がある
ものの、当館が所蔵するものは文政7(1824)年版です。 『民間備荒録』の記述からみると、宝暦5年に東北地方は 5 月から異常な低温となり、8 月
まで雨が降り続く冷害に遭い、16世紀末以来という惨状となったとあります。清庵はその惨状 ゆじょい こうせいようらん
を目の当たりにし、さらに1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』を見たこと じょこうけい のうせいぜんしょ みやざきやすさだ
で同書の編纂を思い立ちました。本書は『荒政要覧』や徐光啓の『農政全書』をもとに、宮崎安貞 のうぎょうぜんしょ かいばらえきけん や ま と ほんそう てらじまりょうあん わ か ん さんさい ず え
の『農業全書』や貝原益軒の『大和本草』や寺島良安の『和漢三才図会』などの成果を参考 にしながら成立しました。建部はこの書を見てもわかるように中国の成果を受け継ぎ、農書・ 本草学分野の成果を活用し、地域性を考慮した植物の栽培にまで神経を払っていました。序の

きもいり くみがしら 部分で、「この書は、もっぱら肝煎・組頭という村役人に、飢饉に苦しむ貧しい農民を救わせ
る方法を教えることを目的としており、実のなる木々を植えて、今後の飢饉に備えさせようと するものである。」といい、村役人に飢え苦しむ民を救う方法を伝えるという現実的な飢饉対策 を唱え、同時に飢饉対策の責任が村役人にあることを断言しています。
本編は上下巻によって大きく内容を変えており、上巻では飢饉の際に食糧とする植物(なつ め・栗・柿・桑・菜種)の栽培法や飢饉に備えて食料を蓄える方法が記され、下巻では人々を 飢えから救うために草根木葉の正しい食べ方とその解毒法を述べています。
びこう
『民間備荒録』に記載した救荒のための植物を中心に、104種の植物を採録した図集が『備荒 そうもくず す ぎ たげんぱく す ぎ たはくげん
草木図』です。『備荒草木図』は、清庵死後、杉田玄白の娘婿になった息子杉田伯玄が、父の遺 稿を校訂し世に出しました。文字の読めない当時の庶民にも一見してわかるようにとの配慮の もとに編纂されたものです。


【参考資料】
『日本農書全集』第18巻・第68巻(610.8/11) 「日本における救荒書の成立とその淵源」白杉悦雄
(『東アジアの本草と博物学の世界 上』所収 499.9/16) 『近世農書に学ぶ』飯沼二郎(610.3/127)
『近世科学思想 上』古島敏雄
(『日本思想体系62』 121.08/100)
























荒政(こうせい)は、歴代中国王朝が災害にあって、民衆を救うために行う政策、現代における社会福祉政策を言う[1]
  1.  王が政務を怠るという意味で用いられることもあった(『書経』)

日本では


Silver Lining 飢饉でも生き抜く方法を伝えた人
https://karatachi3go.blog.fc2.com/?m

飢饉でも生き抜く方法を伝えた人

市役所の敷地内に綺麗に紅葉している木があった。
20161116.jpg近づいてみると誰かの銅像があった。
建部清庵(たけべ・せいあん)という江戸時代中期の医者。
ここ一関の地から杉田玄白と書簡を交わし、蘭学の発展に協力した人。

江戸時代の東北地方にはしばしば、冷害によって飢饉が起こり、多数の餓死者が出た。
清庵はその惨状を眼にする。
ある日、友人の郷内勝清の家で、明の兪汝為の『荒政要覧』を見て、これをヒントに救荒書の編纂を思い立つ。
宝暦5年(1755年)、『民間備荒録』上下2冊を発行した。
上巻では、飢饉に備えて食用となる樹木を植え、食料を備蓄する方法を述べている。
下巻では、具体的に草や木の葉を食べる方法、解毒法、応急手当法などを述べている。
一関藩の奉行・代官を通じて、藩内の村々に配られたという。
印刷された救荒書としては早くに出たもので、何度か版を重ね、16年後の明和8年(1771年)には江戸で出版された。
(ウィキより引用)

名前や編纂書物は知っていたけど(友人の卒論テーマだったので)、ここに銅像があったのは知らなかった。
私が今生きているという時点で、私の先祖は江戸中期にいたはずで、
この人のおかげで先祖が飢饉から生き延びていた可能性は無きにしも非ず。
もしかしたら先祖が知り合いだったかも(という言い伝えは全く無いですが)、
今生きている誰かの先祖は知り合いだったわけで、
歴史上の人物を身近に感じるときって、
こういう想像をしている時なんだよなぁと一人コンデジを向けていたのでありました。
201611162.jpg日本最初の救荒書『民間備考録』を編纂した人、一関藩医、建部清庵。
それにしても美しい紅葉でした。

とある。勤建社会は保守的である。中国の舞建社会は、常に周代の遺制をその理想として、この実現を侯。大夫:士に求めたのである。

儒教の役割は、これら政治機簿の担当者を養成するにあった。右の引用文中。古に準じて警く之を用ひ、民をして変遷を免れしむるは則

ち其の人に存す日と説く。法の活殺一に人ありとは、古今東西ともにを同じくする

しかし、清庵は、医察の狭い範照が活動分野で行政にタッチし得ない立場にあった。従って、その明智も理解ある上司を快って始めて

実践出来る窮屈さにあった。礼記に章る荒年の施政をかげると次の通り。

周礼大可能以三荒政十有二:張』万民」1日散』財 (散三共所→積)、二日海征(軽三租税こ、三目級,刑 (凶年犯と法者多綴"之恐』致»

変也。)四日弛と役(息三議役)、五(金三山林川沢之禁」)六日去»幾(関市不三幾察 ) 七日 青礼(凡有三礼節! 皆後三滅省) 八日

殺』哀 (凡行(喪礼1皆後三降殺こ 九日蕃」楽 (閉、感楽器:) 十日多』行(不»儲»礼前婚要) 十一日素:鬼神:(求三 廃弛」而儀"之)千

国除三盗賊」 (磯麓盗賊多波備継捕以除»之)。幾=|

巻之四は、平日修備之要として、修川挙水利 : 六款 (禁»巻:湖蕩 疏!経河」·築:岸山郷水利藤修に築海 こと論三積艦法」をあ

げている。そして、後者には、王制豊年積儲法・平糴(てき)法・義倉法・常平倉法・朱子社倉法・修三預備倉法・備荒蔵穀法等と項を分ち詳

述している。この項目中の朱子社倉法については、別に一書として刊行されている。即ち、題名は "朱子社倉法=

明。巻尾に寿文と刊とあり。山崎嘉 (闇素) の序文がある。内容は朱子が地方官在戦中に施行した社倉の記である。これでみると、識

者の間に、社倉法が注目された時期はあったが、充分に活しうる人は乏しかったのである。

巻之五(水早坪禦之要)の細目は、修』徳穣> 災·誠」藤」:求三直言」早報,災,速検»荒。督»卒修::補囲田」。区田救》早法。悩田

銀い 水法。頒=早稲槍」,治"嘘·貸»種。勧"種三二。破»民節三稲飲食」である。わが風でも

種の栽培が奨励されている

巻之六 (像催極救之要)の細目をあげると、鰯三糧税。賑済。賑耀,借貸内庫-」。融有無」。立三賞格。加三健寒士·存他流民」

施三粥魔」。=巻養独。治>盗·掩緒埋此間

巻之七 (荒後寛地之要)の細目は、間三民疾苦」、超撮循良」。縄三逮負,賑と農。戒:修廃」·酒禁。懲:遊幣」。施三楽餌-,招流亡」

贈』養男女」。識三禦薦像油1

巻之八 (遇い荒得失之慶)には、上天以億兆之命寄寄ニ之天子」、救荒善政四十九条,失»救狭』民二十三条。この二十三条の中に次の

文がある

乗未使景作乱。江南連年早韓江揚尤甚。百姓流亡相与入』山谷江」こ草根木業変灰」而食之。所布皆尽死者敵,野。富室無」食皆鳥

てき

(細~)

で刊行年月不

(超の)

天明の飢髄に当っては、早稲

んv

適負年賞の未納


33

面機形。衣江羅、」懐コ金玉1糖1状艦

備荒録凡例に… 他郷より案る流民鶴形島面の老弱男女蟻のごとく群来るは目もあてられねことどもなり。と流民を同一の形容で表現し

ている点、清庵の"荒政要院= 熱院の深さが知られる。

巻之九 (備草樹芸)、R·栗,銀杏。柿·芋。炎。。薗。蕨。山薬,粥法·淡黄蓋煮»法。降穀方·千金方。服=生松柏葉:法

面規形。安』羅、」懐n金玉朝狭状艦「養。、聴 。千里絶姻人遂翠是三白骨豪如三丘階。

.食草木葉」法·食生黄豆 1法·療三垂死磯人法とある。

巻之十 (敦荒本草)

最後の二巻が、民間備荒録と密接な関係がある。巻之九の傍点の四項目は、原名のまま採用され、圏点の二法には医官としての独自の見

解を附記している。

2、民開備荒録成立当時の状況

(温)

宝暦五年の状況を知る費料として、"備荒原木図= (天保四年刊)

元禄八年乙亥初夏より仲秋のまで度々淋雨し寒令行れ五穀登らす奥州おほいに創箇し諸村の百姓妻子相離れ、老弱は溝堅に転び、壮者

は四方に離散る事あるに至る山谷などの僻村は人跡絶て民畳はありながら空く狐狼の柄となり、田園は拡野と変じたる処もありしと古

老の物語に伝聞たれども死を免れたる飢民何物を食ひ、いかなる術ありて、創をしのぎたりけん記し置たる人もなければ、今に及て当

時の事情を知れる者なし。然るに宝歴五年乙亥にも叉元禄の時ごとく寒令行れ淋雨稼を傷り五毅登らず飢離におよぶ。此時他郷より流

離し群来れる民ども得形鳥面の老弱男女道路に枕繕(ふしたふれ)たる形勢地獄餓鬼道の苦と云ふらんも是には過ぐべからずことに我

一関はは郡邑の傭著倉を開せ諸吏に命ありて戸々を巡見せしめ、普く封内に在るところの創人を訪て白粥を食はせ久1しく飢疲たる者に

はまづ精湯を歓しむ。気力を調へて後に毎日間断なく米を与へ給ひしかば飢民恩沢を歓喜力を得て勝躍進んで山に登り沢に下り、木葉

草根を択び採て親製し米を離へて賦食の助とせしゆゑ餓死流亡の患なく百姓安堵せり。翌る六年の春より時侯も順度にして、耕作鋳芸

を励み勅けるに、秋の登り例の年より勝りてめでたき世になんたちかへりける。抑々思民の常情、飽ば飢を忘ると習にて、過にし年の

困者はいつか忘れて、語り出せる人もなく況して記置て後来に告んとする者のきこえざるこそ悲しけれ。此後もし又領鰹の事あらば

元禄宝歴の時のごとくならん事を恐るトが故に、宝燃の時、飢民の食して命を保ち、身に書無かりつる草木を問質し、記て世に示し

万人に一人も錬死の患なからしめんと志し、山老に計り、野曳に問ひて、近き野山なるをば、子弟に命して堀て前裁に移し植させ遠き

界よりは、その根薬を求集て、生写しける間に、同国江刺郡岩谷堂なる遠藤志峯

の題言を次に掲げる。

もみく

じよう

とひただし

(提の)

此拳を伝開て、自編る荒蔵録と云へる書を贈










2020年7月28日火曜日

日本の腐敗構造

𓇋𓍯𓋴𓎛𓇋𓃭𓍯𓎼
⁦‪@yoshilog‬⁩
図解付きでロイターに説明される日本の腐敗構造。 pic.twitter.com/tfOSJDZYFy
2020/07/28 15:56

https://twitter.com/yoshilog/status/1288005419680632832?s=21

coronaHash (@coronahash)
日本の図解って、何でこうスーパーのチラシみたいになっちゃうのかな?見てるだけで気が狂いそうになるんですよね。

それを狙ってるのか?昔っから進歩してないのか?私がバカなのか?

tokyo-np.co.jp/amp/article/34…

twitter.com/yoshilog/statu… pic.twitter.com/w84vPNIN28

https://twitter.com/coronahash/status/1288363836555190272?s=21

りょう(脱原発に一票チーム京都二区) #相互フォロー募集中
⁦‪@Ryohhei039724Rs‬⁩
「ほとんど犯罪?電通に牛耳られている日本のマスコミが報じられないから、
ロイターが…
図解付きでロイターに説明される日本の腐敗構造。」
「コロナ給付金」見えない下請け実態 電通関与になお不透明感
jp.reuters.com/article/japan-… pic.twitter.com/rD90D5kgP6
2020/07/29 12:39
https://twitter.com/ryohhei039724rs/status/1288318211541278720?s=21



焦点:「コロナ給付金」見えない下請け実態 電通関与になお不透明感 - ロイター
https://jp.reuters.com/article/japan-meti-dentsu-idJPKCN24T0IS
2020/07/29

焦点:「コロナ給付金」見えない下請け実態 電通関与になお不透明感

[東京 28日 ロイター] - 新型コロナウイルスで打撃を受けた中小企業への支援策として、国内最大の広告代理店、電通(4324.T)が関わる経済産業省の「持続化給付金」の実施を巡り、不透明な業務委託や運営実態に批判が広がっている。電通は今月22日、事態を収拾するため、同省の新規事業は当面受託しないなどの対応策を発表した。しかし、事業の全容が公表される可能性は低く、不透明感の払しょくは難しい情勢だ。 
<業務委託は5次下請けまで拡大> 
同給付金は総額2兆円を超す予算を投じ、新型コロナの打撃を受けた中小企業の経営を支援することが目的。今年4月に給付業務を受託した一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」(サ協、東京・築地)は、電通など3社が2016年に設立した非営利の民間団体だ。同年には経産省から「おもてなし規格認証」事業の運営などを受注、翌年にはIT導入支援補助金事業を請け負った。 
今回の給付金事業では、同協議会は受託総額769億円の大半にあたる749億円の事業を電通に再委託し、申請書類の審査からウェブサイトの立ち上げや受付コールセンターの設立まで実際の業務のほとんどを任せた。電通はさらにグループ会社を通じ、業務を数十に上る他の企業に外注した。 
経産省によると、業務の委託先は契約額1億円以上の企業だけでも電通を含めて63社ある。このうち社名が公表されているのは14社。残る49社の社名は明らかにされていない。サ協の資料によると、企業の社名や下請け額などが公表されていない外注分は少なくとも約260億円あり、全体の3分の1に達していることがわかった。 
同省関係者によると、委託先は少なくとも5次下請けまで広がっており、事業の実施体制は極めて広範囲に細分化されている。 
<首相は「ルールにのっとった選考」> 
政府はなぜ同補助金の給付業務を電通と結びつきの強いサ協に委託したのか、その業務はどこに外注され、受注資金はどのように使われたのか──不透明な事業の実態に対し、中小企業や野党議員からは疑問の声が挙がっている。 
電通は歴史的に自民党とのつながりが深い企業だ。長年、同党の政治活動に協力し、1964年の東京五輪ではPR活動などにも積極的に携わった。電通は近年、スポーツ関連事業に力を入れ、1年延期された2020年東京五輪の招致に向けマーケティングを担当、国内企業から過去最高となる約31億ドルのスポンサー料を集める上で大きな貢献をしている。 
同社は2016年5月、人材派遣大手パソナ(2168.T)、ITサービス請負大手トランスコスモス(9715.T)とサ協を設立。理事のうち3人は電通のグループ会社出身で、従業員も数人出向している。 
今回の事業でサ協を選定したことについて、政府側は「ルールにのっとったプロセスを経て決定された」(安倍首相の6月の国会答弁)と繰り返す。経産省・中小企業庁の担当者はロイターの取材に対し、委託先は一般競争入札で選定し、総合的に評価したとしている。 
経産省によると、入札ではコンサルティング会社のデロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリーがサ協と受注を争った。このとき、デロイトが経産省側と面談したのは2回、そのうち1回は電話だった。一方、サ協は3回の直接面談を行っており、電通関係者も出席した。経産省は、適切な手続きを踏んだとしている。 
デロイトの広報担当者は、この入札手続きについてコメントしなかった。 
<ほぼすべての業務を下請けに> 
業務に携わっている企業を一部しか公表していないことについて経産省は、日本の情報公開法の下では当該企業に競争上マイナスの影響が想定される場合は開示する必要がない、と説明している。 
サ協によると、電通からの最大の外注先はイベント子会社の電通ライブで、約596億円で契約を結んだ。そこからさらに10社以上が業務を受託、うち4社の名前が公表されている。 
こうした業務の分散について、電通の広報担当者はロイターにメールで回答し、「不透明という認識は全くない」と明言。「全国各地に申請サポートセンターを設置するなど、1万人以上の体制で業務を推進しなければならない」、「そもそも1社で対応できるようなレベルの公共事業ではないと考えていた」と、複数の企業が関与する必要性を強調した。 
同社は6月に行った会見で、自社が元請けにならなかったことについて、サ協にはIT導入支援補助金事業などの業務を受託した実績があるためだと説明。また、給付金の振り込み通知はがきの名義が電通になっていると受け取った側が混乱する可能性がある、との理由もあったという。 
さらに電通はロイターに対し、経理部門から「自社のバランスシートに影響に加え、通常の業務が滞る可能性がある」との指摘があったため、自らが主導しないことを決めたとも説明した。 
電通とともにサ協に役員を送っているトランスコスモスとパソナはロイターの問い合わせに対し、ともに「当社が回答する立場にない」として、同事業についてのコメントを控えている。 
ロイターはサ協に、持続化給付金事業の入札に元請けとして参加した理由を尋ねた。サ協は過去に政府から事業を受託した経験を踏まえ、「当協議会が幹事社となることが適切であると判断した」とメールで回答した。今回の事業のためにスタッフを雇い、銀行を通じて振り込み作業を支援した、という。 
サ協のオフィスがあるのは、ペルシャ絨毯の店を1階に構える東京・築地の雑居ビル。社内では数人の従業員が明るい蛍光灯の下でノートパソコンに向かって作業していた。デスクやクローゼットもまばらでガランとしたこの1室が、中小企業支援事業の全体を統括している。経産省の担当者よると、サ協は企業との調整、政府との連絡役をしているという。 
<申請殺到、支払い遅延の指摘も> 
給付金業務が無数の企業に分散される中、受け手となる中小企業への支払いが遅延しているとの指摘もある。 
経産省によると、同給付金制度では1社につき最大200万円が支給されることになっており、5月の申請開始から7月20日時点で290万件の申し込みがあり、これまでに267万件を支給したという。申請書類に不備がなかった場合、申請を受けてから支払いまで、多くの場合およそ2週間だとサ協は説明する。 
政府は持続化給付金の手続き業務の経費を、6月に成立した第2次補正予算にも計上した。さらに100万社が申請することを前提にしている。 
しかし、東京で企業イベントの映像制作を専門に手掛ける企業を経営する利根川武信さんは、「委託自体を責めるつもりはないが、税金を使ってこのシステムを運営しているのであれば、もっとしっかりと運営すべきだった」と給付金運営を巡る混乱と支払い遅延に手厳しい。 
利根川さんの会社では、春に新型コロナの感染が拡大すると仕事のキャンセルが相次いだ。同給付金を申請してから100万円を受け取るまで、4週間かかった。その間、利根川さんはウーバーイーツの配達員として自転車で食事や料理の宅配サービスに従事した。 
利根川さんはサ協が運営する給付金のコールセンターには3日間で100回以上電話し、申請状況を問い合わせた。電話に出るのは派遣で働くオペレーターだが、担当者が入れ替わるため、そのたびに事情を初めから説明しなければならない。人生で最もストレスを感じた時期だったと、利根川さんは言う。 
<下請け構造がコスト増やすとの批判> 
給付金を巡る業者選定や業務運営について違法性を問う声はないものの、テレビ朝日が6月に実施した世論調査では、73%が「事業が適切に行われていると思わない」と回答した。 
野党議員らは、下請け構造が事業のコストを引き上げていると批判。その1人、青山雅幸衆議院議員(日本維新の会・無所属の会)は、政府が地方自治体を通じて個人向けに実施する10万円の「特別定額給付金」事業と比較して、申請1件当たり約30倍の経費がかかっていると試算する。 
これに対し、経産省は個人向け給付金とは業務の内容が大きく異なり、比較はできないと反論する。同省によると、企業向けの持続化給付金は、審査への申し込みを支援するため、全国に会場を設置、電子申請に慣れていない申請者を個別にサポートするなど、人件費などがかさんで費用が大きくなる、という。 
契約に至る経緯の全容を明らかにするよう求める野党議員の1人、田嶋要衆議院議員(無所属)は「全体として非常にグレーだ」と言い、経産省が説明責任を果たさず、あたかも電通を守っているような誤解を与えてしまう、と付け加えた。 
電通は、持続化給付金が迅速に支払われていると主張している。同時に、22日には自社のホームページで、持続化給付金の業務に対する「社会からの指摘」を踏まえ、受託業務の取引方法を見直していると発表。見直しが終わるまで、経産省が実施する新規事業の入札参加は控えるとした。 
しかし、これによって同給付金業務を巡る不透明感が払しょくされたとは言い難い。「持続化給付金を巡った不明朗な仕組みが安倍政権に対する批判となり、それが結果的に政権のダメージになっているということは間違いない」と、政治アナリストの伊藤惇夫氏は指摘する。 
この事業も含め、政府が打ち出す新型コロナ対策は混乱が目立つとの見方は多く、透明性の欠如が内閣支持率にも影響している。7月20日の共同通信の世論調査によると、新型コロナ対応を評価する声は35.7%と、1カ月前の48.8%から低下した。 
<中小企業は「一刻も早く支援を」> 
中小企業を救済する給付金業務の運営に批判と釈明が続く中、末端ではコロナショックの荒波に耐えきれず、事業継続を断念する例は後を絶たない。 
コロナ禍で経営環境が一変した米澤佳晃さんは、損失がさらに膨らむ前に所有する北海道のホテルを売却することにした。 
米澤さんは持続化給付金が振り込まれる前から、その200万円を退職金として従業員約90人に支払うことに決めていた。札幌市にあるそのホテルは、米澤さんの家族が70年近く営んできたものだ。 
「中小企業の経営者が本当に望んでいるのは、どんな種類の支援プログラムでも一刻も早く開始することです」と、米澤さんは疲れた声で語った。 
東京・神保町に本店があった老舗居酒屋「酔の助」。40年以上の歴史がある同店は、壁に貼られた手書きのおすすめメニューとうまい酒が酔客を誘う人気の赤ちょうちんで、テレビのロケに使われたこともある。 
しかし、新型コロナの感染拡大で4月から休業を余儀なくされた。家賃を払う余裕は吹っ飛び、今年5月、苦渋の閉店に追い込まれた。 
「従業員を削っていれば、ギリギリでやっていけたかもしれない」と振り返る同店長の一山文明さんの言葉には無念さがにじむ。 
酔の助の閉店から数週間後、建物は解体された。跡に残ったのは瓦礫の山だけだった。 
*写真を追加しました。 
斎藤真理、清水律子、Ju-min Park 取材協力:白木真紀、Antoni Slodkowski 編集:北松克朗、久保信博




図解

Japan stirs controversy with huge COVID aid contract for ad giant Dentsu | Article [AMP] | Reuters
https://reuters.com/article/amp/idUSKCN24S2PW?__twitter_impression=true

Japan stirs controversy with huge COVID aid contract for ad giant Dentsu


TOKYO (Reuters) - Off a narrow corridor above a store selling Persian rugs in central Tokyo, a small office houses a private operation which won a tender in April to distribute more than $20 billion in government aid to businesses hit by the new coronavirus. 

The agency, the Service Design Engineering Council, actually carried out only a fraction of that work, local media reported last month. Service Design was co-founded by Dentsu Group Inc., one of Japan's most influential companies. It passed hundreds of millions of dollars to administer the project back to Dentsu, an advertising and PR company with close ties to Prime Minister Shinzo Abe's ruling Liberal Democratic Party (LDP), government documents show. 

Under the arrangement, Service Design won the contract to distribute the $20 billion, but actually took less than 1% of the total $718 million for managing the project and passed on most of the rest to Dentsu, which set up vetting procedures, websites and call centres, the companies and the Ministry of Economy, Trade and Industry (METI) said.

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Dentsu, in turn, subcontracted the work again through its subsidiaries. The ministry has said that there were five tiers of subcontractors and at least 63 companies involved. Officials have disclosed the names of only 14 of those; the government has not fully accounted for contracts worth at least $247 million, about one-third of the total. 

The arrangement led to confusion and delays for small business owners. Members of parliament have questioned how taxpayers' money was spent during a national emergency.

Controversy over the contract - one of the largest that Japan has outsourced from its pandemic budget - is widening for Abe's government, already facing a fall in public support over its handling of the pandemic. Questions are mounting from opposition politicians about the government's links to Dentsu, a publicly listed company. At issue is whether Service Design helped shield Dentsu's leading role from scrutiny. The government and Dentsu have come under fire in the past for their close ties. 

Nearly three million firms have applied for payouts of up to $18,600 each, according to METI, which awarded the contract. Thousands are still waiting to be approved or paid. Some small business owners told Reuters the wait was so long and the payout so small, they had no choice but to fold. 

Service Design is a private, not-for-profit group which does not disclose ownership details and has a staff of 22. Dentsu founded it with Pasona Group Inc, a temporary staffing agency, and Transcosmos Inc, an IT services firm; three of its nine directors and several of its employees are from Dentsu group companies.

The ministry declined to disclose the full list of companies involved because of a clause in Japan's disclosure law. If revealing information about a company could harm the firm's competitive position, it said, it is not obliged to disclose it. 

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There are no allegations of illegality in the process.

Opposition politicians blame the subcontracting for administrative costs rising to what one of them, Masayuki Aoyama, said was roughly 30 times more than a similar programme for private individuals that was handled by local governments. They and some frustrated small business owners want to know why the government picked Service Design, and why and to whom the work to distribute the money was then farmed out.

"The whole thing is extremely grey," said Kaname Tajima, one of dozens of opposition members of parliament who are campaigning for the ministry to release full details of how the contracts have been handed out.

"What is strange is the government is protecting Dentsu from scrutiny about lack of information and accountability," Tajima said.

A poll in June by TV Asahi, a broadcaster, found 73% of respondents thought the government had handled the programme inappropriately.

The economy ministry said that as of July 20, it had received 2.9 million applications from small businesses and distributed funds to 2.67 million; Service Design said that for the most part, funds are being paid out roughly two weeks after an application is received. 

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Yusuke Tanaka, the official at the ministry in charge of the payouts programme, said METI conducted a competitive tender and awarded the contract based on a comprehensive rating system. He said the ministry had not given preferential treatment to Service Design and Dentsu. Asked if involving private companies added costs to the project, Tanaka said that applicant vetting, and the cost of providing face-to-face support for the applicants, had lifted administrative costs compared with the scheme for private individuals. 

Service Design, which told Reuters by email it tendered for the project because it had experience with an IT subsidy programme, hired extra staff and found venues to help businesses with their applications, and retained a bank to help process the payments. It said Dentsu was best placed to carry out the ambitious and wide-ranging project. 

Dentsu said the contracting structure was not opaque and that payouts were timely. Administering the project requires various companies and more than 10,000 workers, it said. 

"To begin with, we did not think that it was possible for one company to handle a public project of this level," the company said in a statement to Reuters on July 21.

The next day, Dentsu announced on its website that in response to public reaction over its dealings with the government in the small business programme, it was conducting a review of its involvement in such projects. The company said it would not bid on any new contracts from METI until the review was complete.

Transcosmos and Pasona declined to comment. 

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TRACK RECORD

Abe told parliament in June the outsourcing had been carried out appropriately. But support for his administration's response to the pandemic fell to 36% on July 20, a Kyodo News poll showed, down from 49% a month ago. 

"There's no question the unclear scheme around the small business relief programme has ... damaged public support over (the government's) handling of the pandemic," said Atsuo Ito, an independent political analyst. 

Abe's party, in power in Japan almost continuously since the 1950s, is an important client for Dentsu. Dentsu has done work for the party since the 1950s and 60s, when it was hired to help it campaign in elections, and smooth the passage of an unpopular security treaty with the United States. It was also involved in the 1964 Olympics.

More recently Dentsu, which started as a news agency, has made sports marketing a centrepiece of its business. It served as a marketing agent for Tokyo's bid to host the 2020 Olympics, for which it helped Japan raise a record $3.1 billion in domestic sponsorship. The tournament has been postponed for a year due to the pandemic.

The world's sixth-largest advertising agency, Dentsu also works in public relations, market research and polling. 

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The coronavirus aid was meant to help businesses like Takenobu Tonegawa's video production firm, which specialised in corporate events. When cases of COVID-19 surged in spring, most of his clients canceled. The Tokyo-based entrepreneur waited four weeks for his $10,000 cheque from the government, he said.

While he waited, the 41-year old found work delivering food on his bicycle for Uber Eats. Tonegawa said he had rung a call centre operated by one of the companies under Service Design more than 100 times over three days to chase his application. Each time he was referred to a different part-time employee who was not aware of it. It was one of the most stressful periods of his life, Tonegawa said. 

"I don't blame the outsourcing itself, but if they run this system with taxpayers' money, they should've operated it better," he said.

PASS THE BUCK

Pictured on national TV as a sparsely furnished office where a handful of employees type at laptops under fluorescent lights, Service Design oversees the entirety of the small business aid project. It coordinates with companies and liaises with the ministry, METI's Tanaka said. 

Service Design competed for the relief contract with Deloitte Tohmatsu Financial Advisory, the ministry said. Deloitte had two meetings with government officials, one of them over the phone. 

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Service Design met with ministry officials in person three times and was joined at the meetings by Dentsu officials, the ministry has said, adding that it followed proper procedures. A spokeswoman at Deloitte declined to comment on the process. 

As a non-profit, Service Design is not required to release detailed earnings information. When it tendered for the contract it had not filed the required public records of its assets and liabilities for three years, Japanese media reported. It posted them on its website after the reports, and told Reuters it had not done so before because of an internal communication error. 

The non-profit passed most of the contract to Dentsu, which in turn handed down the work. The largest portion of the subsequent contract went to Dentsu Live, an event production company that is wholly owned by Dentsu, according to the ministry. Dentsu Live further outsourced the work, Service Design said.

Japanese ministries are free to award contracts to bidders who intend to subcontract some of the work, but subcontracting more than 50% of a taxpayer-funded project is not normally advisable, governance experts say, citing standards issued by the finance ministry in 2006 to ensure transparency in public projects.

METI officials have told Reuters that even though Service Design subcontracted a large portion of the awarded funds, it still managed the "core" of the project.

Last month, after politicians asked the ministry to explain why Service Design was allowed to outsource so much of its work, it provided heavily redacted bidding documents, which some lawmakers said obfuscated crucial information. The ministry said it could not disclose further details due to competitive concerns.

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Dentsu told journalists in June it didn't become the primary contractor for the aid project because it believed Service Design had the necessary track record, and felt recipients of the payouts may be confused if they saw Dentsu was involved in the payments.

Added to this, Dentsu told Reuters in July it had decided not to lead the work itself after its accounting department advised that doing so would "impact the balance sheet and possibly hinder normal operations." It did not elaborate. 

The ministry has set up a third-party panel to review how it awards public contracts and make recommendations on increasing transparency, it said.

RUBBLE

By the time hotel owner Yoshiteru Yonezawa's $18,600 stimulus arrived, he had decided to sell out. Going bust would make it hard for him to run another hotel, he said. 

He used the cash to pay severance to around 90 employees of the hotel that his family has run for nearly seven decades in Hokkaido, a region popular for winter sports. 

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"What small business owners really want is for any kind of support programme to start as soon as possible," said Yonezawa in a tired voice.

The government has said it expects hundreds of thousands more firms to apply for its next round of relief funds. 

It would be too late for Fumiaki Ichiyama. He ran Yonosuke, an old-school bar in Tokyo, for more than 40 years. Decorated with red lanterns and the day's specials written by hand on paper on the walls, the bar was popular with media types.

Before the pandemic, it brought in $4,000 a day in sales, he said. In early April that slumped to $400. He could not afford the rent; the bar manager had had enough. 

A few weeks after the bar closed, workers demolished the building. All that remains is a mound of rubble. 

(Graphic: a Cascade of Contracts - here)

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(Reporting by Mari Saito and Ju-Min Park; additional reporting by Ritsuko Shimizu, Maki Shiraki and Antoni Slodkowski; Edited by David Dolan and Sara Ledwith)



2020年7月26日日曜日

孟子


Naohito Abe (@naohitoabe)
孟子が一物一価を否定している、と聞いたので調べると、違う物の価格が違うのは当たり前、という論法で、一物一価とは違う話しだった。。夫物之等齋。 pic.twitter.com/vW5RJwNW2h
https://twitter.com/naohitoabe/status/1287262661621592065?s=21

貨幣数量説、孟子他
http://nam-students.blogspot.com/2018/09/blog-post_25.html ★

井田法他
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/baguwen-eight-legged-essay-8-1902-282_60.html

孔門理財学
#25,e489,c298にヘンリージョージ(孟子の理論と似ているらしい)の名もあるがケインズは言及していない#26,e533,c325ではヘンリージョージの土地改革案は過激だとされる。

井田法
http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius05-03b.html
孟子 勝文公章句上
井田tsing tien#26,e:497,c:305 
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-026_1.html
中国の周王朝での理想的土地均分制。 
周王朝において、1里平方の土地を井の字型に9等分し、廻りの8区画を1家族ずつに与え、中央を公田として9家族の労役による耕作し、国家の収入とするもの。『孟子』に周代の土地制度として述べられているが、実施されたものかどうかは不明。理想的な土地区分制度としてあげられているにすぎないと考えられている。  

参考:


 テュルゴー  クールノーパレート  シカゴ学派        ┃
 コンディヤック     ┃ 主流派   フリードマン  ルーカス┃ 
ケネー          ┃    ┏新貨幣数量説━合理的期待学派┫
             ┃    ┃              ┃
   (貨幣中立説)   ┃    ┃RBC(リアル・ビジネス・サイクル)モデル
 機械的貨幣数量説━━━┳貨幣数量説┛     外生的 プレスコット
ヒューム        ┃フィッシャー ハイエク     キドランド
 連続的影響説     エッジワース  ドラッカー  バロー サージェント
      シーニョア ┃オーストリア学派   内生的  ┏━━━┛
  平均効用 限界効用 メンガー バヴェルク       ┗DSGE
     セイ   ジェボンズ  転形論争

貨幣数量説
貨幣数量説(かへいすうりょうせつ、quantity theory of money)とは、社会に流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定しているという経済学の仮説。物価の安定には貨幣流通量の監視・管理が重要であるとし、中央政府・通貨当局による通貨管理政策の重要な理論背景となっている。


歴史:編集

貨幣数量説の萌芽として、14世紀エジプトの歴史家マクリーズィーの議論がある。当時のエジプトでは金と銀の不足により銅貨がインフレーションを起こし、経済危機が発生していた。マクリーズィーは銅貨の流通と物価に注目し、金銀を取引の中心にすえて貨幣政策を行うよう主張した[1]
ヨーロッパにおける貨幣数量説の議論は、文献の上ではサラマンカ学派ジャン・ボダンジョン・ローの真手形ドクトリン、リチャード・カンティロンのエッセイに端緒を発する。スペインでは新大陸からの金塊の略奪と流入は経済の活性化につながっていると報告され、またイギリスでは戦争や海戦の発生により、なんとはなく経済が刺激されていると観想がなされていた一方で、古典派の啓蒙思想においては貨幣の中立性が強調された。国富の増強は生産能力の増強や市場の整備などによるべきであり、貴金属の他国からの掠奪や金鉱の開発など貨幣そのものの増大を目的としても意味がないとされた。  
  1. ^ 加藤博『イスラム経済論』書籍工房早山、2010年。 p166

新貨幣数量説

マッカラム『マネタリズム』
http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20091230/p1
マネタリズムマクロ経済学の一学派であり、以下の4点を強調する特徴がある。
(1)長期的な貨幣の中立性
(2)短期的な貨幣の非中立性
(3)名目利子率と実質利子率との区別
(4)政策分析における貨幣集計量(monetary aggregates)の役割の強調
代表的なマネタリストとしては、ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)、アンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)、カール・ブルナー(Karl Brunner)、アラン・メルツァー(Allan Meltzer)がおり、アメリカ以外の国においてマネタリズムの初期の発展に貢献した経済学者としては、デビッド・レイドラー(David Laidler)、マイケル・パーキン(Michael Parkin)、アラン・ワルターズ(Alan Walters)の名前を挙げることができよう。ジャーナリズムにおいては―特にイギリスジャーナリズム―、マネタリズムを自由市場を擁護する立場に結びつけて論じる傾向があるが、そのような捉え方は適当ではない。自由市場擁護の立場に立つ多くの論者は、よもや自らがマネタリストと名指しされようとは考えもしていないことだろう。
ミルトン・フリードマン  資本主義と自由  Milton Friedman Capitalism and freedom 1962 
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/milton-friedman-capitalism-and-freedom.html

平山
12:

2.3貨幣数量脱の起源貨幣数量説の起源をたどれば中国の子L子やギリシャのクセノフォンにまで遡ることができるようだが,a19世紀末に1つの完成をみる貨幣数量説の直接の起源は16世紀のスペインに求められる。当時のスペインでは中南米の「新世界」から金銀が流入し,物価が大きく上昇した。のちに「価格革命」として有名になったこの現象は,スペインの貿易収支の赤字によリヨーロッパの国々(とくにイタリア・フランス・オランダ・イギリス)にも波及したので,当時の学者たちの注意を惹いたものと思われる。当時のスペインではサラマンカ大学を中心に,スコラ主義の学問が盛んに研究され,そのなかで経済の現象に関しても多くの記述がなされた。たとえば1556年にアスピルクエタ(Azpilcucta)は次のように述べている:………他の条件が同じであれば,貨幣が多い国よりも少ない国ではすべての商品や労働が安くなる スペインよりも貨幣が少ないフランスでは,パン・ワイン・布・労働が安いことを我々は経験から知っている.スペインでさえ,インド諸島の発見で金銀が大量に流入する以前には貨幣が少なく,商品や労働は安かった.貨幣が豊富にあるのではなく貨幣が少ないときは貨幣の価値が高くなるからである.つ上記引用中の「インド諸島」は,コロンブスの発見した西インド諸島とメキシヨ・チリ・ペルーなどの中南米植民地を含むものと理解してよさそうである.これらの地域からまず金,のちに銀が大量にスペインに流入し,スペインの物2)Hcgcland(1951),pp 7-10 なおこの研究書は全編を通して貨幣数量説の歴史的発展とその評価について詳述している3)G五cc―Hutchhson(1978),p104 以下,原典の引用に際して,原典の日本語訳がある場合でも,参考にはしたが,すべて筆者の試訳である|

Hugo Hegeland - 1951 - スニペット表示
The attempts to trace the origin of the 'simple' form of the quantity theory as far back as possible in the history of ... The 'simple' or 'primitive' form is generally understood as containing only a statement that changes in the quantity of ... a statement would primarily be to show that the value of money is not something fixed and intrinsic, but is a flexible ... that is was »the duty of a good ruler of the empire to exercise control over the relative value of commodities and the quality of the money.


Hegeland (Hugo) - The Quantitative Theory of Money. A critical ...
www.persee.fr/.../reco_0035-2764_1953_num_4_4_40...
[Note: Göteborg, Elanders Boktzyckeri, 1951. In-8°, x-262 p. 25 couronnes suédoises. M. Hegeland nous contie dans sa ...


hegeland
Already  the  Chinese  reflected  upon  the  value  of  money.  In  the  writing of  Confucius’  disciples  there  are  statements  that  imply  the  application  of the  general  law  of  demand  and  supply  to  the  value  of  money.  Thus  Matawn-lin  declared  that  it  was  “the  duty  of  a  good  ruler  of  the  empire  to exercise  control  over  the  relative  value  of  commodities  and  the  quality  of money.  But  this  should  be  done  by  changing  the  amount  of  goods!”  The causal  relation  is  thus  reversed  to  that  of  the  quantity  theory,  but  to  restore the  old  value  of  the  monetary  unit,  the  quantity  of  money  is  said  to  be  lessened.  Hence,  Ma-twan-lin’s  theory  is  based  upon  the  opinion  that  average prices  shall  not  differ  from  the  “usual”  purchasing  power  of  money  in either  direction. It  may  be  worth  mentioning  that  the  observations  both  refer  to  a  period  when  the  government  alone  had  the  power  to  issue  coins  and  consequently  to  determine  the  stamp  value  of  the  coin.  The  main  task  for  the government  was  to  keep  the  purchasing  power  of  money  equal  to  its  stamp value,  which,  in  the  minds  of  the  people,  probably  represented  a  certain amount  of  goods.  It  is  very  interesting,  indeed,  that  the  modern  policy  of keeping  the  price  level  stable  was  considered  to  be  the  duty  of  the  government  even  in  those  days!

すでに中国人はお金の価値を反映しています。孔子弟子の執筆では、お金の価値に需要と供給の一般法則を適用することを暗示する陳述があります。したがって、Matawn-linは、「商品の相対価値とお金の質を支配するのは、帝国の良い支配者の義務である」と宣言した。しかし、これは商品の量を変えることによって行うべきである! "因果関係は量論のそれとは逆になるが、通貨単位の古い価値を元に戻すために、金額は少なくなると言われている。したがって、Ma-twan-linの理論は、平均価格がどちらの方向でも「普通の」購買力と変わらないという意見に基づいている。観察だけでは、政府だけでコインを発行し、結果としてコインのスタンプ値を決定する権限がある期間を指すことに言及する価値があるかもしれません。政府の主な任務は、貨幣の購買力をその人の心の中でおそらく一定量の財を代表する刻印価値と同じに保つことでした。その時代にあっても、物価安定の現代政策は政府の義務と考えられていたのは、本当に興味深いことです。





Mencius - Wikipedia


en.wikipedia.org/wiki/Mencius
Mencius or Mengzi was a Chinese philosopher who has often been ... Mencius is buried in the "Mencius Cemetery" (孟子林, Mengzi Lin, also known as 亞聖林, Yasheng Lin), which is located 12 km to ...

Ma lin  Confucius money
春秋戦国時代から漢代にかけては、多くの貨幣論も書かれている。春秋戦国時代の出来事をもとに書かれた『国語』に登場する単穆公は、基準通貨と補助通貨の2種類の貨幣で調整をするという子母相権論を説いた。紀元前5世紀頃の『墨子』では刀貨と穀物価格の関係を論じており、紀元前4世紀頃の『孟子』では一物一価の法則への反論がなされている。司馬遷は『史記』の貨殖列伝で范蠡の逸話を通して物価の変動を説き、『管子』は君主による価格統制をすすめている[46]。文芸作品では、西晋魯褒が当時の社会を風刺した『銭神論』を著している[47]




日本のお金、中国のお金(上) | nippon.com


www.nippon.com/ja/column/g00486/
2017年12月27日 ... さらに、中国の儒学者孟子も「恒産なくして恒心なし」と喝破して .... 日本銀行で見るお金の歴史:貨幣博物館.

孟子wiki
孟子の対立思想として、荀子の性悪説が挙げられる。しかし、孟子は人間の本性として「#四端」があると述べただけであって、それを努力して伸ばさない限り人間は禽獸(きんじゅう。けだものの意)同然の存在だと言う。決して人間は放っておいても仁・義・礼・智の徳を身に付けるとは言っておらず、そのため学問をして努力する君子は禽獸同然の人民を指導する資格があるという主張となる。一方、荀子は人間の本性とは欲望的存在であるが、学問や礼儀という「偽」(こしらえもの、人為の意)を後天的に身に付けることによって公共善に向うことができると主張する。すなわち、両者とも努力して学問することを通じて人間がよき徳を身に付けると説く点では、実は同じなのである。すなわち「人間の持つ可能性への信頼」が根底にある。両者の違いは、孟子が人間の主体的な努力によって社会全体まで統治できるという楽観的な人間中心主義に終始したのに対して、荀子は君主がまず社会に制度を制定して型を作らなければ人間はよくならないという社会システム重視の考えに立ったところにある。前者は後世に朱子学のような主観中心主義への道を開き、後者は荀子の弟子たちによってそのまま法家思想となっていった。

北村 孟子 248頁



滕文公章句上4

曰、夫物之不齊、物之情也。或相倍蓰、或相什伯、或相千萬。子比而同之、是亂天下也。巨屨小屨同賈、人豈爲之哉。從許子之道、相率而爲僞者也。惡能治國家。
夫、音扶。蓰、音師、又山綺反。比、必二反。惡、平聲。○倍、一倍也。蓰、五倍也。什伯千萬、皆倍數也。比、次也。孟子言、物之不齊、乃其自然之理、其有精粗、猶其有大小也。若大屨小屨同價、則人豈肯爲其大者哉。今不論精粗、使之同價、是使天下之人皆不肯爲其精者、而競爲濫惡之物以相欺耳。
【読み】
曰く、夫れ物の齊[ひと]しからざるは、物の情[せい]なり。或は相倍蓰[ばいし]し、或は相什伯し、或は相千萬す。子比[つ]いで之を同じうせば、是れ天下を亂るなり。巨屨小屨賈を同じうせば、人豈之をせんや。許子が道に從わば、相率[ひき]いて僞をせん者なり。惡んぞ能く國家を治めん、と。
夫は音扶。蓰は音師、又山綺の反。比は必二の反。惡は平聲。○倍は一倍なり。蓰は五倍なり。什伯千萬は皆倍數なり。比は次ぐなり。孟子言う、物の齊しからざるは、乃ち其れ自然の理にて、其の精粗有るは、猶其の大小有るがごとし。若し大屨小屨價を同じうせば、則ち人豈肯えて其の大いなる者をせんや。今精粗を論ぜず、之れ價を同じうせしむるは、是れ天下の人をして皆肯えて其の精なる者をせず、競って濫惡の物をして以て相欺かしむるのみ。


滕文公章句上5
○墨者夷之、因徐辟而求見孟子。孟子曰、吾固願見。今吾尙病。病愈、我且往見。夷子不來。辟、音壁、又音闢。○墨者、治墨翟之道者。夷、姓、之、名。徐辟、孟子弟子。孟子稱疾、疑亦託辭以觀其意之誠否。


In the long list of writers who have been pointed out as the originators of the quantity theory Xenophon is the oldest except for the Chinese: “With an increase in the number of bronze-workers articles, bronze may become so cheap that the bronze-worker has to retire from the field… But the converse is the case in the working of silver; there the larger the quantity of ore discovered and the greater the number of persons ready to engage in the operation “(The Works of Xenophon, tansl. by H.G. Dakyns, London 1892, vol. II, p. 335). His argument evidently is that nobody will ever get too much money -an idea you will later meet in the writings of Locke- because silver is the commonly accepted medium of exchange. Thus the general law of demand and supply has no bearing in this case, whereas gold, in spite of being a precious metal, will decrease in value


when its supply is increased. Evidently, Xenophon’s statement is diametrically opposed to the quantity theory, and one might instead be inclined to denote him as the first anti-quantity theorist.

ヘグランド
http://archivesofeconomichistory.com/webdata/magaz/040113210417VolumeXI_No1-2_2000.pdf
11,12:

量論の創始者として指摘されている作家の長いリストの中で、キセノンは中国人を除いて最も古く、「青銅労働者の記事の数が増えれば、青銅は非常に安くなり、青銅労働者現場から退く必要があります...しかし、逆は銀の働きの場合です。発見された鉱石の量が増え、作業に従事する準備ができている人の数が増える」(H.G.Dakyns、London 1892、vol。II、p.335のXenophon、tanslの作業)。彼の主張は明らかに、あまりにも多くのお金を儲ける人はいないということです。なぜなら銀は交換の普遍的に受け入れられる媒体なので、あなたが後でLockeの執筆で会うという考えです。したがって、需要と供給の一般的な法則はこの場合には関係しないが、金は貴金属であるにもかかわらず価値が低下する

その供給が増加したとき。明らかに、ゼノフォンの陳述は、量論に正反対であり、代わりに、彼を最初の反量論者とする傾向があるかもしれない。





Ways and Means, by Xenophon


ebooks.adelaide.edu.au/x/xenophon/x5wa/
With an increase in the number of bronze-workers articles of ... may become so cheap that the bronze-worker has to retire ... But the converse is the case in the working of silver; there ...
IV
.46 But in silver mining [operations] the universal complaint is the want of hands. Indeed there is no analogy between this and other industries. With an increase in the number of bronze-workers articles of bronze may become so cheap that the bronze-worker has to retire from the field. And so again with ironfounders. Or again, in a plethoric condition of the corn and wine market these fruits of the soil will be so depreciated in value that the particular husbandries cease to be remunerative, and many a farmer will give up his tillage of the soil and betake himself to the business of a merchant, or of a shopkeeper, to banking or money-lending. But the converse is the case in the working of silver; there the larger the quantity of ore discovered and the greater the amount of silver extracted, the greater the number of persons ready to engage in the operation. One more illustration: take the case of movable property. No one when he has got sufficient furniture for his house dreams of making further purchases on this head, but of silver no one ever yet possessed so much that he was forced to cry “enough.” On the contrary, if ever anybody does become possessed of an immoderate amount he finds as much pleasure in digging a hole in the ground and hoarding it as in the actual employment of it. And from a wider point of view: when a state is prosperous there is nothing which people so much desire as silver. The men want money to expend on beautiful armour and fine horses, and houses, and sumptuous paraphenalia47 of all sorts. The women betake themselves to expensive apparel and ornaments of gold. Or when states are sick,48 either through barrenness of corn and other fruits, or through war, the demand for current coin is even more imperative (whilst the ground lies unproductive), to pay for necessaries or military aid.




クセノポン
クセノポン(クセノポーン、ΞενοφώνXenophon紀元前427年?-紀元前355年?)は、古代ギリシアアテナイ軍人哲学者著述家。アテナイの騎士階級の出身で、ソクラテスの弟子(友人)の1人でもあった。クセノフォンとも。
クセノポンはグリュロスなる人物の息子で、(古代ギリシアでは父の名を息子につける慣習があるため)同名の息子がいる。息子のグリュロスは紀元前362年マンティネイアの戦いでテバイの名将エパメイノンダスを討ち取ったといわれる(パウサニアス, VIII. 11. 6; IX. 15. 5)。

目次

生涯編集

ソクラテスとの出会い編集

クセノポンがソクラテスの弟子になるにあたっては、次のようなことがあったと、ディオゲネス・ラエルティオス著の『ギリシャ哲学者列伝』(第2巻第6章)に書かれている。
青年時代、アテナイの町を歩いていると、ソクラテスがやってきて、杖でクセノポンの行く手を阻んだ。ソクラテスは、青年クセノポンに尋ねる。「○○を手に入れるには、どこに行けばよいか知っているか?」。クセノポンが答えると、ソクラテスは畳み掛けるように、さまざまな食料品についてこの質問を繰り返した。クセノポンがいちいちそれに答えると、最後にソクラテスはこう言った。「では、立派な人になるためには、どこに行けばよいか知っているか?」。クセノポンが答えられないでいると、ソクラテスはこう言った。「では、私のところに来て、勉強しなさい」。クセノポンは、この時以降、ソクラテスの弟子になったという。

ペルシアへ編集

クセノポンは若いころ、ペルシアアルタクセルクセス2世の弟キュロスが兄王を打倒すべく雇ったギリシア傭兵に参加した(紀元前401年紀元前399年)。クセノポンがこのことについてソクラテスに相談すると、ソクラテスは「神様にお伺いをたてろ」と言った。しかしクセノポンは「参加するにあたっては、どの神にお供えをすればいいか」とお伺いをたててしまい、その答えを聞いてしまった。クセノポンは参加したくてたまらなかったのであろう。ソクラテスはしかたなく「『参加するにあたっては』、とお伺いを立ててしまった以上、神様にうそはつけない」として、参加を許したという。しかし、このおかげでクセノポンは師の死(紀元前399年)に立ち会うことができなかった。
傭兵として参加した東征も、キュロスの戦死によって失敗に終わる。しかし、雇用主と指揮官の死去によってペルシア帝国の真ん中に放り出された傭兵部隊をまとめ、激しい攻撃や自然の猛威を防ぎながらも敵中を脱することができたのは、クセノポンの名采配あってこそだった。

ペルシアからの帰還とその後編集

アナバシス』はギリシア傭兵たちがまとめて小アジアに侵攻したスパルタに雇われることで終わる。クセノポンは、そのままスパルタ軍の一員として活躍したようである。彼の著作『アゲシラオス』を見ると、スパルタ王アゲシラオス2世に心酔していたことが分かる。始めは、スパルタ軍と小アジアを支配するペルシア帝国との戦いであったが、ギリシア本土で反スパルタ陣営の反乱が生じ、コリントス戦争が勃発するにあたり、スパルタ軍の一員であるクセノポンも反スパルタ陣営との戦いに突入することになる。アテナイも反スパルタ陣営に在ったので、コロネイアの戦いにて、とうとうアテナイ軍を敵にまわして戦うはめになってしまった。
このため、クセノポンは当時の敵国であったスパルタに加担して、祖国に弓を引いたということで、アテナイを追放される。それでも、クセノポンはコリントス戦争をスパルタ側として戦い続けた。その功績を讃えられ、アンタルキダスの和約によってコリントス戦争が終結した後に、クセノポンはスパルタからオリュンピア近くのスキルスに荘園をもらって住み、悠々自適の生活を送りつつ、狩猟や著述にいそしんだという。その後情勢が変わってテーベがスパルタを破ってスキルスを占領したためにクセノポンはスキルスを追われる事になる。だが、皮肉にも今度はテーベの台頭を恐れたアテナイとスパルタが同盟を結んだために、クセノポンはアテナイ追放から解かれた。しかし、アテナイに帰国したかどうかは定かではなく、スキルスの次はコリントスに移住し、そこでその生涯を閉じた。没年は定かではない。

著作編集

クセノポンの著作全体は、ギリシア語の模範テキストに多く用いられたため、ほぼ散逸すること無く現代に伝承されている。

日本語訳編集

参考文献編集

  • 八木雄二 『裸足のソクラテス 哲学の祖の実像を追う』春秋社、2017年
    • クセノポンの著作の重要箇所を訳・註釈し、ソクラテスの人となりを再現する試み。
  • 真下英信 『伝クセノポン「アテーナイ人の国制」の研究』慶應義塾大学出版会、2001年

脚注編集

関連項目編集