2026年8月7日金曜日

【実は撃墜できた?】AIM-9というミサイル - 【日航ジャンボ機墜落事故】調べ疲れた人のための羅針盤

【実は撃墜できた?】AIM-9というミサイル - 【日航ジャンボ機墜落事故】調べ疲れた人のための羅針盤

【実は撃墜できた?】AIM-9というミサイル

真殿氏が検証した4つ、検証していない1つ

真殿知彦氏は著書『日航123便墜落「撃墜説」の真相』の中で、青山透子氏が唱える海上自衛隊ミサイル撃墜説を、開発年表や部隊運用の記録に基づいて検証し、主に次の4点を根拠に退けています。

・SSM-1(国産ミサイル):護衛艦から発射するために必要なIFUの開発が、事故後の昭和61年度にようやく始まったばかりで、事故当時は発射できなかった
・標的機:運用できる唯一の訓練支援艦「あづま」が、事故当日その海域にいなかった
・ファントム機の機銃:有効射程や照準の面で、命中させるのは無理がある
・対地ミサイル:当時のファントム機にそもそも装備されていなかった

ただし、この反論の中に空対空ミサイルへの言及はありません。

今回は、とある自衛隊関係者の方から、JAL123便のようなジャンボ機のエンジンを撃ち落とせるミサイル候補として、AIM-9(サイドワインダー)を教えていただきました。AIM-9とはどのようなミサイルなのか、1985年当時の装備状況や関東地域の防空を担っていた部隊などをまとめます。

AIM-9(サイドワインダー)とは

導入の経緯

サイドワインダーは1956年に米海軍で実戦配備された赤外線誘導式空対空ミサイルで、同年中に米空軍も採用。航空自衛隊は1956年からF-86Fの国産(ライセンス)生産を開始していますが、この時期からAIM-9B系のミサイルが米国側から供与され、F-86F、後継のF-104Jに搭載される形で導入が進みました。なお日本では、AIM-9Bを参考に国産化した69式空対空誘導弾(AAM-1)も並行して開発されています。

McDonnell Douglas F4J Phantom II US Navy "Showtime 100" AIM-9 Sidewinder pair

CC BY-SA 2.0(撮影者 Bill Abbott)

その後、F-4EJファントムの導入とともにAIM-9E/P系が、F-15Jイーグルの配備(1981年度から部隊化開始)とともに第3世代のAIM-9Lが主力となりました。AIM-9Lは1976年から生産が始まり、米国(フィルコ・フォード、レイセオン)、西独などに加えて日本の三菱重工業も国際共同生産に参加し、ライセンス生産を行っています。1980年代の航空自衛隊向けAIM-9Lは、輸入品と国内生産分の両方が供給されていたことになります。

1985年前後の装備状況

※画像は米海軍のF-4J(参考画像、航空自衛隊機ではありません)

1985年当時は、F-104J(旧式)からF-15Jへの機種転換が進行している過渡期であり、百里基地の第204飛行隊は1985年3月2日にF-104J部隊からF-15J部隊として再編成されています。この時期、
F-15J部隊はAIM-9Lを
現役のF-4EJ部隊はAIM-9E/Pを
まだ残っていたF-104J部隊はAIM-9B/E系を
装備するという、複数世代のAIM-9が機種ごとに混在していた
状況です。ただし、具体的な保有弾数など定量的なデータは今回は見つけられませんでした。

関東地区の部隊

関東地域の防空(対領空侵犯措置)を担当していたのは、茨城県の百里基地に司令部を置く第7航空団であり、1985年前後の隷下部隊は以下の通りです。

ポイント

第204飛行隊は、新田原基地でF-104Jを運用していたが1985年3月に百里基地へ移転・改編し、航空自衛隊3番目のF-15J部隊としてAIM-9Lを装備、首都圏防空を担う
第305飛行隊は1979年からF-4EJで対領空侵犯任務に就いており、1985年時点でもF-4EJ(AIM-9E/P装備)のまま運用を続け、1994年にF-15Jへ転換

両飛行隊とも第7航空団(百里基地)隷下です。1985年8月12日の事故当時、百里基地の司令を務めていたのは15代目の岩村昭良氏でした(在職期間1984年3月2日〜1986年4月1日)。

真殿氏はAIM-9をどう考えるのか

真殿知彦氏は著書『日航123便墜落「撃墜説」の真相』の終章で、青山透子氏の撃墜説を「陰謀論と呼ぶにも値せず、デタラメという言葉の方がしっくりくる」と断じています。根拠は、SSM-1・標的機・機銃・対地ミサイルのいずれも1985年当時の装備状況や部隊運用記録と矛盾するという、開発年表に基づく技術的反論です。

ただし書籍全体を確認しても、AIM-9という型番、航空機搭載の空対空ミサイルという選択肢への言及はほぼありません。第5章の「AAM(Air to Air Missile 空対空ミサイル)」という用語解説の一文はありますが、候補としてAIM-9が検討されたようには見えません。真殿氏が実際に検討しているのは護衛艦搭載の艦対空ミサイル(シースパロー・ターター)で、射程の短さを理由に退けていますが、これは戦闘機搭載のAIM-9とは別の兵器です。

シースパロー(RIM-7)発射の様子(画像はイメージ、米海軍艦艇) ※出典:U.S. Navy photo

真殿氏はYouTubeチャンネル「ワタナベケンタロウ」に2回出演し(2026年3月7日、2026年7月19日)、青山氏への反論を語っていますが、ここでも「AIM-9」は出てきません。7月19日の回では「ミサイル説は標的機説より後に出てきたもの」として退けるにとどまり、3月7日の回もフレアの一般的な説明にとどまり、赤外線誘導ミサイルがJAL123便に使われた可能性そのものを検討した発言は確認できませんでした。

ただし、これはあくまで著書と2本の動画での話であり、真殿氏が他の場で空対空ミサイルについて発言している可能性は残っています。

残る疑問

AIM-9は、SSM-1・標的機・機銃のように「そもそも発射できない」という技術的な壁がありません。赤外線誘導ミサイルは元々ジェットエンジンの熱源を追尾するために作られた兵器で、747のエンジンはむしろ戦闘機より熱源が大きく捕捉しやすい標的でもあり、性能の面だけで言えば、否定しにくい候補ではないでしょうか。

ただし、その可能性は「実際に撃墜した」ことの証拠にはなりません。今回分かったのは装備の存在と配備の事実だけで、次の点は依然として不明のままです。

・動機・命令系統:誰が、なぜ発射したのか
・レーダー・管制記録による発射や異常接近を示す痕跡は不明
・事故調査報告書のエンジン残骸分析で爆風・破片痕はどうなのか
・目撃証言に限られる

外部からの爆風・破片による損傷なのか、樹木への接触による損傷なのか、報告書の記述と突き合わせる必要があり、この点はまだ検証できていません。

まとめ

1985年当時、F-15J部隊はAIM-9Lを、F-4EJ部隊はAIM-9E/Pを装備しており、いずれもジャンボ機のエンジンを破壊できる性能を持つミサイルだったと考えられます。関東地域の防空を担っていたのは百里基地の第7航空団で、その司令官は15代目・岩村昭良氏でした。真殿氏の反論がこの候補に触れていない以上、AIM-9という選択肢がどう評価されるべきかは、まだ開いたままの問いです。引き続き調査を続けます。

参考・出典

Wikipedia「サイドワインダー(ミサイル)」
Wikipedia「第7航空団」歴代の第7航空団司令(空将補)一覧
航空自衛隊 第204飛行隊・第305飛行隊沿革に関する各種資料
【存在しないミサイル】青山氏vs真殿氏の争点
【日航機墜落事故195】まさかの検証。インタビューで明らかになる真殿氏の証言(ワタナベケンタロウ、2026年3月7日)
【日航機墜落事故201】驚きの新事実。真殿知彦氏が語る。(ワタナベケンタロウ、2026年7月19日)

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