2025年12月5日金曜日

映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』がアニメゆえに描き出せた戦場のリアル : 読売新聞

映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』がアニメゆえに描き出せた戦場のリアル : 読売新聞

 これまでペリリュー島の戦いといえば、極限状況の中で約2か月にわたって持久戦を指揮し、最後は「サクラ、サクラ、サクラ」の電報を打って自決した第14師団歩兵第2連隊長、中川 州男くにお (1898~1944)に焦点があたってきた。この連載でも以前、「南洋のサムライ」と呼ばれた中川の戦いを紹介している( こちら )。

中川州男

 しかし、映画には架空の名前の兵士が数多く登場するにもかかわらず、中川は登場しない。原作の漫画で中川は、島を米軍に制圧されてピストルで自決する「大佐」のモデルになっているが、この大佐には中川という名どころか、仮の名前もついていない。映画や漫画が戦いを命じる側ではなく、命じられる側の目線から描かれているからで、目線が変わると戦争の見え方も変わることがよくわかる。

 中川は米軍上陸の前に島の地元民を疎開させ、兵隊たちにバンザイ突撃による玉砕を禁じている。無駄死にや巻き添え死を防ごうとした、と積極的に評価する見方もある。だが、命じられる側の目線で見ると、玉砕禁止の命令は「苦しくても死なずに最後まで戦え」という命令になる。地元民の疎開は敵に情報を流すスパイを排除するため、他の戦場でも行われていた。中川が極限状況下で2か月以上米軍を苦しめた優秀な指揮官であることは間違いないが、いくら優秀でも、戦争の残酷さを変えることはできないのだ。

https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20251201-GYT8T00046/

映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』がアニメゆえに描き出せた戦場のリアル

編集委員 丸山淳一

 戦後80年の節目の年もあと1か月となり、あの日が近づいてきた。12月8日は84年前に日本海軍がハワイ・真珠湾を奇襲して太平洋戦争が始まった「開戦の日」。自然豊かな地上の楽園だった太平洋の島々は せいさん な戦場となり、多くの人が命を落とした。

 その中でも最大の激戦とされるのが、昭和19年(1944年)9月15日から74日間にわたって続いたパラオ・ペリリュー島の戦いだ。12月5日、その戦いを描いたアニメ映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』(配給:東映)が全国公開される。監督は久慈悟郎さん。原作となった同名漫画の作者、武田一義さんが西村ジュンジさんと共同で脚本も執筆した。

 武田さんが原作となった漫画を描き始めたのは、戦後70年の節目となった平成27年(2015年)、慰霊のために天皇・皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)がペリリュー島をご訪問になったのがきっかけだった。戦後80年の11月27日には天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが、武田さんらとともに完成した映画のチャリティー上映会で映画を鑑賞されている。

映画では主人公の田丸(左)と相棒の吉敷の戦場での友情も描かれる(C)武田一義・白泉社/2025「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」製作委員会
映画では主人公の田丸(左)と相棒の吉敷の戦場での友情も描かれる(C)武田一義・白泉社/2025「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」製作委員会

餓死・事故死を「勇猛果敢に戦死」と美化する役割

 物語の主人公は、ペリリュー島防衛のために島に送り込まれた一等兵の田丸均(声:板垣李光人さん)。臆病で優しい性格の田丸は敵を迎え撃つ戦力にはならないが、漫画家志望で絵がうまいという才能を買われ、遺族のために仲間の最期の雄姿を記す「功績係」という任務に就く。

 米軍の総攻撃が始まると、日本軍はあらかじめ掘り進めておいた地下 ごう を駆使して必死に抗戦するが、次第に圧倒的な兵力差に押されて劣勢となっていく。身を潜める地下壕が見つかって火炎放射器で焼き殺される恐怖に加えて、飢え、渇き、伝染病に倒れる兵士が続出する極限状況の中、田丸は飢えや事故で死んだ仲間について「勇猛果敢に戦死した」という美談を仕立て続ける。

 うその功績を書き、良心の 呵責かしゃく にさいなまれる田丸の心の支えになったのは、銃撃の名手で勇猛果敢な上等兵の吉敷佳助(声:中村倫也さん)だった。戦火の友情で結ばれた2人は、助け合いながら地獄を生き抜こうとするが……。

 映画は徹底して兵士の視点からペリリュー島の戦いを描いている。兵隊の中には少しでも多くの食料を手に入れて生き延びようという人もいれば、華々しく戦って死ぬことしか考えていない人もいる。主人公を功績係にしたのは、名もなき兵隊たちが極限状況で戦争とどう向きあったのかを主人公の目線を通じて描くためだろう。

 デフォルメされたかわいらしい登場人物が、死人が転がる戦場で凄惨な戦いに明け暮れることに最初のうちは違和感もあるが、スクリーンから目を背けずに最後まで見ることができた。一方で、かわいらしい登場人物が突然血を流して動かなくなるのを見ると、実写以上に戦争の理不尽さを強く感じた。それは、大切にしていたぬいぐるみの首を突然もがれた時に感じる身を切るような感情に似ている。なぜ、この島でこんな凄惨な戦いが起きたのか。

第1次世界大戦後、日本の委任統治領に

 ペリリュー島があるパラオは、第1次世界大戦後に日本の委任統治領となり、日本の南洋庁が置かれていた。ペリリュー島には日本軍の大規模な飛行場があり、フィリピン奪還をめざす米軍は、この飛行場を奪取してフィリピン爆撃の拠点にしようとした。

 昭和19年(1944年)9月、米軍は約4万人の大兵力でアンガウル島とペリリュー島への上陸作戦を開始した。これを予期していた日本軍は中国大陸にいた第14師団を南洋に回し、ペリリュー島に約1万人の守備隊を配置。グアムやサイパンで水際での撃滅に失敗した反省から、事前に島内にトンネル(地下壕)を張りめぐらして持久戦に持ち込む戦法をとった。

 米軍は地下壕を利用してゲリラ戦を仕掛ける日本軍に予想外の損害を受け、戦闘は74日間に及んだ。米軍は10月20日にはフィリピン・レイテ島上陸を果たしており、戦いの途中からペリリュー島を奪取する意味はなくなっていたのだが、血みどろの戦いは終わらなかった。日本軍はほぼ全員が戦死し、最後まで生き残ったのは終戦を知らずに昭和22年(1947年)まで潜伏を続けた34人だけだったとされる。

優秀な指揮官でも変わらない残酷

 これまでペリリュー島の戦いといえば、極限状況の中で約2か月にわたって持久戦を指揮し、最後は「サクラ、サクラ、サクラ」の電報を打って自決した第14師団歩兵第2連隊長、中川 州男くにお (1898~1944)に焦点があたってきた。この連載でも以前、「南洋のサムライ」と呼ばれた中川の戦いを紹介している( こちら )。

 しかし、映画には架空の名前の兵士が数多く登場するにもかかわらず、中川は登場しない。原作の漫画で中川は、島を米軍に制圧されてピストルで自決する「大佐」のモデルになっているが、この大佐には中川という名どころか、仮の名前もついていない。映画や漫画が戦いを命じる側ではなく、命じられる側の目線から描かれているからで、目線が変わると戦争の見え方も変わることがよくわかる。

 中川は米軍上陸の前に島の地元民を疎開させ、兵隊たちにバンザイ突撃による玉砕を禁じている。無駄死にや巻き添え死を防ごうとした、と積極的に評価する見方もある。だが、命じられる側の目線で見ると、玉砕禁止の命令は「苦しくても死なずに最後まで戦え」という命令になる。地元民の疎開は敵に情報を流すスパイを排除するため、他の戦場でも行われていた。中川が極限状況下で2か月以上米軍を苦しめた優秀な指揮官であることは間違いないが、いくら優秀でも、戦争の残酷さを変えることはできないのだ。

再び大国の覇権争いの場に?

 中川の采配のおかげで島の住民が戦闘に巻き込まれずにすみ、これが今でもパラオが親日国である一因ともいわれている。2025年10月末には成田―パラオ間の直行便が再開された。来年の正月休みには自然豊かな楽園の島々を訪ね、ダイビングを楽しむ日本人が増えるだろう。せっかく行ったなら、その楽園でかつて血で血を洗う戦いがあり、映画にも出てきた名もなき兵隊の遺骨が多数、いまだに祖国に帰れないまま眠っていることにも思いを巡らせてほしい。

 パラオは中国が領有権を主張する南沙諸島に近く、海洋進出を続ける中国に対抗する米国の戦略拠点として注目されている。昨年には米海兵隊が、旧日本軍が飛行場を作ったペリリュー島で、大型軍用輸送機の離発着ができる滑走路を整備した。過去の悲劇の爪痕が消えないうちに、再び楽園が大国の覇権争いに巻き込まれることがないか。映画を見て過去を知ることで、今の国際情勢に対する目線も変わるかもしれない。

原作・脚本の武田一義さんに聞く

 原作の同名漫画を描き、映画の脚本も手がけた漫画家の武田一義さんに、ペリリュー島への思いや作品に込めた思いを聞いた。

漫画を描くまで戦争は遠い存在だった

 戦後70年の年に天皇・皇后両陛下(現在の上皇・上皇后さま)が慰霊のためペリリュー島を訪れるまで、僕はペリリューの名前すら知りませんでした。節目の年に戦争の読み切り漫画を書きませんかと出版社から声をかけられて、戦史研究家の平塚 柾緒まさお さんのお話を聞いたのがこの作品につながりました。平塚さんはペリリュー島からの生還者を取材し、島での遺骨収集にも同行して、兵隊さんたちの島での体験をよく知っていました。

 平塚さんの話を聞くまでは、僕にとって「戦争」は遠い存在でした。でも、話を聞いて、戦争をしたのは今の私たちと同じ、ごく普通の若者たちだったことを改めて思い知り、その物語を描きたいと思ったんです。きちんと描くには1回の読み切りでは足りない。出版社に連載をお願いし、戦史研究者の本をたくさん読んで気になったことを調べ、物語の中に織り込んでいきました。連載が軌道に乗ってからは現地にも行き、生還者にじかにお会いして、情報源を文献から取材にシフトしていきました。

 ご存命だった生還者の方に「あの体験を漫画みたいな形で表現されたくない」と取材を断られたこともありました。でも、戦後70年以上を経ても生還者にはそういう気持ちが残っている、ということがわかったのはよかった。その気持ちは十分に理解できます。僕は常に「戦争を体験していない自分が戦争の漫画を描いていいのだろうか」という葛藤を抱きながら描いています。

史実を描くためのフィクション

 ペリリュー島で功績係の役割を果たした兵士がいたという証言は残っておらず、主人公の田丸は架空の人物です。しかし、その行動は他の戦場で功績係の経験をした人の証言に基づいています。戦争が終わったのかどうかを巡る意見の衝突から、投降を企てた仲間を射殺したエピソードは、実際にペリリューであったという証言があります。

 生還者は身内の仲間割れについては話したがりません。生還者に密着していた平塚さんは知っていましたが、「取材に協力してくれている方々のために私は書かない。でも、フィクションの形なら描けるのではないか」と言ってくれました。

 「一度戦争を始めると、終わらせるのは難しい」のは、政治的な理由だけではありません。仲間割れが起きるのは、終わったことをうかつに信じてはいけない心理があるからです。それをぜひ物語に入れたかった。映画でもここはしっかり描いています。

 史実を漫画というフィクションで描くのは、フィクションという形なら真実が描けるからです。個々のシーンをより面白くするためという面があることは否定しませんが、フィクションでしか描けない真実はあると思います。

 登場人物のキャラクターをかわいくデフォルメするのは、見る人が入り込みやすくするためです。つらいエピソードが続くので、人物までリアルに描くと目を背けたくなってしまい、物語から離脱してしまう。こんなことが現実にあったんですよ、ということを知ってもらうため、逆に島の自然や兵器、戦場などの風景はリアルに描いています。映画化にあたっては、改めてスタッフがペリリュー島に行って自然や風景をたくさん撮影して絵作りをしています。映画で見てほしいところのひとつです。

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