2022年6月18日土曜日

ロベルト・ムージル - Wikipedia

ロベルト・ムージル - Wikipedia

『特性のない男』の作家ムージルについて語る独文生 https://youtu.be/C4IEMpslEwQ?si=8K0P4S8snvSZM6M- @YouTubeより

卒論中間発表に向けて準備する文学部4年生 https://youtu.be/ATGGh7hEaz8?si=_z-3CYtALt2xKfL8 @YouTubeより

ドゥルーズは『ザッヘル=マゾッホ紹介』(kindle版あり)でこう書いています。

《…拘束こそが、原理としての快を可能にする。すなわち、快原理を根拠づけるのである。こうして、興奮じたいのエネルギー的拘束と諸細胞の生物学的拘束という、拘束の二重の形象のもとで、《エロス》が根拠として発見されることになる(エネルギー的拘束が、生物学的拘束によってのみ行われる、あるいは生物学的拘束のうちに殊に有利な条件を見いだすということもありうるだろう)。そして《エロス》を構成するこの拘束を、私たちは「反復」として規定しうるし、そうしなければならない。すなわち興奮と連関する反復であり、生の瞬間の反復、あるいは単細胞生物にすら必要な結合の反復である。  
 超越論的探究の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう。「反復というおそるべき力」とムージルはいう、「おそるべき神性! 壁の傾いた漏斗状の渦巻きの底深くに、次第に引き込んでゆく真空の魅惑……。だがついに気づくのだ。それは果てなき堕落の世界にすぎず、反復はあなたを連れてその無数の段階をただよいながら下降してゆくのだと(★36)」。


(★36)Musil, L'Homme sans qualités, Éd. du Seuil, t. IV, p. 479. 〔ローベルト・ムージル『特性のない男6』高橋義孝・浜田正秀訳、新潮社、一九六六年、一一二─一一三頁〕。》


参考になれば幸いです。



ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) 

... ムージルはいう、「おそるべき神性!壁の傾いた漏斗状の渦巻きの底深くに、次第に引き込んでゆく真空の魅惑...............。だがついに気づくのだ。それは果てなき堕落の世界にすぎず、反復はあなたを連れてその無数の段階をただよいながら下降してゆくの ...

ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの
作成者: ジル・ドゥルーズ、 堀千晶 · 2018

... ムージル『特性のない男 6 』高橋義孝・浜田正秀訳、新潮社、一九六六訳注 ( ) Sacher - Masoch , La Femme séparée ,. 書、一七九—一八〇頁〕。( 3 ) Cf. « Les Pulsions et leurs destins » ( 1915 ) , tr . fr . , in Métapsychologie , NRF , p . 46 ...
... ムージルはいう、「おそるべき神性!壁の傾いた漏斗状の渦巻きの底深くに、次第に引き込んでゆく真空の魅惑...............。だがついに気づくのだ。それは果てなき堕落の世界にすぎず、反復はあなたを連れてその無数の段階をただよいながら下降してゆくの ...



死の本能とはなにか

 フロイトのあらゆるテクストのなかでも、傑作『快原理の彼岸』はおそらく、フロイトが類いまれな才能を発揮して、もっとも直接的に、まさしく哲学的な省察に踏みこんだテクストである。哲学的な省察は「超越論的」と呼ばれねばならないが、この名が指し示すのは諸原理にかかわる問題を考察する或るしかたのことである。というのもすぐあきらかになるように、「彼岸」によって、フロイトは快原理の例外を理解しているわけではまったくないからだ。かれはありとあらゆる見せかけの例外に言及する。たとえば、現実が強いる不快や迂回であり、私たち自身の一部にとっての快を別の部分にとっての不快に変える葛藤であり、不快な出来事を再現することでそれを支配しようとするはたらきである。さらには機能障害や転移現象もあり、それによって、絶対的に不快な出来事(私たち自身の全部分にとって不快なもの)が執拗に再現されることになる。これらの例外はすべて、うわべだけのものとして引用されており、実際には快原理と和解しうるものにすぎない。つまり、快原理に例外はないが、快じたいの特異な錯綜が存在するのだ。問題がはじまるのはまさしくここである。なぜなら、一切のものが快原理と矛盾せず、すべてが快原理と和解するにしても、快原理の適用を錯綜させるこれらの要素や過程を、快原理自身が説明するわけではないからだ。すべてが快原理の法的圏域に帰着するにしても、それはすべてが快原理から生まれることを意味しない。そして現実の要請も、およそ幻想を源泉とするこうした錯綜を充分説明できない。それゆえ、快原理はあらゆるもののうえに君臨するが、あらゆるものを統治するわけではない、といわねばならない。原理に例外はないが、原理には還元しえない残滓が存在する。原理に反するものはなにもないが、原理に対して外在的で、異質ななにかが存在する──すなわち、ある彼岸……。

 哲学的省察の必要性がここで明瞭となる。なによりまず原理と呼ばれるのは、ある一領域を司るものであり、このとき問われているのは経験的な原理や法である。つまり、快原理は《エス》のなかの心的な生を司る(例外はない)。だが当の領域を原理にしたがわせるものがなにかを知ることは、まったく別の問いである。その領域が必然的に、経験的原理にしたがうようになるという事態を説明する別種の原理、第二段階の原理が必要なのだ。この別の原理こそ、超越論的なものと呼ばれるものにほかならない。快が原理たりうるのは、それが心的な生を司るかぎりのことである。だが、心的な生を快原理の経験的な支配にしたがわせる最高次の審級とはいかなるものか。哲学者ヒュームがすでに指摘していたように、心的な生のうちには快もあれば苦もあるのだが、快や苦の観念をいくらひっくりかえしてみても、快を求め、苦から逃げるという原理の形式をそこから引きだすことはできないだろう。フロイトも同様のことを述べている。心的な生のうちには当然ながら快や苦があるが、しかしあちらでもこちらでも快や苦は、自由で、分散し、漂流し、「拘束されない」状態にある。一貫して快が探究され、苦が回避されるものとなるように原理が組織されること、これこそ高次の説明を要求するものなのだ。つまり、少なくとも快では説明のつかないなにか、快にとって外在的なものでありつづけるなにかが存在する。それは心的な生のなかで、快が帯びるよう決定される原理としての価値である。いかなる高次の拘束が、快を原理に仕立てあげ、快に原理としての地位を与え、心的な生を快にしたがわせるのだろうか。フロイトの提起する問題は、しばしばフロイトに帰せられる問題とは正反対のものだといえるだろう。なぜなら、重要なのは快原理の例外ではなく、この原理の土台だからである。重要なのは超越論的原理の発見なのだ。「思弁」の問題、こうフロイトは明記する。


 フロイトの回答は次のようなものだ。すなわち、興奮の拘束のみが、興奮を快へと「解消しうる」ようにする、それのみが興奮の放出を可能にする。拘束の作業がなくとも、おそらく放出や快は存在するだろうが、しかし分散し、行きあたりばったりの偶然にまかされ、体系的な価値をもたないだろう。拘束こそが、原理としての快を可能にする。すなわち、快原理を根拠づけるのである。こうして、興奮じたいのエネルギー的拘束と諸細胞の生物学的拘束という、拘束の二重の形象のもとで、《エロス》が根拠として発見されることになる(エネルギー的拘束が、生物学的拘束によってのみ行われる、あるいは生物学的拘束のうちに殊に有利な条件を見いだすということもありうるだろう)。そして《エロス》を構成するこの拘束を、私たちは「反復」として規定しうるし、そうしなければならない。すなわち興奮と連関する反復であり、生の瞬間の反復、あるいは単細胞生物にすら必要な結合の反復である。  

 超越論的探究の特性は、好きなときにやめることができないという点にある。根拠を規定するにあたって、さらなる彼岸へと、根拠が出現してくる無底のなかへと、急き立てられずにいることなどどうしてできよう。「反復というおそるべき力」とムージルはいう、「おそるべき神性! 壁の傾いた漏斗状の渦巻きの底深くに、次第に引き込んでゆく真空の魅惑……。だがついに気づくのだ。それは果てなき堕落の世界にすぎず、反復はあなたを連れてその無数の段階をただよいながら下降してゆくのだと(★36)」。


(★36)Musil, L'Homme sans qualités, Éd. du Seuil, t. IV, p. 479. 〔ローベルト・ムージル『特性のない男6』高橋義孝・浜田正秀訳、新潮社、一九六六年、一一二─一一三頁〕。

どうして反復は、同時性を演じながら(興奮と同時に、生と同時に)、別のリズムと別の遊戯のなかで、以前を演じずにいられようか(興奮しえないものの無関心を興奮が断ち切りにやってくる以前に、生命をもたぬもののまどろみを生が断ち断ち切りにやってくる以前に)。同じ力能が興奮を否定しようとするのでなければ、どうして興奮が拘束され、それによって「解消」されることがあろうか。《エロス》の彼方に、《タナトス》がある。基底の彼方に、無底がある。絆としての反復の彼方に、消しゴムとしての反復があるのであり、それは消去し殺害する反復なのだ。こうしてフロイトのテクストの錯綜が生まれる。あるテクストが示唆するのは、反復とはおそらく、あるときは悪魔的で、あるときは救済的なたったひとつの同じ力能であり、それが《タナトス》と《エロス》として行使されるということである。別のテクストは、この仮説を斥けながら、《エロス》と《タナトス》のもっとも純粋な質的二元論を、徐々に拡大されてゆく諸単位の結合、構成と、破壊とのあいだの本性の差異として、決定的なしかたで主張する。最後にさらに別のテクストは、この質的な差異はおそらくリズムと振幅の差異によって、到達点の差異(生の起源には、あるいは起源以前には……)によって支えられていると示唆する。フロイトがこれらの天才的なテクストで構想した反復とは、それじたい時間の綜合であり、時間の「超越論的」な綜合であると理解しなければならない。反復とは同時に以前、中間、以後の反復なのである。反復は時間のなかで、過去、現在そして未来さえも構成する。現在、過去、未来が時間のなかで構成されるのは同時なのである──たとえそれらのあいだに質的な差異や本性の差異が存在しているにしても、たとえ過去が現在のあとをつぎ、現在が未来のあとをつぐにしても。ここから生まれるのが、一元論、本性の二元論、リズムの差異という三つの側面である。そして未来や以後を、反復のほかのふたつの構造──以前と中間──に接合しうるということはつまり、相関するこれらふたつの構造は、時間の綜合を構成するとき、かならずやこの時間のなかに未来をひらき、未来を可能にするということだ。拘束し現在を構成する反復と、消しゴムで消去し過去を構成する反復に対して、このふたつの反復の結合に応じて接合されるのが、救済する反復……あるいは救済しない反復なのである(漸進的な反復としての転移の決定的な役割はここから生じる。それは解放し救済するか、あるいは失敗する反覆なのである)。


 『ムージル著作集 第2巻 特性のない男 2巻』|感想・レビュー - 読書メーター

#100


The Man Without Qualities Quotes Showing 1-30 of 120
“The secret of a good librarian is that he never reads anything more of the literature in his charge than the title and the table of contents. Anyone who lets himself go and starts reading a book is lost as a librarian...He's bound to lose perspective.” 
― Robert Musil, The Man Without Qualities
“His appearance gives no clue to what his profession might be, and yet he doesn't look like a man without a profession either. Consider what he's like: He always knows what to do. He knows how to gaze into a woman's eyes. He can put his mind to any question at any time. He can box. He is gifted, strong-willed, open-minded, fearless, tenacious, dashing, circumspect—why quibble, suppose we grant him all those qualities—yet he has none of them! They have made him what he is, they have set his course for him, and yet they don't belong to him. When he is angry, something in him laughs. When he is sad, he is up to something. When something moves him, he turns against it. He'll always see a good side to every bad action. What he thinks of anything will always depend on some possible context—nothing is, to him, what it is: everything is subject to change, in flux, part of a whole, of an infinite number of wholes presumably adding up to a super-whole that, however, he knows nothing about. So every answer he gives is only a partial answer, every feeling an opinion, and he never cares what something is, only 'how' it is—some extraneous seasoning that somehow goes along with it, that's what interests him.” 
― Robert Musil, The Man Without Qualities

『ムージル著作集 第2巻 特性のない男 2巻』|感想・レビュー - 読書メーター
https://bookmeter.com/books/62576


おもしろい巻。この小説を巡る言説は多いし、ある程度みてきたが、(この作品には、いろいろとテクストに関する問題は多いものの)現物を読むのがいちばんオモロイ(最近はどんな作品もそうだと感じているが)。一見、物語的な結構がほとんど存在しないようにも読めるのだが、それでも波があり、山場があり、ざわつきがある。それも短編・掌編の名手ならでは。そんな作者の筆にかかると、あらゆる価値観が相対化されて反転されていく。この巻ではたとえば、経済の話やかの有名な図書館司書の話が登場する。シュトゥム将軍も複雑で、興味深いキャラ。

司書は言う。「どうして私が全部の本を織っているのかを知りたいのですね、閣下?そのことなら無論言って差し上げることができます。つまり、一冊も読まないからですよ」「署名と目録以外は決して読まないことです。内容にまで立ち入りようものなら、全体を見晴らすことはできないでしょう!」

In fact, a library, no matter how large or small, is beneficial even if one does not read everything in it. Readers benefit from a moderate balance of what they know and what they don't know, of memory and forgetting.


特性のない男

特性のない男
Der Mann ohne Eigenschaften
ローヴォルト社より出版された第1巻(1930年)
ローヴォルト社より出版された第1巻(1930年
作者ロベルト・ムージル
 オーストリア
言語ドイツ語
ジャンル長編小説
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特性のない男』(Der Mann ohne Eigenschaften)はオーストリアの作家ローベルト・ムージルの小説。ドイツ語で書かれた20世紀文学を代表する作品の一つと評される。1913年から1914年(オーストリア=ハンガリー帝国崩壊前夜)のウィーンを舞台にしている。 

第1巻(第1部・第2部)が1930年、第2巻(第3部の初めの38章)が1933年に刊行された。1938年に第3巻の校正刷(第3部の続き、20章分)が出来るが、同年ナチスドイツがウィーンに侵攻。同書は禁書扱いとなり、ムージルはスイスに亡命。困窮の中で執筆を続けるが、1942年に死去したため未完成に終わる。死後に遺稿が整理され刊行された[1]。 

目次

  • 1 構成
  • 2 主な登場人物
  • 3 あらすじ
  • 4 用語
  • 5 日本語訳
  • 6 注釈
  • 7 関連項目

構成

  • 第1部 - 一種の序論
  • 第2部 - 似たようなことがおこる
  • 第3部 - 愛の千年王国の中へ(犯罪者たち)[2]
  • 第4部 - (一種の終り)

主な登場人物

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主に: 主要な登場人物の紹介 2019年2月
  • ウルリヒ ー 外国からウィーンに戻ってきたばかりで無職、独身の32歳。重要人物(ナポレオンの如き)を目指し軍人になるが、見切りを付け機械工学を学ぶ。数学者に転じるが目標を見失い、1年間の休暇を取ることに決めた。金もうけや出世といった現実の問題に無関心な「特性のない男」。女性にはもてる。著名な法律学者である父の勧めで「平行運動」に参加することになる。
  • ディオティーマ - ウルリヒのいとこにあたり、外務省の役人トゥッチ局長の妻(プラトンの『饗宴』に言及される女流詩人ディオティマになぞらえた)。社交界の花形で、主宰するサロンを舞台に「平行運動」を推進する。
  • モースブルッガー - 娼婦を殺害し、死刑判決を受けた男。精神障害と見られ、その責任能力をめぐって議論の的となる。
  • アガーテ - ウルリヒの妹。2度目の夫と別居状態。ウルリヒとは生き別れで長年別々に暮らしてきたが、父の死をきっかけに再会し、やがて同居することになる。

あらすじ

登場人物同士の議論や登場人物による思索、語り手の考察が多くを占めており、「20世紀初頭の思想史のパノラマ」とも言われる。前半(第1部・第2部)は主人公ウルリヒが関わる「平行運動」を軸に、ウルリヒを巡る女性たちや殺人犯モースブルッガーがストーリーにからんでくる。後半(第3部)はウルリヒと妹の近親相姦的な関係が軸となり、「愛の千年王国」をめぐる考察が続く。 

第1部

オーストリア=ハンガリー帝国崩壊前夜、1913年のウィーン。ウルリヒは1年間の休暇を取るため、外国から戻ってきた。ウルリヒは軍人、数学者などを経て、現在は無職、独身の32歳である。著名な法律学者の父から手紙で、「平行運動」に参加するよう勧められる。 

第2部

「平行運動」はラインスドルフ伯爵の提唱によるもので、1918年に予定されるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世即位70周年事業を盛大に行おうとする非公式な計画であった。運動の会合は外務省の役人トゥッチ局長の自邸で行われ、トゥッチの妻ディオティーマのサロンが会合の中心になる(ディオティーマはウルリヒのいとこ)。ウルリヒは伯爵の名誉秘書(無給)として、国民から寄せられる様々な要求を処理してゆく。 

理想主義的なディオティーマは運動を通して、帝国の指導理念を見いだそうとする。ディオティーマの魅力もあって参加者は増えるが、議論は空転している。会合にはプロシア・ドイツの実業家アルンハイムも参加する。裕福な資産家で数多くの著作もある博識なアルンハイムは、やがてディオティーマのサロンで中心的な役割を果たすようになる。アルンハイムとディオティーマの2人は互いに心を惹かれてゆく。手違いで会合に招待されたシュトゥム将軍も、(軍人嫌いの)ディオティーマに好意を抱いている。 

モースブルッガーは娼婦を殺害し、死刑判決を受けた男である。ウルリヒは事件に興味を持ち、裁判を傍聴したことがあった。ウルリヒの父は精神病者の責任能力に関して同僚の法律学者と論争を行っている。 

「平行運動」を反ドイツ的な運動とみなして反対する声が出てきた。ウルリヒは女友達ゲルダの家で、近く運動に反対するデモが行われるという話を聞く。ある日会合の終わった後、トゥッチ局長とディオティーマの他に残ったラインスドルフ伯爵、アルンハイム、シュトゥム将軍、ウルリヒが内輪の会話をする。一同はこれまでの数か月になされた提案を振り返るが、伯爵はどれも現実的でないと否定し、何の成果も上がっていないことがはっきりする。ウルリヒは精神の総在庫調べをするための事務総局を創設することを提案し、アルンハイムと言い争いになる。 

ウルリヒの幼ななじみクラリセは、子どもを欲しがる夫を嫌悪している。  
(デモの当日)言い争いで激昂したクラリセは気が変になったようである。夫は平行運動に反対するデモを見るため、クラリセを残して街へ出て行く。 

ゲルダは銀行家の父から、アルンハイムがガリツィア地方(現ウクライナ)の油田を狙っているという話を聞き、ウルリヒに伝える。ウルリヒはその話を知らせようとラインスドルフ伯爵を訪ねる。伯爵邸のまわりではデモの群衆が騒いでいるが、伯爵は落ちついた様子である。結局アルンハイムの話をしないまま、ディオティーマの家に向かう。 

ディオティーマは不在で、アルンハイムが来ていた。アルンハイムはウルリヒに自分の事業を手伝わないかと提案する。油田の話をしてみるとアルンハイムの顔は青ざめる。ウルリヒが自宅へ戻ると、クラリセが待っており、電報が届いていた。父の死を知らせる電報だった。「あなたの子どもがほしい」と言うクラリセを帰らせ、ウルリヒは翌朝の鉄道で父の家へ向かう。 

第3部

ウルリヒは生き別れで長年別々に暮らしてきた妹のアガーテと再会する。アガーテは2度目の夫と別居状態。やがてウルリヒとアガーテは同居することになる。 (「夏の日の息吹」の章がムージルの絶筆となった。) 

用語

  • 可能性感覚 - 現実感覚に対する語。今ある世界が、別様に展開していたかも知れず、その別様の世界を今ある世界と同等に見なすことにより、現実を虚構化し、異世界への可能性へと自分を投じるユートピア思想を生み出すための感覚である。この感覚があるために、ウルリヒの眺める世界は幻想的に変容し、彼を悩ませる。
  • 特性のない男
  • カカニア(カカーニエン) - オーストリア=ハンガリー帝国を指すムージル流の略語。Kaiserliche und königliche Monarchie→K.K.に「国」を表わす接尾語を付けた。
  • 平行運動 - 1918年に予定されるドイツ皇帝ウィルヘルム2世の即位30周年事業に対抗して、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世即位70周年事業を盛大に行おうとする非公式な計画。周知のように1916年にフランツ・ヨーゼフ1世は逝去、1918年に帝国は崩壊する。イロニーに満ちた設定である。
  • エッセイスムス(試行主義) - この世はつくりごとであってエッセイ(試み)のようなものだと見なす観点である。

日本語訳

  • 加藤二郎ほか訳『特性のない男』全4巻(河出書房新社、1965-1966)遺稿部分は抄訳
  • 高橋義孝ほか訳『特性のない男』全6巻(新潮社、1964-1966)
  • 加藤二郎訳『特性のない男』、『ムージル著作集 第1巻 - 第6巻』(松籟社、1992-1995)、上記の改訳版

注釈

  1. 1943年に未亡人が遺稿の一部を発表。1952年に刊行された『特性のない男』は編者の解釈を加え、膨大な遺稿から話がつながるようにまとめたもので、多くの批判を受けた。その後、遺稿を年代別に並べた『特性のない男』(ムージル全集)が1978年に刊行され、定本となっている。なお、日本語訳の新潮社版は1952年版、松籟社版は1978年版を用いている。
  2. 標題の訳は新潮社版による。松籟社版では、1.一種の序文、2.千遍一律の世、3.千年王国へ(犯罪者たち)。

関連項目


ロベルト・ムージル

ロベルト・ムージル
Robert Musil
Musil.jpg
誕生 1880年11月6日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国 クラーゲンフルト
死没 1942年4月15日(61歳没)
スイスの旗 スイス ジュネーヴ
墓地 ロワ墓地
職業 小説家随筆家劇作家
言語 ドイツ語
国籍  オーストリア
教育 哲学博士
最終学歴 ベルリン大学
活動期間 1906年 - 1942年
ジャンル 小説随筆戯曲
主題 新しい人間、合一、可能性感覚、エッセイスムス
文学活動 モダニズム
代表作特性のない男
主な受賞歴 Gerhart Hauptmann prize (1929年)
クライスト賞 (1923年)
デビュー作 『士官候補生テルレスの惑い』
配偶者 マルタ・マルコヴァルディ
(1911年 - 1942年、死別)
影響を与えたもの[表示]
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ローベルト・ムージルRobert Musil1880年11月6日 - 1942年4月15日)は、オーストリア小説家劇作家エッセイスト

長編小説『特性のない男』は世界的に高い評価を受けており、しばしばジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』や、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と並び、20世紀前半の文学を代表する作品とみなされている[注釈 1][1]
小説については寡作であったが[1]、多数のエッセイを発表し、特に1910年代から30年代にかけては積極的にジャーナリズムに関与した[2]

目次

  • 1 発音と表記
  • 2 生涯
    • 2.1 出自
    • 2.2 生誕から作家となるまで
    • 2.3 作家として
    • 2.4 『特性のない男』、亡命と突然の死
  • 3 評価
  • 4 略年譜
  • 5 主な著作
  • 6 主な日本語訳
  • 7 伝記
  • 8 研究書
  • 9 脚注
    • 9.1 注釈
    • 9.2 出典
  • 10 参考資料
  • 11 外部リンク

発音と表記

元々チェコから移住した家系の為、ムシルムジール等様々に発音され、日本の日本語訳や研究でもいくつかの異なった表記が行われているが、近年はおおむねドイツ語読みのムージルで定着していると言ってよい(本来のチェコ語の発音ではムシルである)。

生涯

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主に: 詳細な経歴 2021年4月

出自

父アルフレートは1846年にハンガリーバナート地方のテメシュヴァールに生まれ、後にグラーツに移住した。母ヘルミーネ・ベルガウアー Hermine Bergauer はオーバー・エースターライヒ州出身である。

アルフレートは、エンジニア、専門学校の校長を経た後、1890年からブリュン工科大学機械工学の教授、1917年には世襲貴族の称号を与えられる。ヘルミーネの祖父も、有名なエンジニアである。

生誕から作家となるまで

1880年11月6日クラーゲンフルトに生まれる。幼少期をコモタウ(現チェコのホムトフ)、シュタイアーオーバー・エースターライヒ州の都市)で過ごす[注釈 2]。シュタイアーにはギムナジウムがなかったため、ムージルは成績優秀にもかかわらず実科学校に通った。一家は1891年ブリュンへ転居するが、そこでもやはり実科学校に通う[4]

ムージルにとって読むことと書くことは幼少のころから特別に際だった体験であり、ドイツ語の作文ではその長大さと巧みに盛り込まれた見解、豊麗な描写が教師を驚かせたが、自身では「綱渡り」のような興奮状態の内に書かれた文章も、読み返す段になると、「結局彼(ムージル)は転落するのだった」と日記で回想している[注釈 3][3]

ブリュンで出会った二歳年上の友人グストゥル(グスタフ)・ドーナトから性に関する知識を得るなど、早熟な少年だったムージルは、両親、特に母親との衝突と「ナポレオン的」なものへの憧れから[3][4][5]アイゼンシュタットの陸軍初等実科学校へ進み、メーリッシュ・ヴァイスキルヒェン(チェコのフラニツェ・ナ・モラヴィェ)の陸軍上級実科学校に学んだ。やがて機械工学の道に転じてブリュン工科大学に入学[6]

その後再び哲学に転じると、ベルリン大学エルンスト・マッハ研究により博士号を取得する(1908年)。しかし結局、処女作『士官候補生テルレスの惑い』(1906)で踏み出していた作家としての道を選ぶ。1905年には「特性のない男」の草案を日記に書いている。

作家として

その後短編集『合一』(1911)、『三人の女』(1924)、『生前の遺稿集』(1935)などを発表、客観的で透徹した認識を保ちながら、理性や言語を超えた神秘的とも言える世界を追求する。1919年、「特性のない男」の仕事に本格的に取り組み始める。

『特性のない男』、亡命と突然の死

ムージルの名を世界的なものにしたのは、唯一の長編にして未完の大作『特性のない男』である。第一次世界大戦直前のウィーンを舞台にしたこの小説は、1930年に第一巻(第一部、第二部)がローヴォルト社から五千部出版された。

ムージルは1931年に再びベルリンに移るものの、1933年ナチスの政権奪取後はウィーンに戻り、1938年にはスイスに亡命、この時彼の書物は発禁処分を受ける。最後はジュネーヴでこの大作の完成に心血を注ぐが、1942年シャワー室の中で脳卒中のため急死した。

評価

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主に: 生前の評価 2020年8月

生前のムージルはけして無名の作家というわけではなかったが、小説家として寡作なこと、その作品が必ずしも大衆的ではないこと、そしてナチスによって主著が禁書目録に載せられたなどの理由によって、一時は忘れられた作家となった[1][7]
しかし1949年10月、ロンドン・タイムズ・リテラリ・サプルメントに掲載されたムージルについての紹介記事の一文(「今世紀前半のドイツ語圏の最もすぐれた小説家は、私たちに最も知られざる小説家の一人である」)を嚆矢として、アードルフ・フリゼー編集の三巻本ムージル全集(1952-57)の刊行をはじめ、世界各国での研究・翻訳がさかんに行われるようになった[1][8]

没後の評価としては、以下のようなものがある。

ムージルにとっての認識とは、対立し合う二極の両立し得ないことの自覚なのです。一方は彼が正確さとか、数学とか、純粋精神とか、ときには軍人気質とさえ呼ぶものであり、もう一方は魂とか、非合理性とか、あるいは人間性、またあるいは混沌(カオス)とか呼んでいるものです。彼が知っていること、あるいは考えていることのすべてを、彼は百科全書的な書物のなかに詰めこみ、これに小説の形を維持させようと試みるのですが、その構成はたえず変化して、彼の手のなかで崩れてゆくために、彼はその小説をただ完結させられないというだけではなく、その膨大な材料の山をはっきりとした輪郭のなかに収められるような全体の様相がどのようなものとなるべきかを決定することさえもできないままでいるのです。(中略)ムージルは、けっしてまきこまれるということなしに、体系(コード)と位相(レベル)の多様性のなかでつねにいっさいを理解しているという印象を与えるのですが、(中略)このような特徴も書き留めておかなければなりません、すなわち結論することの不可能さです。 — イタロ・カルヴィーノ『アメリカ講義』[9]none

略年譜


1880年
11月6日午前9時、クラーゲンフルト市近郊ザンクト・ループレヒトに父アルフレートと母ヘルミーネの子として生まれる。
1900年 4月19日、『新ブリュン新聞』に「ヴァリエテ」掲載される。
1906年 10月末、『テルレス』刊行。
1908年 11月・12月、隔月誌『ヒュペーリオン』第六号に『魅せられた家』が掲載される。
1911年 4月15日、ウィーンにてマルタと結婚。5月末、『合一』および『テルレス』新版がミュンヘンのゲオルク・ミュラー出版社から刊行される。
1920年 5月1日、『メルケル』に「メロドラマ《黄道十二宮》の序幕」を発表。
1921年 8月22日、ジビュレン出版社が戯曲『熱狂家たち』刊行。12月、『新メルクーア』に「グリージャ」を発表。
1923年 2月末もしくは3月初め、『新小説』に「トンカ」を発表。11月17日、「ポルトガルの女」がローヴォルト出版社から刊行される。手刷りで200部。
1924年 1月5日、三幕からなる茶番劇『ヴィンツェンツとお偉方の女友達』がローヴォルト出版社から刊行される。1月24日、「グリージャ」がポツダムのミュラー商会から刊行される。2月28日、短編集『三人の女』がローヴォルト出版社から刊行される。
1928年 1月、『新展望』に「黒つぐみ」が掲載される。4月8日、正式に『特性のない男』と名づけた長編小説を部分的に発表しはじめる。第八章にあたる「カカーニエン――断章」を『ターク』に発表。
1930年 11月、『特性のない男』第一巻刊行。12月22日、ローヴォルト出版社から『テルレス』新版が刊行される。
1932年 12月19日、ローヴォルト出版社から『特性のない男』第二巻刊行。
1935年 12月半ば、チューリヒのフマーニタス出版社から小品集『生前の遺稿』刊行。実売数、数百部。
1942年 4月15日午後1時、ジュネーブ脳卒中に襲われ死去。

主な著作

  • 士官候補生テルレスの惑い(Die Verwirrungen des Zöglings Törleß,1906)
  • 合一(Vereinigungen,1911)
  • 夢想家たち(Die Schwärmer,1921)……戯曲である。
  • 三人の女(Drei Frauen,1924)
  • 生前の遺稿集(Nachlaßzu Lebzeiten,1935) ※「黒つぐみ」はここに含まれる
  • 特性のない男(Der Mann ohne Eigenschaften)
    • 第1巻 (第1部および第2部)(1930)
    • 第2巻 (第3部途中まで)(1932)

主な日本語訳

  • 『特性のない男』高橋義孝ほか訳 新潮社、1964-66 
  • 『特性のない男』加藤二郎、柳川成男,北野富志雄訳 河出書房新社、1965-66  
  • 「若いテルレスの惑い」「ヴェロニカ」「グリージャ」吉田正己訳「世界の文学」中央公論社、1966 
  • 「愛の完成」「静かなヴェロニカの誘惑」古井由吉訳「三人の女」生野幸吉訳「黒つぐみ」川村二郎訳「世界文学全集」筑摩書房、1968
  • 『ぼくの遺稿集』森田弘訳 晶文社 1969 今日の文学
  • 「少年テルレスのまどい」生野幸吉,中島敬彦訳「世界文学全集」講談社、1970 
  • 『三人の女』川村二郎訳 河出書房新社 1971
  • 『夢想家たち』円子修平訳 河出書房新社 1973
  • ムージル著作集』(全9巻)松籟社 1992-97 
    • 第1-6巻:『特性のない男』加藤二郎訳 1992-95
    • 第7巻:小説集 「テルレスの惑乱」鎌田道生,久山秀貞訳「静かなヴェロニカの誘惑・愛の完成」古井由吉訳「三人の女」川村二郎訳 1997 
    • 第8巻:熱狂家たち/生前の遺稿 斎藤松三郎,圓子修平訳 1997
    • 第9巻:日記/エッセイ/書簡 田島範男,長谷川淳基,水藤龍彦訳 1997
  • 『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』岩波文庫、古井由吉訳 1987 
  • 『三人の女・黒つぐみ』岩波文庫、川村二郎訳 1991 
  • 『ムージル日記』法政大学出版局円子修平訳 2001 
  • 『ムージル書簡集』国書刊行会、円子修平編訳 2002 
  • 『ムージル・エッセンス 魂と厳密性――ローベルト・ムージル エッセイ選集』円子修平ほか訳、中央大学出版部 2003 ISBN 4805751509
  • 『寄宿生テルレスの混乱』丘沢静也訳 2008 光文社古典新訳文庫
  • 『クラウディーネの愛 ヴェローニカの誘惑』田中一郎訳 青山ライフ出版 2011

伝記

  • ヴィルフリート・ベルクハーン『ムジール』田島範男,伊藤寛訳 理想社 1974 (ロ・ロ・ロ伝記叢書)
  • カール・コリーノ『ムージル伝記』1-3 早坂七緒,北島玲子,赤司英一郎,堀田真紀子,渡辺幸子訳 法政大学出版局 2009-15 (叢書・ウニベルシタス)
  • オリヴァー・プフォールマン『ローベルト・ムージル――可能性感覚の軌跡――』早坂七緒,高橋完治,渡辺幸子,満留伸一郎訳 アスパラ 2019 ISBN 978-4901022101

研究書

  • アードルフ・フリゼー編『ムージル読本 別の人間を見出すための試み』加藤二郎、早坂七緒、赤司英一郎訳 法政大学出版局 1994
  • 鎌田道生編『ムージル思惟する感覚』鳥影社 1995
  • 古井由吉『ロベルト・ムージル』岩波書店 2008
  • 北島玲子『終わりなき省察の行方 ローベルト・ムージルの小説』上智大学出版 2010
  • 時田郁子『ムージルと生命の樹=Musil und der Baum des Lebens 「新しい人間」の探究』松籟社 2012

脚注

注釈

  1. 日本においても、文芸評論家篠田一士二十世紀の十大小説に選出している。
  2. ムージルはオーバー・エースターライヒの風土を愛し、後年その印象を回想している[3]
  3. カール・コリーノはこのエピソードを『特性のない男』が未完に終わった事実と関連付けて考察している[3]

出典

  1. ^ a b c d 圓子修平「序――ローベルト・ムージル」エッセンス 2003, pp. Ⅶ-Ⅷ
  2. 岡田素之「エッセイストとしてのムージル」エッセンス 2003, pp. 439–464
  3. ^ a b c d 「1:「まるで子供のうちに全部決まってしまったかのようだ」」コリーノ 2009, pp. 1–44
  4. ^ a b 「2.「現実からそれてゆくラインの始まり」」プフォールマン 2019, pp. 11–29
  5. 「3:悪魔の尻の穴で――寄宿生時代」コリーノ 2009, pp. 89–121
  6. F・ブライ 『同時代人の肖像』法政大学出版局、1981年、P.147頁。none 
  7. ^ アードルフ・フリゼー「序文」フリゼー 1994, pp. 1–3
  8. ^ 加藤二郎・早坂七緒・赤司英一郎「訳者あとがき」フリゼー 1994, pp. 303–318
  9. ^ 「5 多様性」アメリカ講義 2011, pp. 194–195

参考資料[編集]

  • アードルフ・フリゼー編 著、加藤二郎、早坂七緒、赤司英一郎 訳 『ムージル読本 別の人間を見出すための試み』法政大学出版局、1994年。ISBN 4588490133 
  • イタロ・カルヴィーノ 著、米川良夫和田忠彦 訳 『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』岩波書店岩波文庫〉、2011年。ISBN 978-4-00-327095-0 
  • オリヴァー・プフォールマン 著、早坂七緒、高橋完治、渡辺幸子、満留伸一郎 訳 『ローベルト・ムージル――可能性感覚の軌跡――』アスパラ、2019年。ISBN 978-4-901022-10-1 
  • カール・コリーノ 著、早坂七緒、北島玲子、赤司英一郎、堀田真紀子、渡辺幸子 訳 『ムージル伝記 1』法政大学出版局、2009年。ISBN 978-4-588-00914-3 
  • ロベルト・ムージル 著、圓子修平ほか 訳 『ムージル・エッセンス 魂と厳密性――ローベルト・ムージル エッセイ選集』中央大学出版部、2003年。ISBN 4805751509 

外部リンク[編集]

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