2024年7月2日火曜日

Tripiṭaka


https://dl.ndl.go.jp/en/pid/1679303/1/18

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1
reached Cho'ang in 782, where the Emperor welcomed him, and in 786 met
a relative who had preceded him to China."
"He translated together with King-tsing, a Persian of the Monastery of
Tâ-ts'in, the Satpâramità sutra from a Hu text, and finished translating seven
volumes. But because at that time Prajña was not familiar with the Hu
language, nor understood the Chinese language, and as King-tsing did not
know the Brahma language (Sanskrit), nor was versed in the teaching of the
Sakya. they could not in reality obtain a half of its gems (i.e. real
meanings)."
The seven volumes are preserved in the Chinese Tripitaka or canonical"
books.¹
Now of this priest Prajña Kobo Daishi himself in his "History of
Mikkyö (Yoga) says: "During my stay in China I, Ku-kai, personally heard
from Hannya (the wise man) Prajña this and that."
It is known that there were four Christian temples in Singanfu at the
time of Kobo and Dengyo's visit in 804. One can hardly imagine that
these young Japanese priests, arriving at this great centre of Light and
Learning with all the intelligent curiosity which still characterizes their
nation, did not go round the wonders of Singanfu note-book in hand, and
make their own observations upon that extraordinary marble Tablet resting on
a huge Tortoise, whose strange historical inscription was surmounted by a
Cross rising out of clouds; and, beneath this Cross, 9 large characters in 3
columns which explained that
"This Monument commemorates the Introduction and Propagation of
the Noble Law of Ta'tsin in the Middle Kingdom" and, still further down, in
Syriac characters, the names of the Seventy apostolic men, and preachers of
the Divine Law, who had travelled from countries so remote as Syria, Egypt,
and even Ethiopia² to bring the knowledge of the True LIGHT to China !
One feels sure that with true Japanese keenness and earnest spirit of
investigation they would have eagerly exclaimed, "Where can we learn more
about this New Faith? Who can tell us about this Virgin-born Messiah, and
His Ascent into heaven?" and that they would have sought an interview with
him who inscribed it-King-tsing, the friend and co-worker of Prajña.
And one is convinced that, at least, they would enter the most ancient of
those four Luminous³ churches in order, that they might satisfy their curiosity
1. See No. 1004. B. Nanjio's Catalogue.
2. Funeral of Jacob. pp. 151-155; note carefully about Ethiopia and the LAMB of
God.
3. Komyofi; this name, Mr. Kanzo Uchimura tells me, is borne by many
temples in Japan.
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as to the meaning of those mysterious Wings centred in the Sun, (symbolizing
the Shekhinah of Israel and the Divine Presence) which shadowed each
Porch). Nor must one forget that at that very time Sing-an-fu was the
head-quarters of Nestorian Christianity, therefore as they had come from
Japan on purpose "to study and harmonize Religion" they would assuredly
seek some instruction from the Teachers of this New Doctrine, "the Messiah
Gospel "-about which, for the past one hundred and seventy years, every
one had been talking in Singanfu, and where there was now a Metropolitan
and Six Bishops established, of whom, as the Syriac lines at the foot of
the Stone say, Adam-Kingtsing was priest, choir-bishop, and Patriarch for
China.
And, assuredly, neither Kobo nor Dengyo would rest content without
reading the Imperial Edict respecting that Religion for themselves.
A note in my possession-(although, at the present moment, I cannot
recall the source whence it was copied), quotes the following from the Chinese
Imperial Decree respecting the Nestorian Mission in A.D. 637:
"Religions are without invariable name. Saints are without any perma-
ment body. In whatever religion they are they give instruction, and privately
succour the living multitudes. Olopun, a man of great virtue belonging to the
kingdom of Judea, bringing the Scriptures and Images from afar has come,
and presented them at Our Capital. On examining the meaning of his
instruction it is found to be pure, mysterious, and separate from the world.
On examining its origin, it is seen to have been instituted as that which
is quickening and essential to mankind. Its language is simple, its reasonings
attractive, and to the human race it is beneficial."
Is it consistent with the Japanese student character, as we know it, that
such a commendation of the New Faith by so great an Emperor as the
founder of the T'ang dynasty, should have been ignored by such earnest
minded Seekers after Truth as your great country-men, Kobo Daishi, the
founder of the Shingon Sect, and Dengyo Daishi, the founder of Japanese
Tendai, who are said to have "extracted all the nourishment of the Chinese
civilisation of that time" ere they returned to Japan?
I venture to think that the existence of the Vairochana doctrine in the
venerable Shingon sect, and the continuance of those Fires at Miyajima and
Kyoto until this day, well on into the Twentieth Century, is a proof that they
1. These Wings were pictured on Egyptian coffins and sculptured on both Egyptian and
Assyrian temples; and the Syrians when they embraced Christianity continued to use them to
shew the Fulfilment of types and shadows in MESSIAH, the "GOD of Israel,"-henceforth--
"the GOD of the whole earth is His Name." (Cf Ruth I. 12; 2. 16; Isai 51. 5. and, in especial,
Malachi 4. 2, "The Sun of Righteousness with healing in His Wings, marg beams.") See p. 1.

12
1
782年に長安に到着し、そこで皇帝に歓迎され、786年に会談した。
彼より先に中国に渡った親戚だ。」
「彼は、修道院のペルシア人であるキング・ツィンと一緒に翻訳しました。
胡テキストからのSatpâramità経典、Tâ-ts'in、7冊の翻訳を完了
ボリューム。しかし、当時プラジニャは胡のことをよく知らなかったため、
言語も中国語も理解できませんでした。
ブラフマー語(サンスクリット語)を知っており、その教えにも精通していませんでした。
サクヤ。実際には、その宝石の半分も入手できませんでした(つまり、本物の
意味)。」
7 巻は中国の大蔵経または正典に保存されています。」
本。¹
この僧侶般若については、弘法大師自身が『歴史』の中で述べています。
ミッキョウ(ヨガ)は言う:「私、空海は中国滞在中に個人的に聞いた話です。
般若(賢者)般若よりあれこれ。」
新安府には 4 つのキリスト教寺院があったことが知られています。
804年に弘法と伝教が訪問したときのことです。
この若い日本の司祭たちは、この偉大な光の中心に到着し、
今でも彼らの特徴となっている知的好奇心をすべて持って学ぶこと
国家は、新安府のノートを手に不思議を巡りませんでしたが、
上に置かれた特別な大理石のタブレットを自分なりに観察してみましょう
巨大な亀で、その奇妙な歴史的な碑文の上には、
雲から浮かび上がる十字架。そして、この十字架の下には、3つに9つの大きな文字が描かれています。
それを説明したコラム
「この記念碑は、
中王国におけるターツィンの崇高な法」そしてさらにその下に、
シリア文字、70人の使徒の名前、そして説教者の名前
シリアやエジプトといった遠く離れた国から旅をしてきた神聖な律法。
そしてエチオピア²さえも真の光の知識を中国にもたらしました!
真の日本人の鋭さと真剣な精神によって、
調べてみると、彼らは熱心にこう叫んだだろう、「どこでもっと詳しく知ることができるだろう」
この新しい信仰について?この処女生まれのメシアについて誰が私たちに話してくれるでしょうか?
彼の昇天は?」と彼らはインタビューを求めたであろうと述べた。
それを刻んだのは、般若の友人であり同僚であるキンツィンです。
そして人は、少なくとも彼らは最も古い時代に入るだろうと確信している。
彼らの好奇心を満たすために、これら 4 つのルミナス 3 教会を順番に見てみましょう。
1. No. 1004 を参照。B. Nanjio のカタログ。
2. ヤコブの葬儀。 151-155ページ。エチオピアとラム肉について注意してください。
神。
3. コミョフィ。内村鑑三氏は、この名前は多くの人が背負っていると語った。
日本の寺院。
13
太陽の中心にある神秘的な翼の意味については、(象徴
イスラエルのシェキナと神の臨在)がそれぞれに影を落としました
ポーチ)。また、まさにその時、申安府が
ネストリウス派キリスト教の総本山、つまり彼らの出身地である
日本は意図的に「宗教を研究し、調和させる」つもりだ、彼らは間違いなくそうするだろう
この新しい教義の教師たち「メシア」からの指導を求めてください。
福音書「これについては、過去百七十年間、毎年、
一人は新安府で話しており、現在は首都圏があった場所でした。
そして6人の司教が設立され、そのうちの6人の司教はシリアの麓にある
石碑によれば、アダム・キングツィンは、2016 年に司祭、聖歌隊司教、そして総主教であったという。
中国。
そして、確かに、弘法も伝業も、これなしでは満足しません。
その宗教を尊重する勅令を自分で読んでください。
私の手元にあるメモ(ただし、現時点では確認できません)
コピーされたソースを思い出してください)、以下を中国語から引用
西暦 637 年のネストリウス派使節団に関する勅令:
「宗教には不変の名前がありません。聖人には永久的な名前がありません。
メントボディ。どのような宗教であっても、彼らは個人的に教えを与えます。
生きている群衆を助けなさい。オロプン、に属する偉大な徳を持つ男。
聖書と映像を遠くからもたらしたユダヤ王国がやって来た、
そしてOur Capitalでそれらを発表しました。彼の言葉の意味を調べてみると、
教えによれば、それは純粋で神秘的であり、世界から切り離されていることがわかります。
その起源を調べてみると、それは次のようなものとして制定されたことがわかります。
は加速しており、人類にとって不可欠なものとなっています。その言語は単純であり、その推論は単純である
魅力的であり、人類にとって有益です。」
それは私たちが知っている日本の学生の性格と一致しているでしょうか?
かのような偉大な皇帝による、新しい信仰のこのような賞賛は、
唐王朝の創始者である彼は、そのような熱心さから無視されるべきでした
あなたの偉大な同胞である弘法大師のように、真理を求める探求者たちを心に留めてください。
真言宗の開祖、日本開祖伝教大師
「中国人の養分をすべて抽出した」と言われる天台宗
当時の文明」彼らは日本に帰国したのか?
私は敢えて考えてみますと、大盧遮那教義がこの世界に存在するのです。
由緒ある真言宗と宮島大火の継続
20世紀に入って今日に至るまでの京都は、
1. これらの翼はエジプトの棺に描かれ、エジプトとエジプトの両方の棺に彫刻されました。
アッシリアの寺院。そしてシリア人はキリスト教を受け入れたときも彼らを利用し続けた。
「イスラエルの神」であるメシアにおける型と影の成就を示してください。
「全地球の神がその名である。」 (ルツ I. 12; 2. 16; イサイ 51. 5 を参照。そして特に、
マラキ書 4. 2、「翼に癒しをもたらす義の太陽、マーグビーム。」) 13 ページを参照。 1.

2024年6月30日日曜日

リチャード・コシミズ/richard koshimizuさんによるXでのポスト

 
 
リチャード・コシミズ/richard koshimizu
⁦‪@ric_koshimizu‬⁩
小林製薬の紅麹サプリで、さらに76人の死者が出ていた?嘘が隠されています。目的は、小林製薬を窮地に追い込むことです。武見敬三の騙しの手口を解説します。… pic.twitter.com/hRzdJuWDBW
 
2024/06/29 4:59
 
 
小林製薬の紅麹サプリで、さらに76人の死者が出ていた?嘘が隠されています。目的は、小林製薬を窮地に追い込むことです。武見敬三の騙しの手口を解説します。

紅麹サプリの主成分は、スタチンです。スタチンは、ごくまれに「横紋筋融解症」を引き起こし、結果的に腎臓疾患を発症することがある。(政府厚労省マスコミが、スタチンに一切触れないことに多くのドクターが違和感を感じています。)

このコレステロール値を下げるサプリを服用する人は、ほぼすべてが、病院で、リピトールやメバルチンなどのスタチン製剤の処方を受けています。スタチン成分は、紅麹サプリより遥かに多い。(患者は、多くが、スタチンを呑まされていると自覚していない。)

だが、リピトールや紅麹だけで、横紋筋融解症→腎不全になるリスクは小さい。コロナワクチンを接種した人に腎不全で死んだ人がたくさんいる。ワクチンが原因で腎臓が壊されて死んでいる。これらの死者のうち、同時に紅麹サプリをとっていた人が、76人いたというだけの話。スタチンが主役ではない。主たる死因は、ワクチン。(紅麹死傷事件は、いずれも、ワクチン接種後に起きている。ワクチン以前は一件もない。)

よって、ワクチン接種者は、スタチン製剤の服用を即刻やめてください。死にます。(もっとも、ワクチンだけでも、腎不全になりますが。)

小林製薬のノドヌール・スプレーは、鳥インフルH5N1の感染を防ぐ切り札となりうる優れものです。強毒ウイルスの作者、東大河岡教授は、H5N1を喉の上で増やし、咳で他人に感染させるよう設計した。一方で、小林製薬のノドヌール・スプレーは、口腔内のH5N1を99.99%排除できる。つまり、ノドヌール・スプレーを常用していれば、感染自体をほぼ防げると思われます。

武見敬三一味は、ノドヌールがH5N1大量虐殺計画の邪魔になるから、小林製薬に冤罪を被せ、潰そうとしているのです。

小林製薬にエールを送ります。ちなみに、私のノドヌールの備蓄は万全です。「気が付いた人」は、こぞってノドヌールを入手しています。品薄になっていると聞きました。賢い人はいるんですね。

リチャード・コシミズ

2024年6月28日金曜日

「アリガトJAPAN」にありがとう | 「日本人初の世界一周」追跡調査 と 「義経記・太平記」の世界

『荒海からの生還』からもうすぐ51年 | 「日本人初の世界一周」追跡調査 と 「義経記・太平記」の世界

『荒海からの生還』からもうすぐ51年

昨年の同じ時期にも紹介していました『荒海からの生還』。

アマゾンでお買い得価格だったため速攻で注文しました。今は再び高値がついています。

写真は日本の漁船第一東華丸が、ボートで漂流しているイギリス人家族+相乗りの合計6人を救助しているところ。

こんな小さなボートで40日も生き延びた家族たちの精神力も素晴らしいが、彼らを発見してくれた第一東華丸の乗り組みの方々も本当に素晴らしい。

この物語を知ったのは、椎名誠氏の『漂流者は何を食べていたか』でした。

同書には似たようなゴムボート漂流のサバイバルがほかに2つも。いづれも彼らの精神力生命力には感嘆しないではいられません。

さて第一東華丸です。

昨年の調査で、わが宮城県志津川(南三陸町)の船であることが判明しています。

クジラと衝突、と書かれていますが、実際にはシャチであったらしい。まあ、それはどうでもいいとして。

これを知ってからは河北新報や郷土情報誌などに話を持ち込み、また南三陸町には第一東華丸の所有者だった鈴木さんの身内の方への問い合わせをしてきましたが、残念ながら地方ニュースの話題にするには少し弱かったらしい…

船長のドゥガル・ロバートソンさんは太平洋戦争で日本によって乗っていた船を沈められたそうですが、それから三十数年の時を経て、今度は日本に助けられるという不思議な因縁。

ロバートソンファミリーの息子さんたちは現在で60~70前ですからご存命でも不思議ではありません。今のお元気で、日本のことを思い出してくれていると嬉しいですね。

志津川の第一東華丸についてご存じの方がいらっしゃったら、ぜひとも情報をお寄せください!!

東華丸

「アリガトJAPAN」にありがとう | 「日本人初の世界一周」追跡調査 と 「義経記・太平記」の世界

『荒海からの生還』からもうすぐ51年 | 「日本人初の世界一周」追跡調査 と 「義経記・太平記」の世界

『荒海からの生還』からもうすぐ51年

昨年の同じ時期にも紹介していました『荒海からの生還』。

アマゾンでお買い得価格だったため速攻で注文しました。今は再び高値がついています。

写真は日本の漁船第一東華丸が、ボートで漂流しているイギリス人家族+相乗りの合計6人を救助しているところ。

こんな小さなボートで40日も生き延びた家族たちの精神力も素晴らしいが、彼らを発見してくれた第一東華丸の乗り組みの方々も本当に素晴らしい。

この物語を知ったのは、椎名誠氏の『漂流者は何を食べていたか』でした。

同書には似たようなゴムボート漂流のサバイバルがほかに2つも。いづれも彼らの精神力生命力には感嘆しないではいられません。

さて第一東華丸です。

昨年の調査で、わが宮城県志津川(南三陸町)の船であることが判明しています。

クジラと衝突、と書かれていますが、実際にはシャチであったらしい。まあ、それはどうでもいいとして。

これを知ってからは河北新報や郷土情報誌などに話を持ち込み、また南三陸町には第一東華丸の所有者だった鈴木さんの身内の方への問い合わせをしてきましたが、残念ながら地方ニュースの話題にするには少し弱かったらしい…

船長のドゥガル・ロバートソンさんは太平洋戦争で日本によって乗っていた船を沈められたそうですが、それから三十数年の時を経て、今度は日本に助けられるという不思議な因縁。

ロバートソンファミリーの息子さんたちは現在で60~70前ですからご存命でも不思議ではありません。今のお元気で、日本のことを思い出してくれていると嬉しいですね。

志津川の第一東華丸についてご存じの方がいらっしゃったら、ぜひとも情報をお寄せください!!

『荒海からの生還』からもうすぐ51年 | 「日本人初の世界一周」追跡調査 と 「義経記・太平記」の世界

『荒海からの生還』からもうすぐ51年 | 「日本人初の世界一周」追跡調査 と 「義経記・太平記」の世界
アリガト!JAPAN ~助けてくれた日本人を捜しています~
#TVer

https://tver.jp/episodes/ep4pnitcnf?p=1196
船長のドゥガル・ロバートソンさんは太平洋戦争で日本によって乗っていた船を沈められたそうですが、それから三十数年の時を経て、今度は日本に助けられるという不思議な因縁。

『荒海からの生還』からもうすぐ51年

昨年の同じ時期にも紹介していました『荒海からの生還』。

アマゾンでお買い得価格だったため速攻で注文しました。今は再び高値がついています。

写真は日本の漁船第一東華丸が、ボートで漂流しているイギリス人家族+相乗りの合計6人を救助しているところ。

こんな小さなボートで40日も生き延びた家族たちの精神力も素晴らしいが、彼らを発見してくれた第一東華丸の乗り組みの方々も本当に素晴らしい。

この物語を知ったのは、椎名誠氏の『漂流者は何を食べていたか』でした。

同書には似たようなゴムボート漂流のサバイバルがほかに2つも。いづれも彼らの精神力生命力には感嘆しないではいられません。

さて第一東華丸です。

昨年の調査で、わが宮城県志津川(南三陸町)の船であることが判明しています。

クジラと衝突、と書かれていますが、実際にはシャチであったらしい。まあ、それはどうでもいいとして。

これを知ってからは河北新報や郷土情報誌などに話を持ち込み、また南三陸町には第一東華丸の所有者だった鈴木さんの身内の方への問い合わせをしてきましたが、残念ながら地方ニュースの話題にするには少し弱かったらしい…

船長のドゥガル・ロバートソンさんは太平洋戦争で日本によって乗っていた船を沈められたそうですが、それから三十数年の時を経て、今度は日本に助けられるという不思議な因縁。

ロバートソンファミリーの息子さんたちは現在で60~70前ですからご存命でも不思議ではありません。今のお元気で、日本のことを思い出してくれていると嬉しいですね。

志津川の第一東華丸についてご存じの方がいらっしゃったら、ぜひとも情報をお寄せください!!