2023年7月31日月曜日

扶桑国王蘇我一族の真実

扶桑国王蘇我一族の真実 | 人生は冥土までの暇潰し
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扶桑国王蘇我一族の真実

『文殊菩薩』の「小野妹子を遣隋使として中国に派遣したのは,九州にあった「俀(たい)国」という王朝だった! 『隋書俀国伝』」という記事を読んだ。

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「中国の正史『隋書俀国伝』には阿蘇山のことが…」という記述が目に入り、咄嗟に思い出したのが渡辺豊和氏の著した、『扶桑国王蘇我一族の真実』(新人物往来社)である。その渡辺氏は、カッパから『ヤマタイ国は阿蘇にあった』という興味深い本も出しており、以前から阿蘇に関心を持っていた。また、「超阿蘇」と題したホームページにもあるように、阿蘇周辺には興味深い遺跡が多いのだ。

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その阿蘇の謎については、今後の『文殊菩薩』に連載されるであろう、『隋書俀国伝』あるいは『日本書紀』についての続編を待ちたい。ここでは、上述した渡辺豊和氏の『扶桑国王蘇我一族の真実』に目を転じてみよう。同書の刊行前、栗本慎一郎が目を通した本であるだけに、「栗本慎一郎」のカテゴリを設けている身として、それだけ信憑性の高い本であると確信している。

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栗本慎一郎、千田稔、鍵岡正謹の三氏には途中で読んでもらいそれぞれにご指導いただいた。
『扶桑国王蘇我一族の真実』p.354


ところで、『扶桑国王蘇我一族の真実』について鋭く分析している人物がいる。世界戦略情報誌『みち』の編集人・天童竺丸さんだ。

大化の改新(乙巳の変)で中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原氏)という"一神教派" が天下を取り、それが壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)という"多神教派"の天下となった。そして公になっていないが三度目の乱が起こって再び藤原氏による体制="一神教派"の天下に戻り、それが今日に至っても続いている。


天童さんの真意を読み取っていただく意味で、『みち』平成22年10月1日第324号から連続して7回にわたって掲載された、「ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ」に目を通していただきたい。

みち330号(平成23年01月15日) ツランの足跡 ─ 遙かなるツラン
みち329号(平成22年12月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 6
みち328号(平成22年12月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 5
みち327号(平成22年11月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 4
みち326号(平成22年11月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 3
みち325号(平成22年10月15日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 2
みち324号(平成22年10月01日) ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 1


殊に、渡辺氏の著作に関連して注目すべきは、「ツランの足跡 ─ 大化改新から壬申の乱へ 3」の以下の記述である(傍線亀さん)。

いわば自らの出自ともいうべき北方ツラン的な要素を歴史から消し去った転換点こそ、大化の改新から壬申の乱へと至る政権の混乱期にある、と私は思う。そして、その最大の問題点が、蘇我氏の痕跡をわが歴史から抹殺したことにあることを教えてくれたのが、渡辺豊和『扶桑国王蘇我一族の真実』であった。
 渡辺豊和は蘇我氏とはトルコ系騎馬民族の「高車(こうしや)」ではなかろうかとの説を提案している。結論だけを聞くと、誰しも唐突にして奇異の感を拭えないであろうが、騎馬民族の盛衰の歴史を繙いてみると、なるほどと首肯させるものがある。「騎馬民族渡来説」なるものは江上波夫『騎馬民族国家』(中公新書、昭和四二年刊)が唱えた奇説で、岡田英弘などは「完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。江上波夫が創作した、新しい神話」であると酷評しているが、源平時代から室町、戦国時代へと続く争乱は紛れもなく騎馬民族の戦いであった。日本人の血の中には騎馬民族の遺伝子が確かに流れているのだ。


この正月休みを利用して、『扶桑国王蘇我一族の真実』を再読の上、思うところがあれば新たな記事をアップしたい。
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扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスター教伝来秘史 渡辺 豊和 2004

2004
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テレビ放映された古代日本ユダヤ人渡来説5(相撲)久保有政出演


シリウスの都 飛鳥―日本古代王権の経済人類学的研究 | 栗本 慎一郎 |本 | 通販 | Amazon


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2020年8月12日に日本でレビュー済み 
Amazonで購入
この本を読んで、影響を受けた一人だが、日本史=世界史の先端を担うものになる、との作者の考え栗本氏が主には賛成する。逆にいえば、日本史のみの知識では対応できない。そう思わせてくれた。深く日本内外の歴史や宗教に精通した天才故に出来たのだろう。そこまでの道のりは果てしなく険しい、
ただ、栗本氏が主張する、大和を中心とする価値観の意向について、三輪山―畝傍山ラインや、忌部山から巻向山にかけては、夏至の日の出の通り道に当たる為に、太陽ネットワークの移行を根拠にしているが、28度50分、即ち、方位角では、61度10分になっているとの事だが、夏至の日の出について調べたところ、
忌部山  60度11分09秒
畝部山  60度04分44秒
三輪山  59度50分46秒
三輪山鞍部60度02分15秒
初瀬山  59度47分22秒 
巻向山  59度46分48秒
奈良県奈良市の夏至時の日の出は60.15度~16度      
となるので、1度から1度30分程足りない。日の出の
方角はあってはいる。
続いて、三輪山―畝傍山から、30古代里(48.6㎞)北側とされる、三上山―太郎坊山ラインについても、
高塚山 59度38分56秒
三上山 59度38分41秒
太郎坊山59度40分29秒
滋賀県大津市の夏至時の日の出の方角は、60度なので、
20秒ほどなので、あっている。しかし、
61度10秒という、氏の主張するような夏至の方位角ではない。
その他も調べてみたが、どなたかが主張するように、夏至時や冬至時
の日の出と日の入りの方角とは5度以上ずれているところがある。
そういうところは訂正した上で、引用文献を詳しく明記してほしい。
多分、1巻では収まらない。逆にいえば、それだけ素晴らしい本である。
絶版したが、電子書籍版を出してもらいたい。
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レポート

蘇我氏はスキタイ? | 日本語を活かした情報処處理入門

蘇我氏はスキタイ? | 日本語を活かした情報処處理入門

蘇我氏はスキタイ?

栗本慎一郎は著書『シリウスの都、飛鳥』で蘇我氏がスキタイ系である、といふ假説を提唱した。僕も栗本氏とは違ふ理由で、その假説を支持する。


栗本氏の假説と其の根據については、直接氏の著作を讀む事を御奬めする。この賦錄では、氏の指摘してゐない根據についてのみ御報告する。


渡辺豊和氏の『扶桑國王蘇我一族の眞實』では、蘇我氏が秦氏や安倍氏とともに東日本にやつて來た、といふ假説を提唱してゐる(これについても深くは述べない)。注目すべきは、これら氏族の役割分擔だ。


渡辺氏は、蘇我氏が政治、秦氏は産業・經濟、安倍氏は軍事を擔當してゐたといふ。これは以前に紹介したスキタイ社會の三層構造そのものではないか。


スキタイ社會は祭祀階級と軍人階級、庶民階級の三層構造からなり、それぞれの階級を代表する三種の神器を持つてゐた。これについては『日本の神話』といふ講談社學術文庫の本に詳しい。


日本では政治は祭事だから、蘇我氏を祭祀階級と見做すと此の三氏族はぴつたりスキタイの三層構造と一致するではないか。


要するに、インドのカーストを生んだアーリア系の種族も、支那の周王朝も、日本の蘇我氏もスキタイ系なのである。


インドに侵入したスキタイはバラモン(祭祀階級)、クシャトリヤ(軍人階級)、バイシャ(庶民階級)の三階層で構成され、先住民族のドラビダ人を奴隸(スードラ)とする事でカースト制度が生まれた。


周王朝は商(殷)王朝を滅ぼしたあと三つの都市を建設して支那を支配しようとした。白川静氏の指摘によると、此の三都の役割は宗教・祭祀と軍事、行政である。


スキタイ文化が周王朝を作つたといふ僕の主張に、或いは疑問を持たれる方がゐられるかも知れない。スキタイは前八世紀に歴史に登場し、周王朝は前十一世紀に成立してゐるからだ。


だが前八世紀といふのは、スキタイが希臘人に意識されるやうになつた年代だ。亞細亞にはそれに先行するスキト・シベリヤ文明といふのが七千年前から存在してゐる。


だから周族がスキタイ系の遊牧民族(西戎)と考へるのは、年代的には全然問題が無いのである。因にスキタイは他稱で、彼等自身はアスカとかアサカと自稱してゐた。


要するに歐羅亞細亞(東洋)の大文明は皆、スキト・シベリヤ文明を起源としてゐるのである。メソボタミア文明のスメル(シュメール)族も勿論、スキタイ系である。


此處らへんの流れは栗本氏も指摘してゐるのだが、スキタイ社會の三層構造を根據にした説明は多分、僕が最初の筈である。

(2/2)栗本慎一郎氏インタビュー~「邪馬台国」は正確には「邪馬壹(ヤマイ)国」です Business CoffeeBreak ~歴史に想いを馳せる~|ビジネス+IT

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栗本慎一郎氏インタビュー~「邪馬台国」は正確には「邪馬壹(ヤマイ)国」です

Business CoffeeBreak ~歴史に想いを馳せる~

Q.ご自身の研究とは別に、雑誌を創刊されるというお話をお伺いしたのですが。

【栗本】
 今年の秋に創刊して、まずは年2回くらい出す予定です。きっかけは、中央大や明治大の学生運動の仲間たちが僕をネタに集まろうという話から始まったんです。でも私だけがネタになるのはいやだから、みんなで雑誌でもやろうと。簡単に言ってしまえば"遺稿集"の雑誌ですよ。

ちょうどその前後に、昔の知り合いが何人も死んだんです。訃報を聞くたびに「死ぬ前にこの日本、この社会に対してあいつは何を考えていたのか」と知りたくなった。私のように本を書いて発言していれば、たとえ私が明日死んでも言ったことは残る。でも仲間のなかには何も言わずに死んでいく人がたくさんいる。そこで遺言を集めた雑誌を作ろうとなったわけです。

名前は「流砂(流沙)」。

「流砂」とは中国西域の砂漠地方を指す言葉で、いま私が研究しているシルクロードに関係しています。 それに60年代左翼を略した「ろくさ」をかけています。ただ、60年代以降右に傾いた人でも、60年代に社会や自分の人生について真剣に考えて闘っていれば登場してもらってかまわない。

私個人にとっては、非常に象徴的なことに大学時代に机を並べた人間が総理大臣(=小泉純一郎)をやっています。かなりの人が引退している一方で活動している人もいて、この世代は極端です。
遺稿集であると同時に60年代を総括し、同世代へに対し「まだ少し生きなきゃいけないのだから、お前ら何か言いたいことはないのか」と問いかける雑誌になるでしょうね。
   今回紹介した、栗本氏の著書「シリウスの都 飛鳥」はアマゾンよりご購入いただけます。  
 


Q.今後、著作のご予定などはありますか。

【栗本】 まずは「シルクロード流域」の本です。さきほども言いましたが、私は、本当のシルクロードはもっと北を通っていたと考えています。これは、ウズベキスタンの考古学協会の主張と同じです。

一般にはシルクロードといえばNHKで放映されていたものが浮かびますが、あれは中国の考古学協会が主張しているのをそのまま受け入れたもの。
中国の考古学協会の協力を得て番組を作ったものなんですよ。
中国は自国に有利なようにシルクロードの東の起点を「長安」(現・西安)だと唱えています。中国説のシルクロードは、長安から始まって中央アジア各地を通り、ローマまで至るというルート。

でも私やウズベキスタンの考古学協会は、東は中国の上を通って、バイカル湖を通って日本海を渡ったという説を主張しています。西方向へは、ウズベキスタンへ行きサマルカンドに降りるまでは中国説を認めていますが、その後はローマには行かず、カスピ海、コーカサス地方、トルコの半島アナトリアを通ってビザンチウムまで行ったと考えています。

これから、キルギスのアク・ベシム遺跡に発掘調査に行くことになっています。コーカサス地方にも近いうちに行きます。アルメニアなどコーカサス地方を行き終わったら、「新のシルクロード」という関係の本を写真込みで出版したい。本気で写真を本気で撮っているので、写真込みの本になる予定です。  

Q.『シリウスの都 飛鳥』では最後に「日本の王権概念や価値観の起源が東イラン高原にたどりつくはずだ」と結んでいます。現在のシルクロード研究は、そこから発展したものと考えてよいのでしょうか。

【栗本】 そうです。東イラン高原では、紀元前3世紀頃にパルティア帝国が登場します。トルクメニスタンにはペルセポリスを筆頭に、パルティア帝国の首都がいくつかみつかっています。このパルティアでシルクロードが形成されたというのが私の説なんです。

しかも、このペルセポリスと日本の前方後円墳は、なぜか同じように真北から西へ20度傾いて建てられています。方位に価値観の象徴がぶちこまれているんですね。この方位のことを聖方位と呼んでいますが、これがキーポイントです。

パルティア帝国を中心に聖方位が広がっていく。弥勒信仰の仏教とともに聖方位が中央アジア近辺まで来て、そこでスキタイと融合して、バイカル湖を通り、ついでに白鳥伝説も拾って、日本の北まで来る――これが私の考える実際の歴史です。

パルティア、日本、スキタイ、これらぜんぶをまとめた本をあと2、3冊は出すつもりです。それで大きな道しるべを置いたら、もうこの分野については語りません。 きちんとした歴史観を打ち立てたら、あとは私の本をネタにみんなが好きに調べてくれればいいと思っています。


【インタビューア:澁川祐子】

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