2024年12月12日木曜日

【訃報】 第二次世界大戦で日本を欺いたナバホ族最後の「コードトーカー」が107歳で死去 [朝一から閉店までφ★]

【訃報】 第二次世界大戦で日本を欺いたナバホ族最後の「コードトーカー」が107歳で死去 [朝一から閉店までφ★]

【訃報】 第二次世界大戦で日本を欺いたナバホ族最後の「コードトーカー」が107歳で死去 [朝一から閉店までφ★]


2024年12月12日 07時00分

https://gigazine.net/news/20241212-john-kinsel-language-navajo/

第二次世界大戦中の日本の暗号解読者は優れた解読能力を持っていたといわれていますが、ナバホ語は文字がなく複雑であったため、解読はほぼ不可能でした。
これを利用し、ナバホ族のコードトーカーらは手りゅう弾は「ジャガイモ」、水陸両用車は「カエル」、急降下爆撃機は「チキンホーク」、
12月は「固まった雪」という具合に、軍事用語をナバホ語に言い換えて部隊の動きや敵軍の位置などを伝え合いました。

キンセル氏も3つの暗号の開発を手伝っています。1つ目は戦車を意味する「亀」で、2つ目は飛行機全般を指す「鳥かご(bird carriers)」です。
ルートを意味する3つ目の「ウサギ道」は、キンセル氏自身が考案したものだったとのこと。

日本は最後までナバホ語の暗号を解読できず、コードトーカーらは太平洋戦争における連合軍の勝利に大きく貢献しましたが、キンセル氏はそのことを自慢せず、多くを語りませんでした。

キンセル氏は、自分がどう活躍したかより共同体や部族、あるいは海兵隊の一員であったことを重んじており、戦争の経験を語るときも「私(I)」ではなく「我々(We)」を使ったといわれています。

ニグレン大統領は「キンセル氏は海兵隊員であり、ナバホ族のコードトーカーとして最大の責任を負いながら、最も恐ろしい状況下で勇敢かつ無私の心で私たち全員のために戦ってくれました。
彼は戦友たちとともに、アメリカの海兵隊のため、アメリカのため、そして戦時下のナバホ・ネイションを守るために戦ったのです」と述べました。

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