2020年8月31日月曜日

下村治(中野剛志 2020/07/18 )


下村治(中野剛志 2020/07/18 )

https://twitter.com/sssthmj/status/1365914129882488837?s=21


https://twitter.com/dr_kusiyaki/status/1030613911370838017?s=21


tasan@日銀がお金を作れど政府は流さず (@tasan_121)
池田勇人総裁時代
jimin.jp/aboutus/histor…
(1)減税(2)社会保障(3)公共投資を三本柱として経済成長を推進した結果、民間経済の潜在的エネルギーをたくみにひき出して"世界の奇跡"といわれる高度の経済成長をとげました。

国民所得は十年間で倍増する想定だったのにわずか四年余で目標を達成
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810 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2020/08/31(月) 02:14:18.55  ID:wdmQCLwB 
① 輸入超過と国内インフレ(需要超過)
金融を引き締めるか、緊縮財政を断行する
② 輸入超過と国内デフレ(供給超過)
経済の効率化を進めて雇用水準を上げつつ、為替レートを切り下げる
③ 輸出超過と国内デフレ(供給超過)
投資や財政支出を拡大する
④ 輸出超過と国内インフレ(需要超過)
為替レートを切り上げる

https://toyokeizai.net/articles/-/362652?page=2 ★

下村治先生が今の日本の対応策を的確に指摘してる。日本は③ね。


「財政は目的でなく手段」の忘却が招く経済危機 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 中野剛志
2020/07/18 
https://toyokeizai.net/articles/-/362652?display=b

「財政は目的でなく手段」の忘却が招く経済危機

プラグマティズムで「均衡ドグマ」から脱却を



1970年4月、参院予算委で意見を述べる下村治氏。下村は一流の論客でもあった(写真:共同通信)
『日本経済学新論渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が寄稿した一連の記事(「石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ『積極財政』論」「コロナ危機に下村治が再評価されるべき理由」)について、宮川努・学習院大学教授から「下村治」像をめぐって異論が提示された。本稿では、その異論に応え、さらに下村について論じる。

下村の「積極財政の部分のみ」を強調した理由

下村治は、戦後日本を代表する経済理論家であるだけでなく、数々の論争を繰り広げた一流の論客でもあった。
その下村について、東洋経済オンライン(「石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ『積極財政』論」「コロナ危機に下村治が再評価されるべき理由」)で書いたところ、宮川努・学習院大学教授から、「東洋経済オンラインにおける中野氏は下村氏の一面しか見ていないように、筆者には思える」との批判を受けた(「『下村治は積極財政の支持者』論に覚える違和感」)。
そこで、論争を恐れなかった下村に倣って、宮川教授の批判に応えようと思う。この宮川教授との論争を通じて、下村の真の姿がより明らかになるだろう。
反論すべき点はいくつもあるが、紙幅の関係から、ここでは論点を2つに絞りたい。
まず、宮川教授は、下村が第1次石油危機後に「ゼロ成長論」を論じたことを指摘し、「当然のことながらこの『ゼロ成長論』には、政府が財政節度を維持することも含まれる。財政節度とは均衡財政を目指すことにほかならない」と主張している。
ところが、拙稿が下村の積極財政論に光を当てたものであったため、宮川教授は「下村の一面しか見ていない」と批判したうえで、こう述べる。
「実は中野氏は、近著の『日本経済学新論』(ちくま新書)(以下『新論』と呼ぶ)の中で、第1次石油危機後の下村氏の議論についてほぼ同様のことを述べられている。もしその理解を進めて下村氏の議論に倣うならば、それは積極財政ではなく財政規律の維持であろう。中野氏が『新論』で、下村氏の議論の変遷を丁寧にたどっておられながら、なぜ積極財政の部分だけを東洋経済オンラインで強調されるのかについては、きちんとした説明が必要だろう」
しかし、確認していただきたいが、筆者は拙稿の中で、すでに「きちんとした説明」をしておいたはずだ。
それは、拙稿が「財政赤字を拡大するとインフレを制御できなくなる」という見解を批判する目的で書かれ、そのために下村治を参照した論考だということだ。



★

「財政は目的でなく手段」の忘却が招く経済危機

プラグマティズムで「均衡ドグマ」から脱却を

下村は、終戦後のインフレ処理の経験から、インフレは制御可能だという教訓を得た。また、下村は、物価は「生産能力と需要との相互関係」によって決まるのであり、生産能力を増強するための積極財政は、かえってインフレを抑止すると考えていた。これが、拙稿の要旨である。
要するに、筆者が下村の積極財政の部分のみを強調した理由は、「インフレは制御不可能」という議論を批判するという文脈ゆえである。その他の部分に言及しなかったのは、文脈上必要ではなかったし、紙幅に限度があったからにすぎない。

均衡財政論者でも積極財政論者でもない

だが、より重要なのは、次の論点である。
下村は、「国際均衡」と「国内均衡」の両立を目指すべきだと考え、これを「節度」と呼んでいた。これについて、宮川教授は、下村の言う「節度」に「財政節度」なるものを含め、「財政節度とは均衡財政を目指すことにほかならない」と断言する。
しかし、果たしてそう言えるだろうか。下村の「節度」の概念を再検討してみよう。
「国際均衡」とは国際収支の均衡であり、「国内均衡」とは需要と供給の均衡である。しかし、この2つの均衡は、自動的に同時達成されるわけではない。
そこで、下村は、それぞれの不均衡ごとに必要となる政策を、以下の4パターンに整理した。
① 輸入超過と国内インフレ(需要超過)
金融を引き締めるか、緊縮財政を断行する
② 輸入超過と国内デフレ(供給超過)
経済の効率化を進めて雇用水準を上げつつ、為替レートを切り下げる
③ 輸出超過と国内デフレ(供給超過)
投資や財政支出を拡大する
④ 輸出超過と国内インフレ(需要超過)
為替レートを切り上げる
ここから明らかなように、下村は、国際均衡と国内均衡の状況に応じて、経済政策をプラグマティックに変えるべきだと論じていた。
例えば「①輸入超過と国内インフレ」では、均衡財政は、確かに「節度」となろう。
しかし、「③輸出超過と国内デフレ」では、均衡財政を目指すことは、国際不均衡(輸出超過)と国内不均衡(デフレ)をより悪化させるので、かえって「節度」を失うことになる。この場合は、国際均衡と国内均衡を達成する「節度」とは、財政支出の拡大なのだ。ちなみに、1990年代後半から今日まで、日本は、ほぼ一貫して、この「③輸出超過と国内デフレ」の状態にあった。



「財政は目的でなく手段」の忘却が招く経済危機

プラグマティズムで「均衡ドグマ」から脱却を

このように、下村は、国際均衡と国内均衡の状況次第で、緊縮財政を唱えたり、積極財政を唱えたりする。つまり、下村は積極財政論者だというのが一面的だというなら、均衡財政論者だというのもまた一面的なのだ。
現実の状況に応じて臨機応変に政策を変えるプラグマティズムこそが、下村の真骨頂なのである。
しかも、下村の強靭なプラグマティズムは、この4パターンの図式にさえも縛られなかった。というのも、終戦直後の高インフレ時は、図式の上では①に該当したにもかかわらず、下村は、緊縮財政ではなく、積極財政を唱えたからである。
当時の下村は、戦争による生産力の破壊という特殊な状況を考慮し、緊縮財政によって国民生活の水準を下げるよりも、積極財政によって生産力を増強することで、需要超過(つまり供給不足)を是正すべきと判断したのだ(「石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ『積極財政』論」)。

均衡財政のドグマから脱却を

さらに言えば、下村は、国際均衡と国内均衡の同時達成それ自体を目的にしていたわけではなかった。下村は、「日本の1億2000万人の生活をどうするか、よりよい就業の機会を与えるにはどうすべきか」ということをつねに念頭に置いていたのである。


『日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

さて、そのような下村が、現下のコロナ危機にどう対処したであろうか。答えは明らかである。
かつてない規模で需要が失われ、デフレが深刻化している。多くの国民の生活が困難を強いられ、就業機会も急速に失われている。このような危機的状況下にあって、あの下村が財政支出を惜しむはずがないではないか。デフレであろうが、国民生活がどうなろうが、均衡財政に固執し続けるドグマティズムほど、下村らしからぬものもない。
しかし、現在の日本政府、政治家、経済学者の多くは、この期に及んでもなお、均衡財政のドグマから離れられていない。プラグマティズムを欠いているのだ。
だから筆者は、「今ほど、下村治が求められている時はない」と書いたのである。
最後に、下村の議論を学ぶ上で留意すべき点について、付記しておきたい。
下村の著作のほとんどは、一般理論ではなく、特定の状況における経済政策を論じたプラグマティックな時局論である。このため、下村の真意を汲み取るには、それが書かれた当時の状況や文脈を考慮に入れながら読む必要がある。いくら全著作を整理しようが、状況や文脈を無視するような読み方では、下村を現代に生かすことなどできないのだ。


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日日是好日 Every day is a beautiful day

日日是好日 Every day is a beautiful day
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/08/blog-post_31.html @
NAMs出版プロジェクト: 碧巌録
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_23.html
NAMs出版プロジェクト: 無門関
http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/blog-post_57.html

“And God saw everything that he had made, and, behold, it was very good.”(創世記、第一章)
 この平凡なvery goodが「妙」である。このグッドは善悪の善でもなく、好醜の好でもない。すべての対峙をはなれた絶対無比、それ自身においてある姿そのものなのである。「妙」はこれに外ならぬ。雲門のいわゆる「日日是好日」の好である。

妙
初出大法論1964
新編 東洋的な見方 (岩波文庫)  1997/4/16
鈴木 大拙 (著), 上田 閑照 (編集) 106頁

ドキュメンタリー 作曲家ジョン・ケージ



日々是好日
Every day is a beautiful day.


1949年には、ハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議に参加し、中華民国の胡適と禅研究法に関して討論を行う。
上田鈴木論


日日是好日




日日是好日(にちにちこれこうじつ)は、禅語のひとつ。もともとは、唐末の禅僧雲門文偃の言葉とされ、『雲門広録』巻中を出典とするが[1][2]、一般には『碧巌録』第六則に収められている公案として知られる[1][2][3][4][5][6]。日々是好日[3]、雲門日日是好日、雲門日々是好日[7]、雲門好日、雲門十五日[2]と表記されることもある。

久保瀬暁明の書。

読み




日本語の禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいとされるが[1][3]、「にちにちこれこうじつ」とする例もある[4][7]。
日常的な表現としては「ひびこれこうじつ」とも読み、その読みで作品名などになっている例もあるが[注釈 1][9]、同様に「ひびこれこうにち」[注釈 2]、「ひびこれよきひ」とする例もある[注釈 3]。

碧巌録




『碧巌録』第六則の記述は以下の通りである[6]。
挙。雲門垂語云。十五日已前不問汝、十五日已後道将一句来。自代云。日日是好日。
大意:「雲門文偃は、かつて『ここまでの15日間のことはお前に問わないが、これからの15日間をどうするか一言で言ってみよ』と問い、それに自ら答えて『毎日が良い日だ』と述べたというが、これはどういうことか」。

解釈




「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である[1]。 
そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている[3][4][5][6]。

脚注




注釈

  1.  例えば、阿木燿子が作詞した坂本冬美の楽曲「日々是好日」は「ひびこれこうじつ」と読む[8]。
  2.  藤巻亮太のアルバム『日日是好日』やその収録曲「日日是好日」は「ひびこれこうにち」と読む[10]。
  3.  ラジオ番組『日々是好日〜降っても晴れても〜』では「ひびこれよきひ」と読む[11]。 

出典

  1. ^ a b c d 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』岩波書店、2002年10月、第二版、789頁。
  2. ^ a b c 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』法蔵館、1988年1月、98頁。
  3. ^ a b c d 広瀬大輔. “禅語を味わう 日々是好日”. 小林山達磨寺. 2016年3月28日閲覧。
  4. ^ a b c “禅語に親しむ <今月の禅語> 日々是好日(雲門広録)日日(にちにち)是れ好日(こうじつ)”. 安延山承福禅寺. 2016年3月28日閲覧。
  5. ^ a b “日々是好日--「今」がすべて -- 平成18年6月”. 曹洞宗正木山西光寺. 2016年3月28日閲覧。
  6. ^ a b c 小寺重行. “禅趣を楽しむ 碧巌録の禅語と白隠禅師 (PDF)”. みつお記念クリニック. pp. 30-31. 2016年3月28日閲覧。
  7. ^ a b “心の杖 2004年9月 日々是好日”. 金寳山瑞龍寺. 2016年3月28日閲覧。
  8.  “検索結果書誌詳細 「冬美ルネッサンス 」 詳細情報”. 板橋区立図書館. 2016年3月28日閲覧。
  9.  写真スタジオの名称や商品名でも、それぞれ「ひびこれこうじつ 」の読みを固有名称としている例がある。
  10.  “藤巻亮太、2ndアルバム『日日是好日』の詳細発表 “3月9日”にスペシャルイベントも開催”. Real Sound (2016年2月16日). 2016年3月29日閲覧。
  11.  “日々是好日(ひびこれよきひ)~降っても晴れても~”. JAPAN FM NETWORK. 2016年3月29日閲覧。



https://karlrecords.bandcamp.com/album/complete-song-books


Nichinichi kore kōnichi




Nichinichi kore kōnichi (Japanese: 日々是好日) is a Japanese Zen Buddhist proverb. It is thought to be Yunmen Wenyan's answer in the sixth case of the kōan collection Blue Cliff Record.[1][2][3][4] It has been presented by some Zen masters (notably, Kōdō Sawaki and his disciple Taisen Deshimaru).[5] It was a favorite saying of the avant-garde composer John Cage, featured in Song Books (1970) as Solo for Voice 64.[citation needed] It may also be written as 日々是好日, 雲門日日是好日, 雲門日々是好日, 雲門好日, and 雲門十五日.[6][7][8]

"Every day is a good day".

Readings




As a Zen word in Japanese, the correct way to read the phrase is Nichinichi kore kōnichi.[9][6] There are also examples of the phrase being read as Nichinichi kore kōjitsu.[10][7] As an everyday expression it is usually read as Hibi kore kōjitsu;[11] there are also examples of it being read as Hibi kore kōnichi.[citation needed] Another way to read the phrase is Hibi kore yohiki.[citation needed]

Meaning




Nichinichi kore kōnichi literally translates to "Every day is a good day",[12][13] or "Try to spend every day meaningfully".[14]

References




  1.  Katsuki Sekida, "Two Zen Classics: Mumonkan, Hekiganroku." Weatherhill, 1977. ISBN 0-8348-0130-2.
  2.  Thomas Cleary and J.C. Cleary, "Blue Cliff Record". Shambala, Boston/London, 2005. ISBN 0-87773-622-7. Originally published in 1977.
  3.  Urs App, "Master Yunmen". Kodansha, 1994. ISBN 1-56836-004-5
  4.  総合仏教大辞典編集委員会(編) (January 1988). 総合仏教大辞典 (in Japanese). 法蔵館. p. 98.
  5.  Taisen Deshimaru (1 October 1981). La Pratique du Zen (in French). ISBN 978-2226012876.
  6. ^ a b 広瀬大輔. "禅語を味わう 日々是好日" (in Japanese). 小林山達磨寺. Retrieved March 28, 2016.
  7. ^ a b "心の杖 2004年9月 日々是好日" (in Japanese). 金寳山瑞龍寺. Retrieved March 28, 2016.
  8.  総合仏教大辞典編集委員会(編) (January 1988). 総合仏教大辞典 (in Japanese). 法蔵館. p. 98.
  9.  中村元ほか(編) (October 2002). 岩波仏教辞典 (in Japanese) (第二版 ed.). 岩波書店. p. 789.
  10.  "禅語に親しむ <今月の禅語> 日々是好日(雲門広録)日日(にちにち)是れ好日(こうじつ)" (in Japanese). 安延山承福禅寺. Retrieved March 28, 2016.
  11.  "検索結果書誌詳細 「冬美ルネッサンス 」 詳細情報" (in Japanese). 板橋区立図書館. Retrieved March 28, 2016.
  12.  "Nichi nichi kore ko jitsu – every day is a good day". September 28, 2007.
  13.  "Everyday is a good day (nichinichi kore koujitsu)". Takase Studios.
  14.  "Chagake With Zen Idiom "Nichi-Nichi Kore Kojitsu" - Japanese Tea Mart Rikyu". www.rikyucha.com.

雲門文偃






雲門文偃(うんもん ぶんえん、864年(咸通5年) - 949年5月10日(乾和7年4月10日))は、中国の唐末から五代の禅僧。諡は大慈雲匡聖宏明大師。俗姓は張。蘇州嘉興県(浙江省嘉興市南湖区)の出身。五家七宗の一つ、雲門宗の開祖。
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生涯






若くして出家することを望み、嘉興の空王寺の志澄律師について弟子となり、17歳で出家した。20歳のとき常州の戒壇で具足戒を受け、再び志澄律師のもとで四分律などを学んだ。
黄檗希運禅師の法嗣である睦州(浙江省杭州市建徳市)の道蹤禅師に謁したが、三度門を閉じられ足を挫いて大悟した。
それからさらに雪峰寺で修行を積み、慧能門下の雪峰義存禅師の法嗣となった。雪峰寺では器を隠して大衆に混じり、修行したという。雪峰山を辞した後、さらに諸方を遊歴して様々な禅者と交わり、乾化元年(911年)には曹渓(広東省韶関市曲江区)の宝林寺(現在の南華寺)に思慕する六祖慧能禅師の塔を拝した。その後、韶州の霊樹如敏禅師の道場の霊樹寺(広東省韶関市曲江区)に赴き、そこで、首座として聖胎長養の時節を過ごすことになる。この霊樹はこの道場に住すること20年の間、修行僧達の懇願にも拘らず、首座を置かず、「わが首座は牧牛となって遊方中である」などと予言し、雲門が到るに及んで、ようやく首座職を命じたと言われる。そうして、貞明4年(918年)の遷化に際して、雲門が霊樹の後住になることを遺言し、その結果、雲門はその法席を嗣ぐことになる。時に雲門はすでに54歳になっていた。
更にその5年後の同光元年(923年)にようやく韶州の雲門山(広東省韶関市乳源県)を開いてその開山となり、光泰院(別名雲門寺)を建立した。この山には常時1000人の修行者が雲集し、南漢の劉龑より匡真(きょうしん)大師の名を賜った。南漢の強権政治の厳しい治世下で、現実と仏法の狭間にありながら、弟子を教育して、きわめて簡潔な日常語で、ずばり禅旨を述べた。『伝灯録』には文偃の法嗣として61人もの名前が載っている。後にその門派は大いに栄えて、「雲門宗」を形成するに至った。

乾和7年(949年)4月10日の深夜、雲門禅師は示寂し、25日に葬送が行われた。雲門山に住すること30余年、86歳であった。遺誡により塔を建てず、遺体は方丈に安置され、没後17年に奇瑞が現れたため、乾徳4年(966年)北宋の太祖に「大慈雲匡聖宏明大師」と追諡された。語録に『雲門広録』三巻がある。

語録






禅の語録には雲門禅師の言葉が公案として多く取りあげられており、公案の題材を提供したことでは趙州和尚とともに群を抜いている。公案集『碧巌録』などに多くその言動を収録しており、今でも身近なところにその言葉が残る。その禅語には花薬欄、金毛獅子、乾屎橛などがあるが、雲門禅師の言葉の中で最もよく知られているのは「日日是好日(にちにちこれこうにち。ひびこれこうじつ)」である。
「ある時、雲門禅師が修行者たちに言った。十五日以前は、汝に問わず。十五日以後、一句を言いもち来たれ。自ら代わって言わく。日日これ好日」
十五日以前と以後の意味に関してはいくつかの説がある。しかしここで問題なのは「一句を言いもち来たれ」の方である。ところが彼の気に入る一句を持ってきた修行者がいなかったのか、雲門禅師が自ら一句を提示した。それが「日日これ好日」である。
日日これ好日。良いことも悪いことも、取り巻く現実を徹底して見据えた上で、ここに今、実際に生きて在ることの感謝を知る。そうすれば毎日が好日である。




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Daisetz Teitaro Suzuki ... 日日「グッド・モーニング」だ、日日是れ好日と云ったといふ話で、東西何も變らぬ。この「 ... これもやはり、日日是れ好日、また「 エヴリ・モーニング・イズ・グッド・モーニング( Every morning is good morning . ) ...
Daisetz Teitaro Suzuki - 1969 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
Selected from the Writings of Daisetz T. Suzuki Daisetz Teitaro Suzuki Bernard Phillips. or a pennant ... The beggar seems to have been quite enlightened , for no doubt every morning is a good morning, every day is a good day . Whether we ...
Daisetz Teitaro Suzuki, ‎Bernard Phillips - 1973 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
The famous words of the Zen patriarchs, such as "no work, no food," "one day without work, one day without food," "every day, good day," "daily mind the way," "the ... in Japan, in literature, drama, painting, architecture, industrial arts, and the social life (tea ceremony, vegetable cookery, flower 1o4 SUZUKI DAISETZ TEITAR5.
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Christian and Buddhist Daisetz Teitaro Suzuki. hungry and to ... I meet a friend in the street, he says, “Good morning,” and I respond, “Good morning. ... 116 A monk asked a Zen master, “I note an ancient wise man saying: 'I raise the screen and face the broad daylight; I move the chair and am greeted by the blue mountain .
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Daisetz Teitaro Suzuki. retorted, "Where is ... Detecting at once where the monk was, that is, seeing that the monk was still unable to transcend the dichotomy, Ho-un pursued with "How do you eat yourrice?" The monk had ... I meet a friend in the street, he says, "Good morning," and I respond, "Good morning." This will again ...
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