2025年3月21日金曜日

①鈴木大拙はスウェーデンボルグの思想を高く評価しており

 
 
DJ プラパンチャ
⁦‪@prapanca_snares‬⁩
①鈴木大拙はスウェーデンボルグの思想を高く評価しており、その翻訳や紹介に努めていた。大拙は神智学にもコミットし、大正期に京都で、海外の仏教者との交流の拠点として神智学協会大乗ロッジを組織している。
 
2025/03/20 19:43
 
 
①鈴木大拙はスウェーデンボルグの思想を高く評価しており、その翻訳や紹介に努めていた。大拙は神智学にもコミットし、大正期に京都で、海外の仏教者との交流の拠点として神智学協会大乗ロッジを組織している。

②神智学協会の初代会長のオルコットは、スリランカで近代的な仏教改革運動を担ったアナガーリカ・ダルマパーラと一緒に1888年に初来日した際に、仏教界から大歓迎を受けている。このとき、あの清沢満之がその翻訳に携わっている。アジアの仏教各派の大同団結を主張していたオルコットの呼びかけで、日本の各宗派の長を集めて前例のない管長会議が知恩院で開かれている。

③明治20年代の日本の仏教界には、スウェーデンボルグの思想を仏教と近いものだと考える風潮が存在しており、鈴木大拙の師匠の釈宗演も、スウェーデンボルグの思想を仏教の一種だと解釈する文章を残している。

④真言宗僧侶の藤田霊斎が「息心調和法」という「霊術」を説いたり、同じく真言宗僧侶の五十嵐光龍が「自働療法」という「霊術」を説いたり、岡田虎二郎が説いた岡田式静坐法を真宗僧侶の山辺習学や金子大栄や足利浄円が実践したりといった具合に、「霊術」とか「民間精神療法」と呼ばれる領域には、革新的な僧侶が多く関わっていた。

⑤真宗は、大正時代の中頃までは「霊術」「民間精神療法」と呼ばれる実践にかなり寛容だった。教団の中枢もそれを問題視していなかったし、東本願寺法主の大谷句仏も日本心霊学会の「霊術」を実践していた。

……近代にはこんな話は他にもいっぱいありますが、いったんこれくらいにしましょうか。

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