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2024年1月14日に日本でレビュー済みレポート
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くじ引きについて、法哲学、倫理学、政治学等々の研究者が論じる。「はしがき」にそれぞれの論考について10行程度で紹介してある(pp.vi-viii)のでそれをガイドにすると良さそうだ。
書名には「くじ引きへの誘い」と「くじ引きの考察への誘い(p.ix)」の2つの意味が込められているという。
坂井豊貴(本書の共著者の1人)の『多数決を疑う』ほどには興奮しなかったが本書も相当に面白い。いわゆる「トロッコ問題」についての、総和主義、追加説、均等確率説、公平確率説の比較表(p.133)だけでも思考を促される。
岡崎晴輝の提唱する(現在の参議院に代わる)抽選制市民院について無理があるかなと思っていたが、「市民院の主たる権限を、衆議院で法案等の審議が尽くされたかどうか、またその決定が市民感覚に著しく反していないかどうかを判断し、拒否権を行使することに限定する(p.72)」のであれば、可能性はあるなと思う。要するに、検察の不起訴判断に対する検察審査会の役割のようなものだ。
最高裁長官について「内閣による任命制(指名)を採用している以上、最高裁長官の政治的独立性・中立性が脅かされる危険は常に存在している。(p.88)」という指摘ももっとも。実際、安倍政権が「弁護士枠」の最高裁判事に日弁連の意図と異なる人を決めた例(p.89)もあるし、「慣行が覆された」という点では日本学術会議の会員決めをめぐる争いも同じだろう。
「くじ引き投票制」については、別の本で坂井豊貴が「職場の数人のグループでいつもランチを食べに行く。他の4人は好みが同じ(たとえばパスタ)だが、1人だけ和食がいい。この場合、多数決だと和食になることは絶対ないが、くじ引き投票制だと1/5の確率で和食にできる」というような趣旨の例を出していたな。ただ、「くじ引き投票制」の普遍的な妥当性の評価とともに、「その背景にあるのは、『分断され孤立したマイノリティ』の問題(p113)」という指摘も重要だろう。それはそういう背景が(アメリカほど)明瞭にはない日本でそれを取り入れることの是非に関わるからだ。
書名には「くじ引きへの誘い」と「くじ引きの考察への誘い(p.ix)」の2つの意味が込められているという。
坂井豊貴(本書の共著者の1人)の『多数決を疑う』ほどには興奮しなかったが本書も相当に面白い。いわゆる「トロッコ問題」についての、総和主義、追加説、均等確率説、公平確率説の比較表(p.133)だけでも思考を促される。
岡崎晴輝の提唱する(現在の参議院に代わる)抽選制市民院について無理があるかなと思っていたが、「市民院の主たる権限を、衆議院で法案等の審議が尽くされたかどうか、またその決定が市民感覚に著しく反していないかどうかを判断し、拒否権を行使することに限定する(p.72)」のであれば、可能性はあるなと思う。要するに、検察の不起訴判断に対する検察審査会の役割のようなものだ。
最高裁長官について「内閣による任命制(指名)を採用している以上、最高裁長官の政治的独立性・中立性が脅かされる危険は常に存在している。(p.88)」という指摘ももっとも。実際、安倍政権が「弁護士枠」の最高裁判事に日弁連の意図と異なる人を決めた例(p.89)もあるし、「慣行が覆された」という点では日本学術会議の会員決めをめぐる争いも同じだろう。
「くじ引き投票制」については、別の本で坂井豊貴が「職場の数人のグループでいつもランチを食べに行く。他の4人は好みが同じ(たとえばパスタ)だが、1人だけ和食がいい。この場合、多数決だと和食になることは絶対ないが、くじ引き投票制だと1/5の確率で和食にできる」というような趣旨の例を出していたな。ただ、「くじ引き投票制」の普遍的な妥当性の評価とともに、「その背景にあるのは、『分断され孤立したマイノリティ』の問題(p113)」という指摘も重要だろう。それはそういう背景が(アメリカほど)明瞭にはない日本でそれを取り入れることの是非に関わるからだ。
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2022年6月8日に日本でレビュー済みレポート
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法と哲学新書の第二弾。去年刊行の『法と哲学』第七号の特集に加筆・訂正・追加等したもの。執筆メンバーは雑誌特集と同じ。
一、くじ引きのアカデミックな話題性は
①危機に陥った現代のデモクラシーを再生するための、くじ引きを利用するデモクラシー(ロトクラシー)の可能性。
②「生存のくじ」または「臓器くじ」という思考実験。健康人の中から公正なくじで犠牲者を選び、摘出された臓器を必要とする複数の人々に分配する。
③「運の平等主義」。親ガチャの結果として生ずる経済格差の是正のように、くじ引き的運の要素を徹底して排除すべきか。
二、本書の内容。(目次は宣伝に載っている)
○第1章 古田徹也氏 哲学・倫理学
☆前半は古代ギリシャの神話・悲劇・哲学に出てくるくじ引き。後半は臓器くじ。
☆三つの論点は①誰が、なぜ、いつくじ引きをすると決めるのか。②分配の対象と、くじ引きの参加者はなぜ、どうやって決まるのか。誰が決めるのか。③いかさまの可能性。
☆結論は、(くじ引きの)「見掛け上の公正さ」という曖昧な像から距離をおき、本当に公正な方法と言えるかを慎重に検討する必要がある。
○第2章 岡崎春輝氏 政治学。
☆前半は参議院を抽選制市民院に転換した上での、衆議院+抽象的市民院の二院制議会の提案。後半は幹部行政職や幹部司法職の一部を対象者(試験による職員採用は維持)から抽選で選出する抽選官僚制の提案。
○第3章 瀧川裕英氏 法哲学。
☆くじ引き投票制の魅力。くじ引き投票制は選挙と抽選を直列に繋ぐ制度。選挙後に、投票の中から当選票をくじ引きで選ぶのが「事後くじ」。くじ引きで選んだ有権者のみが投票するのが「事前くじ」。筆者は事前くじを推奨。
☆くじ引き投票制の利点は①少数派の選出される可能性。②投票者が当選可能な候補者に投票する傾向を抑制できる。③死票がなくなる。④職業政治家の出現を抑制。
☆欠点は①経験が生かされない。②大多数の判断が、くじ引きによって覆される可能性。③極端な意見の持ち主が選ばれる可能性。
○第4章 坂井豊貴氏 経済学・社会選択学。
☆じゃんけん、くじ引きが耐戦略性の観点から擁護される。耐戦略性を満たすとは、いついかなる状況でも、どの投票者も正直に自分の意思どおりに投票することが、その投票者の損にならない投票様式。
○第5章 飯田高氏 法社会学、法と経済学。
☆財の配分の際に用いられるくじのリスクを検討する。くじによって何かを決めることは、関係する人を確率的な変動のもとに置くことになり新たなリスクを作り出す。
☆リスク選考、リスク許容度は人により異なり、自然災害経験のある人はリスク許容度が低い傾向にある。
☆対象者のバッググラウンドに多様性のある場合は、くじによる決定はなるべく避けることになる。
三、私的感想
○第4章と第5章の経済学・統計学的な部分がちょっと難しいが、他は大体理解できたと思う。
○第2章、第3章、第4章がくじ引き評価派、第1章、第5章がくじ引き慎重派になるのかな。
○一番面白くて、展開も冴えていたのが「第3章 くじびき投票性の可能性」。説得されてしまいそう。
○くじ引きデモクラシーの一番の問題は、制度設計によっては、政治家の経験、努力といったものが全く評価されなくなる場合のあることだろう。選挙による審判はどうなるのだろうか。
○本書には書かれていなかったと思うが、気になるのは、くじ引きというものが、日本で長い歴史を有する、最も単純な賭博と共通要素を有することである。
六、私的結論
○勉強になった。
一、くじ引きのアカデミックな話題性は
①危機に陥った現代のデモクラシーを再生するための、くじ引きを利用するデモクラシー(ロトクラシー)の可能性。
②「生存のくじ」または「臓器くじ」という思考実験。健康人の中から公正なくじで犠牲者を選び、摘出された臓器を必要とする複数の人々に分配する。
③「運の平等主義」。親ガチャの結果として生ずる経済格差の是正のように、くじ引き的運の要素を徹底して排除すべきか。
二、本書の内容。(目次は宣伝に載っている)
○第1章 古田徹也氏 哲学・倫理学
☆前半は古代ギリシャの神話・悲劇・哲学に出てくるくじ引き。後半は臓器くじ。
☆三つの論点は①誰が、なぜ、いつくじ引きをすると決めるのか。②分配の対象と、くじ引きの参加者はなぜ、どうやって決まるのか。誰が決めるのか。③いかさまの可能性。
☆結論は、(くじ引きの)「見掛け上の公正さ」という曖昧な像から距離をおき、本当に公正な方法と言えるかを慎重に検討する必要がある。
○第2章 岡崎春輝氏 政治学。
☆前半は参議院を抽選制市民院に転換した上での、衆議院+抽象的市民院の二院制議会の提案。後半は幹部行政職や幹部司法職の一部を対象者(試験による職員採用は維持)から抽選で選出する抽選官僚制の提案。
○第3章 瀧川裕英氏 法哲学。
☆くじ引き投票制の魅力。くじ引き投票制は選挙と抽選を直列に繋ぐ制度。選挙後に、投票の中から当選票をくじ引きで選ぶのが「事後くじ」。くじ引きで選んだ有権者のみが投票するのが「事前くじ」。筆者は事前くじを推奨。
☆くじ引き投票制の利点は①少数派の選出される可能性。②投票者が当選可能な候補者に投票する傾向を抑制できる。③死票がなくなる。④職業政治家の出現を抑制。
☆欠点は①経験が生かされない。②大多数の判断が、くじ引きによって覆される可能性。③極端な意見の持ち主が選ばれる可能性。
○第4章 坂井豊貴氏 経済学・社会選択学。
☆じゃんけん、くじ引きが耐戦略性の観点から擁護される。耐戦略性を満たすとは、いついかなる状況でも、どの投票者も正直に自分の意思どおりに投票することが、その投票者の損にならない投票様式。
○第5章 飯田高氏 法社会学、法と経済学。
☆財の配分の際に用いられるくじのリスクを検討する。くじによって何かを決めることは、関係する人を確率的な変動のもとに置くことになり新たなリスクを作り出す。
☆リスク選考、リスク許容度は人により異なり、自然災害経験のある人はリスク許容度が低い傾向にある。
☆対象者のバッググラウンドに多様性のある場合は、くじによる決定はなるべく避けることになる。
三、私的感想
○第4章と第5章の経済学・統計学的な部分がちょっと難しいが、他は大体理解できたと思う。
○第2章、第3章、第4章がくじ引き評価派、第1章、第5章がくじ引き慎重派になるのかな。
○一番面白くて、展開も冴えていたのが「第3章 くじびき投票性の可能性」。説得されてしまいそう。
○くじ引きデモクラシーの一番の問題は、制度設計によっては、政治家の経験、努力といったものが全く評価されなくなる場合のあることだろう。選挙による審判はどうなるのだろうか。
○本書には書かれていなかったと思うが、気になるのは、くじ引きというものが、日本で長い歴史を有する、最も単純な賭博と共通要素を有することである。
六、私的結論
○勉強になった。
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2024年7月24日に日本でレビュー済みレポート
この本は、のんびりしたタイトルとは裏腹に、政治に「くじ引き」を導入することで、最多票を得た候補者を選抜する現在の選挙制度の問題を克服しようとする挑戦的な書物だと思います。特に、最も民主的で公正だと信じられている現在の選挙には以下の問題があると指摘されています。
1. 少数意見が反映されない:最多票を得た候補者だけが選抜されるので、少数意見は取り上げられません。これは少子高齢化が進む日本では、若者の意見が反映されない深刻な事実を意味します。
2. 耐戦略性を満たさない:専門用語で分かりにくいですが、「耐戦略性」が満たされているとは、「正直に自分の意志通りに投票してもその投票者の損にならない」状況を意味します。現在の選挙では、自分の意見に最も近い候補者の当選する可能性の極めて低い場合は死票になってしまいます。それを避けるためには自分の意見に近くて当選する可能性のある候補者を探さないといけません。こうした選挙は「耐戦略性」を満たしません。最近では、フランスの2回目の選挙で与党連合と左派が結束して右派の第一党を阻止した選挙がありましたが、1回目と2回目のどちらが国民意見を反映したかはむつかしいと思います。
3. 世襲の職業政治家による貴族政治:選挙に勝ち続けるためには、安定した組織票が維持できる世襲の職業政治家を採用することは、ある意味極めてまっとうな選挙戦略でしょう。世界各国に「名家」が表れていることは必然のように思います。
さらに、この選挙制度にはもっと根源的な問題があることが証明(!)されています。「ギバード・サタスウェイの不可能性定理」と知られるその定理ではなんと「耐戦略性と満場一致性を見たす決定方式は独裁制のみである」と示されているのです。この「満場一致性」とは「一番得票が多い人が選ばれる」という極めて普通の「弱い」条件で、「独裁制」は特定の一人の得票だけで決定するという極めて不公平な手法です。なので、「耐戦略性」を満たすまともな方法は存在しないといっているのに等しいです。こうした政治学の分野に自然科学系のような「不可能性定理」があることにとても驚いたのですが、我々が当たり前だと思っている普通選挙は「耐戦略性」、「満場一致制」、「公平性」のトリレンマを抱えていることがわかります。そして、このトリレンマ(実際は「耐戦略性」と「公平性」のジレンマ)を回避するために導入されるのが「くじ引き」です。投票数によって当選確率が決まる「比例確率方式」のみがさきほどの3つを満たします(これも証明されている!)。
くじの導入には耐戦略性を満たす以外にも、少数意見もその割合に応じた確率で反映できることや、職業政治家ではない市民感覚を政治に導入できるメリットがあります。実際、裁判員制度も司法に市民感覚を取り入れるために導入されました。一方で、くじ引きには極端な人物が選ばれる可能性や、長期的な政策に取り組めない問題もあります。そこで、政策立案よりは陪審員のような役割を持つ抽選制市民院を参議院の代わりに導入することが提案されていて、真剣な検討に値する提案だと思いました。
選挙に限らず、一般にくじ引きには1.コストの節約、2.非効率行動の抑制、3.すでにある不平等の打破のメリットがあることも指摘されています。選挙の場合にこれらは明らかですが、大学入試に当てはめてもよいように思いました。入試問題の作成・採点のコストや塾に支払う費用、中高一貫校で最後の1年を入試勉強だけに費やす入試対策、首都圏の中高一貫校に子供を通わせられる富裕層が優遇される現状の打破。様々なメリットがすぐに浮かんできます。
一方で、「くじ引き」は必ずしも公平・中立な方法でないことが指摘されています。そもそもなぜ「くじ引き」をすることに決めたのか?そのくじを引けるのは誰で、分配対象をどう決めたのか?こうしたことを決めた人為性を排除できません。野球のドラフト抽選で希望していた球団に入れなかった選手や、ほとんどくじ引きに近いPK戦で勝者がきまる場合のように、本当に他の方法はなかったのか?という疑念が消えることはありません。大学入試に用いようにも、その結果によって人生が左右されることを受け入れられる人は少数でしょう。くじを引く人の間にも、くじの分配対象に対するリスク許容度の違い(当たったらラッキーと思える人と、外れたら深刻な事態になる人の差)があるために公平性を担保することが難しい場合もあります。また、くじ自体のランダム性をどう保証するのかという根本的な問題もあります。
「くじ引き」を巡って、本当に多様な角度から検討が加えられているいい本です。専門向けで読みやすい本ではないですが、その中の提案は真剣な検討に値します。とくに、選挙の代わりにくじ引きを用いる「ロトクラシー」は、国政選挙に受け入れられるにはハードルが高いですが、なり手不足に困っている地方議会議員や首長の選出に有効活用できそうな気はします。
1. 少数意見が反映されない:最多票を得た候補者だけが選抜されるので、少数意見は取り上げられません。これは少子高齢化が進む日本では、若者の意見が反映されない深刻な事実を意味します。
2. 耐戦略性を満たさない:専門用語で分かりにくいですが、「耐戦略性」が満たされているとは、「正直に自分の意志通りに投票してもその投票者の損にならない」状況を意味します。現在の選挙では、自分の意見に最も近い候補者の当選する可能性の極めて低い場合は死票になってしまいます。それを避けるためには自分の意見に近くて当選する可能性のある候補者を探さないといけません。こうした選挙は「耐戦略性」を満たしません。最近では、フランスの2回目の選挙で与党連合と左派が結束して右派の第一党を阻止した選挙がありましたが、1回目と2回目のどちらが国民意見を反映したかはむつかしいと思います。
3. 世襲の職業政治家による貴族政治:選挙に勝ち続けるためには、安定した組織票が維持できる世襲の職業政治家を採用することは、ある意味極めてまっとうな選挙戦略でしょう。世界各国に「名家」が表れていることは必然のように思います。
さらに、この選挙制度にはもっと根源的な問題があることが証明(!)されています。「ギバード・サタスウェイの不可能性定理」と知られるその定理ではなんと「耐戦略性と満場一致性を見たす決定方式は独裁制のみである」と示されているのです。この「満場一致性」とは「一番得票が多い人が選ばれる」という極めて普通の「弱い」条件で、「独裁制」は特定の一人の得票だけで決定するという極めて不公平な手法です。なので、「耐戦略性」を満たすまともな方法は存在しないといっているのに等しいです。こうした政治学の分野に自然科学系のような「不可能性定理」があることにとても驚いたのですが、我々が当たり前だと思っている普通選挙は「耐戦略性」、「満場一致制」、「公平性」のトリレンマを抱えていることがわかります。そして、このトリレンマ(実際は「耐戦略性」と「公平性」のジレンマ)を回避するために導入されるのが「くじ引き」です。投票数によって当選確率が決まる「比例確率方式」のみがさきほどの3つを満たします(これも証明されている!)。
くじの導入には耐戦略性を満たす以外にも、少数意見もその割合に応じた確率で反映できることや、職業政治家ではない市民感覚を政治に導入できるメリットがあります。実際、裁判員制度も司法に市民感覚を取り入れるために導入されました。一方で、くじ引きには極端な人物が選ばれる可能性や、長期的な政策に取り組めない問題もあります。そこで、政策立案よりは陪審員のような役割を持つ抽選制市民院を参議院の代わりに導入することが提案されていて、真剣な検討に値する提案だと思いました。
選挙に限らず、一般にくじ引きには1.コストの節約、2.非効率行動の抑制、3.すでにある不平等の打破のメリットがあることも指摘されています。選挙の場合にこれらは明らかですが、大学入試に当てはめてもよいように思いました。入試問題の作成・採点のコストや塾に支払う費用、中高一貫校で最後の1年を入試勉強だけに費やす入試対策、首都圏の中高一貫校に子供を通わせられる富裕層が優遇される現状の打破。様々なメリットがすぐに浮かんできます。
一方で、「くじ引き」は必ずしも公平・中立な方法でないことが指摘されています。そもそもなぜ「くじ引き」をすることに決めたのか?そのくじを引けるのは誰で、分配対象をどう決めたのか?こうしたことを決めた人為性を排除できません。野球のドラフト抽選で希望していた球団に入れなかった選手や、ほとんどくじ引きに近いPK戦で勝者がきまる場合のように、本当に他の方法はなかったのか?という疑念が消えることはありません。大学入試に用いようにも、その結果によって人生が左右されることを受け入れられる人は少数でしょう。くじを引く人の間にも、くじの分配対象に対するリスク許容度の違い(当たったらラッキーと思える人と、外れたら深刻な事態になる人の差)があるために公平性を担保することが難しい場合もあります。また、くじ自体のランダム性をどう保証するのかという根本的な問題もあります。
「くじ引き」を巡って、本当に多様な角度から検討が加えられているいい本です。専門向けで読みやすい本ではないですが、その中の提案は真剣な検討に値します。とくに、選挙の代わりにくじ引きを用いる「ロトクラシー」は、国政選挙に受け入れられるにはハードルが高いですが、なり手不足に困っている地方議会議員や首長の選出に有効活用できそうな気はします。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2024年8月11日に日本でレビュー済みレポート
経験的に投票制度の望ましいと考えられてきた
ので、現行の仕組みがあります。
しかし、本書で多面的な思考の道筋が示されて
いるのを見ると、魅力が理解できました。
可能な部分から試行してみるのがいいかと思い
ます。
考えることの楽しさを教えてくれる良書です。
ので、現行の仕組みがあります。
しかし、本書で多面的な思考の道筋が示されて
いるのを見ると、魅力が理解できました。
可能な部分から試行してみるのがいいかと思い
ます。
考えることの楽しさを教えてくれる良書です。
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2022年6月12日に日本でレビュー済み
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冒頭の「くじ引きは(どこまで)公正なのか」はギリシア神話を参照しながらくじ引きが神意として重視されていたこと、それがそうでもなくなってきたことを論じている。そしてくじ引きの結果が神意として捉えられないことや、不正がないことの証明が難しいことを挙げてくじ引きの公正性を再考すべきだと締める。
最初にこれを持ってくるあたり編者たちの本気度を感じる。その後の岡崎の論文は実務的な目線で「本当に導入した方がいいんじゃない?」って思わせてくれるけど、いくつかのネックを「制度設計で工夫すればいい」で逃げている点が多いのが気になった。
瀧川は人数問題における公平確率説の魅力を入り口としてくじ引き投票性へと論を展開する。非常に説得的。事後くじと事前くじのpros/consにはそこまで納得できなかったのと、くじへの信頼性は政治体制に信頼度が高ければ調達できるという点は疑問。それって鶏卵だと思うし、例示されてた裁判員制度に関してみんながそんなに疑問に思わないのは一般人にとって裁判員制度のくじがどうでもいいものだからだと思う。
結局くじの信頼性のところは保留されたままだけど、現時点でもムサシだドミニオンだと騒ぐ人たちはいるわけで100%の信頼の調達は困難なものとして考えざるを得ないのかもしれない。
最初にこれを持ってくるあたり編者たちの本気度を感じる。その後の岡崎の論文は実務的な目線で「本当に導入した方がいいんじゃない?」って思わせてくれるけど、いくつかのネックを「制度設計で工夫すればいい」で逃げている点が多いのが気になった。
瀧川は人数問題における公平確率説の魅力を入り口としてくじ引き投票性へと論を展開する。非常に説得的。事後くじと事前くじのpros/consにはそこまで納得できなかったのと、くじへの信頼性は政治体制に信頼度が高ければ調達できるという点は疑問。それって鶏卵だと思うし、例示されてた裁判員制度に関してみんながそんなに疑問に思わないのは一般人にとって裁判員制度のくじがどうでもいいものだからだと思う。
結局くじの信頼性のところは保留されたままだけど、現時点でもムサシだドミニオンだと騒ぐ人たちはいるわけで100%の信頼の調達は困難なものとして考えざるを得ないのかもしれない。
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