珠洲は今──1年たっても「まだ水が出ない」「相当異常」 再建から10日で…2度目の自宅被害、"思い出の場所"で迷う心
■「1月1日のまんまなのは相当異常」
鈴江アナウンサー 「どういうことを助けてもらえたらいいなと思いますか?」 高山さん 「一番はインフラですよね。12か月目なのに、まだ水が出ないという人がいるんですよ。そういう現実が同じ日本であるというのは、なんか変ですよね。これが(1月)1日のまんまというのは相当異常だと思うんです」
■震度6強…2023年の地震でも被害
鈴江アナウンサーは歩きながら、「町に生活の音がひとつもありません」と言います。人がいなくなった町。今も珠洲に住んでいる人達は、今後どうしていくか葛藤しています。仮設住宅に入居している濱塚喜久男さん(70)もその1人です。 「狭いですよ、本当に狭いですよ」と仮設住宅の中を案内してくれました。タクシーの運転手をしながら、娘と2人で暮らしています。住居は必要最小限のスペースのみです。 以前住んでいた自宅は今、更地になっています。実は、濱塚さんが自宅に住めなくなったのは今回が2回目です。 珠洲市では一昨年5月にも、震度6強の地震が発生。この時、濱塚さんの自宅は半壊しました。500万円以上をかけて家を修理しましたが、1年前の元日の地震にも襲われます。
■再建から約10日で「ぺっちゃんこ」
タクシーを運転中だった濱塚さんは車を降りて避難しましたが、乗っていたタクシーは目の前で津波に流されました。自宅も、再建から約10日で再び潰れてしまいました。「10日ほどでぺっちゃんこになったんですね」 当時も「こんなの見ると、2回3回遭うと、もう限界ですよ」と嘆いていました。ただ、濱塚さんはここに特別な思いを抱いています。
■6人の孫がよく遊んだ思い出の場所
濱塚さん 「海もきれいでね。ついこの間まで、小学校の海水浴場の指定場所でもあったんですよ。孫が来て、よくそこで泳いだりしたところなんです。夏休みになるとみんなこれを楽しみに来ていたんですよ、ここへ。この海とかいろんなところで遊ぶために」 地震前は、6人の孫がよく遊んでいた思い出の場所です。 濱塚さんは「私の思い出もいっぱいあるし、孫らもいっぱいここに思い出あるんですよ。それを、ここなくすとなったら全部その思い出もみんな捨てるみたいな感じで…。地震もひどかったですけど、やっぱり楽しい思い出のほうを思いたい」と言います。 この場所に残るかどうか、濱塚さんは迷い続けています。「地震でいっぺんに変わりましたね。残りわずかな人生ですけど」
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