2024年10月30日水曜日

オードリー・タンとの対話#3 自分自身を「代表」すること | DISTANCE.media

オードリー・タンとの対話#3 自分自身を「代表」すること | DISTANCE.media

オードリー・タンとの対話#3 自分自身を「代表」すること

デジタル直接民主主義とユニバーサル・ベーシックインカム

いま必要なのは、多様性を認め合うコラボレーション

ラウリン・ウェイヤース デジタル直接民主主義の時代にあって、社会が今なお必要としている指針とは何でしょうか。

オードリー・タン 今の時代、何より大事なのは多様性を認めあいながら協調することだと思います。ネットでの炎上合戦(Flame Wars)ですらも、多様性を生み出すエネルギー源として捉えられるはずです。でも多くの人は、InstagramやFacebookに夢中になり、対立は有害で傷つけあうものだと考えています。だから、対立を避けて孤立した泡の中に閉じこもり、多様性を大事にする代わりに孤独感を深めたり、ステータスを競いあったりしてしまうのです。みなさんよくご存じですよね。

そこで、みんなが集まる広場や場所を、世界に開かれた公共性ではなく、地域の公園のような規模の公共性で考えてみてはどうでしょうか。そこに集まるのは知り合いか、共通の友人がいる人たちで、多くても2万人程度でしょう。このようなダンバー数[★01]の範囲内の広場では、文脈や状況を理解したうえでのやりとりが保たれる公共の場をつくることができます。つまり、誰も通りすがりの人に突然怒鳴られたり、会話に横入りして荒らされたりすることはないわけです。このように地域に密着した環境では、人々はより自由に発言でき、自分とは全然違うタイプの人とのつながりも楽しめるようになります。だって、少なくとも共通の友人が一人いれば、安心して交流ができるでしょう?

こういうふうに、共通の背景を持つローカルなつながりがあれば、みんなで協調的な対話を育むことができ、もっと多様性を楽しめるようになるはずです。たとえ意見がぶつかり合っても、それはコミュニティを成長させ、行動規範を整えていく原動力になります。100人から2万人ぐらいの規模のグループ内で交流するなら、人間関係の修復もずっと簡単になります。これが私の主な考えです。

マイノリティとオンラインコミュニティの力

パブリック・ユニバーサル・フレックスンド(アーティスト) 社会的に不名誉とされている事柄について質問したいと思います。たとえば、セックスワークの問題です。私の理解では、台湾では事実上違法になっているそうですね。そんななか、多数派の人たちに投票を呼びかけるにはどうすればいいのでしょうか。当事者たちは、自分たちの置かれている状況について議論することで、犯罪者扱いされるリスクもあるわけです。多くの人が風俗業界との関わりを否定するでしょう。実際には闇市場のようなかたちで運営されている巨大な市場があるのに。こういう状況のなかで、デジタル直接民主主義はどのように機能するのでしょうか。

オードリー まず事実確認ですが、法律的に、国レベルでは台湾もニュージーランドと同じで、セックスワークは合法です。そしてこれもニュージーランドと同様、台湾でも自治体の許可が必要とされています。ニュージーランドとの違いは、現在、台湾ではこれまで下りた許可がすべて期限切れになっていて、新しく自治体からの許可が出ていないという点です。だから厳密に言えば、あなたの理解は正しい。台湾には合法でセックスワークが行われている場所はありません。でも、それは法律で違法だからではなく、いま現在セックスワークを許可している自治体がないからなのです。

そうなると、話は変わってきますよね。国会議員にロビー活動をする必要はなくなります。だってもう法律はできているのですから。ロビー活動の対象は市議会議員などになるでしょう。自分たちの自治体でセックスワークを合法化するという公約を掲げて選挙に出る人たちです。聞いたところでは、次の選挙では、そういう公約を掲げる市議会議員が多く出るらしいですよ。もちろん、どの自治体も許可を出さない理由についていろいろ推測することはできます。でもお伝えしておくと、台湾ではこの話題がタブーなわけではなくて、みんな普通に議論しています。大麻の合法化みたいな他の面白い問題と比べても、自治体の関与・関心も高いように思いますよ。

フレックスンド でも、状況を考えると、たとえ合法だとしてたとえばオランダでもセックスワークは合法ですが、議論するのは難しいということです。一般の人に聞いてみると、ほとんどの人が絶対反対です。自分の近所でセックスワークが行われるのを望む人なんていないでしょう。でも、セックスワークの需要はものすごく大きい。社会的な偏見のあるものは、どこも同じだと思います。だから、法律的には可能だというのはわかりますが、実際に決めるのを自治体に任せるとなると、人々は……。

オードリー いや、その気持ちはよくわかりますよ。私が10代の頃、台湾はノンバイナリーやトランスジェンダーの人たちにあまり寛容ではありませんでした。今の私が差別に遭わないからといって、30年前に差別がなかったわけではありません。でも、インターネットのすごいところは、物理的な距離が離れていても、同じ価値観を持つ仲間を見つけられることです。ネット上ではすべてが光の速さで伝わりますから。まあ、接続が安定していればですけど。

でも、接続に問題さえなければ、すべての情報が光の速さで伝わります。つまり、いろいろな国で差別されている人たちが、たとえそれぞれの国の大多数から否定的な目で見られていたとしても、プライバシーを守るテクノロジーを使いながらお互いを見つけ出し、活気あるネットコミュニティを作ることができるということです。LGBTIQのコミュニティでもそれを目にしてきましたし、気候変動が大きな話題になる前からそれを心配する人たちの間でも、同じようなことが起きていました。生成AIについても、世間一般に広く知られるようになる前から、その影響を懸念する人たちの間で同じような動きがありました。ネットの一部は、そういったコミュニティにとっての安全な避難所になっています。そして最近では、そのようなコミュニティがPolisのような意思決定ツールをフル活用して、合意形成を図っていることがわかってきました。

なかには、匿名性を守りながらDAO(分散型自律組織)などを作っている人もいます。ですから私は、オンラインからオフラインへの動きに希望を持っているのです。「Zuzalu」みたいに、そういったアイデアを取り入れて、実際に会ってミーティングを開くような取り組みもあるでしょう。すごく理にかなっていると思います。オンライン上で熟議型の直接民主主義のツールを使って、強い個人的なつながりを築ければ、初めて実際に会う前から、コミュニティが形成されたような、隣人になったような感覚を持てるでしょうから。そうすれば、適切な行動を起こすべきタイミングが来たときに、オフラインでの活動を呼びかけることができます。このインキュベーション期間は数十年かかることもあるかもしれません。でも、インターネットはこれから20年くらいは存続するでしょうから、私は楽観的に見ています。しかし、あなたの意見もよくわかりますし、目の前にある物理的なコミュニティにおける課題も認識していますよ。

イノベーションの源泉:「総統杯ハッカソン」とデータ利他主義

ヒルデ・ラトゥール 「総統杯ハッカソン」についてもっと詳しく教えてもらえますか。そこから出てきたアイデアの中で、一番良かったものが実際に実現したんですよね。そのアイデアについて聞かせてください。

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オードリー もちろんです。ほら、いま私が着ているのも総統杯ハッカソンのTシャツです。(Tシャツのロゴを指さして)この0と1が総統杯ハッカソンのシンボルなんです。長い歴史があって、今年で6年目を迎えます。毎年、5つの素晴らしいアイデアが生まれます。どれが一番いいか選べと言われても、まるで親に「一番お気に入りの子どもは誰?」と聞くようなものです。選べませんよ。とはいえ、知っておくと役立つかもしれないアイデアをご紹介しましょう。

たとえば、去年優勝したアイデアの一つに、CircuPlus(サーキュレーション・プラス 奉茶行動)というとてもシンプルなアイデアがありました。これは共有マップ上で、市民など誰でも利用できる無料の飲料水を提供したい人に、その場所を登録してもらうというものです。提供場所は水飲み場やセルフサービスの給水スポット、地元の店舗などさまざまです。これには「奉茶」の精神が活かされています。「奉茶」は台湾に古くからある習慣で、大きな急須とコップを木の下に置いておき、近くを通る人が自由に水を飲めるようにするものです。この「直接行動」がきっかけで、多くの地元の社会起業家やコミュニティをつくっていく立場の人が、共有マップを活用して、つながりをつくる動きを主導するようになりました。

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https://www.circuplus.org/

コップ一杯の水を飲みに立ち寄ったときに、彼らの話を聞く機会があると、いろいろなアイデアも広まりやすくなります。環境保護のためにプラスチック製のストローやコップ、ペットボトルなどを禁止しようという動きもありますからね。このアプリを開くと、他の人がどれだけの資源を節約し、どれだけのCO2を削減したか、そして自分の周りにそのような人がどれだけいるかが一目瞭然です。外に出て水を補給するだけで、地球を守ろうとしている仲間に出会えるのです。このアプリはつながりを形成するツールとなり、やがて熱中症警告システムなど、さまざまな機能が追加されていきました。この熱中症警告のシステムも、総統杯ハッカソンに参加した別のチームが開発したものです。つまりこのアプリは、人々に自分の参加できるさまざまな集団的活動を紹介し、市民を動員する原動力になりました。長くなりましたが、要するに最も素晴らしいアイデアというのは、境界を越えて広がっていくものではないでしょうか。

実は日本にも「mymizu」というサービスがあります。「mizu」は水という意味で、日本版のCircuPlusのようなものです。そして今年の総統杯ハッカソンの国際部門には、インドからの参加者もいました。彼らはインドで、非常によく似ているけれど少し違ったアイデアを実践していて、ブロックチェーンなどの分散型テクノロジーを活用しているそうです。国際部門を設けることで、国内からの参加を基盤としつつ、グローバルな連携ができるようになりました。「データ利他主義(data altruism)」という素晴らしい言葉がありますね。地球をより良くするために個人情報以外のデータを提供する人々のことです。これこそが総統杯ハッカソンから生まれた、オープンでデジタルでグリーンな運動の最たる例だと思います。

ヒルデ データ利他主義ですか。なるほど。素晴らしい言葉ですね。

「公開してから逝け」の哲学:「まともな先人」でありたい

ラウリン ヤン・アツェ・ニコライから質問が来ているので、お聞きしたいと思います。「こうした活動をする動機について教えてください。めざすところは何ですか」

オードリー 世界には17のグローバル目標と169のターゲットがありますが……(笑)、今からそれを全部挙げるつもりはありません。その代わりに、とても個人的な話をさせてください。私は1981年に、心臓に問題を抱えて生まれました。一番古い記憶は、4歳で医者に連れて行かれたときのことです。医者はレントゲン写真などを見ながら、両親にこう言ったんです。「お子さんが心臓の手術を受けられる年齢になるまで生きる可能性は、せいぜい50%ですね」と。つまり、私の最初の記憶というのは、存在の危機に直面するようなものでした。でも結局、12歳になった1993年に無事に心臓の手術を受けることができて、今はまったくの健康体です。

でも、人生の最初の12年間は、次の日に目が覚めるかどうかわからないまま眠りにつく毎日でした。この命がいつ尽きるかわからないという状況のせいで、ある習慣が身につきました。それは、毎日学んだことをすべて公開するということです。だって、もしかすると次の日にはいないかもしれないじゃないですか。いわば、「公開してから逝け(Publish and then perish)[★02]」ということですね。つまり、旅立つ前に知識を公開するということが最大のモチベーションになったのです。自分自身をパイプ役だと考えて、良いアイデアを思いついたら毎日公開する。そうすれば、安心して眠りにつけます。たとえ二度と目覚めることがなくても、アイデアがすでにパブリックドメインに存在しているからです。自分の仕事の著作権をすべて放棄しているのも、これが理由です。私がこの世を去った後も私の作ったものを楽しみたいと思う人々を、70年も拒絶するわけにいきませんから。

つまり、私が言いたいのは、まともな先人でありたいということなのです。未来の世代には、私が今享受しているよりももっとたくさんの可能性を楽しんでもらいたい。完璧なAIの設計などで、その可能性を閉ざしたくないのです。つまり、私が考えるまともな先人とは、自らがこの世からログアウトするときに、自分がログインしたときよりも、もっと可能性に満ちた、より良い世界を残して逝ける人のことです。

ラウリン なんて美しい。素晴らしいお話ですね。

オードリー ありがとう。

未来のコミュニケーション:ハイブリッドな可能性

ラウリン よく言われているように、私たちが直接会話をするとき、コミュニケーションの6割は表情や雰囲気など、言葉以外の要素を通して行われ、言葉の意味を介した意思疎通は4割に過ぎないそうです。デジタルコミュニケーションの場合も同じだと思いますか。それとも違いがあるのでしょうか。

オードリー 同じだと思いますよ。

ラウリン 同じですか。

オードリー ええ、同じです。私は5、6年近くにわたって、週に4日、フランスのパリにいる精神分析家ジゼルによる精神分析を受けていました。彼女は半年に1回は1カ月ほど直接会うべきだと主張するのです。そこで私はパリに彼女を訪ねて、古典的なフロイト派やラカン派のセッションを受けています。でも、残りの5カ月間は、今のようにビデオ会議で行っています。

ビデオ通話では微妙な表情の変化がわかりにくいので、細かいニュアンスが失われてしまいます。情報が圧縮されることで失われるのです。そうすると私たちは、心理的に投影し始めます。夢の中でするように、自分の本当の気持ちを相手にあてはめるのです。でも、お互いのことはわからないので、投影はおそらく的外れでしょう。つまりビデオ会議だけでクリエイティブな仕事をすることは可能ですが、通常はある程度の制約の中で行うことになります。

枠にとらわれない発想をするには、今のところ、直接会ってのやり取りが必要です。これが、5年間の遠隔精神分析で得た最大の気づきですね。でも、だからといって、リモートでのセッションを続けられないわけではありません。なぜなら、半年に一度、お互いが心の中に抱いているお互いのイメージを調整し合うからです。おかげで、その後の数カ月間は、たとえビデオ通話だけのやりとりであっても、変な想像に悩まされることなく、お互いのイメージをかなり良好に保ちながらセッションができます。ですから対面とオンラインのハイブリッドな方式が、きっと一番いいのではないでしょうか。

ラウリン ハイブリッドなやり方をするには、学ばないといけないこともありますよね?

オードリー そうですね。でも、VRがもっと普及してくれば、同じ部屋にいる人とオンラインの人とでハイブリッドにやるのもどんどん楽になってくるはずですよ。

道教と「保守的アナキズム」:新旧システムの融合

ラウリン ええ、それで考えたのですが、デジタル直接民主主義を使えば、今みたいに長ったらしい文章や膨大な量の報告書を読まなくても、みんなでもっと理解し合えるようになるのではないでしょうか。

オードリー まったく同感です。じつをいうと、私にとって直接民主主義とは、道教の言い換えにすぎないのです。スピリチュアルな意味での道教であって、宗教的な意味ではありませんが。子どもの頃は、道教の教えを信条として育ちました。そして後になって、初期のアナキズムの一部に道教とそっくりな考え方があることに気づいたのです。でも、私が「保守的アナキズム(conservative anarchism)」という言葉を使うのは、単に正反対のものを組み合わせて面白がっているだけではありません。古いシステムと新しいシステムが共存できることを示して、新しいシステムが徐々に古いシステムを時代遅れにしていく過程で、既存のシステムを無理やり壊す必要はないということを強調するためでもあります。これはバックミンスター・フラーの「トリムタブ(trimtab)」[★03]の洞察ですね。そして、このような「トリムタブ」は、デジタルツールのおかげでどんどん作りやすくなっています。今回みたいに、ラウリンさんが私にメールを書くだけで、私たちは仲間の「トリムタブ」たちを見つけて、こんなふうに話ができるのですから。

性別欄は「該当なし」、政党欄も「該当なし」:二項対立を越えて

ラウリン さて、2021年の映画『The Rocky Road to Democracy』(民主主義への険しい道のり)には、「オードリー・タンは、市民が政治的意思決定に積極的に関与できるような政策のために奮闘している」というくだりがありました。これについてもう少し詳しくお話しいただけますか。

オードリー そうですね、私の政治的立場は、誰からも信頼される中立性をめざすということです。私はどの政党にも属していません。2016年に内閣の人事書類を出したとき、性別欄には「該当なし」と書きましたし、政党欄にも「該当なし」と書きました。つまり、私は性別だけがノンバイナリーなのではなく、左翼や右翼といった二項対立的な考え方にも当てはまらないんです。だって、鳥が空を飛ぶには両方の翼が必要でしょう。基本として、私はあらゆる立場の意見を取り入れようとしています。

もし台湾のなかで、ある集団がなぜそんな考え方をもっていて、なぜそのような政党を作るのかわからないということがあったら、それは必ず私自身の問題だと考えます。その人たちの問題ではありません。だから、私はいつもそうした集団の人々と一緒に過ごし、ともに生活し、民族誌的に、というよりはただぶらぶらしながら、一緒に思い出を作ったりしています。そうすることで、私は彼らの視点から世界を見るようになります。そこで初めて、私は判断を下すことができるのです。

政治家として大切なのは、ものごとを決めるということは、人々の代表として自分たちに委ねられた主権を行使することだと考えないことです。そんな「正当性の論理」は信じていません。私たちは、人々が代表者を通してではなく、直接自分自身を代表できるような場所やスペースを作るべきなのです。私はそのようなスペースを作っているだけで、誰かを代表しているわけではありません。そして請願プラットフォームや総統杯ハッカソンなど、あらゆる立場の意見を反映させることができるスペースをつくることで、どんな立場も受け入れているのです。

ウーズ つまり、民主主義以外のイデオロギーは存在しないということでしょうか。

オードリー そうですね。民主主義というのは協調的な多様性のことですから、その通りです。

台湾では無所属の閣僚のほうが多いんですよ:イデオロギーの融合

ウーズ とても興味深いお話ですね。もう少し考えてみないと。だって、私たちの民主主義システムは、多かれ少なかれイデオロギーのぶつかり合いにもとづいているでしょう。そこで、オードリーさんのお話をうかがって浮かんだ疑問なのですが、従来の形式的な民主主義についてはどのようにお考えですか。

オードリー そうですね。私はイデオロギーの融合は可能だと信じています。それに、台湾では私のようなスタンスは珍しくありません。実際、台湾では無所属や無党派の閣僚のほうが、どの政党の閣僚よりも多いです。これが当たり前なんですよ。私が変なわけではありません。台湾の憲法では、国民が総統を直接選び、総統が首相を任命し、首相が内閣を作るという仕組みになっています。つまり、私は総統と首相の両方から任命されたということになります。そして、メールアドレスさえ持っていれば、誰でも私の有権者になれます。従来の民主主義の意味での有権者は、私には必要ないのです。

そもそも憲法を設計するなら、アイデア段階で共通の目的を見出し、最初の草案を作る際に、政治的・イデオロギー的に中立な立場が保たれる必要があります。これは行政院の仕事です。そして、その草案を立法院に送ります。立法院には4つの主要政党があって、従来の政党政治が行われています。

でも私たちは、理想的なダブルダイヤモンド・デザイン思考を使って、この二つのプロセスを明確に分けています。つまり、第一のダイヤモンドである「発見」と「定義」のフェーズと、第二のダイヤモンドである「展開」と「提供」のフェーズの間に、はっきりとした区切りがあるということです。「展開」と「提供」は議会政治の中で行われますが、市民のニーズの「発見」と共通の目標の「定義」は、政治的・イデオロギー的に中立な内閣、つまり行政院の役割なのです。これが私たちの憲法の枠組みになります。

ウーズ なるほど。では選挙は? 政治的な部分ではない、つまりイデオロギーの対立がない部分についてはどうでしょうか。オードリーさん自身はどうやって選ばれたのですか。他の人とは違う、あなただから選ばれた何かがあるはずですよね。

オードリー いえ、私は選挙で選ばれたわけではありません。二重の任命を受けたのです。国民が総統を選び、総統が首相を任命し、首相が私を任命しました。

ウーズ なるほど。よくわかりました。

オードリー 台湾では旧システムと平和的に共存していると言いましたが、本当にその通りなんです。だって、私たちは毎年のように投票を行っているのですから。ある年は市長選挙、別の年は国民投票、次の年は総統選挙と立法委員選挙、そしてまた別の年には国民投票と、毎年交互に代議制と直接民主制をやっています。これで、国民投票の年に政党が議論を乗っ取ったり、その逆のことが起きたりするのを防いでいます。

ウーズ すみません、もうちょっと理解を深めたいのですが、オードリーさんは誰かに任命されたのですよね。ということは、次の選挙で、オードリーさんを任命した人がまた選ばれたほうが好都合ではないですか。

オードリー そんなの全然気にしていませんよ。

ウーズ そうなんですか。

オードリー 今は4人の総統候補がいるのですが、私自身は2014年の前政権の内閣にも参加していました。大臣ではなく、大臣のリバースメンターとアドバイザーとしてですが。でも、これは台湾では珍しいことではありません。たとえば、2015年に経済相を務めた人は、2016年に政権交代があり、全然違う総統と政党が与党になったにもかかわらず、交渉総代表として引き続き内閣に残りました。つまり、特定の政党に属していない内閣のメンバーが、政権交代でまったく別の政党が与党になっても内閣に残り続けるというのは、台湾では普通のことなんです。変わったシステムですよね。他とは違う。

ウーズ そうでもないですよ。確かにオランダのシステムとは異なりますが、ドイツの都市の統治方法を見ると、オードリーさんが説明されたのとよく似たシステムになっています。

オードリー そうですね。台湾の最北端にある大都市の台北から最南端の高雄まで、高速鉄道でたったの1時間半で行ける、ということが大きいかもしれません。つまり私たちの憲法は、多くの点で連邦政府のようなシステムではなく、むしろ大規模な自治体のように設計されているのです。


オードリーとの対話【全4回】

#1 創造力こそが私たちの資本
#2 民主主義のコンピテンシー
#3 自分自身を「代表」すること
#4 ダイバース・デモクラシー、複数性の民主主義へ

解説 四方幸子【全4回】

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